医療者は患者固有の情報を大切に
【第71回】尾藤誠司さん(国立病院機構東京医療センター臨床研修科医長・臨床疫学研究室長)
一昨年、「医師アタマ―医師と患者はなぜすれ違うのか?」というタイトルの本を出版した。国立病院機構東京医療センターで臨床研修科医長を務める尾藤誠司さんは、医療者が持つ「特有の思考」や「一様な価値観」のために、患者との間でコミュニケーションの齟齬(そご)が起こっていると言う。今後、医療者と患者がよりよいコミュニケーションを実現し、お互いが望む医療を実現するために必要な方策を尾藤さんに聞いた。(外川慎一朗)―そもそも、「医師アタマ」とは何でしょうか。
「医師アタマ」とは、医療者に確固として存在する「一様な価値観」のことです。“正しさ”の基準が常に医療者側にあって、これは正しいのか、正しくないのかに分けられます。こうした白黒はっきりした正しさというのは、患者さん個別の事情、心情などにかかわらず、医療の視点からの一様な考え方です。これは理科系の考え方からすると、全く自然なものです。医学的メカニズムや治療、診断に対して、科学の視点から思考していくことは、医療者としてすごく大事なことではあります。
―「医師アタマ」にはどういう問題点があるのですか。
医療の世界では、自然科学から出てきた“正しい”ものは「守らなくてはならない」というある種の“法的な”価値観を持ちます。例えば、血圧であれば「上が140、下が90の範囲を維持する」ということが、病気にならないための手段ではなく、維持すること自体が目的になってしまいます。治療の本当の目的は何なのかということへの想像力が、だんだん薄くなってしまうのです。すると、患者さんを理解し、治療方針の折り合いを付けることができずに、医療者と患者さんの間でコミュニケーションの齟齬が起こってしまいます。これが、「医師アタマ」的な価値観の問題点です。
一方で、「医師アタマ」的な価値観を持つからこそ、医療が成り立っているのも事実です。このバランスを維持するためにも、医療者は自らに「医師アタマ」的価値観があるということを自覚することが大切だと思います。
―著書の中で、EBM(Evidence-based Medicine:根拠に基づいた医療)が、医療者と患者のコミュニケーションを考える大きなきっかけとなった、とおっしゃっています。そもそもEBMとは何ですか。
例えば、「Aという治療をすると、ちゃんと効きますよ」ということを研究などの結果に基づいて導き出し、自分の診療に生かすということを「科学的な根拠に基づいた医療」と一般的には呼んでいます。
しかし、「よく効く薬」といっても、実は本質的に患者さんの利益になっているかという観点から見ると、だいたい20人に1人くらいにしか効かないんですよ。例えば、高血圧の人の血圧を下げる薬があるとします。それを飲んで、血圧が下がります。でも、血圧が下がることが、いったいその患者さんの人生にとってどのような利益があるか、ということです(笑)。患者さんは医療者に言われるから飲んでいるだけかもしれません。
血圧が高いと本当に駄目なのかというと、血圧が高くてもそのまま天寿を全うする人の方が多いですし、血圧が低くても脳卒中や心筋梗塞になる人もいます。血圧の薬を飲むと何がいいかというと、20人に血圧の薬を10年間飲んでもらうと、1人くらいは脳卒中になるのを予防できますということなんですよ。実はそれが「エビデンス」、すなわち科学的な根拠が提示する正直な情報です。そうすると、根拠に基づいた医療を深く考えていく上で、「逆」ではないかと思うようになってきました。
―「逆」というのは。
つまり、根拠に基づいた医療により、医療者は医学の力の強さを誇示したかったのですが、そうではなく、医学の限界を認識するに至るわけです。すると、自分たちの持てる限界の中で、患者さんのために最大限の力量や技術を提供すればいいと思えるようになり、少し気が楽になります。医学が持つパワーも限界も正確に知った上で、その患者さんにとって一番いいことは何だろうと考えていくことが大切ですね。
■「来週田植えがある」という情報の重要性
―情報という点ですが、患者は医療者に対してどのような情報を求めているのですか。
十人十色です。いろんな情報を求めてきますし、そうあるべきだと思います。ただ、おしなべて患者さんが持つ共通した気持ちというのは、ないわけではないと思います。例えば、患者さんが医療に関する情報を求めるのは、基本的には健康に対して不安があるからだと思います。医療に関する情報というのは、自分の体のことなのに訳が分からないんですよ。「専門家の助けでこの不安を何とかしたい」というのが一つ。ほかには「今後自分はどうなっていくのかという見通し」や、「今後自分は何をすればいいのか」などが、具合が悪い時に患者さんが共通して持つ気持ちかもしれません。しかし、先程も申し上げたように、患者さんの気持ちや事情はさまざまですし、聞いてみないとちゃんとニーズには応えられないことが多いです。
―それに対し、医療者はどんな情報を与える傾向にあるのですか。
医療者は自分の価値観の中で患者さんが求める情報を把握するのですが、「不安を取り除くこと」や「今後の見通し」などについては患者さんと情報を共有できていません。患者さんが欲しい情報のニーズをくみ取ることなく、情報は多ければ多いほど、正確であれば正確であるほど、解説が細かければ細かいほど、患者さんは「よく知ることができる」と医療者は思っているんですね。しかし、通常は情報が多ければ多いほど、話が細かければ細かいほど、患者さんは余計に訳が分からなくなってしまいます(笑)。むしろ、血圧が高いということについて、どんな不安があるのか、患者さん側から情報を求めるような姿勢が医療者には大切だと思います。
―患者が自分の症状についての情報を調べ、医療者と対等に話す努力が必要なのですか。
それは不要だと思います。だって普通、レストランでワインを飲む時に、産地がどうとか年代がどうとか知らなくてもいいじゃないですか(笑)。だから、患者が医療について無理解なのではなくて、適切な情報を医療者が与えていないんですよ。
―それでは、患者が伝えるべき情報はないのでしょうか。
患者さんは「来週田植えがある」とか、「娘が病弱で世話をしないといけない」とか、そういう医療者が全く分からない情報を伝えることが必要なわけです。例えば、「今田植えの時期で、なかなか体を休めるわけにはいかないんです。この時期は乗り切らないといけないんです」と患者さんに言われれば、医療者は「検査の数値は高いですけど、しばらく体を動かしても大丈夫ですよ」と答えることもできる。こうした患者固有の事情が、医療者が患者さんと共に治療方針を決めていく上で非常に重要になるのです。
■「コンビニ受診」はあるべき姿?
―病院で診療を受けたいと思っても、どの科に行ったらいいか分からないことがあります。
そうですね。循環器科とか、消化器科とか、呼吸器科とかいう名前って、おそらく患者さんにはぴんとこないのではないのでしょうか。確かに、標榜科の名前も、医師の診療守備範囲も、患者さん側の問題を軸にしたものではなく、あくまでも医学の範疇(はんちゅう)を軸にして成り立っているものですから。それで、困って受診したのに「うちの科じゃない」とか、「あなたは病気じゃない。なぜ来るんだ」とか言われても、患者さんはそれが分からないから病院に来るのに(笑)。
でも、「具合が悪いのに病院に行ってはいけないのか」ということです。「具合悪い科」とかあればいいのに(笑)。その意味では、何か具合が悪ければ診てくれる、そんな「コンビニ受診」があってもいいと思います。だって、コンビニって便利ですもん。
―しかし、「コンビニ受診」が「医療崩壊」を招いているとの指摘もあります。
うまくコンビニ的に医療へのアクセスができて、適材適所で病院などのような専門的な技術を患者さんが利用できるようになればいいですけどね。医療者の視点で見ると、病院という医療資源が患者側のニーズと乖離(かいり)しているために、うまく医療サービスが回っていない。そのために、医療者目線で「コンビニ受診は駄目」ということになるんでしょうね。
―なぜ病院に集まってしまうのでしょうか。
それはしょうがないところもあります。患者さんは不安ですから。不安だったら、機械がいっぱいあって、医者がいっぱいいるところの方がよさそうに見えます。今の時点では、患者さんが不安を解消するためにはそう考えるのも仕方ないとは思いますけどね。
―では、医療業界を疲弊させない「コンビニ受診」というのは可能なのでしょうか。
地域全体で医療の“導線”ができていることですね。例えば、その地域に住む人が何か体調が悪くなった場合に、いつもはA診療所にかかっているとします。でも、A診療所ではない専門的な技術を持っている医師に委ねた方がいい場合もあります。そこで、まず信頼できる診療所に行って、診療所の医療者から「ここに行くといいよ」と言ってもらえるという地域医療の“導線”があれば、「医療崩壊」を防ぐ一つの手立てになると思いますね。
―「かかりつけ医」の役割が大きいということですね。
そうですね。患者さんにとっては、何か具合が悪ければ診てくれる「かかりつけ医」の存在が大きいですね。まずはかかりつけ医のところへ行き、いざとなったらその後方にある大病院に行くという患者さんの理解があればいいと思います。しかし、まだその理解が得られていない。この問題について患者さんに理解してもらうために、われわれ医療者側の努力も必要ですね。
【略歴】
1990年岐阜大医学部卒。国立長崎中央病院(現・長崎医療センター)、国立東京第二病院(現・東京医療センター)、国立佐渡療養所(現・真野みずほ病院)、米UCLA公衆衛生大学院を経て、97年から東京医療センター総合内科。2005年から現職。日本総合診療医学会運営委員。内科専門医。
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