森英介法相は17日の閣議後会見で、殺人など生命を奪った凶悪・重大な事件については、公訴時効の廃止が相当とする法務省内勉強会の検討結果を発表した。「国民の正義観念が変化し、国家の刑罰権に期限を設けることは適当でない」とした。法改正した場合、改正前に発生し、現在も時効が進行中の事件にもさかのぼって適用する「遡及(そきゅう)適用」も憲法上許されると判断したが、是非はなお慎重に検討するとした。
殺人など死刑が上限の罪については、05年の刑事訴訟法改正で公訴時効が15年から25年に延びたが、廃止となれば、明治時代の旧刑事訴訟法(1890年制定)で時効制度ができて以来、初の抜本的な見直しとなる。法務省は早ければ今秋の法制審議会(法相の諮問機関)に、刑訴法改正案などを諮問する。
検討結果では、国民の意識の中に「生命を奪った事件は他の犯罪とは質的に異なり、特別で厳正に対処すべきだという正義観念がある」と指摘。時効制度の存在理由とされる(1)処罰感情の希薄化(2)犯人が一定期間処罰されていない「事実状態の尊重」(3)証拠の散逸--については、それぞれ「社会の処罰感情の希薄化という事情はもはや妥当ではない」「犯人を処罰して社会秩序の維持・回復を図ることを優越させるべきだ」「検察側に重い立証責任を負わせるが、起訴を断念するのは適当ではない」との反証を挙げて、制度の見直しの必要性を強調した。
廃止の対象は、「殺人など特に法定刑の重い重大な生命侵害犯」とし、傷害致死や危険運転致死など生命にかかわる罪も「均衡上、期間の見直しを行う必要がある」として延長を検討する。一方で、捜査体制の維持や資料保管などの問題点も挙げ、今後十分な検討を要すると付記した。
法改正前に発生した事件への遡及については、これまで遡及処罰の禁止を定めた憲法39条とのかねあいが指摘されてきたが、「実行時に適法であった行為を処罰したり、違法性の評価を変更して刑を重くするわけではない」として、「憲法上は許される」との見方を示した。一方、05年改正時には遡及適用をしていない点との整合性から、政策上の是非をさらに検討する。
法相の勉強会は今年4月、(1)時効の廃止(2)期間の延長(3)DNA型情報を被告として起訴する制度(4)検察官の請求で時効を停止する制度--の4案を提示。その後、被害者団体や学者、警察庁、日本弁護士連合会から意見を聴いたほか、国民からも意見募集。廃止と延長を組み合わせた結論に至った。【石川淳一】
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■解説
殺人事件の公訴時効を廃止するか、大幅な延長をするかは、人の寿命を考えれば実効性の意味で大きな違いはないと指摘されてきた。それでも法務省が廃止の方向へ大きくかじを切ったのは、被害者・遺族の思いに共感する世論の高まりが、時効の存在理由そのものを薄れさせたと判断したことが挙げられる。
しかし、時効を廃止した場合、捜査体制の維持や証拠物の保管など、捜査上のネックは大きい。事件発生から数十年を経た逮捕・起訴で公判が始まった場合、証言者の記憶があいまいになっていることも考えられ、検察側に重い立証責任を負わせる。被告側も反論が困難になることも考えられる。
こういったハードルをどう克服していくか。遺族感情の尊重から始まった制度改正論議は、今後は学者や実務家を多数交えた法制審議会に場が移る。意義付けとともに、着地点へ向けた具体的な方策を明示することが求められる。【石川淳一】
毎日新聞 2009年7月17日 東京夕刊