J1大分トリニータがシャムスカ監督を解任した。90分間の試合になってからリーグのワースト記録となる14連敗の成績不振が理由となった。2005年9月に監督に就任してからJ1降格の危機にあった大分を残留に導き、08年にナビスコ杯で優勝、09年に解任へと至ったシャムスカ監督。ジャーナリスト木村元彦氏に「シャムスカ現象」を検証してもらった。
「やる気」生む
シャムスカは先を見越しての強化施策については上手くないが、希代のモチベーターである、日本人のメンタリティーに即して、「やる気」を引き出すという手法は見事である、と専門誌に書いた。心理面からのアプローチは本当に見事なものでそれゆえにスタッフや住民にも愛された。
さて、名将と呼ばれる人物は何を見れば分かるか。本質を知りたければコックならば調理場、サッカー監督ならば練習場である。過去、名古屋を率いていたアーセン・ベンゲル(現アーセナル監督)は選手を立たせ、ボールを転がすところから始めてフラット4のリアクションサッカーを教え込んでいた。コンパクトなモダンサッカーが浸透し、前年最下位のチームが2位に躍進した。
千葉のイビツァ・オシム(前日本代表監督)は多種類のビブスを用いて人もボールも動くサッカーを叩(たた)き込んだ。次々に人が湧(わ)き出るような走力で度肝を抜き、初年度はマンマークの3バックを土台にしたカウンターサッカー、2年目はポゼッション率を高め、ナビスコ杯優勝の翌年は完成型として2バックの超攻撃的布陣を敷こうとして代表監督に引き抜かれた。
それぞれ体系的に段階を踏んだトレーニングを施し、特に無数の引き出しを持つオシムは2日と続けて同じメニューが無かった。この2人の練習方法は意図と図解が併記された書籍となり、「ベンゲルノート」「オシムの練習法」として書店に並んでいる。オシムは実行した段階でもう練習は古くなるから意味が無いぞと言っているが、一読を薦めたい。
進化しない練習内容
4年前と同じ
さて、シャムスカである。私は今年、連敗中に練習場に通って愕然(がくぜん)とした。行われていたのが、ミニゲームを中心とした4年前とほとんど変わらないメニューなのである。サッカーは日進月歩で進化している。昨年はスペインのファンタジーがユーロを制し、バルサのCL制覇も相まってその時代が続くかと思われたが、今年のコンフェデ杯でアメリカのハードワークの前に屈した。
Jリーグに眼(め)を転じれば、2005年にリーグ戦2位になった小林監督のセレッソ大阪は翌年J2に降格している。選手以上に監督は世界の戦術に気を配り、鋭意努力して毎年変わり続けなくてはいけない。
日本人の良い例がガンバ大阪の西野朗監督である。アトランタ五輪代表監督時、ブラジルを下すが、その消極性で中田英寿とぶつかる。ガンバでもFWマグロンをターゲットにした放り込みサッカーで批判を受ける。しかし、近年、時と経験を経ると、J屈指のパスサッカーを展開し出した。去年見せたCWCでのマンUとの打ち合いは記憶に新しい。
決定的な違い
Jの各クラブは毎年戦術を洗い出し、検証し、自分たちの型を作っていく。例え前年チャンピオンでも同じことの繰り返しではあっという間に置いていかれる。そんな中で進化に対応しない練習メニュー。いかにモチベーション喚起とスカウティングに秀でてもこれでは勝てない。相手の良さをスカウティングで消すことができても最後まで発展的な自分の型を持てなかった。それが降格しても続投を支持された広島のペトロビッチ監督との決定的な違いである。
3バックの練習しかしていないのに、いきなり4バックをやらせたり、走れない選手で先発を固定したり、混迷はかなり見られた。しかし、不思議なのは何連敗しても、練習場で改善しないシャムスカの引き出しの無さを指摘するリポートがメディアを通じて一切聞かれなかったことである。試合で起こる全ての要因は練習から始まっているにも関わらず、である。
「大恩人」批評できず
問題が矮小化
確かにシャムスカは大恩人である。しかしそれを聖域化してしまったことで冷静な批評ができなくなっていた。弱体化の原因を、やろうとするサッカーの停滞に触れることなく、解雇された通訳の不在や、荒れた芝生といった外的要因に求めることなどで問題が矮小(わいしょう)化された。選手の体幹が弱くなり、切り返しについていけないのも、選手が走らないのも通訳のせいなのか? 揚げ句、メディアのミスリードは強化部対シャムスカという誤った構図に転換されていった。
冷静に検証しよう。2005年の降格危機を救ったのは紛れも無くシャムスカである。しかし、2007年にシャムスカ自ら連れて来たブラジル人マラニョン、アウグストが機能せず、中断期に大喧嘩(げんか)してホベルト、エジミウソン、鈴木慎吾を入団させて残留を勝ち取らせたのは強化部である。2008年に抜群の存在感を見せたウェズレイも指揮官が代理人のところまで行って必要無いと言っていたのを強化部が説得した。
両者は補完し合って良い仕事をしていた。両輪であるべき二者が、敗戦が続くとその責任においてシャムスカ対強化部の二極対立の構図に押し込められ、功労者シャムスカを解任すべきか否かという人気投票のような記事は上がっても、問題の本質からはどんどん離れていった。そもそも誰よりもシャムスカに勝って欲しいと願っていたのは原靖強化部長だろう。4年前、日本では無名だった彼を発掘したからこそ、矢面に立ち、14もの黒星を我慢したのだ。
J最高の年俸
シャムスカの年俸はプレミアムなどを含めて1億円をはるかに超えるという。これは日本代表監督以上、Jリーグ監督の最高年俸である。浦和レッズをアジア王者に導いたオジェックでも9千万円である。来日時、極めて謙虚だったシャムスカが不振の原因を補強と、一度は納得した通訳のせいにしたことを聞いて残念に思った。すなわち連敗理由のベクトルを手詰まりになった自らの指導法に全く向けていない。どんな仕事でも現状に満足すればそこで、成長は終わる。
ちなみにベンゲルには村上豪、オシムには間瀬秀一という通訳がいた。どちらも最初クラブ関係者やクロアチア大使館から意味が通じていないようなので変えようかという提案があった。しかし両監督ともに自分が育てると言って、やがては当たり前のように勝っていった。
切に精進願う
強化部の責任を問うなら二つである。シャムスカに人材登用の才が無いのを分かっていたのに、意向を聞き入れ、実績あるフィジカルコーチを外して、その選択を任せてしまったこと。結果、けが人が続出した。もうひとつは監督としての限界も分かっていたのに、情実と、世論に押される形で、むしろ解任を引き延ばした点である。プロならばどんなにバッシングされようと毅然(きぜん)として意思を示すべきだった。シャムスカも本音は何故自分がクビにならないのか、不思議だったに違いない。
ともあれ、シャムスカが大分に大きな僥倖(ぎょうこう)を残してくれたのは事実であり、すばらしい人間性であったことに代わりは無い。尊敬すればこそ、わたしは聖域化しない。パンパシによる準備不足が不安視される中、キャンプに早く入らなかった。誰もが自分に優しくなり、複数年契約とベンゲルやオシムですら手に入らなかった大きなお金をもらい、慢心は無かったか?
契約、町の優しさ、大分ほど良くしてくれるところは無いだろう。シャムスカが世界的な名将になるためにもっともっと精進してくれることを切に願う。そのためにもまずは人のせいではなく、自分の責任としてこの14連敗としっかりと向き合って欲しい。それがサッカー監督だ。
またいつか、どこかで。
ジャーナリスト・木村元彦(きむら ゆきひこ) 1962年愛知県生まれ。アジア、東欧を中心にスポーツ人物論、民族問題を「文藝春秋」「AERA」「「サッカー批評」などに寄稿。著書に「オシムの言葉」(集英社)「誇りードラガン・ストイコビッチの軌跡」(集英社文庫)「終わらぬ『民族浄化』ーセルビア・モンテネグロ」(集英社新書)などがある。
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