2009年07月24日
代表より
皆さん
こんばんは
番頭の
オサです
本日も雨の中ご来店頂き誠にありがとうございます
また多くのご意見ご感想ありがとうございます
先日より当ブログにミスユニバース2009、
日本代表のナショナルコスチュームに関する
ご意見やご批判が多数寄せられております。
これを受けて、この度のナショナルコスチューム製作の
プロデューサーを担当した
弊社代表・緒方義志の手記を掲載させていただくことで、
諸々のご意見やご質問に対する回答とさせていただきます。
長文ですが、本件にご関心のある方は是非ご一読下さい。
先日、都内某所でミスユニバース2009世界大会に向けて
日本代表の壮行会が行われ、そこで今年の民族衣装部門で着用する「ナショナルコスチューム」が発表されました。今年の衣装は特に刺激的な着物のデザインに挑戦したのですが、それをかたちにする上でこだわったのが、本物で質の高い日本独自の伝統的表現技法を武器にするということです。これを実現するために、普段ではなかなか一緒に仕事をすることができないような有力な呉服屋や織元、伝統工芸の老舗企業や実力派の職人、さらには権威ある着付けコンテストの全日本優勝者など、各業界を牽引する強力なプロの方々にこのプロジェクトに対する賛同を頂き、全面協力を賜ることができました。結果、実に贅沢な布陣の製作チームが結成され、日本文化に関する多くのご意見番の指導と後押しを頂きながら、見事期日までに衣装を完成させることができました。
ご協力をいただいた製作チームの皆様方に
この場を借りて御礼申し上げます。本当にありがとうございました。
私をはじめ衣装製作に従事してくれた方々も、着物の常識を覆す刺激の強いデザインとスタイリングに関しては、ある程度の批判は覚悟していました。しかし、思いのほか衣装デザインに対して多くの批判が寄せられている状況を鑑み、この度はプロデューサーである私から改めて今年の「ナショナルコスチューム」のデザインに込めた思いと事務局の狙いをご説明させていただくことに致しました。
まず、はじめに、ミスユニバースで行われるナショナルコスチュームのコンテストは、直訳すると「民族衣装」のコンテストということになりますが、誤解されがちなのはこのステージで求められるプレゼンテーションは、単に各国の古典的な装束を発表するということではなく、その国独自の装束に新たな創作を加え、そのデザインとパフォーマンスで会場の観客を楽しませるエンターテイメントの要素が強く求められるということです。
日本のように確固たる民族衣装を有する国もあれば、日本ほど独自の衣装を持たない国もある中で、各国はその国を象徴するような意匠や小道具、独特の振り付けなどを駆使してその国らしさを表現していきます。そんな理由から、この部門は観客と審査員に対して大きな印象を残すことができる格好の舞台であると同時に、各国が最も自由な表現を許される万国ファッションショーのようなステージなのです。
その中でも日本は、3年前にベストナショナルコスチュームを受賞し、2年前には総合優勝を果たしたこともあって、毎年大きな期待がかけられている国のひとつです。さらには、日本の伝統装束である着物は、既に世界的に有名なため、逆に見慣れられているということもあり、日本を評価する基準は年々高くなってきています。それだけ期待が大きいというのは喜ばしいことではありますが、日本が民族衣装部門で世界の観客と審査員に驚きと感動を与えるためには、毎年新しい試みに挑戦しなければ満足してもらえないということでもあるのです。ゆえに私たち日本の民族衣装は、その伝統に対する自信と自負をしっかりと持ちながらも、保守するだけのものという枠に押し込めることなく、伸びのびと自由に進化する、生き続けるファッションとして捉えるべきだと考えています。
ミスユニバースのナショナルコスチューム部門における衣装製作には
毎年そんな思いが込められているのです。
今年の狙いは、「着物は奥ゆかしき日本人女性の象徴である」という現代の日本人が作り上げた妄想と、「着物は未来永劫変わってはならない」という、これまた現代の日本人が勝手に作り出した不文律の否定にあります。
日本人女性が「奥ゆかしい」性質を持っているということは、自他共に認める民族性のひとつだとは思いますが、その日本人の着物が奥ゆかしさを強調するだけの装束だとは私は考えていません。日本人の個性や民族性が「奥ゆかしい」だけではないように、着物にもさまざまな気分や雰囲気を演出する奥の深さや表現の多様性があってしかるべきなのです。そもそも、世界一の美を競う大会で「奥ゆかしさ」を一番の武器にして勝とうとする戦略は、その理論構築が完全に矛盾していると言わざるを得ません。「奥ゆかしさ」はアピールするものでないのですから。なによりも、日本人女性の魅力は奥ゆかしさだけでは決してないのです。西洋の女性に勝る色気があります。大胆さがあります。強さがあります。激しさがあります。そして、美しい肉体があります。それは今も昔も変わりません。日本人女性には世界を虜にする情熱的で官能的な一面があるのです。時代は進化しています。女性の感性や美意識も進化しています。いつまでも「奥ゆかしさ」だけを売りにしていたのでは、自由で活力のある現代の日本人女性の魅力や輝きを表現することはできません。そこで、今年は、着物を軸にして如何に日本人女性の大胆さや色気を刺激的に伝えるかということに挑戦したのです。
そこで立ちはだかるのが現代における着物という装束にまつわる、日本史始まって以来と言ってもよい程の極めて保守的で変化を悪とする暗黙の掟です。まずは、この掟を否定するところから始めなければならないと考えました。それは、私が理想としている「生きた着物文化の再来」を促進する上で絶対に必要な作業だと考えているからです。
もし今日における着物が女性の自由な服飾表現を束縛する衣服であったとするならば、着物はさらに淘汰されていくのみです。現に、今日、着物文化は衰退の一途をたどっています。これはひとえに、着物が伝統的装束という枠の中に押し込められてしまい、ファッションとして捉えられなくなってしまったからです。着物は日本人の伝統文化であることをことさら強調して、「着物は元来こうあるべきだ」とか「着物はこうでなければ美しくない」といった風に、「禁止事項」をたくさん設けて自らを決まりごとでがんじがらめにしてしまっています。確かに、先人から伝わるお洒落のコツや極意、または伝統的美意識のようなものもたくさんあります。しかし、糞真面目にそれだけを守っていたら着物のデザインは一向に進化することはないでしょう。着物が日常の衣服として生きていた時代には、様々な身分や職業の人たちがもっと自由にもっと直感的にお洒落を楽しんでいたはずなのです。この気風が蘇らなければ、着物の進化・発展はないと言っても過言ではありません。
しかし、あいにく現代の日本人の服飾文化は着物からはるかに遠ざかってしまっているのが現状です。誰もが皆、「着物は私たち日本人の文化だ」と口では言うものの、実際に日常生活で着物を着る人は極少数であり、ファッションの街である原宿や青山などで着物を着て歩いている人を探すことも簡単ではありません。
この現状を知りつつも、「着物は私たちの文化だ」と強がったところで、人々がそれを使わなければ文化は次第に淘汰されていき、生きた文化として捉えることがどんどん難しくなっていくことでしょう。この状況に対して、「このままでは着物はいつか消えてしまう。もっと日本の伝統や文化を見直し、着物の魅力に気づいてください」、と呉服業界が消費者に訴えたとしても、消費者は「べき論」ではモノを買いません。欲しいと思うか思わないか、購買の動機はただそれだけです。この動機を喚起できないのには様々な理由が考えられますが、その理由のひとつとして考えられるのは、やはり、着物は私達日本人にとってもはやファッションではなく、伝統的装束というお堅い民族衣装でしかないからだということです。
しかしながら、一部の呉服屋や生地の織元、その他和装に関わる伝統工芸従事者たちは、このことに既に気付いて新しい試みを始めています。また、もっと斬新な試みに挑戦しようともしています。ところが、消費者の頭はなかなかに固く、着物を着ていてそれなりにこだわりがある人ならばまだしも、着物を着ない人ですら「着物はこうでなければならない」という価値観が道徳的だとする風潮が強いのです。着物が生きた文化であった頃には、着物の着方などは千差万別で何でもありだったはずです。高級な着物もあれば使い古しのボロキレでできたような着物もあり、上品なデザインのものもあれば、奇抜なものも当然ありました。その重層的で自由なものづくりの中に様々なスタイルが生まれ、ファッションが生まれます。それこそが、真に生きた文化と言えるのではないでしょうか。
残念ながら、現代の着物文化はその次元からは程遠く、今日の日本人のファッションは欧米文化に依存していると言っても過言ではありません。「メイド・イン・ジャパン」の商品だったとしても、そこに日本独自の知恵や発想や美意識を感じ取ることのできる衣服は服飾産業全体の中で捉えた時にそれはごくわずかです。そんな洋服を中心とした服飾文化は時代を先取りするかのごとく刻々と変化し進化していきます。消費者はそれをファッションととらえ、そこに新たな服飾表現の楽しさを感じ、洋服文化は作り手と買い手が共に刺激をし合いながら活力を帯びていくのです。一方で着物文化はというと、「昔の人たちはこうだったから今も絶対にこうじゃなきゃいけないんだ」という発想がとても強いため、そんな価値観の中からは新しい文化が極めて育ち難いという状況です。進化しないものは時代に取り残され、いずれは淘汰されます。ピーク時には2兆円を超えるとも言われていた呉服市場が、今ではその4分の1程度にまで縮小し、業界全体の売上げが毎年5~10%の範囲で縮小し続けている今日の現実は、私達日本人が当事者としてこの文化をどうやって再興していってよいのか分からないという理由から取り敢えず変化を否定すると言う不健全な保守思想をとったことによるものではなかったのでしょうか。そして、着物よりも洋服の方が買いやすく着やすく楽しいからという理由から、着物はいとも簡単に洋服に取って変わられてしまったのです。
もし私達日本人が本気で着物文化を再び生き返らせたいと考えるのであれば、
うんちくを並べて枠からはみ出すようなことはしないという姿勢からこそまずは脱却すべきであり、もっと着物を楽しむ方法を様々な感性のもとに考え出し、それをまずはやってみるということが大切だと思うのです。特にファッション関係者や消費者が面白いと思うことや新しいことにどんどん挑戦していくことで、着物に対する種々の価値観がぶつかり合い、刺激し合い、そして時には喧嘩し合いながら、その中で今日の時代にあった新しい着物文化がきっと創出されていくはずです。そのようなアクションを起こさずに、ただひたすら衰退を待つということこそ、日本人が回避すべき不作為なのだと考えます。
今年のミスユニバースの舞台において、日本事務局のディレクターであるイネス・リグロンさんは、着物で世界の観客に衝撃を与え、かつ着物の持つファッションとしての普遍性をアピールしながら積極的で大胆な日本人女性像を演出するという挑戦に大いなる関心を示してくれました。このミスユニバースという大舞台を利用して、少しでも日本の着物文化の新しい試みに日本のみならず世界の人々の関心が集まることを私たち制作チームとミスユニバース日本事務局は期待しています。さらには、このナショナルコスチュームが最優秀賞を獲得し、宮坂絵美里の優勝に貢献できることを期待していますそして、その結果がどうであろうと、この試みが今まで着物という民族衣装の進化・発展をなおざりにしてきた
私たち日本人に何かしらの思いや考えを巡らす良いきっかけとなることを願っています。
以上をご意見ご質問に対する回答とさせて頂きます
ご一読ありがとうございました
それでは皆様良い週末をお過ごし下さい
ご来店お待ちしております
この記事へのコメント
個人としてデザインされるのであれば
法律に触れない限りは問題ないであろうとは思います。
ただ、今回は「日本代表」なのです。
日本代表として、あのような醜いデザインが世に送り出されることに大きな不快感を覚えています。
迷惑です。
率直に言って、日本人に対する嫌がらせとしか思えません。
斬新で美しいのではなく、ただキチガイじみていて醜いだけです。そういうコンプセントであればそれはそれで問題ないのですけれど。
「ミスコンに乱入した痴女」
前にどなかたかがコメントされていたものですが、本当にぴったりですよね。
変ったもの、見慣れないものを出せば評価されると思ってる神経が痛々しいです。
あれじゃあ女性の陰部モロ見せ状態って感じだよ
どこの売春婦かと
やだ気色悪すぎる
恥ずかしいよ
見苦しい。
馬鹿じゃないのwwww
理解を求めたとしても ここまでの嫌悪感を与えられた日本人は納得しないでしょう。
宮坂さんが本当に不憫でなりません。
知花さんの衣装は、着てみたいと思わせる魅力がありました。
が、このひどい下品で変質者に見える衣装を 誰が着たい、こんな着物なら欲しいと思えるでしょうか?
かなりの思い上がり、勘違いをされているとしか思えません。
この衣装を着て出場するしかないのなら、申し訳ないですが宮坂さんが当日に体調を崩し 不出場になることを強く希望します
もっとほかに選ぶものがあるでしょうに・・・
着物じゃなくてガーターで衝撃あたえてるんだろう。話し帰るなよバーカ
何の想像もデザインもしていない。ただただ下品なインパクトを組み入れただけ
着物着た日本女性をレイプしたらどう責任取るつもりですか!!!
実際毎日新聞が英語版で日本女性を賤しめコインランドリーで日本女は売春しているという記事を出したら、その時に日本女性が外国人にコインランドリーでレイプされる事件が多発しました。
わざとそういう風に日本女性は股広げた売春するっていうイメージを作ろうとしてるんですか!!!!
アメリカであんなカッコで歩いてるのは娼婦だけ
レイプしてくれと自分で宣言しながら歩いてるようなもんだ
日本の恥さらし
ただでさえ飢えた外人が日本の女は簡単にヤレると思ってやってきてるというのに
外人だからカッコイイ!とほいほい股開くような女が増えて嘆かわしい
それが個人の趣味でやるなら構わないですが日本代表にはふさわしくない不愉快な物です
パンツ見せれば良いってもんじゃないんじゃない
パンツを丸出ししてるのが問題なんでしょ
「着物は未来永劫変わってはならない」という、これまた現代の日本人が勝手に作り出した不文律の否定にあります。
こりゃ、お前以外の日本人は皆そう思ってるわ、馬鹿たれ。
お前が勝手に外国に出ていけばいいだろうが。
外人を日本に呼び込むな。
・・・ですが、大変残念な事に、私はNYでこれととてもよく似た衣装で現れたコンパニオンを知っています。チップ次第でトイレで別のサービスもしてくれる類の人です。
これは、そういう衣装です。
これを着た女性が舞台に出た際、「How much?」などという野次が飛ばない事を祈るばかりです。
下着を見せたら『斬新』?????
これを見て、着物に魅力を感じて着たくなる?????
目を背けたくなるだけです
奥ゆかしさより色気や激しい部分をアピールしてもらったほうが、
日本人女性としては嬉しいので、このコンセプトに非常に共感しました。
頭イカレているね。
結局、「消費者は遅れてる。オレにはまだまだついてこれない」という言葉でおしまいなわけね。
パンツ丸見えルックの向こうには何がある?
勝とうが負けようが、何もない。
パンツ丸出しがデザインだって・・・
憤りを感じます。
どんな言い訳を言っても、日本の恥を晒した責任は重大です。
これだけいろんな所で批判が噴出してるのに何も感じないんですか?
デザイナー辞めたほうがいいのでは?
これ以上、恥を晒す前に
デザイン関係から身を引きましょう。
長文でどう言い訳しても全くおかしな理由です。
あれを審査員がパフォーマンスと捉えるかなんて、私達日本人女性には全く関係ない!!
あの不気味な衣装を民族衣装と全世界に発信して、あれを見た一般の外国の方はどう思うんでしょうか?
日本女性=娼婦と捉えられかねないから、抗議してるのが何故分からないんですか?いい加減にして下さいよ。
という疑惑は否定されないんですね。
まあ、そのまんまですからね。
あるように見えるのは、
デザイナーの頭が固いからだ。
頭が固いから、思いっきりぶっ壊さないと
新しく見えないし気がすまない。
そして最終的には全ての調和から外れた滑稽なものが出来上がる。
思いっきり変なものを作って満足したかい?
辞退は当然ですよね?
こんな着物で「着物文化復活」とか、
頭腐ってるとしか思えません。
パンツ丸出ししてる国なんて他にないですよ。
古典柄の振袖のほうが絵美里さんには似合うと思います。
ご自分で「斬新」や「革新」と言い表せる範疇を超えているとは思われませんか?
申し訳ないけど、これを見ても「下品」という言葉しか出てこないし、どこをどうとったらこんなヘンテコな着物に日本人の誇りを持てるんでしょうか。正直、着物とも呼びたくないです。あんなものを着せられる宮坂さんが本当に気の毒ですよ。
同じ切るなら違う見せ方があったと思うけど。
この点でも美的感覚が疑われる。
ピンク色を採用したのも、安直過ぎ。
このせいで余計安っぽく見える。
安っぽく見えるのが狙いというなら、
それはそれで何も言えないけど。