創価ジャーナリストのデタラメ日記(3)
柳原滋雄氏は何を言いたいのかを考えてみた。
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先ずは今回も柳原滋雄コラム日記 を全文紹介しましょう。
瀬戸某にも渡来人の血は流れ、朝鮮半島と分かちがたく存在する
今後は関わりを控えたいと自分で書いたものの、こちらが書いたことが相当気になるらしく、瀬戸某は先週、さいたま地裁川越支部でたまたま顔を合わせたときも、「おれのこと朝鮮と書くな、書くな」とそればかりを当方に懇願してきた。当方は「事実関係しか書いていない」「何を書こうとこちらの自由である」と答えたが、やはり同人は相当に気になる模様だ。
そこで書いたことはそれほど難しいことではない。日本という国と東アジアの密接な古代からのかかわりからして、日本民族と言おうと、日本人には多くの朝鮮半島や中国大陸の血が入り混じった存在であり、だからこそ、自分たちの民族が優れ、他民族より優位であるとの考え方はばからしいものであり、今後の関係において、なんら益をなすものではないということを述べたにすぎなかった。その上で、古代から朝鮮半島や大陸から多くの「渡来人」を受け入れ、彼らから文字や稲作などを学んだ関係を指摘し、日本人のすべてに「渡来人」の血が流れている事実を述べたにすぎない。
瀬戸某はそのことには事実上反論できず、半ば認めたかのようである。彼の書いた言葉は、「わたしは日本人混血説を採らない」というだけのもので、これは歴史上の史実とはまったく異なっている。
現在、日本の外国人比率は1・7%だが、渡来人の存在は当時の「人口の3割」などの規模であった。まさに日本人の祖先が半島や大陸からの渡来人なのである。
かわって同人は、血の問題を民族の問題にすり替えた。要するに血統ではなく、文化などを含む(?)民族性のみが問題であるというのである。それならば彼らはむしろ、外国人参政権に反対するのではなく、帰化制度そのものに反対すべきであって、逆に自分たちの主張の矛盾を広げる格好になっているようだ。
結局のところ、瀬戸某にも渡来人の血は明確に流れ、同人も朝鮮半島と分かちがたく存在する人間にほかならない。それだけのことである。それを認めるかどうかは本人の自由だが、日本という国家の成り立ちは、そういうものであるということだ。当然ながら、これは物事のよしあしの話ではなく、日本民族が日本列島に単独で古来から存在したものでなく、近隣諸国・民族と分かちがたい「関係性」を有しているという事実的関係を言っているにすぎない。その事実を認めるかどうか、単にそれだけの話である。
古代よりそのようにして成立してきた日本人であるにもかかわらず、その祖先に連なる人々をあからさまに差別し、「自民族優越主義」に則って“自己満足”に浸っている瀬戸某らの姿は、同じ日本人として、同じ人間として≪恥ずべき姿≫である。そう言いたかっただけの話である。
結局私に朝鮮民族の血が流れていると決め付けて、この創価人は何を言いたいのか?そのことに関して考えて見ることにしましょう。
> 古代から朝鮮半島や大陸から多くの「渡来人」を受け入れ、彼らから文字や稲作などを学んだ関係を指摘し、日本人のすべてに「渡来人」の血が流れている事実を述べたにすぎない。
これって、この渡来人という言葉を韓国人という言葉に置き換えてみることにしましょう。
韓国人は日本人に文字や稲作を伝えた。
もう少し詳しくその後も考察してみましょう。
日本人はかつて韓国人によって文化・伝統を学び、文字や稲作まで教わった。よって韓国は兄であり日本は弟である。しかし、その弟が「日帝36年に渡って兄を支配し、創氏改名を強制し韓国人から名前を奪い、従軍慰安婦や強制連行・労働によって韓国人に多大なる犠牲を強いた。」
あれあれ、何となく創価学会の池田大作や韓国政府の言っていることに似ていますね。勝手に考察しましたが、そっくりなことを言っています。本当はここまで書いてご満悦な気分に浸りたかったのではないでしょうか?
池田大作は「中国人を親と思い敬いなさい、韓国人を兄と思って敬いなさい」と信者に教えているそうです。このような教えを信じ込むとこのような創価人となってしまうのでしょう。
日本の稲作技術は世界でも最高です。それは日本人が精魂込めてその稲作の普及に務めてきたからであり、それは日本人の誇りでもあるのです。
それをわざわざ韓国から伝えられ、学んだものだなどと考えている韓国に感謝している日本の農民はいない。一体何を学んだんですか?と逆に質問したい。常に古(いにしえ)を意識することも大切でしょう。
しかし、伝えたから感謝しろですか?学んだから、どうしろと言うのですか?柳原滋雄コラム日記 で書かれている内容は歪んだ日韓関係を韓国側の視点からしか見ていません。
>瀬戸某らの姿は、同じ日本人として、同じ人間として≪恥ずべき姿≫である。そう言いたかっただけの話である。
同じ日本人として、私は貴方のように日本人を韓国人(渡来人)の下に置くような文章には耐えられません。というか、貴方は本当に日本人なのですか?と問いたい気持ちです。
ところで、何でもかんでも韓国が発祥地だと唱える韓国人ですが、それって日本人に対するコンプレックスがあるのではないですか。つまり羨望と嫉妬などが複雑に入り混じった感情です。
特に在日の方にそれがあるように思えてなりません。或いは日本に帰化した人にも若干あるのかも知れない。現実問題としてコメの稲作技術にしても日本の方が優れているでしょう。
それを認めたくないために韓国から伝えられた、学んだと言われても本当に迷惑なのです。日本人は稲作をただの食料だけとは考えずにこれを文化と結合させた。だから、その部分が韓国よりは優れていると思っています。
>それならば彼らはむしろ、外国人参政権に反対するのではなく、帰化制度そのものに反対すべきであって、逆に自分たちの主張の矛盾を広げる格好になっているようだ。
外国人参政権問題は全く別問題で、韓国の血が流れているから反対するななどとは暴論もはなはだしい。勿論彼もそのような主張をしているわけではない。しかし、そのようにも聞こえてしまう、外国人参政権はこれは民族問題ではない。国民の権利の問題です。
帰化問題もそうですが、血の問題を絶対視するなら米国や西欧からの帰化などあり得ない。しかし、私は別にそのことに反対したことはない。
日本民族という括りは人種ではない。この日本という国家の中で長年に渡って我々日本民族が形成してきた共同体なのです。その共同体の一員として責任を果たす覚悟のある人を我々が受け入れを拒否することなど考えてもいない。
我々が問題にしているのは「共生」などという言葉を巧みに使いながら、自分達の優位性を譲らずに共生」ならぬ「強制」を押し付けようとする在日韓国人に対して警告を発しているのです。
〜新風連ブログ〜 創造学園大学(群馬)の経営危機説を追う(1)
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