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金城氏は罪の巨塊かに加筆したものです。
◆「軍の命令」という思惑 ( 『証言を阻む南の島の呪縛』より抜粋)
沖縄を占領していた米軍は、沖縄を日本から分断して、永久占領を目論んでいた。そのため沖縄人宣撫のために発刊されたのが『鉄の暴風』であり、同書は米軍のプロパガンダの役目を担っていた。『鉄の暴風』に山城安次郎氏の体験談が記載されなかったのは、太田良博氏と山城氏の夫々の思惑が合致したからではないか。その思惑は、更に次の三つの思惑に分けられる。
〈米軍の思惑〉
米軍にとって、山城氏の体験談を記載することは、「残虐な日本軍」の印象を県民に植え付けるのが目的の『鉄の暴風』の主旨にそぐわなかった。
〈島の思惑〉
戦後、村の助役として戦後補償に奔走したとされる山城氏は、「援護法」を集団自決の犠牲者全てに適用させたかったが、実際は軍命令ではなく村のリーダーのパニックによる誘導が原因だった。
〈加害者と被害者の思惑〉
集団自決といっても、座間味島の場合、手榴弾による自決者は暴発による犠牲者が数名だけで、他は農具等による殺し合いが主であり、自決を「手伝った人」も多くいた。そして生存者の中には、自らが被害者であり、また、加害者の立場に立たされた人が多くいた。
この三つの思惑を見事に一致させる唯一のキーワードが「軍の命令」である。「軍の命令」さえあれば、自決の「手伝い」をした生存者は、贖罪意識のいくらかは救われる。そして現実的な問題として、「援護法」を自決した住民へ適用させるという思惑と、米軍の『鉄の暴風』発刊への強力な思惑が一致して、山城氏の体験証言は、以後、永久に闇に葬られることになる。
山城氏はその後、島を出て、新聞社編集長を経て、テレビ会社に入社し、マスコミ業界を歩みつづけ、沖縄テレビの社長にまで上り詰めるが、大田記者とどのような約束があったのか、彼は一切自分の体験を語ることはなかった。
ここに「残虐非道な日本軍の命令による集団自決」という神話が誕生する。
「軍の命令」さえあれば、八方丸く納まったのだ。
◇
そう、「軍の命令」さえあれば、すべてがうまくいっていた。
ある時期までは。
二人の元隊長が、その(軍命)の汚名を甘んじて受けていたから。
高名なノーベル賞作家が、大手出版社を通じて全国的に、
元隊長を「ペテン師」「屠殺者」と罵倒するまでは。
ここに、最も「軍の命令」が必要な男がいる。
親兄弟や他人を含む十数名以上の大量殺人を犯した男は、
「まず救いの道をキリスト教の信仰の道に求め、ついで責任を全面的に他者へ押し付ける方法を模索した。」(『現代史の虚実』)
責任を全面的に押し付ける相手として「悪逆非道の日本軍」ほど適したものはない。
何しろ日本軍を糾弾する左翼勢力が全面的に支援してくれるのだ。
集団自決の当事者で「軍の命令」が一人歩きをはじめる背景にはいろんな思惑が複雑に入り組んでおり、真相の解明を困難にしている。
自分の犯した罪の贖罪をキリスト教に、そして責任転嫁を軍に求めた金城重明氏の心の軌跡を、
現代史家・秦郁彦氏が『現代史の虚実』で詳述しているので、関連部分を抜粋して以下に引用する。(太字強調は引用者)
◆
《金城氏は1929年、渡嘉敷島の阿波連集落に生まれた。家族は両親、二つ違いの兄、妹と弟の6人で、うち4人を集団自決で失っている。
島の小学校高等科を終え、16歳1ヵ月だた重明少年は3月23日、阿波連の住民たちとともに7kmの山路を歩いて自決現場へ集まった。その後に起きた事態の詳細と解説は、彼が1970年マスコミに初登場していらい、そのつど微妙に食い違う。(略)
「軍からやっと自決命令が下った」ので、まず手榴弾を使った家族単位の自決が始まったが、数が少なく不発が多かったので棍棒、カマ、クワ、カミソリを使った殺し合いに移行する。本人も目の悪い兄と一緒になって母と妹をなぐり殺したあと号泣しているところへ、ある少年から「こんな犬死するより、米軍に切り込んで死のう」と誘われ、その気になった。だが途中で兵士や島民の生き残りに出会い、死ぬのをやめたというのが、あらましの筋書きである。(略)
しかし「集団自決」の生き残りとして内外マスコミ寵児となっていた金城牧師は、沖縄原理主義の運動家として進む以外に加害者責任から逃げる道はないと思い定めていたのだろうか。
家永裁判で集団自決は「軍隊の存在と誘導」が原因で「直接的な命令は不必要」と宣言した金城氏は、07年6月2日の那覇シンポジウムでは「日本軍の強制・命令・抑圧」だとエスカレートさせていく。
それから三カ月後の9月10日、大江裁判の那覇出張法廷で金城牧師は支援デモ隊の先頭で気勢をあげてから出廷したが、松本・徳永両弁護士の鋭い反対尋問を浴びた。尋問記録は規則により11月に解禁されたので、要所を抜き出し質疑(QとA)の形で紹介しよう。
Q 軍の強制があった、という記述の削除を求めた文科省の検 定意見をどう思うか。
A 集団自決の体験者が軍の強制、命令があったと証言している。歴史教育の本質を否定してはならぬ。
Q 金城さん自身は、手榴弾を配布されたか。
A 私と同年輩の仲間は、誰ももらっていない。
Q 自決命令は誰から聞いたか。
A 誰ということもなく噂が出た。村長が天皇陛下万歳と叫んだ。それが自決命令という認識なんですよ。
Q あなたは1995年の自伝で初めて万歳三唱のことを書いている。 なぜか。
A いや、とくに理由はない。
Q 村長の万歳を直接に聞いたのか。
A 聞いた。 強烈に残っている。
Q 聞いているのに、書かなかったり、書いたりということか。
A そう言われたら否定できない。
Q 手榴弾での自決者は何人ぐらいか。
A 10人ぐらい。 死んだ人はいなかった。
このあたりまでは語り部として手慣れた応答ぶりを見せ、あやふやな部分も記憶にないとか後で知ったとか器用に切り抜けているが、核心部分に入ると空気は一変する。次に進もう。
Q 金城証人が手をかけたのは家族だけではありませんね。
A はい。
Q (手記を読み上げ)これは証人がしたことに間違いありませんか。
A まあ、はっきりは覚えていませんが、まあ、事実だろうとおもいます。
Q あなたとお兄さんの重栄さんに米軍への切り込みを誘った少年は、山城盛治さんではありませんか。
A いえ、違います。
Q 村史に出ている山城さんの体験談はご存知ですよね。
A はい。
Q (読み上げて)ゴボウ剣で子供は背中から刺し殺し、子供は肉は薄いもので向こう側まで突き通るのです。 女の人は上半身裸にして左のおっぱいを自分で上げさして刺した。 私は後ろから支える役でしたと書かれているが、「三人一組で、一人は今大学の先生」というのは証人のことじゃないんですか。
A 間違いないと思います。
Q 間違いないと言われたんですよね。
A はい。
Q 殺したり、殺そうとした人の数は何人くらいになるんですか。
A ・・・・・
Q 覚えていないですか。
A わかりません。
Q 二人や三人じゃないですよね。
A はい。
ここで見かねたのか、裁判長が「この人の傷をそうえぐることを、必要以上にされるんであれば制限します」と口を挟む。 弁護人は不服そうだったが、証人から「私は自分の意志で殺したのではなく、軍の命令によって死を遂げ・・・」という弁明を引き出して尋問は終わった。
金城牧師は「罪の巨塊」か
長々と金城牧師の証言と尋問を紹介したのは、今や沖縄原理主義の象徴的存在に祭り上げられている彼の心の軌跡をたどることで、いつの間にか集団自決が政治的争点にシフトしていった契機をさぐりたいからである。(略)
彼はまず救いの道をキリスト教の信仰の道に求め、ついで責任を全面的に他者へ押し付ける方法を模索した。家永裁判の意見書で彼は「たとい人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか」というマタイ福音書の一節に出会い、それを「一人の人間の命は全世界より重い」と解釈して、それが「生きる原点」になったと述べている。
ところが曽野綾子氏から、聖書の命はギリシャ語のブシュケーだから「永遠の命」(魂)のことで「金城先生の聖書解釈は間違っている」と指摘されるや、「その通りであります」とあっさり屈してしまう。 ちなみに「全世界より重い」の名文句は、ハイジャック犯の脅しに屈した福田赳夫首相(当時)の造語らしく、金城牧師はそれを借用したのではないかと私は疑っている。 おそらく金城氏が最も悩んだのは、被害者十数名以上と噂されている「犯行」のあと、いちはやく米軍に投降し生きのびた事情の釈明であったろう。
牧師はいまだに真相のすべてを告白しておらず、大江裁判でも裁判長の温情で追及を免れた。
聖書の誤読はやむをえない動機からだとしても、数十年にわたり日曜礼拝で説教されてきた信者の被害はどうしたらよいのだろう。(『現代史の虚実』秦郁彦著 2007年)》
◆
>「集団自決」の生き残りとして内外マスコミ寵児となっていた金城牧師は、沖縄原理主義の運動家として進む以外に加害者責任から逃げる道はないと思い定めていたのだろうか。
戦争という特殊な状況下での金城氏の「犯罪」を戦後表立って咎めるものはいなかった
だが、左翼の先頭に立って「軍命令」を主張する活動家となり、講演会や出版活動にとどまらず、裁判の証人にもなって「軍命令」を主張するとなると、当然彼の言動は批判の目に晒される。
金城氏は法廷での証人尋問の後、講演会で次のように強弁している。
「原告側弁護団は『ああしただろう、こうしただろう』と犯罪を吐かせるような形だった。私は腹が立ったというより言葉を失った」と。
そして法廷では、「(自決命令は)だれというともなく噂」だったといっておきながら、
琉球新報記事では「軍隊なしに集団自決は起こり得なかった。命令がなかったという意見があること自体おかしい」と発言を翻している。(琉球新報 2008年2月6日)
そもそも、軍の命令の証拠とされる「手榴弾の配布」も法廷証言では、
「手榴弾で死んだ人は一人もいなかった」となっているではないか。
金城牧師の口から真実が語られることはないのだろうか。
金城氏を悲劇の主人公に仕立て上げる左翼勢力は、彼の加害者としての影の面には敢えて目を閉ざす。
本来なら生き残っていた筈の子供達の尊い命、彼に命を絶たれた子供達の無念、遺族の怨念・・・これらに少しでも思いを馳せる金城応援団を寡聞にして知らない。
常日頃「命どぅ宝」を声高に叫ぶ左翼勢力に限って、
金城氏によって断たれた多くの尊い命に触れものはいない。
金城氏の応援団が、金城氏の殺人行為を指摘され、「彼らの行動の背景にある問題は見ようとしない」などと強弁する態度は、
殺人事件の殺された人の人権には一顧もしないで、ひたすら殺人犯の人権のみを声高に叫ぶ「人権派弁護士」の傲慢さを彷彿とさせる。
【おまけ】 読者の縁側さんのコメントをご紹介します。(太字強調は引用者)
2009-07-18 17:29:29 縁側
《狼魔人さま こんにちは
目取真氏のブログに行ってきました。執念深いです。こんなコメント入れましたが、公開しないでしょうから、こちらで失礼させていただきます。
◆
目取真様 こんにちは
岩波・大江裁判の支援者だったのですか。納得です。
あなたの仰るように、金城兄弟が生を受け、育った時代に日本は戦争をしました。平時と戦時の教育に違いがあるのかどうなのか私には分かりません。あの時代と現代の教育に優劣をつけることも、私にはできません。彼が犯した行為についても当時を知らない貴方や私が推定論を展開するのは間違いでしょう。しかし、金城重明氏は自分の家族以外の生きられた可能性のある者を多数殺しておきながら、積極的に「軍命あり」の論者として講演活動をし、裁判の被告側証人にもなっている。その裁判では他人を複数人殺した事実を認めています。もしも遺族援護金をもらっているとしたら、小林氏の表現する〈何という怖ろしい罪深さか!〉も当然ではないでしょうか。
殺人鬼と化した金城氏が戦後罪を悔い、牧師として懺悔する人生を送っていたら誰も彼を非難できなかったでしょう。しかし彼は自らの犯した罪を日本軍、当時の教育などに転嫁して恥ずることもなく生きている。
目取真さん、なぜあれだけの人間を殺せたのか金城氏に尋ねたことはおありですか?支援者なら真実を知る勇気を持ち、当然お聞きになるべきですね。同時に彼に殺された方々のご遺族にお会いし、当時の様子や、金城氏に対するお気持ちなど取材されましたか?貴方には是非やってほしい。そしてそれを産経新聞や、「WILL」・「正論」・「諸君」などに寄稿なさってください。それを断られても「ブログ」で上の新聞社や出版社を批判できますよ。もちろん、地元の二紙もバックアップしてくれると思います。そして小林氏との公開討論をなさってくださいませんか?沖縄県民の前で小林氏を論破してくださいよ。お願いします。》
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http://ameblo.jp/campanera/entry-10302669741.html
縁側のコメント。涙がでます。
正に同感です。
「牧師として懺悔する人生を送っていたら誰も彼を非難できなかったでしょう。」その通りです。しかし、彼は それをしないで、牧師を忘れ、「活動家」になった。
、、、、、おそらく、目取真氏からはコメントに対する回答は来ないでしょう。
「別のコメントが来るかも、、、」
私の同級生のお父さん、もう亡くなりましたが、彼(同級生のお父さん)も戦争に参加(おそらく、防衛隊でしょう。) したそうですが、死ぬまで、オヤジは戦争のことも、日本軍の悪口も一言も言わなかったよ、、て、、
言ってました。
私も学生のころ、同級生のうちによく行きましたが、戦争の話は聞いたことがありませんでした。
縁側様!あなたは勇気ある素晴らしい方とお見受けいたしました、このようにはっきりと本当のコトをいえる方がヤッパリこのブログにはいらっしゃるので嬉しいです!ただし「めどるま」なる抜け作は全く受け付けることは出来ないのではないでしょうか?それはこの男が完全に「軍・軍人は悪!だから被害者は何をしても良いし軍人たちはどんなにいいことをしても無駄!責め続けてやる!」という考えに凝り固まっているからです。しかし本当のことはどんどんこんな肩書きだけの能無しには言ってやった方が良いんです!それが赤松氏や遺族の皆さんのためになると思います!爽快なコメントを見せていただきました!縁側様は凄いです!見習わせてください!
この口挟んだ裁判長にも腹が立ちますね。「軍命」かどうかが大事な裁判なのに・・。どーかしてますよね。
義挙人さま、もみさま、お褒めいただき赤面しております。目取真ブログは注視していきましょーね。
トラネコさま
>ノミのキ○タマくらいの根性しかない奴ですから、まあ無理でしょう。
:う〜ん。見たことないし・・、何とも・・(~_~;)
こんばんは。今日は連休を利用して、釣りです。
形のいいアジが10匹ほど上がり、それを肴に一杯飲みながら、コメントしています。沖縄勤務時代もよくグルクンを釣っていましたが。
狼魔人様、縁側様、ヒロシ様、義挙人様のお話は、沖縄発なので、非常に参考になります。
沖縄の偏向マスコミは、馬鹿左翼の主張しか報道しませんから、こうやってじかに沖縄県民の声を知ることが出来るのも、ネット普及の恩恵かと思っています。反日マスコミがいくら偏向報道しようが、一番真実を知っているのは、地元に住んでいる人達です。私が沖縄問題に首を突っ込んだのも、沖縄のオジー、オバーの話がきっかけです。オジー、オバーは戦争の直接体験者です。説得力があります。
確かにさきの戦争で、多くの尊い命が失われたのは、悲しい出来事です。集団自決も2度とあってはならないことです。ただそれが日本軍の命令なのか、そうでないのか。は別問題です。
私は技術系の仕事なので、余計にそう思うのですが、仕事の過程で自己保身のため、自分のミスを隠したりすると、出てくる結果は意外に大きな損失となって現れます。私達はそういうのを、悪魔のささやき。と呼んで戒めています。
軍命あり派の主張も、実は自己保身とお金のためだったとと国民が知った今、沖縄県に与える損失は計り知れないと思いますよ。
オジーは徴兵で満州に言っています。
満州で抑留生活も経験しています。
オジーは言います。「日本のため一生懸戦った。」と。オバーはオジーが徴兵でいない中、オジーの両親と子供達を連れて、北部に疎開しています。
オバーは言います。「今更あれが悪い。これが悪いと言いたくない。当時はそんな時代だった。」と。
日本軍の悪口も、オジー、オバーの口から聞いたことはありません。
私は、沖縄のオジー、オバーの姿が当時の平均的な沖縄県民像だと思います。沖縄の政治結社マスコミの報道はとても信用できません。
どうしても書いておきたい事があります。
オバーが戦争で一番苦労したのは、戦後疎開から帰ったとき、土地の奪い合いがあったそうです。
一家全滅などで、権利のはっきりしない土地や農地に、集落の欲が群がったそうです。被害は戦争で大黒柱を失った、力の弱い母子家庭により及んだそうでです。
同じ集落の人達の争いなので、余計に辛かったとオバーは言います。同じようなことは、沖縄史の闇の一部ですね。
恵隆之助さんの調査によると、普天間基地なども地権者の権利関係がはっきりしなくて、国は事実上申請者の言いなりに、軍用地料を払っているそうです。普天間基地移転問題が拗れているのもその辺に原因の一端があるように思います。
情報ありがとうございます。
義挙人さん
目取真氏もコメント欄を封鎖しても読者の目に触れることに気が付かなかったのでしょうかね。
宮城晴美氏も金城兄弟も「破綻した主張」をすれば当然反撃されるわけで、それを「許すな」とは彼も「言論封殺魔」なのでしょうか。(笑)
もみさん
今朝目取真ブログを覗いてみたら、相変わらず縁側さんのコメントは封殺したまま、お仲間と「許さん」といっていますね。(笑)
トラネコさん
昔から吠える犬ほど臆病だと言われますね。
>>ノミのキ○タマくらいの根性しかない奴ですから、まあ無理でしょう。
ノミのね〜、私も、見たことはないので一度くらいは後学の為見てみたいとも・・・、
エ? 目取真さんの?
見たくもないですよ!
縁側さん
裁判長も「戦後民主主義」に毒された加害者の人権しか考えない「人権派弁護士」と同じ立ち位置ですよ。
これからも折をみて目取真ブログの大口叩きを笑って生きましょう。
涼太さん
自分が釣った魚を肴に、ビールで一献。
羨ましいですね。
>オバーが戦争で一番苦労したのは、戦後疎開から帰ったとき、土地の奪い合いがあったそうです。
一家全滅などで、権利のはっきりしない土地や農地に、集落の欲が群がったそうです。被害は戦争で大黒柱を失った、力の弱い母子家庭により及んだそうでです。
仰るとおり、沖縄の戦後史には「不都合な真実」を覆い隠した闇の部分が多いです。
責任転嫁の沖縄戦後史ではなく、イデオロギーから離れた若い研究者の検証を期待したいです。
沖縄人にも自浄能力があることを示すために、この「自浄の沖縄史」は是非とも沖縄の研究者にやって欲しいのですが、それには沖縄タイムス、琉球新報の呪縛から解放されるのが先ですね。
日暮れて道遠し、の心境ですね。(欝)
あー、ビール飲みたい!
沖縄の方が、沖縄の真実の姿を研究する。かなり難題ですね。沖縄の真実を語る人に対する醜い圧力もありますし。
そのことは、戦後の自虐史感に毒された、日本本土も同じです。あとは程度の問題ですが。
戦後はみんな餓えていますから、がむしゃらに働いた。資源の無い日本は、エコノミックアニマルと馬鹿にされようが、そうするしか空腹を満たす方法は無かった。そうした親たちのの考えは、戦後生まれの、私にも引き継いでいます。
同じアジアの情勢を見るにつけ、親たちの考えは間違いではなかったと思います。私が社会人になった頃は、毎日夜9時。10時は当たり前でした。
回りの皆がそうでした。
それに引き換え、沖縄の人達の余裕は何処から来たのでしょう。夜遅くまで飲み歩く。俺達は日本人(沖縄も日本ですよ。)みたいにあくせくしない。
沖縄勤務時代、よく聞いた言葉です。
そんな、余裕何処から来るのでしょう。不思議です。軍用地料とか援護法の不働所得が無ければとても出来ないことです。
《はじめまして。
狼魔人日記というブログで、縁側さんという方が、このブログに以下のようなコメントを入れたということが紹介されていましたので、引用します。
〜縁側さんのコメントのコピペ〜
私もこの方と同意見です。このブログでこのコメントを探しましたが、未だ見つかっていません。私の探し方が悪いか、縁側さんが嘘をついたのかはわかりませんが、もし万が一、目取真さんがコメントを封殺してしまったというのであれば、大変遺憾なことです。「沖縄は全体主義の島」という認識に拍車がかかってしまうのではないでしょうか。
このコメントを投稿し、このブログに来られる方達がどのような意見を仰るのか、また目取真さんがどのようなアクションを起こされるのかを自分の目で確かめてみたいと思います。願わくは「沖縄は全体主義の島」という認識を覆すに足るものであってほしいと思います。》
このコメントに対し、目取真氏がどのような反応をするか、自分の目で確かめてみたいと思います。
あまりに早く、考えうる最も最悪な対応を取られたのは少しショックでしたが、目取真氏がどのような方なのか、自分の目で確かめることができたので良しとします。
岸本さま
消されちゃいましたか。まぁそんなとこでしょうね。琉球右翼はあんなもんです。
ttp://ziddy.japan.zdnet.com/qa461012.html
ttp://plaza.rakuten.co.jp/republicMJ/diary/200709280001/
注:国債増加分約400兆円はほぼ全てアメリカ、北朝鮮へ上納された。
これから動向次第では約740兆になるかもしれない。
麻生太郎、自民党反清和会の功績
ttp://www35.atwiki.jp/kolia/pages/258.html
民主党の正体
ttp://www35.atwiki.jp/kolia/pages/159.html
鳩山由紀夫の正体
ttp://www35.atwiki.jp/kolia/pages/559.html
小沢一郎の正体
ttp://www35.atwiki.jp/kolia/pages/204.html
日米構造協議で430兆円をドブに捨てたのは小沢
ttp://www35.atwiki.jp/kolia/pages/467.html
(財源ないから実質増税で)バラマキもどき+(こちらも増税で)財政再建、
幹事長の岡田は絶賛崩壊中の新自由主義者
潤うのが野蛮な上流か阿呆の下流かの違い。一般家庭だけが馬鹿を見る。
民主党は悪夢のカイカク詐欺の小泉とほとんど同じ、最悪。
倒すべきは自民党ではなく清和会と売国派。
投票はとりあえず民主ではなく新の保守、地方を守る国粋派。
愛国議員リスト
ttp://www35.atwiki.jp/kolia/pages/132.html
売国議員リスト
ttp://www35.atwiki.jp/kolia/pages/119.html
選挙に行く前に知って欲しい、日本を売る政治家たち
ttp://senkyomae.com/
>沖縄の方が、沖縄の真実の姿を研究する。かなり難題ですね
難題は承知ですが、シコシコネットで啓蒙するしかないでしょうね。(笑)
岸本さん
言論封殺されましたか。(笑)
大口叩く割には卑怯なヤツですね。
目取真ブログで封殺されたコメントをコピペしていますので、貴コメントも次のエントリー紹介させてください。
縁側さん
>琉球右翼はあんなもんです。
目取真ブログは学生運動のアジビラのような文章を書くので、てっきり学生運動崩れの左翼かと思っていましたが、琉球右翼でしたか。
わっかりズら。