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江戸時代、18世紀後半1780年代に 林子平が描いた地図 「三国通覧輿地路程全図」を韓国は問題にしている。 韓国側は、この「竹嶋」を現在の竹島(独島)として、 林子平も竹島(独島)を朝鮮領と認識していたと主張する。 さらに、その地図には鬱陵島も描かれていて、 鬱陵島と日本の中間に位置する「竹嶋」は、ますます竹島(独島)であると印象づけてきた。 しかし、現在の竹島(独島)が「竹島」と呼称されるようになったのは、1900年代になってからだ。 この地図に描かれているのは、どちらも鬱陵島である。 そうなると、竹島の横に付いている小島が現在の竹島(独島)だと言い出したが、 位置も違う、形状も違う、無理である。この地図には現在の竹島(独島)は描かれていないのだ さらに、林子平の「三国通覧図説附図」は、 幕府により「地理相違の絵図」として発禁処分にされている。 そんな、幕府が認めていない絵図は領有権の根拠にはならない。 このページでは、そのこと順番に見ていこう。 「三国通覧輿地路程全図」他、当時の資料は、以下のページで確認できる。 参考リンク↓↓↓ ----------------------------------- 北海道大学附属図書館 北方資料データベース: <三国通覧> http://ambitious.lib.hokudai.ac.jp/hoppodb/hoppodb.cgi?idxname=kyuki&idxname= photo&idxname=letter&idxname=map&idxname=gaichi&query=%BB%B0%B9%F1%C4%CC%CD%F7&submit =%B8%A1%BA%F7&reference=off&whence=0&sort=score&max=20&result=short 三国通覧輿地路程全図 成立年 天明5年 (1785) 三国通覧図(五)全図 / 「三国通覧輿地路程全図」(軸物82)に同じく原図は江戸須原屋市兵衛刊行の木版図 三国通覧図説 本邦に接壌する三国の地図に付して、それらの地方の地理と沿革を記した解説書 三国通覧図(一)朝鮮 朝鮮国全図 「三国通覧図」のうち朝鮮図 近代デジタルライブラリー 前哲六無斎遺草)林子平著,伊勢斎助編 -------------------------------------- 林子平は、 その著「三国通覧図説」(1785年・天明五年)の中で、 「三国通覧輿地路程全図」を作成した経緯を説明している。 林子平が「三国通覧図説」を解説した文書は 九大デジタル・アーカイブ・三国通覧図説で閲覧できる。 http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/sangokutu/index.html その5ページ目に、引用した地図のことが書かれている。 http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/sangokutu/page.html?style=b&part=1&no=5 それによると、日本周辺での有事に際しては、 近隣との地理的関係が知れる地図が必要であると認識して、 日本地図(=長久保赤水の「日本輿地路程全図」)を中心に置いて、 「三国通覧図説」に附図として収録された四枚の地図「朝鮮国全図」、 「琉球国全図」、「蝦夷国全図」、「無人島大小八十余山之図」を繋いで、完成したという。 以下は該当の文 ------------------------------------------ 本邦の図は、只其四方渡海の国の港口耳図して全形を不挙 是元より本邦の全図也に多くして且近頃水府の赤水著す所の詳密の図ある故。 之本邦の地理を知んと欲する者は赤水の図に因べし。 此の数国の図は小子敢杜撰するにあらず。 朝鮮の図は朝鮮大象胥の傳る所のもの崎陽人楢林氏秘蔵の珍図あり是を以て據とす。 ------------------------------------------- 「三国通覧輿地路程全図」の竹嶋は、 「日本輿地路程全図」から引き写されたものであり、 「日本輿地路程全図」に描かれた竹嶋は、言うまでもなく鬱陵島である。 長久保赤水の地図にある竹島と松島の位置↓↓↓ 「朝鮮国全図」からは于山国(鬱陵島)を 「朝鮮国全図」には于山国(鬱陵島)だけが描かれていて、現在の竹島(独島)の姿はない。 林与平の 朝鮮国全図 「三国通覧図」のうちの朝鮮図↓↓には蔚陵島が書いてあり、于山国となっている。 山には「「弓嵩(イソタケ)」と書いてある。 「朝鮮八道之図」は、長崎通詞林氏が朝鮮の通訳官から入手したものとする。 |
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つまり、林子平は「三国通覧路程全図」を作成する際に、 「朝鮮国全図」からは于山国(鬱陵島)を、「日本輿地路程全図」からは竹嶋(鬱陵島)を引き写した。 その二つの島のいずれもが鬱陵島だったということである。 林子平は、于山国と竹嶋を、それぞれ別の島だと思っていたのである。 林子平の「三国通覧輿地路程全図」には、 「竹嶋」が地図の中央右下に描かれており、「此嶋ヨリ隠州を望、又朝鮮ヲモ見ル」・「朝鮮ノ持也」の註記がある。 ↓↓↓ それでは何故、林子平はこの竹嶋(鬱陵島)に「朝鮮ノ持也」と加筆したのだろうか? それは、日本と朝鮮との間には、鬱陵島の領有権をめぐる領土問題があった事を林子平が知っていたからである。 したがって、領土問題になっていない松島(今日の竹島)に、あえて「朝鮮ノ持也」と付記する必要は何処にもない。 林子平にとって、地図に記載するのに重要なのは鬱陵島であって、今日の竹島ではないからだ。 描かなかったのは、林子平自身、 「図は、只其四方渡海の国の港口のみ図して全形を挙げず」(前哲六無斎遺草42ページ) と記しているように、必要な箇所だけを描いたからである。 だから、引用元の 「日本輿地路程全図」に記載されていた松島(現在の竹島)が、 「三国通覧輿地路程全図」には描いていないのである。 また、今日の竹島が「竹島」と呼ばれるようになったのは、1905年以降の事である。 1785年に製作された当時の「竹島」は今日の竹島ではない。当時は鬱陵島の事である。 また、この図では、「朝鮮の持也」と言う付記が記された竹嶋には 『隠州視聴合紀』の国代記から「此二島無人之地、見高麗如自雲州望隠州」、 赤水の地図の一節「見高麗猶雲州望隠州(高麗を見る事、猶雲州より隠州を望むが如し)」を翻案して、 「此嶋より隠州を望、又朝鮮をも見る」という、もう一つの付記がなされている。 『隠州視聴合紀』の翻案なのだから、このもう一つの付記である「此嶋」は鬱陵島であることが解る。 |
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林子平の 「三国通覧図」の朝鮮図では、 釜山浦の脇に「対馬ノ持也」とあるが、これは当時釜山にあった倭館を指すと思われる。 そして、竹島にも「朝鮮ノ持也」と書いてあるわけだが、良いのか? 結局、朝鮮図から「于山国」という島名の鬱陵島を記し、 長久保赤水の「日本輿地路程全図」から「竹島」という島名の鬱陵島が掲載されたのですね。 二つとも、同じ鬱陵島だったわけです。 韓国は日本輿地路程全図で、 日本領土に施されている彩色が朝鮮半島や竹嶋(現・鬱陵島)、松嶋(現・竹島)にないことから、 日本側が両島を朝鮮領とみなしていたとも指摘している。 しかし、彩色がないのは、現在の鬱陵島や竹島に限らない。 当時、日本領と認識されていた沖永良部島や青ケ島、沖ノ島などにも、彩色はないからだ。 鈴木驥園が一八五二年、 日本輿地路程全図を改訂して作製した『増訂大日本国郡輿地路程全図』では、 現在の鬱陵島や竹島にも、日本本土と同色の彩色がある また、長久保赤水の地図にある松島を、 竹島(現・鬱陵島)に意識的に移動させて近づけて描いたというのも無理があるな。 この地図の目的は境界線を説明するちずなのだから、竹島と書いたなら、もう一つの島を無名にしておくわけがない。 ちゃんと「松島」と書くよ。また、位置も右斜め下に書くならまだしも、右上に移動させていることになる。不自然だ。 そんなことをしては、地図を描いた目的から離れてしまう。竹嶼だなw さらに、青木昆陽の『草廬雑談』や伊藤東涯の『■軒小録』 などを通し、江戸幕府の鬱陵島への渡航禁止を知っていたそうだ。 だから鬱陵島の地形にも詳しいだろうな。これは後日、入手して確認する。 (http://www.sanin-chuo.co.jp/tokushu/modules/news/article.php?storyid=106993145より) 長久保赤水の地図にある竹島と松島の位置↓↓↓ 韓国領主張の絵図、江戸幕府が「地理相違」山陰中央新報 '06/09/07 http://www.sanin-chuo.co.jp/missing.html(リンク切れ) 日韓両国が領有権を主張する竹島(韓国名・独島)問題で、 韓国側が自国領の論拠の一つとしている江戸時代の絵図「三国通覧輿地路程全図」について、 江戸幕府が「地理相違の絵図」として間違った絵図と認識していたことが、島根大法文学部の舩杉力修助教授の調査で分かった。 舩杉助教授は「幕府が認めていない絵図を基に、領土問題を論議するのは間違い」と指摘している。 絵図は、有事に備え近隣との地理関係を示す地図が不可欠と考えた知識人の林子平が1785年に作製。 異国が日本を襲うといった奇怪な説を著述したことを理由に、幕府から処罰と発禁処分を受けたとされてきた。 舩杉助教授が文献を調査したところ、 林の著書をまとめた「前哲六無斎遺草」に収録されている幕府の判決文に、 罪状には林の自説に加え、「地理相違之絵図」を添えて発行したのが不届き、との記述を見つけた。 絵図は、地理学者の長久保赤水の 日本地図「改正日本輿地路程全図」を軸に、 林が作製した四枚の地図をつなぎ合わせ収録したとされる。 日本海に「朝鮮ノ持也」と付記した「竹嶋」と称する島が描かれ、朝鮮半島と同じ彩色が施されている。 このため、韓国側は絵図を竹島の領有権を主張する根拠としているが、 日本側はこれまでの研究で「竹嶋」は江戸幕府が朝鮮領と認めていた鬱陵島で、現在の竹島とは異なると主張している。 舩杉助教授は、確認した記述を「絵図には誤りがあるとして、 幕府が一切認めなかったことを示すもの」とした上で「それを基に朝鮮領だったと主張するのは意味がない」と指摘している。 幕府から子平にくだされた判決には 「地理相違之絵図相添書写又板行に致し云々」とあったのである。 幕府は子平の三国通覧の図を地理相違之絵図と決めつけた。このことの意味は明らかである。 ('06/09/07 http://homepage1.nifty.com/NANKIN/sangoku.htm 「竹島問題研究会が最終報告 韓国側の主張には多くの誤り」山陰中央新報より http://www.sanin-chuo.co.jp/column/modules/news/article.php?storyid=406702035 (6)韓国側が根拠の一つとする一七八六年の林子平の「三国通覧図説附図」は、 幕府により「地理相違の絵図」として発禁処分されていることから、幕府が認めていない絵図は領有権の根拠にはならない。 日本輿地全図」は、水戸藩の地理学者、長久保赤水の安永8年(1779)刊行「改正日本輿地路程全図」【図3-14】を原図として、天明3年(1783)大坂の書肆浅野弥兵衛が刊行した絵図である。赤水図は人気絶大であったが、方幅が大きく不便なため、縮小して出版したもので、海路と里数を補っている。隠岐諸島の北西に、松島(現在の竹島)と竹島(現在の鬱陵島)を描いている。松島、竹島が、朝鮮と同じ無色であることから、韓国側の研究では赤水図をもって朝鮮領であるとしているが、日本領である筑前(福岡県)沖の「御号島」(現在の沖ノ島)なども無色であることから、朝鮮領であることを示しているわけではないことが分かる。 |
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山陰中央新報の記事から引用 韓国領主張の絵図、江戸幕府が「地理相違」 '06/09/07 http://www.sanin-chuo.co.jp/missing.html(リンク切れ) 日韓両国が領有権を主張する竹島(韓国名・独島)問題で、 韓国側が自国領の論拠の一つとしている江戸時代の絵図「三国通覧輿地路程全図」について、 江戸幕府が「地理相違の絵図」として間違った絵図と認識していたことが、島根大法文学部の舩杉力修助教授の調査で分かった。 舩杉助教授は「幕府が認めていない絵図を基に、領土問題を論議するのは間違い」と指摘している。 絵図は、有事に備え近隣との地理関係を示す地図が不可欠と考えた知識人の林子平が1785年に作製。 異国が日本を襲うといった奇怪な説を著述したことを理由に、幕府から処罰と発禁処分を受けたとされてきた。 舩杉助教授が文献を調査したところ、 林の著書をまとめた「前哲六無斎遺草」に収録されている幕府の判決文に、 罪状には林の自説に加え、「地理相違之絵図」を添えて発行したのが不届き、との記述を見つけた。 絵図は、地理学者の長久保赤水の 日本地図「改正日本輿地路程全図」を軸に、 林が作製した四枚の地図をつなぎ合わせ収録したとされる。 日本海に「朝鮮ノ持也」と付記した「竹嶋」と称する島が描かれ、朝鮮半島と同じ彩色が施されている。 このため、韓国側は絵図を竹島の領有権を主張する根拠としているが、 日本側はこれまでの研究で「竹嶋」は江戸幕府が朝鮮領と認めていた鬱陵島で、現在の竹島とは異なると主張している。 舩杉助教授は、確認した記述を「絵図には誤りがあるとして、 幕府が一切認めなかったことを示すもの」とした上で「それを基に朝鮮領だったと主張するのは意味がない」と指摘している。 幕府から子平にくだされた判決には 「地理相違之絵図相添書写又板行に致し云々」とあったのである。 幕府は子平の三国通覧の図を地理相違之絵図と決めつけた。このことの意味は明らかである。 ('06/09/07 http://homepage1.nifty.com/NANKIN/sangoku.htm 「竹島問題研究会が最終報告 韓国側の主張には多くの誤り」山陰中央新報より http://www.sanin-chuo.co.jp/column/modules/news/article.php?storyid=406702035 (6)韓国側が根拠の一つとする一七八六年の林子平の「三国通覧図説附図」は、 幕府により「地理相違の絵図」として発禁処分されていることから、幕府が認めていない絵図は領有権の根拠にはならない。 日本輿地全図」は、水戸藩の地理学者、長久保赤水の安永8年(1779)刊行「改正日本輿地路程全図」【図3-14】を原図として、天明3年(1783)大坂の書肆浅野弥兵衛が刊行した絵図である。赤水図は人気絶大であったが、方幅が大きく不便なため、縮小して出版したもので、海路と里数を補っている。隠岐諸島の北西に、松島(現在の竹島)と竹島(現在の鬱陵島)を描いている。松島、竹島が、朝鮮と同じ無色であることから、韓国側の研究では赤水図をもって朝鮮領であるとしているが、日本領である筑前(福岡県)沖の「御号島」(現在の沖ノ島)なども無色であることから、朝鮮領であることを示しているわけではないことが分かる。 林子平の著書をまとめた「前哲六無斎遺草」を参照してみよう。 近代デジタルライブラリーで、「前哲六無斎遺草」が閲覧できる。 前哲六無斎遺草林子平著,伊勢斎助編 72/82ページ中を参照↓↓↓ http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=41000670&VOL_NUM=00000&KOMA=72&ITYPE=0 そこに収録されている幕府の判決文の罪状には、 林の自説に加え、「地理相違之絵図」を添えて発行したのが不届き、との記述である。 「異国が日本を襲うといった奇怪な説を著述した」ことを理由に、幕府が処罰し、その図書も発禁処分にしている。 1792 林子平『三国通覧図説』『海国兵談』を発禁にする 三国通覧輿地路程全図は地図の正確性より近隣の国などについて知ることに重点が置かれています。松平定信の寛政の改革によって、発禁になりました。また、同じ林子平の著書海国兵談が軍備の必要性を説いた本であったために、松平定信に疎まれ、発禁・版木没収の処分となりましたが、その巻き添えとなり、三国通覧図説も発禁になります。 以下にテキスト化しておきますね。 ---------------------------------------- 寛政四年壬子五月十六日 林子平先生著述、海国兵談及び三国通覧の事に依りて蟄居被仰付候 御咎書松平越中守指図にて町奉行小田切土佐守より被仰渡候 宣告文 左の通 松平陸奥守家来 林嘉平同居弟 林子平 其方儀縦令利欲に不致共一己の名聞に拘り取留も無之風聞又は推察を以、 異国より日本を襲候事可有之趣奇?異説等取交せ著述致し、 且つ右之内には御要害等之儀も認入、其外地理相違之絵図相添書写又は板行に致候、 室町二丁目権八店市兵衛方へ送使候、始末不憚、公儀仕方不届之至に付、 兄寫善へ引渡、村在所蟄居申付候、并に並板行物版木共に召上可申 子の五月十六日 ------------------------------------------- 幕府から子平にくだされた判決には 「地理相違之絵図相添書写又板行に、、、、、」とあ.る。 幕府は子平の三国通覧の図を地理相違之絵図と決めつけた。このことの意味は明らかである。 こんな図を国境画定の史料に使うことはできないことは確かである。 三国通覧図説の琉球図は、尖閣諸島の中国領有権を示す決定的な地図としてしばしば http://homepage1.nifty.com/NANKIN/sangoku.htm 該当のページからの引用> >対馬にも日本持之とは記されていないから、朝鮮と日本との境界も不明確ではないかというのは間違いである。 >日本人にとって、対馬が日本領であることは常識であろう。 >だからこれは記さなくてもよいと子平は思った。妥当である。 >竹島(現在の竹島ではなく、これは鬱陵島を指す)には朝鮮之持と記されている。 >これらの図は日本人のために書かれているのである。 >琉中の界が日本人にとって常識であるはずがない。こちらは絶対に書かねばならないはずである。 以下は雑学ですが、面白い内容でしたのでリンクしておきます 六無斎 「親もなし、妻なし、子なし板木なし、金もなけれど死にたくもなし」 と我が身の不運を嘆き抵抗と風刺をこめて名付けた 引きこもりニート列伝その13 高山彦九郎・蒲生君平・林子平http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/neet13.html |
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2008/01/19製作 |
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