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「日本軍は処刑しようとしてた」麻生首相の謝罪求める

ジョセフ・クームズさん(クリックで拡大)

 「その4カ月は永遠のように長かった」。太平洋戦争で捕虜となり、1945年5月から終戦まで、福岡県の旧麻生鉱業、吉隈炭鉱で1日12時間働かされたオーストラリア人元捕虜のジョセフ・クームズさん(88)。80キロだった体重は48キロに。

 「日本軍はわれわれを処刑しようとしていた」

 終戦の日、翌日の労働は休みと告げ、見張り番が消えた。1週間後、米軍機が収容所に投下した食料を手に初めて生還を確信した。

 祖国で妻と再会。地道に会社勤めを終えた後は、孫やひ孫に囲まれ静かに暮らしていた。

 「アソウ」の名を頻繁に聞くようになったのは、麻生太郎首相が外相に就任した2005年ごろ。欧米メディアも麻生財閥の捕虜使役問題に注目した。古傷がうずいた。

 戦後補償問題に取り組む日本の組織と連絡がつき、6月中旬に来日した。戦友の中で健康が許すのは、88歳でも元気な自分1人だった。

 首相官邸は一切の対応を拒否。麻生グループの中核「株式会社麻生」も「人道的配慮」で訪問を受け入れたが「麻生鉱業は解散している」と慎重に距離を置いた。

 首相には無視されたが、民主党の鳩山由紀夫代表と会えた。代表は元捕虜問題に理解を示し「個人的な意見」としながら、日本人として申し訳ないとも語った。

 吉隈炭鉱の跡地では周辺住民と昔話に花が咲いた。「チョコレートとニワトリを交換したっけ」。傷は癒えなかったが、痛みがやわらいだ。「2回目の日本は、1回目より良かった」。冗談を残して旅を終えた。

ZAKZAK 2009/07/23

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