|  | >明るい野外ではビュー画像が人工的なドギツイ感じがしてアラが目立ちます。 
 ああ、そういう意味ですか。
 って言うか前回書き込んでからようやく、
 良く考えてみるとEVFが嫌だったら液晶使えばいいんだよなと気が付いたり。
 とは言えそっかーEVFの画質って、思ってる以上に液晶側と違うんだなと。
 まあ確かに、大抵のEVFは液晶側よりも解像度が低くて、
 色が原色っぽいのが多そうでしたもんね。
 G1はG1で時分割式で、
 動体視力が良い人程嫌ンだったとしても不思議が無いですし‥‥。
 それにG1のピント合わせモード、
 あんまり画が綺麗じゃ無かった記憶が(大汗)。
 無理やり解像度上げたみたいな画でなく、
 もっとぱしっとした画にならないもんなんでしょうかね。
 
 >私の場合は、ほらっ、カメラを顔面から離しての撮影がへっちゃらなんでね。(笑)
 
 あははははは(^-^)。
 
 >G1の添付画像はフォトシップは使わずに、2点とも付属RAWソフト(シルキー改です)で直接画素数を落として一発JPEG現像をしています。
 
 ああ、だとするとシルキーピクスが徹底的にお上品過ぎるだけなのかもしれませんね。
 縮小画像とは言え、あいや寧ろ、
 世間では縮小画像程シャープネスアップが必要と思われている中、
 この処理は物凄く挑発的です(笑)。
 
 >パンフの写真を見ても、なんじゃいこれは!って感じですね。(笑)
 
 貰っておきながら存在を忘れていたので改めて見てみたら、
 シャープネスの悪弊のオンパレードみたいになってましたね‥‥(大汗)。
 ただまあ、やたら白内障がとか老眼がと仰る方が多い関係で、
 言われてみると老人向けの企画だと、
 シャープネスは太っとくてはっきりしている方が受けるのかもしれません。
 だからって、もう二段シャープネスをマイナス側に増やすのは、
 問題ないと思うんですが‥‥。
 全ての描写が、シャープネスの為に荒れて、あれでは欲しくなりません。
 ハイライトとの繋がりも、そのせいで悪化してるっぽいですし。
 LX3の画はもっと出来る子だって、私は信じてるよ。
 つーかそれを実証してよ‥‥(T_T)〜。
 これじゃー、GX100の方がましだと思えてしまう
 (あれの色の魅力の無さも、ねー‥‥)。
 あと昔のバージョンのファームだと、もっと中間濃度濃かったと思うんですが、
 印刷の段階でハイライト側飛ばし過ぎなんじゃないのかな‥‥。
 まあこの辺は、昔見た作例と別の画だったりするのかもしれませんが。
 パンフ用印刷で撮って出し主義でもあるまいに、
 もうちょい魅力的な画作りして上げて欲しい。
 
 >残念ながら、オリンパスって一見優秀なんだけど、やはり商売としてはバカだなって思いますね。
 
 昔の8080のスーパー画質を見ているから逆に思いますが、
 今のコンパクトデジカメの風呂画質を見るにつけ、
 実は客を舐めきっているだけなのかもとか──(大汗)。
 正直、中国企画製品の風呂画質デジカメの画を見て、
 今でも結構みんなビックリしてるっぽいですよね
 (アメリカメーカーとか、平気でそれを出してきますが)?
 それと比べられる製品をオリンパスの名前で出して、
 次のカメラもオリンパスを選んでもらえると思っているんだろうか?
 だったら、携帯用電話用のユニットだけ作ってろって思います。
 そんな製品をコンパクトデジカメという名前で出されると、
 本当にコンパクトデジカメが世の中から消えてしまう。
 携帯とフォーサーズ以上デジカメだけになったら、
 アカンとは言いませんが、なんかなー──(-_-:)。
 
 >ニコンやキヤノンのカメラを見ていると写真好きがいっぱい居るんだろうなって分かるんですが、オリンパスには居ない。
 
 以前キャノンでは写真好きはカメラ部門に入れて貰えなかったそうですが、
 その異様な体質が改善しているようには、
 個人的には到底見えないんですが‥‥(^-^;)>゛゛゛゛゛。
 キャノンのカメラデザイン部門としての唯一の財産は、
 多分存在しているであろう前ダイヤルの最小サイズに対する不文律だけかと。
 これが無くなったら、ペンタックスやαみたいに、
 『だからこんなちっこいダイヤル、シーソー式と変わらねーよ』
 ってな代物を時々作ってしまう訳で。
 勿論、デバイス部門はとても良い仕事してますけどね、
 その努力すらもAPS−C1400万画素世代では既に破綻気味。
 フルサイズ系まで風呂画質化してきたら、
 5D2は最後のまともな絵のカメラだったって話になってしまう。
 
 >一方オリンパスのカメラは操作がマニアック過ぎて使いにくいんですよね。
 
 ここは使っていないせいか流石によく判らないんですが、
 パナソニックは良い意味で変に写真が好き過ぎてたまんないって空気が感じられるのが、
 とても気に入ってたんだけどな〜。
 その熱気と同じ気持ちで、
 既に作ってしまった既存ユーザーを大切にするっていう熱気も、
 感じさせて欲しかった。
 って言うか、Lシリーズ終了のアナウンスが未だに正式に無いところからすると、
 実はまだ様子見なんではないかという儚い期待を──(T_T)〜。
 L−10であれだけ良いものを作っておきながら、続きが無いなんて信じられない、
 そうゆう気分が今でも強いです。
 
 >大きく写真好きとカメラ好きの二分をして、どちらが最後まで残るかと言えば、やはり写真好きなんです。
 
 これは間違いようの無い事実なんじゃないかと思います。
 でも、写真好きなだけでカメラ好きじゃ無い人は、
 メーカーの売り上げに貢献しないわけで‥‥(笑)。
 ってか、私は写真もカメラもどっちも好きなんだけどな、
 でも30Dよりも後の世代のAPS−C機って、存在意義を感じられない(大汗)。
 これは画素数を上げすぎた弊害で画が退化しているからですが。
 画素単位の画質と解像度が下がっちゃうと、
 全体の名目解像度を上げても杉の枝とかは表現出来なくなっていくからです
 (フォビオンとそれ以外の、一番の究極的差の原因ですが)。
 
 それは兎も角、日本のメーカーが文化的存在でなく、
 純然たる営業的存在として存続しようとしているのを見ていると、
 結局最後はカメラ好きにも写真好きにもアピールしない、
 屑みたいな製品しか残らなくなるんじゃないのかなって気も。
 ペンタックスは割と文化的存在に近い立ち位置のメーカーだったけれども、
 ホヤ傘下に入った時点でそれを許されなくなってしまったところが、
 日本企業の本質的な貧しさを感じてしまいます。
 そういう意味では京セラが、
 『文化』としてのコンタックスを抱え続けられなかったのも同根ですね。
 多分日本人には、
 文化って概念が根っことして存在していないんじゃないのかな。
 猥雑な文化ならきちんと持っているのに、
 お上品で品性下劣な連中が蛮勇を奮ってやたらとそうゆうのを潰したがるし。
 本来文化を支えるべき経済的上級層が、
 文化のなんたるかも判ってない空疎な空っぽ野郎だから、
 そこに存在している文化すらにじり潰してしまおうと出来るんでしょう。
 ブランドと高いものがいいと思ってる連中なんて、
 文化の底の底ですよ。
 って言うか、無文化の証明にしかなっていない。
 そうゆう連中がセレブとか称して大手を振ってる時点で、嫌悪を覚えます。
 
 >香織淳士さんの投稿写真、自転車と花と柵で・・・によく似たものを、私も昔撮っていたことを思い出しました。
 
 一瞬、私の写真だったかなと思ってしまいましたよ(笑)。
 やっぱ意外と同じようなことは、考えるもんだなーとか思ったり(チッ。笑)。
 しかしどうでもいいお話ですが‥‥、
 この手の写真ってコンパクトデジカメだと、
 手前にしかピント合わないから難しいんですよね(苦笑)。
 いやまあこの場合は花にピントで合ってるしそれだと問題ないんですが、
 ピント位置自在というのは一眼レフの一番の美徳だよなーと。
 まあ、MFが使い難いボディーとかだとコンデジ以下ですが(苦笑)。
 QV−R61君でもMFは出来るし意外と何とかなるんだけど、
 やっぱり常用として考えると無理が‥‥。
 距離が同じになるようにAFするのも有りですが、
 いつでもそうゆう条件が揃っている訳でもありませんしね。
 
  http://www.geocities.jp/kaori_atusi/ |  |