鴻池組など建設業の恐るべき実態

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鴻池組での恐るべき体験

 鴻池組大林組竹中工務店錢高組奥村組と並ぶ在阪ゼネコン。私は大学卒業後九年間、準大手ゼネコンの(株)鴻池組に勤めていた。建築工事現場の管理、構造計算、仮設構造物の設計、建物診断システムや情報検索システムの構築など建築やOA化に関する広範な業務を経験した。そのため、建設業界の恐るべき実態を嫌というほど良く知っている。ゼネコンは、日本で一般に思われているような優秀な組織とは全く違うのだ。その実態は拙著「ゼネコンが日本を亡ぼす」(明窓出版)に詳しく記してある。ここでは、その一端を紹介する。

原始的な無法地帯

 私が室蘭工業大学建築工学科二年生の時に、北朝鮮でのスタジアム建設工事をテレビで見た。それは人力によって鉄筋を組み立てている極めて原始的な作業風景であった。「北朝鮮の建築技術は日本と比べて恐ろしく原始的だ」という印象を受けた。そのテレビを見たクラスメートも私と同じような感想を述べた。
 大学を卒業してから私が就職したのは大阪に本社のある準大手ゼネコンの(株)鴻池組であった。私は(株)鴻池組の東京本店に配属となった。私に与えられた最初の仕事は、横浜市にあるライオンズマンション伊勢崎町新築工事現場の現場監督であった。
 そこで私が見たものは、大学生の頃にテレビで見た北朝鮮のスタジアム建設と大して変わらないような恐ろしく原始的な作業風景であった。鉄筋を組むのは人力が頼りであり、特に基礎など地下の部分の作業は自動化が殆ど進んでいない。「何だ、これは。テレビで見た北朝鮮の建築技術と殆ど違わないじゃないか」。私は騙されたような気分になり、愕然とした。日本の建設工事現場はロボットなどの近代的な技術が取り入れられて、自動化が進んでいるのだと思っていた。しかし、現実は私の予想と大違いだった。建設業は他の産業と比べて遅れているという印象はあったが、想像以上に遅れていた。
 下請けと元請けの関係についても、一般的に考えられているイメージとは正反対であった。現場監督というと威張り腐っているというイメージがあるのではないだろうか。それに対して下請け業者というのはゼネコンからピンはねされたり苛められたりする存在だと思っている人が少なくないだろう。
 しかし、私のいた現場では、下請けの作業員が威張っていた。作業員が監督に対して怒鳴ったり暴力を振るったりするというのは日常茶飯事だった。清水建設や大成建設のような大手ゼネコンの工事現場ではどうなのかしらないが、鴻池組クラスのゼネコンの小さな工事現場では、現場監督はあまり強い立場には無い。普段は大手の下請けとして働くが、片手間で鴻池組の工事現場に来るという業者が多かった。ある大手ゼネコンのトップは、「ゼネコン一社が破綻しても公共工事は続行するし、民間工事も他社が肩代わりできる。仕事さえあれば、かなりの下請けや資材供給会社はやっていける。言われるほど連鎖倒産が出たり、失業が増大する訳ではない」と見る(日本経済新聞二〇〇〇年八月十二日)。これは拙著「ゼネコンが日本を亡ぼす」(明窓出版)にも書いたが、一般的に考えられているよりも遥かにゼネコンは弱い存在に過ぎない。
 新入社員の時、現場管理業務に不慣れなために鉄筋圧接の検査のための印を付けるのが遅れた事があった。すると鉄筋工の S工務店という下請け業者の A という若い職長が上から殴りかかってきた。このS工務店というのは鉄筋を組む業者だが、日本を代表する大手業者だったが、倒産した。鉄筋に印を付けるのが遅れた事については私にも落ち度はあった。しかし、現場で親睦を深めるために行われた焼肉パーティーでS工務店の A ともう一人の社員の悪ふざけによって火炙りにされそうになった事もあった。また、S工務店の作業員が排水用と思われる塩ビ管に故意に飲み終わった飲料の空き缶を投下するなど悪ふざけがひど過ぎた。A は私より若いのだが、三十歳近い主任に対して大声で怒鳴りつけたりするなど非常に態度が悪かった。作業員の一人は自分たちがやくざと関係している事をやたらと強調していた。本当かどうかは分からないが、そういう事をいう事自体がまともな社会人のとる態度ではない。
 また、現場ではくわえタバコでの作業は禁じられているが、守っていない作業員が多く見受けられた。ある型枠大工に注意したが、「もう、この現場にはこねえよ」と捨て台詞を残して姿を現さなくなった。主任をはじめとする先輩たちも、くわえタバコの作業員に対して見て見ぬふりをしていた。
 土方の職長の中には泥棒もいたが、発覚しても何の反省もせずに威張り腐っていた。その人は私に雑用をしょっちゅう命じるので断った事があるが、私に金属製の工具を投げ付けてきた。彼は横暴の限りを尽くしていたが、何の咎めも受けず、出入り禁止にもならなかった。このように工事現場の規律は乱れまくっていた。どちらが監督なのか分からないような状態だった。工事現場は怒声と暴力が支配する無法地帯だった。
 しかし、先輩たちの話では、「ここの職人は大人しい方だ。よその現場では段取りが悪いとヘルメットを投げ付ける鳶もいる」という事だった。私のいた現場はまだましだったらしい。
 土建業者に関しては悪い噂が絶えない。警察に逮捕されて留置所に入れられた首都圏のある若いダクト工の証言によると、社長を含めてその会社の社員の全員がシャブをやっていて、自分も勧められて、中毒になったそうだ。彼の話によると社長が元凶だそうだ。
 同じ工事現場で働く建設作業員の運転する車に同乗していた北海道の元建設作業員の話では、警察を見かけたその運転者から、「やばい、お前、代わってくれ」と頼まれたそうだ。車を運転していたその建設作業員は、お尋ね者であり運転免許証の名前と本当の名前が違っていたのだそうだ。
 こういう話は枚挙に遑が無い。理由はよく分からないが、建設業界にはやくざが非常に多い。とにかく柄が悪い業界だ。建設作業員は数自体が多いからという事もあるだろうが、犯罪行為が新聞をよく賑わす。荒っぽい肉体労働のせいだろうか。
 私が現場監督をしていた建築工事現場にも元殺人犯だとか前科を誇る作業員がいた。やくざとの付き合いを強調する職長もいた。他の工事現場では土工に殴られた新入社員がいるという話を聞いた事もある。私も作業員から暴行された事が何度もあるし、殺されそうになった事もある。

鴻池組社員の質

 建設作業員について書いたが、鴻池組の社員もまたろくなものではなかった。
 私が新入社員の時にいた工事現場では、上司や先輩は後輩の私には威張るが下請けの作業員からはいつも怒鳴られていた。年下の職長にさえ頭が上がらない状態だった。このように非常に情けない連中であった。
 ライオンズマンション伊勢崎新築工事現場にいたBという高齢の土工の職長は、面倒だからという理由で午後の打ち合わせになかなかやって来なかった。そこで打ち合わせの時間になると主任が私に対して「お前、Bさんを呼んで来い」と尊大な態度で命じるのが日課になっていた。私が呼びにいくと、 B は狂ったように私に対して怒鳴りまくり、素直に打ち合わせにやってこない。こんな馬鹿馬鹿しい事を毎日繰り返していた。ある日、主任から Bを連れてくるように命じられた時に腹に据えかねて言い返した。「来たくないものは放っておけばいいじゃないですか。そんなに来て欲しいのなら、自分で連れてこればいいでしょう」。主任は「なんだ。この野郎」と怒ったが、そもそも主任がだらしないから職長がやって来ないのであり、私に全く責任はない。主任の命令でさえ聞かない作業員が新入社員のいう事を聞く筈が無い。主任は私の正論に従わざるを得なかった。しぶしぶ、自分でBを呼びに行くはめになった。
 作業員のくわえタバコ作業のだらしなさを指摘したが、現場監督もヘビースモーカーが多くマナーは決して良くない。このような状況では作業員の喫煙マナーについて偉そうな事は言えない。
 妙なこだわりを持つ上司も多かった。構造計算書を作る際に「今回は急いで作れ。体裁なんかどうでもいいから、とにかく早く作れ」と早くやるように命じられた事がある。私がワープロで文書を作成すると、上司は「汚くてもいいから、早く作れといっただろう」と激怒した。私が「私の場合は手書きよりワープロで作成した方が早いんです」と説明すると、更に激しく怒り、「ワープロより手書きの方が早いに決まっているだろう。そんな事、常識だ。馬鹿かお前は」と罵られた。そして、何時間も説教された。「急いでるんじゃなかったのか」という疑問を感じたし、そもそも何を反省すればよいのかさっぱり分からなかった。ワープロを打つのが速いという事がそんなにいけない事なのだろうか。早くやれと言われたから私は命令通りやっただけなのだが。
 形式的な仕事をする管理職も多かった。東京本店建築技術部の Y 課長は建築技術部の週間業務予定表を自分で作ると言い出した。打ち合わせでは、各課の代表がその週の予定事項を詳細に発表していた。「なぜ、予定をわざわざ発表する必要があるのだろう。予定表に書いてあるじゃないか」という素朴な疑問を持った。恐らく、他の部員もそう思っているのだろうが、怖くて口に出せない雰囲気がある。裸の王様状態だった。無意味な打合せや出張をたくさんこなすと「彼は精力的によく働いているな」と高く評価されるのだ。
 その程度なら可愛い方で、もっとひどいのになるとノイローゼになり無断欠勤と失踪を繰り返している建築技術部副部長がいた。家族でさえ所在が分からないような状態だった。それでも本人はなかなか辞めようとしないし、会社も本人が辞表を出さない限り辞めさせる事ができないらしいのだ。
 もっとたちが悪いのは、構造計算が全く出来ないのに分かるふりをしていたT という上司だ。彼はやくざと関係があるらしく、やくざと喧嘩した事を自慢していた。彼は私が計算を間違ったと勘違いして、皆の前で私を馬鹿にして罵り暴行を加えた事があった。後で間違いに気付いたようだが、それでも間違いを認めずに私を馬鹿にした。単に腹が立つというだけでなく、間違ったら人が死ぬかもしれないので、私としてはどうしても彼の間違いを認めさせる必要があった。そこで大阪本店の技術部に T の間違いを訴えた。面子を潰されたTは激怒して、私に罵詈雑言を浴びせた上に暴行を加えた。彼は構造計算も満足に出来ず、パソコンも全く使えなかった。そういう低能で部下に対して尊大で上司に媚びる人物がとんとん拍子に出世して、私が退社する一年前には(株)鴻池組東京本店の建築技術部部長に出世していた。
 また、私が新入社員の頃の現場に、朝から酒を飲んで全く働かない建築工事現場所長もいた。工事現場での彼は自慢話と悪口で勤務時間を過ごしていた。その所長は私が現場にワープロを持ってくると、「わしはワープロなど使えないが、勘と経験がある。ワープロだかヘープロだか知らんがそんな物は全く役に立たん」と毎日のように訳の分からない嫌味を言っていた。私は自慢した訳では全く無いのだが、高卒のその所長は、私が大卒でワープロが使える事をひがんでいるようだった。その時は、所長の仕事というのは現場だけではないから、他所ではちゃんと仕事をしているのかもしれないと考えていた。しかし、私が現場から店内に配属になると、その所長がよく遊びに来るのだが、そこでもやはり仕事などしないで、自慢話と悪口を言っているだけだった。
 このように(株)鴻池組には、低能でモラルの全く無い社員がしばしば見受けられた。
 ゼネコンの生産性の低さを如実に示す例としてマッキンゼー・グローバル・インスティテュートが調査した国別の「労働・資本生産性」というデータがある。それによると、アメリカ企業を一〇〇とすると、日本の建設業は四五と驚くほど生産性が低い。
 ある本によると「ゼネコン社員は一人で出来る事を二十人でやっている」そうだ。その本の題名は忘れたし、その話が本当かどうかは分からない。しかし、鴻池組社員の仕事が極めて非効率的であるのは紛れも無い事実だった。「ゼネコン社員は一人で出来る事を二十人でやっている」というのが大袈裟だとしても、「一人で出来る事を五人でやっている」というのが鴻池組の社員を見て感じた私の実感だ。
 鴻池組が株式を公開していない事が日本綜合地所アーバンコーポレイションなど取引先の経営状態から受ける影響や株価などの実情をわかり難いものにしている。そういう閉鎖性もまた社員の質に影響しているのかもしれない。

早かろう悪かろう

 日本の建設技術を世界一優秀だと思っている日本人は少なくないようだ。しかし、建設会社の技術者として様々な業務を経験してきた私としては、日本の建設技術が優秀だとは全く思っていない。
 建物の造り方というのは、国によって様々に違う。例えば、日本では鋼製の枠組足場が大きな工事現場では一般に使われているし、最近では小さな建築の場合でもよく使われる。しかし、香港では竹で編んだ足場が高層建築の建設工事でもよく使われるようだ。このように細かい工法は国によって微妙に違う。
 しかし、物自体の品質はどれも大差ない。日本の建設会社の造った建造物が特に機能が優秀という訳ではない。大型の建造物で一般的に使われる構造用材料は鉄とコンクリートだ。鉄は近代に入ってから多用される事になったが、コンクリートは紀元前から存在する。一説には一万年近く前から存在するそうだ。手作業だから低品質で、機械を使ったから高品質な建造物ができるとは限らない。現代の建築は構造用材料として鉄筋や鉄骨が使われているという事以外は古代の建築と構造的には大差ない。
 日本の技術の特徴を一言で言うと「早かろう。悪かろう」というふうになる。日本の建設会社に発注すると非常に短期間で工事が終わる事が多い。もちろん、工事が早いという事自体は良い事だ。同じ程度の品質の建造物が一年で完成するのと二年で完成するのとでは、当然の事ながら前者の方が良いに決まっている。工期に遅れる事も外国の建設会社と比べると少ないようだ。その事が日本の建設会社が信頼される要因となっている。
 しかし、品質という事に関しては日本のゼネコンが手がけた建造物は必ずしも優秀とは言えない。工事は非常に早いが、その分、作業が雑な場合が多い。これは技術が劣っているというより、どちらかと言うと建設会社のモラルや公的機関の検査システムに問題があると考えるべきであろう。題名は忘れたが、NHKのテレビ番組で深刻な建造物の老朽化問題についてのドキュメンタリー番組があった。その中でアメリカの建設工事現場の様子を紹介していた。アメリカの建築工事現場ではスペシャル・インスペクターという第三者による監視があるそうだ。コンクリート打設時にスペシャル・インスペクターの男性が作業員に対して厳しく指示を出す光景が放送された。梁にコンクリートを入れる時に、スペシャル・インスペクターを努める中年の男性が、「もっと、均等に入れなさい」と非常に厳しい口調で命令していた。かなり細かい事にうるさいようだ。その人はインタビューに対して、「建設会社を放って置くと手抜き工事をする」というように建設会社を子供扱いしていた。
 私はこの光景を見て、「ああ、これはいいな。日本にもこういうシステムがあれば良かったのにな」と思った。私は建築工事現場で、現場監督をしていた経験があるが、日本の検査なんてザルのようなもので、手抜き工事はやり放題という状態だった。建設会社の良心まかせというのが実態だ。日本でもアメリカでも放っておけば、業者は手抜き工事をする。手抜き工事の少ないアメリカの建設会社を日本に連れてくれば解決するという訳ではない。日本に来れば、検査が甘いので、手抜き工事をしまくるという可能性が高い。もちろん、手抜き工事をした建設業者の責任は大きいが、それ以上に行政の責任は大きい。
 いくら、工事が早くたって、そのために品質が犠牲にされているのでは、意味が無い。日本では品質より工期が優先される傾向がある。工期と品質のどちらがより大事かを簡単に決める事はできないが、強いて言うなら、品質であろう。工期を守るために品質が多少悪くても構わないという考え方はとんでもない間違いだ。「工期はごまかす事ができないが、内部の構造は手抜きがあってもごまかす事が出来る」という発想でやっているとしたら、許されない事だ。
 日本の建設会社の地震に対する技術が優秀だという説にも疑問がある。
 免震工法や制振工法についても過大評価されているのではないかという懸念がある。阪神大震災では、これらの工法を採用した建物があまり被害を受けなかったと強調された。しかし、これらの工法を採用した建築自体がまだ少ない。地震の被害は偶然の要素にも大きく左右されるので、安全性が証明されたとは全く言い難い。場所と造られた年代がほぼ同じなのに、向きの違いで大きな被害を受けた物や殆ど被害を受けなかった物がある。
 これらの工法については直接的に研究に関わった訳ではないので、全く駄目だと決め付ける気はない。しかし、(株)鴻池組東京本店建築技術部部長の話では、免震工法の地震に対する効果について疑問を抱いている様子で、「鉛ダンパーなんてあったって役に立たないのじゃないか」といった話が聞かれた。免震工法では上部と下部を切り離して、間に緩衝材を置いている。つまり、上部と下部の接合に弱点があるのだ。これはあくまで、私の個人的見解だが、非常に強い揺れが来たら、上部構造と下部構造の接合部がもげてしまい、建物が横倒しになってしまう恐れがある。下手をすると普通の工法よりも危ないかもしれないのだ。
 制振工法についても不安がある。制振工法の原理を簡単に言うと地震の揺れと反対の方向に錘を移動させて、揺れの力を相殺しようというものだ。この錘が建物と一体化してしまうと、揺れによる水平力を却って助長する事になってしまう。何かの間違いで錘が滑らかに動かず建物と絡んでしまう可能性についても考えるべきなのだ。これについても下手をすると普通の工法より危ない可能性もある。
 結局、日本の建設技術で明らかに優秀であると断言できる点があるとしたら、仕事が早いという事くらいだ。しかし、早く建設する技術にしても、造るものが無くなって来た現在の日本では必要性が次第に低くなりつつある。

維持補修技術

 現在、日本は深刻な構造的不況に陥っている。中でも、建設業の不振は深刻だ。
 戦後の復興期と違い、今日では橋や道路など必要な社会資本は建設し尽くした。日本の公共事業費の割合は欧米と比べて非常に高い水準にある。工事する事自体が目的となっていて、「工事のための工事」という状態だ。これ以上、新築工事を進める事は財政の破綻に繋がる。
 日本ではやたらと建設業者が多い。公共事業にたかる利権誘導体質が染み付いてしまったせいだ。建設関連労働者から百万人の失業者が出るという予想もある。建設関連労働者の未来は一見絶望的だ。しかし、近い将来、建設関連の仕事が激増し、労働者が大幅に不足する可能性がある。
 山陽新幹線のコンクリート崩落事故をはじめとして日本各地でコンクリートの崩落事故が多発し、多くの新聞やテレビや週刊誌などで騒がれた。同じ頃、コンクリート工学の権威である小林一輔教授の著した「コンクリートが危ない」(岩波新書)が出版された。小林教授によると、二〇〇五年から二〇一〇年にかけて、コンクリートが一斉に崩壊し始める可能性が高いそうだ。工学部教授には、えてして現場の実態が分かっていない夢想家が多いものだが、小林教授に関して言えば夢想家の要素が全く感じられない。現場監督経験者として本を読んだ感想としては、現場の実情と良く合致しており、「何故、こんなに現場をよく把握しているのだろう」と思うくらい信頼性が高い。小林教授の予想は「ノストラダムスの大予言」や「関東地方にいつ地震が来るか」といった予想とは訳が違い、かなり発生する確率が高い。現在の建造物には治癒能力はない。だから、放っておけば確実に老朽化する。「十年経ったら、風雨によって錆びや汚れが消えてなくなった」というような事はあり得ない。「一年間掃除をしないで、部屋を放っておいたら、部屋中ゴミだらけになる」といった予想は自然科学の専門家でなくてもまず間違いなく当たると誰もが思うだろう。それと同様に建造物の老朽化も確実に進行するという事は素人でも容易に想像がつく。
 (株)鴻池組の社員教育用資料によると、建造物の一生にかかる費用のうち、初期建設費の割合は約二割程度に過ぎない。残りは維持費、補修費、解体費などだ。維持補修費が建設費の五、六倍になるのは当たり前で、十倍になる事もある。このように、ライフサイクルコストに占める維持補修費の割合というのは、一般的なイメージより遥かに高い。この事は意外に知られておらず、建設政策を担当している高級官僚などと話をしてみると知らないと言う人が少なくない。日本の年間建設投資に占める維持補修費の割合は異常に少ない。日本の建設投資は年間約八十兆円だが、そのうち維持補修投資は僅か五兆円程度に過ぎない。欧米のように、成熟した社会では補修費が建設費を上回っているのが普通だ。
 コンクリートが落下した山陽新幹線トンネルや北海道のトンネルなど事故現場での補修作業の光景をテレビで見ていると、目視と打診という極めて原始的な方法に頼っていたのを知って愕然としてしまった。ハンマーで叩いていたのでは時間と手間がやたらとかかり非効率的だという事は素人の目にも明らかだろう。診断技術が発展途上国と比べて何ら変わりないのだ。私は建築の専門家だが、土木の分野ではもっと進んでいるかと思っていた。長くて広いトンネル内部を考えると、あのような原始的でのろまなやり方では日本中で深刻化するコンクリート劣化に対してとても対処しきれないという事が素人でも何となく検討が付きそうなものだ。
 私は(株)鴻池組で建造物の維持補修システムの開発に携わってきたが、この分野に関する日本の体制が大きく遅れている事を痛感した。地味で面白みのない分野なので、人気もないし、金も人手も全く足りない状態だ。社団法人日本建築家協会で仕様書編纂に携わった三木哲氏の解説が、建築系の技術雑誌である「建築知識」の一九九九年十月号に掲載されているが、現在いる設計者の八割が将来は改修の仕事に携わるべきだそうだ。この八割という数字は素人には過激に見えるかもしれないが、私の感覚からすると少しも大袈裟ではない数字であり、至極妥当な数字だという感覚がある。
 電流を流して鉄筋の錆びを防ぐ電気防食は、海洋につくられる鋼構造物などでは比較的古くから用いられている。米国では多くの実施例があるが、日本での施工例は、あまり多くない。このような技術を積極的に取り入れていくべきだ。
 建造物の維持補修対策は国家の存亡に関わる問題だ。熱しやすく冷めやすい日本人は、コンクリートの崩落についての関心は既に低くなっている。小林教授が予想しているコンクリートが崩壊しはじめるタイムリミットである二〇〇五年まではもうそんなに時間は無い。今すぐ建造物の維持補修対策に取り組まなければならない。この分野に対して技術開発費用や人材を集中してつぎ込む必要がある。
(北方ジャーナル五月号より)

シャブコン

 建設工事現場では手抜き工事や欠陥工事が横行している。その中でも特に悪質で深刻なのが、生コンを水で薄めるシャブコンという手口だ。
 福井県美浜町の関西電力美浜原子力発電三号機建設工事で、生コンクリートに余分な水を加える手抜き工事が日常化していた事が、工事関係者の話や生コン会社の内部資料などで明らかになった。この事は朝日新聞などで大々的に報道された。この手口はシャブコンと呼ばれ、建設工事現場で横行している代表的な手抜き工事の手口だ。私が現場監督をしていた(株)鴻池組の建築工事現場でも見られたが、多くの現場で日常化しているようだ。
 生コンに水を加える事によって、どの程度の影響があるかはとにかくとして強度や耐久性が低下しそうだという事は素人でも何となく想像がつくだろう。余分に水を加える事によって空隙が出来るから、強度や耐久性に影響を与える。
 朝日新聞の取材に対する美浜原発の建設工事現場関係者の証言によると、加水は生コンをミキサー車で工場から運ぶ途中や現場到着直後に行われた。気温が高いと生コンが固まりやすくなるが、夏場には約百リットルを超える水を加えたそうだ。生コン車の運搬量は一台当たり五立方メートル前後だった。この場合、生コンに対して不当に加えられた水は約二%という事になる。素人がこの数字を見た限りでは大した事はないと感じるかもしれない。しかし、コンクリート強度を語る上で肝心なのは、生コンに占める水の比率だ。加水によって水がいくら増えたかという事が重要だ。生コンに含まれる水分量はコンクリートの種類にもよるが、せいぜい二割程度に過ぎない。という事は、二%水分が増えたという事は一割近く水分が増えているという事だ。正確な計算はしていないが、二、三割程度強度が下回ってしまう可能性がある。設計基準強度を下回る恐れもある。とにかく、この事が強度に大きな影響を与える事は間違いない。
 これに対して関西電力土木建築室では次のように回答している。
建設段階では現地に多数の当社建築技術者を常駐させ、品質・安全確保を図っている。コンクリートの打設などにおいては当社社員や建設会社の技術者が常時現地で立ち会っており、加水などの不適切な行為があったとは考えられない。建設後は年一回の検査で打音等により構造物のコンクリートの健全性をチェックし、日常的に黙視点検も実施している。四年前と昨年、配管などの工事に際して外部遮へい壁と原子炉周辺でコア(資料)を抜いてコンクリートの強度を調べたが、設計強度を大きく上回っていた。強度や耐久性に問題はないと判断している。
 このように現場関係者の証言と関西電力の説明が真っ向から食い違っているが、私の個人的な見解を述べると現場関係者の証言の方が信頼できそうだ。この手の手抜き工事の証言をする場合は普通、嘘はつかないものだ。証言した人は手抜きの張本人である訳だから、よほどの覚悟がない限りそんな事は言わない。また、証言の内容は、私の現場での経験や他の現場で聞くシャブコンの話と手口がよく合致しており、不自然な点は一切ない。
 それでは関西電力の社員が嘘をついているのかというと必ずしもそうとは思わない。そもそも、関西電力は原子力発電建設工事の発注者だ。もし、このような手抜き工事があったとすれば、最大の被害者は関西電力という事になる。従って、関西電力が率先して手抜きをするとは考えにくい。当然、関西電力の社員も工事のチェックはしているだろう。しかし、多くの作業工程がある建築工事現場での手抜き工事のチェックは非常に難しいのが実態だ。まして、莫大な数の工程がある原子力発電所の建設工事で、現実問題として手抜き工事の完全なチェックは難しい。特にコンクリート打設では手抜きが発生しやすい。私はマンション建設工事の現場監督としてコンクリート打設を担当していた事があるから、よく分かる。コンクリート打設のチェックは作業中にしなければいけないのであって、終わった後で見ても駄目だ。いつ手抜きがあるか分からないから、常に打設現場に張り付いていなければならない。しかし、現実問題として発注者側の検査担当者が常に現場に張り付いている事は少ない。検査員の目を盗んで加水するのは容易な事だ。また、手抜きは何も現場だけで行われるとは限らない。生コン工場や工場と現場の間で不正が行われる事もある。現場だけでなく生コン工場もチェックする必要があるが、実際にはチェックしている例は少ない。途中の路上で加水された場合を考えると、手の打ちようがない。関連業者の良心だけが頼りの状態だ。現場に張り付いているプロでさえ、手抜き工事を完全に監視するのは難しい。まして、関西電力の社員が手抜きを見落としたとしても何ら不思議は無い。
 もし、生コン車に積載している洗浄水を全て注入したとすると、強度が加水しない場合の三割程度にまで低下するという人もある。これは非常に重大な問題だという事が素人でも分かるだろう。生コンの容積の僅か四%程度の加水をしただけでこれだけの大きな影響を与える可能性があるのだ。加水は思ったよりも遥かに重大な事態を招く。
 何故このような手抜きが横行しているかと言うと、生コン工場でコンクリートが製造されるようになった事とコンクリートポンプ車の登場が大きく関係している。
 工場でコンクリートが製造されるようになった事で、時間の経過に伴いコンクリートが硬化して、打設開始時には圧送が困難になっている事がよくある。生コンは練り混ぜから打設まで原則として九十分以内と定められている。気温が高い時は更に厳しい条件が付けられる。しかし、現実問題として九十分は簡単に経過してしまう。現場が生コン工場から遠かったり、道路が渋滞していたりすると厄介な事になる。気温が高い時は更に硬化が早く進む。
 コンクリートポンプ車の登場もコンクリートの打設を非常に効率的にした。しかし、これもまた生コン車同様厄介な問題を持ち込んだ。高層階のコンクリートを打設する時は、建物に取り付けたパイプを通して圧送する事になるので、コンクリートが硬いと作業がしづらいのだ。それで、現場で生コンに水を入れる業者が増えてしまった。
 この手抜きに救いがあるとすれば、必ずしも費用を切り詰めるためにやっているのではないという事だ。洗浄水を全て注ぎ込んだところでせいぜい四%程度容積が増加するに過ぎない。現場で水を入れるのは殆どが作業を容易にするためだ。もし、費用を安くするためにやっているのなら、生コン工場で不正をした方が合理的だ。だから、ミキサーの中に入れている限りコンクリートが一日たっても殆ど固まらないような技術が開発されれば、現場での不正は殆どなくなる可能性がある。巨大橋建設のようなどうでもいい技術より、このような地味で社会的意義の高い技術の開発に力を注ぐべきだ。
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欠陥マンション対策

絶対的な方法は無い

 マンション購入時あるいは購入後などマンションの建設後に手抜き工事や欠陥工事の実態を見抜くのはプロでも容易ではありません。建付けが悪いとか床が水平ではないなどの仕上げに関する欠陥は素人でも何となく分かる場合も少なくありませんが、鉄筋やコンクリートに関する内部の構造的な手抜きや欠陥についてはよほどはっきりした事例でなければコンクリート表面を眺めただけでは容易に分かりませんし、そもそもタイルや壁紙などの仕上げが施されている部分が殆どですから、コンクリートが露出している面積は通常はあまり多くありません。
 絶対的な方法が無いというのはこのページについても当てはまるのであって、このページを読んだからといって全ての人にとって必ずしも役に立つわけでも欠陥対策が万全という訳ではありません。あくまで一部の人の欠陥マンション対策の一助となるに過ぎません。

役に立つ素人の感性

 素人の素朴な疑問や感性は案外当たっていたり役に立つ事が多いものです。建設した業者としては消費者に対して「これは大した事が無い」と思わせたいですから、業者や専門家と称する人の言葉を鵜呑みにせずに自分で考えてみる事が大切です。
 逆に「素人の視点だけでは事実とかけ離れた間違いを犯す」場合もよくありますので自分の直感だけに頼るのも危険です。業者が「大した事が無い」という説明をした場合に、本当に大した事が無い可能性もあります。一見矛盾するような話ではありますが、どの事例が素人にとって判断しづらいのか代表的な事例を幾つか紹介しますので相反する命題にどう対応するか参考していて頂けると幸いです。

参考事例

 素人の感性が役に立つ重要なものである事は述べましたが、素人だけの視点では事実とかけ離れた判断をしてしまう場合もあります。素人の場合、見た目が派手な事例に目が行きがちです。「見た目は深刻だが実際には大した事が無い」或いは「見た目は大した事はないが重大な欠陥だ」というように見た目と実情が違う場合もありますので、どういう場合がそうなのか具体的な事例を知っておくととても便利です。
 見た目が深刻でも必ずしも大した事がない症状の代表的な例として「エフロレッセンス」、「ひび割れ」、「コンクリート木片混入」などがあります。
 但し、これらの事例が「常に大した事が無い」或いは「殆どの場合、大した事が無い」という意味ではありませんのでくれぐれもご注意下さい。あくまで「中には大したことの無い場合もあり得る」という意味です。
 まず、欠陥かどうか判別しづらい3つの例をあげます。

エフロレッセンス

 エフロレッセンスとはコンクリートの表面などに白い析出物が発生する現象でありコンクリート劣化の指標の一つです。白い物質はCaの化合物です。派手に白い物質が出現する事もあり、時には驚くほど多量の白い液体がヨーグルトのように発生する事もあります。それを見ると極めて重大な事態が起こっているように思われるかもしれませんが、見た目ほど劣化が深刻ではない場合も少なくありません。エフロレッセンスが発生したからといって直ちに補修が必要ではない場合もあります。外壁のタイル目地などにエフロレッセンスが広範囲で発生している場合などを考えますと、全て補修するとなるとかなりの費用が必要になってしまいます。
 要注意の現象ではありますが、重大な欠陥と決め付けずに心配であれば専門家に相談して補修するかどうかなどを決めると良いでしょう。
 専門家の中にはエフロレッセンスよりむしろ外壁タイルの浮きを心配すべきだという人もいます。但し、これは程度の差によるものでありエフロレッセンスとタイルの浮きのどちらがより深刻とは一概に言えないと思います。また外壁タイル工事の施工精度が悪い場合には剥離していなくても浮いて見える可能性もあり得ます。
エフロレッセンス事例1エフロレッセンス事例2

ひび割れ

 新築間もないマンションのベランダなどで早くもひび割れが発生したなどという事例は少なくありませんが、これも必ずしも欠陥マンションとは言えません。早い時期から出現していても細かいひび割れであれば許容範囲の場合もあります。手抜き工事ではなかったとしても早い時点でひび割れが発生する可能性はあり得ます。ひび割れというのは程度や状況によっては許容できるものなのです。
 また、ひび割れに関する規定は一応ありますが、現実問題としては単純に「何ミリからは大規模補修が必要だ」と言えない場合が少なくありません。例えば幅が5ミリのひび割れが建物全体に一様に密な状態で存在しているのであれば数字的には大規模修繕が必要な極めて重大な事態という事になっていますが、それが建物の内の10センチ四方位に固まっていて他にどこもひび割れがないというのであれば大規模修繕はおろか全く何もしなくても構わない可能性もあります。数字で言い尽くせないものがあり、微妙な事例も少なくありません。
 はっきりしているようで、ひび割れに関する判定は案外難しいものがあります。
 但し、下記のようにコンクリートが爆裂して鉄筋が見えている場合は明らかに欠陥と言えます。
爆裂事例1爆裂事例2

シャブコン

 シャブコンは生コンを水で薄める手口で手抜き工事の代表です。生コン車の洗浄水を全て注入すれば三分の一近くまで強度が低下する可能性があると言われるほど大きな影響があります。チェックする際の大きな問題点としては打設後に表面を見ただけでは例え専門家でも見破るのが殆ど不可能だという事です。シャブコンをしたからといって表面に縞模様が出来るとかザラザラになるとかいう訳ではないのです。むしろ多量に水を加えて流動性が高くなっているので型枠にきれいに流れ込み表面がなめらかである場合も少なくありません。
 よくマンションの欠陥を暴くHPなどでコンクリート表面に見つかった異常について「これはシャブコンのせいではないのか」という事が書かれている事がありますが、先に説明した通りシャブコンが行われていたからといって特に表面に異常が発生する訳ではないのであまり関係ない場合が少なくないと思われます。

 逆に下記の4つの事例は明確な答えが出しやすかった例です。

コンクリート混入木片

 阪神大震災では崩壊した橋脚のコンクリートに木片が挟まっていた事が大きな話題となりました。コンクリートに木片が挟まっている事例について「手抜きか」と聞かれれば、私は迷わず「手抜き工事です」と答えます。木筋コンクリートというものは基本的に存在しません。
 但し、この場合についても構造的にはさほど気にしなくてもよい場合も少なくありません。実は木材は意外に強度が高く特に圧縮強度に関してはコンクリートより遥かに高いのです。木材の質や大きさや混入した箇所や空洞があるかどうかなどにもよりますが、通常は著しく強度が低下する事はあまりないと思われます。
 もし心配であれば専門家に相談してみるとよいでしょう。既に述べました通り、この事例が手抜きである事は間違いないので例え大したことの無い場合であっても業者が雑な仕事をしてきた証拠ですから、抗議しても構いません。
 下記のコンクリート混入木片の事例については「手抜きか」という問いに対して「間違いなく手抜きだ」と答えました。但し、「この程度であれば構造的には恐らく大した問題はないのではないかと思う」と答えておきました。
コンクリート混入木片の事例

露出鉄筋

 コンクリート表面などに筋が見える露出鉄筋の事例についてはしばしば報告があり、「これは手抜きではないのか」という質問をされたりします。これは明らかに手抜き工事です。コンクリートは初期状態ではアルカリ性ですが次第に中性化が進み鉄筋の位置まで達すると鉄筋が錆び始めます。そのため「かぶり厚さ」といってコンクリート表面から鉄筋までの距離が規定されています。これは地中と地上など場所によって数値が違ってきます。かぶり厚さを確保するためにスペーサーの装着が義務付けられていますが、施工者が作業の邪魔なので故意に外したり何らかの理由で外れたりした場合に所定のかぶり厚さが確保できない場合がよくあります。
 下記の露出鉄筋の事例は明らかな手抜き工事です。スペーサーを外さなければこのような状態には絶対になりません。 露出鉄筋の事例

梁を貫通するパイプ

 あるマンションの住民が「地下室に梁を貫通するパイプがあるが大丈夫なのだろうか」というような疑問をHPに書いていました。梁は構造上重要な部位ですから穴を開ければ強度に影響が出ます。但し、空調などのパイプが梁を貫通する事はよくある事でそれだけでは違反にはなりません。ここで注意すべき点はパイプの下端と梁の下端の距離が十分確保されているかどうかという点です。その長さが一律に何センチと決まっている訳ではありません。ただ、パイプの下には主筋と補強筋という少なくとも二本の鉄筋が通り、補強筋と梁の下端の間にはかぶり厚さという距離を確保しなければなりません。更に貫通孔断面を法律で定められた形状の斜め鉄筋で補強しなければなりません。
 一概に何センチ必要とは言えないのですが、少なくともパイプの下側には一般論としては少なくとも半径分位の余裕は必要になります。設計図を見てみなければ何センチで違反という明確な数値は出せませんが、下の方の余裕が極端に少ない場合には調べるまでも無く違反だと分かってしまう場合もあります。
 下記の貫通パイプの事例については現地で計測した訳ではないので断言は出来ませんが、見た目からするとまず間違いなく違反だと思われます。
違反の疑いがある貫通パイプ

ベランダ天井の傾き

 マンション住民でバルコニーの天井が水平ではなく住居部に従って下がっているのに気付いた人がいました。バルコニーの天井という事はつまり上の階の床の部分に当たります。その写真を見た私は「これは正解です」と答えておきました。バルコニーの床の部分の断面は長方形ではなく住居側に近づくほど太くなる台形なのです。ですからバルコニー天井は斜めで正解なのです。
その写真

複数の専門家に聞く

 欠陥ではないかと思った場合に素人が判断するのは難しいで専門家に相談した方がよいですが、ポイントとしては専門家と称していても悪質な業者や知識が拙劣な人もいる可能性がありますから複数の人に質問して答えが合うかどうか確認してみるとよいでしょう。
 著しく答えが違う場合は誰かが嘘あるいは間違った回答をした可能性が高いです。但し、人によって得意分野が違ったり、慎重さに差がありますので、そのために嘘をついた人がいなくても答えが多少違ってくる可能性はあります。答えが違った場合には何故違っているのか確認してみましょう。
 複数の専門家に相談すれば金がかかるのではないかと思う方もおられるでしょうが、まず、ホームページなどで無料で相談に応じてくれる人に聞いてみると良いでしょう。
 あくまで聞いた事を鵜呑みにしてはいけません。
 既に述べた通り、このページを読んだからといって全ての人にとって必ずしも役に立つわけでも欠陥対策が万全という訳ではありません。あくまで一部の人の欠陥マンション対策の一助となるに過ぎません。しかし、このページを読むのは無料ですし、そういった複数のページを読む事によってかなり役に立つ事になると思います。

ゼネコンは三社で十分だ

甘えた業界

 長引く深刻な不況により、証券会社や生命保険会社、流通業など多くの業界で大企業の経営破綻が相次いでいる。一字は「そごう」を倒産させない方針だった。政府は、世論の激しい反発を受けて方針を転換してしまった。このように大企業といえども放漫経営を続けた企業は容赦なく潰すという風潮が見られつつあるが、一つだけ例外的な業界がある。それは建設業界だ。
 ゼネコンは業界全体で兆円単位の借金を抱えている。準大手ゼネコンの熊谷組に至っては、一社で有利子負債と保証債務の合計額が一兆円を超えている。膨大な借金を抱えた熊谷組に対しては倒産ではなく、債権放棄による救済の道が選ばれた。

下請けへの影響

 ゼネコンを特別扱いする理由として、「潰れると下請けに対する社会的影響が極めて大きく、潰す訳にはいかない」という理屈が通説になっている。私は準大手ゼネコン鴻池組の元社員だが、この説に対して大きな疑問を持っている。中堅ゼネコンの大都工業と多田建設と東海興業は事実上の倒産に追い込まれてはいるが、下請けに対する影響は予想よりはるかに小さかった。
 確かにゼネコン一社当たりに関連する業者や就業者の数は非常に多い。準大手ゼネコン一社当たりの場合ですら、関連人口十万人を超える可能性がある。その人たちが全て路頭に迷えば大変な事になる。特定のゼネコンに対して下請け業者が絶対服従する一対多の固定的な関係に置かれていると勘違いされているようだが、下請け業者は必ずしも一つのゼネコンの仕事をしているわけではない。だから、ゼネコンが潰れたとしても、違うゼネコンの仕事を引き受ければ済む場合が少なくない。下請けにとっては、工事の代金が間違いなく受け取れるか、業界全体として仕事があるかどうかが重要だ。

合併のメリット

 ゼネコンは日本に三社あれば十分なのに大手ゼネコンや準大手ゼネコンだけで二十社近くもある。小さなゼネコンが合併すれば良さそうなものだが、ゼネコンの経営者は合併を極端に嫌がる。合併が好ましくない理由として「合併すれば公共事業の受注機会が減るからメリットはないし、借金をしている会社同士が合併してもさらに借金が増えるだけだ」と説明する経営者が多い。しかし、合併には研究開発や見積もりなどの重複した業務が減るなどのメリットがある。確かに受注機会は減るだろうが、建設業界全体や社会全体としては無駄が減り、大きなメリットがある。
 ゼネコンの経営者たちが合併を嫌うもう一つの理由は、社長は一人いればよく、主導権を握れなかった方は冷遇されるということがある。しかし、自分のポストの心配は単なるエゴイズムに過ぎない。経営努力により会社を潰さずに済むならそれに越した事はない。どうしても倒産がいやなら、合併や業務の特化など徹底的な合理化努力が必要だ。何の努力もせずに「あれもいや、これもいや」と駄々をこねる態度は許されない。

青函トンネル水没計画

昭和の三馬鹿

 津軽海峡を跨ぐ青函トンネルは、日本が世界に誇る世界最長のトンネルだ。しかし、開業前の一九八七年、当時の大蔵省主計官はこのトンネルを、戦艦大和の建造、伊勢湾干拓と並べて「昭和の三馬鹿」と酷評した。当時この発言は物議をかもした。しかし、私には、この発言はさほど過激とは思えない。実は、昭和の三馬鹿どころか世界の三馬鹿に入れてもいいくらいの国際級の歴史的超大馬鹿だ。こんな無意味な代物はさっさと水没させるのが正解と思っている。
 異論もあろうが、少なくとも戦艦大和と比べて青函トンネルの方が馬鹿である事は間違いない。戦艦大和は航空機優勢の時流に乗り遅れた大艦巨砲主義の産物とされている。当時の大艦巨砲主義が間違いだった事は、今日では多くの人が知っている。昭和の軍人の思考能力を右寄りの人でさえ、悪し様に非難する。しかし、我々は結果を知っているから、大艦巨砲主義は間違いだったと言えるのだ。
 当時の航空機は欠点が多く全面的に信頼できなかったので、大艦巨砲主義を支持した海軍首脳を責められない。最近の爆弾は殆ど命中するが、当時は極めて命中率が低かった。当時の飛行機は夜間飛行が困難で荒天に弱かった。陸上への着陸でさえ難しいが、揺れる空母の狭い飛行甲板への着陸はより困難だ。さらに空母は一般に戦艦より脆いし、飛行甲板があるので対空火器が少ない。
 更に、肝心な事は日米開戦の時期だ。当時、航空機は目覚しく進歩していた。もし、日米開戦が十年早ければ、海戦は戦艦中心になっていた可能性もある。当時は、いつ日米間の戦争が起きてもおかしくなかった。そういう訳で、将来性はあっても不安定な飛行機を主力とするのをためらった。
 そういう訳で、旧日本海軍が航空機優先に切り換える事に二の足を踏んだのは必ずしも愚かではない。米英にしても航空機優先になったのは太平洋戦争突入後だ。だから、大鑑巨砲主義に対する日本と米英の意識のずれはせいぜい四年だ。
 それに対して巨大トンネルや巨大橋の無意味さについては、欧米人は何十年も前から気付いている。瀬戸大橋完成時の海外の評価は、技術力を評価するどころか、無駄な投資をこきおろしている。青函トンネル建設計画当時は航空機が発達しておらず、現在見られるような飛行機による日常的長距離移動は全く思いつきもしなかったのだろう。その点は戦艦大和と状況が似ている。

技術のための技術

 青函トンネルを散々けなしたが、一体何が馬鹿なのか具体的に説明する。それは一言で言うと費用対効果だ。トンネル内の土砂の搬出量と長さの積は、トンネルの長さに比例するのではなく、通常、長さの二乗に比例する。だから、青函トンネルのように極端に長いトンネルは土砂運搬の効率が極めて悪い。青函トンネルとほぼ同じ規模のユーロトンネルは赤字に苦しんでいる。ヨーロッパの大都市を結ぶ路線でさえ、経営難に陥っている。函館と青森を結ぶローカル路線が赤字で当然だ。また、トンネルの開通で地元は単なる通過地点となってしまった。
 建設費だけで約六千九百億円、維持補修費、借金の利子を加えると間違いなく兆単位の出費だ。ゼネコンに対するお小遣いあるいは子供のように長さを競って喜んでいるのだとしても、外国人が費用を負担するのなら私は一切文句を言わない。しかし、そんな金を中国人や韓国人が出してくれるとでもいうのだろうか。もちろん、そんな筈が無い。その金を負担するのはイギリス人でもアメリカ人でもなく、日本人だ。
 そもそも、今の建設技術があれば、太平洋横断道路というような突飛なものは除いて、常識的に考えうる大抵の建造物は建設可能だ。現在の世界最高の建造物は五百メートル台だが、千メートルは十分いけるだろう。理論的にはいくらでも高くできる。採算を度外視すれば二、三千メートル級の構造物の建設だって十分可能だ。しかし、そこまでする必要性がないから造っていないだけだ。もしかしたら、一万メートルだって可能かもしれない。
 仮に時速四百キロの蒸気機関車の開発したとすれば、間違いなく世界最速の蒸気機関車であろう。ターボチャージャーを搭載したり、液化石炭を使ったりするなど現代の最新技術を盛り込んで、金をふんだんに使えば実現可能かも知れない。しかし、列車の最速記録が五百キロを超えている現在、そんな物を作っても実用的な意味は無い。仮に実現できたとして、それを誉める人がいるだろうか。よほど暇で金を持て余しているとしか思われないだろう。
 ソ連では、本土とサハリンを海底トンネルで結ぶ計画があったが、建設を断念している。日本は世界最大の海底トンネルである青函トンネルを計画通り完成させた。これらを比較して、日本の建設技術がソ連より上だったと無邪気に喜ぶのは間違いだ。ソ連は単に土木技術が低くて海底トンネルを完成できなかったのかもしれない。しかし、結局、そんな物を造らなくて大正解だった。もし造っていたら、ロシアの経済状態は今よりもっと悪化していただろう。
 技術自体が目的では困る。「世界最長のトンネルを造れるほど日本の建設技術は優秀だ」などと無邪気に喜ぶのは愚かな事だ。

莫大な維持補修費

 現状では建設費を返済していくだけでも極めて困難なのに、それに負けないくらい厄介な問題がある。それは維持補修費だ。準大手ゼネコンである(株)鴻池組建築技術部の社員教育用資料によると、コンクリート構造物の建設計画から解体までの一生にかかる建設関連費用のうち、調査費用、用地買収費用などを含めた初期建設費の割合は約二五%程度に過ぎない。残りは維持費、補修費、解体費などだ。維持補修費が建設費の五、六倍になるのは当たり前で、十倍になる事もある。これほど維持補修費が大きい事は意外に知られていない。
 青函トンネルの設備機器にかかる維持費は、将来的に年間七〇億円を超えると予想されている。旧都庁舎跡に建てられた東京国際フォーラムの維持費は年間五〇億円に上る。都庁クラスでも年間数十億円の維持補修費がかかる。それらより遥かに規模の大きい青函トンネルでは、恐らく、年間の維持補修費は七十億円ではとても足りないだろう。
 私は建築技術者だから、土木の維持補修費について正確には知らないが、一般に土木構造物の方が条件が過酷だから、恐らく維持補修費は建築物より高くなるだろう。
 建造物の維持補修費は、経過年数や種類や立地条件によって違うが、老朽化した建造物の維持補修費の年間負担額は、初期建設費の一割程度とも言われている。そうすると青函トンネルの年間維持補修費は約六九〇億円という事になる。年間の維持補修費が一千億円を超える可能性もある。突飛過ぎると思う人がいるかもしれない。しかし、その程度になっても全然不思議はない。
 そもそも、維持補修費の予測は難しい。なにしろ青函トンネルは世界最大のトンネルだし、これに匹敵する規模のトンネルはユーロトンネルだけだ。しかし、ユーロトンネルは青函トンネルの後に造られたので、将来の維持補修費予測の参考になりにくい。日本の公共事業は建設費が当初の予測の三倍に膨れ上がる事が珍しくない。建設費より遥かに予測が困難な維持補修費が当初の予測の十倍を超えたとしても不自然ではない。そう考えると年間の維持補修費が一千億円に達しても何ら不思議は無い。
 特に青函トンネルは、他の建造物と比べて過酷な条件が多い。なにしろ、長いから、点検や補修は困難を極める。また、海底トンネルは海水と接する。コンクリートは意外に透水性が高い。もちろん、防水対策は施してあるだろうが、それでも、海水がどうしても染み込んでくるだろう。鉄筋は塩分に弱い。錆びると膨張し、周辺のコンクリートを圧迫する。列車の通行の合間を縫って、作業をしなければならないのも点検や補修を困難にする。
 これらの理由から、青函トンネルの年間維持補修費が百億円を超える事はまず間違いないし、しつこいようだが一千億円になったとしても本当におかしくないのだ。インチキくさいと思ったら自分で調べてみると良い。今の時代はインターネットという便利なものがある。あるいは、教えてくれるかどうか保障はできないが、役所や新聞社に聞いてみるという方法もある。この手の数字は素人でも比較的調べやすい。工学的知識は必要ないし、手抜き工事のデータと違って、業者としては通常は隠す必要がない。公表された数字は比較的信頼性が高い。

恐怖の海底事故

 一九九八年四月四日に新関門海峡トンネルで漏水事故が発生した。そのため、乗客が新幹線の車両に長時間閉じ込められる事になった。この事故は朝日新聞が大きく報道したくらいで、あまり注目されなかったが、極めて重大な意味がある。一九九八年四月十四日のNHKのクローズアップ現代では、新関門海峡トンネル事故の経緯が詳細に放送された。それによると、この事故は極めて幸運な要素が偶然幾つも重なったために、大事故にならなかったそうだ。一人の犠牲者も出なかったのは奇跡的だった。
 また、去年は山陽新幹線トンネルをはじめとして日本各地でコンクリートの崩落が大きな話題となった。北海道のトンネルでも事故が相次いだ。何故、コンクリートが一斉に崩壊し始めたのかという疑問を持つ人は多いだろう。実は以前から、そのような事故は頻繁に発生していた。たまたま、落下したコンクリート片が新幹線車両に命中したから注目され始めただけだ。
 海底トンネルは海水に晒されるため、トンネル内には常に海水が染み出しており、ポンプを止めるとたちまち水没してしまう。浸水事故を防ぐため、トンネル内の僅かな破損も見逃せない。しかし、海底トンネル内で異常を見つけるのは大変難しく、破損した個所を補修するには列車を止めなければならないという厄介な問題がある。特に青函トンネルや東京湾アクアラインのような巨大な海底トンネルは危険性が高い。東京湾アクアラインについては、浸水に対して手の打ちようがないという事が、以前から専門家によって指摘されていた。
 全長が五十三キロメートルもある青函トンネルの中央付近で事故が起きようものなら一大事だ。長さがあるだけに現場に辿り着くのは困難だ。
 単に長さだけで比べると、青函トンネルは一番危ないトンネルと言える。更に、海底トンネルという海水が染み込みやすい条件を考えるとさらに厄介だ。このように青函トンネルは、事故に対する危険度が高い。

北海道新幹線に対する疑問

 青函トンネルの膨大な額の赤字を解消する起死回生の策として、北海道新幹線の開通をあげる人がいる。考えうる解決策としてはその程度しかない。しかし、これにも大きな疑問がある。
 乗客の住んでいる場所と駅や飛行場のアクセスにもよるだろうが、北海道から東京まで行くのにわざわざ新幹線を使う人がどれだけいるだろうか。どう考えたって飛行機の方が早く到着する。また、青函トンネルの維持補修費を千歳空港の整備などに使えば、航空料金はもっと安くなるだろう。仮に千歳発着の国内線利用者が全て、青函トンネル利用者になったとしても、新幹線の建設費、トンネル建設費六千九百億円と最低でも年間数十億円する事は間違いない維持補修費、それに借金の利子を返すことは困難だ。新幹線が開通しても、赤字が解消する可能性は極めて低い。
 そもそも、千歳空港の利用者が全て新幹線の利用者になってしまったら千歳空港は寂れてしまう。青函トンネルを活かすには効果があるかもしれないが、旅客自体は限られているのだから、北海道内で客の奪い合いをしても北海道全体としては何の得もない。超高速輸送機関は鉄道か飛行機のどちらに集中的に資金を配分して、資源の分散を避けた方が得策だ。千歳空港は国際空港でもあり、絶対になくす訳にはいかない。
「もったいない」と考えて、青函トンネルを存続させたら、維持補修費の余分な負担をしなければならなくなる。無駄な金を使い続けて累積赤字を増やすより、ポンプを止めて水没させた方が良いのではないか。やはり、青函トンネルを放棄して、維持補修にかかっていた費用を千歳空港に注ぎ込むべきだ。いずれ、青函トンネルは放棄せざるを得ないのだから、早めに放棄するのが賢明だ。

コンクリートの崩壊

建設関係者の雇用問題

 現在、日本は深刻な構造的不況に陥っている。中でも、建設業の不振は極めて深刻だ。北海道の場合は日本の中でも公共事業に依存する割合が高く、経済の停滞は特に深刻だ。ゼネコンの株価も著しく低下している(鴻池組については株式非公開なので実態は不明)。
 戦後の復興期と違い、今日では橋や道路など必要な社会資本はほぼ建設し尽くした。日本では、国家予算に占める公共事業費の割合は欧米の数倍という非常に高い水準になっている。中には、工事する事自体が目的となっていて、造ったものは殆ど使われていないというものも少なくない。さながら、「工事のための工事」というような状態だ。これ以上、無駄な新築工事を進める事は財政の破綻に繋がる。
 北海道にも青函トンネル、白鳥大橋、札幌ドームなどをはじめとして身の丈に合わない無駄な建造物が多い。
 日本ではやたらと建設業者が多く、その数はタバコ屋よりも多いと言われているほどだ。公共事業にたかる利権誘導体質が染み付いてしまったせいだ。「将来、建設関係労働者から百万人の失業者が出る」という予想する人もいる。
 このように建設関連労働者の未来は一見絶望的だ。しかし、建設業界の雇用問題については一般的に言われているのと全く逆のシナリオも考えられる。近い将来、建設関連の仕事が激増し、建設関連労働者が大幅に不足する可能性がある。

崩壊するコンクリート建造物

 これを読んで、「そうか、日本の将来は明るいのか。日本の経済は復活するのだな」と喜んだ人がいるかもしれないが、実は全く逆だ。
 去年は、山陽新幹線トンネルでのコンクリート落下事故をはじめとする建造物の事故が多発し、多くの新聞やテレビ番組や週刊誌などで騒がれた。北海道でも、トンネルでのコンクリート崩落事故が相次いだ。同じ頃、コンクリート工学専攻の小林一輔千葉工業大学教授が著した「コンクリートが危ない」(岩波新書)が実に良いタイミングで出版され、多いに注目された。小林教授によると、「二〇〇五年から二〇一〇年にかけて、コンクリート構造物が一斉に崩壊し始める可能性が高い」そうだ。
 このような事態に陥った理由としては、手抜き工事や欠陥工事、超突貫工事などによって雑な工事が横行した事、砂などをはじめとする建設材料の品質が悪かった事などがあげられる。これは山陽新幹線だけの問題ではない。手抜き工事や欠陥工事、海砂の使用などは日本各地で横行している。もちろん、北海道も例外ではない。山陽新幹線の事故が話題になったのは、たまたま、コンクリートの塊が走行中の新幹線車両を直撃したからであって、以前から高架橋などでのコンクリートの落下は頻繁にあったし、JR職員もそれを知っていた。私をはじめとして一部の関係者から警告はなされていたが、今まであまり話題にならなかっただけの話しだ。JRに限らず、日本の組織は問題点を隠したがる性質がある。他にも深刻な欠陥を抱えている構造物は少なくない筈だ。
 小林教授の予想は「ノストラダムスの大予言」や「関東地方にいつ地震が来るか」といった予測とは訳が違い、かなり当たる確率が高いと言える。字数の制限があるのでその根拠について詳しく述べないが、私も建築物の維持補修の専門家であり、小林教授の説明は信頼性が高いと思う。二〇〇五年から二〇一〇年というのが正確かどうかは分からないが、さほど遠くない将来に、いずれコンクリートが崩壊し始める事は間違いない。
 人間だったら、怪我をして瀕死の状態に陥っても、放っておいて一年経てば健康な体に戻るという事はあり得る。しかし、建造物については残念ながら現在のところ治癒能力を備えた物は存在しない。だから、補修せずに放っておけば建造物は確実に老朽化すると断言できる。「十年経ったら、風雨によって錆や汚れやひび割れが消えてなくなり、最初より耐久性が高まった」などという可能性は極めて低い。「一年間掃除をしないで、部屋を放っておいたら、部屋中ゴミだらけになる」といった予想はまず間違いないと誰もが思うだろう。それと同様に建造物の老朽化も確実に進行する。この事は何も土木建築の専門家でなくても、素人でも何となく直感的に理解できるだろう。

維持補修に対する投資

 建造物の維持補修費が如何に高いかという事については、この連載の第一回目に詳しく記述したが、読んでない人のためにもう一度簡単に説明する。
 準大手ゼネコンである(株)鴻池組の社員教育用資料によると、建造物の一生にかかる費用のうち、初期建設費の割合は約二五%程度に過ぎない。残りは維持費、補修費、解体費などだ。維持補修費が建設費の五、六倍になるのは当たり前で、十倍になる事もある。このように、ライフサイクルコストに占める維持補修費の割合というのは、一般的なイメージより遥かに高い。
 この事は、建設関係者の間ですら、あまりよく認識されていない。そのためかどうかは分からないが、日本の年間建設投資額に占める維持補修費の割合は異常に少ない。日本の建設投資は年間約八〇兆円だが、そのうち維持補修投資はわずか五兆円程度に過ぎない。欧米のように、成熟した社会では補修費が建設費を上回っているのが普通だ。
 建造物の維持補修対策は国家の存亡に関わるといっても過言ではない。コンクリート崩落事故を起こしたトンネルでの点検作業をテレビで見ていると、目視と打音調査という人間の勘と経験による極めて原始的な作業が頼りであった。広くて長いトンネルを、このような方法で調べるのは大変であろう事は素人にも容易に想像がつこうというものだ。この事からも分かるように、日本の維持補修技術は先進国に大幅に遅れをとっている。維持補修に関しては日本はとても先進国とは言えない状況だ。大学でもゼネコンでも、補修に関してあまり力を入れていないし、技術者も少な過ぎる。

維持補修に全力を注げ

 いずれ余剰な建設関連労働者は整理しなければならない。北海道では、建設業に変わる北海道経済を支える新しい産業を創り出さなければならないだろう。しかし、現時点で北海道に道民を養い得る全く新しい産業を直ちに創り出すのは難しい。とりあえず、これまで述べた通り、建設関連労働者は一時的にはむしろ不足する可能性がある。公共事業では新規建設は基本的に止めて、維持補修に全力を注ぐべきだ。わざわざ、建設労働者の雇用のために無駄な新築工事を無理やり作り出さなくても、維持補修すべき建造物がそのうち嫌というほど現れるだろう。今のうちに老朽化した建造物の補修作業に着工し、手遅れにならないようにしなければならない。維持補修の分野に、無駄な新規の公共事業に費やしている費用や仕事が無くて困っている建設関連労働者をつぎ込めば丁度よい。
 JRにしても、列車を止めると赤字になる事もあり、建造物の危険性についてはなかなか認めようとしない。そこで、公共施設の劣化について、公的資金を積極的につぎ込む事にしてはどうか。手をあげた会社に対して優先的に補修費を補助すればよい。このやり方だと、手抜き工事をした建設会社が得をしてしまう事になり、不公平だという見方をする人もいるだろう。しかし、人身事故が起きてからでは、責任問題をとやかく言っても仕方がない。国家の存亡に関わる緊急事態だから、不公平もある程度やむを得ない。 こうして、建設関連事業を維持補修に特化すれば、無駄なコンクリートを使わずにすむ事になるし、とりあえず経済回復のつなぎにもなる。
 二〇〇五年というとあと僅かだ。コンクリートが一斉に崩壊し始めてからでは遅い。大至急に対策を練るべきだ。
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