生国魂(いくくにたま)神社の表参道は、私たちが入ってきた北門ではなく、東門にあたる。その鳥居には「サントリーウヰスキー本舗 壽屋 鳥井信治郎」と刻まれている。サントリーの創業者の鳥井さんが寄贈した鳥居だ。
東門の前は公園になっている。大阪案内人の西俣稔さんが「ここは昔、池やったんです」という。江戸時代末期に描かれた「浪花百景」には、真言(しんごん)坂と、淡路島で見渡せたという絵馬堂、そして弁天池と呼ばれた蓮池、生玉さんから三つも選ばれている。いかな名所だったかがわかろうというものだ。
蓮池は東門の左手と右手に二つあった。神社によると、北には紅蓮、南には白蓮と、咲き分けていた。名物は蓮飯で、蓮の葉の上に、蓮の実をたきこんだご飯が盛られていたという。北側には弁天様がまつられており、弁天池と呼ばれた。世之介が遊んだのもこちらだ。その蓮池も昭和30年代に埋められ、今に至っている。
神社を取り巻く変化は、それだけではない。東を通る谷町筋が68年、交通渋滞緩和のためにアンダーパス(地下化)となり横断できなくなった。このため近鉄上本町駅の向こうまで続いていた表参道の商店街は神社と分断されてしまった。経済至上主義の時代は、地域の実情などお構いなしに交通事情を優先した。その結果、商店街はさびれ、シャッターを降ろしたままの店が並ぶ。
さらに、千日前通に72年、阪神高速道路の入り口ができたあたりから、周辺にラブホテルが林立し出した。「一人で来るには恥ずかしい」という女性もいるという。
鳥井さんが建てた鳥居の上には、銀色の球体が浮かんで見える。ラブホテルの看板だ。かつての蓮池の向こうに立つホテルの前では、どう考えてもホテルに入りそうにない軽トラックにまで、おじさんが腕をぐるぐる回して駐車場に誘導しようとしている。
神社に聞いてみると、「昔は周辺に旅行者の宿や酒を飲む店があり、精進落としの名目で参拝者が遊んだ遊所も多かったんです」とのこと。近松門左衛門の「曽根崎心中」では、「生玉社の場」で遊女のお初と得意先回りの途中の手代、徳兵衛が生玉さんで忍び会う。近松には、ほかに「生玉心中」という作品もある。
昔から男女が忍び会う土地だったともとれるが、それにしても……。
目に留まったのは、本殿の前に並ぶハナショウブの鉢だ。紫や白などの涼やかな花が、境内を彩っている。神社の周辺から風情がなくなったために、せめてもの慰めにと、地域の人の協力を得て、ハナショウブを育てているのだという。
ハナショウブ越しに、一心に何事か祈る女性の姿が見えた。【松井宏員】<次回からは毎週木曜日に掲載します>
毎日新聞 2009年6月26日 地方版