2009年07月21日(火)
宣伝用動画です。DVDよりも高画質ですw
شىنجاڭ ئۇيغۇر ئاپتونوم رايونى Shinjang Uyghur aptonom rayoni
by breno
この動画を見て泣いてくれた人がいます。
おつるも涙がでました。かっこいい動画、brenoさんありがとう
フリーウイグル、ウイグルラルガ エルリンリキ
************************************************************************************
Uyghur 新疆维吾尔自治区 日本 osaka Sherqiy Türkistan Jumuhuriyiti شەرقىي تۈركىستان جۇمۇھۇرىيىتى 我爱新疆*************************
2009-07-21 21:43
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東トルキスタン ウイグル /
日本シルクロード科学倶楽部 /
中国の核実験 |
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大阪 第五回 東トルキスタンデモ A
今日は、天気予報では、午後から100パーセント雨となっていて
暴風雨に注意となっていました。
ものすごい風が吹く中での行進となりました。
私のすぐ後ろのN.Nさんとリコリスさんの横断幕が風を受けてたいへんなことに・・・・・
kinaさんの後に続いてみんなでコール!!!
フリーウイグル!
フリーウイグル!
フリーウイグル!
中国は虐殺をやめろ!
中国は真実を隠すな!
ウルムチの惨劇を許さないぞ!
ウルムチの死者に謝れ!
日本は虐殺をやめさせろ!
マスコミは真実を放送しろ!
我々はウイグル人を助けるぞ!
ウイグルに人権を!
中国は弾圧をやめろ!
民族浄化をやめろ!
民族差別をやめろ!
ウイグルの若者をさらうな!
ウイグルの女性をさらうな!
ウイグルの子供を殺すな!
中国はウイグル人に謝れ!
ウイグルに平和を!
中国は侵略をやめろ!
奪った土地を返せ!
漢民族を中国へ戻せ!
ウイグルに自由を!
言論の自由を!
教育の自由を!
宗教の自由を!
ウイグルラルガ エルキンリキ!
ウイグルラルガ エルキンリキ!
ウイグルラルガ エルキンリキ! (ウイグルに自由を)
三連休で、夏休み、お中元の時期ということもあり
御堂筋は、子ども連れやカップルなど 買い物客でいっぱいでした。
おつるもコールを交代し、叫びました。
「ウイグルの子供たちを殺すな〜」のところでは、
中国の核実験によって、体に障害をおった子供たちや
強制的に中絶させられる女性の心を想い、涙が出そうになり
悲痛な声になってしまいました。
後ろから、大阪のジャンヌダルクと呼ばれる天使みたいなノアちゃんや、愛媛のジャンヌダルクたち、そして動物愛護のJellyさんという方、いろいろな女性の力強い声が響いてきて、
私を引っ張ってくれます、勇気が出ます。
関西にはジャンヌダルクがいっぱいいるんだ。
蒸し熱くて、読んでいる途中も汗が噴き出して、
目に汗が入って、文字が読みにくかったり、のども痛くなってきましたし、拡声器のひもが肩に食い込んで重かったけど、
ウイグルのひとの苦しみを想うとこんなことでしんどいなんていってられない。
とちゅうで、イリハムさんが何度も
「しんどくないですか」と声をかけて下さいました。
私たちのために、応援してくれる人がこんなに集まってくれて
感謝ですとも何度もおっしゃいます。
イリハムさんこそたいへんなのに、
自分のことより 人を思いやる優しさ・・・
これがウイグルの方々の民族性なのだと思います。
沿道には外人の方が、写真やビデオを撮ってくれたり
携帯で写真を撮ってくれる若い人も多く、
子供さんと若いパパが拍手をしてくれたり、真剣にコールを
聞いてくださる方がいっぱいでした。
ウイグル問題は、報道されているけれど、マスコミの報道では
いったいどういうことなの?? なぜあんな事件がおきたの??って
疑問に思っている方は多いと思います。
ですので、「女性、子供を軍用車でひき殺し」や
「暴動ではありません」「女性をさらうな」 というような
マスコミでは報道されていないところを 強調して叫びました。
強い風と蒸し暑さにも負けないで、参加者の方々が共に大きな声で叫んで下さることに励まされました。
長い距離を歩いたけれど、不思議と途中からは、疲れなど感じなくなりました。夢中だったからかもしれないな・・・
いつもデモの途中には、靖国の叔父さんの顔が浮かびます。
靖国の叔父さんが、生きていたらきっとがんばれって言ってくれる
デモするだけでは何も変わらないとか、思考停止だとか、自己満足だとか、動かないで、批判だけする人がいるけれど
デモに集まる方々は お金のためでも自分のためでもなく
なんとかしたい。なんとかしてあげたい。なにかできることをしたいと
つき動かされてきた方々。
デモで顔を出して歩くことは、
実は、それぞれの職場やご近所などのいろいろな目などもあったり
それこそ、中国の工作員に命を狙われるかもしれない。
しかし そんなことよりも 自分を捨てて
他人のために 日本のために ウイグルのために ・・・・
主義・主張・思想なんかで集まったわけでも動員でもない。
東京や名古屋や愛媛からの参加者さんもみんな交通費も自分持ち。
集まった方々は尊い、愛でいっぱいの 心の清く正しく美しい方々
気高い方々・・・ 心に傷を受けたことのある方もいます。
だからこそ人の痛みがわかるのです。
おつるは、そういう方々が大好きです
だから デモの時はみんなの顔を見て 涙が出そうだし
嬉しくてニコニコしているのです。 応援したいし、手伝いたい。
そしてその愛と祈りが 日本を世界を・・・中国を
ウイグルをチベットを 変えることができると信じます。
終わってからの解散場所で、
カトリックのクリスチャンの参加者さんが、声をかけて下さいました。ブルーリボンバッチをされていて、デモの前にあった、拉致被害者さんの救済のための活動を終えて駆けつけて下さったそうです。
私と同じように、大阪教区、カトリック正平教の暴走を憂いて、大阪の教会を離れ今は違う教会に通われている方です。
クリスチャンのご参加は本当にうれしいです。
カトリックは、カトリック正義と平和協議会やシナピス、ピース9
カトリック部落問題委員会、カトリック20条の会、難民移住委員会などの左傾化した活動により、未信者の一般の方々から
「共産主義者ではないか、カトリックは腐敗している
カトリックはカルトだ、カトリックは偽装平和団体、市民団体だ」などと、非常に誤解されています。
この方のように拉致問題に関わる方がいることは、私のクリスチャンとしての誇りです。
そしてウイグル問題もトルコ系民族との関わり、イスラム教とのかかわりもあり、実は、長い歴史の中で、お互いに弾圧しあったり
お互いの文化・宗教を守るための戦いをしたりという
軋轢もあったのですが
でもそんな過去のしがらみを超えて、こうして
私や、このクリスチャンの方がウイグルのためを思うこと。
そしてウイグルの方が、信頼してくださること・・・
これこそが平和への祈りだと思います。
ドイツなどヨーロッパ各国のクリスチャンの国でもウイグルを
支援する人たちがいるのです。
日本のクリスチャンも、ウイグルのために祈りたい。
殉教者の魂を思うとき、ウイグルの悲しみも理解できるはず。
他にも日本シルクロード科学倶楽部のメンバーのクリスチャンの
Tさんも参加して下さっていました。
そして解散となり
打ち上げのお疲れ会・・・
ビールはおいしかったけれど、明るくふるまうみんなだけど
でもやっぱりどこか 胸の中に秘めた思いがある。
参加された皆様 本当にお疲れ様でした。
マスコミはやっぱり来てくれなかったけれど
brenoさんが一生懸命撮影してくれた ニコニコ動画や
you tubeで世界中に伝わればいいな。
brenoさんは なんどもダッシュしていったりきたり
停車している車にぶつかったりしながらの撮影。
打ち上げでもほとんど飲まず、食わずでの撮影。 有難うございます。
最後に協賛して下さった日本ウイグル協会
そして、イリハムさん、日本シルクロード科学倶楽部の全国のメンバーさんや 全国から応援して下さった方々
本当にありがとうございます。 感謝です。
でも戦いはまだまだ続きます。
これからも声をあげ、立ち上がりましょう
ともに・・・・戦いましょう。
みんなの思いがエネルギーとなって 何かが変わります。
2009-07-21 14:51
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大阪 第五回 東トルキスタンデモ @
暑い、暑い日でした。
ウイグルの女性の涙、ウイグルの子供たちの顔
殺された、血を流して倒れていたウイグルの人たち・・の事が
胸を痛くして、息苦しいほどの毎日でした。
主催者のkinaさんは、夜も眠れない、と言ってました。
私もずっと眠れない日々でした。
ずっとこの日を待っていました。
午前中は、女子サッカーの関西大会に2試合出場して
アップを含め5時間ほど太陽の真下にいてハードでした。
早くお手伝いに行きたかったのですが、兵庫県リーグを一年かけて
勝ちぬいたチームだけが出場できる 年一度の総決算の試合。
メンバーが11人ギリギリで、しかも 1試合めは、負けたので・・・
がんばるメンバー、そして暑い中頑張る監督やコーチを見ていると、どうしても帰れなかった。
ですので 大圓さんや kinaさんやリコリスさん、無名人さん
スタッフさんのお手伝いができなくて
本当に申し訳ない気持ちでした。
みなさんに甘えさせていただきました。
神戸の垂水から 高速を飛ばして自宅に戻り シャワーで体を冷やす時間もなく、汗だらけの体で浴衣に10分で着替えて、駆け付けました。大圓さんが、ぜひ浴衣でとおっしゃって下さっていたのです。
ですので到着時には足もと ふらついてましたが。。。笑
でも参加者さんが、頑張る姿を見て、気力で頑張りました。
到着してすぐに、主催者のkinaさんにご挨拶。
「イリハムさんが、来られるそうですよ」と教えていただいて感激
真夏の日差しの中、準備されていたkinaさんやリコリスさん
タナベさん、大圓さんたちは汗いっぱいかいてらっしゃいました。
天才カメラマンbrenoさんもすでにスタンバイ。
いつものNHK抗議のメンバー
チェ・ゲバラ皮肉TシャツをきたN.Nさん
(この方は陳さんのブログを通して知り合った騎士さんです)、
ハート眼鏡のたまちゃん
イケメンろーちゃんや
み〜んなにご挨拶。
フリーチベット関西のチベットデモの仲間もたくさん来てくれていて
とても嬉しかった
NHK抗議デモの時にいらっしゃった、チャンネル桜を支える会愛媛のお二人の女性が来られていて遠くからのご参加に感動しました。
優しい笑顔に元気づけられました。
他にも前回お会いした方々とごあいさつ。
みなさん、暑い中なのに、想いやりと愛の方々、笑顔がきれいです
日本シルクロード科学倶楽部京都のリカさんもご参加。
嬉しいです。
イリハムさん到着、固い握手を交わして、
そして集会がはじまりました。
イリハムさんのご挨拶は、涙が出そうでした。
イリハムさんは、今までお会いしたどの時よりも、
心に深く傷をおっていらっしゃるように見えました。
時おり見せる笑顔も悲しげで・・・私も胸が痛い。
イリハム・マハムティ氏によれば、インターネットでわかるウイグル情報は、中国共産党によるウイグル人虐殺の実態のほんのわずかにしか過ぎません。7月5日にウイグル人蜂起があった際に、中国共産党は、ウイグル人の住む地域の電気を消し一晩情報を遮断し、その間に、何千人ものウイグル人が行方不明になったのです。その真相を明らかにするためには全世界が中国共産党に圧力をかけなければなりません。
また、中国共産党のウイグル人弾圧は、一般市民だけでなく文化人にも及び始めています。
更に、現在でもウルムチ以外でのウイグル人の現状は全くわからない状態です。
7月5日以降、中国人には銃がくばられ、ウイグル人はこのままでは1週間又は1ヶ月でこの世から完全に抹殺されてしまう危険性に晒されています。
もはや中国共産党に対し、単なる圧力をかけるだけでなく、強い非難声明を出し、真相を解明するため調査団を受け入れるよう要請しなければなりません。そして、ウイグル人が抹殺されてしまえば、それは中国共産党の責任だけでなく全世界の責任でもあります。
私たちは、日本政府に対しても、声をあげるよう強く要請していかなければなりません。 (みやこさんレポート日記より)
つぎに、日本シルクロード科学倶楽部 会長の高田純教授からの
メッセージをことづかっていたので、読みあげさせていただきました。
7.19 ウルムチ弾圧虐殺を抗議する大阪集会での声明
みなさん、こんにちは、高田純です。
日本とアジアの現状と将来を心配されているみなさん、
みなさんの現状を打開したい熱い魂に、最初に、こころより敬意を表します。
本日は、東トルキスタンの首都ウルムチで7月5日からはじまった中国共産党による弾圧虐殺への抗議集会です。
お忙しい中、多数お集まりいただき、ありがとうございます。
今回もまた、声だけの参加をお許しください。
ただし、日本シルクロード科学倶楽部の大和撫子を代表する鶴姫に、私の声明文を読み上げていただきます。
シルクロードで発生しています人権人道問題は、遠い異国の出来事と見てはいけません。その意味はふたつあります。
第一は、人権人道問題に国境はありません。
中国共産党は、国際社会からの人権問題の批判・抗議を、内政干渉と決め付けていますが、それは違います。
人間としての、生存、宗教、職業、居住、婚姻などの基本的権利は、国家とは無関係に万人に保障されるべきものです。
この基本的人権を、中国政府はウイグル人から奪っているのです。
私は、中共の人権無視を批判します。みなさんはどう思いますか?
第二は、シルクロードでの人権人道問題は、対岸の火事ではありません。
日本にも大きな影響があります。
中共がシルクロードで148万人以上を死傷させた核の蛮行を隠蔽し、擁護するNHKや偽装反核平和団体が、日本国内に巣を作っているからです。
みなさん、織田信長が裏切り者の明智光秀に倒された本能寺の変を思いだしてください。
今、日本の足元には、こうした裏切りものがいるのです。
6月6日NHK会長に宛てたシルクロード犯罪番組に対する公開質問状に回答がありましたが、全くの嘘をついた呆れた内容でした。
現会長は、公共放送の代表者として相応しくないことが明確になりました。
NHKには、シルクロードでの人権問題を正しく報道する力はありません。
反省の全くないNHKは、解体するしかありません。
みなさん、どう思われますか?
人権人道問題には国境はありません。
シルクロードでの人権人道問題は、対岸の火事ではありません。このふたつの意味から、ウルムチの悲劇の問題を見ていこうではありませんか!!!
最後にコールしたいと思います。
シュプレヒコール!
・ 中国政府は、ウイグル人の人権を守れ!
・ NHKは解体するぞ!
・ 受信料を返せ!
ありがとうございました。
高田純 理学博士 日本シルクロード科学倶楽部会長
2009年7月19日
途中に強い風が吹いて・・・風が私を包んで励ましてくれるようでした。
読みあげる途中で、参加者の方が
「そうだーー!!」と声をけてくださって、ますます勇気と元気が出ました。
kinaさんの挨拶も心らの叫びのようでした。
イリハムさんや高田教授やkinaさんの思いが、祈りが
届きますように・・・・・
そしてデモがはじまりました。
中之島公園からスタート
参加者さんは、
おつるは日章旗を持って、イリハムさんと
チベットパンダさんとで3人で歩くことになりました。
どなたかが、動画へのコメントで
月 と星 は、西へ行った。太陽 は東へ行ったと
書かれていましたが、
イリハムさんの東トルキスタンの旗と日章旗の日の丸は
そのシンボルのように思えました。
2009-07-21 13:55
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2009-07-21 02:08
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2009年07月17日(金)
動画詳細:東トルキスタン(شەرقىي تۈركىستان East Turkestan Doğu Türkistan Sherqiy Türkistan 东突厥斯坦)宣伝動画2発目。日本における活動をメインに。
私は東トルキスタンにおける中国政府による核実験被害を訴える日本ウイグル協会、日本シルクロード科学倶楽部を支持します。(norzguljpさんより)
7月19日(日)
集合場所:大阪市北区、中ノ島公園(女神像前) 地下鉄淀屋橋駅下車、大阪市役所隣
集会開始:16:30分
デモ出発:17時
コース→御堂筋を南下し、難波付近で解散。
*プラカードや3民族旗、日章旗の持込大歓迎!
*怖い服装は不可
●主催:東トルキスタンデモ実行委員会
●協賛:日本シルクロード科学倶楽部 日本ウイグル協会
連絡先 携帯080-3811-8631(kina) メール uighur_uighur_tm@yahoo.co.jp
2009-07-17 14:06
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●札幌医科大学 高田 純 教授
日本シルクロード科学倶楽部のページより
http://junta21.blog.ocn.ne.jp/blog/2009/07/post_8a6c.html
倶楽部誌創刊号ができました!
倶楽部誌を、日本シルクロード科学倶楽部の会員が作りました。
創刊号が、本日刊行しました。!
まだ入会されていない貴方、是非、ご入会ください
入会方法はこちらへ↓
http://www15.ocn.ne.jp/~jungata/NSSCMem3.html
お問合わせはこちらへ silkroad.science.club@gmail.com
2009-07-17 13:49
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2009年07月15日(水)
bureno.VGA さん作成の告知動画です
7月19日(日)
集合場所:大阪市北区、中ノ島公園(女神像前) 地下鉄淀屋橋駅下車、大阪市役所隣
集会開始:16:30分
デモ出発:17時
コース→御堂筋を南下し、難波付近で解散。
*プラカードや3民族旗、日章旗の持込大歓迎!
*怖い服装は不可
●主催:東トルキスタンデモ実行委員会
●協賛:日本シルクロード科学倶楽部 日本ウイグル協会
連絡先 携帯080-3811-8631(kina) メール uighur_uighur_tm@yahoo.co.jp
2009-07-15 13:51
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kinaさんより
ウルムチ虐殺事件に関して、東京でもデモが行われますが、1週間送れて、大阪では19日に行います。
昨年のチベット蜂起に引き続く、
悲惨な事件に対し精一杯抗議しましょう!
7月19日(日)
集合場所:大阪市北区、中ノ島公園(女神像前)
地下鉄淀屋橋駅下車、大阪市役所隣
集会開始:16:30分
デモ出発:17時
コース→御堂筋を南下し、難波付近で解散。
*プラカードや3民族旗、日章旗の持込大歓迎!
*怖い服装は不可
主催:東トルキスタンデモ実行委員会
協賛:日本シルクロード科学倶楽部
連絡先 携帯080-3811-8631(kina)
メール uighur_uighur_tm@yahoo.co.jp
東トルキスタンデモ実行委員会 主催7月19日のウルムチ弾圧事件抗議大阪集会デモに対して、日本シルクロード科学倶楽部は協賛いたします
当日、札幌医科大学高田純教授のメッセージも届けられます
日本ウイグル協会も協賛です!!!
つぎのページに天才カメラマン brenoさん作成の
告知動画をのせます♪
*******************************************************
ちなみに、その日おつるは、午前とお昼に
女子サッカーの試合に出場してから参加。
体力の限界は 気力で頑張るぞー
高田教授、東京の方々、ウイグルの方々
大阪でも頑張ります。 ご支援お願いいたします。
イリハムさん、がんばりますからね!!!
2009-07-15 13:19
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老兵さまに教えていただきました。
宮崎正弘の国際ニュースより http://www.melma.com/backnumber_45206_4543980/
イスラム諸国を「敵」に回してしまった中国
アルカィーダはマグレブ諸国で『報復』(中国人殺害)を予告
***************************************
全世界のイスラム諸国が立ち上がった。シーア派のイランでさえ中国に対して、やわらかに「調査団」の新彊ウィグル自治区への派遣を主張し始める。
人口の多いインドネシア、トルコでは連日、数万の抗議、とくにイスランブールは十万人の集会が開かれ、これまで中国の顔色を窺ってきたトルコ政府もカディール女史の訪問にヴィザを発給した。
中国の揚外相はトルコ外相と電話会談して、「あれは外部勢力と結んだ過激派の行動であり、イスラム教徒への差別ではない」と釈明した。
トルコのエルドガン首相が「あれはジェノサイトでは?」とした発言をトーンダウンさせた。
ところが収まらないのはトルコ議会である。
トルコは世俗イスラムとはいえ、ちょっと裏町へ入ればイスラム原理主義過激派がうようよいる。政局がかわればイスラムの爆発がある。過激派のテロ事件もかなりの頻度でおこることはエジプトに似ている。
「コーサル・トプタン国会議長はアンカラ駐在中国大使を呼んで『この目で何がおきたかを確かめたいのでトルコ議員団の視察団を受け入れてほしい』と伝えた。中国側は本省に問い合わせると回答を避けた」(トルコの英字紙、ディリーニュース、7月14日)。
湾岸諸国も調査団の派遣を検討し、米国の議会の一部にも同様の動きがある。
旧ソ連アゼルバイジャンにも反中国ムードが拡がり、中国大使館へ押しかけたデモ隊から逮捕者もでた。
西側で最も抗議運動が盛んなのはドイツで、ウィグル組織があるうえ、数万の移民がウィグル人コミュニティを形成しているからだ。
また「サウスチャイナ・モーニング・ポスト」は「アルカィーダが北アフリカ諸国で働く中国人を殺害すると予告した」ことを伝えている(同紙14日)。同紙は北京寄りのメディアで、マレーシア華僑の郭鶴年が経営のため、北京への警告ともとれる。
しかし現実問題として、中国人技術者ならびに労働者は、マグレブ諸国にも溢れており、同時にイスラム過激派アルカィーダの支部が散らばるがアルジェリアが最大の拠点。
中国のアフリカ援助は建設現場、石油採掘サイトでも、現地人を殆ど雇用せず、プロジェクトが決まると中国人労働者を大量に連れてくるので、新植民地主義、侵略者=中国というイメージがアフリカ諸国では強まっている。
かくて中国はイスラム諸国を敵に回してしまったかのようだ。
2009-07-15 12:38
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2009-07-15 12:21
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2009年07月14日(火)
2009-07-14 12:43
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米流時評さん http://beiryu2.exblog.jp/9979670
の「中国武装警察・ついに始まった恐怖の人間狩り」の
記事より転載させていただきました。
おつるは、この女性たちの悲しみを黙って見過ごすことが
できません。
裏目に出た中国政府主催の取材ツアー
新彊ウイグル自治区ウルムチ市発 |ウルムチでのデモ弾圧虐殺から2日目の7日火曜、中国政府がジャーナリストのためにわざわざ組んだ、日曜の「ウイグル暴動」の現場取材ツアーが敢行された。しかし実際にはこの政府広報ツアーは、結果的には最初の取材地点で見事に裏目に出て、中国側の意図とはまったく逆の展開を見る羽目となった
写真:政府主催の取材ツアーの目的地、ウルムチ市南部のカーディーラーショップ周辺に集まってきたウイグル人市民
悲憤のウイグル人主婦が決死の抗議
ツアーバスの目的地は、暴動で焼き討ちにあった数台の車の残骸が残る、ウルムチ市南部にあるカーディーラーショップだった。ディーラーショップで被害に遭った担当者らにインタビューを行なった後、取材記者の一行が道路をはさんだ反対側のウイグル人所有のバザールへ向かおうとしている途中で、色とりどりの昔ながらのスカーフで頭を包んだ女性の一団が路上に立ち現れ、みな一様に悲憤慷慨の表情を浮かべていた。
写真:武装警察に銃を突きつけられ、前夜強制連行された夫や息子を返して!と泣きながら訴える、ウイグル人の主婦たち
「ウイグル人狩り」で300人強制連行
その中からアイニールさんというひとりの女性が声を上げ、こう叫んだ。
「月曜の夜になると、警察がやってきて、ウイグル人の夫や息子を片端から逮捕しました。その数は全部で300人近くにも達しました。」警察側は、デモと暴動に参加したしるしとなる真新しい傷やそれらしい証拠がある男たちを捜していたとアイニールさんは伝えた。
銃を突きつけられ拉致された夫たち
「私の主人は、銃をつきつけられて有無を言わさず連行されました。彼ら警察は、私たち(ウイグル人)を片端から殴りつけました。男たちを素っ裸にして傷を確かめました。最初うちでは恐ろしくて、入口のドアに鍵をかけたんですけど、警察はそのドアも打ち壊して、主人をさらっていきました。うちのひとは暴動になんかまったく参加してなかったと言うのに……」
漢人の自警団の襲撃でいつ殺されるか判らない恐怖で、抗議に出かけるにも子供を片時も離せないウイグル人の母親
武装警察、抗議の女性デモを挟み撃ち
取材記者団に訴えるために集まってきた女性の群衆は、およそ200人にもふくれあがり「ウイグル人に自由を!」とか「われわれの子供たちを返せ!」などとシュプレヒコールを上げながら、大通りを行進し始めた。しかし、彼女たちはたちまちのうちに、装甲車や放水車が待機していた道路の両側から繰り出した、数百人の武装警察の編隊に挟み撃ちにされてしまった
ウルムチ市南部で、夫や父親を返して!と素手で武装した兵士に立ち向かう、勇敢なウイグル人の女性たち
銃や警棒で武装した兵士に素手で立ち向かう女性
恐怖と緊張の余り失神した女性を介抱するウイグル人住民 デモ隊と呼ぶよりも自然発生的に集まった抗議の群衆
2009-07-14 02:09
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2009年07月13日(月)
7/12(日)は、猛暑の中、兵庫県レディースリーグ 第3戦でした。
4月 第一戦は 勝利
6月は 第二戦は 引き分け
そして 今日の試合は、桜ポッカーズさん
ベテランさんのチームです。
兵庫県リーグで最高齢、国体代表出身の70代の
めちゃくちゃ かっこいいフォワードさんがいらっしゃるチーム
キーパーさんとも顔なじみでいつも笑顔で挨拶してくださる方
わが バンヴェール兵庫は
フォーワードのひろちゃんが おめでたでしばらくお休み
とっても寂しいです。
さなえちゃんも出産したあとで まだ出られないので・・・
フォワード不足だけれど
新人の 元ヤンキー?? ニックネームが「センパイ笑」ちゃんと
セレブ?? の かつらちゃんの
背の高い二人も頑張ってます。
試合のアップ、トレーニングしてるだけで
汗だらだら・・・・
湿度も高いです。
監督は、新人が多く、お休みも多いから
今年度は、チームの形を新たに作っていくということを目標に
でも 決して負けないプレー、そして動きのあるプレー
そして 楽しくプレーしようと。
コーチは、いろんなアイデアを持って、ポジションにこだわらず
どんどん動こうと。
最近は、土曜日 まじめに練習に神戸に通っているので
今日は、おつるは、先発で出してもらいました。
いつもの右サイドバック!!
試合は、どんどん攻めてはじまりました。
でも さすが ベテランチームの桜ポッカーズさん
守備が堅いです。
おつるは、一番ベテランさんのマークです。
一度、コーナーキックから はねかえりのボールを
シュートしたつもりが 中途半端で失敗・・・・
走るーーーー
戻るーーーー
走るーーー
戻るーーーーーー
給水タイムあるはずが、審判さん忘れてるし・・暑い・・・・
おつるは ポジションがうまくいかなくて
たびたび 抜かれそうになって
監督に叱られました。
なんで そんなわざわざ しんどいプレーするんやーって
ラインを出て転がったボールを追って ひろいにいって
戻ってくる途中で なんでもないとこでコケた・・・
そのあと スローイン あせって ファールした・・・
失敗ばかりしてましたが
チームのみんなは、かっこよく
1点押し込んだーーーーーーーーーー♪
前半 1-0
ハーフタイムも監督にアドバイスをいただいて
そして後半へ・・・
後半 バテてきて 半分ぐらいのとこで交代でした。
もっと体力つけなくちゃー
そのあと、なんとチームのすごい連携パスからの
はまちゃんのスーパーシュートで 追加1点!!
やったー
というわけで 今日は 2-0
うれしいーーーーーーーーーーーー
監督も笑顔です。
おつるは・・・・もっと練習しなきゃ
来週は、関西大会です。 がんばるぞーーーーーー
で・・・・日焼けで鼻の頭 まっ赤っ赤なんですけどー
酒飲みすぎのおっちゃんみたい。
2009-07-13 22:08
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サッカー フットサル 大好き |
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2009年07月11日(土)
2009-07-11 02:00
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東トルキスタン ウイグル /
日本シルクロード科学倶楽部 /
中国の核実験 |
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2009年07月10日(金)
巻頭言 2009年7月号
”私たちは神の乞食(こじき)です”
- 聖アウグスチヌス-
主任神父 和田 幹男
神は聖なるものだと言いました。
神が聖なるものであるなら、それに応じてわたしたちの生活も聖なるものでなければなりません。
パウロも言います。「これが神の御旨です、それはあなたたちの聖性です」(1テサ4の3)と。
そのためにまず祈らなければならないでしょう。 祈りとは神との「我と汝」、「わたしとあなた」の語らいと言えましょう(M・ブーバー)。
この祈りは、深い沈黙の中で行われます。 神は沈黙の友なのです(G.クルトワ)。
沈黙の中でこそ、わたしたちはその語りかける神の声を聞くことができます。
それは物理的な音声ではあ りませんが、全身全霊をもってその語りかけを受けとめます。
そのためには世の喧噪(けんそう)を避けて、静かなところに逃げ込む必要があります。 フーガ・エ・ムンド(世からの逃避)といいます。
初期の修道者たちの一つの精神です。彼らは信徒でした。それは各家庭の自室でもいいし、戸外の 自然の中でもいい。勿論、教会の聖堂もそのためにあります。特に小聖堂はそのために整えられています。
今日も一人、また一人と祈る人が来ていました。 どのように祈ればいいのでしょうか。主の祈りや天使祝詞、栄光唱など暗記している祈りを唱えてもいい。ロザリオの祈りを唱えてもいい。
昔からある 公教会祈祷文、あるいは最近の祈りの本でもいい。祈りの道に進歩すれば、個人的に瞑想的な祈りもできるようになるでしょう。
初歩のうちは既成の祈りの助けを受ければいい。また疲れて集中力に欠けるときにも、同じです。
ただし、祈りとは願い事だけはありません。たしかに、わたしたちも願い事をします。それは正しい。
聖アウグスティヌスは言いました。「わたしたちは神の乞食です」(mendici Dei sumus)と。
ですから、何でも願ってもいいのです。しかし、わたしたちの祈りは、ほかの宗教のように、願い事に終始しません。
わたしたちは神がわたしに何を願っておられるのか、にも耳を傾けます。
ここがほかの宗教の祈りと異なるところです。
神はわたしたちに嫌なこと、辛いことをお望みになるかもわかりません。ゲツセマネのイエスのように、父である神の御旨こそ優先します。
またわたしたちは神を賛美します。神に感謝します。罪の赦しを願います。主を味わって美味しいと味覚で感じるほどまで、祈りをとおして神に親しみたいものです。
Gustate et videte quoniam suavis est Dominus. (Ps.XXXIII,9,Vulgata)
主はなんと美味しいことか、味わって見なさい。
(詩編33の9、ラテン語訳)
2009-07-10 23:56
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キリスト教 カトリック |
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カトリック大阪教会区 tontonさんとRickさんに教えて頂きました。
ついに、7/9より
日本カトリック 大阪教区では、
セルフインティンクションが完全に禁止となりました!!!!!
セルフインティンクション
両形態による聖体拝領の方法として、司祭や聖体授与の臨時の奉仕から与えられたご聖体を、自分で手で持っておん血に浸して拝領(intinctio)したり、祭壇上に置かれたカリスを拝領者が自分で手にとって拝領をする方法
これは私にとって大きな喜びです。
カトリックの信徒さん以外のこのブログをお読みの方は何のことだか、なぜ、私が嬉しいのかわらないと思いますので簡単に説明しますと
現在、カトリックは、(特に大阪)は カトリック正義と平和協議会という カトリックの一部の団体の左傾化と世俗化によりどんどん崩れています。新生計画などという軽い言葉とともに・・・
聖徳太子のころに景教が伝わり、織田信長の時代に日本に広がり、
その伝統をかたくなに守ったために江戸時代〜に殉教した人々がいた
その思いを踏みにじり、どんどん世俗化、左傾化、共産主義のようになりつつあるカトリック・・・・・
私はその状況を憂いて、また 信徒以外の人々に カトリックのカルト化という誤解を払拭したいためにも 戦い続けています。
世俗化を元の伝統的で荘厳な教会にもどしたいと努力しつづける
カトリックアクション同志会や教会の政治的言動を憂慮する会にも
参加させていただいて勉強しています。
世俗化の象徴的な形としても、セルフインティクションは憂うべきことでした。
聖体拝領というのは、毎週、カトリックの聖なる教会において祈りとともに キリストの体をいただく 一番大切な儀式。
その形式を崩すということは、教会の聖なる存在 を崩すこと。教会が聖なるものでなければ、何の意味があるでしょう
中国では、バチカンに従う信徒は地下教会信者 として弾圧され、逮捕拷問をうけ、バチカンに背く教会が中国共産党の支持で天主教会 として公に認められていますが
バチカンが禁止しているのに、それに背く日本のセルフインティンクションの継続は、まるで中国共産党の天主教会のようです。
幸いなことに、私の箕面教会では、セルフインティンクションは行われていませんが
あまり左傾化していないと言われる北摂や阪神地区のある教会でもセルフインティンクションは行われ、敬虔な信徒がいくらやめてほしいと頼んでも禁止されなかったそうです。
ところが、本日づけで、下記の文書が各教会に通達されました。 ↓
Rickさんの感想
とても横柄な文章に思えるのは私だけでしょうか?
「わしら正しい事してんのに、なんぼ言うても聞いてくれへんねん。偉そうに・・・しゃあないわ、言う事聞いといたるわ」といった感じ!!!
おつるは、
このバチカンからの禁止に従わざるを得なかった大阪教区
私たちの願いが届いたことはすごいことだと思います。
セルフインティンクションは
日常的に行われていて、私たちの訴えるバチカンで禁止されていると
いう主張については
否定される信徒、信じない信徒も多かった。
はっきりバチカンから禁止されたのはすごいことです!!
この一番大切な部分を守ることは教会を守ること伝統を守ること
この禁止は、これから10年、20年、いや100年〜ずっと続くのです
神さま ローマ教皇ベネディクト16世様
駐日バチカン大使アルベルト・ボッターリ・デ・カステッロ大司教 ローマ典礼省の方々 有難うございます
実はあのI神父様の事件の後、
tontonさんが教皇大使にもバチカンにもお手紙を書き、
Rickさんもお手紙キャンペーンを呼びかけ
おつるもそれを受けて
3/21(土)に 大阪から東京のバチカン大使館に行き、(突撃訪問です笑) 秘書の女性に
この手紙を訳して大使様に読んでいただいて下さいと懇願しました。
その時の経緯はこちらです↓
ジャンヌおつる東京へ 番外編@ 〜ローマ法王庁大使館(バチカン大使館)訪問編〜
http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/article/754/
そのすぐあとの 4/1に 教皇大使様から、
禁止の文書が手渡されていたこと下記の文書に書かれています。
私の思いは届いたのですね
その手紙には、I神父様の件とともに、
セルフインティンクションや典礼の世俗化、左傾化が
特に大阪教区で蔓延していることを訴え禁止をお願いするものでした
私だけでなく、あの時、I神父様のことを想い、教会のあり方を憂うたくさんの信徒さんがともにバチカンや教皇大使様に手紙を出したと思います。
たくさんの信徒の真摯な思いと祈りが伝わったのではないかと思います。
これは偶然ではないと思います。
信徒の訴えや祈りは、バチカンにとどくのです。
教会を変えることができるのです。
私たちの勝利です
頑張れば、行動すれば、祈れば 思いはかなう
私たちは、あきらめないで、これらも左傾化・世俗化に声をあげて
戦い続けましょう。 カトリック正義と平和協議会の偏向政治活動をやめさせましょう
************************************************************
ARCHDIOCESE OF OSAKA
カトリック大阪大司教区
Curia Osakensis
Prot.No.528/09
2009年7月9日
大阪教区の皆様
大阪大司教 池長 潤
信徒の両形態による聖体拝領の方法について
教区の神父様、修道会・宜教会の方々、そして信徒の皆様に、両形態による聖体拝領の方法について、お知らせいたします。
日本のカトリック教会では、これまで両形態による聖体拝領の方法として、司祭や聖体授与の臨時の奉仕者から与えられたご聖体を、自分で手で持っておん血に浸して拝領(intinctio)したり、祭壇上に置かれたカリスを拝領者が自分で手にとって拝領をする方法が比較的一般的に行われてきました。日本カトリック司教協論会・典礼委員会は、この方法を「日本の適用」として、再三、引き続き特別な許しを与えて頂きたいと、教皇庁・典礼秘跡省にお願いしてきました。
けれども、典礼秘跡省は、こ聖体もおん血も司祭や任命された奉仕者が、拝領者に手渡し授けることが、典礼上、定められた大切な規定として厳密に守らなければならないとの見解を強調し、2009年4月1日に駐日教皇大使を通して届けられた書簡においても、そのことが明示されました。日本カトリック司教協議会はこれを受け、今年6月の定例司教総会で、日本全体でローマの指示に従うよう確認いたしました。
つきましては、7月9日付けのこの手紙が届いた日から、大阪教区のすべての教会や修道会・宣教会でも、信徒(修道者を含む)が両形態による聖体拝領を行なう場合、以下の方法に従って行って頂きたくお願いいたします。
(1)司祭や任命された奉仕者から直接ご聖体およぴカリスを受け取って拝領する。
いったん受け取ったご聖体を、白分でおん血につけて拝領しない。
(2)ご聖体をおん血に浸して拝領(intinctio)する場合は、司祭や任命された奉仕者が直接拝領者の舌の上に置く。
役務を担う者の思いを謙虚に受け止め、日々主の死と復活を記念する教会が、いつもその永遠のいのちに満たされて歩み続けることができますように。
*************************************************************
つぎのページに 7月号のカトリック箕面教会の
神父様、和田幹男神父様の聖なる言葉をのせます。
2009-07-10 22:20
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キリスト教 カトリック |
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札幌医科大学 高田純 教授 理学博士
日本シルクロード科学倶楽部 ブログより 転載
http://junta21.blog.ocn.ne.jp/blog/
◆シルクロードを撮影したカメラマンが肺がん死!!!
シルクロード日本人核被害調査で、最初の情報提供がありました。ありがとうございます。
#1 男性 肺がん死
NHKスペシャル新シルクロードの撮影に参加したほか、20年に渡って
中国辺境部をテーマにしたカメラマン
この方の核放射線影響については、これから調査いたします。
別途、はやりシルクロードカメラマンの肺がん死を耳にしていますが、同一人物かどうかわかっていません。
この種の職業で、プルトニウム汚染のある核ハザードの危険地へ長期間いかれた人たちには、肺がんリスクが高まるのは、想定しているところです。
その他、
日本テレビの西遊記の現地ロケの場所をご存知の方、情報提供ください。
情報提供はこちら
http://www15.ocn.ne.jp/~jungata/SSP-J5-f1.html
http://www15.ocn.ne.jp/~jungata/SSP-J5.html
http://www15.ocn.ne.jp/~jungata/SSP-J5.html
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
NHKスペシャル新シルクロードの撮影に参加したカメラマンの
発がんと 死
これでもNHKは、撮影当時も現在も、核実験の危険性があるとは
認識していないというのだろうか・・・・
おつるは心配です。
シルクロード観光した日本人の方は、
定期的に癌の検診を受けられることが絶対必要だと思います。
癌は早期発見、治療せねばなりません。
もしご家族・ご友人にシルクロード観光に行かれた方が
おられたら癌の検査をすすめられたほうがいいと思います。
ウイグルの楼蘭遺跡やロプノル周辺だけでなく
中国西部、モンゴル南部、チベット北部などに旅行に
行かれた方も・・・
2009-07-10 15:13
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中国の核実験 /
日本シルクロード科学倶楽部 /
台湾 NHK抗議 |
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2009年07月09日(木)
●産経新聞阿比留瑠比さんのブログ
(政治部外務省兼遊軍担当。政治部の前は社会部、その前は文化部 生活班に所属。)
国を憂い、われとわが身を甘やかすの記 より
http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/1123334/
ウイグル自治区での中国の核実験について
2009/07/09 17:28
中国・新彊ウイグル自治区で起きたウイグル人と漢族との衝突事件が大きな話題となっています。中国の胡錦濤国家主席は晴れ舞台であるサミットをすっぽかして急遽、帰国しましたが、他の地域にも飛び火しかねないこの問題の根深さ、重要性を強く意識してのことだろうと思います。胡氏は、自身もかつてチベットで弾圧を行い、それを出世の足がかりとしてきた人だけに、小数民族問題には特に敏感にならざるを得ない部分もあるのかもしれません。
現在、日本大使館員も各社の記者も現地入りし、状況把握に努めていますが、情報が錯綜していて、事情はよく分からないところもあるようです。まして、日本にいる私には、「又聞き」情報しか入ってこないので、本日はおそらく今回の事件の遠因の一つになっているであろう問題について書こうと思います。きょうはサミットの首脳声明でも「核兵器のない世界」を目指すことが盛り込まれたようですし。
私は以前、先日のエントリでも紹介した日本ウイグル協会代表のイリハム・マハムティ氏から一冊の本を献本されました。それは、札幌医科大の高田純教授 の「中国の核実験 シルクロードで発生した地表核爆発災害」(医療科学社)という著書で、イリハム氏は本に添えた手紙に、こう記していました。
《核実験を行った国は多数あるがそれなりに放射能拡散には気を使い、被害を最小限に抑えるための事前の対策を行っている。それでもソビエト連邦時代に事故を起こして被害が広がった。しかし中国共産党政府の核実験は情報の公開は勿論、放射線被害に対する処置や医療行為などを行っていることを聞かない。このことは人類に対する大犯罪であると言っても過言ではないだろう。第1回の核実験は1964年10月16日東京オリンピックに合わせておこなわれた。日本人の気持ちを逆なでするような、徳の無い行為は許すことが出来ない》
日本人にもっとウイグルの実態を知ってほしいというイリハム氏の気持ちが伝わってきます。また、高田氏 はこの本の「序」で次のように書いています。なにげに中共べったりで知られる某公共放送もちくりと刺していますね。
《実験場は、日本文化に大きな影響をもたらしたシルクロードの要所であった楼蘭の近くにある。日中の国交が1972年に再開し、日本人が好んで訪れる観光地でもある。筆者も、若いころに井上靖氏のシルクロードを舞台にした小説を読んでいたが、よもやそうした地で、中国が核実験を行っていたとは驚かされた。公共放送でも、しばし、この地の文明の遺跡を紹介してはいるが、この種の話題に触れることはなかった》
この本によると、中国は、ウイグル人の暮らすウイグル地区のロプノルで、1964年から1996年にかけて、地表、空中、地下で延べ46回、総爆発エネルギー20メガトンの核爆発実験を行っているそうです(うち、放射線災害として最も危険な地表核爆発を含む大気圏実験を、少なくとも1980年までに21回実施)。ウイグル地区の当時の平均人口密度の推定値6.6〜8.3人/平方キロメートルから、死亡人口は19万人と推定されるといいます。また、健康影響のリスクが高まる短期および長期の核ハザードが心配される地表の推定面積は、日本国土の78パーセントに相当する30万平方キロメートルに及び、観光などで現地を訪れる人は核ハザードのリスクも多少あることを知るべきだとしています。
中国政府は公式な実験データの公表をしていないので、上の分析は隣接するカザフスタンの報告資料や、中国研究者の平松茂雄氏が日中友好協会を通じて入手した資料などをもとになされています。高田氏は次のように指摘しています。
《中国の核爆発実験においても、周辺住民への健康影響の調査と必要な医療対応が、人道上求められるのはいうまでもない。はたして、実際に関わった科学者や軍人、そして実験に関与はしなかった周辺住民の被害に対し、中国政府はいかなる対策を講じているのか。中国政府機関からの放射線防護上の線量および健康影響についての報告が公開されていないので、気にかかるところだ》
《ウルムチおよびトルファンの人口は160万人および24万人である。その周辺にも集落が点在しているはずである。あるいは、遊牧民が暮らしているかもしれない。いずれにせよ、これらの地域へ夥しい核の砂が降下し、ウイグル人たちが危険な外部線量を受けた。さらに、汚染した農作物や乳製品、飲料水の摂取による内部被爆を受けたと考えることは、合理的である》
…詳しい科学的分析については、この本に直接当たっていただきたいのですが、それにしてもひどい、とんでもない話ですね。某公共放送も、シルクロードに大量の取材班を送り、大金を使い、長期滞在して取材を重ねていたわけですから、少しはこうした問題も取り上げたらどうかと改めて感じました。中国に対しては、政治家にもよく「多数の異民族をまとめて統治していくのは大変なんだ」と変な同情を示す人がいますが、何をバカなことを言っているのかと思います。同情、共感する相手が違うだろうと。
本日は都内で、昨年7月以来となる第5回日中人権対話が行われました。その席で中国側は、ウイグル自治区での衝突事件について「一部の不法分子による扇動があった。これに法律にのっとり対処した」と説明したとのことです…。
2009-07-09 23:41
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台湾 NHK抗議 /
中国の核実験 /
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NHKは 中国の核実験を知りながら危険性を隠ぺいし、
シルクロード取材によるシルクロード番組を報道し続け、
危険地域に 何十万人もの日本人観光客を呼び寄せた。
いまだに、シルクロードの核被害を隠した偽DVDを販売。
そして、NHK抗議における高田教授の公開質問状に対する
NHKの高田教授への返答は、
「取材当時も現在もこの地域で
核実験の放射能の危険地域だという認識はありません」??
というあきれた回答であった。
高田教授は、カザフスタン、ゼミパラチンスクの調査を過去、続け
そこで、カザフスタンとウイグルの国境の町での放射線被害を
実は、中国側の核実験の影響であることを調査。
旧ソ連の何倍もの威力の核実験を続け、
ウイグルの人々に核実験の事実を知らせず、健康被害を出し続けた
中国は健康調査も公開していない。
カザフスタンは、高田教授に依頼し
健康調査を実施し、被害の実態を明らかにしている。
今なお、隠ぺいし続ける中国の核実験の実態や被害を
一切、隠ぺいし、
この偏向報道を続けるNHKの姿勢は、許されない!!!
なぜ、中国の核実験のことを隠すのか。
NHKは、ウイグルやチベットや台湾の人々を
人間扱いしていない。
下記の下線の部分は、そのままこのように
おきかえることができるのだ。
住民たちは核実験の事実を知らされず、健康被害が明らかになったあとも中国 によって沈黙を余儀なくされた。そして実験は、30年間に渡って続けられた。実験場周辺では、今なお正常値の何十倍もの放射線が検出されている。核の脅威は、今なおウイグル(東トルキスタン)の人々の生活に静かに忍び寄っている
↓
ハイビジョン特集 フロンティア
セミパラチンスク 18年後の現実 〜カザフスタン核実験場跡〜
BShi 8月10日(月) 午後8:00〜9:29
ザフスタン北東部のセミパラチンスクで、1949年から89年までに約500回の核実験が行われた。91年の実験場閉鎖から18年が経過したが、今なお放射能汚染の影響は続いている。
核実験は、なぜセミパラチンスクで行われ、周辺に住む人々の暮らしや健康をどのように脅かしていったのか。番組は旧ソ連の原爆研究者や医師の証言をもとに、セミパラチンスクにおける核実験の歴史を辿る。住民たちは核実験の事実を知らされず、健康被害が明らかになったあとも旧ソ連によって沈黙を余儀なくされた。そして実験は、40年間に渡って続けられた。実験場周辺では、今なお正常値の10倍の放射線が検出されている。核の脅威は、今なおカザフスタンの人々の生活に静かに忍び寄っている。
カナダの制作会社、4 Square Productionsとの国際共同制作によるこのドキュメンタリーは、実験場周辺で最も被害が大きかったとされるサルジャール村を中心に、放射能汚染の実態を丹念に取材。被爆による重い健康被害を抱える人々の怒りと叫びに向き合い、核の恐怖と残酷さを明らかにしていく。
http://www.nhk.or.jp/bs/hvsp/
高田教授゛おっしゃるには
以前は旧ソ連に批判的だったけれど調査によって
旧ソ連の核実験と
中国の核実験を比べたところ・・・・
旧ソ連はまだまだ人道的、住民に配慮しているとさえ思えるぐらい
だそうですから
どれだけ中国の核実験がひどいかが わかると思います
2009-07-09 22:45
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台湾 NHK抗議 /
中国の核実験 /
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本日発売の週刊新潮7.16号に 4ページにわたって
札幌医科大学 高田 純 教授の 論文が
掲載されています。
高田教授、日本シルクロード科学倶楽部ブログより
http://junta21.blog.ocn.ne.jp/blog/
NHKシルクロード犯罪番組を斬る!!!
NHKの呆れた回答を斬る!!!
NHKの反国民性を暴く!!!
週刊新潮7.16号(本日7.9発売)
http://www.shinchosha.co.jp/shukanshincho/newest/
【特別読物】
シルクロード「核汚染」を隠蔽し続けるNHKの大罪
札幌医科大学教授 高田 純
●チャンネル桜 放送ビデオ 「もうひとつのNHKの大罪」
http://junta21.blog.ocn.ne.jp/blog/2009/07/nhk_8f0b.html
2009-07-09 22:35
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日本シルクロード科学倶楽部 /
中国の核実験 /
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麻生首相とカトリック、ローマ法王 ベネディクト16世 教皇の
会見について、バチカン放送局、日本の各新聞が報道しています。
※写真 7日、バチカンで法王ベネディクト16世(中央右)と記念写真に納まる麻生 首相(同左)。左端は千賀子夫人(代表撮影・共同)
バチカン放送局
http://www.radiovaticana.org/gia/index.asp
教皇、麻生首相と会見、
経済危機やアフリカへの支援などが話題に
教皇ベネディクト16世は、日本の麻生太郎首相の訪問を受けられた。
主要国首脳会議のため7日にイタリア入りした麻生首相は、同日正午過ぎバチカン宮殿を訪れ、教皇との個人会談を持った。
両者の会談は和やかな雰囲気のもとに行なわれ、国際情勢について意見が交換される中で、特に経済危機問題や、日本と教皇庁のアフリカへの支援などが話題となった。
また、日本と教皇庁の友好関係や、教会と国家の協力についても言及された。
この後、麻生首相はバチカン国務長官タルチジオ・ベルトーネ枢機卿と外務局長ドミニク・マンベルティ大司教とも会見した。
*************************************************************
首相、ローマ法王と会談 「人類共通の問題解決へ協力したい」
2009年7月8日(水)08:05 産経新聞
【ローマ=今堀守通】麻生太郎首相は7日未明(日本時間同日午前)、日本航空特別機でローマに到着、同日昼(日本時間同日夜)にはローマ法王ベネディクト16世(82)と法王庁(バチカン)で会談した。
日本の首相と法王の会談は、平成11年の小渕恵三元首相と前法王ヨハネ・パウロ2世(いずれも故人)以来10年ぶりで、今回は麻生首相が要請して実現した。
首相は、祖父の故吉田茂元首相が歴代首相で初めて法王と会談したと述べた上で、「お会いできて光栄だ。11億人のカトリック信者を背景に、独自の外交力を有するバチカンと、国際情勢の安定や人類共通の問題の解決に向けて協力したい」と伝えた。
法王は、カトリック教徒の首相との会談に「うれしい」と述べ、「日本が宗教に開かれていることは喜ばしい」と答えた。
また、3月にアフリカを訪問したことから、日本のアフリカ支援に期待を表明した。
首相にとって法王は会談相手であると同時に「精神的指導者」。「麻生降ろし」が激しくなり、心中は穏やかでない首相としては、神の「お導き」をいただいて心を静めたかったのかもしれない。
***********************************************************
ローマ法王ベネディクト16世(右)にビデオカメラを贈る麻生首相=AP
麻生首相:ローマ法王と会談
法王宮殿内の図書室で
【ローマ藤原章生】ローマ滞在中の麻生太郎首相は7日午後0時半(日本時間同日午後7時半)ごろ、バチカンのローマ法王ベネディクト16世を表敬訪問し約30分間会談した。
会談は法王が暮らす法王宮殿内の図書室で行われた。カトリック信者でもある首相は、祖父の故吉田茂元首相が初めてローマ法王に会った首相と説明。その上で「独自の外交力を有する貴国と人類共通の問題の解決に向けて協力したい」と述べた。法王は「カトリック家系の麻生首相と会えてうれしい。日本社会が宗教に開かれていることは喜ばしい」と応じた。
約25分の会談後、首相は法王に小型ビデオカメラを贈り、妻、千賀子さんや上野景文駐バチカン大使夫妻ら9人を紹介した。法王は首相にバチカンの記念コインを贈った。
*********************************************************
以前、カトリックの中で、敬虔な信徒から支持を得られず
認められてもいない ごく一部の左傾化団体である
カトリック正義と平和協議会、さいたま谷司教が
政教分離の原則を持ちだして、麻生首相の伊勢神宮参拝を
批判していますが、
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/doc/cbcj/090109-2.htm
今回は、カトリックとしてどうコメントするのでしょうね
整合性がないとは、このことですね。
なくなればいいのに カトリック正平教なんて。
カトリック国、イタリアでのサミット前の
カトリッククリスチャン麻生首相 大歓迎ムードの中、
同時に
【ウイグル暴動】中国の胡錦濤国家主席がイタリアから緊急帰国 サミットを欠席
http://sankei.jp.msn.com/world/china/090708/chn0907080802003-n1.htm
現在、ウイグル人蜂起問題で、
このイタリアでのサミットから急きょ、中国の胡 錦濤が
出席を取りやめて、中国へ帰国。
これは日本の輝ける明るい未来と
中国共産党にとっての崩壊、暗い未来を 予言、象徴するかのような
出来事だと私は思います
それにしてもビデオカメラをプレゼントだなんて、
さすが麻生首相。
バチカンの動画も you tubeで発信されたりしてますが
実は、教皇様は、携帯電話、インターネット、パソコン
新しいものが大好きで、 ipodで音楽を聞いておられるとか・・・
麻生首相も新しいモノ好きで、このあたりは
似たものどうしですね
余談ですが、教皇はスポーツもお好き
サッカーの大ファンで ドイツのバイエルン・ミュンヘンのファンクラブ会員でもあります。
来年のワールドカップも楽しみにされているでしょうね
麻生首相もスポーツがすきですから
このあたりも共通点が。
2009-07-09 04:32
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ウイグル族による暴動が起きた中国新疆(しんきょう)ウイグル自治区ウルムチ市内で7月7日、多数の漢民族住民が暴動に抗議、鉄パイプやシャベルなどを持ちデモ行進した。数千人規模とみられ、一部が暴徒化し、ウイグル族が経営する多くの商店を壊し始めた。両民族が街頭で投石し合い、警官隊が催涙ガスで暴動を鎮圧しようとしているが、双方の対立は収まらず混乱は拡大。自治区当局はこの日、夜間の車での外出を禁止した。
関連記事
ウイグル族、数千人暴動 漢族に反感 …
ウイグル暴動 漢族がウイグル族の商店…
記事本文の続き 新華社電によると、暴動の死者は7日朝までに156人となり、負傷者は1080人に上った。在外ウイグル人組織「世界ウイグル会議」(本部=ドイツ・ミュンヘン)は「840人が死亡した」と主張している。
■□■
《ウルムチ 漢族も数千人デモで衝突》
中国当局は今回の暴動を独立派のウイグル亡命組織が計画・扇動したと結論づけた。これは昨年3月のチベット騒乱と同じ構図で、ウイグル亡命組織を「中国人民の敵」と位置づける狙いがある。だが、現地のウイグル族住民は「治安部隊がウイグル族に向かって発砲し殺害した」と憤りを強めており、共産党支配に対する抗議行動が各地に広がる可能性をはらんでいる
■「家族を帰せ」
「武装警察部隊は男を裸にし、首を足で踏みつけた。体に傷が少しでもあると暴動に参加したとして連行していったわ!」
ウルムチ市内南部。ウイグル族の女性数百人が泣きながら一斉に拳を振り上げた。怒りのあまり卒倒した中年女性もいた。周辺一帯で「300人ほどが連行された」という。
「60歳の女性も殴打された」「無事に家族を帰せ」と、デモ行進を始めた女性たちの抗議集団。数百人の武装警察部隊員が鎮圧用トラックや装甲車とともに待ち構える。
「やめろ! 鎮圧の口実に使われる」と、集団の中からデモ隊を制止する声が上がった。しかしデモ隊は武装警察部隊と“衝突”、女性たちは押し戻された。
これに対し、漢族数千人も「ウイグル族に攻撃された」とスコップや棒を手に市内をデモ行進した。現在、双方の民族は襲撃に備えて“自警団”を組織するなど、市内は緊迫した雰囲気に包まれている。
■くすぶる漢族化への反発
「武装警察部隊は足に向かって発砲した。女性に対しても撃った」
死者156人とする当局。これに対し、「ありえない。数百人規模で死んだ」とウイグル族の男性たちは憤った。一方で「威嚇射撃だけだった」と証言する女性もいる。
死者の中に当局の発砲による死者がいるのかいないのかは不明だ。
「(今回の暴動は)民族問題でも宗教問題でもなく、祖国分裂を目的としたものだ」
ウルムチ市当局は7日、記者会見を開き、何度も強調した。亡命ウイグル人組織を束ねる「世界ウイグル会議」が今回の暴動を計画し組織し扇動したという。
石油、天然ガスが豊富に埋蔵する新疆は中国経済の「生命線」だ。そして分離独立派との戦いの最前線でもある。
当局は今後、ウイグル独立派組織の一掃に乗り出すのは確実とみられる。
しかし、自治区内で進む「漢族化」と当局の締め付けに対するウイグル族の怒りは、火山のマグマのようにうねり続けている。
(ウルムチ 野口東秀/SANKEI EXPRESS)
2009-07-09 02:12
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東トルキスタン ウイグル /
日本シルクロード科学倶楽部 /
中国の核実験 |
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2009年07月08日(水)
2009-07-08 00:10
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台湾 NHK抗議 /
中国の核実験 /
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2009年07月07日(火)
高田教授 日本シルクロード科学倶楽部ブログより http://junta21.blog.ocn.ne.jp/blog/
次のラジオ・フリーウイーグル・ジャパンの
動画をご覧ください。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm7555812
http://rfuj.net/main.php/
2009-07-07 01:12
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東トルキスタン ウイグル /
日本シルクロード科学倶楽部 /
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高田教授 日本シルクロード科学倶楽部ブログより http://junta21.blog.ocn.ne.jp/blog/
世界ウイグル会議 東トルキスタンで発生した虐殺事件に関 する声明 ウルムチの悲劇 その4
シルクロードでの中国の蛮行は見逃せない
危険な隣国の本性を見る
日本ウイグル協会HPより
http://uyghur-j.org/news_20090706.html
世界ウイグル会議
「東トルキスタンで発生した虐殺事件に関する声明」
中国共産党政府がウイグル人に対して行ってきた民族的差別や抑圧、そして同化政策などの結果、ウイグル地区から沿岸部の広東省のおもちゃ工場に強制移送されてきたウイグル人たちは同工場の漢民族従業員たちにより虐殺される事件が発生した。この事件で60名近くのウイグル人が殺され、100名を超えるウイグル人が重傷などを負った。
そして今日7月5日、広東省で発生した悲惨な虐殺事件、そして長く続いてきたウイグル人に対する民族的虐殺に抗議するため、ウイグル民族がウルムチの中心地4か所に集まり計1万人が参加し、平和的なデモで自らの不満を表した。しかしこのデモは多数の警察、軍や車両の出動で武力的鎮圧を受けた。
世界ウイグル会議が直接現地から入手した情報によると、この武力鎮圧で死亡した人は100人を超え、多数が負傷した。この中で幼い子供や女性もいた。
酷いのは、ウルムチの人民広場、南門、ラビヤ・カーディルデパートの前、延安路、陶器工場前などのいずれのデモ場所も一律悲惨な虐殺を受けた。軍の車両下で踏み殺された。軍・警察の銃で殺された。暴力で殺された・・・・・
我々の把握した情報では、すでに逮捕された人は1500人を超える。全ウイグル地区ですでに軍事態勢が敷かれている。一方、ウイグルのアクス県でも7月5日の夜からデモが始まっていることが分かった。カシュガルで起こっているデモについてはまだはっきりとした情報を入手していない。
世界ウイグル会議としては、全世界の民主主義国家や国民、人権団体などがこの事件に緊急な対応を取り、ウイグルで中国軍や警察などに虐殺されているウイグル民族を助けるよう促す。国連やNATOなどが関与し、検察団を派遣し、平和秩序を守り、冷静に対応し、今でも虐殺が続いているウイグル民族を一刻も早く鎮圧軍から守るよう呼び掛ける。
2009年7月6日
※翻訳 イリハム・マハムティ
2009-07-07 01:07
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高田教授 日本シルクロード科学倶楽部ブログより http://junta21.blog.ocn.ne.jp/blog/
ウルムチの悲劇
東トルキスタン
= 21世紀の今 世界最悪の悲劇に見舞われている人々
総威力22メガトンの核を、中共が使用
19万人以上 75万人を虐殺
生存者に白血病、肺がん、奇形など多発
恐怖政治の横行
警察権力による人権運動の圧殺・処刑
【7月6日 AFP】中国・新疆ウイグル自治区(Xinjiang Uighur Autonomous Region)の公安当局は、区都ウルムチ(Urumqi)で発生した暴動にからみ、「暴動を扇動した主要人物10人以上を含む、参加者数百人を逮捕した」と発表した。6日の新華社(Xinhua)通信が6日報じた。警察はウルムチで依然、関与した約90人を追跡しているという。
また、新華社によると、暴動での死者数は少なくとも140人、負傷者は800人以上に上っており、この数十年で最悪の暴動となった。死者数は今後、増える可能性が高いという。
2009-07-07 01:04
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高田教授 日本シルクロード科学倶楽部ブログより
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中国警察によるウルムチでの人権弾圧か!?
日本ウイグル協会はウェブサイトで
「武力鎮圧で死亡した人は100人を超え、多数が負傷した。
幼い子供や女性もいた。逮捕された人は1500人を超える」
とする「世界ウイグル会議」の声明を公表した
日本ウイグル協会
http://uyghur-j.org/news.html
在米ウイグル協会
http://www.uyghuramerican.org//articles/3103/1/Protest-in-Urumchi-violently-suppressed-by-Chinese-government-forces/index.html
2009-07-07 00:59
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高田教授 日本シルクロード科学倶楽部HPより
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警官隊がウイグル人デモ隊に無差別発砲か
新聞報道によれば、東トルキスタンで、中国政府の危険な人権弾圧と思われる事件が発生しています。
以下は、世界ウイグル会議からの情報です。
警官隊がウイグル人デモ隊に無差別発砲か、新疆ウイグル自治区
- Monday, July 06, 2009
2009年07月06日 09:57 発信地:ワシントンD.C./米国
【7月6日 AFP】中国・新疆ウイグル自治区ウルムチ(Urumqi)で5日、暴徒が警察と衝突したとされる件で、在米ウイグル人協会(Uighur American Association)の指導者アリム・セイトフ(Alim Seytoff)氏は同日、中国警察がウイグル人抗議デモ参加者に無差別に発砲したと語った。同氏によると、死者の数は中国当局が発表した3人を上回る可能性があるという。
セイトフ氏は、ウルムチではウイグル人学生が平和的に抗議活動を行っていたとし、抗議デモ参加者が漢民族の住民を襲撃したとする中国政府の主張に強く異議を唱えた。
同氏によると、新疆大学(Xinjiang University)の学生らは、前月中国南部でウイグル人2人が死亡した民族間のけんかの容疑者を逮捕することを求めていたという。
在米ウイグル人協会は、警察による激しい鎮圧のもようを撮影した写真や動画共有サイト「ユーチューブ(YouTube)」に投稿された動画を公開した。鎮圧には1000人の武装警察官が投入されたという。
動画には、多数の人が通りをスローガンを叫びながら行進する様子や自動車がクラクションを鳴らしている様子が映されているほか、建物から煙があがり、銃声のような音が聞こえる場面もあった。一方、写真には暗い通りに横たわる6人の遺体や地面に横たわる3人の人びとや頭部から血を流す男性の姿が撮影されていた。
セイエフ氏に現地のウイグル人住民の話として、中国当局が市内の一部の照明を消しているほか、学生寮などを捜索し、デモ参加者を拘束していることを明らかにした。
(c)AFP
http://www.afpbb.com/article/war-unrest/2618375/4335936
2009-07-07 00:53
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東トルキスタン ウイグル /
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2009年07月06日(月)
7/7 チャンネル桜に 札幌医科大学教授 高田純博士が出演
NHKもうひとつの大罪 チャンネル桜ゲストコーナー収録
チャンネル桜ゲストコーナー・キャスター三輪和雄氏で、
「もうひとつのNHKの大罪」にJ博士が出演し、
中国の核の蛮行、シルクロード犯罪番組、
NHK会長への公開質問状の顛末について語りました。
呆れた回答に、ふたりとも怒る。
8.6広島田母神講演会にも言及。
放送は、来週火曜7.7の予定
チャンネル桜ホームページ
http://www.ch-sakura.jp/
2009-07-06 23:59
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中国の核実験 /
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今日、動画撮影の天才 burenoさんのDVDが届きました。
とってもDVDのデザインが綺麗
もし欲しい方は下記に直接メールされるか
おつるブログにコメントでおねがいしまーーーーす。
非公開コメントでも結構です
*********************************************************
◆bureno.VGA :2009/07/02(木)
ttp://www.geocities.jp/burenovga/D627/DVDR1.jpg
【第3弾 NHK抗議運動 in 大阪】のDVD出来ました。
欲しい方は、burenovga@gmail.comまで、
送り先住所をメール下さい。
送料込みで1枚500円〜です。
(500円以上ならいくらでも大歓迎です!)
袋にUFJ銀行の口座を書いておきますので、
中身を確認してから送金して下さい。
UFJに口座が無く、手数料がもったいない場合は、
次回のデモの時でもOKです。
記録ディスクは、
森メディアにしようと思ったのですが、
傷に強いTDKの超硬にしました。
2009-07-06 23:48
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台湾 NHK抗議 /
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7/7麻生総理バチカン訪問
フランチェスコさんに教えていただきましたが
麻生総理のバチカン訪問が、ローマのカトリックサイトに紹介されています。
http://www.zenit.org/article-26314?l=english
↓
Japanese Prime Minister to Visit Vatican
VATICAN CITY, JUNE 28, 2009 (Zenit.org).- Benedict XVI will receive in audience the prime minister of Japan next month, which will be the second high-level meeting between the Vatican and the Asian country this year.
The Union of Catholic Asian News revealed Friday that Japan's Catholic prime minister, Taro Aso, will visit the Vatican on July 7, the day before the opening of the Group of Eight Summit in L'Aquila, Italy.
Last March, Archbishop Dominique Mamberti, the Vatican's foreign secretary, became the first Vatican top diplomat to make an official visit to Japan in the 67-year-history of bilateral relations, which were established in 1942.
Japan's ambassador to the Holy See, Kagefumi Ueno, told ZENIT last week that Archbishop Mamberti's 6-day visit "assisted in shortening a sense of distance existing between the two countries."
The last Japanese prime minister to visit the Vatican was former Prime Minister Keizo Obuchi, who visited Pope John Paul II in 1999.
There are 1 million Catholics living in Japan, out of a total population of 127 million.
ひとりごと・・・・
ところで、7月4日に計7発も日本海に向けて北朝鮮ミサイルが発射されましたが、
カトリック正平教
また「事務局長名笑」の抗議はまだかな。
また麻生総理宛てに出すのか???
そして
憲法20条がどうのこうのって言ってますが
小泉首相の靖国参拝に反対したように
麻生総理のバチカン訪問は 抗議するの??
矛盾だらけの カトリック正平教〜〜〜 ♪
憲法9条で平和だなんて嘘ばっかりーー♪ ミサイルどんどん飛んできてるやん
武者小路公秀氏は、金正日賛美だそうですが、日本へのミサイルも賛美してるのかな。
2009-07-06 03:57
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キリスト教 カトリック |
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今日は、あーちゃんのお宮参り
カトリックのクリスチャンのわたしだけれど
多田神社は大好きな神社
多田神社ホームページ
http://www.tadajinjya.or.jp/top.html
東京にも分社があるそうで徳川家も祀られているそうです。
そして遠い御先祖様の祀られている神社
あーちゃんのママ、パパと
パパのご実家は クリスチャンではないので
日本人としては、お宮参りは自然なこと。
まずは あーちゃんに可愛いベビードレスと靴下を着せて
あーちゃんママには着物を着せて
多田神社へ
手を清めて、御参りの受付へ
御宮参りにはいろいろと日本のしきたりがあります。
ま赤ちんの着物を用意するのは 母方の実家
赤ちゃんの着物は、娘が着て、七五三にも着せたものを
もう一度 縫い直して用意しました。
神殿に入る前には 赤ちゃんを パパのお母様が抱っこ
そして 赤いおべべを着せて
お母様がことづかってこられた【紐銭】をたくさんぶら下げて
ピンクの可愛い帽子とよだれかけを着せました。
神官は若い方でしたが
【紐銭】のつけ方や 赤ちゃんのおでこに母親の口紅で
女の子は小と書くと 丁寧に教えてくださいました。
神殿にあがり、正面にお母様をはさんで パパ、ママ
そして私たちは後ろの席で、お参りです。
静かで時折 鳥の声がする森
そこに厳かな祈りの声が響いて とても感動しました。
赤ちゃんのパパが代表で 榊を供えました。
あーちゃんは、静かに寝ていましたが
なぜか、急におお泣き。
実は、このときに赤ちゃんが泣くといいと言われています。
御先祖様が赤ちゃんに会いに来てくれるのかな・・・
記念撮影は神官の方が撮影してくださいました。
無事にお参りが終わりました。
暑い中でしたが、何組か他にも お宮参りのご家族が
来られていました。
中には、ヨーロッパの外人の方も赤ちゃんを連れて
御参りされていました。
みんな笑顔で 無事一か月を迎えたことを幸せに思います。
今度は、カトリック教会の神父様にも
祝福をしていただきに行こうと思っています。
仲睦まじい パパとママ
若いけれど、しっり子育て頑張っています。
その後は、かぐらざかという お料理やさんへ
http://www.kagurazaka.cc/
とっても美味しいお料理で、お話もはずんで
なんと2時間半も過ごしてしまいました。
ここでも仲良し夫婦
うれしそうなジーニー
幸せいっぱいの一日でした
ジャンヌダルクの記念日に生まれ、
龍を退治した 源満仲と
酒呑童子という鬼を退治した 源 頼光さんの
勝利の神様の神社で 御宮参りをした あーちゃんは
とっても強くたくましい大和ナデシコになりそうです
2009-07-06 02:31
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おつるの日常 /
神道・古神道 /
多田神社 |
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土曜日は、朝から車を飛ばして カトリック箕面教会へ
地区のお掃除当番です。
少し遅れて到着すると、早くから来られている
先輩女性信徒さんたちがもうほとんど お掃除を済ませておられました。
おつるは、少しだけ残りの部分をお手伝いして
そのあと、地区長会議のご報告ミーティング。
今期も地区長に推薦されて、他になられる方がいなくて
お引き受けしました。
でも、おつるは、名前だけの「地区長」で
日曜日以外は教会に行けないし、日曜日も用事で行けないことも
ありますし、お掃除やミサのためのお花の準備や
信徒会館の飲み物などの用意や バザー、連絡網など
何もかも 同じ地区の先輩女性の方々が すごく優しくて
「あなたは、仕事もして忙しいから名前だけでいいのよ」とみんなで
してくださるのです。
とても申し訳ないのと同時に感謝でいっぱいです。
いつも笑顔で、優しくて思いやりがあって明るくて
教会のために、もくもくと掃除や花壇の手入れなどを
して下さったり、私ができないことを、いつも助けて下さる。
平日にお葬式などがあってもいけない私ですが
いつも オルガンを弾きに駆けつけたり
私が休みの時は、聖歌隊の練習でいつもオルガンを弾いてくださる方
そういう方々が支えて下さることに感謝。
幸せです。 とても恵まれていると思います。
うちの教会の先輩女性信徒さんたちは、品格があって
綺麗で、お洒落で心も見た目も美しい。
御掃除のあと、一緒にお茶とお菓子でおしゃべりして
とても楽しくて幸せに思えました。
私はクリスチャンになってよかったなと思うことのひとつに
この尊敬する女性たちとの出会いがあります。
ロザリオの昔の「めでたし〜」の言葉がすきとおっしゃる方も多く
聖歌隊のラテン語やグレゴリオ聖歌にいつもほめて下さったり
私のつたないオルガンをほめて下さったり
わたしはカトリック箕面教会が大好きです。
************************************************************
その後、いったん家に戻り
チャーハンを作って家族に食べさせて〜
サッカートレーニングの半そで 半ズボンに着替えて
神戸のサッカー練習へ
久しぶりに練習です。
今日は、人数が少ないので みっちり監督のもとで
パスまわしと シュート練習
ボレーシュートもたくさん練習しました。
監督が優しくて、ほめてもらえてうれしい♪
いっぱいいっぱい シュート練習で思いきり ボールをけると
嫌なことなんか ボールと一緒に飛んでいくーーーーーーー
そして大好きな先輩のキャプテンややぶちゃん
そしてチームのみんなと笑顔で
暑い暑い中で 汗びっしょりいて幸せ♪
世の中の イライラした人たち
心が暗くなっている人たち みんなみんなサッカーとか
スポーツで汗流すと元気になるよ。
汗いっぱいかいて、まっ黒に日焼けして
気持ちいー カ・イ・カ・ン♪
そして帰宅後のビールは 最高ーーーーーー
今月は、7/12(日)が兵庫県リーグ
7/19(日)が関西大会 26(日)関西大会決勝
(超強い 京都バクティさんがやってくるー)
そのため教会はしばらくお休みします。
ごめんなさい。
勝利めざして がんばろうーーーーーーーーーー
********************************************************
カトリック箕面教会の女性
サッカーチームの女性
大好きです。 かっこいいです。
2009-07-06 01:07
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サッカー フットサル 大好き /
キリスト教 カトリック |
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2009年07月04日(土)
私は、大阪のNHK抗議活動に参加していますが、
実は兵庫県民です。
そして私の住む場所は、陸上自衛隊伊丹に近く、子供の頃からの
自衛隊ファンです。
そして阪神大震災では、恩師の先生のお嬢様が亡くなられ
何度かその激震地であった亡くなられた場に
おまいりさせていただきました。
ふと、NHKの阪神大震災時の時の報道姿勢はどうだったのか・・・
兵庫県民としてとても気になりました。
私はこの自衛隊さんの阪神大震災復興支援の動画を見て
泣きました。
こういうことをNHKは報道すべきです。
1995年阪神淡路大震災復興支援。別れを惜しむ自衛隊員と被災者達。
調べてみると、こんな声が・・・・・
「阪神淡路大震災当時、NHKの連中がタクシーを独占、強引な
取材繰り返して現地で顰蹙買ってた」
「自衛隊による被災者の救援活動は一瞬たりとも放送しなかったのもNHKだ」
「NHKは黒塗りの車で乗り付けて取材と称して、救助活動を邪魔したことも有名」
「阪神大震災の被災者だったが、メディアの横暴ぶりは滅茶苦茶。
特に群を抜いていたのがNHK。」
「黒塗りのハイヤーで徘徊し、同情する振りをしながら、自分らは高級弁当を
食いながら、放送時以外は被災民を罵倒する始末。」
「NHK。。。自衛隊の人たちと口論してる。。道路の真ん中にいてカメラうつしてるんだもの。」
やっぱりNHKの報道姿勢は、あの当時も今もおかしいのね。
***********************************************
参考:●「災害報道」http://www.lcv.ne.jp/~kobamasa/saigaihoudou.htm
●「NHKの実態」http://www.lcv.ne.jp/~kobamasa/index.htm
*********************************************************************以下、チャンネル桜HPより
http://www.ch-sakura.jp/topix/1054.html
【原告募集!】 NHK集団訴訟 「訴訟委任状」提出のお願い
− 引き続き、第二次原告募集中!
※ 第二次・原告募集の受付は、総原告数1万人を目途に締め切らせていただく予定です
2009-07-04 01:08
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台湾 NHK抗議 /
自衛隊 |
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2009年07月03日(金)
一人の漢人が失業した腹いせにネットにデマを流したことで、
漢民族がウイグル人を襲撃 し大規模な衝突事件に発展。
事件が起きたのは2009年6月26日未明、中国広東省に ある玩具工場。
工場ではウイグル地域から強制連行されたウイグル人労働者が
働かされて いた。
ウイグル人、81人、漢人、39人が負傷。
2人のウイグル人が死亡。
ネット上の 映像では警察が衝突を止める様子はない。
事件後、ウイグル人労働者600人全員が警察 によって工場から
別の場所に移送され行方不明。
これまでの報道は死傷者のほとんどが
ウイグル人であることを証明している。
今回の衝突の原因が何であろうが、政権の強制力によって東トルキス タンから中国本土に強制的に移送されている
ウイグル人労働者たちが移送先で大漢族主義の犠牲になり、
集団虐殺の対象になっていることは証明された。
中国政府はウイグル族に対する民族同化・浄化・抹殺を加速させる目的で、
2003年以来東トルキスタンから数十万人ものの若いウイグル人(大多数が若い未婚女性)を
計画的・組織的に中国本土に強制連行している。
中国政府のこの悪質的な政策は、
ウイグルの祖国東トルキスタン国内外のウイグル人の反発を呼んでいる
2009-07-03 01:36
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チベット・ウイグル・サウスモンゴル 三民族 /
日本シルクロード科学倶楽部 /
東トルキスタン ウイグル |
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━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
【特別号】 陸軍史あちらこちら−(18) 荒木肇
『森鴎外は脚気(かっけ)蔓延の戦犯か?』−上−
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
▼結核にならぶ国民病「脚気」
国民病だった「脚気(かっけ)」。
昭和30年代の終わりまで、健康診断といえば、足をぶらぶらさせて膝の下を叩かれました。軟らかいゴムがついたお医者さん用の道具があったのです。ぴょこんと足先が反応しなかったら脚気。いまはほとんど見られなくなりました。
脚気の原因はビタミンB1の摂取不足でした。わが国ではすでに平安時代の文学にも登場します。「落窪(おちくぼ)物語」には『カクビヤウいたはりて』とか、「枕草紙(まくらのそうし)」にも『アシノケののぼりたるここちす』などとあります。『キヤクキ』と書かれているのが脚気です。当時の上流階級は、今と変わりない精米を食べていました。その代わり、副食が実に粗末でした。仏教を信じれば、肉食はできません。貴族の間ではこの病気はたいへんなじみ深いものだったのです。
症状はまず、向こうずねのむくみから始まりました。脚の感覚がにぶくなる。ふらつくようになって、少し動くと、動悸がします。これが進むと息切れが始まり、ついには起きあがれなくなる。突然、重体になって、心臓麻痺になって死んでしまうこともある。
徳川将軍たちも、この病にかかったことが知られています。3代家光、13代家定(篤姫のご主人)、14代家茂も大坂へ下って同じ症状、脚気衝心(しょうしん)で急死しました。
対症療法は麦を食べることだったそうです。江戸や大坂、京都の町人たちも、この病気に苦しめられていました。ただ、田舎から奉公にきた若者や、武家屋敷に働く地方出身の若い人たちがかかることが多かった。「江戸わずらい」などと言われ、故郷へ帰ると不思議に回復したといいます。
漢方医たちは経験的にそのことを知っていて、主食に注目しました。白い米を食べさせず、麦や雑穀を与えます。すると、たちまち健康は取り戻せたのでした。
文明開化の世の中で、脚気にもっとも苦しめられたのは陸海軍でした。すでに明治3(1870)年ころから脚気は世間に流行し始めていました。そうです。不思議なことに脚気は流行もしました。しかも、発生は夏に激しく、冬はあまり目立ちません。
海軍は1875(明治8)年、江華島(こうかとう)事件で朝鮮軍と砲火を交えました。このとき、わが軍艦雲揚(うんよう)の艦上では恐ろしい事態が起きていたのです。乗員の大部分が脚気の症状を見せていたのでした。健康だったのは士官たちと、一部の下士官兵のみ。陸戦隊を編成するのも大変だったようです。
▼陸軍の兵食改正の挫折(ざせつ)
陸軍の悲劇は西南の役(明治10年/1877年)のことでした。熊本城にこもった鎮台兵たちに脚気が発生しました。城内の病死者75人中、脚気が7人でした。この病気は死亡率が案外低く、ふつうは1〜2%であることから考えると、数百人が脚気患者だったのだろうと研究者は言っています。
その頃、陸軍は平時でも毎年、兵員総数の30〜40%の脚気患者を出し、死者も2%から3%が報告されていました。
では、陸軍は何の手も打っていなかったのでしょうか? いいえ、軍医たちは懸命になって、原因を考え、治療をし、対策を考えていたのでした。しかし、なかなか有効な手が見つかりません。陸軍は伝染病だと考えて、さまざまな衛生対策をとりました。
兵舎を清潔にする、訓練を涼しいうちに行う、室内では泥靴を禁じ、腰かけると「むくみ」が出やすくなるのであぐらをかかせるなどです。できるだけ滋養の高い物を食べさせる、そういった対策もとっていました(ただし、抵抗力をつけようという発想で、脚気そのものの対策ではない)。
ビタミンの発見は20世紀になってからです。当時は、栄養素といえば、脂肪、タンパク質、炭水化物しか知られず、あとは塩くらいでした。
1873(明治6)年の兵食規定によれば、下士官・兵卒の区別なく、1日白米6合、賄い料は6銭6厘となっています。その6銭6厘で牛肉24匁(90グラム:2銭2厘)、魚菜(2銭4厘)を中心に、ミソ、漬け物、醤油、茶、かつお節、薪(まき)代などをまかなうわけです。これでは、とても栄養たっぷりの副食など望めません。
医学史学者の山下政三氏は、『軍中枢で決定した白米飯と副食を、軍の付属機関にすぎない軍医部が勝手に変更することなど、できる道理はなかったのである』と書かれています。
そうです。軍医はたしかに軍人ですが、軍の官僚としては、その地位は低く、発言権もあまり大きいものではありませんでした。よく、森鴎外なども軍医中将といわれ、その官階の高さや地位から軍内での地位が高かったかのような誤解があります。でも、旧軍の軍医は「将校相当官」といわれ、軍隊指揮権をもつ「兵科将校」とは一線を画される存在でした。
陸軍軍医部は、手をこまねいていたとか、怠慢だったとかの批判を受けています。森鴎外などは日清・日露の戦争での脚気患者をつくり出した「戦犯」のようにいわれています。しかし、それは、現在の知識で見た偏見と、当時の軍制をよく知らない誤解のせいであると思います。少なくとも、1882(明治15)年の軍医部の「兵食改善の上申」を握りつぶしたのは当時の軍中枢にいた人たちでした。
鴎外の東京大学医学部の同期生である小池正直は当時、大阪陸軍病院に勤務していました。彼は、次のように兵食の改良について述べています(山下氏の著作『鴎外森林太郎と脚気論争』による)。
『人は1日に少なくとも120グラムのタンパク質と、420グラムの無窒素物(炭水化物と脂肪)をとる必要がある。しかも、比例が大切で窒素と炭素は1:13、もしくは15。タンパク質と無窒素物の比率は1:4ないしは5が標準になる。英・仏・独・オーストリア・アメリカの兵卒の食糧をみると、タンパク質が120〜160グラム、タンパク質と無窒素物の比例はおおよそ1:5以上になっている。だから、わが国の兵卒の食糧も同じようにする必要がある。
米の分析表を見ると、精米6合のタンパク質は約63グラム。無窒素物は703グラムあまりで比例は1:11.16である。これはバランスが悪い』
この後、精米6合はどうにも問題だとしています。パンにしろという人もいるが、これはたわごと。米の脂肪とタンパク質の不足は魚と植物で補うのがよい。牛肉は高価な上、嫌がる者もいる。そこで、魚と安い豆腐でこれに代えよう。魚を200グラム、豆腐を500グラム支給すれば、各国の兵食の比例に等しくなるし、養分はかえって良くなる。
実にまともな意見ではありませんか。この意見は、陸軍軍医本部長松本順の名前で中枢部に提出されますが、握りつぶされてしまいます。
これは予算の面もあったでしょう。当時、西南戦争の後始末で、国家財政、ひいては陸軍予算も切りつめられていました。陸軍の兵員は4万名あまり。食事のことにまで気が回らないというのが本当だったのでしょう。
▼海軍の高木軍医、兵食の栄養不足に注目
これに対して、海軍は高木兼寛(たかき・かねひろ)という軍医が、食事の改善こそがただ一つの脚気対策であると主張し、大きな成果をあげました。高木は和食を捨て、洋食を食べさせる。そうすれば、留学先のイギリス海軍のように脚気は発生しないと主張しました。
高木海軍軍医総監は渡辺淳一氏の著作『白い航跡』で広く知られています。のちに男爵を授けられ(1905年)、人々は「麦飯男爵」というあだ名で呼びました。慈恵会医科大学の創設者でもあります。
1849(嘉永2)年、宮崎県生まれです。生家は島津家の下級武士といいますから郷士身分だと思われます。父親は近在では知られた大工でした。兼寛は幼い頃から、学ぶことが好きで、オランダ医学を石神良策(薩摩藩士:海軍軍医制度の創設者)に師事し、戊辰戦争では野戦に官軍の軍医として出征しました。
1872(明治5)年に石神に誘われ海軍軍医になり、1875(明治8)年にはロンドンのセント・トーマス医学校に留学。最優等の成績で卒業、1880(明治13)年に帰国します。高木が学んだのはイギリス医学の現場実践を重んじる姿勢でした。
高木は帰国早々、脚気対策に取り組みます。そこで彼が目をつけたのは下士官・兵員の食事でした。長い英国生活で、もっとも気になっていたのが日本人の食生活だったのです。
「銀シャリ(白米)を腹一杯食べる」、これが江戸時代の都会生活の魅力でした。明治になっても陸海軍に入営、入団した兵士たちにとっては、白米を食べることが最高の幸せでした。米ばなれをした現代の我々からは想像もしにくいことですが、当時の人は米で栄養のほとんどを摂っていたのです。兵の食料は1日、精米6合(900グラム)とされていました。茶碗にして10杯以上です。副食は漬け物や、野菜の煮付け、時たまに魚というところでしょう。それに塩辛いみそ汁くらいです。
高木は食事の中味の改善を考えました。目をつけたのは炭水化物とタンパク質の比率です。イギリス陸海軍ばかりでなく、ヨーロッパには脚気はありません。彼は、その比率を肉食中心の洋食は5:1、それに対して和食は28:1にもなるというのです。そこで、高木はパン、ビスケットと肉を支給してみることにしました。すると、どうでしょう。みごとに、脚気患者は激減したのです。
実は、当時の海軍は「無標準金給時代」といわれていました。かんたんに言えば、みんなに現金を渡し、何を食べてもよいとしていたのです。1880(明治13)年の規定では、艦船乗組者は1日18銭、陸上部隊では15銭でした。
航海中は少し増額されました。同じく30銭、外国への航海中は36銭です。当時の物価をみると、盛りそばが1銭から8厘。牛肉が100グラム3銭。鶏卵は高価でした、約400グラムで10銭とあります。牛肉の大和煮や鮭の水煮の缶詰が1個23銭でした。白米はどうだったかというと、10キログラムで70銭ほど。陸軍とおなじように1日6合を食べたら、米代だけで6銭から7銭になります。
高木は調べました。水兵たちの食生活を。すると、彼らは食費を切りつめて、1日8銭ていどに抑えていました。差額をためて、家族に送っていたのです。そうしたことは美談にもなっていました。男子が食い物のことを言うなんて……という時代でもありました。
士官たちは違っていました。食卓料として支給されていたのは1日40銭でしたが、それ以上に自分たちの給料の中から金を出し合ってコックも雇い、なかなかの美食をとっていました。イギリス海軍を師匠として、その貴族性を学んでいたのです。外国人とのつき合いにも会食は欠かせません。
艦長ともなれば身分は上長官(佐官)、1日80銭の支給でした。これでは、艦長以下、士官たちに脚気が出るわけもありません。ちなみに将官は1円20銭。
▼高木海軍軍医の改革成功する
高木は陸軍軍医たちの挫折を横目に、思い切った改革を始めます。
それは壬午事変(1882年)がきっかけになりました。清国海軍と朝鮮の仁川(インチョン)湾でにらみ合ったわが軍艦の兵員の多くが脚気に倒れてしまったのです。金剛・日進・比叡・清輝の各艦では、ほとんど戦闘力なしという状態にもなりました。
その数カ月後にも、オーストラリアへ遠洋航海をした「軍艦筑波」は乗り組み333人中、脚気患者88名を生み、うち5名が死亡して帰国しました。さらに同じ年の年末に出航した練習艦「龍驤(りゅうじょう)」は271日間の外国訪問航海で乗員376名中169名が発症(約45%)、うち25名(約14.8%)が死ぬという悲劇を起こしました。
部内での軍医の発言力の低さは海軍も変わりません。高木はこのころ、医務局の副長でしたが、医務局長名で海軍卿に上申書を出します。
その内容は、『栄養が悪いから脚気にかかる。早く食事を改善したいが、経費の関係もあろう。そこで3隻を選んで3年間、西洋食を食べさせるようにしたい。他の諸艦船では規定の食卓料で食事を作り支給するように』というものです。ところが、将官会議でやはり、『いずれ、実施しよう。それまでに東京海軍病院で少数の患者に実験するがいい』とされてしまいました。
医務局は海軍病院で改革案を実行します。結果は、パン、ビスケット、肉類はけっこう食べられた。健康も増進しました。ところが、ネックは経費です。なんと、港内食(洋上ではない)は1日33銭1厘にも、航海食は39銭1厘となってしまいました。
ここで高木は大ばくち、しかも自らの命をかけた賭けに出ます。天皇に拝謁して、上奏したのです。伝記を読んでも、彼が必死だったことが分かります。まず、脚気の原因は食事内容にあると陛下に断言しました。ドイツ医学が主流だった東大医学部、陸軍軍医上層部の脚気伝染病説を完全に否定したのです。
この頃(明治16年)の政府歳入は8,310.6万円、歳出は8,103万円。海軍省の歳出経常部は308万円です。国家予算のうち、約3.8%にあたります。
海軍の兵員数は5,346人。およそ1日1人あたり33銭として、約64万4千円あまりが年間の食費になります。全経費の20.9%が食費でしめられてしまう。これは、たいへんなことでした。高木軍医大監(大佐相当官)は少し強引なのではないか、そういう批判もあったようです。また、海軍部内でも、お雇い外国人であるアンダーソン医師も伝染病説をとっていました。
しかし、高木の熱意に動かされた最大の存在は明治大帝でした。
さっそくに高木の構想は実現化され、1884(明治17)年2月から海軍は食品を指定した現食給与に変わります。軍艦筑波は高木がつくった献立表をもって2月3日、品川を出航。287日間の遠洋航海を終えました。患者はたった16名、全乗員は333名でしたからわずか4.8%の罹患率でした。
また、国内の艦船や海兵団でも食糧の改善で、患者数は718名になりました。これは前年の1,236名、前々年の1,929名に比べると、たいへんな減少ぶりでした。
その翌年、明治18年には、ついに「麦メシ」の支給が始まりました。パンを嫌って、水兵たちが捨てるという悪習に対応して、ならば、米の代わりに麦をという施策です。挽き割り麦を4割混ぜました。麦の方が、タンパク質の含有量が多いというわけです。そして、これがまた、驚異的な効果を挙げることになりました。
なんと、翌19年には患者数が3人。兵員数は8,475人ですから発症率わずか0.04%。20年、21年にはとうとう患者はいなくなりました。
▼高木の論は東大教授、陸軍軍医のボスたちから批判を受ける
高木は自信をもって脚気対策の発表を行います。食物の炭素と窒素の比例が悪いと脚気になるというものでした。その例として、過去の軍艦乗員の食事内容を調べた数字があげられました。しかし、これは当時の医学者たちから、猛烈な反発がよせられたのです。
衛生学者の緒方正規(おがた・まさのり:1853〜1919)が口火を切りました。緒方は熊本医学校で西洋医学を学び、東大に入学。1880(明治13)年に卒業、翌年ドイツのライプヒチ大学に留学しました。84年に帰国、東大医学部、内務省衛生試験所の教官に就任。わが国に細菌学と実験的衛生学を移植し、発展させた人物です。
緒方は「脚気菌」を発見したと発表しました。あとで間違いだということが分かりますが、当時は「分からない病気は発見されない細菌のせいだ」と欧州でもされていた時代です。また、東京大学生理学教室の助手や、生理学の教授が次々と批判をします。中でも厳しい攻撃は、次のようなものでした。
『麦は米に比べれば、たしかに窒素が多い。しかし、消化試験をすると麦飯の1.5割から2割は吸収されない。麦の中のタンパク質の6割は不消化である。麦飯の不消化なことは米飯の4倍になり、米飯のタンパク質の消化と比べると麦飯のそれの不消化なことは米飯の3倍になる』
だから5合の米飯から得られるタンパク質は8匁あまり(40.2グラム)だが、同量の麦飯からは7匁(26.24グラム)にしかならないという指摘でした。
ビタミンを知る現代の我々にとっては、とんでもない見当違いの議論をお互いにしていたわけです。麦の胚芽(はいが)に含まれるBが有効成分だったのでした。
陸軍軍医の上層部はどうだったか。海軍の石神良策にならぶ巨頭だった石黒忠悳(いしぐろ・ただのり)という軍医がいました。1845(弘化2)年に福島県生まれ、父親は代官の手代だったといいます。
この階層からは、江戸時代を通じて有能な人が出ました。庶民身分ですが、代官所の実務に通じ、勤務中は苗字帯刀を許されます。幕末の外国奉行川路聖謨(かわじ・としあきら)なども大分県日田代官所の手代を父にもっていました。ついでにいえば、開成中学・高校の創設者の1人である佐野鼎(さの・かなえ)も信州の代官手代の出身で、造兵学を学びました。東京の古い私学である麻布学園と開成学園、どちらも低い身分出身の技術系官僚がつくった学校です。
海軍の麦飯支給が効果をあげていた1885(明治18)年、石黒は高木批判を行います。その要旨は次の通りです。
『肉食もだんだん進んできた。ところが、牛肉消費量の多い東京で脚気患者が多い。また、脚気は書生や兵隊に多い。ろくに食事をとれない貧窮者や、肉、魚、鳥などの滋養物を食べない禅僧にはきわめて脚気患者はまれである。脚気で急死する者の9割はみな「多血強壮で体格雄偉な者」ばかりである。脚気は田舎でまれであり、都会で多い。脚気は下等の賤民に少なく、中等生活者に多い。また、転地すると軽快するのはなぜか。田舎の方が滋養の少ない食事をする』などでした。
▼森鴎外の帰国と脚気論争への参入
鴎外にとっては不幸なことでした。この最中に帰国したのです。陸軍期待のホープであり、衛生学を専門に修めてきた軍医。帰国早々、鴎外は高木批判に一役買いました。
次回は、鴎外と高木の論争、日清・日露の戦いと脚気についてまとめてみます。なお、文中に、現在では使われない差別用語がありますが、当時の雰囲気を理解いただくために敢えて、そのまま使いました。
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◆荒木肇経歴
1951年、東京生まれ。横浜国立大学大学院修了(教育学)。横浜
市立学校教員、情報処理教育研究センター研究員、研修センター役員
等を歴任。退職後、生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉
専門学校講師、現在、川崎市立学校教員を務めながら、陸上自衛隊に
関する研究を続ける。2001年には陸上幕僚長感謝状を受ける。年
間を通して、陸自部隊・司令部・学校などで講話をしている。
◆主な著書
「自衛隊という学校」「続・自衛隊という学校」「指揮官は語る」
「自衛隊就職ガイド」「学校で教えない自衛隊」「学校で教えない日
本陸軍と自衛隊」「子供もに嫌われる先生」
いずれも並木書房刊 http://www.namiki-shobo.co.jp/
2009-07-03 01:34
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荒木 肇 先生 /
戦争 /
自衛隊 |
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【特別号】 陸軍史あちらこちら−(17) 荒木肇
特別ルポ「陸上自衛隊第1特科団−現代の野戦重砲兵旅団」
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▼「陸自の隊員はいいな」
蝦夷梅雨(えぞつゆ)と向こうでは言うらしいですね。北海道には前線が停滞する梅雨がないといわれます。それが、この1週間ほとんどぐずついた天気でしたと千歳のM2佐が説明してくれました。
先日、札幌にうかがい、北部方面総監部と東千歳駐屯地の第1特科団で、それぞれ隊員の皆さんにお話をさせていただきました。
北部方面隊とは、外国軍隊でいえば、北部方面軍(ナザン・アーミー)。総監とは軍司令官です。つまり、北部方面総監部とは北部方面軍司令部と訳せます。現在の軍司令官は、わたしの尊敬する酒井陸将(陸軍中将)です。総監はいつも私を招いてくださり、拙い話をする機会を与えてくださいます。そのご厚情に深く感謝しています。
総監部での講話のテーマは『歴史学と歴史教育のあいだ』と題して、主に総監部勤務者の幹部(士官)の方々を対象としました。私自身が体験してきた歴史授業の中での検討や議論が必要な問題点。それに私の研究テーマ、大正時代の陸軍と学校教育の関係などをお話できました。
終わってから会費制の懇親会がありました。隊内の厚生棟にある集会場では、率直な感想や意見をいただくことができて、とても元気が出ました。医官の方々をはじめ、さまざまな職種の自衛官方がおみえでした。
軍とは複数の師団や旅団を隷下(れいか:指揮下におくこと)にする組織のこと。北海道には北鎮第2師団(旭川)と機甲第7師団(千歳)、第11旅団(真駒内)、第5旅団(帯広)と第1高射特科団(防空砲兵旅団)、第1特科団(野戦重砲兵旅団)、その他の部隊が道内の各地に駐屯しています。
札幌から車でほぼ30分。千歳市内には東千歳、北千歳と2つの駐屯地があります。東千歳には第7師団司令部とその隷下部隊の一部、高射特科団本部と高射特科群などが駐屯し、道内最大の規模です。駐屯地の外周はおよそ10キロメートルといえば、広大さがわかります。そこに隊員6,000人がいます。師団司令部では荒川師団長、西村副師団長が昼食のカレーをご馳走してくださいました。
北千歳駐屯地までおよそ15分。こちらには、第1特科団本部、71戦車連隊、第1特科群(野戦重砲兵連隊)、第1地対艦ミサイル連隊、そして第101特科直接支援大隊、ほかの支援部隊が駐屯しています。駐屯地の外周は、およそ4,000メートル、隊員は2,000人。
ここでは長いつき合いの日高将補(第1特科団長:少将)が迎えてくれました。研修として203ミリ榴弾砲(榴=りゅうが当用漢字にないので、自衛隊ではりゅう弾砲と書く)やMLRS(多連装ロケットシステム)、地対艦ミサイル(SSM)などの訓練を参観させてもらえました。
午後になってからの講話は、曹士諸官や事務官が主力。OBの方々もみえていました。主に若い隊員さんたちへのエールとして『忍耐と自信』というお話をしました。コミュニケーションとは情報と感情を交換すること、異文化への忍耐心や寛容性を作っていこうというテーマでした。うなずきながら聞いてくれる若い顔がいっぱい見えました。
夕食を日高将補と千歳の街でとって帰る途中のことでした。「団長!お疲れ様です」という若い声が聞こえました。ふり返ると私服に着がえた隊員たちです。居酒屋から出てきたばかりのようでした。
「先生!今日はとってもいい話をありがとうございました、すごく役に立ちました」と帽子をとって挨拶してくれました。
「こちらこそ、元気をくれてありがとう」。気の利いたことが言えずに、そんな返事をしただけでした。
声をかけてくれたのは若い陸曹たちでした。いいな、陸自の隊員はいいな。ほろ酔いだったはずの酒がもっと回ってしまいました。
▼師団特科と旧軍師団野砲
整備工場の前には3台の大砲がありました。周囲には無造作に野天にパークされた火砲がならんでいます。そうです。陸自の大砲は原則的に野外駐車です。冬に行けば、火砲も戦車も、トラックも雪にうもれ、シートがかけられているくらいのものです。
第1特科団というのは、旧軍や外国軍では野戦重砲兵旅団のことになります。団というのは、連隊や群、大隊などをいくつかまとめる単位です。陸自は発足時に、再軍備という批判をさけるために、特別な言葉をたくさんつくりました。歩兵は普通科、砲兵は特科、工兵は施設科などです。特科はのちに、対空射撃をする高射と野戦に分かれました。
第1特科団は、総監直轄の機動打撃集団になります。特科(砲兵)を理解するには、まず、その2つの種類について知らなくてはなりません。どちらも砲兵ですが、歴史的にはずいぶん違うものです。
1つは師団特科です。師団長の指揮のもとに、隷下の普通科(歩兵)連隊(以後、普連とします)に分けてつけます。連隊としての集中運用もできますが、基本的には各普連に1個大隊ずつ分属させるのです。こうすれば、普連には重火器としての迫撃砲がありますが、155ミリの榴弾砲の支援を受けることができます。いま、師団特科連隊や旅団特科隊は口径155ミリ、トラックなどで牽引(けんいん)されるFH70という榴弾砲が装備されています。
旧陸軍の野砲兵連隊では口径75ミリの6頭の馬でひく野砲が主力でした。他には10糎(センチ)榴弾砲が4門という「十榴(じゅうりゅう)中隊」もありました。昔と比べると、たいへんな進歩でしょう。
ところで、師団特科連隊といいましたが、現在、師団によっては改編で「特科隊」に縮小されている部隊もあります。
旧陸軍の装備した師団野砲の性能をみてみましょう。95式野砲(仮制式1937年)、口径は75ミリ、砲車重量1,108キログラム。最大射程は10,700メートル、弾量は6.34キログラムです。機動90式(1935年制式)野砲、口径は同じ75ミリ。弾量もほぼ変わらない6.37キログラム。ただし、砲車重量が1,600キログラムと重く、そのかわり最大射程は13,890メートルと大きくなっています。「機動」とついているのは、馬ではなく自動貨車(トラック)で引くことにしたからです。ゴムタイヤや緩衝バネ、ブレーキなどもついていました。
▼射程距離か?機動性か?
あれ?と思われた方もいるでしょうね。というのは、新しい、つまり後から開発された方の最大射程が短くなっています。書き間違いではありません。
改造38式(1926年制式)、最大射程11,500メートル、重量1,135キログラム
機動90式(1935年制式)、最大射程13,890メートル、重量1,600キログラム
95式(1937年仮制式)、 最大射程 10,700メートル、重量1,108キログラム
これは昭和戦前期の「野砲論争」と、その後の想定戦場の違いが生みだしたものでした。
90式野砲は、フランスのシュナイダー社が基本設計をして1930(昭和5)年に大阪造兵廠で試製されました。ここでは新しい技術が使われました。砲身を作るときに、オートフレッタージュ(自己緊縮法)を採用しています。これで欧米陸軍と同じ単肉自緊(たんにくじきん)砲身を実現できました。
これまでの砲身は、「外とう」という外側の砲身に、「内とう」という内側をはめ込んでいた製造法をとっていました。つまり2つの肉があった。重さもあったし、何より射撃で砲身が熱してくると歪(ゆが)みも出やすい。それが、金属の性質を巧みに利用して実現化したのが自己緊縮法でした。砲身の重量も軽くなり、強くもなった。製造工程も減らすことができました。
砲を発射すれば、その反動で砲全体がうしろへ動きます(後座:こうざ)。それを防ぐのが駐退機(ちゅうたいき)であり、元の位置にもどすのが復座機(ふくざき)、あわせて駐退復座機という。それも砲身に固定して後座する部分の重さを増やしました。
それで少しでも後座量(うしろに下がる距離)を少なくしようとする工夫です。また、砲口制退機(ほうこうせいたいき:マズル・ブレーキ)も初めてつけました。砲口についているリングのようなものです。これも少しでも反動を殺そうという工夫でした。
さて、さらに改良されたのが砲の脚(あし)です。砲車は名前の通り車輪が2つついています。やはり2輪の弾薬車と連結して、4輪のトレーラーにするためです。射撃時には脚をしっかり固定します。この脚が初めて開脚式になりました。移動の時は1本にまとめますが、射撃準備で2本にして2点で砲を支えます。つまり、脚を開くわけです。これは、左右の方向を変えるとき、上下に砲身を操作するとき(つまり、遠距離を撃つなら砲身を上にあげる)の制限を減らすことになりました。それまでの単脚式では砲尾が脚にあたってしまったからです。
ところが、作戦運用を担当する参謀本部から苦情が出ました。90式は「重量過大」だというのです。射程距離の不足には運動性を高めれば良い。つまり、軽快に動き、陣地転換もかんたんにすれば、敵に近づいて撃てる。そうすればよいという主張です。第一、馬が6頭でひくのだ。重いのはよろしくないという。
野戦砲兵学校では、冗談じゃない。射程距離が何より大切なのは、過去の戦訓、世界大戦でも証明済みではないか。この砲が近代的な陸軍建設には欠かせない。参謀本部は何を言っているのかと大反撃。
論争に、いったんケリがついたのが満洲事変(1931年)です。関東軍に配属されていた第2師団で90式野砲の部隊実験が行われました。結果、多少の重量増大の欠点も、射程の長さを増やすメリットで十分おぎなえるとなったのです。
野戦砲兵学校の正しさは証明されました。さらに機械化師団の野砲としてトラック牽引を前提にした「機動」90式野砲も開発されました。パンクレスのタイヤをつけ、最大時速45キロで行動でき、ノモンハンでも活躍したのです。
では、射程の短い95式野砲は、どうして開発されたのでしょうか? それは、想定される戦場が変わったからです。満洲事変の稿でも書きましたが、満洲の建国は日ソ勢力圏を大きく北におしあげました。それまで、主戦場に考えられていたのは中西部の平原地帯でした。大きな射程距離も必要とされたわけです。ところが、新しい計画では、東部ソ満国境に変更になりました。沿海州方面です。
一気にウラジオストックを突く計画でした。そこの地形は単純ではありません。湿地あり、山あり、谷ありの当時の言葉でいえば錯雑地(さくざつち)です。また、ソ連軍の国境陣地の縦深(じゅうしん)が大きくなっていました。つまり、守る陣地がうすっぺらなものではなく、縦に何列も並んでいる。あるいは、何線にも築かれているわけです。
そうなると、歩兵を中心に攻撃するわが軍は、突撃支援のために軽快な野砲が必要になるということになります。95式野砲の構造は、ほぼ90式と変わりません。砲口制退機もなくし、軽くなったぶんだけ射程は短くなりました。
▼司馬遼太郎の思い違い
ところで、ノモンハン事件(1939年)といえば砲兵戦というイメージがありませんか。わが砲兵は射程の短い砲をもっていたので、ソ連軍の長射程砲に負けたともいわれます。わが陸軍の砲は軽くて射程が小さかったのです。
その理由について、司馬遼太郎氏は、『坂の上の雲』の中などで、国民性のせい、もしくは当時の軍人のけちくささのためとしています。参謀本部の軍人を中心に、どうしても世界標準より小さなものを選んだと低い評価をするようです。
私は司馬先生のように国民性について深く考えたことはありませんが、ちょっとその決めつけにはひっかかります。運搬手段だった馬のことについて論じられていないからです。別の機会でも語りますが、わが国の在来馬では大きな砲を牽くことは難しかった。馬の体格がちがうのです。昔からわが国の馬は背までの高さが4尺(約120センチ)を規準として、それを超せば堂々たる大馬でした。司馬先生の経験は戦車連隊です。馬の世話に明け暮れた砲兵や輜重兵の苦労が分からなかったのかも知れません。
明治政府も陸軍も、なんとか馬を改良しようと躍起になりました。でも、こればかりは時間がかかります。輸入馬との交配を重ね、世代を重ねなければなりません。
北清事変(1900年)のときでも、「日本の騎兵はポニー(小馬)に乗っている」と欧米人から驚かれたぐらいです。
射程の違いといいますが、それを伸ばすためには砲の重さを増やせばいい。各部分を頑丈に造っておけば、たくさん火薬もこめられたし、大きな弾丸も撃てました。
しかし、悲しいかな、わが国の砲は馬で引っぱることが前提なので、各部の強度はそれに合わせてあったのです。では、ソ連のようにトラクターで牽引すればいい。そうは言っても、今度は石油の補給です。わが国にはふんだんに石油はありませんでした。対して、ソ連はこの時代、たいへんな石油大国でした。どうも、歴史書には、このあたりの重要な事実がわざと書かれていないようです。
大砲全体を(しかも高価な特殊鋼で)重く造って、キャタピラー式の牽引車をたくさん生産する。大量に弾薬を製造して戦場に、これまた大量のトラックで運ぶ。砲身内部の摩耗(まもう:すり減ること)も気にせず撃ちまくる。内部のライフルがすり減って命中精度が悪くなったら、さっさと後方へ送って交換してしまえばいい。これが当時のソ連のやり方です。
すべてに反対の条件があったのが、わが国です。牽引車もありました。トラクターは造ることもできました。トラックだって、当たり前ですがありました。ただ、その数量がいかにも少なかった。そういう国だったのです。弾薬は高価なので撃ちまくるわけにはいきません。砲身内部の摩耗だって、とても気にしていました。
ソ連は当時、スターリンの独裁時代にあたります。当時のわが国よりはるかに全体主義国家でした。農民が飢え死にしようと大砲やトラックは造られたのです。
▼155ミリ榴弾砲FH70
自衛隊の師団野戦砲は155ミリ榴弾砲FH70です。西欧諸国の標準装備として、世界各国で使われています。開発が始まったのは1960年代の初めにさかのぼります。
イギリス、西ドイツ、イタリアの3国が共同で開発しました。1978(昭和53)年には量産型が完成し、わが国では日本製鋼所がライセンスを得て1983(昭和58)年から生産を始めたのです。発射姿勢をとると、タイヤを上げてしまって、円盤の上にのります。射撃方向を変えるのがたいへん便利になっています。また、小さなエンジンをつけていて、自分で動くこともします。「撃てば撃たれる」のが現代砲兵の宿命です。撃ったらすぐに移動する。そうすることで生存性を高める工夫がされています。
2001(平成13)年3月までに、合計479門が陸自に納められました。全備重量は9.6トンですから、旧陸軍の野戦重砲の代表だった96式15糎榴弾砲(4,140キログラム)と比べると2倍以上です。射程は通常弾で24,000メートル。噴進弾(ロケット補助推進弾)であれば30キロメートルになります。これも戦前の15榴の11,900メートルと比べれば、その能力の差は3倍近いものです。弾丸の重量はおよそ40キログラム、1門を操作するのは9人。1分間に最大6発が撃てるとのこと。
▼第1特科団(野戦重砲兵旅団)の装備MLRSと203ミリSP
特科(砲兵)の2つ目は「軍直轄砲兵=ぐんちょっかつほうへい」になります。ふつう、大きな威力をもつ大型砲を装備しています。旧陸軍には、野戦重砲兵、要塞砲兵、攻城砲兵という部隊がありました。要塞砲兵はその名の通り、全国各地の軍港を守り、海峡を警備する要塞におかれた砲兵です。対軍艦の砲戦を考えていましたから、その装備は大口径の加農砲(カノン砲)でした。攻城砲兵は野戦にでますが、主に囲壁(いへき)に囲まれた市街や要塞を砲撃しました。
第1特科団は北部方面総監の直轄部隊です。有事の際、重点地域に投入されます。その打撃力もたいしたものです。
まず、3個の地対艦ミサイル連隊は道内の北千歳、美唄(びばい)、上富良野に展開しています。また、第1特科群の一部は美幌(びほろ)と北千歳(主力)に、第4特科群はミサイル連隊といっしょに上富良野です。特科群の装備は、MLRSと203ミリ自走榴弾砲になります。
まず、MLRS(多連装ロケットシステム)について。これは特科群の中に大隊で編成されています。自走の発射機は、キャタピラーで走ります。これに指揮装置と弾薬車などで1セット。発射機は重量がおよそ25トン、全長7メートル、幅が3メートルもありました。乗りこんでみると、後ろに大きな発射装置があるので、なんとせまいこと。
左から操縦手、中央に射撃手、右側に車長がすわります。操縦手が握るのは、昔、マンガで見たことがある古い旅客機の操縦桿のようなハンドルです。ローマ字でいうとW型です。カーブでは意外と小回りのきく感じで、ドライバーも操縦桿をちょっと回しているように見えました。
正面の窓にはブラインド式の装甲板があり、手で開閉できました。車長席の真上には、円形のくりぬきがあって、座席に立てば外がのぞけます。右や左の窓も可動式の装甲板でふさぐことができます。敵の砲弾の破片や、小口径の弾丸から乗員を守り、何よりロケットの噴射火炎から乗員を守るそうです。
発射装置は12連装になっています。ロケット弾はM26といわれる多目的弾です。最大射程はなんと30キロメートル。弾の直径は277ミリメートルで全長は3.94メートル、弾頭重量は159キログラムだそうです。
しかも、その弾頭の中にはM77といわれる子弾が約600発も詰められています。子弾にはやはり炸薬(さくやく:爆裂する火薬)が入っている。1台の発射機で制圧できる面積はアメリカン・フットボール場の6面。1個大隊18両が一斉射撃をしたらたいへんなことになります。わが国の海岸に、着上陸作戦をおこなおうとする侵攻勢力への十分な抑止力です。
弾丸は3発を2段に重ねた6発入りのコンテナを左右に並べてあります。撃ち終わるとコンテナごと交換するのです。しかも、車にはホイスト(クレーン)が付いているので、自力で行います。コンテナ2つを交換するのに約3分です。初弾から次の発射まで8分しか必要としないといわれています。
次は203ミリ自走榴弾砲(SP)です。アメリカ陸軍での制式名称はM110A2といいます。陸自にはそれまでトラクターで牽引する203ミリ榴弾砲M2と155ミリカノン砲M2がありました。この両者の後継として1983年から導入が始まりました。砲口にはマズル・ブレーキ(制退機)がついて巨大な煙突が小さな車体にのっているように見えます。
自重は約28.5トンで操縦席が左側にあります。右側には約400馬力を出すエンジンがついていて、その後ろに乗ることができました。
密閉式の乗員室があるMLRSとちがって砲全体がオープントップです。走り出してスピードが上がるにつれ、正面から冷たい風が吹き付けてきます。時々、エンジンを吹かすとジーゼル・エンジンの排気が吹き出す。それに包まれると、生き返るような暖かさを感じました。真冬に行動する隊員の辛さのほんの一部が分かった体験でした。
砲尾の両脇には旋回手(左右方向の操作)と砲身の上下を操作する高低手がすわっています。砲尾の横には発射手が立ち、その真向かいに班長がいる。班長は射撃指揮所から伝えられる情報を伝えます。旋回手と高低手はハンドルを操作して、射撃緒元(しょげん)を整えるのです。角度と方向が決まり、装薬の量や、弾種、信管の種類が指定される。
砲弾の重量は90キログラム。地上にいる砲員が2人で持ち上げます。フックに引っかけると油圧を使った自動式の装填装置が動き出しました。弾丸を押しこんで、さらに布製の袋に入った細長い装薬を突きこみます。砲尾の閉鎖機がガチャンと閉まってロックされる。拉縄(りゅうじょう)の先についたフックを撃発装置にひっかける。「発射!」の号令で拉縄を引く隊員。1人の砲班長と6人の砲手の息がそろった動きです。まさに舞(まい)を見るような思いでした。
『普通科(歩兵)は1人ひとりの足し算で戦う。砲兵は班員すべての連携で戦う。7人のうち1人でも0(ゼロ)なら、弾丸は飛ばない』
そんな解説を団本部の宮北2佐(中佐)がしてくれました。まさに日高団長が隊員への要望事項にあげている『人の絆(きずな)』が大切にされる兵科なのだ。班員はそれぞれがお互いの動きを確かめながら動いていました。
▼要塞砲兵の後継者−地対艦ミサイル連隊
最後は世界に誇る88式地対艦ミサイルです。地上から空中目標を撃つから地対空、地上をねらうなら地対地です。地上から敵の艦船を目標とするミサイルを地対艦ミサイル(SSM)といいます。
わが国では、地対艦ミサイルの必要性は前からいわれていました。それまでの重砲は射程が20キロメートルくらいのものでした。これでは、大規模な上陸侵攻が行われたのではとても防ぎきれない。そこで陸自は空自の80式空対艦誘導弾ASM-1をベースにして1979年から開発を始めました。内陸から飛んでゆき、沖合の敵艦隊を攻撃するミサイルです。
空対艦ミサイルはなかなかやるなと思わされたのは、アルゼンチンとイギリスが戦ったフォークランド紛争(1982年)のときでした。アルゼンチンがイギリス領フォークランド諸島の領有を一方的に宣言し、武力侵攻をしました。
「鉄の女」といわれたサッチャー首相は、8000キロも本国から離れ、1,800人の住民しかいない小さな島を奪回するために40隻の艦隊を出動させたのです。
さすがに英国海軍でした。潜水艦はみごとにアルゼンチン軍の巡洋艦を撃沈。空母から飛び立ったハリアー戦闘機は艦隊の上空を守り、上陸した海兵隊の援護もしました。しかし、アルゼンチン空軍も負けてはいない。勇敢なパイロットたちはフランス製のエグゾセ空対艦ミサイルをミラージュ戦闘機から放ったのです。そのうちのかなりの数が防空システムをすりぬけて駆逐艦や輸送船に命中しました。
ミサイルのすごさは、その弾頭にある火薬量です。爆発力がすごいし、たとえ不発でも内部の燃料が残っていて大火災を巻きおこします。そうして沈んだ駆逐艦がありました。その艦の上部構造物は軽量化のためにアルミなどでできていたので火災に弱かったのです。わが海自の護衛艦も、それをきっかけにまた鋼(はがね)で艦橋などをつくるようになりました。世界中が注目した戦争だったのです。
88式のロケットは胴体がおよそ35センチもあります。全長は約5メートルです。重量は約660キログラムですから、弾頭はその半分くらいでしょうか。戦艦大和の主砲弾は重量が1,460キロ、徹甲弾で炸薬量が34キログラムといわれます。88式SSMの弾頭が300キロとして炸薬量はおそらく200キロぐらいはあるのではないでしょうか。公開された実艦への射撃実験の映像では命中の瞬間、フネはおどりあがり、2つに裂けていたように見えます。
発射機は74式大型トラックがベースになっています。いわゆる10トン車です。射撃姿勢をとると、安定させるためにジャッキで四隅を固定します。ランチャーは6連装になっています。見上げるような大きさの筒が6本。その前後にはふたがついているので、何も知らない人が見たら、まるで地下を走る水道管のような物が積んであると思うかも知れません。
ユニークなのは、その発射システムです。高い山の上などに隠れた車載のレーダーが目標を探します。さまざまなデータが中継点に送られる。そこから内陸の奥深くのトンネルに隠れた発射機に射撃のデータが送られます。射程距離は150キロメートルともいわれますから(もちろん、そうした質問には答えてくれませんから推定ですが)、ずいぶん長い距離をミサイルは飛ぶようです。
ミサイルの後部についている個体ロケットで初めは飛びます。その間は慣性誘導(かんせいゆうどう)といわれる巡航ミサイルです。あらかじめ地形をミサイルの頭脳に覚えさせておく方法になります。ミサイルは低空を飛び、山の間をぬうように進み、海上に出ます。そこからは敵艦船のレーダーに見つからないように海面すれすれを飛び続け(この時はターボジェット・エンジンで飛行)、最後には自分で電波を出して目標を識別して突っこみます(アクティブ・レーダー・ホーミングという)。
部隊への配備は1991(平成3)年から始まりました。関東にも栃木県宇都宮市にこのミサイル連隊は展開しています。近くに山があることが必要なので、広い平野に駐屯するわけにはいかないのです。
▼削減される運命の砲兵
目に見える軍縮といえば、対象になるのは砲兵や戦車です。どちらも平時には金食い虫で、高価な装備品が多い。
公務員の数を減らす、そういった大きな方針のもとで、自衛隊は他省庁と一律に人員の削減を受け入れています。装備や部隊も、より効率的で、国民が納得する形にされるそうです。すると、大規模な敵艦船群が押しよせてきて、88式SSMが必要になる事態がありそうか。まず、ないだろう。当面、北海道にそんなことができる国はないだろう。そうであれば、北海道の砲兵団や戦車連隊、機甲師団は要らない。そういった議論がされています。
現にこれまでの施策で、4個師団のうち2個が旅団になり、戦車や火砲は減らされています。それにともなって人員も少なくなる一方です。千歳市内には自衛隊の削減に反対するプラカードや垂れ幕が見られます。基地、駐屯地の町にとっては、死活問題にもなっているのです。
大正時代にも2回の軍縮が行われ、その時にも砲兵が大削減されました。今と同じように、国際情勢や国内の経済状態を考えたのです。しかし、その結果、何があったでしょうか。何年もたたないうちに、わが国は国益確保のためにやむなく大陸で戦闘を開始しました。その時に、もっとも困ったのが「人が足らない」ことでした。装備品は、その気になれば造れます。しかし、専門技術者である砲兵は、かんたんには養成できないのです。
現在の担当者たちも苦労をされているでしょう。こんなことは自衛官なら、誰でも分かっていることなのです。でも、大きな国の方針には逆らえない。まさに、現在、これほどの「文民統制」状態はありません。自衛官は決して不服を言わないのです。
『国民の皆さんが決めていることですから』と、与えられたモノだけで戦う、全力を尽くすという覚悟はどこでも聞かされていることです。
北辺の地の防人(さきもり)たちに心から応援をします。
(文中の火器などの数字データは、過去、陸幕広報室などから提供されたものを使いました。現場では、何も教えてくれません)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
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◆荒木肇経歴
1951年、東京生まれ。横浜国立大学大学院修了(教育学)。横浜
市立学校教員、情報処理教育研究センター研究員、研修センター役員
等を歴任。退職後、生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉
専門学校講師、現在、川崎市立学校教員を務めながら、陸上自衛隊に
関する研究を続ける。2001年には陸上幕僚長感謝状を受ける。年
間を通して、陸自部隊・司令部・学校などで講話をしている。
◆主な著書
「自衛隊という学校」「続・自衛隊という学校」「指揮官は語る」
「自衛隊就職ガイド」「学校で教えない自衛隊」「学校で教えない日
本陸軍と自衛隊」「子供もに嫌われる先生」
いずれも並木書房刊 http://www.namiki-shobo.co.jp/
2009-07-03 01:30
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荒木 肇 先生 /
戦争 /
自衛隊 |
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2009年07月02日(木)
台湾は日本の生命線! 永山様のブログでも紹介されていますが
http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/
チャンネル桜で、大阪デモを取り上げていただきました。
【国民大行動第4弾】東京、大阪、名古屋・抗議行動報告[H21/6/30]
http://www.youtube.com/watch?v=xJqznDV3nfA
大阪の行動が全国に伝わりました。有難うございました。
2009-07-02 04:49
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台湾 NHK抗議 /
日本シルクロード科学倶楽部 /
中国 |
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そのB デモ行進編 大和撫子がたくさん編
さあデモ出発です!
おつるは獰猛くんと並んで行進。
今回は、kinaさんから交代でのコールを頼まれました。
コールは、初めてですし もともとアニメのような声なので
とても緊張しました。
でも、200人を超える素晴らしい参加者さんに
頑張らなければ、申し訳がたちません。
そして 集会での
戦いだ!!という それぞれの方の思いを受け止めて
へたくそでも心をこめて 叫ぼうと思いました。
↑写真はヨーロピアン通信さん撮影
女神、大阪のジャンヌダルク、篤姫、ノアちゃんです
今日は先頭に来てねと声をかけたのですが少し遠慮されて
おつるの少し後ろにいましたが、
コールのノアちゃんの声はすごーーーーく響いてきて
おつるはめちゃくちゃ 励まされました。
ノアちゃん 有難う
https://webgate.epa.eu//index.php?SEARCHMODE=NEW&LANGUAGE=english&WGSESSID=b42e0367c943b7a1cee7011f3d7a2a9b&TABLIGHTBOX=RESULT&SEARCHSHOWTAB=1&SEARCHTXT1=TAIWAN
NHKは国民に謝れ! (謝れ!)
台湾人に謝れ! (謝れ!)
嘘つきNHKは偏向報道を訂正しろ! (訂正しろ!)
台湾人は漢民族じゃないぞ! (漢民族じゃないぞ!)
日台戦争など聞いた事ないぞ! (聞いた事ないぞ!)
NHKはシルクロードにおける中国による核実験を報道せよ! (報道せよ!)
シルクロード偽装ビデオを販売するな! (販売するな!)
中共の手先NHKは台湾の敵だ! (敵だ!)
NHKは受信料返せ! (返せ!)
台湾人に謝れ! (謝れ!)
日本と台湾を分断するNHKを許さないぞ! (許さないぞ!)
我々は台湾を支持するぞ! (支持するぞ!)
中国の手先NHKを解体するぞ! (解体するぞ!)
受信料を断固、拒否するぞ! (拒否するぞ!)
断固 拒否するぞ! (拒否するぞ!)
かなり長い距離で、着物が暑く 汗びっしょりでした。
叫んでいる間は、クリスチャンネームで守護聖人の
joan of arcが守って下さるように思えました。
瀬戸内海の鶴姫も海の底から応援してくれるような気が
しました。
御先祖の多田神社の祭神も そして靖国の叔父さんも
みんなみんな 国のために頑張れと
応援してくれるような気がしました。
動画を見た家族が 私の普段の声ではない・・・と
驚いていました。
愛媛から来られたチャンネル桜を支える会愛媛の田中さんと
横断幕を持ちましたが、
風にあおられたりして ものすごく 重かった。
田中さん 有難うございました。
拡声器もかなり重くて、カバンと両方で歩きにくくて
困っていると、
桜チャンネル二千人委員会 まぐろ通信社の
皇居勤労奉仕で万歳三唱をされて天皇陛下ともお話をなされたという
とても元気で明るい笑顔の美しい羽田さんという女性が
すぐ後ろで、
カバンを持って下さり、元気な掛け声で励まして下さいました。
感謝です。
最後尾では、なでしこちゃんや セクシーギャル美久ちゃん!!
お疲れ様でした。
今回のデモは、女性の参加者がとても多かったです。
年代も様々で、
20代 30代 40代 50代 60代〜のいろいろな女性が
たくさん参加されて 本当に心強く思いました。
平成の夜明け前の女たち、大和撫子の女戦士がたくさん
いました。
どの方も 見た目は清楚でいて、女性らしい中に芯をおもちで
私の憧れです。
左翼のフェミニストおばはんとは大違いの
美人ばっかりだ。
足の綺麗なさくらさん、スラリとスタイルのいい知的美人のシルスさん ・・・・
素晴らしい女性たちに出会えてともに闘えたことを感謝します
デモのあとにもいろいろな女性の方々とご挨拶できました。
本当にうれしかった・・・
また ブログのカトリック関係の記事にコメントを下さった方など
おつるのブログを見て参加して下さった方も、有難うございました。
番外編
解散後、スタッフの方と 打ち上げに参加しました。
飲み会とカラオケ ビールのうまいこと♪
カラオケでは、大和撫子さくらちゃん、22才ちゃん、
そして女神ノアちゃんの 歌のうまいことに びっくり
保守の人って歌がうまいのね♪
歌は心っていうから・・・・心が美しいからね、きっと・・・
というわけで
参加された皆様 有難うございました。
NHK訴訟も 8000人を超え、第二次募集で1万人を目指すそうです。
まだまだ戦いは続きます
次回も頑張りましょう〜〜
2009-07-02 04:15
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台湾 NHK抗議 /
中国の核実験 /
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そのA 集会で泣いた私の決意編
集会の前には、いつもの憂国騎士団、遠い加古川からの参加のニートネスニート さんや
またまた新潟からご参加された、憂国者(不死鳥)さん、
、神戸の佐野さん との感激のごあいさつ
新潟もすごいですが
愛媛から来られた女性二人組、チャンネル桜を支える会の方や
滋賀から来られた方、東京、和歌山、明石、岡山・・・・
さまざまな地域から駆けつけた方がたくさんおられて感動 尊敬
フリーチベットやフリーウイグルそして 今回のNHKデモにいつも取材に来てくださいる外国のメディア ヨーロピアン写真通信社のNさんも!!
そして西村眞悟議員と八尾市議会議員三宅議員の到着
西村眞悟議員には、また堅い握手をしていただきました!!!
私と同じカトリッククリスチャン、拉致被害者奪還への戦いやこのデモにも駆けつけて下さるこの方は真のキリスト者です。私は心から尊敬しています
民社党のプラカードをご覧になって感激されてました。
民主党じゃないですよ、 民社党 です
そして集会がはじまりました。
集会の途中には、平成愛國婦人會 のなでしこちゃん や
平成愛國婦人會 ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/aikoku_fujinkai/2796919.html
モミーさんや くまじろうさんや たくさんの仲間が
続々到着するのが見えて 心強く思いました。
集会では、●日台未来会代表挨拶のあと
●西村眞吾議員挨拶
●八尾市市議会議員 三宅博氏
●関西防衛を考える会 浜野会長の奥様で日本会議大阪女性の会 運営委員長
●沖縄集団訴訟、南木クラブ会長 南木隆治氏 ご挨拶
●チャンネル桜を支える会 愛媛支部田中様
●日台未来会 りえさんごあいさつ
つづいて
●日本と台湾の未来を考える会 田辺さんより
チャンネル桜 井上氏が取材した台湾人のおじいさんの心の声
●元帝国海軍士官 神州正氣の會 副会長池田氏ご挨拶
どの方のお話も心に響いて、胸がじんじんしました。
それぞれの方の心からの思いがあふれていて、体と心が震えました。
今日のデモはこの方々の思いを受け止めて
力の限り、心の底から叫ぼうと強く思いました。
特に、仲間のたなべさんが 涙をこらえながら
読んだ「台湾のおじいさんの言葉」
「日本は良かったよ」
そして、元海軍士官の池田様のお話には
集会の全員が 泣きました。
「今の世の中はお金があれば何でもできる 便利な世の中、
お金があれば豊かな国だと思っている
お金のために80のお婆さんからカバンをひったくる中学生なんかが
いる・・
65年前 戦争中、20才すぎの若い仲間が大東亜戦争に参加し
金のためでなく、名前のためでなく、ただただ 国を想うために
青春を国に捧げて
、国を守り死んでいった。
私は、このNHKの台湾の放送を見たが、
こんなことでは 日本はいったいどうなってしまうのか
こんなことでは、たくさん死んでいった戦友たちはいったい
どう思うのか。 これはなんとかしなきゃいかん
戦友たちのためにも 台湾に謝り
そしてNHKをつぶさなならん こんな放送を続けていったらいかん。
日本をみんなで救おうと 今日は参加することにした」 と・・・
写真はヨーロピアン写真のNさんが 世界に発信して下さいましたが、その中から転載させていただきました。感謝
https://webgate.epa.eu//index.php?SEARCHMODE=NEW&LANGUAGE=english&WGSESSID=b42e0367c943b7a1cee7011f3d7a2a9b&TABLIGHTBOX=RESULT&SEARCHSHOWTAB=1&SEARCHTXT1=TAIWAN
私の靖国の叔父さんも生きていたら この方と同じことを言ったはずだ。 靖国の叔父さんがこの方とともに叫んでいるような気がした。
私は 涙がとまらなかった。
こんな国にしてごめんなさい。
こんな日本にしてごめんなさい。
この方にみんな土下座して謝らなあかん。
でも 誰よりも NHKが 土下座して 謝らなきゃあかんやろ!!!!!
今日の私は、この方のためにも 全身全霊をこめて
戦うと決めた。
全身全霊で叫ぶことを 私は、この方、そしてこの方のように
悲しみで日本を憂いている元軍人の方々
靖国の伯父さん そして亡くなった方々へ捧げたいと
心から思った。
****************************************************
実は、デモが終わったあと、解散の公園で
この元海軍士官の池田様が 私のもとにわざわざ来て下さり
「素晴らしい声でした。 有難う」と挨拶に来て下さいました。
私は・・・・感激でいっぱいでした。
2009-07-02 03:27
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台湾 NHK抗議 /
中国の核実験 /
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2009年06月30日(火)
6月27日NHK大阪抗議運動第3弾
レポート
NHK抗議運動も第三弾となりました。
私の所属する日本シルクロード科学倶楽部会長、
札幌医科大学教授高田純博士は、前回の東京・大阪・名古屋同時デモ時に
メッセージを送られ、またご自身が札幌での抗議デモにご参加されました。
そのときに「NHKへの公開質問状」を渡しておられました。
おつるは、ブログから知った「NHKへの公開質問状」に対する回答のあまりの
誠意のなさ、偏向報道を改める気持ちなど一切ないこと、謝罪することも
訂正することもない、自らの報道姿勢を自らで賛美するという姿勢
国民を馬鹿にし、台湾人をチベット人をウイグル人を傷つけ、さらに
日本人を傷つけ、洗脳する姿勢には激しい怒りを感じました。
ですから、今日のデモは、心の底から、一人でも多くの日本人に知ってもらいたいと
思いました。
NHKは、子供向けの人気番組も多く、NHK教育テレビは、全国の小中学校で授業にも利用されていますから保護者さんたちも民法の過激なバラエティ番組は
見せたくなくても、NHKならと安心して子供たちに見せてきたでしょう。
ところが、こんな偏向報道、隠蔽報道を続けるNHKの番組を見せるほうがよほど
子供たちに悪影響だということを知ってもらわなければいけないのです。
子供たちに保護者のお母さんたちに、そして未来に母となる今は若い女性に
私は伝えたい。
日本の愛しい子供たちの 輝ける未来のために、未来を担う子供たちのために
絶対こんな偏向報道を続けさせるわけにはいかないのです
**************************************************************
その@ 大阪の可愛い子供との出会い編
まずは、会場へ・・・・
おつるは、着物で参加です。
以前も フリーチベットのデモに浴衣で参加しましたが
今回は、浴衣でなく、きちんとした着物でいきたいと思いました。
今回は、台湾問題の抗議ではありますが、
日本という名をちけたNHKが、反日的偏向報道をしていることに
日本人として 日本のために許せないという気持ちだから。
会場に着くと、すでにkinaさんやリコリスさん、
たなべさん、日台未来会の代表の方々が準備をされていました。
風船づくりをもくもくと作り続けて下さる方もおられ、感謝です。
おつるもお手伝い。
すると公園で遊んでいた小学生の子供たちが風船を見て集まってきました。
風船をプレゼント
すると「おばちゃん 風船くくってー」と言うので
「お姉ちゃんと呼んだらくくったげわー」笑
いやいや「かわいい綺麗なお姉ちゃん」と呼びなさーいと無理やり言わせる笑
さすが大阪の子供たちはノリが良くて ちゃんと笑いを心得ておりました。
おつるは普段から子供相手の仕事なので、子供は大好き。
自分が子供みたいな精神年齢なので・・・・・・笑
でも動画には写っていませんが「勉強がんばりや。将来あんたたちは日本を背負っていくんやから。 リーダーになるため勉強しいや
勉強したら風船あげるからな」とも言ってたんですよ。
子供たちは、5年生の子供が多いです。
このあたりは、大阪市の公立学校なので、最も日教組の強い地域。
子供たちは、もちろん台湾という国の事情もしりません。
でもさすが5年生ですから、たくさん置いてある看板に目をとめて
「なんでみんなで集まってるん??」「なんで緑の風船なん?」
「NHKが悪いことしたん??」って いろいろ聞いてくる・・・・・・
おつるは、簡単に教えてあげました。洗脳じゃないですよ笑
事実は事実として子供たちの疑問にはきちんと答えるべきですもの。
子供たち、「テレビに今日、写るん??」と聞くので
「テレビには写らへんかもしれんなぁ、でもインターネットで流れるよ」と答えると「you tune?? ニコニコ動画やろ??」と。
子供たちよく知ってます。これは頼もしい。
きっと今頃、ニコニコ動画見て 学校で話題にしてるね。
集会がはじまる前にたくさんの私に質問した子供ではない女の子たちが来て
「NHKが嘘ついたんやろ!! NHK悪いことしたんやろ?
台湾の人 かわいそうなんやろ?? NHKもう 見ないからね
頑張ってね!!!」 と 言ってくれたので
「ありがとう」って 堅く握手をしました
ニコニコ動画を見ると、「おばちゃん風船くくって」と言った子供が
デモ行進に 名残り惜しそうに しばらく走ってついてきているのが見えました。
あとで聞くと子供たちもシュプレヒコールに一緒にずっと叫んで見送ってくれていたそうです。
それを聞いて胸がジーンとしました。
ぜんぜん参加してねとか 叫んでねとか強制したわけでもなんでも
ないのに子供たちの意志で参加してくれたのです。
そして今日のデモには、とても暑い中、
子供さんを連れての参加がちらほらありました。
帽子をかぶって、最初から最後まで歩いてくれた小さな男の子
疲れてお父さんに抱っこしてもらいながら、最後まで参加した小さな子・・・
お父さん、抱っこで暑い中たいへんだったでしょう。
有難うございます。
子供づれの参加について、いろいろ言う人がいますが
私は、子供を土日に預けることができない状況の人や母子家庭や父子家庭でで土日しか子供と接することができない人
いろいろな状況があると思います。
でも、自分の愛する子供の未来のためにも、子連れでもデモに参加したいという気持ちのある方の勇気あるご参加は素晴らしいことだと思います。
子供たちも親の一生懸命な姿に学ぶのです。
お金のためとか自分たちの楽しみのためではなく、貴重な土曜日を
こういう国を想う活動に参加する親の後ろ姿を見て子供は立派に成長します。
私も 子供たちの未来のためにも頑張るのです。
日本の子供も、台湾の子供も、チベットの子供も、ウイグルの子供も南モンゴルの子供も・・・
子供たちの未来に幸せがきますように。
2009-06-30 00:58
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2009年06月29日(月)
2009-06-29 02:47
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2009年06月28日(日)
2009-06-28 15:24
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2009-06-28 14:54
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信友のなでしこちゃんが、抗議デモの動画を撮影し、ブログに
アップされていました。 レポートは後日書きますが、
まずは動画を転載させていただきました。
なでしこちゃん、暑い中、有難うございます。
なでしこちゃん プログ↓
●平成愛國婦人會●
http://blogs.yahoo.co.jp/aikoku_fujinkai/2796919.html#2796919
2009-06-28 01:40
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2009年06月26日(金)
●札幌医科大学教授 高田純博士のブログより
http://junta21.blog.ocn.ne.jp/blog/2009/06/nhk_f2b5.html
本日書留で、6月6日付けで、NHK会長福地茂雄氏へ宛てた
公開質問状に対する回答が、高田純へ送られてきた。
シルクロード偽装番組を自画自賛するばかりで、核実験による
危険の認識は、放送当時も現在も持っていないと言い切る、
呆れた回答であった。
日本国民を危険な地へ誘導し、今後もその報道を続けるNHKを、
私はもはや信用できない。
NHKは日本国民を裏切っている。こうした公共放送は無用である。社会制裁を加え、消滅させなくてはいけない。
私は、このNHKにとっての不都合な真実を、1億2千万の日本人へ
知らせるべく、取り組むことを宣言する。
恥を知れ、NHK職員!
高田純 理学博士 平成21年6月25日
***********************************************************
これは、6月6日 高田教授が、札幌のNHK抗議デモにご参加され、
直接 NHKに資料とともにわたした公開質問状への回答です。
質問状の本文
http://junta21.blog.ocn.ne.jp/blog/2009/06/nhk_61ea.html
札幌での抗議集会
http://junta21.blog.ocn.ne.jp/blog/2009/06/nhk_a159.html
外国メディアによるシルクロード報道が初めてだとか
どうでもいい。
意義深い??? シルクロード核実験の隠蔽が????
やはりNHKは 中国の犬だった。
このシルクロードが中国の核実験による放射能汚染の
危険地域だという認識を、
放送当時も現在も持っておりません
ってなに??
この回答は、まるで中国共産党の
チベットへの侵略は解放だーとか
核実験による被害など知らないーとかいう
嘘、隠ぺい体質と
まったく同じじゃないか。
NHKは、札幌医科大学教授の 研究を否定した。
高田教授の研究は、東京新聞が伝え、
米国の著名な科学雑誌 サイエンテイフィック アメリカン
イギリス Times(サンデータイムズ)が伝え、
産経新聞、正論が伝え、学会でも発表されている
シルクロードの核実験を知らないと???
嘘をつくのもいい加減にしろよ。
*******************************************************
中国が初めて核実験をしたのは、台湾問題に絡んで
東京オリンピックをボイコットし、その開会式にあわせての
卑劣な行為でした。
当時は、東京オリンピックの真っ最中ということもあり
マスコミ各社は 報道しました。
当時の新聞です
1964年10月16日
タクラマカン砂漠で行われた原爆実験。爆発でキノコ雲
1964年10月16日 中国・新疆ウイグル自治区
中国は新疆ウイグル自治区のタクラマカン砂漠で初の原爆実験に
成功。
アメリカ、ソ連、イギリス、フランスに次ぐ5番目の核保有国に
なった。
中国政府は声明で「大国による核独占を破壊するため」とした。
日本政府は抗議の談話を発表。各党も抗議声明を出したが、
共産党は「中国人民の自衛手段」との見解を明らかにした
タクラマカン砂漠で行われた原爆実験。爆発でキノコ雲
1964年10月16日 中国・新疆ウイグル自治区
それから中国は1964年から1996年までに,ウイグル地区ロプノルの
実験場で延べ46回の核爆発を行い少なくとも19万人以上が死亡、
129万人以上が被爆し、現在のウイグルの悲劇に続いています。
NHKも当然、このことを知っていたはずです。
その後、延べ46回の核爆発をくり返し、軍事大国になり
核武装した中国だからこそ、今、世界経済の中心にまでなり
国連までを牛耳っている力をつけたんじゃないか。
なのに NHKは、シルクロードに観光客をいざなう偏向報道を
繰り返し
そして放送時も現在もしらないという。
ウイグルの人たちや子供たちが苦しんでいること
白血病やがんや 胎内被ばくした子供たちの奇形や障害も
知らないで すますのか。
日本人旅行者の被爆の危険性も知らないですますのか。
そんな体質だから
台湾の偏向報道も 謝罪の気持ちもないんだろう。
●NHK相手に8400人が集団提訴
「JAPANデビュー」歪曲報道で
●【NHK提訴】責任見失う公共放送
産経新聞 http://sankei.jp.msn.com/economy/business/090625/biz0906251726014-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090625/trl0906252146022-n2.htm
日本史上 最大の集団訴訟がはじまる!!
NHKは 国民の声を無視するのか。
●「NHK番組の偏向検証」自民有志が議連結成へ
http://sankei.jp.msn.com/economy/business/090604/biz0906041938016-n1.htm
●自民議連「偏向番組問題」NHKに質問状
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/politicsit/248134/
おつるの大好きな 自民党の衆議院議員
兵庫6区のこびき司議員さんが
おつるの家に訪問して下さいました。
このNHK抗議の自民議連に参加されて
金美齢さんから励まされたと 応援して下さり
国会で戦ってくれます
国民の声を想いを受けとめる政治家がここにいる↑
NHKは、この議連にも「知らない」で通すのか。
さあ 明日は NHK大阪抗議デモ
おつるは戦います。
シルクロードのためにも
台湾のためにも
そして
日本の未来の子供たちのためにも
2009-06-26 22:57
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明日は、大阪 NHK抗議デモ 第三弾です!!
たくさんのご参加をお待ちしています。
●大阪NHK抗議運動 第3弾
6月27日(土)
集合場所:桃園公園
地下鉄谷町線、長堀鶴見緑地線
「谷町6丁目駅」4号出口 徒歩1分
http://map.yahoo.co.jp/pl?p=%C2%E7%BA%E5%BB%D4%C3%E6%B1%FB%B6%E8%C3%AB%C4%AE%A3%B6%A1%DD%A3%B5%A1%D7&lat=34.67148083&lon=135.51869778&type=&ei=euc-jp&v=2&sc=3&gov=27128.38.6.5
14時30分集会開始 15時15分デモ出発
デモコース:公園より北に上がり長堀通りを西へ→堺筋を北へ
→本町通りを東へ→谷町筋を南下→中央大通りを東へ
→NHK付近解散
*旗、プラカードの持込歓迎!
3民族旗も大歓迎!
動物衣装歓迎!
*怖い服装不可。
主催:日台未来会
連絡先:080-3811-8631(kina)
メール:uighur_uighur_tm@yahoo.co.jp
*************************************************************************
リコリスさんより♪
当日、宴会部長のリコリスです(^o^)/
17時〜19時で谷町四丁目直近で宴会やりますので、ぜひ参加して下さいね。
最前列近くに居る「売国アイドル:獰猛君」に、お気軽にお尋ね下さいね!
また 西村眞悟先生と 三宅博八尾市議もいらっしゃるかも!!
2009-06-26 22:39
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我が「映画靖国」肖像権侵害訴訟への決意
原告 黒岩 徹 (=NPO法人日本パラオ協会理事長)
去る三月五日午前十時十分、東京地方裁判所六一七法廷で、映画「靖国――YASUKUNI」に関する肖像権侵害訴訟の第一回口頭弁論開廷が宣せられた。この日は原告である私側弁護士の高池勝彦氏と山口達視氏より訴状の提出が行なわれ、裁判長からは、次回の日程の決定と、本人特定等に必要な資料の提出要請があり、凡そ五分程で閉廷した。傍聴席は私側の応援団十一名が席を占め、相手方の傍聴者は一、二名だったかのように思われる。かくして多分最高裁まで行くであろうと弁護士が予想する、映画「靖国」の肖像権侵害訴訟は始まった。以下に此処までの経緯とこれからの私の決意を述べる。
なお、今回私が相談をしている原告側弁護士と、私が訴えた相手方被告及び被告側弁護士は次の通りである(敬称略)。
原告側主任弁護士 高池 勝彦
原告側弁護士 山口 達視
他協力弁護士二名
被告 李纓(映画監督)
有限会社龍影(映画制作会社、代表者李纓)
ナインエンタテインメント株式会社
株式会社ティー・オー・エンタテインメント
CCRE株式会社(以上三者DVD制作配給会社)
被告側弁護士(第一回口頭弁論で被告側答弁書に記載のある弁護士、記載順)
梓澤和幸、中山武敏、内田雅敏、飯田正剛、中川重徳、只野靖、村上一也、
宮越直子、西ヶ谷知成、江野尻正明、杉本朗、長尾詩子、萩尾健太、毛利正道、
長谷川直彦、大賀浩一、杉浦ひとみ、山本志都、浅野史夫、大口昭彦、河村健太、出口裕規、日隅一雄(以上二十三名、なお被告側答弁書の各弁護士の捺印は全員同じ印影である)
事実関係並びに原告となるまでの経緯
平成二十年年五月三日、中国人・法人の手による映画「靖国――YASUKUNI」が制作され、台湾の反日活動家高金素梅を登場させ靖国神社に対し暴言をさせる等、その反日的な制作意図や、神社始め多くの人達が映画になることを知らずに撮影されたこと等が問題になった。またこの映画の制作には、元来日本人(法人)が作成する日本人の映画に対してのみ付与される筈の制作費補助金七五〇万円が、文部科学省より支払われたという問題も起きている。更にこの映画は同年十月にDVDとなり、反靖国の立場の朝日新聞がA3〜A4大フルカラーの広告を複数回掲載している。
このような問題映画のところ、私は撮影されていた事も全く知らぬまま、図らずも動画映像になって登場する事になってしまった。私の場面は、始まりから約三十分後、音声も明瞭に約一分三十秒間であり、被撮影の自覚なき人間にとってはかなりの長時間である。時は平成十七年の八月十五日と思われ、靖国参拝を終えての休憩所(売店)の外のベンチ、その日その場で会った人(二名)との会談場面であり、私は直会(なおらい)とはいえ些か酩酊の状態が映像に晒されている。おそらく隠しカメラ等で撮られたかと推測されるが(映像に詳しい人の談)、この様な撮影者の行為は明らかに肖像権侵害であると考える。
さて右個人的行為により、結果的に反日・反靖国の映画制作に手を貸してしまった私は、ご英霊と全国の靖国神社を崇敬される多くの真摯な皆様に対して、真に面目もなく慙愧の念に耐えない。しかし一方、靖国神社を反日映画に利用するような被告の行動は、我国の報道関係の正義や靖国神社およびご英霊の名誉、ひいては我国の尊厳に対する重大敵対行為であって、断じて許すわけには行かない。この映画の制作途上並びに完成後における映画制作者側が執った行動は、更に許さざるべき所業であるがこのことについては後述する。
この映画の全体を見れば、そこで撮影されている人達は(単なる通行人等を除いて)映画になることは知らないまでも、殆どが多少なりとも撮影されていることを知っていたか、カメラを意識しているようであり、撮影者を訴える立場が些か弱いかと思われる。しかしこと私に関しては、知人から「あれだけカメラを意識せずに撮られているとは、黒岩さんは実に名優です」と(冗談を)言われたとおり、完全に盗撮されていたと考えられる。つまりこの映画の被撮影者の中では、私が他の誰よりも相手の不正義を訴えることの出来る立場におり、訴える事に対して周辺事情等による障害もない。
奇しくも私はNPO法人日本パラオ協会の理事長として、平成十九年三月から六月、靖国神社遊就館で「戦跡パラオ展」を神社と共催し、同七月中〜下旬には「パラオ慰霊の旅」四十名を募集し、一万余名が散華されたパラオでは初の靖国神社ご神職による「慰霊祭典」を行なった。この様なご縁のある靖国神社であればこそ、「今回の件はお前がやりなさい」との有り難いご英霊のお導き・ご命令かと思わざるを得ない。
以上の事実と事情から、私はこのような非文明的横暴を平然と犯すこの映画の中国人監督・制作会社・これに協力する反日DVD配給会社等を、「肖像権侵害」として、必勝の信念をもって告訴することにした。後述の通り靖国神社は、この映画において御神体が日本刀であるとした映画の誤りと正当な撮影許可手続を遵守していないことに対し監督等に抗議したが(ご英霊の安らかを祈る神社に法的な原告は似合わない)、殆ど全く改められていない。今回の件では諸事情により裁判の当事者としての参加までは出来ない、無断撮影・放映された方々の無念も合わせ、私が訴えるしかないと決意した次第である。
後述の通り被告の所業はこれだけではないが、余り遅らせるわけにも行かず、他の問題点は後日追加する事も視野に入れて、取りあえず「肖像権侵害」として訴訟を開始することにした訳である。
二、映画「靖国」問題の背景と本質
さて筆者は本論を述べるに当たって、もう一度じっくりとこの映画「靖国」(DVD)を観ることにした。過去の一年間多くの人とこの件で話しをしたが、「あの映画の内容はくだらないが、まんざら反日一辺倒でもない、こちら側の考えも結構取り入れている」と言うような意見も少なくなかった。今回改めて客観的に観てみると、確かにこの映画が出来た経緯や背景を知らない一般の人が、この映画だけを観てそのような評価になることは強ち非難はできない。しかしこの映画「靖国」の表に現れない部分には、筆者の個人的な訴えの他に、法律上からも道義上からも看過できない、靖国と我国の名誉に関する本質的な問題が詰まっているのである。否むしろ我国にとってはこちらの方が重要であり、こちらを知らなければこの映画の本質は全く解らないといってよい。したがって誰かがこの本質を暴かない限り、「靖国」は毒にも薬にもならぬ単なる駄作映画かあるいは、「日本刀」を御神体とする靖国神社はやはり日本の侵略戦争の象徴である等の評価が定着してしまう事であろうことを筆者は危惧するのである。これは我国と靖国神社の尊厳に関る重大事と筆者は考える。
この映画の本質に関する主な問題点は次のとおりである。
一、文部科学省外局である文化庁から不適当な補助金が給付されたこと
二、靖国神社境内における撮影許可手続が遵守されていないこと
三、靖国神社の「御神体」を明白な誤りである「日本刀」と断じていること
四、出演者である刀匠に対して、当映画の目的に関して虚偽の説明をして制作したこと
五、反靖国・反日自虐の朝日新聞社が本件に大きく関り事実の歪曲をしていること
六、右のようなことが、日本の事情を知らない海外に広く流布されていくこと
七、以上何れも関係者の抗議に対しても改められることなく現在も推移していること
以下順次説明をしていくが、その前にこの映画が作られるに至るまでの時代背景について触れておかなくてはならない。
平成十三(二〇〇一)年四月、小泉旋風と呼ばれた地滑り的人気の下に小泉内閣が発足した。小泉純一郎氏は自民党総裁選挙中から、「自分は必ず八月十五日に靖国参拝をする」と公言していたが、その年は直前に周辺の反対に会い十三日に前倒し参拝をした。以後毎年日を変えて参拝を続けたが、任期を全うする最後の平成十八年には多くの予想通り、念願の八月十五日の参拝を挙行し、九月退任し安倍内閣に代わった。小泉首相の靖国参拝に付いては中国から毎年強い抗議があったが、その後の福田無定見媚中政権の弊害を見れば、安倍内閣も含め対中関係に限れば適度の距離を置いた我国にとって決して悪い時期ではなかったと思う。
小泉首相退任前年である、今回の映画「靖国」の主要部分が撮影された平成十七(二〇〇五)年八月十五日とは丁度戦後(正確には停戦)六十年に当たり、我国では大東亜戦争の歴史的意義の見直し機運も高まっていた。つまり中国にとっては、小泉首相の毎年の靖国参拝から日本の終戦記念日の盛り上がり、更には翌十八年に予想される小泉首相の八月十五日参拝等一連の動きに警戒感を持っていたことは推測できる。
そのような過程を踏まえて、平成十九(二〇〇七)年は盧溝橋事件及び南京陥落後七十年にあたり、中国ではその前年あたりから所謂「南京虐殺」の映画を幾つも制作し、これらを通して日本の「悪逆非道」を世界中に広めようとしていた。この様な時間的流れの中で映画「靖国」は制作され、平成二十年五月三日に全国で封切りとなったのである。
折から中国は二十年八月の北京オリンピック開催にむけて挙国体制下にあった。世界からは中国の人権弾圧問題に絡み北京開催を危ぶみ反対する声が挙がっていた。その中で三月十日チベット動乱四十九周年の日、ラサ市ではデプン寺の僧侶三百人のデモが阻止され、数十人が拘束され、十四日には同じラサ市のセラ寺・ジョカン寺が包囲された。チベットへの大弾圧が始まったのである。中国は北京五輪開催のために、世界の関心をこの問題から別方向にそらす必要があった。この混乱と日本の良識ある人達の抗議が盛り上がりを見せていた四月二十六日、日本の聖火リレー地長野は、同じ仏教徒として中国のチベット弾圧を許せないとして、リレーの出発地なる俗世間の栄誉を敢然と辞退した善光寺の勇気ある行動等に対して、3千人とも言われた中国人の五星紅旗により占領され、福田政権の我国はこれになすすべもなく敗北した。この様な背景の中で、それから一週間後に映画「靖国」は封切られた。中国にとっては最初の制作意図以上にこの映画を利用する価値が高まったのであった。
三、映画「靖国」助成金問題
「日本芸術文化振興会」という独立行政法人がある。平成二十年三月六日号週刊新潮が「反日映画“靖国”は日本の助成金七五〇万円で作られた」と報じた。稲田朋美衆議院議員始め若手議員が「助成金を出したのは妥当かどうか検討したい」としてこの映画の試写を求めたのは議員職務として当然である。この助成金を出したのが文部科学省の外局である「文化庁」所管右法人の「芸術文化振興基金」であった。ホームページには、平成十八年度記録映画の部の助成対象活動として四件が決定、その中に今回被告の映画会社「龍映」七五〇万円と出ている。募集案内には「日本の映画であること」「宗教的・政治的な意図を有しないもの」とある。「龍映」は日本国法令により設立されてはいるが、監督・役員全員・共同制作者等関係者等すべてが中国人の映画を日本映画と解するのは無理があろう。更に映画の対象は日中間で問題となっている「靖国神社」であり、宗教・政治と関ることは明らかである。この様な疑問含みの映画に国民の血税から反日的中国人による映画に対し助成金を給付した文化庁は、「龍映」から助成金を返還させる責任を負うべきと考える。
さてこの問題は、助成金給付の適否という単純な話では終わらなかった。「上映禁止を求める訳ではない」と明言する稲田議員の意を無視して、かの歴史歪曲・捏造の常連「朝日新聞社」は、この問題もまた事実を歪曲する行動に出た。
発端は週刊誌の助成金給付の疑問と問題点の指摘だが、朝日新聞は直ちに反応し、三月九日「映画靖国“事前試写を”議員“助成あり検証”配給側“事実上検閲”」 として、両論併記のかたちをとりながら、「映画に対する言論・表現の自由に対する(保守派政治家による)弾圧」問題に掏り替えようとしたのである。以下詳しくは大高未貴氏の「映画『靖国』で日本発の“南京大虐殺”プロパガンダを仕掛けた人々」(雑誌「正論」20年6月号)を参照頂くとして、概略に筆者の考えを加えて記す。
先ず前述のチベット弾圧問題が拡大しつつあった頃の三月二十七日朝日新聞では、紙面半分を使い「映画靖国、文化庁の影、表現の自由への圧力・もっと製作者守って」との記事を載せた。明らかに表現の自由の抑圧としており、しかも抑圧者が助成金を出した文化庁であるかの如き書き方をしている。
次に三十日の朝日社説では、現実に一部右翼(?)が上映予定館に圧力を掛け、上映辞退する映画館が現れたことを受けて、「映画靖国・上映中止は防がねば」と述べ、四月一日一面では「映画靖国今月封切り中止、トラブル警戒 上映予定館が辞退」、同日社会面では「映画靖国上映中止 一番懸念した状況 上映側萎縮に危機感」と報じた。更に翌二日の社説では「靖国上映中止 表現の自由が危うい」と書き、同日の文化面、社会面でもこの問題を取り上げた。繰り返しになるが稲田氏始め政治家は誰一人この映画の中止をさせようなどとは言っていないにも拘らず。
その一方で三月二十七日の参議院内閣委員会では、有村治子議員が文化庁の助成金を問題として、映画靖国が対象として妥当かどうかの質疑応答をしており、文化庁が苦し紛れの答弁をしていた事実がある。しかし朝日はこれを報道していなかった。朝日がこれを報道したら、「表現の自由抑圧」という自らの捏造の構図は音を立てて崩れてしまうからである。こうして朝日は肝心の事件の始まりたる真実の部分を完全に無視したのである。
しかし斯様な朝日が仕組んだ執拗な事実歪曲をしたままのこの映画の問題拡大は成功しつつあった。二日の夕刊では、監督李纓と田原総一郎の対談を入れた映画「靖国」の全面広告が掲載された。七五〇万円の支援を受けるような映画に対する約三千万円と推測されるこの広告料は一体何処から出たのか。一方これだけ問題が大きくなると、三日の朝日一面では、社民党福島瑞穂の「日本の表現野自由の危機、全力を挙げておかしいと言う」とのコメントも出て、「”靖国”来月上映へ」とあるように営業的に上映を決める映画館も出てきたことを喜んで報じている。映画ヒットの予兆までが見えて来たのである。
これ以降も朝日の「表現自由の抑圧」喧伝は続き、かくて映画「靖国」は背景も経緯も何も知らない一般の人達が多数観賞し、先に挙げた一、〜七、の虚偽や捏造を知らぬ人達の間に、靖国神社に対する誤認が拡散して行った。更にこの問題は我が国内だけでは終わらず、四月六日ドイツ・フランクフルトの映画祭で上映され、四月十二日のBBC(英国放送協会)と共に、「日本の政治家や右翼の圧力により検閲され、表現の自由の危機である」という構図に何ら疑問を持たない評価がされてしまっている。“虚偽に塗れた”朝日と中国筋が最も喜ぶ映画「靖国」が、世界中にばら撒かれてしまったのである。そして八月北京五輪は問題含みの中で開催され・終了し、これに味を占めたかどうか、映画制作会社龍映等は二十年十月、更にこの映画をDVDとして発売することとなった。朝日はこれにも幾度も広告を出している事は既述の通り。また朝日のホームページ社会面では未だに「映画靖国公式サイト」を堂々紹介掲載している。斯くの通り朝日の行動は中国の思惑と軌を一つにするものであったがこれは偶然か。真実を隠蔽し虚偽を捏造してまで自国を貶めるメディアを我々は放置していてよいのであろうか。
四、靖国神社の撮影許可手続問題
平成二十年五月十二日「神社新報」に拠れば、靖国神社は「龍映」に対し当初次の内容の通知書を出して、問題映像の削除やパンフレットの回収などを求めた。
龍映からは平成十七、十八年に撮影許可願ひが出てゐるが、この映画の撮影を目的とした取材申請は確認されていない。
映画のパンフレットに霊璽奉安祭と思はれる映像が掲載されているが、これは神社の重儀であり、祭祀の尊厳性保持の観点から撮影を許可してゐない。
パンフレットには「靖国神社のご神体は日本刀」といふ記述があるが、神社の御神体は日本刀ではない。
これに対し龍映側の回答内容(「」内)とそれに対する筆者の考え要旨は次の通り
「神社で確認した十七、十八年の撮影許可願ひの内容を示せ」と言い、自らが出した申請書の内容を相手に問い直しているとは・・・・。
「霊璽奉安祭はこれまでテレビなどで一度も放送されたことはなかったのか」とは、神様に手を合わせたことのある日本人ならまずしない質問だろう。この様な儀式は極めて重要な祭祀であり、撮影申請されても許可されない事は解るからである。映画には他にも元来撮影が許可されない遊就館内や、申請もされずに無断撮影された社務所内の映像もある。
撮影許可手続問題は、以上より製作者側の違背が明らかであり、御神体の問題は次で説明する。
五、靖国神社の御神体は「日本刀」ではない
靖国神社の御神体は「日本刀」ではない。「鏡」と「剣」であり、「剣」と「日本刀」とは同じではない。神社のドキュメンタリー映画で「御神体」を間違えていたら社会常識ではこれだけでその映画は終わりである。しかしこの映画では、放映開始直後の刀匠の刈谷直治氏の居合抜きのような映像の後、沈静した音楽と共に画面に次の字幕(横書き)が入る。
昭和6年から終戦までの12年の間
“靖国刀”と呼ばれる
8100振りの軍刀が
靖国神社の境内において作られた
明治2年
靖国神社設立
天皇のための聖戦でなくなった軍人を
護国の神“英霊”として祭り続けている
246万6千余の軍人の
魂が写された一振りの刀が
靖国神社のご神体である
そしてこの字幕の直後に一本の(柄も鍔も鞘もない裸の)日本刀の映像がアップされる。これにより一般観客は(まさかウソとは露思わず)、靖国神社のご神体は「日本刀」であると思い込んでしまうようにできているのである。
その後の映像は、百人切り冤罪裁判で問題視された日本兵(?)が日本刀で罪人の首を切ろうとしている写真を載せる等、「日本刀」が殺人道具である事を繰り返し強調し、日本=侵略国家を印象付けようとしている意図が見える。又刀匠の刈谷さんに対し、日本刀は刃毀れはするか、などと執拗に聞こうとし、日本断罪に役立ちそうな証言を引き出そうとしている。そもそも靖国の御神体は何かについては、靖国記録映画の最も基本的な事実認識であり、神社に問い合わせれば直ぐ解ることである。多分問い合わせたのかもしれないが、「事実」は、映画の趣旨には不都合な故に採用しなかったというところだろう。しかし基本事実に虚偽を弄して制作した映画とは何なのか。一方で靖国始め我国の多くの神社の「御神体」とはそもそも何なのか。この知識が不十分である限り、この映画の反日性の本質は解らない。以下、靖国神社崇敬奉会誌「やすくに」(平成二十年十一月一日西岡和彦氏)及び「神社有識故実」(神社本庁、八束清貫著)等により、神社の「」について、靖国神社に代わって説明する。
靖国神社の御神体は「鏡」と「剣」である。「御神体」は正しくは「」と称し、、、、とも言われて、神霊がせられる所のものをいう。神社では最も神秘にして神聖、侵すべからざるものであり、本殿の内陣に奥深く奉安して最も鄭重を期さねばならず、衆庶はこれを見ることはできない。
古事記等に拠れば、所謂「三種の神器」の一つである「の鏡」は天照大御神が天の岩屋戸に籠られた時に、大御神をお出しになるためのお祭りとして鋳造された青銅鏡であり、大御神が岩戸を細めに開けて御自身のお顔を映された、のに懸けられた鏡である。後に天照大御神は皇孫への天壌無窮の神勅(「この豊葦原の水穂国は、汝知らさむ国ぞ」との言よせ)の際に、「これの鏡は、ら我がとして吾が前をくがきれ」と詔まわれて、の・のと共にこれを命に授けた。以後歴代の天皇はこれを宮殿に置いて、自らの行動を、この「神鏡」と対面され大御神にお伺いを立てて決定して来たのである。第十代祟神天皇はこの神聖な「鏡」と「剣」をご自身の側に置く事は畏れ多いとして、皇女に宮殿外の別の神聖な場所で祀るように命じ、十一代垂仁天皇は皇女に命じて、五十鈴川のほとり、皇祖神天照大御神を祀る現在の伊勢神宮内宮に遷され、「御霊代」として祭られることになった。かかる事情から全国で「神宮」のみで呼ばれるのは「お伊勢さん」だけである。その後は全国各所の多くの神社では「鏡」を「御神体」として祀るようになったのである。なおこの「神鏡=」と「神剣」が伊勢に遷された後、宮殿には別の「鏡」と「剣」を造り、こちらのいわば代用である「鏡」は現在は宮中のに安置されている。靖国神社の御神体の「鏡」の製作者は不明だが、明治元年六月に江戸城大広間で行なわれた「招魂祭」で(=神様が降りられる真榊)に懸けられていた「霊鏡」であり、招魂社から靖国神社となるときにこれが引き継がれたといわれる。この「霊鏡」は本殿の更に奥の内陣に安置されており見ることはできない。我々が本殿参拝で正面に見る大きな鏡は、「霊鏡」に代わり一般参拝用に別途製作したものである。
一方「剣」は、天照大御神の弟であるがのを退治した時に、の尾から出てきた不思議な剣であり「」とも呼ばれた。命はこれを天照大御神に献上し、その後大御神から「神鏡」と一緒にに授けられたことは既に述べた。前述のとおりこの「神剣」はその後伊勢神宮に遷され祭られていたが、十二代景行天皇の皇子が内宮を訪れた時に命に授けられた。命は東伐に向かい焼津に到りによって野原で火責めに会った時、この「」で草をりい身を護って後相手を逆に火責めにした。このことからこの「剣」を「草薙の剣」と称するようになる。命は東夷を終えた後、妻の尾張の家に「神剣」を置いたまま近江伊吹山の神を静めに行き落命する。「護身剣」であることを暗示させる「神剣」は、その後宮簀媛命により熱田の地に祭られたが、三十八代天智・四十代天武天皇の宮中に一度戻った後、再び熱田神宮に祭られて現在に到っている。因みにこの「神剣」とは考古学などで見掛ける幅広諸刃の直剣であって、日本刀のような片刃でもなく反りもない。これを見ても「刀」と「剣」は別物であるが、但し古事記等では呼称においては両者を区別していない。熱田神宮の「神剣」の写真は見るからに祭祀用であって、実際の戦闘に使用されるような形状はしていない。靖国神社の御神体とされる「神剣」は明治二年六月刀匠栗原筑前によって鍛造された「鉄剣」であり、所謂「日本刀」ではない。これも本殿の奥内陣に安置されていて見ることはできない。
以上のとおり、靖国神社始め多くの神社が「御神体」とされる「鏡」や「剣」は、上記記紀等の記述によりその発祥において既に神性を帯びており、またその後の我国二千年の長い歴史と謂れを背負っているのであって、それ故に神様が憑依され、尊く崇敬されるのである。故に国家が国の命令で亡くなられた兵士を祀る靖国神社が「護身」の象徴たる「神剣」を「霊鏡」と共に「御神体」とすることに何ら不思議はない。これを否定するようなことは我国の歴史の否定であると筆者は考える。これに対し「日本刀」が現在のような形状になったのは室町から戦国時代にかけて以降であり、鍛造目的も「祭祀」ではなく「実戦」であった。映画「靖国」の制作者は、靖国神社のご神体の一方である「鏡」に付いては一言も触れていない。そしてもう一方の御神体「剣」については、「祭祀」用の「神剣」であっては困ってしまったのであろう。誰が見ても上記説明のような事実を知り写真を見れば、「日本刀」と「神剣」は別物であることは明らかである。彼らにとってこの映画では、「靖国の御神体」はどうしても「戦闘」用の「日本刀」でなければ、「日本の侵略戦争」(これ自体が巨大な虚構なのだが)を論ずることができなかったのである。普通の一般社会人であれば、自らの知る努力も含め事実を知った以上、自分たちの制作意図が間違っていたと諦めて、映画の制作自体を中止するであろう。しかし相手は一般社会人ではなく、南京問題等の捏造に限らず、政治外交関係においても虚偽が当りまえの「中国人」であった。そしてこれを日本に歪んで広めたのも、虚偽・歪曲報道を恬として恥じない朝日新聞であった。この朝日に引き摺られた、産経を除く他のマスコミも無罪とは言い難い。猛省を促す次第である。
六、善意の協力者に対する冒涜
知らずにこの映画に映されてしまった筆者には善意も悪意もない。一方靖国神社も含め、善意でこの映画に協力した人達も少なくない。しかし以下の通り、この映画「靖国」はこれらの人達の多くをも騙したうえで制作されたことも述べなくてはならない。
この映画の終了時の字幕の最初に登場人物として名前が挙げられているのは、刈谷直治氏、菅原龍憲氏、高金素梅氏の三名である。うち高金素梅は台湾の議員且つ反日活動家であり、この映画では靖国の社務所に押しかけて暴言を吐いていた。菅原龍憲は穏やかな浄土真宗僧侶の体裁であるが、この種の裁判にはしばしば原告で登場する反日プロ活動家である。一方刈谷直治氏は、映像からは朴訥ではあるが、刀匠一筋人生の誠実そうな人と見られる。大高氏が刈谷氏と面談した前掲論文(二十年四月六日刈谷氏宅訪問)の内容要約は以下の通り。
先ず刈谷氏の奥様は「私たち夫婦はこの映画に賛同していない。都合よく主人の映像が切り貼りされ、最初の申し出と話が違う。刀を作ることのドキュメンタリー映画という約束に協力したが、出来上がってみたら靖国神社の映画だった。」「以前一部映像を見せてもらった時、これでは困ると刈谷の名前と映像の削除を要求した。」「靖国は政治的な問題なので信頼する人を交えて全編観賞した後に承諾するか否か決めるつもりだったが、約束の日になっても李纓監督と中村高寛助監督はDVDを持参せず、今日現在も見ていない。」等々。
そして刈谷直治氏も「あんなふうになるとは・・・・」と。
また大高氏は、ご夫婦が考えた言葉を「映画靖国は不本意です。キャストとしての私の名前と私が出演している部分を削除して上映して下さいと申し入れしています」と整理した。しかし九十歳を越えた刀匠は体力を要する訴訟の原告は無理と考えている。
これで明らかなように、この映画制作者は、誠実な刀匠の晩年の仕事を踏みにじり、ご夫婦の静かな生活にも騒動を巻き起こしたのである。一方刈谷氏の抗議に対し、四月十一日李監督と田原総一郎氏他十数名の記者会見があった。李監督は「刈谷氏とは何度も会って作品も見て貰い了承も得ている。出演場面を削除してくれとは信じられない。何か大きな力により刈谷氏の心変わりがあった。」と述べて、またも「言論弾圧」かのような発言をし、記者からの質問を恐れた李・田原両名はそそくさ逃げるような卑屈さで退席したという。
次に、中村助監督に刀匠刈谷直治氏を紹介したのは、「靖国刀――伝統と美の極致」の著者であるトム岸田氏である。岸田氏は相手が日本人であり自著の読者であるとのことから、「靖国刀を日本の伝統文化として映画にしたいので刀匠を紹介して欲しい。宗教、政治には関係ない。」との言葉を信じ、関係者が中国人だとはおくびにも出さなかったために、刈谷氏を紹介してしまった、という。完成試写を見て裏切られた気持ちになり、自分の名前は消させたが、刈谷氏には本当に申し訳なく悔やんでいるとのことである。映画「靖国」は靖国神社に対しても刈谷氏に対しても、この様な姑息なペテンを策して出来た映画なのである。
七、私の決意と協力のお願い
さて私の肖像権侵害は個人的ではあるが、以上述べたとおりこの裁判は我国と靖国の名誉の為には絶対にやらなければならぬ、負けてはならない戦いである。
第一回口頭弁論を明日に控えた三月四日午後四時、映画「靖国」訴訟支援会事務局長の藤田裕行氏(南部藩士子孫)と、私に最初にこの映画への登場を知らせてくれた濱田實氏との三人で「出陣」の靖国神社昇殿参拝をし、「裁判必勝」をご英霊に祈願した。先に日本パラオ協会は一昨年靖国神社での「パラオ展」の共催等で神社との縁がある旨を述べた。パラオは文政四(一八二一)年南部藩住民の商船がパラオに漂着して四年後乗員の帰国以来日本に知られるようになったが、故南部利昭宮司は「ほう、我が領民が」と甚く感心され、ご幼少の頃ご実家の庭に背丈ほどもあるようなシャコガイの殻が幾つもあったことを思い出された。これもまた神社とのご縁である。私は昨年来の本件につき元旦日付で陳述書を完成させ弁護士に送付した数日後、南部宮司のご帰幽に接した。そして右出陣祈願の日には、宮司代務者三井勝生権宮司に親しく激励も頂いた。斯様なご縁がある靖国神社へのご恩返しのためにも必勝の思いを強くするのである。
最後に、私を応援して下さる友人・知人が中心になって設立された「映画『靖国』肖像権侵害訴訟を支援する会」の挨拶文を掲載し本稿を終わる。
平成二十一年二月十一日(建国記念日) 映画「靖国」肖像権侵害訴訟を支援する会
会 長 加瀬 英明
応援団長 藤井 厳喜
事務局長 藤田 裕行
拝啓 皆様に置かれましては益々ご健勝のこととお慶び申し上げます。
さて平成二十年五月、中国人・法人の手による映画「靖国――YASUKUNI」が製作され、台湾の反日活動家高金素梅を登場させ暴言をさせる等、その反日的な製作意図や、靖国神社始め多くの人達が映画になることを知らずに撮影されたこと等が問題になりました。またこの映画の製作には、元来日本人(法人)が作成する日本人の映画に対してのみ付与される筈の制作費補助金七五〇万円が、文部科学省より支払われたという問題も起きております。更にこの映画は同年十月にDVDとなり、反靖国の立場の朝日新聞がA3大フルカラーの販売広告を掲載しています。
このような問題映画のところ、愛国者であり靖国神社への尊崇の念篤い黒岩徹氏が、本人は全く知らずに主に黒岩氏に焦点が当てられるようにして撮影されていたことが判明致しました。黒岩氏は、このようなことは、我国の報道関係の正義や靖国神社およびご英霊の名誉に関わることであり、これを犯す今回の映画の中国人監督・製作会社・配給会社を、「肖像権侵害」として勇気を持って敢然告訴することに致しました。
他方被告側答弁書を見れば、この種の靖国訴訟にはしばしば名前が出る代々木系を含む反日弁護士が名を連ねております。これに対するに、原告側でも高池勝彦弁護士を代表とする弁護団を組み、不敗の決意で当って下さることになりました。
さて本件は明確な肖像権侵害と目されますが、敵はしたたかであり、長期化も予想されます。付きましては、日本と靖国の名誉を守り、中国人の横暴を粉砕する為に、ここに黒岩徹氏並びに本裁判へのご支援を何卒宜しくお願いする次第であります。
敬具
事務局よりお願い:裁判は長期化が予想されます。何卒ご協力をお願いします。
郵便振替口座:00130-8-432995 名義:映画靖国訴訟支援会
問合先:事務局長 藤田裕行(080-5543-0111)
第二回口頭弁論は五月十八日十三時から、東京地方裁判所七一二法廷
2009-06-26 00:10
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