シンシナティで長年トークショーのホストをつとめたニック・クルーニーを父に持つ。叔父には俳優のホセ・ファーラーと叔母には歌手のローズマリー・クルーニーがいる。父とともにスタジオによく来ていた影響で5歳の頃からショービズの世界に慣れ親しむ。15歳のときに連続2,130試合出場して“鉄人”と呼ばれた野球選手ルー・ゲーリッグ(NYヤンキース)の伝記映画『打撃王(42)』を観てからずっと、野球選手になる夢を持ち続けていた彼だったが、大ファンであるシンシナティ・レッズに入団することはできなかった。ノーザンケンタッキー大学でジャーナリストを学ぶが、すぐに飽きてしまう。この頃は自分が何をしたいのかわからず、パーティと酒三昧だったと本人も語っている。ちょうどその頃従兄弟で俳優のミゲル・フェラーに誘われ、ロケに遊びに行ったのがきっかけで、ハリウッド行きを決意。82年、LAに渡りTVで活動を開始。映画デビューは、チャーリー・シーン共演の作品だったが、結局リリースされず、お蔵入りに。実質的な映画デビュー作は『ハイスクールはゾンビテリア(86)』。長い下積み生活の後、94年にスタートしたTVシリーズ『ER 緊急救命室』の小児科医ダグ・ロス役で一躍全米に名を知らしめる。以降は大作に多く出演、最もセクシーなセレブに選ばれるなど、大スターの仲間入りを果たした。『コンフェッション(02)』では初監督を務め、2005年度アカデミー賞では、『グッドナイト&グッドラック』と『シリアナ』の2本で監督賞、脚本賞、助演男優賞の3部門にノミネート。助演男優賞部門でみごと初のオスカー受賞を果たした。監督・製作・俳優として精力的に仕事をこなしている。 ●1989年12月に女優のタリサ・バルサムと結婚。1993年9月に約4年の結婚生活にピリオドを打った。子供なし。 ●15歳の時、顔面麻痺の病気にかかる。医者には、この麻痺が全身を駆け巡り、何年も治らないか、ともすると一生治らないかもしれないと言われた。が、結局まもなく完治。 ●野球チーム、シンシナティ・レッズの大ファン。15歳の時に野球選手ルー・ゲーリッグ(NYヤンキース)の伝記映画『打撃王(42)』を観てからずっと、野球選手になる夢を持っていたが、かなわず。 ●俳優になることを決意したとき、大学をちゃんと卒業してほしかった両親は反対したが、どうしてもと言うならお金を貯めろと言われ、いろいろな仕事(女性用のくつやタバコを売る仕事もしていた)をしてお金を貯めた。 ●俳優になる前いろいろを仕事をしてお金が貯まったので、76年式でボロボロの車モンテカルロを買って乗っていた。 ●ハリウッドでは、シンガーであり女優の叔母ローズマリー・クルーニー(妹のベティ・クルーニーと、ザ・クルーニー・シスターズというデュオを組んでいた。デュオを解散したあとはソロシンガーに。TVシリーズ『ER』ではゲスト出演もしており、甥のジョージ・クルーニーと共演も果たした)の家にやっかいになっていた。住まわせてもらう代わりに、彼女の手伝いをせねばならず(家の塀のペンキ塗りなどなど)、それがとても苦痛だったらしい。そんなわけで彼は、叔母の家を出た。 ●叔母の家を出たあとは、友達の家に転がり込み、クローゼットで寝ていたらしい。 ●駆け出しの頃は、質の悪いTV番組に出演し、そのときの演技がひどかったとジョージ自身が認めている。 ●大人気だったTVシリーズ『Facts Of Life』に1年間出演し、やっと知名度が上がった。おかげで人気TVシリーズ、『Roseanne』(ロザンヌ、ジョン・グッドマン主演)のなどへの出演オファーが来た。が、『Roseanne』のプロデューサー曰く、ジョージがどんなに底意地の悪い役を演じても、ハンサムな容姿のせいで、女性視聴者は彼を憎らしく思うどころか、彼が出てくるのを心待ちにしてしまうので、悪役ではうまくいかないらしい。 ●『ER 緊急救命室』での大ブレイクにより、役柄をより好みすることができるようになった。 ●『ER 緊急救命室』のDrロス役を5年務めて降板し、二度と復帰はしないと公言していたのだが、キャロル・ハサウェイ役のジュリアナ・マルグリースが降板する最後のエピソードには約1分ほどノンクレジットで出演。ジョージが降板する最後の回でたくさんのゲストが出てくれたということもあり、出演を決めたとのこと。このことは一切事前に発表しないつもりだった(こっそり出演するつもりだった)のに、どこからか漏れてしまったらしい。ギャラは"Screen Actors Guild"(ハリウッドで働く俳優が入らなければいけない組合のようなもの)に支払う金額のみを受け取ったそうな。 ●プレイボーイで有名だが、高校時代の友人の女性は、「当時はシャイだった」と語っている。 ●一度の離婚後、彼は二度と結婚しない、子供も作らないと公言したが、映画で共演したことのあるミシェル・ファイファーとニコール・キッドマンは、彼が40歳までに絶対パパになっていることに1万ドル賭けた。結局40歳を迎えた時、彼はパパになっていなかったため、二人はジョージに1万ドルの小切手をそれぞれ送った。が、彼はその小切手を二人に返し、「50歳になるまでにパパになっていれば倍で賭けよう」と言ったそうな。 ●ブタをペットとして飼っている。名前は「マックス」。 ●"The Beverly Hills Playhouse"で演技の勉強をしたことがある。 ●『スリー・キングス』の撮影中、監督のデヴィッド・O・ラッセルと殴り合いになったという噂。監督があるエキストラをあざ笑ったとかで、それに対してジョージがキレたらしい。そのすぐ後のインタビューでラッセル監督は、「2000万ドル積まれてたって、ジョージ・クルーニー映画は二度と作らない!」と語っていたとか。 ●自身のプロダクション"Maysville Pictures"の社長。 ●大人(お子様は見ちゃだめなので)の人気アニメ『サウスパーク』の大ファン。このアニメ作者トレイ・パーカーにコンタクトをとり、何かの役(声)をやらせてくれと頼んだところ、ゲイの犬「スパーキー」の役をゲットした。 ●リドリー・スコット監督作『テルマ&ルイーズ(91)』のJD役のオーディションを5度も受けたが、結局役は現在親友であるブラッド・ピットのものに。 ●大のビール好き。バドワイザーのTVコマーシャルに声の主演しているほか、『オーシャンズ11(01)』撮影の際の楽屋にはビア樽を置いていた。 ●NBAのバスケチーム、ダラスマーヴェリックスのファン。 ●2005年の「Men's Vogue」創刊号の表紙を飾った。 ●『シリアナ(05)』で、シーンよりリアルに見せるため、イスに縛りつけられた状態で激しく後ろに倒れたのだが、それが大きな怪我につながった。椎間板の損傷と頭部の強打などにより、頭痛や腰痛に悩まされていたが、手術を行い順調に回復している。 ●『ER 緊急救命室』でDrエリスを演じたトミー・ヒンクリーは仲のよい友人で、ジョージの初監督作『コンフェッション』にも出演している。 ●『奥さまは魔女(05)』や『プロデューサーズ(05)』などなど多くの作品で脇役として活躍するリチャード・キングは親友。ジョージの初監督作『コンフェッション』にも出演している。 *掲載している宛先は必ず届くと保障をするものではありません。 c/o Creative Artists Agency 9830 Wilshire Boulevard Beverly Hills, CA 90212-1825 |