若林(以下:若)「小6か中1のときかな。父親が(NFLを)好きだったので、その影響を受けました。結構長い間見ましたね」。
春日が興味を抱いたのは、その少し後。ダラス・カウボーイズとバッファロー・ビルズが2年連続(1993、94年)で、スーパーボウルを戦った頃だった。
春日(以下:春)「春日は、中学3年の頃だったかな。カウボーイズとビルズのスーパーボウルを見て、高校からアメフト部に入った」
2008年のM-1グランプリで準優勝に輝いたお笑いコンビ「オードリー」。ツッコミの若林正恭とボケの春日俊彰が繰り広げる「ずれ漫才」は、世間で人気急上昇中だ。実はこのコンビ、芸能界では珍しく2人ともがアメリカンフットボール経験者。そんな2人に、アメリカンフットボールとの出会い、魅力、はたまたスーパーボウルの予想などを聞いてみた。(取材日:1月6日)
日本でNFLの人気が沸騰したのが、QBジョー・モンタナ(元サンフランシスコ・49ersなど)が活躍した1980年代後半。若林が、アメリカンフットボールに興味を持ったのがその頃だった。
若林(以下:若)「小6か中1のときかな。父親が(NFLを)好きだったので、その影響を受けました。結構長い間見ましたね」。
春日が興味を抱いたのは、その少し後。ダラス・カウボーイズとバッファロー・ビルズが2年連続(1993、94年)で、スーパーボウルを戦った頃だった。
春日(以下:春)「春日は、中学3年の頃だったかな。カウボーイズとビルズのスーパーボウルを見て、高校からアメフト部に入った」
中学、高校が同じだった若林と春日だが、同じクラスになったことは中学時代に一度のみ。そんな2人を接近させ、今の礎を築いたのが、アメリカンフットボールだった。2人は当時のことを楽しそうに振り返る。
春日:「中学で1回しか同じクラスになったことがなく、高校ではアメフト部で同じだったんです。そこで急速に仲良くなった感じです」。
若林:「男子校で女っ気もなかったですね。坊主で学ラン着てアメフトやっていましたから。練習後も皆で、アメフトの防具着てタックルしながらバスケやテニスしていたから、近隣の女子高からは気持ち悪がられていましたね」。
春:「アメフト部はちょっとおかしいとね。ヘルメットとショルダー着けて、下は何もはいていないですから」
若:「そんなのが、超楽しかったですからね」
春:「原点というか、その頃のことは大きいですね」
高校時代は、身長168センチ、60キロの若林がRBの、胸囲101センチ(現在はもう少しあります:本人談)の春日がライン(攻守両方)のポジションについていた。しかし、目立ちたがり屋気質の春日は、本当はQBをやりたかった。オードリーが漫才するときの登場の仕方は、まず若林が出てきて、その後に春日が笑顔で手を挙げながら出てくる。目立ちたがり屋の春日ならではだ。そんな登場の仕方が、ポジションの選択に現れているが、しっかりオチもついている。
若:「誰もがQBに憧れますよね。(高校)1年の4月と5月はラインの練習しかできなくて、6月から好きなポジションを選べるんですよ。春日なんか体格が大きいから、完全にラインなのに、目立ちたがり屋だからQBのほうに行くんですよ。肩は結構強いんですよ」
春:「結構良いパスを放るんですよ。ただ、チームの中ではラインですよね。すぐにラインにまわされました」
わずか2日でラインへの変更を命じられたそうだ。それでも別の攻撃ポジションを選んだが、そこでも“ダメ出し”をされた。
春:「ラインでもTEをやりたかったけど、それでもだめでした。一歩目の動きが遅くてタックルに当たったりしていました」
若:「僕もボール持って、春日が来るの遅いなあ〜と待っていたんですよ。今の漫才の出てくるときと同じですね」
ただ、攻撃で“失格の烙印”を押された春日も、ディフェンスでは自分の生きる道を見出した。
春:「ディフェンスのほうが良かったですね。プレイを覚えなくていいじゃないですか。そのときのアドリブで、決められますから。タックルをできる楽しさもありました」
若:「でも、(春日は)QBがやりたかったと思いますよ。目立ちたがり屋ですから」
RBというポジションは、味方が空けてくれた穴を走るスピードと、それを見逃さない判断力が必要。ラインのポジションは、守備でいうと、ところ構わず相手QBに襲い掛かる動物的な嗅覚がマストな能力だ。RBで培ったスピードと判断力で、相方を的確に突っ込む若林。四方八方から飛ばすボケで、周囲を笑いの渦に巻き込むボケをかます春日。2人の笑いは、アメリカンフットボールから生まれたといっても過言ではない。
PR
2009年1月8日 11:30更新
2009年07月08日 21:02更新