昭和四十年十二月九日 国語審議会総会


         提案一の趣旨について再度の説明

吉 田 富 三  


      一

  最初に提案の案文を申します。
    「国語は、漢字仮名交りを以て、その表記の正則とする。国語審議会は、この前提の下に、国語の改善を審議するものである。」
  これを国語審議会の名で世に公にすることが出来るか、その審議をお願ひしたのであります。
  この提案は、一見した所では、例へば国立の学校に行って、「学校の教育は、よい日本人を造ることを目的とする。その前提の下に教育をしてゐるのであって、遠い未来の火星人のやうなものを漠然と想像して、漠然と教育をしてゐるのではない。」と声明してほしいと要求するやうなものだと、或は見えるかも知れません。併し、国語問題の場合には、国語審議会が提案のやうな表明をするかしないかには、後に述べる様に、極めて重大な意味があるのであります。
  提案者は、この議案を前期(第六期) に於て、文書を以て提出するに当って、阿部真之助会長を訪ね、委員はどんな問題でも総会に提案して、審議を求めることが出来るといふ了解を得て居ります。提案理由の説明も文書を以て致しました。併し前期では、議案として正式に審議されるに到りませんでした。そこで今期になって、同じ議案を再度提出したのでありますが、今期も終りに近づいた今日に到るまで、なほ正式な審議がなされて居りません。提案者としては、甚だ遺憾に思ふのであります。
  この様な仕儀になってゐるのは、提案の真意が、多数の委員各位、或は会長によって充分に理解されてゐないためと考へる他はないのであります。殊にこの前の総会で、この議案の検討を委嘱された第一部会の相良部会長が、「国語審議会は、現に漢字と仮名の問題を審議してゐるのだから、改めて提案のやうな声明など行ふ必要は認めない」との見解を述べられ、会長もこれに賛成の意を示されましたが、これは提案者からみれば、提案の真意が全く理解されてゐないか、曲解されてゐることを物語るものであります。
  よって、この再度の説明の機会に、説明の観点を変へ、従来よりは率直に、問題点を述べたいと思ひます。

      二

  日本の国語問題は、明治の初頭以来百年、同じ議論を反復してゐます。
  明治初年の漢字全廃諭、五十年前、或は三十年前の同じ漢字廃止論と、これらに対する数数の反対論とは、今日この場に持ち出して来ても、今日の議論として、そのまま通用すると思はれます。
  国語の論争は、外見は複雑多岐でありますが、要するに漢字廃止の可否の論です。
  仮名遣ひ改良問題、ローマ字論、または新しい音韻文字の創作等々は、漢字廃止に伴ふ日本語の音韻表記の問題で、問題としては、派生的、技術的な問題であります。仮名遣ひ改良の問題は、その発生に於てこれをみれば、漢字廃止に持ち込むための中間手段、或は戦略とみなければなりません。若し漢字仮名交り表記中の仮名遣ひだけの問題であるならば、それは国語の学者の学問的問題であって、この国語審議会のやうな機関が取り扱ふ問題ではあり得ないのであります。それが戦略的意図を以て、非学問的、世俗的に提示されるので、これらに対する反論もまた騒然たるものとなります。これらの表に現はれた問題の様相を、ただ全体として眺めると、国語論争は複雑怪奇で、収拾すべからざるもののやうに見えますが、これらの枝葉を取り払ってみれば、後にのこる根幹は、漢字廃止の可否の論で、すべてはそこに帰するのであります。
  漢字廃止の可否は、議論としてこれを続ける限り、何年続けても、結着のつくものではありませんから、日本の国語問題が、議論としては、百年同じ事を反復してゐる結果となるのは、当然と言はなければなりません。

      三

  明治の初頭以来の国語改良論者、或は漢字廃止論者は、早く欧米先進諸国の学問文物に接し、欧米の事情に通じ、自ら先覚者を以て任ずる人々、今日の流行語でいへば、所謂エリートに属する人々のうちにありました。日本が欧米の列強に伍して国運を伸長するための富国強兵の国策と、その基盤となる科学技術の振興の方策とについて、それを担当する能力と責任とを有する者と自他共に許した人々でありました。
  これらの人々は欧米の言語に接して、その外見的には表現が如何にも正確で、文法的に統一があり、特に伝達と通信とに於て便利且つ迅速な点に眩惑され、圧迫と狼狽と羨望と焦燥とを感じてゐましたから、日本語がいかにも不規律に見え、特に国際性のない漢字の複雑にして異様な形相が眼障りで仕方がなかった。醜悪とさへ感じ、外国人の前に漢字の使用を恥ぢる心理、劣等意識さへ生じたのであります。
  この国語こそ、日本を国際的に孤立させ、日本の進歩を阻害する元凶であるから、国語の改良は一日を急ぐものと信ずるやうになりました。極端な人々は漢字の廃止さへ出来れば、その日から科学技術が発達するかのやうな錯覚に陥り、その日から富国強兵の実が挙がり、豊かな物質文明の恩沢が、津々浦々にも行きわたるかの様な言論を発表して憚らなかったのであります。
  従って、国語改良に反対するやうな者は、島国根性の頑迷固陋、偏狭の徒で、広く世界を見わたし、遠く国運の将来を思ふ能力のない着で、その頑鈍共に語るに足らず、と論断しました。そして反対者の反論を誘発したのであります。
  即ち、漢字廃止論者には、国の将来を思ふ者は自分らだけであるといふ自覚と、頑強な自信とがあったのであります。
  この様なエリートの発生母地と、その功罪については、歴史家と文明批評家の研究にまたなければなりませんが、漢字廃止の問題を、学問的研究と正当な議論とを飛び越して、問答無用的な実行段階に持ち込んだのは、この様なエリートの自信であったことは確かであります。

      四

  明治三十三年、根本正他五名が衆議院に、加藤弘之他二人が貴族院に、それぞれ「国字国語国文の改良に関する建議」を提出して、それぞれ両院を通過しました。
  この建議案は、今日からみて、甚だ不穏当で乱暴な文言を以て、わが国の 「文字言語文章」を誹謗し、口を極めてこれを罵倒し、国語を以て「錯雑紛乱不規律不統一」なものと極めつけ、これこそわが国の文運の将来阻害するものと断定した内容のものでありました。
  しかし建議案は、あまりに酷い悪口雑言、無責任な論断の箇所に対して、多少の修正が加へられただけで、両院を通過したのであります。そこで政府は、同三十三年四月二日に、七名の国語調査委員を任命したのであります。即ち、呪ふべきわが国語の改良といふ仕事は、この時に、国の政策として、その地盤を固定したと見るべきだと思ひます。
  越えて明治三十五年に、文部省はこの国語調査委員を廃し、三月二十四日、新に「国語調査委員会」の官制を発布しました。委員長一名、委員十五名以内の組織でありました。
  この委員会はその発足後、四月から六月までの間に九回の会議を開きましたが、それだけの審議を以て、極めて重大な決定を行ひました。即ち
    文字ハ音韻文字(フォノグラム)ヲ採用スルコトヽシ仮名羅馬字等ノ得失ヲ調査スルコト
  これを調査方針と決定したのであります。言ひ換へれば、漢字の廃止が、国語政策の方針として決定されたのであります。
  学問的に見て、また一国の文化の伝統の立場からみて、これは驚くべき勇猛なる武断、速決といはざるを得ないのでありますが、これが官制による国語調査委員会の決定した方針なのであります。
  その後、文部省或はその国語審議機関で、この決定方針が廃棄又は修正されたといふことを聞きません。従って、文部省の中には、この「音韻文字採用」の方針が、今日もなほ脈々として生き続けてゐるものと考へざるを得ないのであります。

      五

  事実、明治三十年以後、大正年間を通じ昭和にかけて、文部省が策定し、実施を試みた幾多の国語政策は、この音韻文字採用の既定の基本方針に忠実であった事を示して居ります。それらの政策は、その都度、学者や輿論の批判と攻撃に遇ひました。しかし文部省は、そのたびに、国語政策に関する調査或は審議の機構を改組して、不利な状況に対処しました。大正十年の臨時国語調査会、昭和九年の国語審議会、昭和十五年の文部省国語課の新設等がそれであります。
  日本の国語政策に於ては、政府と民間との確執不和が、事ある毎に表面化するのが、歴史に示された悲しむべき事実であります。もし諸外国のやうに、国語が国民と共に歩み、時代と共に変化し、自然に育成されて行くのを、国が静かにこれを愛育し、極端な逸脱や傷害から保護し、国語の健全な自然成長を期待するといふのが国語政策であるならば、政府と国民との間に、国語問題で確執が起るといふが如き事はあり得ないことでありませう。それが日本に於てはさうでないのは、日本の政府に、譲ることの出来ない既設路線があり、どんな反対を押し切っても、その上を走らなければならないといふ頑固な方針があるからだと解釈する他はないと思ひます。
  次の一事は、この特殊事情が、たまたま国会に於て公然とその姿を現はしたものと思はれます。
  昭和十一年五月、第六十九議会の貴族院本会議に於きまして、加藤政之助は、時の文部大臣平生釟三郎が、昭和五年に刊行した「漢字廃止論」が当時なほ版を重ねてゐる事実を取り上げ、「文相はこの説を今なほ堅持し、これによって行動しつつあるか」と質問し、その回答を求めました。これに対して平生文相は、たしかに漢字廃止を実行しようと考へてゐると、自己の立場を明らかにし、且つ、それが自己の信念である以上、文相の職責についたならば、その信念に忠実であるのは当然であると思ふ、といふ意味の発言をしたのであります。
  この発言が、現職の大臣の言として穏当を欠くものであった事はいふまでもありません。のみならず、その前に、文相が漢字廃止論の反対者に対して放った誹誘の言辞にも、極めて不穏当なものが多かったから、同じ議会で、重ねて深沢豊太郎の厳しい追求を受けました。文相は答弁に窮して、自説に未熟の点のある事を認め、再検討を約しました。しかし、さらに重ねて金杉英五郎が、漢字廃止の軽々に行ふべきでない所以を述べて、文相の軽率を戒めるに及んで、文相は遂に、再検討の上、自説が誤であったならば、取り消すことに致します、と答へるに到ったのであります。
  この国会論争は、金杉の「アナタノ為ニモ国家ノ為ニモ非常二喜ンデ居リマス」といふ言葉を以て幕を降してゐるのでありますが、この事件は平生文相個人の問題で終るものではないと思ひます。国語問題に関して、政府に対する国民の疑惑不信の念が、如何に根強いかが、この一事件に強く反映されてゐる点に、留意しなければならないと思ひます。
  しかし、文部省の堅持する方針は、斯る事件によって変更はして居りません。それは、戦後の一連の国語政策に最も如実に現はされましたし、昭和二十五年改組後の国語審議会に、「ローマ字に関する事項」が、審議事項に加へられてゐる事にも示されてゐます。

      六

  さて、上述のやうな経過と背景とを以て考へると、国語問題の核心は、次のやうに要約することが出来ようと思ひます。即ち
    わが国の国語問題は、文部省が、時に応じて或は外に現はし、或は内に匿して、強く堅持する漢字全廃の方針に、その核心を有する。
  いふまでもなく、以上述べたところは、明治以来の国語問題の歴史から提案者が取り出した要点であり、これに加へた言辞は、提案者の個人的判断であり、見解であります。提案者は、その当否がこの国語審議会に於て審議され、結論が出されることを、要望してゐるのであります。
  若し提案者の見た所が正しいとするならば、漢字の全廃を方針とする国語政策は、日本の文化にとって、民族の運命にとって、事は極めて重大でありますから、国民は慎重にこれに対処しなければなりません。人為的に、少数の人々の自信と強行策とによって、日本語から漢字が排除されたあと、日本語はどんな姿になるのか、どんな日本語が生れるのか、誰も答へる人はないのであります。漢字廃止が政府の方針であるといふ事が明示されたときの国民の反応がどんなものであるかは、既に昭和十一年の平生文相事件のときに示されてゐると思ひます。それほどの事を、曖昧に伏せて、国民の眼をごま化すことは許されないと思ひます。
  若し反対に、提案者の所見は誤ってゐる、漢字は、明かにこれを国字として認め、その前提の下に国語の改良、改善が審議されてゐるのだといふのならば、速かにこれを公にして、国民の疑惑と不信とを一掃する必要があると思ひます。提案の精神はこの点にあるのであります。提案の案文に、
    「国語は、漢字仮名交りを以て、その表記の正則とする。云々」
  とあるのは、以上の趣旨から、さらに率直に言ひ換へれば、
    「漢字を国字として確認し、その前提の下に審議するのであって、漢字の全廃を意図するものではない。」 となります。
  これを公にするか。しないとすれば、漢字廃止を目標とするのだ、と公にするか。その点の審議を望むのであります。文部省は、この点を国民の前に明かにする義務があり、国語審議会はその為の審議をする義務が、国民に対してあると思ふのであります。
  明治三十三年以来、国語問題は国家権力の手に移り、国民との対話の場が漸く失はれて居ります。国語問題は、国民にとって不明朗なものとなったのであります。国語問題は、文部省とそれを擁護する少数の人々と、これに対する国民との対立の場となる悲運に陥ったのであります。文部省は言葉を濁しながら何時どんな事をやるか判らないといふ不信の念が、国民の間に醸成されました。単に不信ではなく、事実として、学者、有識者が、文部省の国語政策に立ち向ひ、抗争する事件が、明治、大正、昭和を通じて幾度か起りました。それが日本の国語問題の歴史であります。この対立抗争が最も端的に現はれ、文部省の勝利の観を呈したのが、終戦後、米軍占領の混乱の時期に乗じて、抜き打ち的に実施された一連の国語政策であります。それに対する批判は、現に見られる通りであります。また、この戦後の国語政策は、実施以来二十年、その効果は極めて顕著で、漢字の軽視、軽蔑、ひいては国語その者を軽んずるの風が世上に横溢し、青少年の精神形成の上にも、甚だ憂ふべき様相を呈してゐます。
  提案者は、この時に当って、文部省も国語審議会も、その立場を明かにし、日本語の愛護育成に関して、真に意のある所を国民に示すべきだと思ひます。提案の精神はそこにあるので、単に提案の説明をききおくだけで、結論を暖昧にすることのないやうに、重ねてお顧ひ致します。

      七

  なほ二、三の点を附言いたします。
  〈一〉  漢字の制限は、現行の国語政策の背骨となって居ますが、制限の必要を説く者の立場は、必ずしも一様ではありません。少なくとも二通りあります。
  一は、漢字全廃を理想として、その方向に向った政策をよしとするもの
  二は、漢字を国字として認め、それを護る立場にはあるが、濫用による弊害をおそれて、濫用防止の意味で制限をよしとするもの
  両者の立場は根本的に違ひます。黒と白ほど違ふのですが、漢字の使用に制限を加へ、制限漢字表又は当用漢字表などを必要と認める点では、一致します。
  これは不幸にして且つ危険な一致であります。この外見上の一致が、この審議会の委員の意見の間にもある事は、否定できないと思ひます。この点に関して、各委員が、その立場を明確にしておくことは、総ての審議の前提であって、委員の責任だと思ひます。
  目下の国語審議会の主要な仕事は、戦後実施された国語政策の「行き過ぎ」の是正であるとされてゐますが、提案のやうな根本の点が今なほ曖昧にされてゐる状態で、何を基準にして行き過ぎか適正かを判断するのか。基準を示すことなくして、修正は出来ないと思ひます。
  〈二〉  漢字廃止論の重要な論拠の一つは、漢字の学習が極めて困難で、殊に子供に取っては、過重にして無用な負担となるといふ点にあります。これは明治の初年以来主張され続けてゐる所であります。しかし果して漢字の学習が、他の学課の学習を妨げるほど過当の負担となって、子供の知識と精神の発達を圧迫するものかどうかは、充分に研究され、実験されなければならない問題であります。石井勲氏の漢字教育の理論と、その多年にわたる小学校教育に於ける実験によると、漢字の学習は、子供たちに取って決して特別な困難でも負担でもないことが、実証されてゐます。これを追試確認した人々も少なくありません。
  提案者は、この石井方式が果して、広く全国の小学校教育に適用するに値するものかどうか、文部省で正式に検討されることを望んで、別の提案としてこれを出して居ります。若し国語審議会が公平な立場を取るものならば、この議案も速かに審議して、然るべき勧告を文部省に対して行ふべきだと考へます。
  〈三〉  提案者は、右の他に次の二つの提案も併せて提出してゐることを附言します。
  〈イ〉  「現代かなづかい制定の基本方針について」――これは、第六期審議会の報告に於てこの基本方針になほ検討を要する点があることが認識されてゐることに基いたものであります。
  〈ロ〉  「国語に於ける伝統尊重の具体的方策を審議すること」――これも、第六期審議会報告に「ことばは社会的、伝統的、歴史的なものである。人々は感情、思想をそのことばによって養い、文化の伝承と創造の基礎も、ことばによってつちかわれる。したがって、ことばは単なる手段以上のものであるといわなければならない」と述べてある事に基くものであります。これは従来の「国語問題要領」等に示された国語認識からみれば、飛躍的な進歩と思はれるのであります。
  〈四〉  蛇足と思ひますが、この提案は、場合によって国語を、ローマ字、カナモジ、その他の表音記号で表記して、伝達と通信の便に資する方法の活用とその研究とを排すが如き意図は、毛頭これを有つものではありません。この点は、提案の最初の説明にも述べておきました。ただ、伝達通信の利便といふ立場だけから国語表記の問題を議論するのは、事の本質を見ないもので、厳に慎しむべきであるといふのが、提案者の見解であります。