Q:多くの人に参加してもらうためのインセンティブのようなものは設計できますか?
今泉……設計しちゃったらダメのような。でも、ウィキペディアを見たとき、最初にネットに触った時以来の衝撃がありました。ネットサーフィンが最初にできるようになった時というのは、いろんなところで、個人が書いているものに自由にアクセスできる驚きと楽しさがあったんですけれど、それが今度は、世界中に個人が書いて散らばっている知識を集めて集結できる、というところに感激がありましたね。いろいろ問題は起こるでしょうけれど、うまくいくだろう、という確信みたいなものも常にありますし。
Q:では、プロジェクトを推進していく上での"権威"のようなものはありますか?
今泉はじめの頃は、何人かでルールを決めて、一生懸命作っていた頃があるんです。その人たちが、記事を書き直していたりしましたから。ある種の権威、にあたるかもしれない。それが、スタイルマニュアルの文章なんかに反映されていって、その人たちはもういないので。みんながおぼろげに考えている目指すところが似通っている、というのが権威といえば、権威なんですよね。それに照らし合わせて、逸脱しているものは管理者裁量でいきなり削除したりも、できる範囲でやっているので。
Q:ウィキペディアは、完成形がないというか、もめ事とともに継続している、と言えるわけですね。
岩瀬もめ事がないと、逆に怖いですからね。
今泉その場その場でいろんな人が出てきて、その時々で適切な判断をすると思われた人が、丸く収めたり、解決したりしながら進んで行く・・。その場の状況に合った人が、それぞれでてきて進んで行く、というふうになっていないと継続できないですから。
Q:ウィキペディアのような、皆で話し合いながらプロジェクトを進めるスタイル、バザール方式ですね。これは、他のものに置き換えることは可能だと思われますか? ソフトウェアだとすでにあるわけですけど。
今泉う〜ん・・まず物を作るには向かないと思いますね。文字とか絵のような情報でしたら、どんなものでも作れると思います。たとえば、雑誌、新聞・・。
ただ、人が多いことが大前提ですね。自分が記事を書いていて、バザール方式の面白さを感じるのは、自分で思ってもみないところから意見が出され、思ってもみないようなことが追加されたりするときなんですよね。自分の視点にはまったくなかったことが書かれた時、というのが、お〜っと思うし、いちばん面白い瞬間でもあるんです。そういうことを考えると、さっき雑誌ができると思うって言いましたけど、たとえばですけど、あるコンピュータの雑誌みたいな限定したものはできないと思います。限定すると人が集まらなくなるんです。
Q:基本的に多くの人が集まる、という条件が必要で、その条件を満たすためには、間口を広くしないといけないわけですね。
今泉ウィキペディアは次の姉妹プロジェクトが、ウィクショナリー(英語 日本語版)、ウィキブックス(英語 日本語)、ウィキクォート(英語 日本語)、ウィキソース(多言語)、ウィキメディア・コモンズ(多言語)、ウィキニュース(多言語 日本語)、ウィキスピーシーズとありますけど、生物関係のデータベースを作ろうというウィキスピーシーズが失敗しているんです。生物に限定したら、人がこなくて、うまくいってないんですよね。それ以外は分野を特定しないことで、人を集めて、それによってバザール方式でいいものを作っているんです。
Q:Wiki のシステムがもう少し違う段階のものになったら、もっと広く一般の人が参加するようになる、ということはありえると思いますか?
今泉あると思いますね。一番、障害になるのはパソコンじゃないと使えない、というところで。それがケータイから簡単にできるようになったら、だいぶ変わると思いますね。
Q:インターフェイスが、少しわかりにくいという感じもありますね。
今泉そうですね。ソフト的な改良はずっとやってきているんですけど。
Q:英語版のほうでは、ウィキペディア1.0という出版物が出ているようですね。
今泉ドイツ語版でCDで出ています。
Q:日本語版ではそういう話があるんですか?
今泉どこか出版社さんから話があればやりたんですけど。ドイツ語版はそれをやることで凄く進化したんですよ。出版してもいいレベルの査読が入って、日本語版でもできればいいなと思っているんですけど・・まだ話がないですね。
Q:出版することで、より一般的になって書き手も増えるでしょうし。もうすぐ話が来るんじゃないですか。
今泉それまでやってられればいいですけど(笑)。