[掲載]2009年7月12日
■じいじいと孫の時、ふんわりと温かく
なんとも元手のかかった短編小説集である。2巻合わせて全20編、いずれも椎名誠さん自身の言葉を借りれば〈わたしの日常をそのまんま呆然(ぼうぜん)と書き綴(つづ)っているだけの「なんにもおきない」小説〉――確かに、物語は旅つづきの椎名さんの日常に寄り添ってゆるやかに流れ、小さなエピソードや回想をたどっているうちに、すとん、と終わってしまう。
だが、その短い一編一編には、時間が折り畳まれて層をなしている。収録1作目「こんちくしょうめ」の冒頭、要するに全20編の始まりとなる一文は、こうだ。〈フーテンの寅さんじゃないけれど、思い起こせばかずかずの恥ずかしき日々というのがある〉。椎名さんは「いま」を語りながら、自在に過去を振り返り、時の層に埋まった〈恥ずかしき日々〉のかけらを掘り起こしては、また「いま」に戻る。少年時代、サラリーマン時代、旅の思い出、子どもたちが幼かった頃のわが家……。すでに還暦を過ぎた椎名さんの「いま」は、たとえ表面上の起伏はゆるやかでも、元手のうんとかかった過去によって支えられているのだ。
もちろん、過去の日々は、思いだすことはできても、そこに再び立ち返ることは叶(かな)わない。椎名さんの「いま」にも、過去の奥行きがあるからこそ、「老い」と「死」という重い主題が見え隠れする。
古い仲間が亡くなる。奥さんに先立たれた友もいる。体調も万全ではない。かつて旅した島のたたずまいも変わったし、なにより家族が変わった。『岳(がく)物語』『はるさきのへび』などで描かれた息子と娘も、いまは2人ともアメリカ在住である。〈家族が揃(そろ)って食事するありふれた風景はじつはほんのうたかたのものなのだ〉。確かにそうだ。仲間と浜辺でわしわしとメシを食う風景だって、永遠につづくわけではない。そういえば、大食いや深酒の場面がずいぶん減ったな……とも、古くからの愛読者の一人として、わずかな寂しさとともに思う。
しかし、椎名さんの「いま」には、とても大切な幸せがある。孫ができた。2人もいる。上の孫の風太くんと国際電話でおしゃべりをする場面は、ふんわりとやわらかく、温かい。3歳の風太くんのあどけない声に包み込まれた〈じいじい〉椎名さんは、電話を切ったあとで〈いま自分は、ようやく人生のなかでいちばん落ちついたいい時代を迎えているのかもしれないな〉と思うのだ。
風太くんはもうじき日本に帰ってくる。〈じいじい〉は風太くんと約束をしている。小さな約束も、大きな約束も。〈じいじい〉はそれを果たさなければならない。蒸し野菜だって食べなくちゃ(理由やいきさつは読んでのお楽しみ)。
約束とは、未来を信じることである。過去と「いま」を描いた20編の短い物語には、未来への希望も確かに描かれている。だからこそ、読了後のあなたに、読者同士の目配せをしておきたい。これってさ、ねえ、続編……読みたくなるよね?
◇
しいな・まこと 44年生まれ。76年に「本の雑誌」を創刊、編集長に。79年から作家活動に入る。『さらば国分寺書店のオババ』『岳物語』『銀座のカラス』『ひとつ目女』『わしらは怪しい雑魚釣り隊』など著書多数。
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