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わが町にも歴史あり・知られざる大阪:/129 銀山寺 大阪市天王寺区 /大阪

 ◇ひっそりたたずむ半兵衛とお千代 「心中宵庚申」比翼墓参り、今も絶えず

 相撲の話を続ける。銀山寺は春場所の旧花籠部屋の宿舎だった。1953年から、同部屋が金銭問題のゴタゴタで消滅する85年まで、32年にわたった。

 53年から、というのには理由がある。それまでの年3場所制から4場所制になり、3月の春場所が大阪で開催されることになったのだ。59~61年まで秋場所が大阪で開催されたりはしたが、大阪場所が固定されていたわけではなかった。

 戦争で焼け野原になった大阪には、けいこができる宿舎に適当な広い場所がなかった。会場の府立体育会館がある難波に近いという立地もあって、生玉寺町の焼け残ったお寺が宿舎になったという。

 銀山寺の末高貴子さんによると、53年は初代若乃花が前頭筆頭の時。「源聖寺坂を下って松屋町筋を渡ったところにお風呂屋さんがあって、朝げいこのあと、お相撲さんに貸してくれたんです。下位の力士は給金では電車賃が払えず、会場まで歩いて行ってたよ」

 場所前、力士たちが乗り込んでくると、生玉寺町全体がびん付け油のにおいがしたそうだ。「そら、いろいろありましたよ」と、末高さんは苦労話を語ってくれた。

 「うちは430年前からのお寺なんで、石の上に床柱を建ててるんです。お相撲さんが帰ったあとは、床板がへっこんで」。ピーク時には78人が1カ月半、泊まり込むのだから、床板もへっこむというもの。寝所だった部屋のふすまの下の方は、寝ている力士のびん付け油がしみ込み、水害のあとのように油の痕(あと)がついていたという。荷物を入れた行李を引きずった痕も、たくさん付いている。

 「場所が終わったら、必ず大工さんが入ってました。若い子が多いから、うさ晴らしに障子をなぐってさんを折ったり。修繕で宿舎手当は全部なくなった」。末高さんは、先代住職の父に何度も「損するから宿舎をやめよ」と言ったそうだが、「お金もうけじゃない」と聞かなかったそうだ。

    ◇

 銀山寺にはほかに目当てがあるようで、大阪案内人の西俣稔さんは、墓地を歩き回る。墓地の向こうには、木の緑を背景に、つたのはった古びた民家とお寺のいらかが並んでいる。

 西俣さんが探し回って、ようやく墓地の奥に見つけたのが、近松門左衛門の浄瑠璃「心中宵庚申(よいこうしん)」の主人公、お千代、半兵衛の比翼墓だ。実話を基にしていたことを、茶色に変色し所々はがれた墓石が示している。

 八百屋の半兵衛とお千代は夫婦。しゅうとめと折り合いが悪いお千代が、半兵衛の留守中に勝手に離縁され、家にも戻れず、生玉で心中する。24歳のお千代は身ごもっており、産まれてくることのなかった子は「離身童子」と墓石に刻まれている。

 この心中は近松だけでなく、浄瑠璃作家、紀海音(きのかいおん)が「心中二つ腹帯」に、歌舞伎でも「新板宵庚申」として上演された。

 末高さんによると、「お千代、半兵衛は葬式も埋葬も許されず、かわいそうだというのでまつった」という。墓石は砂岩ゆえ、風雨でボロボロになる。最近、屋根の下に移した。今もお参りの人が絶えないそうだ。【松井宏員】

毎日新聞 2009年7月23日 地方版

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