|
「そのうちに…」は2年後 |
☆★☆★2009年07月18日付 |
|
「しばらく先の話だから、そのうちにと思っていたけれど、気が付けば間近に迫っていた」ということがしばしばある。地上放送のデジタル化なんかはその典型ではなかろうか。地上デジタル放送が二〇〇三年に三大都市圏でスタートして六年、盛岡など二十四道府県庁所在地で始まってからも四年経ったが、現行放送(アナログ波)が停止するのはまだまだ先のことだと思っていた。 が、アナログ停波は二〇一一年の七月二十四日。あと二年後に迫ってきた。もっとも、「まだ二年もある」と楽観的に受け止める人もいるにはいるが…。我が家では昨年暮れ、故障した個人のテレビを地デジ対応へ買い換えたが、家族で見ている茶の間のものは25型のブラウン管式、いわゆるアナログ専用の機種だ。 先日、脇に張ってあるシールを確認すると「一九八九年、日本製」とある。「二十年も見てきたのか」と、寿命の長さと日本製品の優秀さにみんなで感心した。家人は「まだ見られるから買い換えは控えましょう」と言う。 アナログ停波が近づくとデジタル対応機が品薄になったり、価格が高騰するのではとの心配から、そろそろ買い換えたいのだが、そうした声と財布との兼ね合いもあって、いましばらくこのテレビを見ることにした。 こうした事情は少なからぬ家庭でも抱えているものとみられるが、そもそも現行テレビ放送をデジタル化するのはなぜなのだろうか。地デジ放送の開始にあたって、電波を管理する総務省は「限られた電波の有効利用とサービスの拡大をめざすとともに、世界的に進むデジタル通信基盤整備の一翼を担いつつ、家庭におけるIT革命を支え、放送と通信の融合を図る」とネライを説明。 放送事業者らで構成するデジタル放送推進協会も、「放送や通信に使える電波は一定の周波数に限られ、過密状態。アナログ放送のままではチャンネルが足りないが、デジタル化すれば(圧縮技術で)余裕が生まれ、空きチャンネルをさらなる情報通信技術や情報化社会の進展に利用する」と有益性に理解を求めている。 しかしこれは、技術の発展向上を目指す放送事業者、世界的な流れに対応しようという電波行政、より高画質や高音質の放送を求める一部のAV(オーディオ・ヴィジュアル)ファンを除けば、一般国民が強く望んだわけではなく、「今のままでよい」との意見も少なくはなかった。 とはいっても、放送デジタル化が世界の潮流になっている今日、放送通信の先進国・日本としては後塵を拝するわけにはいかないのだろう。それなら、移行にあたっては国民に新たな負担を求めないのが不可欠だと思うのだが、実際は地デジ対応のチューナーやテレビを買わなければならない。 総務省などの強い要望でチューナーは一万円前後、テレビは二十型クラスが数万円で入手できるようになったものの、今度は地デジ電波があまねく行き渡るかどうかという課題も出てきた。 気仙では昨年春から住田町で有線方式によって、秋からは今出山の大船渡中継局から本放送が始まり、今秋には仁田山の陸前高田中継局と大船渡・船河原中継局から電波(UHF)が出る予定という。 住田町は全世帯への配線で問題はないが、大船渡市では現在、日頃市町や三陸町綾里、吉浜、末崎町・赤崎町の一部などに電波が届かない。陸前高田では矢作町や横田町方面で難視聴が予想される。 一時期、衛星放送を利用して地デジ番組の放送が検討されていると耳にしたが、その後どうなったのか情報がない。仮にそれが実現しても県域番組や身近な緊急情報が流れない。アナログ停波まであと二年。電波の孤島≠つくらない施策が不可欠だ。 テレビの買い換えによる五千万台ともいわれるアナログテレビの廃棄問題も抱えており、新たな負担増とを合わせ考えると、新技術導入は少なからぬ痛みが伴わざるを得ないようだ。(野) |
|
大船渡湾の振興とは |
☆★☆★2009年07月17日付 |
|
難しい問題、とは思う。 今年春、大船渡湾に試験荷役として、五万d級の船舶が入港し、完成したばかりの永浜・山口地区岸壁に接岸した。約一週間にわたるオイルコークスの積み下ろしを終え、表面上大きな問題はないまま、大船渡を出港した。 あくまで試験であり、湾内への影響や問題点をどう総括するか、今後の注目点ではある。それとは別に、船舶が入港する一週間ほど前、行政側に対して、湾内漁業者から厳しい言葉が寄せられた。 十数年前の岸壁整備着手時に、漁業者と行政側では「四万dの船舶まで」という共通認識があった。今回、入ってきた船のトン数はそれ以上の規模であるが、当時想定していた四万d級の船舶と、船幅など大きさは変わらない。しかし、航路に接した形でカキなどの養殖棚を設ける漁業者からは、大型船の入港は「約束が違う」などと、批判の声が挙がった。 効率性の面からも世界的に船舶の大型化が進む中、岸壁完成によって強化された港湾機能を生かし、新たな産業に結び付けたい行政側。一方、全国トップレベルの海産物を生産している誇りを持つ漁業者側。どちらも、大船渡の産業には欠かせない立場同士で、思いや感情がぶつかった。 どちらの対応が正しいかは別として、試験実施の前に漁業者と港湾関係者が、日ごろから双方の意見を一つのテーブル上で自由に交わす場が少なかった点が、問題ではなかったかと思う。大船渡湾で仕事をする共通性を持ちながらも、岸壁を生かした事業展開の将来像や、現場で働く従事者らの率直な不安などを語り合える場は、なかなか見えてこなかった。 そして今、大船渡湾を巡る動きとして、魚市場問題が取りざたされている。 取締役らの「人事一新」を望んだ申し入れを受け、新取締役の顔ぶれや役員人事を選出する流れを問題視した市側。一方、あくまでも総会で承認されたとの認識を示す現経営陣。市側は「対立」という表現を否定するが、双方の認識の溝は埋まることがないまま、臨時総会の日が近づいている。 互いの認識をぶつかり合わせる先に、何が生まれるだろうか。その答えは、現状の段階では大船渡湾の振興や、水産の活性化ではないように思える。 大船渡湾を巡る問題を考える時、白黒はっきり決着をつけることは難しい。大船渡湾の振興、水産の活性化とは、どんな形であれ、より多くの人々が恩恵を受けることといえる。時代は、劇場型の展開や分かりやすい対比を望む傾向にあるが、勝者と敗者に色分けすることは、地域の未来を考える時、有益になることは少ないと思う。 議論を否定するものではないが、今のように双方が認識を主張し合うままでいいのだろうか。激しくなるほど、その渦に巻き込まれて傷を負いたくないと、大船渡湾への関心をなくす人が増えるのではないか。多くの人々に恩恵を生む振興ならば、そこに集う人々のアイデアや行動は欠かせない。 例えば、ディベートや営業トークの一つの技法に「イエス、バット」という方法がある。相手の考え方で共感できる部分をまず認めた上で、しかしこの点は是正すべきだから、こうした方向が望ましい、という意見を示す。 こうした議論を繰り返すことは、相手を納得させる可能性だけではなく、双方の意見が生かされた案が出ることもある。現経営陣と、市側が望む新任期の魚市場像に、どんな違いがあり、どこに共通性があるのか。共通性があるのなら、そこを生かした新経営陣の姿が浮かび上がるのではないか。 さまざまな業種や、産業の可能性が存在する大船渡湾。繰り返すが、難しい問題とは思う。しかし、今求められているのは衝突なのか、融合なのか。大船渡湾の未来を考えるならば、答えはすでに出ているような気がする。(壮) |
|
平氏の末裔「渋谷嘉助」 |
☆★☆★2009年07月16日付 |
|
大船渡湾に浮かぶ国の名勝「珊琥島」に渡ると、立派な石碑がまず目に飛び込んでくる。 今から八十三年前に建てられた「珊琥島協同園由来碑」で、その碑文に、渋谷鉱業株式会社の初代社長、渋谷嘉助氏に関する興味深い史実が刻まれている。 渋谷嘉助は、東京市日本橋区本石町一丁目二十四番地に居住していたが、その渋谷鉱業は、明治四十三年から大船渡湾に面した赤崎町の弁天山で石灰石の採掘を行っていた。今日の石灰石産業の発展の礎を築いた由緒ある企業で、その弁天山に近い珊琥島に、渋谷嘉助を顕彰する碑が建っている。 顕彰碑は、その当時、珊琥島の大半を所有していた渋谷鉱業の創業者の渋谷嘉助が、沿港の大船渡、赤崎の両村協睦のため島の所有地を協同公園として寄付した徳行に感謝して、両村が共同で建てたものである。 公園名の「協同」の題字は、従二位勲一等子爵、後藤新平が書いている。経緯は不明だが、水沢市(現奥州市)出身の後藤新平は、台湾総督府民生長官、初代満鉄総裁、東京市長を務めており、日本橋に住所があった渋谷嘉助とは何らかの親交があったのだろうと、この題額から推測される。その下に、かなり長い碑文が刻まれている。 「渋谷嘉助君ハ鎮守府将軍平良文ノ末裔ニシテ其家関東の名族タリ」と、渋谷嘉助のルーツから碑文は始まる。 渋谷嘉助の先祖が、鎮守府将軍の「平良文」であると記されている。「平氏」の末裔であったという。これは、大変な驚きである。なぜならば… 気仙地方は、奥州藤原氏が平泉黄金文化を開いた平安時代、平家政権を打ち立てた平清盛の長男、重盛の知行地であった。「平氏にあらずんば人に非ず」といわれた平家の隆盛時代に、藤原氏が気仙郡を領地として寄進したとされる。 平氏の末裔の渋谷嘉助は、もしかして、ここが、平家と深いかかわりがある土地柄であることを知っていて、珊琥島を寄付したのではなかったのか―。 碑文の冒頭に刻まれた、「平良文ノ末裔」という文字を見た瞬間、そんな思いがわき上がってきた。 碑の全文を、現代文に郷土史研究会の相模洋さんに訳してもらい、解説していただいた。渋谷嘉助のルーツ、人物像、珊琥島を公園として寄付した経緯が記されていた。 渋谷家の先祖の平良文は、桓武天皇から四代目の高望王の五男であるという。高望王は、「平朝臣上総介」を賜り、桓武平氏となった。 その高望王の五男の平良文が、鎮守府将軍となった。鎮守府とは、古代、蝦夷を鎮撫するための官庁で、陸奥国に設置された。 桓武平氏の高望王の長男が、平国香(良望、常陸大掾)で、国香の子孫が、平家政権樹立の基盤をつくった平忠盛。その長男が平清盛である。 清盛の長男が平重盛で、その重盛が気仙郡を荘園にしていた。また、平良文から三代目の忠常が、千葉氏の祖となるという。 真っ先に、平良文の末裔と碑文に刻まれていることを見て、渋谷嘉助が先祖を、平氏の末裔であることを、誇りとしてきたことがうかがえる。 平家の知行地だった気仙。渋谷嘉助が、珊琥島を寄付した動機の一つに、平氏の末裔だったという、「平家物語」があったのではないだろうか、碑文を見つつ、その思いが強くなっていくのである。(ゆ) |
|
エコカー制度に触れた |
☆★☆★2009年07月15日付 |
|
「県は、燃費効率が高いなど環境に優しい自動車を購入する際、独自に補助する制度を七日からスタートさせた。県内の販売店から乗用車などを新車で購入した場合、最大で十万円補助する。先行する国のエコカー減税との併用が認められており、環境対応車への買い換えや景気刺激を促すものと期待されている」(今月十二日付本紙掲載記事)。 車の更新時期を迎え、家族会議の結果、国のエコカー減税・補助金制度を活用したうえでの購入を検討してきたわが家にとって、思い切って購入へかじを切る大きな要素となった。 県独自のこの事業は「県環境対応車導入促進事業費補助金」という名称。二酸化炭素排出量の低減と県内経済の活性化を促進するため、一定の環境性能を持つ自動車へ買い換える県民らに対し、購入費の負担を軽減しようとのネライ。 事業費は約四億三千二百万円で、100%国が交付する国の地域活性化・経済危機対策臨時交付金を活用するという。 対象は、新車購入を注文・契約した県内の個人、または事業所。その内容を見ると、登録後十三年以上経過した車を廃車したうえで、二十二年度燃費基準達成車、ハイブリッド車、電気自動車などの乗用車を新車で購入した場合、十万円を補助するというもの。 同制度を活用した買い換えはおおむね九千台と試算しており、これにより二酸化炭素(CO2)が年間三千d削減されると見込んでいる。 この数字は自動車約千三百台が一年間に排出する二酸化炭素量に相当するのだとか。 国では同様の条件の場合は二十五万円を補助しており、併用も可能というから、十三年以上の車を廃して真新しい燃費基準達成車に乗り換えようというわが家の場合、三十五万円という実にありがたい額の補助が受けられる計算になる。 補助金の額を踏まえてそろばんをはじいてみた結果、高根の花だった新車にも手が届きそうということが判明し、さっそく販売店に向かい契約を進めてきた。いまは納車を待つ段階となっており、新しいハンドルやシートの感触を心待ちに日々過ごしている。 また、今回の補助申請に際して、「温暖化を防ごう!いわて環境フォーラム(CO2ダイエット・マイナス8%いわて倶楽部)」への登録が、必須要件になっていた。 県では、地球温暖化の主原因とされるCO2を、二〇一〇年までに8%削減(一九九〇年比)することを目標としている。 登録を求められた「CO2ダイエット・マイナス8%いわて倶楽部」では、県民一人ひとりに「身近にできる八つのCO2ダイエット」の実践などを推奨しており、具体例として▽エアコンの冷房は二八度、暖房は二〇度に▽コンセントをこまめに抜く▽過剰包装を断る▽自転車を活用する―などを挙げている。 無精者で暑がりの当方、水は出しっぱなし、包装は店側のしてくれるまま、近くにも車で出かけ、この時期のエアコンはキンキンに冷えるまで温度を下げてと、時勢にそぐわないアンチ・エコ的行為を続け、家族にたしなめられることも多かったりする。 補助金というニンジンにつられてという不純な動機からの登録ではあるが、この際、生活スタイルを少しずつ見直していってみようかな、と考えるキッカケには確かになった。(弘) |
|
どどいつで世相斜め読み |
☆★☆★2009年07月14日付 |
|
「惚れて通えば/千里も一里/逢えずに帰れば/また千里」 これがどどいつ(都々逸)である。年配者ならまず聞き覚えがあろう。元々三味線に合わせて歌われる俗曲だが、色恋を題材とした一種の戯れ歌だから、なかなか文芸に登場はしない。しかし「七・七・七・五」という独特の音律をもったこの「芸能」はなかなか捨てがたいものがある。牧伸二のようにウクレレで節でもつけて歌えば、当節の閉塞感を笑い飛ばす一助にはなろうか。 別に常にどどいつを作っているわけではないが、ネタ切れになると一事しのぎに遊んでみたくなる。 「恋に焦がれて/鳴く蝉よりも/鳴かぬ蛍が/身を焦がす」 これも有名な一つで、作者のウイット(しゃれ)というかエスプリ(機知)に感心する。高杉晋作や木戸孝允なども即席で作ったというから、維新はどどいつで起こったなどと言ったら叱られるだろうか。 まずは現在の政界を斜めに読む。 「ユニクロはやる/コンビニはやる/はやらないのは/オレの支持」 麻生さんの支持率は下方で混迷しているが、そうなるとこれでは総選挙を戦えないという声もでてくる。では、 「麻生おろして/後継誰に/あいにく在庫が/ありません」 ならば、どうする? 「舛添小池/あるにはあるが/客の食指が/動かない」 という現状ではシャッポを変えただけで勝てるという成算はあやしいもの。こんな状況は民主党にとって政権奪取の好機だが、 「生活第一/それは建前/選挙第一/とは言えぬ」 有権者は醒めている。おまけに鳩山新代表のとんだチョンボもあって、順風満帆とはいかぬよう。 「叩けばほこり/献金偽装/これじゃ故人が/浮かばれぬ」 秘書のせいと辞めさせる古典的手法はもうはやらない。 次は最近の世相から。 「ガソリンまいて/捕まるよりは/オレの車に/入れてくれ」(ガソリンはまいて走っても、床にまくものではありません) 「ハイブリッドや/ガソリン車より/もっと早いは/火の車」(オレもハイブリッドは欲しいが、なにせ家計がね) 「あのGMは/国費で動く/新エンジンで/売るらしい」(CO2を出さないエコエンジンだが、赤字は出るとか) 「地方分権/言わぬが花よ/知事より総理は/なりやすい」(まさか) 「日本良いとこ/一度はおいで/ビザなし渡航で/亡命も」(個人も自由に渡航できるとなれば、富裕層がどっと来る。それを手ぐすね引いて待つのはいいが、「招かれざる客」も同時に来る) 国外に目を転じると、国際情勢というのはどうもどどいつには向いてないようで、頭が回転しない。でも一つぐらいは、 「サミットよりも/国内事情/伊で聞く歌は/四面楚歌」(途中で帰国した胡錦涛首相はせっかくのイタリア民謡を聴き逃したらしい。少数民族の騒乱を見て他の先進国首脳たちは「オーソレミヨ」と言ったとか言わないとか) 最後は再び選挙がらみの国内に戻る。 「都議選ぐらいで/おたおたするな/山が動いた/例もある」(あの時の土井さんの勝ち誇ったような表情が忘れられない。しかし泰山鳴動して次の選挙はどうだったか?) とうとう解散・総選挙が決まった。 「やめろやめろと/言われる前に/オレが選挙を/ぶっこわす」 お後がよろしいようで。(英) |
|
復刻ユニホームに酔う |
☆★☆★2009年07月12日付 |
|
「おや、しばらくじゃな。七日からの三日間、東京ドームでの巨人・横浜戦を見たかな。球場に行っていたなら話は別じゃが…」 「とんでもない。仕事や諸々があって、とても上京できるような時間もお足(お金)もありませんで。だいいち、球場まで行ってプロ野球を観戦するなんて、年に一度あるかないかという特別≠ネことで、もっぱらテレビ観戦でさぁ。ご隠居さんは行ってきたとでもおっしゃるので?」 「いや、ワシとて同じじゃ。ここ何十年とテレビ桟敷で事足りている。地方にいる者にとっては有り難い時代だ。それに、最近は画面が大きくなって、選手の表情なんかが大写しになる。球場じゃそういうわけにはならんからなぁ」 「でも東京ドームのオーロラビジョンとか、どこにもジャンボなモニターがあって、ホームランやファインプレーなんかはすぐ再生してくれまっせ。仙台でもいいから、たまには足を運んで、あの独特の臨場感を味わうべきですよ。ところで、巨人と横浜のテレビ放送はありませんでしたよ」 「そうかい。わしゃBS日テレを見たんじゃ。BSはMLBや日本のプロ野球を、プレーボールからゲームセットまで放送するというので、始まった時すぐチューナーなるものを買ったんじゃ。そのぐらい熱がなきゃ、ホントの野球ファンじゃあない。チミはえせファン≠ゥ?」 「そりゃないでしょ、たった一、二試合を見なかったぐらいで。ご隠居さんには敵わないかもしれませんが、あっしだって…。それはともかく、その試合でいったい何があったんで?」 「なんとなんと、巨人のメンバー全員が昭和十一年当時のユニホーム姿で登場したんじゃよ。今年で創立七十五周年になるのを記念してつくり、そしてこの三連戦を『復刻ユニホーム』シリーズと銘打った。沢村やスタルヒン、水原、田部といったメンバーが第二回のアメリカ遠征に出掛けたときのデザインだったんじゃ」 「そういえば十日ほど前、今をときめく坂本選手がモデルになって報道陣に公開していたっけ。TOKYO GIANTSと胸のマークが二段で、意外や意外、現代のあっしたちの目にも新鮮に映りましたよ。で、それを着た選手の格好やプレーぶりはどうでした」 「そうさなぁ、デザインは当時と同じだけれど、さすがに生地は最新のもので涼しそうだった。いちばん違ったのはストッキングじゃな。黒と白の上下二色で、黒い部分には三本の赤い線。いま流行のストッキングを隠すズボンのような長いのはおらず、みんな精悍に見えたな。もっとも、ユニホームは変わってもプレースタイルが変わることはなかったがね」 「そうだったんですか。八日からのスポーツ紙はおありで?あぁ、あった、あった。なるほど、確かに印象は違いますね。今シーズンはこれで通したほうがいいんじゃ…。それはそうと、第一戦で始球式をした前川八郎さんという九十七歳のOBの名は初めて聞きましたよ。亀の甲より年の功、どんな方かご指南いただきましょか」 「さすがのワシも前川さんのプレーは見ておらん。プロ野球評論の草分けだった大和球士さんの受け売りになるが、できたばかりの巨人を二回負かした東京鉄道局の主戦で、十一年に巨人監督に迎えられた藤本定義さんが連れてきた。エースナンバー18の第一号じゃ。投手なのに登板しないときは二番を打つなど、創生期のチームを支えた功労者の一人。ヘドを吐いたと伝えられる茂林寺の猛練習も耐え抜いたという。退団後は滝川中(現滝川高)の監督を務め、青田や別所を育てた人じゃ」 「そうなのかぁ。こんな人たちの苦労があって今日の隆盛があるということを忘れちゃいかんということですな。ところで、岩手ではきのうから高校野球が開幕。十五日にはMLBの、下旬には日本のオールスター戦、八月になれば熱い甲子園と、野球ファンにはこたえられない日々が続く。思いっきり休暇がほしいなぁ」(野) |
|
医療問題を考える |
☆★☆★2009年07月11日付 |
|
最先端医療が次々と開発され、難病治療にも明るい展望が開ける一方、医師がいなくなったり病院が縮小される事態が全国で相次いでいる。本県でも知事が議場で土下座までした揚げ句、今春から県立病院の大幅な再編が行われた。 気仙に関しては、昨年診療所化されたばかりの住田診療センターで、入院ベッドがなくなる無床化が断行された。大船渡病院や高田病院でも、効率経営を目指して入院ベッドが削減されている。 高齢化の進展で医療充実が期待される中、それと逆行する動きとなっただけに患者・家族や住民から猛反発が出ている。しかし、医療を取り巻く課題には深刻な内容もあり、一朝一夕で解決する特効薬を見出すことはなかなか難しい。それだけに、この問題はあらゆる方面から考える必要がある。 県立病院の再編には、医師不足と赤字経営が背景にあるとされる。発表された県営医療施設の平成二十年度決算は、合計で百六十七億八千万円の累積欠損金となっている。地方公営企業法に基づき、県医療局が立ち上がった昭和三十五年から四十八年を経過し、この額はむしろ増加傾向にある。 気仙地方では、唯一大船渡病院だけが十八億九千万円の黒字を計上しているが、高田病院は四十二億九千六百万円の赤字。住田診療センターも三十億八千七百万円の赤字と公表されている。 地域基幹病院として救命救急センターが併設されるなど、診療科が集中されている大船渡病院も、二十年度に限れば赤字となるなど、経営環境は厳しさを増す。こうした膨大な赤字を、いつ誰が払っていくのかという課題がある。 もともと本県は、広い面積に人口が散在するだけに、民間病院経営が成り立ちにくい。それだけに県立の病院や診療所が二十七施設と他県に比べて飛び抜けて多く、赤字になるのはある意味覚悟の上なのだが、問題はその額がどこまで許されるかだ。 高齢化に伴っては、介護や保健・福祉分野の充実も求められる。県予算全体が厳しくなる中、医療費にどこまでつぎ込めるか。住民代表の県議には予算書を隅から隅まで眺め、とことん突き詰めた議論を望みたい。 医療施設経営には診療報酬マイナス改定も響いていると聞くが、赤字問題と大きく関係しているのが医師不足だ。それによって、せっかく医療施設があるのに、開店休業の診療科が少なくない。 患者の立場では地元の施設存続を望みながら、「何となく大きい病院が安心」などとして、県央など他市町の医療機関で受診するケースもある。医師や専門科の不足が患者減につながり、それがまた地域医療施設の経営を悪化させるという悪循環にある。そしてこの医師不足解消がまた、難問中の難問となっている。 これが岩手や気仙だけの問題なら、解決も容易かもしれない。しかし、全国で医師不足が叫ばれる今、医師の招請は並大抵のものではない。県の医師確保対策では「過去二年半で面談した医師は千二人。そのうち招へいした数は二十二人」との実績報告も、その辺の事情を物語る。 医師不足にも二つの意味があるという。一つは人口に対する医師数の絶対的不足。たとえば気仙では人口十万人当たりの医師数が百四十三人で、全国平均の二百十七人に比べ、三分の一も少ない。 この少ない人数で毎日の診療に当たっている医師に感謝したいと同時に、これだけの地域格差を一体どうしてくれるのかと、国には言いたい。そしてもう一つ、「医師の偏在こそ問題」と極論する識者もいる。 この医師の偏りにも、大都市と地方という地域格差のほか、勤務時間が不定期だったり苦情を受けやすい産婦人科や小児科、あるいは救急医療などの分野で医師が少ない診療科格差もあるというから医療問題の根は深い。(谷) |
|
心配は「親の権利」 |
☆★☆★2009年07月10日付 |
|
東京で一人暮らしを始めた学生時代。当初は百円玉や十円玉を何枚も用意し、近くの公衆電話に行き、家へ電話をかけた気がする。 そのうち部屋にダイヤル式の黒い固定電話を入れてもらった。 「かけても電話に出ないと、『何かあったのでは』と心配になるからあまりかけなかった」 そんなことを亡くなった母親から昔、聞いた記憶がある。 今は二十四時間、ほぼ持ち主と行動を共にする便利な携帯電話というものがある。家を離れて大学生活を送る娘たちも持っている。 今春進学した娘はあまりかけてこない。一日、二日と連絡がないと家から電話する。しかし、かけるのも良し悪しだ。元気な声を聞ければ安心するが、電話に出ないと逆に不安になってしまう。 一方、一人暮らしが一年先輩の長女の方は毎日、ほぼ決まった時間に妻に電話をかけてくる。何か予定が入っていると、心配しないで、と事前連絡まで寄こす。 そんな彼女が五月の連休過ぎから週数回、一駅離れた八百屋さんで午後六時からアルバイトを始めた。仕事を終え、電車を降りて駅を出た後、電話がかかってくる。決まって十時前後だ。 その夜も娘はバイトだった。先輩と一緒なのでいつもより早く終わるはず、と妻は言われていた。ところが、十時をとうに過ぎているのに電話がこない。 妻が娘の携帯にかけると、呼び出し音ばかりで応答がない。仕事中や電車で移動中はマナーモードになっていて、「電話に出られません」といった音声案内が流れてくるはずなのに……。 妻は何度もかけ直す。私もかけた。しかし、延々と呼び出し音が聞こえるだけ。十時半を過ぎても連絡はない。 こんなことは一度もなかった。 妻はインターネットでバイト先のテナントが入っているショッピングセンターを検索し、電話を入れた。確認してもらうと、八百屋さんにはもう誰もいないという。 「もしや事件か事故に……」 動悸が激しくなり、血圧が上がっていくのが自分でも分かった。 「部屋で倒れているのでは」 と今度は私がアパートの大家さんに電話を入れた。その時、妻の携帯が鳴った。娘からだった。 娘によると、携帯電話を部屋に置き忘れてしまったのだという。しかも集計が合わず、仕事が終わったのが十時二十分。親が心配しているに違いない、と大急ぎで部屋に戻ってきたとか。 妻はこの夜の事情を説明し、万が一のためにバイト仲間や同級生の電話番号を教えてほしいと頼んだ。膝がガクガクして立てないほど心配していただけに、娘とやり取りする声がついつい高くなる。 妻から電話を代わった。娘のすすり泣く声が聞こえてきた。 娘には娘の言い分があった。 「心配しすぎだよ。大丈夫だから、私を信じて」 「毎日電話をかけることが逆に親を心配させる結果になるんだったら、もう電話しないよ。二カ月も三カ月も家に電話をかけない友だちだっているんだから」 娘にとって過剰とも言える親の心配は不本意だったに違いない。 信じていないわけではない。心配するなと言われても、心配せずにはおれないご時世なのだ。 「あんたたちも親になったら、今のお父さんやお母さんの気持ちが分かるから」 機会があるごとに、妻も私も娘たちにそう語って聞かせる。 とはいえ、我が青春時代もまさに「親の心、子知らず」の言葉通り。私も親になって初めて親の気持ちが分かった。勝手ながら過去は過去として、いくらうるさがられようと心配させてもらう。大事に育ててきた子どもを心配するのは「親の権利」だと思うから。 さて、その後である。やはり、一人は毎晩電話を寄こし、もう一人はあまりかけてこない。心配のタネは尽きそうもない。(下) |
|
次世代のバイオ燃料 |
☆★☆★2009年07月09日付 |
|
地球温暖化を含めた環境への対応が問題視されるようになって久しいが、最近は人類の存続に影響を及ぼすことが懸念されるほど、差し迫った重要課題となっている。今後、われわれはどのように身の回りの自然と付き合って暮らしでいけばいいのか。そのことが問われる時代を迎えている。 地球温暖化の最大要因となっているのが二酸化炭素(CO2)。これは世界の近代化や発展に伴い、化石燃料である石炭や石油、天然ガスを燃やすことによって年々排出量が増加し、温室効果ガスとなって地球の温度を上げている。 そこで、化石燃料に代わるエネルギーとして注目されているのが「バイオエタノール(再生可能燃料)」。この燃料は、トウモロコシやサトウキビなどに含まれる糖を発酵させて作るのが特徴。原料となる植物は、成長する際に光合成を行って二酸化炭素を吸収するため、エネルギーとして燃やされる時に二酸化炭素を排出しても、吸収と排出の量がプラスマイナスゼロの「カーボン・ニュートラル」となる。したがって、バイオエタノールの導入は温暖化防止策となることから、世界各国で新たな燃料として利用する研究や取り組みが活発化している。 しかし、ここで大きな問題が発生。そもそもトウモロコシは、食品や飼料として利用するために栽培されてきた。それがいきなりバイ才燃料を製造するための原料に使われることで価格が高騰。その影響により、国内の酪農家はエサ代が値上がりするなど経営が行き詰まり、廃業に追い込まれている畜産農家も出ている。 そのことを踏まえ、昨年ごろから、大手の新聞やテレビが取り上げて脚光を浴び始めているのが、食料とはならない植物からバイオエタノールを生産する新しい技術である。その注目すべき原料の植物は、ゴルフ場でごみ扱いされている「刈り取った芝」などというから驚きだ。 通常、バイオエタノールはトウモロコシなどのでんぷんを糖化し、発酵させてから蒸留するが、でんぷんを含まない芝をどのように糖化するかが大きな課題だった。ところが、国内の研究者やグループが糖化するのに適した酵素を発見したことでこれを解決したという。 それに伴い、芝だけではなく竹や雑草などからもバイオエタノールを生産することに成功。例えば、乾燥した芝一トンから二百ミリリットルのバイオエタノールが生産可能となった。 通常、18ホールのゴルフ場で一年間に刈る芝は乾燥重量で約十八トンと言われている。この産業廃棄物を処理するため、運営している企業は年に一千万円ほどの経費をかけて処理。研究開発者の試算によると、この芝を原料にすることでガソリン約二千三百リットルに相当する二・七トン以上のエタノールが作られるらしく、年間一万キロから一万五千キロ走る車二台分の燃料が賄えるという。 最近は、このバイオ燃料製造技術の事業化を担うベンチャー企業が、各ゴルフ場に小型プラント(八千万円程度)の整備を目指し、着々と準備を進めているようだ。ということは、これまで各地でごみ扱いし、有料で処分してきた刈り取り後の芝や雑草を新たな燃料の原料に有効活用できるのが当たり前の時代になるのも、そう遠い話ではないようだ。 それならば、そのような時代が訪れる前に、各家庭で庭に芝を植えてみてはどうだろう。各自治体がバイオ燃料プラントを整備し、住民が刈り取った芝を持ち込めば、住民の芝刈りや草刈り機械の燃料のほか、自治体公用車の燃料代ぐらいにはなるのではないだろうか。(鵜) |
|
一人語りに導かれて |
☆★☆★2009年07月08日付 |
|
不意を突かれた、というような感覚だった。「なめとこ山の熊のことならおもしろい」。物語の最初の一節でメモを取るペンが止まり、初めて聞く薩摩琵琶の音色に心をつかまれた。 先日、宮沢賢治の作品を一人語りで演じる林洋子さんの独演会を取材した。大船渡市盛町のカメリアホールを埋めた満員の聴衆が静かに開演を待つ中、林さんは薩摩琵琶を抱えて登場し、宮沢賢治の童話『なめとこ山の熊』の弾き語りを披露した。 『なめとこ山の熊』は、殺すものと殺されるものの因果な関係にありながら、深いところで通じ合い、結び合う熊撃ち名人と熊との物語。生と死が繰り返される自然の営みの中で、人間も熊も分け隔てなく天に帰るという、賢治の生命観が表現された作品だ。 聴衆と同じ目線の平場に、簡単な照明器具だけで作られた舞台があった。喜寿を超えた年齢とは思えない、凛とした立ち居振る舞い。林さんはマイクを使わず、鍛えられた生の声で語り始めた。 豊かな表現力による情景描写。理性では抑えることのできない悲・喜・愛・憎・欲など人間の心の奥底に潜む情念が乗り移ったような薩摩琵琶の音色。そして、作品自体が持つ力。この三つが一体となった弾き語りに圧倒され、物語の世界に引き込まれた。 林さんはかつて新劇の舞台女優だった。俳優座から劇団三期会に移り、ベルトルト・ブレヒト作品に主演。三期会退団後、水俣病を告発した「苦楽浄土」の巡礼公演を行うが、以後自発的に芝居ができなくなり、俳優として沈黙する、とプロフィールにある。 転機は一九七八年に訪れた。単身で渡った二度目のインド。地方の農村を歩き、独特の信仰を持つ大道芸人・バウルたちに出会い、表現の原点を発見したという。 帰国後の八〇年、宮沢賢治作品を音楽と共に演じる「林洋子一人語り宮沢賢治」クラムボンの会を結成。同年、アイリッシュハープと語りによる『よだかの星』『やまなし』を東京で初演以来、出前公演は口コミで全国に広がった。 『なめとこ山の熊』の初演は平成七年。その二年前、「熊撃ち名人・小十郎と悲しい熊との話。あの感情起伏の激しい物語は、薩摩琵琶でなければ表現できない」と、薩摩琵琶・鶴田派の田中之雄氏に弟子入りした。口語体の賢治の物語に、鶴田派の古典の弾法を用いて創り上げた弾き語りのスタイル。以後、琵琶一丁を抱えて全国各地に赴き、民家やお寺で公演を重ねた。 クラムボンの会結成から二十九年。観客と膝を交えての出前公演は今年一月で千五百回に達し、三十一万人余の観客を動員した。インド、マレーシア、インドネシア、パリなどアジアを中心に海外でも数多く公演。日本語による海外公演は「言葉の壁を超えたいのちの声」と各国で賞賛を受けている。 出前公演にこだわる理由は「世界全体が幸福にならないかぎりは、個人の幸福はありえない」という賢治の精神が出前公演でなければ伝わらない、と考えているからだ。「東ニ病気ノコドモアレバ行ッテ看病シテヤリ、というように直接、出会うことを大切にしたい」と林さんは語る。 二十五年ぶりとなった今回の大船渡公演で林さんは、宮沢賢治が短い生涯の晩年に専心した文語定型詩も朗唱した。聴衆に披露されたのは『五輪峠』『祭日(ニ)』『母』『巨豚』の四編。いずれも林さん自身が節をつけたもので、朗々とした吟声が会場に響いた。 一人語りという自分の持ち場で、林さんは「すべての命はつながり、支え合って生きている」という賢治の思想を伝え歩く。その公演を取材する機会を得られたのは、本当に幸運だった。琵琶一丁による渾身の弾き語りと朗唱に耳と心を澄まし、一瞬だが自分も賢治の精神世界に入り込めたような気がした。(一) |
|