古事記の大国主神話と聖書のヤコブ物語との対応関係をまとめたのが次の表である。
次の対応一覧表を見ればわかるように、古事記の大国主神話と聖書のヤコブ物語は一部を除いて詳細に至るまで一致しており、大国主神話がエサウ・ヤコブ物語の日本語版であることが自然に理解される。
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古 事 記
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聖 書
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八十神 vs 大国主
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エサウ vs ヤコブ
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1
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大国主の五つの名前
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エサウ/ヤコブ(イスラエル)/ヨセフ
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2
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因幡の白ウサギ
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3
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大国主が真赤に焼けた石で兄弟に殺される。
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エサウが赤い食べ物と引き替えに長子権を失う。
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創世記:25.29-34
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4
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大国主がワナにかけられ兄弟たちに殺される。
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エサウがヤコブに家督権(祝福)を騙し取られる。
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創世記:27.1-40
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5
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母親が逃亡のアドバイスする
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母親がヤコブに逃亡のアドバイスする
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創世記:27.41-45
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6
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逃亡の途中、大国主は「大屋びこ」に身を寄せる。
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逃亡の途中で、ヤコブは「神の家」の柱を立てる。
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創世記:28.1-5
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7
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大国主が先祖スサノヲの住む根のカタス国に着く
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ヤコブが叔父ラバンの住むハランに着く。
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8
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スサノヲの娘スセリビメと出会い、抱擁する
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ラバンの娘ラケルと会い、キスをする
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創世記:29.1-11
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9
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スサノヲが「これはいわゆる葦原の醜男だ」と言って、御殿に泊まらせる
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ラバンが「君は本当にわたしの骨肉だ」と言って、家に泊まらせる。
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創世記:29.12-14
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10
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スサノヲの迫害
@蛇・ムカデ・蜂の部屋
A野原で火に焼かれそうになる
Bやたまの大室
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ラバンへの奉仕
@ラケルのために7年間の奉仕
Aレアのために7年間の奉仕
Bラバンのために7年間の奉仕
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創世記:29.15-30.43
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11
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〈ニニギの結婚〉
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レアとラケル
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創世記:29.15-30
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ネフィリム |
創世記:6.1-4
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12
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大名ムチが、スサノヲの太刀と弓と天の詔琴を盗んで、スセリビメを連れて逃走する
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ラケルがテラフィムを盗んで、ヤコブと逃走する
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創世記:31.17-21
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13
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スサノヲ が
大国主を追いかけて、大国主へ「兄弟たちを追い払え」と命じる。.
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ラバンがヤコブに追いついて、二人は和解する。
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創世記:31.22-55
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14
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大国主は兄弟たちを追い払う.
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15
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八上ひめと木俣の神
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ハガルとイシマエル
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創世記:21.9-21
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16
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少名ビコナ
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ペヌエル=イスラエル
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創世記:32.24-32
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17
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三諸山の神
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エル・ベテル
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創世記:35.1-15
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18
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天孫族の斥候
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カナンへの斥候
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民数記:13.1-14.45
ヨシュア記:2.1-24
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19
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国津神と天津神との争い
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カナンへの侵攻
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ヨシュア記:5.13-12.24
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20
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大国主の国譲り
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エサウ とヤコブの和解.
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創世記:36.6-8
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21
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<天孫降臨>
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カナンの占領
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ヨシュア記
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以下、ひとつひとつ具体的に検証していく。
1
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古 事 記
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聖 書
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大国主の五つの名前
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エサウ、ヤコブ(イスラエル)、ヨセフ
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1 古事記
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(1)大国主
(2)オオナムチ(大名ムチ)
(3)アシハラシコオ
(4)ヤチホコ
(5)ウツシクニタマ
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大国主神話はエピソードが多い。また大国主は名前も多く、古事記において、彼は5つもの名前を持っている。
これは、もともと別々にあったいくつかの伝説を大国主としてひとつにまとめられた結果だろうと考えられている。私もこの考えに同意する。
大国主神話は、聖書のヤコブ物語とヨセフ物語がベースになっている。そしてその上に日本独自の説話が加わって現在の形になったものと思われる。
したがって、少なくとも聖書のエサウ、ヤコブ、ヨセフの三人のキャラクターがひとつにまとめられていることが認められる。
まず、大国主の別名と聖書の人物との対応を考えてみよう。
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古事記
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聖書
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(1)
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大国主
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ヨセフ(大国エジプトの宰相になった)
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(2)
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オオナムチ(大名ムチ)
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ヤコブ(ヤコブは神の使いからイスラエルの名前を与えられた。ヤコブはまさに大名ムチである。)
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(3)
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アシハラシコオ
(葦原のような醜い男)
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エサウ(毛人)
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(4)
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ヤチホコ=八千矛
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(5)
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ウツシクニタマ
(うつし国魂)
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(3)アシハラシコオ(葦原醜男)=エサウ(毛人)について解説する。
アシハラノシコオはふつう、葦原中津国の醜い男と考えられるが、私は少し違う解釈をする。漢字はそのままだが、「葦原のような醜い男」と解釈するのが正しいと考える。これは「葦原のように全身が毛だらけの醜い男」という意味である。聖書のエサウは毛人であったからだ。
聖書 (創世記:25.23−25)
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主は彼女に言われた。
「二つの国民があなたの胎内に宿っており 二つの民があなたの腹の内で分かれ争っている。一つの民が他の民より強くなり 兄が弟に仕えるようになる。」
月が満ちて出産の時が来ると、胎内にはまさしく双子がいた。先に出てきた子は赤くて、全身が毛皮の衣のようであったので、エサウと名付けた。
その後で弟が出てきたが、その手がエサウのかかと(アケブ)をつかんでいたので、ヤコブと名付けた。リベカが二人を産んだとき、イサクは六十歳であった。
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聖書 (創世記:27.11−12)
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しかし、ヤコブは母リベカに言った。
「でも、エサウ兄さんはとても毛深いのに、わたしの肌は滑らかです。
お父さんがわたしに触れば、だましているのが分かります。そうしたら、わたしは祝福どころか、反対に呪いを受けてしまいます。」
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以上のように、大国主の別名「アシハラノシコオ=葦原のような醜い男」とはこの毛人エサウを指していると私は考える。
なお、本稿では以後、オオナムチを大名ムチと表記する。
大国主物語の冒頭は「因幡の白ウサギ」と呼ばれるユニークな説話が置かれている。
これは日本独自の説話であるため、聖書に対応する部分はない。因幡の白ウサギと似た話はインドネシア方面に分布しており、そこから日本に伝わったものと考えられている。
さて、大国主はこのたくさんの兄弟に迫害され、苦難を克服し、最後に大きな権力を得る物語だ。ストーリーの内容そのものはエサウ・ヤコブ物語であるが、兄弟の設定だけはヨセフ物語を連想させる。
聖書では二世代連続して兄弟間の相克の物語が描かれている。まずエサウ対ヤコブ、その次の世代がヨセフ対11人の兄弟。
古事記も冒頭の系図対応を見ればわかるように、古事記では、世代で舞台設定が入れ替わっている。
古事記では、大国主が八十神の迫害される物語の次に、海幸彦と山幸彦の兄弟の相克の物語が続いてる。
聖書
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エサウ対ヤコブ(1対1の争い)
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ヨセフ対11人の兄弟(1対多数の争い)
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古事記
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大国主対八十神(1対多数の争い)
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海幸彦対山幸彦(1対1の争い)
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3
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古 事 記
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聖 書
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大国主が真赤に焼けた石で兄弟に殺される。
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エサウが赤い食べ物と引き替えに長子権を失う。
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創世記:25.29-34
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3 聖書(創世記:25.29-34)
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ある日のこと、ヤコブが煮物をしていると、エサウが疲れきって野原から帰って来た。エサウはヤコブに言った。
「お願いだ、その赤いもの(アドム)、そこの赤いものを食べさせてほしい。わたしは疲れきっているんだ。」彼が名をエドムとも呼ばれたのはこのためである。
ヤコブは言った。「まず、お兄さんの長子の権利を譲ってください。」 「ああ、もう死にそうだ。長子の権利などどうでもよい」とエサウが答えると、
ヤコブは言った。 「では、今すぐ誓ってください。」エサウは誓い、長子の権利をヤコブに譲ってしまった。
ヤコブはエサウにパンとレンズ豆の煮物を与えた。エサウは飲み食いしたあげく立ち、去って行った。こうしてエサウは、長子の権利を軽んじた。
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3 古事記
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(八十神と大国主は求婚するために八上ヒメのもとへやって来た)
八上ヒメは求婚に来た神々に「わたしはあなたがたの言葉は聞きません。大名ムチのお嫁にしていただこうと思います」と申しました。
八十神たちはそれを聞くとたいそう怒って、大名ムチを殺してしまおうと皆で相談し、伯耆の国の手間の山という山の下へ大名ムチをつれて行って、「この山には赤い猪がいる。これからわしたちが山の上からその猪を追いおろすから、お前は下にいてつかまえろ。逃がしたらおまえを殺してしまうぞ」と言って、猪に似た形の大きな石をまっかに焼いて、山から転がし落としました。
下で待っていた大名ムチは、これを捕まえようと組みついたところ、たちまちその石に焼かれて、死んでしまいました。
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大名ムチ(大国主)は八十神に赤い石で焼き殺される。
一方の聖書のエサウは赤い食べ物と引換えに長子権を失う。
これだけなら偶然の一致で片付けることもできる。
だが、次はどうだろうか。
4
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古 事 記
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聖 書
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大国主がワナにかけられ兄弟たちに殺される。
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エサウがヤコブに家督権を騙し取られる。
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創世記:27.1-40
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4 古事記
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母親は、たいそうお嘆きになって、泣き泣き大空へかけのぼって、高皇産霊神にお助けをお願いになりました。
すると、高皇産霊神は、蚶貝媛、蛤貝媛と名のついた、赤貝と蛤の二人の貝を、すぐに下界へ降して大名ムチを生き返らせました。
赤貝は自分のからを削って、それを焼いて黒い粉をこしらえ、蛤は急いで水を出して、その黒い粉をこねて、お乳のようにどろどろにして、二人で体中に塗りつけました。
そうすると大名ムチは、すっかり無傷の麗しい男の姿になって、自由に歩きまわるようになりました。
八十神たちは、それを見て、また嘘を言って山につれてきました。そして大木を切り倒し、その切れ目へくさびをうちこんで、その間へ大国主神をはいらせ、はさみ殺してしまいました。
母親は、泣き泣き探して、大名ムチを見つけて、再び生き返らせました。
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4 聖書(創世記:27.1-41)
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イサクは年をとり、目がかすんで見えなくなってきた。そこで上の息子のエサウを呼び寄せて、「息子よ」と言った。エサウが、「はい」と答えると、イサクは言った。
「こんなに年をとったので、わたしはいつ死ぬか分からない。今すぐに、弓と矢筒など、狩りの道具を持って野に行き、獲物を取って来て、わたしの好きなおいしい料理を作り、ここへ持って来てほしい。死ぬ前にそれを食べて、わたし自身の祝福をお前に与えたい。」
リベカは、イサクが息子のエサウに話しているのを聞いていた。エサウが獲物を取りに野に行くと、リベカは息子のヤコブに言った。
「今、お父さんが兄さんのエサウにこう言っているのを耳にしました。『獲物を取って来て、あのおいしい料理を作ってほしい。わたしは死ぬ前にそれを食べて、主の御前でお前を祝福したい』と。
わたしの子よ。今、わたしが言うことをよく聞いてそのとおりにしなさい。家畜の群れのところへ行って、よく肥えた子山羊を二匹取って来なさい。わたしが、それでお父さんの好きなおいしい料理を作りますから、それをお父さんのところへ持って行きなさい。お父さんは召し上がって、亡くなる前にお前を祝福してくださるでしょう。」
しかし、ヤコブは母リベカに言った。でも、エサウ兄さんはとても毛深いのに、わたしの肌は滑らかです。お父さんがわたしに触れば、だましているのが分かります。そうしたら、わたしは祝福どころか、反対に呪いを受けてしまいます。」
母は言った。「わたしの子よ。そのときにはお母さんがその呪いを引き受けます。ただ、わたしの言うとおりに、行って取って来なさい。」
ヤコブは取りに行き、母のところに持って来たので、母は父の好きなおいしい料理を作った。
リベカは、家にしまっておいた上の息子エサウの晴れ着を取り出して、下の息子ヤコブに着せ、子山羊の毛皮を彼の腕や滑らかな首に巻きつけて、自分が作ったおいしい料理とパンを息子ヤコブに渡した。
ヤコブは、父のもとへ行き、「わたしのお父さん」と呼びかけた。父が、「ここにいる。わたしの子よ。誰だ、お前は」と尋ねると、 ヤコブは言った。
「長男のエサウです。お父さんの言われたとおりにしてきました。さあ、どうぞ起きて、座ってわたしの獲物を召し上がり、お父さん自身の祝福をわたしに与えてください。」
「わたしの子よ、どうしてまた、こんなに早くしとめられたのか」と、イサクが息子に尋ねると、ヤコブは答えた。「あなたの神、主がわたしのために計らってくださったからです。」
イサクはヤコブに言った。「近寄りなさい。わたしの子に触って、本当にお前が息子のエサウかどうか、確かめたい。」
ヤコブが父イサクに近寄ると、イサクは彼に触りながら言った。「声はヤコブの声だが、腕はエサウの腕だ。」
イサクは、ヤコブの腕が兄エサウの腕のように毛深くなっていたので、見破ることができなかった。そこで、彼は祝福しようとして 言った。「お前は本当にわたしの子エサウなのだな。」ヤコブは、「もちろんです」と答えた。
イサクは言った。「では、お前の獲物をここへ持って来なさい。それを食べて、わたし自身の祝福をお前に与えよう。」ヤコブが料理を差し出すと、イサクは食べ、ぶどう酒をつぐと、それを飲んだ。
それから、父イサクは彼に言った。「わたしの子よ、近寄ってわたしに口づけをしなさい。」
ヤコブが近寄って口づけをすると、イサクは、ヤコブの着物の匂いをかいで、祝福して言った。「ああ、わたしの子の香りは 主が祝福された野の香りのようだ。どうか、神が 天の露と地の産み出す豊かなもの 穀物とぶどう酒を お前に与えてくださるように。
多くの民がお前に仕え 多くの国民がお前にひれ伏す。 お前は兄弟たちの主人となり 母の子らもお前にひれ伏す。 お前を呪う者は呪われ お前を祝福する者は 祝福されるように。」
イサクがヤコブを祝福し終えて、ヤコブが父イサクの前から立ち去るとすぐ、兄エサウが狩りから帰って来た。
彼もおいしい料理を作り、父のところへ持って来て言った。「わたしのお父さん。起きて、息子の獲物を食べてください。そして、あなた自身の祝福をわたしに与えてください。」
父イサクが、「お前は誰なのか」と聞くと、「わたしです。あなたの息子、長男のエサウです」と答えが返ってきた。
イサクは激しく体を震わせて言った。「では、あれは、一体誰だったのだ。さっき獲物を取ってわたしのところに持って来たのは。実は、お前が来る前にわたしはみんな食べて、彼を祝福してしまった。だから、彼が祝福されたものになっている。」
エサウはこの父の言葉を聞くと、悲痛な叫びをあげて激しく泣き、父に向かって言った。「わたしのお父さん。わたしも、このわたしも祝福してください。」 イサクは言った。「お前の弟が来て策略を使い、お前の祝福を奪ってしまった。」
エサウは叫んだ。「彼をヤコブとは、よくも名付けたものだ。これで二度も、わたしの足を引っ張り(アーカブ)欺いた。あのときはわたしの長子の権利を奪い、今度はわたしの祝福を奪ってしまった。」エサウは続けて言った。「お父さんは、わたしのために祝福を残しておいてくれなかったのですか。」
イサクはエサウに答えた。「既にわたしは、彼をお前の主人とし、親族をすべて彼の僕とし、穀物もぶどう酒も彼のものにしてしまった。わたしの子よ。今となっては、お前のために何をしてやれようか。」
エサウは父に叫んだ。 「わたしのお父さん。祝福はたった一つしかないのですか。わたしも、このわたしも祝福してください、わたしのお父さん。」エサウは声をあげて泣いた。
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二度にわたって兄弟に殺された大名ムチと、二度にわたって弟に権利を騙し取られたエサウ。解説の必要はないだろう。
5
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古 事 記
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聖 書
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母親が大名ムチに逃亡のアドバイスをする
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母親がヤコブに逃亡のアドバイスをする
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創世記::27.42-45
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5 古事記
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母親は、「おまえはこのあたりにいると、八十神に殺されてしまう。ですから、紀伊の国の「大屋ビコ」のもとに行かせます。八十神がお前を探して追いついたら、スサノヲノ命がおいでになる根のカタス国へ逃げなさい。そうすれば命が必ずいいようにはからってくださるでしょう」
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5 聖書 (創世記:27.41-45)
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エサウは、父がヤコブを祝福したことを根に持って、ヤコブを憎むようになった。そして、心の中で言った。「父の喪の日も遠くない。そのときがきたら、必ず弟のヤコブを殺してやる。」
ところが、上の息子エサウのこの言葉が母リベカの耳に入った。彼女は人をやって、下の息子のヤコブを呼び寄せて言った。「大変です。エサウ兄さんがお前を殺して恨みを晴らそうとしています。
わたしの子よ。今、わたしの言うことをよく聞き、急いでハランに、わたしの兄ラバンの所へ逃げて行きなさい。
そして、お兄さんの怒りが治まるまで、しばらく伯父さんの所に置いてもらいなさい。
そのうちに、お兄さんの憤りも治まり、お前のしたことを忘れてくれるだろうから、そのときには人をやってお前を呼び戻します。一日のうちにお前たち二人を失うことなど、どうしてできましょう。」
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大国主は母親のアドバイスで先祖スサノヲのもとへ逃走する。
そして聖書でも、ヤコブが母親のアドバイスで叔父ラバンのもとへ逃走する。
そのプロセスは非常によく似ているが、聖書と古事記では、はっきり異なる点がある。
聖書で逃亡するのは兄から権利を騙し取ったヤコブである。いわば加害者が逃走している。
ところが、古事記で逃亡するのは迫害された大国主である。つまり、被害者が逃走している。 ストーリー展開はまったく同じなのに、逃亡する人物が逆になっているのだ。
これは人物設定のためだと思われる。
ヤコブ物語は一対一の兄弟の争いだが、大国主は違う。大国主物語はヨセフ物語のように、一対多人数の闘争である。
ヨセフ物語では、たくさんの兄弟たちに迫害され、殺されかけたヨセフが奴隷として商人に売られ、エジプトへ連れて行かれる。
古事記における被害者が逃亡するという展開はどうやら聖書のヨセフ物語から来ているように思える。
大国主物語の主要部分はヤコブ物語であるが、人物設定をはじめ部分的にヨセフ物語が取り入れられている。
6
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古 事 記
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聖 書
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逃亡の途中、大国主は「大屋びこ」に身を寄せる。
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逃亡の途中で、ヤコブは「神の家」の柱を立てる。
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創世記:28.1-5
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6 古事記
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母親は、「おまえはこのあたりにいると、八十神に殺されてしまう。ですから、紀伊の国の「大屋ビコ」のもとに行かせます。
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さて、古事記の「大屋ビコ」は、聖書でもちゃんと出てくる。
聖書では「神の家」となっている。
6 聖書 (創世記:28.10-22)
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ヤコブはベエル・シェバを立ってハランへ向かった。
とある場所に来たとき、日が沈んだので、そこで一夜を過ごすことにした。ヤコブはその場所にあった石を一つ取って枕にして、その場所に横たわった。
すると、彼は夢を見た。先端が天まで達する階段が地に向かって伸びており、しかも、神の御使いたちがそれを上ったり下ったりしていた。
見よ、主が傍らに立って言われた。
「わたしは、あなたの父祖アブラハムの神、イサクの神、主である。あなたが今横たわっているこの土地を、あなたとあなたの子孫に与える。
あなたの子孫は大地の砂粒のように多くなり、西へ、東へ、北へ、南へと広がっていくであろう。地上の氏族はすべて、あなたとあなたの子孫によって祝福に入る。
見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない。」
ヤコブは眠りから覚めて言った。
「まことに主がこの場所におられるのに、わたしは知らなかった。」
そして、恐れおののいて言った。
「ここは、なんと畏れ多い場所だろう。これはまさしく神の家である。そうだ、ここは天の門だ。」
ヤコブは次の朝早く起きて、枕にしていた石を取り、それを記念碑として立て、先端に油を注いで、
その場所をベテル(神の家)と名付けた。ちなみに、その町の名はかつてルズと呼ばれていた。
ヤコブはまた、誓願を立てて言った。
「神がわたしと共におられ、わたしが歩むこの旅路を守り、食べ物、着る物を与え、 無事に父の家に帰らせてくださり、主がわたしの神となられるなら、わたしが記念碑として立てたこの石を神の家とし、すべて、あなたがわたしに与えられるものの十分の一をささげます。」
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大国主は逃亡の途中で「大家ビコ」に身を寄せている。
一方、ヤコブは逃亡の途中で「神の家」に柱を立てる。
古事記の「大家ビコ」は、聖書の「神の家」を直訳したものであることがわかる。
古事記は聖書に忠実に物語を展開しているのだ。
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古 事 記
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聖 書
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7
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先祖スサノヲの住む根のカタス国に着く
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叔父ラバンの住むハランに着く。
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創世記:29.1-11
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8
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スサノヲの娘スセリビメと出会い、抱擁する
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ラバンの娘ラケルと会い、キスをする
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7−8 古事記
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大国主神は、言われたとおりに、スサノヲノ命のおいでになるところへお着きになりましたが、そこでスサノヲの娘のスセリビメが出てきて大名ムチを見つけ、互いに目を見合せ、心を通わせて、夫婦の仲らいをはじめることになりました。
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7−8 聖書(創世記:29.1-11)
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ヤコブは旅を続けて、東方の人々の土地へ行った。
ふと見ると、野原に井戸があり、そのそばに羊が三つの群れになって伏していた。その井戸から羊の群れに、水を飲ませることになっていたからである。ところが、井戸の口の上には大きな石が載せてあった。
まず羊の群れを全部そこに集め、石を井戸の口から転がして羊の群れに水を飲ませ、また石を元の所に戻しておくことになっていた。
ヤコブはそこにいた人たちに尋ねた。「皆さんはどちらの方ですか。」「わたしたちはハランの者です」と答えたので、ヤコブは尋ねた。「では、ナホルの息子のラバンを知っていますか。」「ええ、知っています」と彼らが答えたので、 ヤコブは更に尋ねた。「元気でしょうか。」「元気です。もうすぐ、娘のラケルも羊の群れを連れてやって来ます」と彼らは答えた。
ヤコブは言った。「まだこんなに日は高いし、家畜を集める時でもない。羊に水を飲ませて、もう一度草を食べさせに行ったらどうですか。」
すると、彼らは答えた。「そうはできないのです。羊の群れを全部ここに集め、あの石を井戸の口から転がして羊に水を飲ませるのですから。」
ヤコブが彼らと話しているうちに、ラケルが父の羊の群れを連れてやって来た。彼女も羊を飼っていたからである。
ヤコブは、伯父ラバンの娘ラケルと伯父ラバンの羊の群れを見るとすぐに、井戸の口へ近寄り石を転がして、伯父ラバンの羊に水を飲ませた。
ヤコブはラケルに口づけし、声をあげて泣いた。
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大国主は先祖スサノヲのもとに逃亡し、彼の娘スセリビメと出会う。そして、二人は見つめあい、夫婦の愛情を交わした。
一方、ヤコブは叔父ラバンの町に到着し、彼の娘のラケルと出会ってキスを交わす。 まったく同じ展開である。
9
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古 事 記
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聖 書
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スサノヲが出てきて「これはいわゆる葦原の醜男だ」と言って御殿に泊まらせる
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ラバンが「君は本当にわたしの骨肉だ」と言って、家に泊まらせる。
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創世記::29.12-14
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9 古事記
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そして、スセリビメは御殿に帰り、父の神に「とても麗しい神がいらっしゃいました」とお言いになりました。
父上の大神もご自分で出てご覧になって、「ああ、これはいわゆる葦原の醜男だ」とおっしゃって、さっそくお呼びいれになり、御殿のなかの蛇の室に泊まらせました。
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9 聖書 (創世記:29.12-14)
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ヤコブはやがて、ラケルに、自分が彼女の父の甥に当たり、リベカの息子であることを打ち明けた。ラケルは走って行って、父に知らせた。
ラバンは、妹の息子ヤコブの事を聞くと、走って迎えに行き、ヤコブを抱きしめ、口づけした。それから、ヤコブを自分の家に案内した。ヤコブがラバンに事の次第をすべて話すと、
ラバンは彼に言った。「お前は、本当にわたしの骨肉の者だ。」
ヤコブはラバンのもとでひと月ほど滞在した
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古事記では、娘に大名ムチを紹介された先祖のスサノヲが歓迎する。
聖書では、娘にヤコブを紹介された叔父のラバンが歓迎する。
そのままである。
10
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古 事 記
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聖 書
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スサノヲの迫害
@蛇・ムカデ・蜂の部屋に入れられる
A野原で火に焼かれそうになる
Bやたまの大室
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ラバンへの奉仕
@ラケルのために7年間の奉仕
Aレアのために7年間の奉仕
Bラバンのために6年間の奉仕
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創世記:29.15-30.43
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大国主はスサノヲから数々の迫害を受ける。このスサノヲの迫害は日本独自の説話であり、聖書とは直接対応しない。ここでは省略する。
一方、聖書ではヤコブがレアとラケルの姉妹を妻にしたために結局ラバンに21年間奉仕することになった。ヤコブはラケルを妻にすることを望んだのだが、ラバンに騙されて、心ならずもレアも娶ることになってしまい、その分、余計にラバンに奉仕しなければならなくなったのだ。
10 聖書(創世記:29.15-30:43)
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ラバンはヤコブに言った。「お前は身内の者だからといって、ただで働くことはない。どんな報酬が欲しいか言ってみなさい。」
ところで、ラバンには二人の娘があり、姉の方はレア、妹の方はラケルといった。 レアは優しい目をしていたが、ラケルは顔も美しく、容姿も優れていた。 ヤコブはラケルを愛していたので、「下の娘のラケルをくださるなら、わたしは七年間あなたの所で働きます」と言った。
ラバンは答えた。「あの娘をほかの人に嫁がせるより、お前に嫁がせる方が良い。わたしの所にいなさい。」
ヤコブはラケルのために七年間働いたが、彼女を愛していたので、それはほんの数日のように思われた。
ヤコブはラバンに言った。「約束の年月が満ちましたから、わたしのいいなずけと一緒にならせてください。」
ラバンは土地の人たちを皆集め祝宴を開き、夜になると、娘のレアをヤコブのもとに連れて行ったので、ヤコブは彼女のところに入った。ラバンはまた、女奴隷ジルパを娘レアに召し使いとして付けてやった。
ところが、朝になってみると、それはレアであった。ヤコブがラバンに、「どうしてこんなことをなさったのですか。わたしがあなたのもとで働いたのは、ラケルのためではありませんか。なぜ、わたしをだましたのですか」と言うと、ラバンは答えた。「我々の所では、妹を姉より先に嫁がせることはしないのだ。 とにかく、この一週間の婚礼の祝いを済ませなさい。そうすれば、妹の方もお前に嫁がせよう。だがもう七年間、うちで働いてもらわねばならない。」
ヤコブが、言われたとおり一週間の婚礼の祝いを済ませると、ラバンは下の娘のラケルもヤコブに妻として与えた。
ラバンはまた、女奴隷ビルハを娘ラケルに召し使いとして付けてやった。 こうして、ヤコブはラケルをめとった。ヤコブはレアよりもラケルを愛した。そして、更にもう七年ラバンのもとで働いた。
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このラケルとレアの物語は大国主物語では採用されていないが、古事記の他の部分に採用されている。
ニニギの結婚の部分である。
11
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古 事 記
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聖 書
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ニニギの結婚
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レアとラケル
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創世記:29.15-30
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ネフィリム
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創世記:6.1-4
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11 古事記
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邇邇芸命は、ある日、きれいな若い女性と会いました。
「おまえはだれの娘か」とおたずねになりますと、その女の人は、「私は大山津見神の娘の木色咲耶媛と申す者でございます」とお答え申しました。
「そなたには姉妹があるか」とかさねてお聞きになりますと、
「私には石長媛と申します一人の姉がございます」と申しました。命は、「わたしはおまえをお嫁にもらいたいと思うが、来るか」とお聞きになりました。すると咲耶媛は、「それは私からはなんとも申しあげかねます。どうぞ父の大山津見神にお尋ねくださいまし」と申しあげました。
命はさっそくお使いをお出しになって、大山津見神に咲耶媛をお嫁にもらいたいとお申しこみになりました。
大山津見神はたいそう喜んで、すぐにその咲耶媛に、姉の石長媛をつき添いにつけて、いろいろのお祝いの品をどっさり持たせてさしあげました。
命は非常にお喜びになって、すぐ咲耶媛とご婚礼をなさいました。しかし姉の石長媛は非常に醜い女でしたので、命は恐れをなして、父の神の方へお送りかえしになりました。
大山津見は恥じ入って、「私が木色咲耶媛に、わざわざ石長媛をつき添いにつけましたわけは、あなたが咲耶媛をお嫁になすって、その名のとおり、花が咲き誇るように、いつまでもお栄えになりますばかりでなく、石長媛を同じ御殿にお使いになりませば、あの子の名まえについておりますとおり、岩が雨に打たれ風にさらされても、ちっとも変わらずにがっしりしているのと同じように、あなたのおからだもいつまでもお変わりなくいらっしゃいますようにと、それをお祈り申してつけ添えたのでございます。それなのに、咲耶媛だけをおとめになって、石長媛をおかえしになったうえは、あなたも、あなたのご子孫のご寿命も、ちょうど咲き揃うほどの短い期間だけのものになりましょう」と、申し送りました。
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このニニギの結婚は二つの聖書の物語から構成されている。一つは、先のヤコブがラケルとレアの姉妹を妻に娶る物語。
もう一つは次のネフィリムの物語である。
11 聖書 (創世記:6.1-4)
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さて、地上に人が増え始め、娘たちが生まれた。
神の子らは、人の娘たちが美しいのを見て、おのおの選んだ者を妻にした。 主は言われた。
「わたしの霊は人の中に永久にとどまるべきではない。人は肉にすぎないのだから。」こうして、人の一生は百二十年となった。
当時もその後も、地上にはネフィリムがいた。これは、神の子らが人の娘たちのところに入って産ませた者であり、大昔の名高い英雄たちであった。
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古事記のニニギは天孫族であり、天から降りてきた神である。彼は地上の美しい娘を娶ったが、そのために神のような長寿を失ったという神話である。
聖書のネフィリムも同じである。神の子が地上の娘を妻にするが、そのため神によって寿命を定められる神話である。
一読してわかるように、ニニギの結婚は、レアとラケルの物語とネフィリムの物語を組み合わせたものである。
ところで、このネフィリムであるが、じつはネフィリムの語義は長い間不明とされてきた。たとえば、聖書のなかではネフィリムは巨人と解釈されている。
11 聖書 (民数記:13.32-33)
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イスラエルの人々の間に、偵察して来た土地について悪い情報を流した。「我々が偵察して来た土地は、そこに住み着こうとする者を食い尽くすような土地だ。我々が見た民は皆、巨人だった。
そこで我々が見たのは、ネフィリムなのだ。アナク人はネフィリムの出なのだ。我々は、自分がいなごのように小さく見えたし、彼らの目にもそう見えたにちがいない。」
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古代のイスラエルにおいて「ネフィリム」は巨人と考えられていた。
しかし、最近の聖書研究によるとネフィリムの語源は「落ちる」であるという。
したがって、ネフィリムは「落ちてきた人」、あるいは「堕落した人」の意味ではないかと考えられている。
私は「落ちてきた人」が正しい解釈だと思う。天から地上に落ちてきたエイリアンという意味である。
昔、デビッド・ボウイが主演した「地球に落ちてきた男 The Man Who Fell To
Earth』という映画があった。地球に落ちてきた孤独な宇宙人を描いた悲劇的な映画であった。これはまさに「ネフィリム=落ちてきた人」の物語である。その意味ではニニギもネフィリムということになる。
私は、聖書のネフィリムも「地上に落ちてきたエイリアン」と考えるのが正しいと思う。
現実に、初期キリスト教では人間をネフィリムと考える思想があった。グノーシス主義と呼ばれる宗教思想である。
グノーシス主義では人間は外の世界からやってきた異邦人と考える。人間はもともとネフィリムであったと考えるのだ。そして、人間の苦悩の原因はそこから生じると考える。
初期キリスト教において、なぜこのような思想があったのかということが議論されているが、私はネフィリムのような思想がもともと中東の宗教において古い時代から底流にあって、それがある時、グノーシス主義という形で結実したのではないかと考えている。
だが、グノーシスについては別に機会に述べることにしよう。
ニニギ神話は、聖書のネフィリムとレアとラケル姉妹の物語で構成されている。
しかし、なぜレアとラケルの物語を大国主神話に採用しなかったのだろうか。
これは日本の歴史的事情が関係していると思う。
古事記では、大国主がたくさんの兄弟を追い払い、国を造る。
しかしその領土は後にニニギの一族へ移譲される。大国主の国譲りである。すなわち、大国主の一族はニニギ一族に征服されたのだ。
古事記は、日本の王家の歴史を記したものである。そのため聖書と違い、日本の領土をめぐる征服民と被征服民の歴史物語がここに反映されている。
古事記の系図を見ればわかるように、大きく二つの血統がある。
一つはアマテラス系統である。彼らは征服民である。彼らの先祖は天から降ってきたという神話を持ち、天孫族ともいう。あるいは彼らは渡来民でもあるのかもしれない。
もう一つはスサノヲ系統である。らは被征服民であり、おそらくは先住民でもあるはずだ。彼らは国津神とも呼ばれる。
このような領土権の移譲があったため、レアとラケルの物語を大国主神話ではなく、ネフィリムの神話と組み合わせる形でニニギ神話へ移動したのだろうと私は考えている。
12
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古 事 記
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聖 書
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大名ムチはスサノヲの太刀と弓と天の詔琴を盗んで、スセリビメを連れて逃走する
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ラケルがテラフィムを盗んで、ヤコブと逃走する
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創世記:31.17-21
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12 古事記
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大名ムチは、スサノヲが寝ているのを見計らって、その長いお髪をいく束にも分けて、それを四方のたる木というたる木へ一束ずつ縛りつけておいたうえ、五百人もかからねば動かせないような、大きな大きな大岩を戸口に立てかけて、スセリビメを背負って、大神の太刀と弓矢と、玉の飾りのついた天の詔琴を持って逃げ出しました。
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さて、大国主はスサノヲの髪を縛りつけ、逃げ出す。
一方の聖書はどうか。
12 聖書 (創世記:31.17-21)
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ヤコブは直ちに、子供たちと妻たちをらくだに乗せ、
パダン・アラムで得たすべての財産である家畜を駆り立てて、父イサクのいるカナン地方へ向かって出発した。
そのとき、ラバンは羊の毛を刈りに出かけていたので、ラケルは父の家のテラフィムを盗んだ。
ヤコブもアラム人ラバンを欺いて、自分が逃げ去ることを悟られないようにした。
ヤコブはこうして、すべての財産を持って逃げ出し、川を渡りギレアドの山地へ向かった。
ヤコブが逃げたことがラバンに知れたのは、三日目であった。
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古事記の大名ムチはスサノヲの髪を縛り付けて逃げ出す。
聖書のラケルは父が羊の毛を刈っている隙に、逃げ出す。
これは偶然の一致ではないだろう。
また、古事記では大名ムチがスセリビメとともに天の詔琴を盗んで逃げる。この天の詔琴とは、読んで字の如く神託に使う神聖な祭具のことである。
一方、ヤコブの妻ラケルは父親のテラフィムを盗んで、夫と共に逃げる。
このテラフィムとは、家の守護神であり家督権の象徴であり、また神託の祭具でもあった。
テラフィム |
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テラフィムは当時の一般家庭では家の守護神であったらしい。また、当時のメソポタミアではテラフィムの所有者が家督の相続権者でもあったらしい。ラケルがテラフィムを盗んだのはこのためと考えられる。
しかし、テラフィムはそれだけではなく、神託の祭具としても使われていた。
聖書によるとバビロンの王はテラフィムを使って神託をしていた。
12 聖書(エゼキエル書:21.21 )
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バビロンの王は、道の分かれ目、二つの道の辻に立って占いをしよう。彼を矢を振り混ぜて、テラフィムに伺いを立て、肝を調べる。
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大国主がスサノヲから盗んだ天の詔琴が、聖書のテラフィムのことであるのは間違いない。だが、この天の詔琴はその名の如く、家の守護神ではなく、神託の祭具である。
これは、大国主がスサノヲから家督権を奪ったのではなく、王の神託の祭具を奪ったという考えからだろう。
テラフィムがバビロン王の神託の祭具であることを古事記の作者は正確に理解していたと思われる。
古事記が成立したのは8世紀である。1200年も昔、極東の島国である日本においてテラフィムを正確に理解していた古事記の作者とは何者なのだろうか?
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古 事 記
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聖 書
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13
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スサノヲ が
大国主を追いかけて、大国主へ「兄弟たちを追い払え」と命じる。
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ラバンがヤコブに追いついて、二人は和解する。
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創世記:31.22-55
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14
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大国主は兄弟たちを追い払う.
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13−14 古事記
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するとスサノヲ大神は、まもなくそのあとを追っかけて、とうとう黄泉比良坂という坂の上まで来て、はるか遠くの大名ムチに、「その太刀と弓矢をもって、そちの腹違いの兄弟たちを、山の下、川の中と、逃げるところへ追いつめ、お前が大国主としてスセリビメを正妻にして、宇迦の山のふもとに御殿を立てて住め。必ずやるんだぞ」と呼びかけました。
大名ムチは、その太刀と弓矢を用いて、八十神たちを追い退け、国造りを始めました。
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13 聖書 (創世記:31.22-55)
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ヤコブが逃げたことがラバンに知れたのは、三日目であった。
ラバンは一族を率いて、七日の道のりを追いかけて行き、ギレアドの山地でヤコブに追いついたが、その夜夢の中で神は、アラム人ラバンのもとに来て言われた。「ヤコブを一切非難せぬよう、よく心に留めておきなさい。」
(中略)
ラバンは、ヤコブに答えた。「この娘たちはわたしの娘だ。この孫たちもわたしの孫だ。この家畜の群れもわたしの群れ、いや、お前の目の前にあるものはみなわたしのものだ。しかし、娘たちや娘たちが産んだ孫たちのために、もはや、手出しをしようとは思わない。
さあ、これから、お前とわたしは契約を結ぼうではないか。そして、お前とわたしの間に何か証拠となるものを立てよう。」
ヤコブは一つの石を取り、それを記念碑として立て、 一族の者に、「石を集めてきてくれ」と言った。彼らは石を取ってきて石塚を築き、その石塚の傍らで食事を共にした。
ラバンはそれをエガル・サハドタと呼び、ヤコブはガルエドと呼んだ。
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さて、聖書ではラバンがヤコブに追いつき、二人は和解する。
だが、古事記ではまったく違う。スサノヲは大国主に「兄弟を追い払え」と命じるのだ。
古事記は聖書に忠実に物語を展開していたのに、ここでは完全にくい違っている。聖書の和解と古事記の排除。
この違いについては慎重に考慮しなければならない。
15
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古 事 記
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聖 書
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八上ヒメと木俣の神
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ハガルとイシマエル
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創世記:21.9-21
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15 古事記
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なお、例の八上ヒメは、大名ムチと夫婦の契りを結んびました。しかし、八上ヒメは本妻のスセリビメを敬遠して、自分の子を木の又に差し挟んで本国に帰ってしまいました。そこでその子を名づけて、木俣の神、またの名を御井の神と言う。
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この木俣の神の説話は不可解である。
第二婦人が本妻を敬遠するのは分かる。しかし、なぜ自分の子を木の俣にはさむ必要があるのだろう?
さらに、その木俣の神がなぜ御井神、すなわち井戸の神になるのだろうか。
日本の研究者でもこの説話に対する合理的な解釈はない。
だが、これも聖書と対照すれば、謎は簡単に解ける。
これはアブラハムの第二婦人であるハガルとその子イシマエルの物語の翻案なのである。
もともとアブラハムには正妻サラがいたが、彼女には長いこと子供ができなかった。そこで女奴隷だったハガルが愛人として迎えられ、アブラハムとの間に子供をもうけた。
15 聖書 (創世記:16.1−4)
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アブラム(後のアブラハム)の妻サライ(後のサラ)には、子供が生まれなかった。彼女には、ハガルというエジプト人の女奴隷がいた。
サライはアブラムに言った。「主はわたしに子供を授けてくださいません。どうぞ、わたしの女奴隷のところに入ってください。わたしは彼女によって、子供を与えられるかもしれません。」
アブラムは、サライの願いを聞き入れた。
アブラムの妻サライは、エジプト人の女奴隷ハガルを連れて来て、夫アブラムの側女とした。アブラムがカナン地方に住んでから、十年後のことであった。
アブラムはハガルのところに入り、彼女は身ごもった。ところが、自分が身ごもったのを知ると、彼女は女主人を軽んじた。
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ところがその後、正妻サラが76歳になって(!)アブラハムの子を身ごもり、愛人ハガルとその子イシマエルは邪魔者になってしまった。
第二婦人のハガルは正妻によって追い出され、荒野をさまよい、絶望してわが子を潅木の下に寝かせたところ、子供の泣き声を聞きつけた神の恵みによって井戸を見いだし、命を救われた。
15 聖書 (創世記:21.9−20)
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サラは、エジプトの女ハガルがアブラハムとの間に産んだ子(イシマエル)が、イサクをからかっているのを見て、 アブラハムに訴えた。「あの女とあの子を追い出してください。あの女の息子は、わたしの子イサクと同じ跡継ぎとなるべきではありません。」
このことはアブラハムを非常に苦しめた。その子も自分の子であったからである。 神はアブラハムに言われた。「あの子供とあの女のことで苦しまなくてもよい。すべてサラが言うことに聞き従いなさい。あなたの子孫はイサクによって伝えられる。 しかし、あの女の息子も一つの国民の父とする。彼もあなたの子であるからだ。」
アブラハムは、次の朝早く起き、パンと水の革袋を取ってハガルに与え、背中に負わせて子供を連れ去らせた。ハガルは立ち去り、ベエル・シェバの荒れ野をさまよった。
革袋の水が無くなると、彼女は子供を一本の潅木の下に寝かせ、「わたしは子供が死ぬのを見たくない」と言って、矢の届くほど離れ、子供の方を向いて座り込んだ。彼女は子供の方を向いて座ると、声をあげて泣いた。
神は子供の泣き声を聞かれ、天から神の御使いがハガルに呼びかけて言った。 「ハガルよ、どうしたのか。恐れることはない。神はあそこにいる子供の泣き声を聞かれた。
立って行って、あの子を抱き上げ、お前の腕でしっかり抱き締めてやりなさい。わたしは、必ずあの子を大きな国民とする。」
神がハガルの目を開かれたので、彼女は水のある井戸を見つけた。彼女は行って革袋に水を満たし、子供に飲ませた。
神がその子と共におられたので、その子は成長し、荒れ野に住んで弓を射る者となった。
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古事記に「そこでその子を名づけて木俣神・またの名を御井神という」とあるのは、ハガル子イシマエルのことだったのである
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