森本泰輔さん講演録

 
    「涙の出ない仕事をするな。それが嬉し涙でも、悔し涙でも」
〜ウルフルズを発掘したプロデューサーが語る、仕事哲学〜
講師:森本泰輔氏(有限会社タイスケ 代表取締役)
日時:2005年3月4 日(金) 19時半〜22時半

■音楽業界の舞台裏

僕の会社、有限会社タイスケは、ウルフルズやボニーピンクがいる音楽プロデュース会社です。この前、新人で歌手デビューをさせた子がいるのですが、1年半でやめさせました。なぜかというと、音楽業界で売れるということは、大変なことなんです。シンガーソングライターやから作詞・作曲しないとあかんでしょ。それをアレンジして、レコーディングして、写真を撮って、プロモーションして売るんですけど、普通の人は無理なんです。男前とかべっぴんとか、ちょっと声がいいとか、曲がいいとかがあっても、無理です。

例えば、ビートたけしさんやタモリさんなんかは、テレビを見るまんまの人です。音楽の世界も芸能の世界も一緒で、売れてる人は普通の人じゃないです。どこに目がついているんだろう、脳が6つくらいあるのかなというくらい、周りをよく見ていて頭の回転が速い。音楽業界も一緒で、ちょっとできるというくらいでは、プロとしてやっていくには難しい。

それはウルフルズがミリオンブレイクしてからわかりました。「えらい世界に入ってきたな」と思いましたよ。僕は30歳からこの仕事をして、6組プロデュースしたんですけれど、ウルフルズとボニーピンクだけが売れて、4つはダメでした。うちは犠牲が少ない方です。多くのところは、1回当てたら、10組20組バーンと出して、ほとんどのところは会社ごと倒産しているというのが、この音楽業界の実情です。だから元気出さないとしょうがないんです。明日つぶれてもおかしくないところだから。

「今度新人が出ました」「ウルフルズが新しい曲出しました」と電話してるだけじゃ、ダメなんです。直接タワーレコードに行って、積みかえるくらいのパワーがないと、来年の今頃、僕はこの世界にはいてないです。そういうやつしか残ってない。

■僕の経歴を話します
(自衛隊、ニューヨーク、空間プロデューサー、音楽プロデューサー)

僕の経歴を説明すると、アメリカのニューヨーク時代(25歳〜30歳まで)、日本に帰ってから空間プロデューサーをやっていました(30歳〜35歳まで)。35歳から音楽業界に入ってきました。今48歳です。来年の12月で、ウルフルズの「ガッツだぜ」が売れてから、10年たちます。この音楽業界で、10年間キープするのが、どれだけ大変かをはじめて知りました。売れたことがないから。売れたら一生行くのかなという幻想を抱いていました。本当は代官山にビル買って、屋上のプールで泳いでると思っていたんですけど、実際は違いました。当然、売れれば落ちる。落ちて、落ちて、落ちどまらへんのです。景気で底をつくとかいいますが、芸能の人気は底を打たない。底を打たずに消えていくしかない。要は、底なんかないのが、芸能界だったのです。

ニューヨークに行く前は自衛隊に入っていました。お金を稼がないといけないと思って。高校時代はラグビーをしていましたから、体力はあった。実際に訓練がはじまると、はまってもうたんです。これは天職やなあと思って。四国の幹部候補生学校にも行きました。ダイナマイトもおもしろいんです。セットしておいといたら、ボーン!と行くんです。拳銃は1分間に600発出る。1秒に10発。もう「ドドドドドドドー」って。あれは男の子ははまりますよ。
その後親父が亡くなって、ニューヨークに1年留学に行ったら、これもまたはまってもうたんです。いろんな人種がいましたが、だいたい日本人はおとなしくてしゃべらない。でも僕は違って、べらべらしゃべってたら、友達ができて、イタリア語とスペイン語なんかは英語よりもうまくなりました。コロンビア人のガールフレンドができて、ベネズエラに住んでいるというからそこに行ったりしていると、ある日大阪出身の広告代理店のアベさんが、「森本くん、君、ベネズエラ行ってるけど、ジャマイカもええで」というので、ジャマイカに行ったりもしませした。

そのうちアメリカで仕事をはじめて、マクロビオティックの玄米菜食の会社をやろうと思ったのですが、永住権がなかったりいろいろ壁があって、人に相談していたときに、こう言われたのです。「森本くん、ニューヨークで外国人だからどうや、永住権がないやらどうやと文句ばかり言うとるやんけ。自分日本人やろ。それやったら日本でやったらどうや。日本に国籍あるんやから日本でやれよ。ウダウダ文句言うてるんだったら日本でやったらいいわ。日本でやってできなかったら、ニューヨークでもできひんということやがな」って。えらいキツイこと言うなあと思ったけれど、確かにそうやなと思って、帰国しました。

帰国語は空間プロデューサーとして、飲食店をたくさん作りました。最初にやった8坪のお店は、月に500万円くらいの売り上げ。これで飲食店面白いなあと思ったんです。そしたらダイエーレジャーランドから仕事依頼されたり、大阪で大きな店をやったら200メートルくらい人が並ぶくらい売れて、それを他に売ったりしていました。そしたらキリンビールに頼まれて、JR西日本の駅構内の3000坪の土地を使った店舗のプレゼンをしたら運良く通って12億かかって作って、キリンビールのお店をオープンしたら初年度の売り上げが14億。3ヶ月で3000万円の仕事だったんですが、結局2年半かかりました。2人雇っていたんですが、その仕事しかしていなかったので、徐々に貧乏になっていきますよね。

これはあかんなと思って、オープンの前に「売り上げの3%ください」と言ったんです。キリンビールは飲食店がその1店舗しかやっていなかったので、あまり知らなかったんですね。OKもらいました。飲食店というのは、利益が売り上げの10パーセントあれば万々歳です。5%ないところもある。結局その店の経常利益は6%くらいで、半分の3%を僕がもらった。年間7000万円の純利益が出て、5年契約だったので、そこで資金ができたんです。それで音楽やろうと思ったんです。

■ウルフルズデビューまでの道との売れない4年間

音楽やるにはどうしたらいいかと人に聞いたらプロダクションを作ってアーティストを探してくるのがいいといわれ、それで誰かいい人やバンドがいないか探していました。大阪で「ウルフルズ」というのがあると聞いて、行ったら、なんかよさそうな気がしたんですね。それでイベントに呼んだら、一緒に働いているスタッフがダブルブッキングをしてしまって、出演を頼んだはいいけれど、出番がないということになってしまった。

そしたらトータス松本くんが怒ったんです。「僕らをアマチュアやと思ってバカにしてるんと違いますか。僕らは一生懸命練習して、ライブをして、東京に行って、成功して・・・と考えているので、謝りに来てください」と。僕は大阪から京都まで出演料の5万円を持って謝りに行きました。そしたら、「僕らみたいなアマチュアの人間が文句を言って、謝りにきて、出演料まで持ってきたのははじめてだ」と逆に驚かれたんですね。それで少し仲良くなって、「君ら何をしたいんや」という話になったら、「音楽でやっていくために、今レコード会社を探している」というので、アルバイトはやめてもらって僕が給料を出すから、音楽活動に専念するようにと言いました。メジャーデビューをするなら、持曲が16曲じゃあかんのです。50曲や60曲持ってないと、メジャーに出たときにアルバム出したとき、その中から取捨選択して、せいぜい2〜3曲しか残りません。もっと曲作らないといけない。だからアルバイトしていたら、曲を作る時間がないので、僕が給料出すことになったんです。

いろんなレコード会社に売り込んでちょうど1年目に、東芝EMIと契約が決まりました。それまでは「ボーカルの顔があかん。暑苦しい。東京向きじゃない」とかいっぱい言われて断られていたのですが、最後に拾ってくれたのが、東芝EMI。Mさんというビートルズしか聴かない、髪の毛がドイツ軍のヘルメットみたいになった人が、「ウルフルズいいよね。トータスくん、かっこいい」とか言うて。この人おかしいんやなと思ったけれど、まあその人のおかげで契約できたんです。デビューしたら勝手に売れるのかなと思ったら、4年間まったく売れなかった。この音楽業界で売れないというのは、「人にあらず」みたいなところがあるんです。それは芸能界でも一緒やと思うんやけども。いても見えてないような扱いをされるんです。ある日東芝EMIのエレベーターに乗ろうとしたら「君、どいて! 布袋さんが乗るから」とバーンとどかされて、非常階段を歩かされたことがあります。

■「ガッツだぜ」でいきなり忙しくなった

「ガッツだぜ」が売れたあと、東芝EMIから呼ばれて言ったら、人がたくさん迎えてくれて「何ほしい?」と言われたので「現金」と答えました。桐の箱にメンバー1人20万、会社は50万もらいました。それまでは僕が来たら「貧乏がうつる」と顔も見てもらえなかったのに、売れた途端、「森本さん、このリュックの中に2億ほど入ってるんですか」とか言われて。それでケンカになったんです。「失礼やぞ」と、僕が怒って。「金を持ってないというのはしゃーないこと。そやけど、売れた人に向かってリュックにお金がたくさんあるんだろうと冷やかすのは失礼やぞ。君らな、売れてないときも、売れたときも、同じように接するようにしていかないと」と。

僕はビジネスでマネジメントの会社の社長をやっているからまだいいんです。調整したり、対応したりできるから。でも、アーティストはまったく対応できない。だから「ガッツだぜ」が売れてから、メンバーが売れたんだということがわかるまで、1年かかりました。「1日のバックオーダーが5万来てる」なんて電話があると、僕でも最初は、「それはデビューしてから今までの累計ですか?」なんて答えていたんだけど、それをメンバーに伝えると同じように混乱していました。「今日1日で5万枚売れたということやがな」と言っても、「それは5万円くらいもらえるんですか」とか「今までの累計ですか」って。

「ガッツだぜ」が80万枚売れて、「バンザイ」が70万枚売れて、アルバムが120万枚売れたんですけど、その前は「サンサンサン」というのが1800枚やったんです。だからケタが3つ違うんです。だからもう対応ができない。給料が32万といったらわかるでしょう。でも給料3200万だと言われたら、「それはマンションのローンですか?」と混乱するのと一緒。感覚がわからない。

電話が2〜3回線で6台あったのが、売れたあと通話できなくなりました。調べてもらったら、その2〜3回線に80本くらいの電話がかかってきてて、パンクしてると。それで回線を16個買って、電話機を20台くらいおいて、仕事用の隠し電話番号を作って、など対応しました。

音楽番組からの出演もたくさんきて、行くわけですよ。そしたら、昨日と今日は同じ服を着てきたらダメだといわれる。テレビ用の服はどうしたらいいのかと人に相談すると、1晩で1着80万円で作ってくれるところがあると。1人80万だったら、メンバー4人で320万円でしょ。それを10着持てといわれたの。3200万円あらへんやん。人も増えて従業員は50人くらいになって(今は15人ですけど)、もうわけわからんくらいの感じやったのが、売れたあとの音楽プロデュースの世界です。それから10年続けるのはしんどかった。今48歳です。

■質疑応答(質問は手をあげた人、回答は森本泰輔さん)

【質問】私は自分の能力をあまり信じられないところがあるのですが、森本さんはウルフルズの売れない4年間をずっと信じていたことが、すごいなあと思うんです。自分のことならともかく、人のことをそれだけ信じられるって強いなあと。そのときの気持ちを、ぜひ教えてください。

【回答】いい質問や。ウルフルズをやめようと思ったことが、2回あるんです。「あんた、こんなんやってて売れると思ってんの」と言われたとき。でも、人間は弱いです。弱いからどうにかして強く生きようとするんです。やはりそうやなと思ったのは、モハメッドアリの戦う前の映像を見たから。自分に暗示をかけてるんですよ。地球や天から力がどうのこうのとか。そうでもしないと不安でやってられないんでしょう。自分が勝たなかったら孤児院にお金が入らないとか、そういうプレッシャーもあったから。僕も似てるところがあります。4年間続けたら、1年間で2000万円の赤字だから、4年で8000万円ですよ。なんでそこまでして続けたかというと、トータス松本くんに才能があるから。あとみんなの努力。「ガッツだぜ」が売れなかったら、もうボチボチやめようかとか言ってたんです。それくらいあきらめていたんです。それまであきらめなかった理由は、ひょっとしたらまだできるんじゃないだろうかと思ってたから。本当にあきらめたときには、どんな状況だろうとやめますよ。

売れなくても粘って4年続けるときもあるし、売れると思っても、自分があかんと思ったら1年でやめてます。「すまへんけど、退職金払うわ。普通の人間戻りや」って。親からボロクソに文句が来ますけど。でもお父さんは知らんのです。音楽業界、才能です。才能がないと思ったらやめたほうがいいんです。プロは。アマチュアで音楽続けたほうが、よっぽど人生は幸せにすごせるから。第6感ですね。続けるか続けないかは。

昔、オリコンの雑誌で取材を受けたことがあります。「ガッツだぜなど、ミリオンブレイクした戦略を教えてください」と聞かれ、「やめなかったからです」と答えました。「記事になりませんわ」と怒って帰りましたね。でもどう考えても、やめなかったから売れたとして言いようがないんですよ。こう考えて戦略的にどうだなんて考えても、そうはならないんですよ。僕は、48年間生きてきて、思い通りになったことは1つもないです。夢があってこうしようと思っていても、絶対そういう風にならない。やっているうちにどんどん状況が変わっていくから。

「ウルフルズ、そんなん絶対売れへん」という言葉を、なるべく聞かないようにして続けたから、成功したんです。みんなの「売れない」という予想はなぜ外れたか。当たり前ですよ。明日の馬券を当てる奴なんていないんだから。みんな外れてるでしょう。明日の馬券や宝くじを買うように、人は「君、そんなん無理やで」って言ってるんです。ほんなら馬券当ててから言えよって感じですよ。ウルフルズが売れないとか。予測なんかしてないですよ。自分以外の人間で、まじめに予測している人なんていない。だから聞き流しといたらいいんです。

「森本さんは人の話、ぜんぜん聞かへん」といわれますけど、聞いてんねんけど、気にならへんのよ。トータス松本くんにも、「聞くな」言うてます。人の話聞いたら、曲もかけなくなるし、テレビに出るのもいやになるから。テレビに出たら、視聴率1%で80万人と言われてるから、10%で800万人ですよ。800万人が僕のこと嫌いやどうだと言ってると思ったら、もう出られないですよ。

3割バッターって、10回打席に入ってもヒット3本でしょ。7回は塁に出られない。そのときどんな気持ちなんでしょうね。阪神の藪さん、仲良くさせてもらっているんですけど、横浜球場で負けたその日の晩、飲みに行こうかとお店で会うとき、いろいろ気を使って考えていたんです。「今日は敗戦投手でメッタ打ちやから、野球の話せんとこうか」とか。そしたら会った瞬間、こう言いました。「今日は打たれたけど、次がんばるわ」と。プロの人は、メッタ打ちにされても、けろっとしてるわ。泣いたりしくしくしてたら、プロとして給料もらわれへん。藪さんは年俸8000万ですわ。調子悪くても、屁とも思ってない。例えば清原の話をはじめると、こう言う。「清原、大丈夫。あいつの首元にボールがーんて当てたったら、絶対打ちませんわ」と。プロの人って、攻撃精神がすごい。

ある知り合いの議員も、「あいつ殺したるぅ〜!」とよう叫んでますわ。国会議員でっせ。でも自民党のだれだれを殺してやろうというくらいの勢いがないと、議席300でしたっけ。そこで残っていけませんねん。

強気でいいんですよ。だから新曲出ても、「次、売れる〜」って言ってたらいいんですよ。「売れてる」って言うたらウソんがな。「次、売れる〜」言うたらいいんです。最近東芝EMIに言っても、「森本さん、最近どうですか」と聞かれたら、「あ、うちは、4年に1回はヒットが出ますから。心配せんと待っといてください」と言ってます。それでいいんです。強気で行くように自分を持っていくのと、他人の言ったことを気にしないことですかね。

あとは自分が好きなことをする。好きじゃなかったら続きません。あとはたくさん失敗してもくじけなかったらいいんです。僕が得なのはビールです。ビール飲んで寝たら、次の日朝起きたら覚えてない。そやから楽なんです。思い悩む人は、頭ええのよ。お酒じゃなくても何でもいいから、「忘れる」という行為をしていかへんと、たまっていったらしんどいですよ。僕なんかすぐ忘れますよ。僕は10年分の日記ありますが、それ見たら何のことかさっぱり覚えてないですよ。昨日会った人の名前も忘れるくらいです。そういうことです。

【質問】行動力の源についてお聞きしたいんですけど、新しいことに取り組むときに躊躇することはありますか。

【回答】あるよ。めっちゃめちゃあるよ。夜乗り気になったことも、朝おきたら悩んでどうしようかと思う。

【質問】森本さんはいろんな失敗を経験されていると思うんですが、今までで一番大きな失敗を教えて下さい。

【回答】あります。去年の12月、うちのウルフルズのマネージャーの田端が、ウルフルズばっかりやったら飽きるので何かやらしてくれと言いにきて、ほなやったらええがなとやらしたんです。アメリカのニューヨークのゴスペル隊がある。これは麻薬中毒患者が厚生のためにやってる。12月8日に和田アキ子さんが、特番でニューヨーク音楽旅、この番組でゴスペル隊を歌わせようということになったけれど、彼らが撮影はダメだとかいってきた。僕はテレビ朝日の局長の上の人から呼び出されてお叱りを受けたので、すぐに飛行機で現地に行き、騙して撮ったんです。「こんなところ、撮れへん、撮れへん」言うて、撮らした。それがしんどかった。

その次の日、日本放送で、飛ばしてもうたんです、田端が。そんで日本放送が来いというから行ったら、960万円かかったから弁償しろと。1月2日に行って、謝りました。「すみません、200%うちが悪いです」と。ニューヨーク収録分が飛んだんですね。飛んだということは、ゴスペル隊が行かなかったんです。会場に。土下座せんばかりに謝って、その番組にウルフルズも出てたので、ウルフルズでお返しできることなら何でもしますからと。そしたら「半分だけ払ってもらえますか」ということで落ち着きました。それは一番危機でしたね。

僕らの商売で、テレビ局の番組を飛ばすというのは、えらいことです。ほんまえらいこと。再生不可能みたいなところがある。今回の場合、田端はクビになって、僕はやめて、ウルフルズとボニーピンクだけは残さないとあかんから、フジパシフィックに売ってといろいろ考えました。今年の正月は楽しくなかった、ぜんぜん。そういうのは5年に1回はありますよ。「うわぁ〜」いうやつ。でも謝るしかないから腹くくろうと。お金、謝る、最後は責任とって引退してこの世界から消える。そうやって腹くくるしかない。

もう1個あって、またゴスペル隊が報道ステーションの生で、川が下にブワーッと流れる橋の上で歌うというのがありました。放送1時間前。寒いから歌わへんと言い出した。報道ステーションの生なんか、飛ばせるわけないやん。クレーン吊って、カメラが横からブワーッと移動してくる設備で4000万円かかってんのよ。新聞の番組欄にも載ってるし。これは飛ばされへん。もうゴスペル隊にガンガン言うて何とか歌ってもらったんですけど、もしあれが飛んだら、謝ってもすまんかった。

もう1個あんねん。J-WAVEの放送の生、これも飛ばした。60万円弁償。60万円はたいしたことないんですよ。信用が大事やから。もう1つ先週あって、うちのトータスがJ-WAVEの夜の番組でレギュラーしてますねん。先週の水曜が新しいアルバムの発売日やったから、宣伝のためにいろいろ他の番組にも出るでしょう。ほんならJ-WAVEのSさんが他の番組に出るんだったら、こちらのレギュラー番組はやめてもらうと。他の番組にしたら、1回ブッキングして番組宣伝だろうと、出演しなかったら、以後出入り禁止ですわ。「さあ森本さんどうしましょ」って、どうせえいうねん。俺はどうしたらええねんていう状況でした。それは他の番組断って、出入り禁止3ヶ月になりましたね。そういうことはしょっちゅうあるわ。腹がーっとくくって、今日飲めるビールは今日飲んでおかないと、いつどうなるかわからへん。という毎日です。慣れるわ。

1つだけ避けたいのは、うちのメンバーが交通事故起こしたり、ファンに刺されたりということ。事件・事故がなかったらええわ。そういうんじゃなかったら、今日もよかったなあと眠れますわ。

【質問】迷って決められないことがあるとき、森本さんはどういう基準で決められているでしょうか。

【回答】僕の話だけ聞いたら、パッパと決めてるように思うでしょう。パッパと決めるのは、僕らの業界で言うたらサザンや福山やポルノグラフィーがいるアミューズという事務所がありますねん。そこの山本さんという社長が僕は好きで、あの人は見事に「A,B,A,B,B,C,D」って決めますわ。もうお見事。会社が大きくなって上場してるから、そういう風に決めていかんと回れへんのやろうね。僕なんかは、嫁はんに言わせると優柔不断ですよ。確かに、恋愛で優柔不断ですわ。自分から別れるなんてよう言いません。仕事でも決断は最後です。最後まで悩む。デットラインまでいかないと決められない。

例えば、契約が3年終わって、もうダメだと思ってるアーティストに、今日言わなあかんなあと思ってもいえなくて、結局3ヶ月かかるときがある。結論は出てて、もう最初からわかってるのよ。でも情もあれば流れもあるから、やっぱりパーンと言えない。決断はしてるんだけど、それを発令してそういう風に持っていくのは、いつも遅れる。ズルイ人やと思われてるときも、時にはあると思う。見方によっては。「最後まで結論言いませんやん」と。それはあるわ。僕をええように言うてくれる人もいるけれども、「森本なんかあんなんカスや」って言うてるヤツも絶対おると思うよ。そう言われたら「お前こそカスじゃ」って言うたるし。

だから、完璧な決断はできてないです。人に救われてる部分が多い。1人で決められることだけならいいけど、組織でやってるもんだから、この人を差し置いて、あまり決めすぎると、その人自体を否定することにもなったりするので、わりかしはっきりものは言うけれど、決断は遅いです。最後まで悩む。

やってみて、芽があるのに、多くの人が結果が出る前にあきらめているということに、気がついたことがある。「ウルフルズで4年間売れなくて5年目に売れてよかったですねえ」って言われて、お金が入ってきて、「これはいけるぞ」と思った瞬間があって。そのあとすぐ気づいたのよ。いろんなアーティストが、売れる前にみんな辞めていくわけですよ。ということは、少々ぼんくらでも、人より長く続けていたら、それなりのアドバンテージがついてくるということです。ほんまに箸にも棒にもひっかからないのだったらすっとやめたほうがいいかもしれないけれど、賛否両論で言いという人もいればアカンという人もいるんだったら、続けたほうがいいだろうと。

【質問】売れたとき、傲慢な気持ちが出てきたりしましたか。

【回答】ことわざにあるでしょう。「実るほど、頭をたれる稲穂かな」って。そういう風になんのよ。ああもうこれは神様のおかげやって。「明日があるさ」が当たったときもそうでした。電話がかかってきて、「たまきこうじやブームの宮くんが断ったんだけど、ウルフルズやれへん? 清涼飲料水で吉本がらみで替え歌歌うんや」と。曲はと聞いたら、「明日があるさ」と。「やるがなー!」と即答でした。僕、作曲の中村八大さん好きなんです。上を向いて歩こうの。替え歌でも何でもいいと。これはひょうたんからこまのヒットでした。

吉本興業がダウンタウンで「明日があるさ」の替え歌をCDで出す許諾をもらいに、事務所に行ったらダメだったけれど、僕が行ったらOKだった。ちょうどジョージアのCMが始まった次の日だったこともよかった。あと、プロの歌手のトータスくんが歌うのだったら、天国の九ちゃんも喜びますとOKもらいました。出したら80万枚売れました。でもCMはいいけど、CDで出すかは悩んでました。会議でも僕だけが反対した。30人全員賛成で僕だけが反対。替え歌なんか出したらロックバンド終わりやと思って。でも結果よかった。

だから、あんまり信念をまげるのもあかんけど、周りがそうやとあまり言うのなら1回乗ってみようと思ってます。当たらないですよ、そんな。1人の人間だけが。

【質問】死にそうだと本気で思った、人生のターニングポイントを教えてください。

【回答】キリンラガージャングルというお店のプロデュースをしてるときに、竹中工務店が実際に作ってくれるんだけど、僕は設計1人やん。一気に20人くらいの職人が質問してくるんですよ、現場監督の僕に。寝る時間が2〜3時間になって、それが1ヶ月くらいになった。僕は図面が書かれへんのよ、ええかげんやから。正確な1ミリ単位の図面があれば、あとは現場の人が作れるんだけれど、ないからみんなが僕に聞いてくる。これは死ぬなと思ったね、そんとき。それで学んだのは、1人で全部やろうと思うのはやめようと。人に任せたほうが早いわ。だから今の僕の人事や任せ方は大胆やで。

松下幸之助さんがこう言ってました。「子会社作るときの社長は、一番人気のあるやつに行かせる。目標のの半分も、その人ができたら成功」と。だからうちの従業員にもこう言ってます。「半分できたら成功やで」と。80点取ってるのに20点足りないと嘆く人が多くいるけれど、それではもったいなすぎるわ。半分できたら成功やと思ったら、それでええやん。成功率を上げたらいけませんねん。どんどんへこんでいく。半分でいいんです。

うちの奥さんの成美ちゃん、顔みたらびっくりしますけど、僕はそれでいいんです。ウルフルズが売れない時代の4年間、東京都大阪を200回ほど往復する生活のとき、なるみちゃんは手伝ってくれたんです。素人の会社に誰も来てくれないんですよ、売れてもないし。だからそのときのガールフレンドのなるみちゃんがいろいろやってくれた。その恩がありますから。

いい服きて、白金に住んで、ヨット持ってるお嬢さんじゃなくてもいいんです。お金持ちの奥さんで、恵まれているように見えても、めちゃくちゃ泣いてる人多いですよ。お金とか成功とか名誉とかは、案外幸せとは関係ないと思うよ、僕。

【質問】僕はインディーズでCD出したり音楽をやっています。今日のタイトル、「涙が出ない仕事はするな。それが嬉し涙でも、悔し涙でも」ということですが、森本さんが涙を流すときはどんなときでしょう。

【回答】ウルフルズがライブで、「バンザイ」とか歌うでしょう。ちゃんとしたコンサートとかじゃなくても、30分くらいのライブでも、ぐーっと来て泣いてしまうね。いろいろ大変やったこと、思い出して。1曲目からウルウル来るね。

犬、猫、動物でも泣くし、テレビみても「あんたほど涙する人いない」といわれるくらい泣きます。喜怒哀楽が激しいんでしょうね。アホなんですよ。アホっていうのは純粋ってことです。

【質問】僕も音楽をしていて、まだメジャーの契約もありませんけれど、来年日本武道館でライブをしようと思ってます。そこで森本社長のアドバイスをいただきたいので、よろしくお願いします。

【回答】え?ワンマンで? 今まで一番大きなライブは何人?

【質問】はい。ワンマンです。今までは韓国でやった150人が最高です。

【回答】えー! 武道館は1万人やで。どうすんのチケット。

【質問】それを今、考えています。

【回答】急にやったらあかんで。頭おかしなるで。僕が同じことやってんねん。ウルフルズのデビューで大阪から全員上京してくるときに、これは勢いつけなあかんと思って、大阪の御堂会館1200席を借りて、天売でようやく400枚売ったんよ。800席開いてたんよ。それでもやったぞーと思っていたら、東京から来た音楽業界の人が、「森本さん、何泣いてんの」というわけですよ。「これで東京行って、日本一なるぞと思って」と話すと、「こんな席が開いてたら、話にならんわ」って、客観的に言われたんです。そのときはわからなかった。

後から考えたら恥ずかしい話ですよ。俺は御堂会館でやってるからお前らなめんなよ、みたいにやっていたんで、身内ばかり集めてたのよ。そやけど、コンサートって、武道館でやるのもいいんだけれど、150人を200、200を220に持っていくのがどれだけ大変か。そこの下地作りには王道はないのよ。歌謡曲で歌を作らない子でただ歌う子がたまたまバーンと売れることはあるかもしれん。でもバンドで、シンガーソングライティングやってたら、やっぱり50から60、60から80とファンを増やしていくのが、地道で一番しんどいけど、王道やねん。どう思う?

【質問】まったくその通りだと思います。僕もそう思って6年間やってきました。ただその積み上げ式だと自分の現状からしか、小さいことしかできないと思ったので、先に武道館を設定してそれに向かって仕掛けていこうと思ったんです。武道館はもうブッキングしています。何回も門前払いをくらいましたけど、半年かけてブッキングしました。

【回答】わかんねん、君の言うてることはわかるよ。1年かけてな、お客さん集めようというの。そやけど、失敗したときのダメージ具合考えておかないとあかんよ。僕はたくさん失敗してるけど、命がなくなったりはしない失敗ですよ。もしチケットが売れなくて、うまくいかなかったときのダメージを考えて、武道館じゃなくてもっと小さいところで設定したほうが絶対いいよ。

武道館て、去年の7月にウルフルズもやったんだけど、「武道館でやったらすごいですね」って言われるけど、違うで。めちゃめちゃズルやで。ファンクラブ1万人で、チケットは9割売れてしまうねん。そりゃあ発売日、ソールドアウトや。全国のぴあで一斉に売るんだから。それくらいずるいやり方してんねんで。勢いつけるために。パンといきなり1万枚売っても、ウルフルズでも半分も埋まらへん。ファンクラブで「もうこれ来ないと損よ、8年ぶりですよ」ってあおるだけあおって、ファンクラブで9割売ってしまうねん。でも今のコンサートの常道ってそうやねん。浜崎あゆみちゃんもみんなそうや。外には1割しか出してない。

そんな朝の10時から発売して10時15分にソールドアウトのわけないやん。そうでしょ。僕らの業界の内側では、10時5分にソールドアウトとか10時10分やったとか、そこを競ってるんですよ。ソールドアウトということは、次もチャンスがあるということなんです。それだけ人気があるということだから。でも9割売れなければ、やらないです、プロは。席が開いたら終わりだから。ちょっと若干空いてるね、という感じやったら、次のシーズン消えてます。もちろん来てくれたお客さんは尊いですよ。でも空いてたら終わりです。パンパンじゃないと。パンパンだったら、1万人が来たけど、1万5000人が来たかったのか、それとも1万100人が来たかったのか、わかりませんやん。

武道館押さえたといったけど、気持ちや夢はわかるけど、もっと小さいところでやりな。誰が金を出すの。武道館のお金、場所代とかステージ代とか照明とか。

【質問】借ります。だいたい3000万円、ミニマム2000万でできると見積もりしましたので。

【回答】もったいないで。2000万でできるけど、それだと電気がついてるだけって感じになってしまうよ。ウルフルズでやったら1日7000万円くらいいるもん。やめときって。無謀や。パンパンに埋まるから武道館でやるんであって、武道館ありきでどう出るかってやったらあかんで。気持ちはわかるけど、それをやったら、そこで自分、終わっちゃうで。

プロの世界の子は少し違うんよ。アマチュアが劣っててプロが優れてるという意味じゃないよ。例えば華原朋美さん、ミュージックステーションの出演の日が、たまたまボニーピンクと一緒だったんです。あれ、朝からスタジオに入るんですよね。本番まで2〜3回リハする。華原ともちゃんのスタイリストとウルフルズのスタイリストがたまたま同じ子で、その子から話を聞いたら、「ともちゃん、風邪やねん。39度も熱あって、歌われへん」と。リハーサル見てもひどいわ。さあ本番やとなったとき。びっくりしたわ。モニター見てて。ともちゃん、ちゃんと歌ってる。さっきとぜんぜん違うんですよ。えらいなと思った。華原ともちゃんと言えども、プロ中のプロなんですよ。だから残ってる。プロの世界ってそうなんですよ。

だから、アマチュアのときに、自分の夢を追いかけるのはいいよ。でもそれは、武道館じゃないよ。まして2000万とかかけたらあかんわ。その2000万で、音楽生活を長く続けるように使ったほうが得やんか。一発勝負はないで。音楽を含めた、お笑い、芸能の世界で、一発勝負はないで。結局、一発勝負やと思っても、よく聞いたらその前の10年、苦労してるわ。一発勝負は絶対ないで。打って出たらあかんよ。それはアマチュアリズムの典型のところや。武道館でやったって、何も変わらへん。

それやったら自分で曲作って、CD作って、プロモーションビデオ作って、スペースシャワーとミュージックオンTVと、MTVに持っていったほうがいいって。あかんで。そんな何千万も借りたお金を使ったら。まだまだ実験で、石の上にも何年ていう年だから、10万しか使えなくっても、それは負けじゃないよ。デビューしたから勝ちで、デビューしなかった人は負けじゃないよ。デビューするということは、3月1日にプロデビューしたとしたら、カウントダウンがはじまるのよ。700日で終わるから。通常2年契約で。泣いても笑っても700日で、ほんとに秒針のように1日がすぎていくわ。

最初5人からはじめて、それを1万人にしていくプロセスを、3年かかるか5年かかるかわからないけど、ここを面倒くさがったらあかんで。ここをしんどがったら、1人1人に歌う気力なくなるよ。

トータス松本くんが、この前、友人の結婚式で一曲歌うと言ってた。僕は「そんなん歌わんでいいやろう」と言ったんです。スナックの流しで歌うんだったらすぐ歌えますよ。でもプロは、歌うまでに昼過ぎからリハーサルしてどうのこうのって、1日の流れを作らないと、声なんて突然出ないんですよ。そしたらトータスが、「お客さんがおって、歌ってくれっていうんだったら、結婚式でもどこでも、時間があったら歌おうと思いますねん。バンザイはみんながいい曲やって言ってくれるし、そこまで言われるんだったら歌います」と。自分らの計画とか夢とか欲望のために、武道館でやったりするわけじゃないねん。ウルフルズの夢は武道館でやることじゃないねん。トータスの夢は、お客さんを満足させることやねん。僕らはその時期に応じて箱を設定するのよ。

だから外から見たら、ウルフルズは武道館やってて、全国50箇所回ってすごいですねって見えるけど、そうじゃないのよ、別に。結婚式の会場でもやるし、下北のライブハウスでもいいの。実際ライブハウスツアーもやるのよ。なぜかといったらお客さんのためにやるから。見栄でテレビに出てるのが自慢だとか、メジャーでデビューしたことに見栄を張ったり、武道館でやることに見栄を張りだしたら、もうそいつは終わりますから。決してあんなもんは、自分らの夢でも何でもないのよ。ただマスコミが武道館はロックの殿堂やとか言うてるだけなの。

武道館のあんな箱、夢にするのは違うで。150人のライブハウスでも、自分の夢は叶うのよ。そこでしかしたらあかんとは、言うてないよ。まずはパンパンにすること。そしたら次の道はあるわ。必然的に。無理して何千万も使ってやるというのは、無謀や。僕らはそんな気持ちで武道館でやってるんと違うよ。武道館だけを真似したらあかん。客を集めるほうが大事。1人1人と握手して。

この前、ウルフルズの10年ファンクラブでいてくれた人が、50人いるんだけど、その表彰式をやったの。握手して記念撮影して。だから1にも2にも、3〜4がなくて、5にお客さんやねん。もうお客さんしかないの。いかにお客さんを大事にするかなの。

お客さんを大事にする。そしたら、武道館という発想は出てこないの。来た30人を楽しくする箱を考える。そういう人が増えていくようにしていくこと。ぜひそういう考え方に変えてほしいと思います。

長々としゃべりましたが、これで終わりたいと思います。