ダイオキシンが果たして普通に言われているような有害物質か、それとも「普通の化合物」なのかを整理するにはまず長い下準備が必要です。まず、第一に「科学的事実は思想によって変わるか?」ということについて歴史を振り返ってみましょう。
社会全体に強い希望や思想がある場合、人は時として「事実を思想で変えたい」と思うものです。その典型的な例を、最近の歴史の中で見ることができます。一つは共産主義時代のソビエト、もう一つがナチスドイツです。いずれもある歴史的必然性によって厳しい全体主義になり、その中では科学的事実といえども思想の統制下にあったのです。
まず事実を整理するために、有名なソ連のルイシェンコのことを紐解いて見たいと思います。
ルイシェンコはウクライナの農家に生まれ、キエフ農業専門学校を卒業して出世し、一時はソ連の農業を一手に指導する立場になりました。彼の説はハッキリしていて「生物の性質は遺伝子で決まるのではなく、生まれてからの訓練によって変わる」というもので、遺伝的な研究を進める学者を次々とシベリアに送りました。
遺伝子の研究で有名なメンデルについてルイシェンコは、「メンデルの思想は反動的であり、ソ連の敵である」と演説し、科学は国家に奉仕するものだから共産主義の思想に沿った遺伝の研究しか認められない。遺伝子などと言う研究者はシベリア送りにする・・・というわけです。現代の日本の環境運動家によく似ています。
ソ連とともにナチスドイツも思想が科学を支配しました。当時、ドイツはナチスの完全な統制下にあって、「ゲルマン民族は優れていて、ユダヤ民族や一部の少数民族は基本的に劣っている」と言うのが政治的結論でした。
そんな中、科学関係で博士号を取得するもっとも簡単な方法は「ドイツ民族に対して・・・民族は・・・という理由で基本的に劣っている」と言う論文でした。ある時、女性の科学者が博士号を取ろうと思い、少数民族の子供達を集めて様々なテストをさせ、それを通じて「この民族は劣等である。従って生存する価値はない」ということを「科学的に証明」しました。
もちろん、彼女は直ちに博士になり、その実験台に使われた少年少女達は消えたとされています。
政治が科学に優先し、特定の結論を出すことができるのは、どんな「事実」でもそれほど単純ではないからです。私がよく例に出すのは「どう見ても地球の大地はドッシリとして動かず、太陽が動いているのに、なぜ我々は地球が動いていると思うことができるのか?」ということです。
我々は太陽系という仕組みを知っています。太陽が真ん中にいて、その周りを金星や地球などの惑星が回っています。もし我々がものすごい巨人で熱に強く、太陽の上から惑星全体と見渡すことができたら、金星や地球が自分の周りをまわっているように見えるでしょう。
つまり、「本当の事実」は「私たちがそれを観察する場所」「その時の科学的知識」そして「私たちの先入観」などによって違って見えることを知らなければなりません。事実を事実のままに見ることは本当に難しいのです。
かつて「ヒトの祖先はサルだ」と言う事実を明らかにして社会から反撃を受けたチャールズ・ダーウィンは「勇気を持って見れば、事実がわかる」と述懐していますが、それはとりもなおさず、事実は「勇気」が無ければ見えないほど難しいものだ、と言い換えることもできます。
どんなに心を平静にして、利害得失や先入観を排除しても、事実を見ること自体に頭脳の活動が介入するのでやっかいです。
でもソビエトとナチスの例は、私たちに次のことを教えてくれました。
「たとえ、事実を見ることが難しくても、たとえ、社会が何を望んでいても、事実をありのまま観察し、それが明確になるまでは、自分の意見や思想、人生観などは後退させておかなければならない。そうしないと人間の醜さが浮き彫りになる。」
ダイオキシンをはじめとした環境問題、特に「有害物質」についてのマスコミの報道や社会の動きの中にはかつてのソ連やナチスを思い起こすような例が多く見られます。この私も1999年の高分子学会で「リサイクルは資源を余計に使う」という発表をしている最中、聴衆から「売国奴」と罵倒されたこと、取材に来たある新聞社の記者が「取材はしますが、先生のことは紙面には出しません」と言ったことを思い出します。
学会での私の発表は単に「リサイクルと資源の関係」を計算した結果であって、思想とは無関係でした。でもその単純な計算が「売国奴」と言われることもあるのです。
「環境を守るためには間違いも許される」「ダイオキシンの毒性を論じているのではない。我々は人工的な物質を使うことに反対なので、ダイオキシンはただその象徴に使っているだけだ」と言われる人もおられます。でも私はあまり賛成できません。
ダイオキシンが有毒かどうかを判定するのにそれほどの時間は必要がなく、今では数時間の説明で足りるからです。それを節約して思想で科学的事実を曲げても事実と違うことは長続きしないからです。
誤解が無いように断っておきますが、私はダイオキシンを擁護したり、排斥したりする立場にはありませんし、どちらかというと若干「あまり新しいものは使わない方が良い」という考えです。その上で、次の話を聞いてください。
ダイオキシンの毒性を考える上で、
1) ダイオキシンは人工的に作られた化合物か?
2) ダイオキシンの毒性実験ではどういう結果が出ているか?
3) ダイオキシンを高濃度で暴露された人はどうなったか?
4) ダイオキシンは生物の体内に蓄積するか?
5) ダイオキシンが遠い将来に影響を及ぼすことがあるか?
をまず考えることにします。
そして、次の段階で、
6) ダイオキシンというのはそもそも必要な物質か?
7) ダイオキシンは醤油より危険か?
ということにも触れます。
実はこのシリーズでダイオキシンの毒性に触れるのは、「一体、ダイオキシンは猛毒なのですか?」と心配し、または毒ではないという本を読んだ方からの問い合わせがありますので、「庶民の立場」でまとめようと思ったのがきっかけです。次回から本格的に進めていきます。
つづく
武田邦彦
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