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30年にならんとする歴史のなかでアニメージュは、数え切れないほどの作品を取り上げています。
このコラムではこれまで、本誌の表紙になったり、大規模な特集が何度も組まれたり……といった作品を中心に紹介してきたわけですが、今回取り上げる作品はそれらとは少し趣を異にします。
編集(マ)の【『アニメージュ』が愛したアニメ】
「どうせオレのページはいつも、カラー4色でもテキストで埋め尽くされてますよ」とぼやいているかどうかはヒミツだが、そんな編集(マ)がアニメージュ誌面を飾ったアニメを分析すると……。
第10回 元祖スターアニメーター――金田伊功-2009.05.25
この連載の最初の頃、「クリエイターにスポットを当てるという切り口が、創刊当時のアニメージュの記事の特徴」というようなことを書きました。そして宮崎駿監督、富野由悠季監督、押井守監督などとアニメージュの関係について取り上げてきたわけですが、初期アニメージュが生み出した“スター”ということで、もうひとり忘れてはならない人がいます。
それが、アニメーターの金田伊功(かなだよしのり)さんです。
『宇宙戦艦ヤマト』等をきかっけにアニメにより深くはまり始めたアニメファンは、自然その興味を「アニメを作る人たち=クリエイター」に向けました。なかでも「絵を描く人たち=アニメーター」には当然ながら比較的早い段階から注目が集まったわけですが、そのかなでも特にファンの熱い視線を浴びたのが金田さんだったのです。
その理由は単純です。当時、金田さんが手がけたカットはあまりにも個性的だったのです。それはもう、素人目に観ても明らかなほど、金田さんが原画を描いたシーンは、他のシーンと違っていたのです。
パースを強調した独特のアングル、きつくデフォルメされたキャラのポーズ、スピーディな動き、「金田光り」などと呼ばれるようになる光線や爆発などの独自のエフェクト、などなどその特徴をあげていくとキリがありません。以前にも取り上げた劇場版『銀河鉄道999』の“惑星メーテル崩壊”シーンや、『銀河旋風ブライガー』のOP、あるいは映画『幻魔大戦』のクライマックス“火炎龍とのバトル”などを観ていただけると、現在のアニメにも多大な影響を与えている金田さんの特徴や魅力が比較的わかりやすく感じ取っていただけるのではないかと思います。
アニメージュは1980年11月号で「挑戦する“アニメ第3世代”の旗手」と題して、初めて金田さんの大特集を敢行。以後、折りに触れて金田さんの仕事を追いかけ、また金田さんを取り上げた記事は大きな反響を呼び、「何かの作品に金田さんが参加する」というニュースが特集なみのスペースで掲載されるようになります。そして1982年の7月にムック『金田伊功SPECIAL』が刊行されます。アニメーター個人をフィーチャーした初の刊行物で、多数の描きおろしイラストのほか、原画や場面カット等も豊富に掲載されたこのムックで、金田さんの存在はアニメファンのなかで決定的な位置を占めるにいたったのです。その後も金田さんはスペシャルなアニメーターとして活動を続け、『風の谷のナウシカ』以降はジブリアニメにも参加しました。
2001年公開の映画『ファイナルファンタジー』制作に参加したことをきっかけにスクウェア(当時)に入社した金田さんは、現在もスクウェア・エニックスに所属。活動の中心をゲーム業界においておられるので、アニメでそのお名前を見ることはあまりなく、寂しいところではあります。
2003年7月号(25周年記念号でした)でゲーム『半熟英雄対3D』を取り上げた際、OPフィルムの監督として金田さんは久しぶりにアニメージュ誌面に登場しました。筆者はその記事で取材を担当しましたが、80年代当時を振り返って「(当時は)アニメージュにとりあげられるようなアニメーターはダメだと思っていたから戸惑った。過大評価されているんじゃないかと不安にもなった」と語っておられたのが非常に印象的でした。
そして、取材時に見せていただいた、「久しぶりに手で描いた」という件のOPフィルムの原画には、紛れもなく「金田伊功の線」が舞い踊っていました――。
それが、アニメーターの金田伊功(かなだよしのり)さんです。
『宇宙戦艦ヤマト』等をきかっけにアニメにより深くはまり始めたアニメファンは、自然その興味を「アニメを作る人たち=クリエイター」に向けました。なかでも「絵を描く人たち=アニメーター」には当然ながら比較的早い段階から注目が集まったわけですが、そのかなでも特にファンの熱い視線を浴びたのが金田さんだったのです。
その理由は単純です。当時、金田さんが手がけたカットはあまりにも個性的だったのです。それはもう、素人目に観ても明らかなほど、金田さんが原画を描いたシーンは、他のシーンと違っていたのです。
パースを強調した独特のアングル、きつくデフォルメされたキャラのポーズ、スピーディな動き、「金田光り」などと呼ばれるようになる光線や爆発などの独自のエフェクト、などなどその特徴をあげていくとキリがありません。以前にも取り上げた劇場版『銀河鉄道999』の“惑星メーテル崩壊”シーンや、『銀河旋風ブライガー』のOP、あるいは映画『幻魔大戦』のクライマックス“火炎龍とのバトル”などを観ていただけると、現在のアニメにも多大な影響を与えている金田さんの特徴や魅力が比較的わかりやすく感じ取っていただけるのではないかと思います。
アニメージュは1980年11月号で「挑戦する“アニメ第3世代”の旗手」と題して、初めて金田さんの大特集を敢行。以後、折りに触れて金田さんの仕事を追いかけ、また金田さんを取り上げた記事は大きな反響を呼び、「何かの作品に金田さんが参加する」というニュースが特集なみのスペースで掲載されるようになります。そして1982年の7月にムック『金田伊功SPECIAL』が刊行されます。アニメーター個人をフィーチャーした初の刊行物で、多数の描きおろしイラストのほか、原画や場面カット等も豊富に掲載されたこのムックで、金田さんの存在はアニメファンのなかで決定的な位置を占めるにいたったのです。その後も金田さんはスペシャルなアニメーターとして活動を続け、『風の谷のナウシカ』以降はジブリアニメにも参加しました。
2001年公開の映画『ファイナルファンタジー』制作に参加したことをきっかけにスクウェア(当時)に入社した金田さんは、現在もスクウェア・エニックスに所属。活動の中心をゲーム業界においておられるので、アニメでそのお名前を見ることはあまりなく、寂しいところではあります。
2003年7月号(25周年記念号でした)でゲーム『半熟英雄対3D』を取り上げた際、OPフィルムの監督として金田さんは久しぶりにアニメージュ誌面に登場しました。筆者はその記事で取材を担当しましたが、80年代当時を振り返って「(当時は)アニメージュにとりあげられるようなアニメーターはダメだと思っていたから戸惑った。過大評価されているんじゃないかと不安にもなった」と語っておられたのが非常に印象的でした。
そして、取材時に見せていただいた、「久しぶりに手で描いた」という件のOPフィルムの原画には、紛れもなく「金田伊功の線」が舞い踊っていました――。