6月1日(月)〜6月26日(金) BShi にて
ミニ番組「わたしの戦争体験」を放送します。
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昭和19年、太平洋戦争さなかの中国大陸を歩き続け、多くの犠牲者を出した部隊がある。福島県会津若松市で編成された「陸軍歩兵第65連隊」である。連隊が参加したのは、陸軍史上最大といわれる「大陸打通作戦」。中国大陸に点在する米軍航空基地を壊滅しながら、朝鮮半島から東南アジアへと大陸を貫く陸上交通路を切り開くというものだった。激しい山岳戦、蔓延する伝染病、途絶えがちな食糧補給、多くの苦難に耐え65連隊は1200qもの距離を進軍する。しかし昭和20年、終戦の3ヶ月前に大本営から下された突然の「反転」命令。連隊は中国軍との激しい戦闘を続けながら、進んで来た道を逆戻りするという過酷な運命を強いられた。証言をもとに、命令に翻弄され続けた兵士たちの姿を伝える。
太平洋戦争終盤の昭和20年3月、アメリカ軍の上陸が近づいた沖縄で、14歳から17歳の中学生たちが兵士として招集された。その名は、鉄血勤皇隊。軍国主義教育を受けてきた彼らは、軍服と銃を支給され、喜び勇んで入隊する。しかし、初めて体験する本物の戦場は、少年たちの想像以上に過酷なものだった。聞かされていた戦況とは異なり、圧倒的な戦力で沖縄に上陸したアメリカ軍は、日本軍の頭上に砲弾の雨を降らせる。激闘は続き、後方支援要員であった少年たちの命も、次々に奪われていった。
本土決戦を遅らせる防波堤の役割も担わされた沖縄戦。番組では沖縄県立第一中学校の元少年兵の証言から、子どもたちが目の当たりにした地上戦の実態を描き出す。
昭和19年、太平洋戦争さなかの中国大陸を歩き続け、多くの犠牲者を出した部隊がある。福島県会津若松市で編成された「陸軍歩兵第65連隊」である。連隊が参加したのは、陸軍史上最大といわれる「大陸打通作戦」。中国大陸に点在する米軍航空基地を壊滅しながら、朝鮮半島から東南アジアへと大陸を貫く陸上交通路を切り開くというものだった。激しい山岳戦、蔓延する伝染病、途絶えがちな食糧補給、多くの苦難に耐え65連隊は1200qもの距離を進軍する。しかし昭和20年、終戦の3ヶ月前に大本営から下された突然の「反転」命令。連隊は中国軍との激しい戦闘を続けながら、進んで来た道を逆戻りするという過酷な運命を強いられた。証言をもとに、命令に翻弄され続けた兵士たちの姿を伝える。