100年前の朝鮮の苦難(下)
「朝鮮は清の属国で、内政・外交は朝鮮の自主である」。これは、中国の北洋大臣・李鴻章と金允植(キム・ユンシク)が協議した米国との条約草案第1条の条文だ。李鴻章はこの条文を通じ、朝鮮が清の属国であることを西洋各国に認めさせようとした。朝鮮はなぜこの条文に同意したのか。金允植は、列強の主権侵奪に対する防壁として清を活用するための意図があった、と日記『陰晴史』に記した。内政・外交はこれまで通り朝鮮の意のままに行えばよく、損をすることはない、というわけだ。岡本教授は、これを「属国自主」という言葉で表現した。
19世紀後半の近代的条約体系と伝統的中華秩序が衝突し、新たな地域秩序を築いていく道は、このように険しく困難だった。100年前の韓半島(朝鮮半島)は、自主と独立を守るために周辺列強の勢力均衡と韓半島の非武装化を夢見た。しかしこうした対外依存的な路線は、勢力の均衡が破れると「自主」が崩れるという危険性をはらんでいた。日清戦争と日露戦争でライバルを退けた日本が朝鮮を植民地にしたことだけを見ても、これは明らかだ。
ならば、ヨーロッパのように自ら軍事力を育て、勢力の均衡を作り出す道はなかったのか。不幸にも、朝鮮はヨーロッパとは異なり、日本・中国・ロシアという超大国に隣接している。そのため、これらの国々と競い合えるだけの軍事力を育てるのはほぼ不可能だった。著者の岡本教授は、金弘集が当時、朝鮮がこうした路線を追求するのは「幻想」だと考え、状況によっては清を支持し、ある時は日本の甲午改革に協力したと解釈した。100年前の東アジアの国際秩序を見つめる本書の問題意識は、北朝鮮の核問題をはじめとする韓半島(朝鮮半島)問題の解決が現在もなお、周辺大国の支持と協力なくしては容易ではない、という教訓を示している。
キム・ギチョル記者
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