もしもマルクト 1
ケテルブルクの知事邸にて、ジェイド・カーティスはその長い指を組んではほどき、また組んでを繰り返していた。
ルークたちとの長い旅を終えてから、一年と少し──ジェイドは少し変わった、と、彼を知る誰もが言っている。軍の部下たちは「少しだけ柔らかい雰囲気になった」とか「嫌味のベクトルが微妙になった」とか(もちろん陰で)評しているが、現在彼の目前に座っているピオニー知事にしてみれば、この親友はネジを数本外して帰ってきた。人間らしくなったが、人間としてギリギリのレベルでおかしくなった。現に今だって、青の軍服の上から白衣を着ている。せめてコスプレは統一して欲しい。
そんなネクロマンサーの変化を、まぁ結構なことだ、と思えるのはピオニーの長所であり、やっぱり短所でもある。あらゆる観点から残念極まりない親友同士だ。ここにサフィールが加われば、もっと深刻に残念となる。
三回くらい指の組み換えをすると、ジェイドはどこかぼんやりと口を開いた。
「……ピオニー、私は思うのですが」
「別に敬語は要らんのじゃないか? この場合」
「いえなんとなく。いいから話の腰を折らないで下さい」
「ああすまん。何だ?」
ジェイドはぼんやりとした目の焦点を合わせ、ピオニーを見た。その瞳は数ヶ月前から妹と同じ、柔らかな茶色となっている。その視力が実は2.0なのはご愛嬌である。これが書物に埋もれ、学問に青春を費やした人間の視力であろうか。
今まで長く黙り考え込んでいた心中を、彼は静かに語り出す──。
「想い合っていた恋人同士が身分および預言(スコア)を原因に結ばれることがなく、片方はそのまま政略結婚──したのが男の方。悲恋と呼ぶにはおこがましい事態ですよね。野郎が政略結婚させられたって何ですか、がっかりですよ」
「……俺サイドが、かなーりがっかりな事態なのは認める。というか、女帝として即位したネフリーが男前すぎるだろ」
「普通にかっこいいですよねー」
「って、ちょっと待て。お前なにしてんだ。お前が兄だろ!? なんで妹が即位してんだ、どこの女王国だよ」
「ああ……ええと……ネクロマンサーですから……?」
「それもだいぶ、がっかりだな……」
「認めます」
なんとなく沈み込む野郎二人。ケテルブルクの冷たい風が窓を揺する。
先に立ち直ったのはジェイドだった。
「ま、それはいいんですよ。どうでも」
「どうでもいいとか言うな。人をここまで落ち込ませておいて」
「それもどうでもいいです。問題は……陛下が結婚しないことです。男冥利に尽きますねピオニー」
「……そのへんは、割り切ると思っていたんだがな。お前の妹だし」
「よほど、このケテルブルクでの思い出が大切なのでしょう。それならば! と試しにサフィールを薦めてみたのですが、FOF変化を起こした奥義みたいな勢いで断られました」
「お前本当に天才か……?」
「天才とは往々にして孤独なものです」
とんちんかんな答えを返しつつ、ジェイドは深いため息をつく。ただしわざとらしく。
「と、いうことでですね、ここはこの兄が一肌脱ごうと思いまして」
「何に」
「ネフリーの初恋成就に」
「今!? お前、それはもう手遅れだろ!」
「人はいつからでも変われる……ルークが教えてくれました」
やっぱりとんちんかんな答えが返ってきた。どうやら、人の意見を聞く気はないようだ。
心からのため息とともに、ピオニーが片手を振りながら呟く。
「俺は今現在、妻がいるんだが? ほら政略結婚だから」
「いいじゃないですか、その点は水に流せば」
「いや、なかなか流れねぇよそれは。むしろ流そうと思うお前が驚異だよ」
「ほら、オフィーリアみたいに」
「妻を流す気お前!?」
「牡丹で飾って河に投げ込んであげますよ。ネクロマンサーの名のもとに」
「死霊使いにもほどがあるだろ! 人の家内を勝手に水死させんな!」
「下流で恋人が待ち受けてるわけですよ。つまり、あなたの奥さんの浮気相手?」
「待てジェイド。その話、ちょっと詳しく聞かせろ」
「失礼。確証のないことは話さない主義です」
都合の悪い時は確証がなくなる男、ジェイド・カーティス。その主義は現在も健在だった。
「まぁまぁピオニー。ここは一つ、私に任せてみませんか」
「少なくとも人が一人死ぬだろ? お前に任せると」
「やれやれ、頑なですねぇ……。じゃ、ユリアの預言(スコア)にあったってことでどうですか?」
「どうですか、って。ないだろそんな預言。というか、預言をなくす旅じゃなかったのかお前らの旅」
「預言は可能性の一つですよ。要するに、都合のいいときは使ってもいいはずです。……よーーーく思い返してみると、そんな預言があったようななかったようなあるといいなぁと思いような気がします。そうですね、こんな」
ジェイドはにっこりと微笑み、静かに言葉を紡ぐ。今は亡き、導師イオンの口真似をしていた。
「玉座を最後の皇帝の血で汚し……むにゃむにゃ……NDナンチャラ、大いなる滝より女帝の初恋の男性が流れ落ち、女帝の腕に抱えられて華燭の式を挙げる。流れてゆく牡丹。溢れかえるガイラルディア。厨房で骸を漁るネクロマンサー。それを手伝うガイラルディア。これがマルクトの未曾有の繁栄の第一歩である……」
「何する気お前!!? ていうか俺、どういう状況で再婚させられんの!? お前は厨房で何してんの! そしてその結婚式、ガイラルディアまみれじゃね!?」
「あー、もー……一気にたたみかけないで下さいよ。一つずつ行きましょう。まずピオニー、あなたは王宮の滝から落ちて貰います。ネフリーがふと玉座の後ろを振り返ると、牡丹の花とともに落ちてくるあなた。女帝はその美しい瞳を驚愕に見開き、仰います……『待っていてピオニー、今助けるわ!(ジェイド裏声)』で、ドボーン」
「何考えてんだお前」
「今申し上げた通りのことを考えております。で、陛下が帰ってくるまでに私はヴァージンロードを敷き、そこにガイラルディア(花)を敷き詰めます」
「なんで」
「華やかでいいじゃないですか」
「嫌がらせじゃね? それ」
「じゃあ翡翠でも敷きますかー? ネフライトとジェイドを。別にいいですけど、そんなごつごつしたもの敷き詰めたらネフリーが転びませんかね? ただでさえあなたを横抱きにしていて不安定なのに」
「……お前が物凄く何かを敷き詰めたくって、そして俺に屈辱的な立ち位置を与えたいことだけはよく分かった」
「ご理解の早いことです。そして、私は厨房で料理をします。死肉を調理(=骸を漁る)いたします。ガイラルディア(人)はそれを手伝います。他に質問は?」
「……ほんとにやりたいか? そんなこと」
「ロマンチックじゃないですか」
「どこが」
「わがままですねー。どこに文句があるんですか? 牡丹よりガイラルディアのが目立ってるところですか?」
「お前の中で、俺はどんだけ心が狭いんだ」
「分かって下さいピオニー、牡丹って使いにくいんですよ。ほら、あの花ボテっとしてますから。でかいしかさばるし図々しいし」
「実は俺が嫌いかジェイド」
「嫌ですねぇ、この私の溢れんばかりの愛を感じませんか? それはもう、敷き詰められたガイラルディアの花のように溢れかえってますよ」
「……もういい」
変なハーレクインでも読んだんじゃなかろうか、とピオニーは思った。だが模してこれだとしたら、ハーレクインに失礼である。
ジェイドは化け物なことに、その思考を正確に読んでのけた。
「私は今まで、ハーレクインを一冊しか読んだことがありませんが……それも参考までに。私の読んだものは要約すると、ヒーローがヒロインの臀部を見てムラっとする話でした。そんなのがいいんですかピオニー。じゃあ、尻から落ちますか? 滝に」
「勘弁してくれ」
「それを見たネフリーがムラっとする……兄としてはなんとも微妙な心持ちになりますね」
「俺のネフリーを穢すな」
「……ほう、『俺の』? へー……」
「あ、いや、今のは、そう、でなく……」
とたんに歯切れの悪くなったピオニーに、ジェイドは爽やかに笑いかける。爽やかさに比例してうさんくさかった。
「じゃあ文句はないですよね♪ ともにさっきの預言を現実にしましょう!」
「さっきのって……なんか衝撃で、細かいとこ忘れたんだけど」
「おや、復唱しましょうか」
「玉座を最後の皇帝の血で汚し……むにゃむにゃ……NDナンチャラ、大いなる滝より女帝の初恋の男性が流れ落ち、女帝の腕に抱えられて華燭の式を挙げる。流れてゆく牡丹。溢れかえるガイラルディア。厨房で骸を漁るネクロマンサー。それを手伝うガイラルディア。これがマルクトの未曾有の繁栄の第一歩である……」
驚くべきことに、ジェイドは一言一句違わず復唱して見せた。ただの一度きり、ノリで言ったことを記憶できるとは大した能力であるが、無駄な使い方である。
「ジェイド、それ、なんか寝言っぽいんだけど。むにゃむにゃって……。そもそも、んなアホみてぇな光景見てんなよ始祖」
「人の晩飯まで覗く女性ですよ? これっくらい序の口ですよ〜」
「ああ……、俺も前々から、晩飯は預言じゃなくっても、と思ってた」
「それはどうですかねぇ。例えば、カイツール三丁目に住んでるトムさんのある日の晩飯はサンマだった……が、実はそのサンマは、キノコロードの環境変化に基づく河の氾濫で異常発生したものであり、それがオールドラントの最期の序章であった……てなことがあるかもしれません」
「泣きたくなるなぁその最期。そりゃー仔細に詠みたくもなるわ」
「私はその点、始祖ユリアを気の毒に思っております。……どんな小さなことも、ないがしろすることは怖かったのだろう、と。そりゃー変な寝言も言うってモンです。横で聞いてた(かもしれない)ローレライもびっくりですよ」
「…………そうかジェイド。結局寝言か」
「たわごとでも構いませんが」
芝居くさーく首を振り、ジェイドはいきなり、パン・パン! と手を叩く。すると、知事邸に整然と、かつ迅速に数人の兵士が入ってきた。
「……おい、ジェイドくん」
「なんですかピオくん」
「今までのは…………冗談だよな? ……な?」
「ピオニー、私は」
ネクロマンサーは、本日最高の笑みをケテルブルク知事に向けた。会心モノであった。
「冗談が、大好きです」
連行せよ! との上司の言に、部下たちは気持ちいいほど従順に従ったという。
そして、何がしたいんだよ結局! と叫んで暴れる親友に対しジェイドは、かつての冷たさを思い出させる口調でもって、ここ一年で最も強烈な皮肉を発した。ピオニーに、というより、かつての世界に対して、盛大に。
「嫌ですねぇ。私は、ユリアの預言(スコア)を守りたいだけですよ」
──だが、発する場所と場合がこんなだったため、やっぱり色々と無駄に終わっていたという。