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【静岡】鳥居信平胸像 袋井で除幕式 『水使うたびに感謝』2009年7月13日
台湾と交流の“新芽”に大正時代に台湾で地下ダム建設に尽力し、荒れ地を豊かな緑地に変える功績を残した袋井市出身の技術者、鳥居信平(のぶへい)(1883〜1946年)の胸像除幕式が12日、故郷の同市上山梨であった。台湾から「偉業をたたえたい」と胸像寄贈を受け実現した式典。台湾からはこの日も関係者が駆け付け、建設から80年を経ても変わらぬ感謝の念をうかがわせた。 「水を使うたび感謝している」。台湾から駆け付けた来賓のあいさつが式典会場の月見の里学遊館に響いた。 正面玄関前には台座を含め高さ1・8メートルのブロンズ胸像。地下ダム建設地、台湾・屏東県(へいとうけん)の曹啓鴻県長(知事)の言葉だった。 袋井市側からも原田英之市長や信平の親族、地域住民ら約200人が出席し、「信平氏は袋井の誇り」などと喜びつつ、台湾の人々の心に感謝した。 信平の偉業は80年前にさかのぼる。当時、台湾を統治していた日本政府にサトウキビ栽培拡大の命を受け、最南端の屏東県に入って、1923年に地下ダムを完成させた。荒れ地の下を流れる伏流水をためることを主眼に、粘土とコンクリートの堰(せき)を地中に埋め込む画期的な技。山を削るなど大きな環境変化を伴わずに、農業用水と飲料水の安定供給を実現した。 ダムは80年以上たった今も現役で、学校の副教材に載るなど語り継がれている。2007年にダムが台湾の土木遺産に指定されたのがきっかけで顕彰の機運が高まり、台湾経済界の重鎮で芸術家の許文龍さんの手で胸像が製作されて、日本に届けられていた。 式典では未来への思いも語られた。「現地を訪ね、親睦(しんぼく)を深めたい」と原田市長が言えば、曹県長も「袋井市と交流していきたい」。緑をはぐくんだダムは、80年の時を越え、新たな懸け橋の“芽”を育てた。(袋井通信部・夏目貴史)
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