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世迷言

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☆★☆★2009年07月18日付

 種をまく代わりに補助金をばらまいて第一次産業を強くするという農水省の考えは、すっかり体質として身内にまでしみついたか、全農林のヤミ専従は百九十八人にも及び、同省は遅まきながら薬剤散布▼公務員というのはその名のとおり公務に携わるのが仕事だが、それはそっちのけで組合業務に専念、しかも許可も受けず、つまりヤミで専従していた職員がかくも多数いたというのだから、これは組合の罪もさることながら見て見ぬ振りをしていた上司ひいては省自体の監督責任が問われよう▼病根が引っこ抜かれてさすが観念したか、組合の首脳部は総退陣に追い込まれた。いもち病が大発生する前に水田管理に神経をとがらせるのが農家というものだが、この農家は「どうせオレの田んぼではない」と他人事に考えていたようで、いもち病が出てからも手を打たなかった▼そんな組合も組合だが、税金という稲を腐らせてしまった同省も同省で、これは当局も土下座して謝罪すべきだろう。ヤミ専従者の給与返還は当然として省幹部にも減給などの措置があってこれまた当然。ついでに省名も「脳衰省」と変えるべきだろう。公金に対する感覚マヒが招いた問題だからだ▼労働貴族という言葉があった。いやいまもある。読売が特集しているが、組合所有のマンションに委員長と書記長が住んでいて、その家賃はタダだった?。まじめに組合費を納めて寄生虫の宿主にされていた組合員こそいい面の皮である。

☆★☆★2009年07月17日付

 日本列島は猛暑が続き、十五日は館林市で三七・七度を記録したのをはじめ、四観測地点で三六度以上の猛暑日となった。本県内でも何カ所かで三〇度以上を記録、気仙の涼しさが引き立った▼この時期内陸部を訪れると、ドアを開けたとたん熱風が吹き込んでくる。用件をそこそこ切り上げて帰りたくなるのも、暑さになれていないせいだろう。確かに何年かに一度ぐらいは三六度を超す日もあって、運悪くそんな日に遭遇した東京のお嬢さんに「全然涼しくないじゃない」と柳眉を逆立たれたことがあるが、それは例外。当地の普段は誰もが「涼しい顔」をしているのだ▼三六度といえば、体温にちかい。その暑さに加えて湿度が高いと不快指数は一段と増す。まさに蒸し風呂状態であり、湿度の低い国と違って木陰に避難しても涼を求めることはできない。昨年八月に多治見市と熊谷市で四〇・九度を記録したことがあるが、それがどんなものか想像もできない。おそらく当方などは死ぬだろう▼だからこそ、当地に住む幸せを余計感じることができるのである。十五日などもなるほど水銀柱は高めになったが、小社の前など海霧が発生して寒いほどだった。まことに結構な土地柄だが、それが夏の高校野球で気仙勢が実力を発揮できない理由ともなろうか▼本日も心地よい海風が吹いてくる。この風を国会に持ち込んで、熱くなっている面々の頭を冷やしてやりたいものだ。大事なのは党利でも自利でもない。国民のための「他利」抜きに何を語らんと。

☆★☆★2009年07月16日付

 民主党が政権をとったらどうなるのか、もっとも神経をとがらせているのが霞が関だろう。既得権益を守ることについては神経質な省庁にとって、役人天国改革を標榜している同党が乗り込んできた時のことを想定するのは当然▼そうかあらぬか、昨日の新聞は「霞が関着々と民主党シフト」という見出しで、あたかも沈没寸前の船からネズミが逃げ出すように、官僚たちが政権交代をにらんだ動きを加速させていることを報じている。いうまでもなく、予算という「聖域」をかき回されたくないからだ。自民党なら阿吽の呼吸で済まされたものが、ジープで乗り込んでくる進駐軍がなにをしでかすか、ネズミならずも嗅・聴覚を集中させるだろ▼民主党内には閣僚経験者も政権党在籍経験者もいるが、多くは政権という船に乗ったことがない。だから操船技術を学ぶために向こうからすり寄って来るだろうと官僚たちは考えているフシがあるが、そんなことはおくびにも出さず、まずはもみ手でごあいさつというところか▼問題は政権党となった場合の民主党が、これまでの主張を貫けるかどうかである。省益を冒される場合を想定して「悪夢だ」とする省庁と、真っ向から対立して鎧袖一触できるかどうか、これは大きな関門だ▼任せていた家計をカアチャンから取り返したら「へそくりができない」と家庭争議になるようなもので、亭主というのはこれでなかなか大変なのである。なめられたらいけない。しかし相手はかなり手強いよ。

☆★☆★2009年07月15日付

 「スケールメリット」とは、主に経済の分野で使われる。図体を大きくすることによって得られる利益も相対的に大きくなるということだが、キリンとサントリーの統合もねらいはそこにある▼一時首位をアサヒに奪われたが、また奪還したビールの王者キリンと、主力のウイスキーだけでなく、ビールでもサッポロを抜いて三位に浮上、その他清涼飲料でも大きなシェアを持つサントリーという巨大企業同士が縁組みするというのは、以前には考えられなかったことである。しかし都市銀行が次々と合併してメガバンク(巨大銀行)が生まれたように、競争が「合従連衡」を加速させた▼統合すれば世界第四位の飲料メーカーとなる。なにせ四兆円近い売り上げ規模となるのだから、そのスケールをもってすれば、首位のネスレにはまだ及ばないもののいずれ肉薄する存在となろう。統合は飽和状態にある国内市場から転じて海外展開を視野に入れたもののようだ。「日の丸飲料」が各国に並ぶ日が来るのか▼この統合が消費者にどのような恩恵をもたらすかはまた別問題で、選択肢が狭まっただけで値段は同じというのではなんのメリットにもならない。同様に、この手法が新聞業界にも及んで読売と朝日が統合したら、毎日も産経もなくなって「朝読新聞」一紙になりかねない▼まさかと思うなかれ。この業界も広告は減る、部数は減るで四苦八苦の状態。だからどんなサプライズが起こるか予断はできないのである。そんなスケールメリットだけは追わないでほしいと思うのだが…。

☆★☆★2009年07月14日付

 麻生さんが麻のように乱れた党内のゴタゴタを嫌って、伝家の宝刀を引き抜いた。これが快刀乱麻の切れ味を示すかどうか、フタを開けてみなければわからならないが、解散・総選挙が政治を考え直す転機にはなるだろう▼自民党には発言の自由が他党よりあるのは、さすが「自由」の名を冠していることだけのことはあるが、しかしそれをはき違えてはいけない。以前に書いたように、もし党首にその資質がなければ、それを党内が結束して補佐し、屋台骨を支えていくべきが組織というものであろう▼中堅・若手だけでなくかっての幹部までが「麻生さんでは戦えない」などと社内事情をもらすようになれば、ライバル企業のつけ目となるのが世の常である。まして累積赤字がたまり今期も赤字というような財政事情下ではなおさらだ。都議選で民主党の後塵を拝すことになり、これがそのまま総選挙の帰趨に影響するとなると、ネジを巻き直すのが再建の道だろう▼麻生さんも最後は意地を見せた。このまま解散を先送りすれば党内の不協和音はさらに高まり、最後は雑音で収拾がつかなくなると判断した上でのことだろう。たとえ総選挙で下野することになろうとも、党が解体することはあり得ない。むしろ一旦退いて捲土重来をはかることこそ賢明というものである▼一方の民主党にとって解散が追い風になったと手放しに喜んでばかりいられないのが、選挙の水ものたるゆえんである。国政選挙ともなれば「党より人」の一面が根強いからだ。秋風はどう吹く?

☆★☆★2009年07月12日付

 若いときは論外だが、古希が迫ってもくると「人生とは何か」と考えるようになった。思えば無為無策で過ごしてきた日々。ジャズの名曲「酒とバラの日々」ならぬ「酒とバラバラの日々」だったのだ▼だが、平々凡々として生きることもまた人生なのだろう。要は死の床で「わが人生に悔いなし」と思えるのが最高の生き方なのかもしれない。となると、悔いのない生き方と「人生とは何か」というテーマとは直結するのではなかろうかと、ここで妥協するのがぐうたら人間のぐうたらなるゆえん▼そこで導き出された結論が「細く長く生きる」ということ。これは自己弁護以外の何物でもないが、しかしそれはそれなりに意義があるのではないかということもできよう。長く生きるということは健康なしにあり得ない。だからこそ、生を実感できる。そして短命人生には体験できないことも体験できるという余得がある。細くてもそこに充実があればいいのである▼こんな生き方には対極がある。むろん「太く短く」生きることである。どっちを選ぶかは各自の自由だが、これは自己の意思というより天命に負うところが大だろう。というのも、もう十年以上も前のことだろうか。小樽にある「石原裕次郎記念館」を見てからの確信だ▼もう日本には生まれないであろうスーパースターの遺品がそこに飾られてある。それが裕ちゃんの一生を物語っていた。そこには五十二歳で亡くなる理由が明白に示されている。そう燃え尽きたのである。太く短くとはこういうことなのだと理解できたのである。

☆★☆★2009年07月11日付

 大船渡魚市場の役員人事をめぐる空転が長引き、色々と揣摩憶測も出ている。このような異常事態が長引けば、これからの盛漁期に影響がないとは言えず、一日も早く収束すべく関係者の英断を望みたい▼新人事が成立したのか否かカメラ判定もできず、そのまま双方の言い分を聞いていたらこれは水掛け論に終わり、どこまでも平行線をたどるだろう。こういう時は原理原則に立ち戻ることだろうと思う。それは大局に立ってまず矛を収め「あらまほしき」魚市場像を描くことである▼同魚市場は、各港にあった市場を統合して一カ所にまとめたところから出発し、その役割を担った市が出資して「公設民営」の形で運営されてきた。筆頭株主は市であり、いわば事実上の第三セクターである。一般論で言うと第三セクターの社長はほとんどが大株主の行政、つまり首長が務めている▼一般の民間会社なら筆頭株主の意見は無視できない。民営ではあるが公設であるという原理を尊重するならば、経緯はともかく筆頭株主の意を体する必要があり、ここは役員人事を一旦白紙に戻し、再度提案することが収拾策となろう▼小欄の勝手な提案を許していただけるなら、社長は市長、現社長は副社長もしくは専務として局面の打開と関係修復を図るべきだろう。実は亡き父親の株券を相続して小欄も末端株主となった。だからといって株主面するわけではない。宮澤賢治ではないが「つまらないからやめろ」と言いたいのである。

☆★☆★2009年07月10日付

 低炭素化社会が世界の共通課題になると、これまでゴミとされていたものが資源として再利用されるようになってきた。厄介者だった車の廃材を太平洋セメントが再資源化するというのもその一つだろう▼国内の七工場で自動車部品の破砕くずを受け入れ、原燃料に活用するという。つい最近まで持て余され、産業廃棄物として埋め立てなどに使われていたものが、一転して原燃料に化けるのだから、これが知恵というものだろう。必要が発明を生むという好例だが、それもこれも環境対策という命題が提示されたからこそ▼この処理法は、セメントの原料となる石灰石やケイ石に破砕くずを混入、高温で焼成するとプラスティックはそのまま熱源となり、ガラスはケイ石に「先祖返り」する。処理料をいただけて原燃料の節約にもつながり、セメント原料の一部にもなるというのだから、これは一石二鳥▼こんなことができるようになったのも、セメント生産に害となる塩素の除去装置が進化したからで、この装置が大船渡工場にも導入されるようになれば沿岸部には大きな福音となるだろう。というのも、やはり養殖漁業の厄介者であるカキやホタテの貝殻を石灰として再生できるからである▼貝殻には当然として塩素が含まれ、これが最高の再生法であるセメント原料としての活用に隘路となっていた。高価な装置なのでいますぐとは行くまいが、貝殻を使ってセメントにすることになればまさに「太平洋セメント」の名にふさわしい。

☆★☆★2009年07月09日付

 世論を気にすれば早めにしたいところだが現在の状況では不利というわけで、ダンスのステップよろしくクイック(早く)とスロー(遅く)が交錯しているのがいまの自民党だろう▼それを占うのが東京都議選である。十二日に投票が行われるが、石原知事与党の自民と公明が過半数を維持できるか、野党の民主党が第一党となるかがカギで、それによって解散が早まるか、ギリギリ延ばすかが決まりそうだ。それはあくまで自民党内のお家事情によるもので、麻生政権の支持率が低迷している現状で解散、総選挙はいかにもまずいという声が出るのは当然▼しかし閉塞感が強い今だからこそ民意を問うべきという意見があるのもこれまた当然。ここは政治の常道に戻って解散総選挙を行い、有権者の審判を仰ぐことが必要だろう。たとえ自民党にとっては不利で、下野する可能性も大いにあり得ても、総決算をして赤字なら赤字、黒字なら黒字とはっきりさせる方が将来のためになる▼実際党内には、たとえ下野して民主党政権になっても「経験不足」からいずれ「自民カムバック!」となるはずという読みがある。まるで映画「シェーン」の一シーンだが、確かに民主党が政権をとったらとったでこれまた大変なことは大変なはず▼日本新聞協会が七月の新聞休刊日を変更した。当初十三日だったものが二十一日となった。これは都議選の結果次第で七月解散もあり得ると読んだためだろう。解散風がにわかに吹いてくるかもしれない。

☆★☆★2009年07月08日付

 新疆ウイグル自治区の区都ウルムチで大規模暴動が発生、百五十人近い死者が出た。負傷者も八百人以上を数え、千八百人あまりが逮捕されたという。チベット自治区ラサでの暴動に続く少数民族の決起は、それだけマグマが溜まっている証拠だ▼この暴動が各地に飛び火することを恐れた中国政府は、例によって軍や武装警察を投入して鎮圧、事態は一応収まったかに見えるが、民族自決を願う少数民族だけでなく、多数派の漢民族その中にも憤懣の種火を抱え込んでいるだけに、何かをきっかけに一触即発する可能性を否定はできず、中国はやがて国家構成の見直しを余儀なくされるだろう▼五十五に及ぶ少数民族の一つがウイグル族で、その数は八百三十万人あまりだが、人口が十二億ともいわれる国ではそれでも少数派だ。元々イスラム教の民族で、住民はいわゆる紅毛碧眼。それを同化させようというところに無理がある▼漢民族を真ん中に、つまり「中華」をはさんで東夷、西戎、北狄、南蛮みな蛮族とみなしてきた同国は、安全のために周辺国を支配しなければならないというDNAを持っている。その版図のために組み入れられた少数民族は独立を希求しながら、力で抑え込まれている。暴動はまさに「自然発火」だ▼禅の故鈴木大拙師は、歴史的必然から共産中国は五十年も持つまいと見ていたが、すでに六十年を過ぎてなお体制を維持している。だが、国土はあまりに広すぎ、人口はあまりに多すぎる。いまのうちに各民族を独立させ、荷を軽くすることが賢明だが、まだ万里の長城を延長する積もりらしい。


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