巻頭言 2009年7月号
”私たちは神の乞食(こじき)です”
- 聖アウグスチヌス-
主任神父 和田 幹男
神は聖なるものだと言いました。
神が聖なるものであるなら、それに応じてわたしたちの生活も聖なるものでなければなりません。
パウロも言います。「これが神の御旨です、それはあなたたちの聖性です」(1テサ4の3)と。
そのためにまず祈らなければならないでしょう。 祈りとは神との「我と汝」、「わたしとあなた」の語らいと言えましょう(M・ブーバー)。
この祈りは、深い沈黙の中で行われます。 神は沈黙の友なのです(G.クルトワ)。
沈黙の中でこそ、わたしたちはその語りかける神の声を聞くことができます。
それは物理的な音声ではあ りませんが、全身全霊をもってその語りかけを受けとめます。
そのためには世の喧噪(けんそう)を避けて、静かなところに逃げ込む必要があります。 フーガ・エ・ムンド(世からの逃避)といいます。
初期の修道者たちの一つの精神です。彼らは信徒でした。それは各家庭の自室でもいいし、戸外の 自然の中でもいい。勿論、教会の聖堂もそのためにあります。特に小聖堂はそのために整えられています。
今日も一人、また一人と祈る人が来ていました。 どのように祈ればいいのでしょうか。主の祈りや天使祝詞、栄光唱など暗記している祈りを唱えてもいい。ロザリオの祈りを唱えてもいい。
昔からある 公教会祈祷文、あるいは最近の祈りの本でもいい。祈りの道に進歩すれば、個人的に瞑想的な祈りもできるようになるでしょう。
初歩のうちは既成の祈りの助けを受ければいい。また疲れて集中力に欠けるときにも、同じです。
ただし、祈りとは願い事だけはありません。たしかに、わたしたちも願い事をします。それは正しい。
聖アウグスティヌスは言いました。「わたしたちは神の乞食です」(mendici Dei sumus)と。
ですから、何でも願ってもいいのです。しかし、わたしたちの祈りは、ほかの宗教のように、願い事に終始しません。
わたしたちは神がわたしに何を願っておられるのか、にも耳を傾けます。
ここがほかの宗教の祈りと異なるところです。
神はわたしたちに嫌なこと、辛いことをお望みになるかもわかりません。ゲツセマネのイエスのように、父である神の御旨こそ優先します。
またわたしたちは神を賛美します。神に感謝します。罪の赦しを願います。主を味わって美味しいと味覚で感じるほどまで、祈りをとおして神に親しみたいものです。
Gustate et videte quoniam suavis est Dominus. (Ps.XXXIII,9,Vulgata)
主はなんと美味しいことか、味わって見なさい。
(詩編33の9、ラテン語訳)
2009-07-10 23:56
|
記事へ |
コメント(1) |
トラックバック(0) |
|
キリスト教 カトリック |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/945/
カトリック大阪教会区 tontonさんとRickさんに教えて頂きました。
ついに、7/9より
日本カトリック 大阪教区では、
セルフインティンクションが完全に禁止となりました!!!!!
セルフインティンクション
両形態による聖体拝領の方法として、司祭や聖体授与の臨時の奉仕から与えられたご聖体を、自分で手で持っておん血に浸して拝領(intinctio)したり、祭壇上に置かれたカリスを拝領者が自分で手にとって拝領をする方法
これは私にとって大きな喜びです。
カトリックの信徒さん以外のこのブログをお読みの方は何のことだか、なぜ、私が嬉しいのかわらないと思いますので簡単に説明しますと
現在、カトリックは、(特に大阪)は カトリック正義と平和協議会という カトリックの一部の団体の左傾化と世俗化によりどんどん崩れています。新生計画などという軽い言葉とともに・・・
聖徳太子のころに景教が伝わり、織田信長の時代に日本に広がり、
その伝統をかたくなに守ったために江戸時代〜に殉教した人々がいた
その思いを踏みにじり、どんどん世俗化、左傾化、共産主義のようになりつつあるカトリック・・・・・
私はその状況を憂いて、また 信徒以外の人々に カトリックのカルト化という誤解を払拭したいためにも 戦い続けています。
世俗化を元の伝統的で荘厳な教会にもどしたいと努力しつづける
カトリックアクション同志会や教会の政治的言動を憂慮する会にも
参加させていただいて勉強しています。
世俗化の象徴的な形としても、セルフインティクションは憂うべきことでした。
聖体拝領というのは、毎週、カトリックの聖なる教会において祈りとともに キリストの体をいただく 一番大切な儀式。
その形式を崩すということは、教会の聖なる存在 を崩すこと。教会が聖なるものでなければ、何の意味があるでしょう
中国では、バチカンに従う信徒は地下教会信者 として弾圧され、逮捕拷問をうけ、バチカンに背く教会が中国共産党の支持で天主教会 として公に認められていますが
バチカンが禁止しているのに、それに背く日本のセルフインティンクションの継続は、まるで中国共産党の天主教会のようです。
幸いなことに、私の箕面教会では、セルフインティンクションは行われていませんが
あまり左傾化していないと言われる北摂や阪神地区のある教会でもセルフインティンクションは行われ、敬虔な信徒がいくらやめてほしいと頼んでも禁止されなかったそうです。
ところが、本日づけで、下記の文書が各教会に通達されました。 ↓
Rickさんの感想
とても横柄な文章に思えるのは私だけでしょうか?
「わしら正しい事してんのに、なんぼ言うても聞いてくれへんねん。偉そうに・・・しゃあないわ、言う事聞いといたるわ」といった感じ!!!
おつるは、
このバチカンからの禁止に従わざるを得なかった大阪教区
私たちの願いが届いたことはすごいことだと思います。
セルフインティンクションは
日常的に行われていて、私たちの訴えるバチカンで禁止されていると
いう主張については
否定される信徒、信じない信徒も多かった。
はっきりバチカンから禁止されたのはすごいことです!!
この一番大切な部分を守ることは教会を守ること伝統を守ること
この禁止は、これから10年、20年、いや100年〜ずっと続くのです
神さま ローマ教皇ベネディクト16世様
駐日バチカン大使アルベルト・ボッターリ・デ・カステッロ大司教 ローマ典礼省の方々 有難うございます
実はあのI神父様の事件の後、
tontonさんが教皇大使にもバチカンにもお手紙を書き、
Rickさんもお手紙キャンペーンを呼びかけ
おつるもそれを受けて
3/21(土)に 大阪から東京のバチカン大使館に行き、(突撃訪問です笑) 秘書の女性に
この手紙を訳して大使様に読んでいただいて下さいと懇願しました。
その時の経緯はこちらです↓
ジャンヌおつる東京へ 番外編@ 〜ローマ法王庁大使館(バチカン大使館)訪問編〜
http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/article/754/
そのすぐあとの 4/1に 教皇大使様から、
禁止の文書が手渡されていたこと下記の文書に書かれています。
私の思いは届いたのですね
その手紙には、I神父様の件とともに、
セルフインティンクションや典礼の世俗化、左傾化が
特に大阪教区で蔓延していることを訴え禁止をお願いするものでした
私だけでなく、あの時、I神父様のことを想い、教会のあり方を憂うたくさんの信徒さんがともにバチカンや教皇大使様に手紙を出したと思います。
たくさんの信徒の真摯な思いと祈りが伝わったのではないかと思います。
これは偶然ではないと思います。
信徒の訴えや祈りは、バチカンにとどくのです。
教会を変えることができるのです。
私たちの勝利です
頑張れば、行動すれば、祈れば 思いはかなう
私たちは、あきらめないで、これらも左傾化・世俗化に声をあげて
戦い続けましょう。 カトリック正義と平和協議会の偏向政治活動をやめさせましょう
************************************************************
ARCHDIOCESE OF OSAKA
カトリック大阪大司教区
Curia Osakensis
Prot.No.528/09
2009年7月9日
大阪教区の皆様
大阪大司教 池長 潤
信徒の両形態による聖体拝領の方法について
教区の神父様、修道会・宜教会の方々、そして信徒の皆様に、両形態による聖体拝領の方法について、お知らせいたします。
日本のカトリック教会では、これまで両形態による聖体拝領の方法として、司祭や聖体授与の臨時の奉仕者から与えられたご聖体を、自分で手で持っておん血に浸して拝領(intinctio)したり、祭壇上に置かれたカリスを拝領者が自分で手にとって拝領をする方法が比較的一般的に行われてきました。日本カトリック司教協論会・典礼委員会は、この方法を「日本の適用」として、再三、引き続き特別な許しを与えて頂きたいと、教皇庁・典礼秘跡省にお願いしてきました。
けれども、典礼秘跡省は、こ聖体もおん血も司祭や任命された奉仕者が、拝領者に手渡し授けることが、典礼上、定められた大切な規定として厳密に守らなければならないとの見解を強調し、2009年4月1日に駐日教皇大使を通して届けられた書簡においても、そのことが明示されました。日本カトリック司教協議会はこれを受け、今年6月の定例司教総会で、日本全体でローマの指示に従うよう確認いたしました。
つきましては、7月9日付けのこの手紙が届いた日から、大阪教区のすべての教会や修道会・宣教会でも、信徒(修道者を含む)が両形態による聖体拝領を行なう場合、以下の方法に従って行って頂きたくお願いいたします。
(1)司祭や任命された奉仕者から直接ご聖体およぴカリスを受け取って拝領する。
いったん受け取ったご聖体を、白分でおん血につけて拝領しない。
(2)ご聖体をおん血に浸して拝領(intinctio)する場合は、司祭や任命された奉仕者が直接拝領者の舌の上に置く。
役務を担う者の思いを謙虚に受け止め、日々主の死と復活を記念する教会が、いつもその永遠のいのちに満たされて歩み続けることができますように。
*************************************************************
つぎのページに 7月号のカトリック箕面教会の
神父様、和田幹男神父様の聖なる言葉をのせます。
2009-07-10 22:20
|
記事へ |
コメント(2) |
トラックバック(0) |
|
キリスト教 カトリック |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/944/
麻生首相とカトリック、ローマ法王 ベネディクト16世 教皇の
会見について、バチカン放送局、日本の各新聞が報道しています。
※写真 7日、バチカンで法王ベネディクト16世(中央右)と記念写真に納まる麻生 首相(同左)。左端は千賀子夫人(代表撮影・共同)
バチカン放送局
http://www.radiovaticana.org/gia/index.asp
教皇、麻生首相と会見、
経済危機やアフリカへの支援などが話題に
教皇ベネディクト16世は、日本の麻生太郎首相の訪問を受けられた。
主要国首脳会議のため7日にイタリア入りした麻生首相は、同日正午過ぎバチカン宮殿を訪れ、教皇との個人会談を持った。
両者の会談は和やかな雰囲気のもとに行なわれ、国際情勢について意見が交換される中で、特に経済危機問題や、日本と教皇庁のアフリカへの支援などが話題となった。
また、日本と教皇庁の友好関係や、教会と国家の協力についても言及された。
この後、麻生首相はバチカン国務長官タルチジオ・ベルトーネ枢機卿と外務局長ドミニク・マンベルティ大司教とも会見した。
*************************************************************
首相、ローマ法王と会談 「人類共通の問題解決へ協力したい」
2009年7月8日(水)08:05 産経新聞
【ローマ=今堀守通】麻生太郎首相は7日未明(日本時間同日午前)、日本航空特別機でローマに到着、同日昼(日本時間同日夜)にはローマ法王ベネディクト16世(82)と法王庁(バチカン)で会談した。
日本の首相と法王の会談は、平成11年の小渕恵三元首相と前法王ヨハネ・パウロ2世(いずれも故人)以来10年ぶりで、今回は麻生首相が要請して実現した。
首相は、祖父の故吉田茂元首相が歴代首相で初めて法王と会談したと述べた上で、「お会いできて光栄だ。11億人のカトリック信者を背景に、独自の外交力を有するバチカンと、国際情勢の安定や人類共通の問題の解決に向けて協力したい」と伝えた。
法王は、カトリック教徒の首相との会談に「うれしい」と述べ、「日本が宗教に開かれていることは喜ばしい」と答えた。
また、3月にアフリカを訪問したことから、日本のアフリカ支援に期待を表明した。
首相にとって法王は会談相手であると同時に「精神的指導者」。「麻生降ろし」が激しくなり、心中は穏やかでない首相としては、神の「お導き」をいただいて心を静めたかったのかもしれない。
***********************************************************
ローマ法王ベネディクト16世(右)にビデオカメラを贈る麻生首相=AP
麻生首相:ローマ法王と会談
法王宮殿内の図書室で
【ローマ藤原章生】ローマ滞在中の麻生太郎首相は7日午後0時半(日本時間同日午後7時半)ごろ、バチカンのローマ法王ベネディクト16世を表敬訪問し約30分間会談した。
会談は法王が暮らす法王宮殿内の図書室で行われた。カトリック信者でもある首相は、祖父の故吉田茂元首相が初めてローマ法王に会った首相と説明。その上で「独自の外交力を有する貴国と人類共通の問題の解決に向けて協力したい」と述べた。法王は「カトリック家系の麻生首相と会えてうれしい。日本社会が宗教に開かれていることは喜ばしい」と応じた。
約25分の会談後、首相は法王に小型ビデオカメラを贈り、妻、千賀子さんや上野景文駐バチカン大使夫妻ら9人を紹介した。法王は首相にバチカンの記念コインを贈った。
*********************************************************
以前、カトリックの中で、敬虔な信徒から支持を得られず
認められてもいない ごく一部の左傾化団体である
カトリック正義と平和協議会、さいたま谷司教が
政教分離の原則を持ちだして、麻生首相の伊勢神宮参拝を
批判していますが、
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/doc/cbcj/090109-2.htm
今回は、カトリックとしてどうコメントするのでしょうね
整合性がないとは、このことですね。
なくなればいいのに カトリック正平教なんて。
カトリック国、イタリアでのサミット前の
カトリッククリスチャン麻生首相 大歓迎ムードの中、
同時に
【ウイグル暴動】中国の胡錦濤国家主席がイタリアから緊急帰国 サミットを欠席
http://sankei.jp.msn.com/world/china/090708/chn0907080802003-n1.htm
現在、ウイグル人蜂起問題で、
このイタリアでのサミットから急きょ、中国の胡 錦濤が
出席を取りやめて、中国へ帰国。
これは日本の輝ける明るい未来と
中国共産党にとっての崩壊、暗い未来を 予言、象徴するかのような
出来事だと私は思います
それにしてもビデオカメラをプレゼントだなんて、
さすが麻生首相。
バチカンの動画も you tubeで発信されたりしてますが
実は、教皇様は、携帯電話、インターネット、パソコン
新しいものが大好きで、 ipodで音楽を聞いておられるとか・・・
麻生首相も新しいモノ好きで、このあたりは
似たものどうしですね
余談ですが、教皇はスポーツもお好き
サッカーの大ファンで ドイツのバイエルン・ミュンヘンのファンクラブ会員でもあります。
来年のワールドカップも楽しみにされているでしょうね
麻生首相もスポーツがすきですから
このあたりも共通点が。
2009-07-09 04:32
|
記事へ |
コメント(5) |
トラックバック(0) |
|
キリスト教 カトリック |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/938/
7/7麻生総理バチカン訪問
フランチェスコさんに教えていただきましたが
麻生総理のバチカン訪問が、ローマのカトリックサイトに紹介されています。
http://www.zenit.org/article-26314?l=english
↓
Japanese Prime Minister to Visit Vatican
VATICAN CITY, JUNE 28, 2009 (Zenit.org).- Benedict XVI will receive in audience the prime minister of Japan next month, which will be the second high-level meeting between the Vatican and the Asian country this year.
The Union of Catholic Asian News revealed Friday that Japan's Catholic prime minister, Taro Aso, will visit the Vatican on July 7, the day before the opening of the Group of Eight Summit in L'Aquila, Italy.
Last March, Archbishop Dominique Mamberti, the Vatican's foreign secretary, became the first Vatican top diplomat to make an official visit to Japan in the 67-year-history of bilateral relations, which were established in 1942.
Japan's ambassador to the Holy See, Kagefumi Ueno, told ZENIT last week that Archbishop Mamberti's 6-day visit "assisted in shortening a sense of distance existing between the two countries."
The last Japanese prime minister to visit the Vatican was former Prime Minister Keizo Obuchi, who visited Pope John Paul II in 1999.
There are 1 million Catholics living in Japan, out of a total population of 127 million.
ひとりごと・・・・
ところで、7月4日に計7発も日本海に向けて北朝鮮ミサイルが発射されましたが、
カトリック正平教
また「事務局長名笑」の抗議はまだかな。
また麻生総理宛てに出すのか???
そして
憲法20条がどうのこうのって言ってますが
小泉首相の靖国参拝に反対したように
麻生総理のバチカン訪問は 抗議するの??
矛盾だらけの カトリック正平教〜〜〜 ♪
憲法9条で平和だなんて嘘ばっかりーー♪ ミサイルどんどん飛んできてるやん
武者小路公秀氏は、金正日賛美だそうですが、日本へのミサイルも賛美してるのかな。
2009-07-06 03:57
|
記事へ |
コメント(0) |
トラックバック(0) |
|
キリスト教 カトリック |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/929/
土曜日は、朝から車を飛ばして カトリック箕面教会へ
地区のお掃除当番です。
少し遅れて到着すると、早くから来られている
先輩女性信徒さんたちがもうほとんど お掃除を済ませておられました。
おつるは、少しだけ残りの部分をお手伝いして
そのあと、地区長会議のご報告ミーティング。
今期も地区長に推薦されて、他になられる方がいなくて
お引き受けしました。
でも、おつるは、名前だけの「地区長」で
日曜日以外は教会に行けないし、日曜日も用事で行けないことも
ありますし、お掃除やミサのためのお花の準備や
信徒会館の飲み物などの用意や バザー、連絡網など
何もかも 同じ地区の先輩女性の方々が すごく優しくて
「あなたは、仕事もして忙しいから名前だけでいいのよ」とみんなで
してくださるのです。
とても申し訳ないのと同時に感謝でいっぱいです。
いつも笑顔で、優しくて思いやりがあって明るくて
教会のために、もくもくと掃除や花壇の手入れなどを
して下さったり、私ができないことを、いつも助けて下さる。
平日にお葬式などがあってもいけない私ですが
いつも オルガンを弾きに駆けつけたり
私が休みの時は、聖歌隊の練習でいつもオルガンを弾いてくださる方
そういう方々が支えて下さることに感謝。
幸せです。 とても恵まれていると思います。
うちの教会の先輩女性信徒さんたちは、品格があって
綺麗で、お洒落で心も見た目も美しい。
御掃除のあと、一緒にお茶とお菓子でおしゃべりして
とても楽しくて幸せに思えました。
私はクリスチャンになってよかったなと思うことのひとつに
この尊敬する女性たちとの出会いがあります。
ロザリオの昔の「めでたし〜」の言葉がすきとおっしゃる方も多く
聖歌隊のラテン語やグレゴリオ聖歌にいつもほめて下さったり
私のつたないオルガンをほめて下さったり
わたしはカトリック箕面教会が大好きです。
************************************************************
その後、いったん家に戻り
チャーハンを作って家族に食べさせて〜
サッカートレーニングの半そで 半ズボンに着替えて
神戸のサッカー練習へ
久しぶりに練習です。
今日は、人数が少ないので みっちり監督のもとで
パスまわしと シュート練習
ボレーシュートもたくさん練習しました。
監督が優しくて、ほめてもらえてうれしい♪
いっぱいいっぱい シュート練習で思いきり ボールをけると
嫌なことなんか ボールと一緒に飛んでいくーーーーーーー
そして大好きな先輩のキャプテンややぶちゃん
そしてチームのみんなと笑顔で
暑い暑い中で 汗びっしょりいて幸せ♪
世の中の イライラした人たち
心が暗くなっている人たち みんなみんなサッカーとか
スポーツで汗流すと元気になるよ。
汗いっぱいかいて、まっ黒に日焼けして
気持ちいー カ・イ・カ・ン♪
そして帰宅後のビールは 最高ーーーーーー
今月は、7/12(日)が兵庫県リーグ
7/19(日)が関西大会 26(日)関西大会決勝
(超強い 京都バクティさんがやってくるー)
そのため教会はしばらくお休みします。
ごめんなさい。
勝利めざして がんばろうーーーーーーーーーー
********************************************************
カトリック箕面教会の女性
サッカーチームの女性
大好きです。 かっこいいです。
2009-07-06 01:07
|
記事へ |
コメント(2) |
トラックバック(0) |
|
サッカー フットサル 大好き /
キリスト教 カトリック |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/927/
●麻生首相、7月7日にローマ法王と初会談
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090625/plc0906250922002-n1.htm
2009.6.25 09:21
ローマ法王ベネディクト16世が来月7日、
王庁(バチカン)で麻生太郎首相と初会談することになった。
在ローマ消息筋が24日明らかにした。日本の首相と法王との会談は、
1999年に小渕恵三元首相と前法王ヨハネ・パウロ2世
(いずれも故人)がバチカンで会って以来。
また、バチカンは同日、法王とオバマ米大統領の初会談が
来月10日、バチカンで行われると発表した。
麻生首相はカトリック教徒で、来月8日からイタリア中部
ラクイラで始まる主要国(G8)首脳会議(サミット)を利用し、
法王と会談することをかねて希望していたという。
日本とバチカンとの関係では、バチカンのマンベルティ外務局長
(外相に相当)が3月、外務局長として初めて日本を訪問、
中曽根弘文外相らと会談しており、
トップ会談実現への期待が高まっていた。(共同)
**************************************************************
おつるのひとりごと
おつるは、大好きな麻生首相と大好きなローマ教皇様の
会談には、ドキドキ うれしいよ。
首相がローマ教皇様にお会いするのは
ヨハネ・パウロ2世の時から数えて 10年ぶりだそうだ。
きっと 中川大臣のバチカン報道で朝日新聞が嘘の報道をしたことを
告発した勇気ある神父様、和田 誠神父様が立ち会われるのじゃ
ないかな。
ヨハネパウロ2世と小渕首相の時も 通訳をなさったのは
和田誠 神父様だもの。
以前の記事はこちら↓
●中川大臣のバチカンでの失態はなかったとバチカン和田誠神父が語る
http://blogari.zaq.ne.jp/otsuru/article/795/
きっと素晴らしい対談になると思うよ
さあ、いつも 靖国神社への首相の参拝を抗議している
カトリック正平教 大阪教区 松浦補佐司教
そして 「政教分離」にこだわり続けている
憲法20条の会の さいたま教区 谷司教
さあ 麻生首相のパチカン訪問には どうするの???
抗議するの??? しないの???
抗議しなければ、いつも言ってる政教分離についてのこだわりに
整合性がなくなるよ〜笑
抗議すれば、バチカンを否定することになるよ〜笑
どっちにしても 整合性がないよね
北朝鮮ミサイルへの抗議の時とおんなじように
麻生首相に批判したり意味不明のメッセージ出すわけ??
もともと共産主義・社会主義の正平教は
バチカンにも麻生首相にも 批判してるんだろうけど
どんどん 墓穴掘ってるで
もう つぶれてしもたらいいねん カトリック正平教なんて。
2009-06-25 14:29
|
記事へ |
コメント(9) |
トラックバック(0) |
|
キリスト教 カトリック /
政治 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/909/
6/14は、「キリストの聖体」の日 聖体賛美式でした。
久しぶりに聖水が復活していて、嬉しく思いました。
この日は「子供とともに捧げるミサ」でしたが、
聖歌も子供向けの歌ではなく
聖なる歌を選んで、聖体賛美のためのラテン語の歌
ADORO TE O PANIS CAELICE を
聖歌隊が歌い、
神父様の祈りも厳かで、いわゆる「子供ミサ」という他教会で
行われる色合いは感じられず、
「子供もともに祈りましょう」という意味あいであり
厳かで、違和感はありませんでした。
この日はごミサのお話で、和田神父様は
「インマヌエル」をなんどもなんども 繰り返し
お話されました。
インマヌエル ・・・・内なる神
インマヌ(עמנו 、Immanu、われらとともにいる)とエル(אל 、El、神)を組み合わせた名前
で、「神はわれらとともにいる」の意味
神様は、どこにいるのか
神は、遠い空の上とか 離れたところではなく
実は 自分の中にいる。 自分とともにいる。
われらとともにいる・・・自分の内にいるんだよ
自分の心の奥の奥の深いところにいるんだよ
というお話をされました。
神道にも四魂という神様のわけ御霊が自分の内にあるという
考え方がありますが、
未信者の方には
キリスト教の神は、遠い空の上の天国にいるというような
感覚でとらえる人も多いかもしれませんが
違うのです。 神はわれらとともに内にいるのです。
今日も跪いて口で拝領しましたが、キリストの聖体の日
特別な感覚がしました。
***********************************************************
聖体賛美式は 鈴を鳴らして
侍者さんと神父様が登場され、
ラテン語の O Salitaris(オ サルタリス) や Tantum ergo(タントゥム エルゴ)を歌いました。
***********************************************************
その名は インマヌエル
主任司祭 和田幹男
主の使いが夢に現れて、ヨセフに告げたイエスの名は、
「インマヌエル」でした。(マタイ1の23)
これは象徴的な名で、その意味は「神はわれらと共にいます」です。
この「共にいる」神は、神とはいかなるおかたであるか、聖書全体が
教えていることを要約しています。かつてモーセは、顕現された神に
その名を尋ねると、「わたしはあってある者」という答えをうけまし
た(出エ3の14) これは奇異な表現ですが、実は「わたしはたしかに
いる」ということです。その神がどのように「いる」のかというと、
その大きな文脈から、いつも、特に自分の民が苦悩にあるとき、「共
にいる」ということです。その「共にいる」神は、「情けに厚く、憐
れみ深く、怒るに遅く、慈しみと誠に富む」(出エ34の5-6)おかただ
と、さらに正確を期して言われます。このように「主」とは、どのよ
うな神なのかを言っています。
預言者イザヤは、その意味をこめて、来るべきメシアの名は「インマ
ヌエル」だと告げたのでした(イザヤ7の14)
メシアは、その主である神を証しする者ということです。イエスはま
さにその「われらと共にいる神」であると、福音書マタイは言うので
す。
旧約聖書は、その主である神が、いつ、いかなるときも、ご自分の
民と共にいてくださったことを証ししています。新約聖書は、その父
である神が、同じく神である御自分の独り子を人間にならせるほど、
人間と「共にいる」神であることを証ししています。ここに受肉の秘
儀があります。聖母マリアの胎内で人間となられた神の独り子は、神
が「われらと共にいる」神であることを、あらためて、なおいっそう
深い意味で証ししているのです。
主なる神はそこまで「われらと共に」いるようにしてくださるの
か!
2009-06-20 05:05
|
記事へ |
コメント(2) |
トラックバック(0) |
|
キリスト教 カトリック |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/903/
こんな動画を見つけました。
カトリック正平教は、首相の靖国参拝を抗議したり、
靖国神社を
否定しています。
靖国に親族が祀られていることを否定して裁判している
左傾化神父様もいますが、各国のクリスチャンである
軍人さんだって敬意を持って、参拝されているのです。
私は、クリスチャンですが、日本の神と、カトリックの言う神とは
ニュアンスも意味も違うと思っています。
比較するような対象でもありませんし否定しあうものでもないと
思います。
日本は日本書紀・古事記から数千年もの歴史を語れる
現存する世界最古の国家・日本だということは確かだと思います。
靖国神社はその日本を守った方々が眠るところです。
他国の軍人さんたちが日本に敬意を示していることがわかる
素敵な動画だと思います。
よく キリスト教は一神教で 他宗教を否定するような
虐殺するような宗教だと 誤解されますが
カルト新興宗教キリスト教などにそういうところもありますが
カトリックは本来 おおらかで、
しかも 日本人の考える一神教というニュアンスではないです。
聖霊も大切にしますし
マリア様への祈りも大切ですし
亡くなった聖人も大切にします。
カトリックのため殉教し亡くなった聖人を大切にするカトリックと
日本のために亡くなった軍人を祭神として大切にする靖国神社は
守るもののために自分の命をかけて
戦ったという点で 私は どちらをも 尊敬しています。
2009-06-20 04:12
|
記事へ |
コメント(4) |
トラックバック(0) |
|
戦争 /
キリスト教 カトリック /
靖国神社 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/901/
今日は、京都で外国人参政権反対のデモがありました。
私は、用事で行けませんでしたが、
台湾のデモでご一緒した 大和撫子のさくらさんやノアちゃん
リコリスさんや神鬼さんなど、たくさんのお友達が参加されました。
お疲れ様です。
私は、家で生中継を見ていたのですが、妨害行為をする卑劣な人は
カトリック正平教の関わるピース9や 9条の会の旗を持った人
日の丸の赤い丸を うんちの絵や ナチスのハーゲンクロイツの絵に
変えて振り回す人、暴言を吐く人、暴力をふるう人
爆竹・・・「平和、人権」を叫ぶ市民団体が聞いてあきれます。
赤ちゃん連れや、女性も多く参加する普通の個人の人々が集まる
デモに恐ろしい妨害です。
さすがカルト左翼です。噂には聞いてたけど・・・
左翼ってやはり、暴力集団なんてすね・・・
たから中国共産党や北朝鮮と気があうのね・・・
卑劣
妨害したサヨク側が作った動画を見たら、サヨクがキチガイだって
よくわかります。
卑劣な人たちです。 下品です。
カトリック正平教ってこういう人とお友達なのね↓
http://www.nicovideo.jp/watch/sm7354707
*************************************************************
さくらさんの日記 より・・・・・・
京都の外国人参政権反対デモ行ってきましたよ
今までで一番妨害が入ったデモでした
まずはデモ出発前の集会より・・・
一番手前のハングルTシャツ来た人。。。
私の目の前で行進直後に列に入って暴れました
この写真偶然撮ったんですが、まさか近くに居たとは
集会途中・・・
バカ左翼が何度も突っ込んできました。。。
私から右側では突然「バコ〜〜〜ン」って音が!!
なんと桜井さんがハリセンで何度もシバかれたようです。。。
音からして「誰かケガしたか??」と思いました
殴った犯人はすぐに逃走。「警察は何をしているんだ!!」
と問い詰めると「私は何も見てません」と答えたそうな
警察・・・しっかりせ〜よ
デモ行進中、私の目の前で爆竹が
パパパパパパパパ〜〜〜〜〜〜〜ン
と炸裂一瞬銃声かと思いました。。。
********************************************************
外国人参政権デモに対し妨害予告し、爆竹を鳴らし、
暴力をふるう
カルト的な暴力行為への参加者リスト↓
****************************************************
妨害予告リスト
■6月3日18時時点での賛同は個人・団体合わせて128名です
【個人】青柳行信(★NGO人権・正義と平和連帯フォーラム
・福岡
代表)、浅井美里、在野真麻(Wheelchair's
EYE)、RS(東京都)、五十嵐守、石原みき子、
稲葉奈々子(茨城大学准教授)、イダヒロユキ、
伊藤公雄(京都大学教授)、ぅきき、宇野善幸(大学院生)、
梅尾直人、遠藤礼子、大須賀護(仏教者)、大月
英雄、岡晃子、小野俊彦(fuf)、各務勝博(京都プレイバックシア
ター)、垣渕幸子、角崎洋平、叶信治(東九条のぞみの園副施設
長)、河添誠(首都圏青年ユニオン書記長)、川端諭、木谷公士郎
(司法書士)、木下直子、金友子、草加耕助(京都市民・『旗旗』サ
イト管理人)、熊沢誠(研究会「職場の人権」代表)、黒瀬隼人(自由
労働者連合評議会議長)、黒目(有象無象)、高敬一(KMJ事務局
長、NPO法人サンボラム理事長)、上瀧浩子(弁護士)、近藤昇
(寿日雇労働者組合)、酒井隆史(大阪府立大学准教授)、崎山政毅
(立命館大学教員)、櫻田和也(indymedia
japan)、★佐藤恵(カトリック正義と平和協議会) ★、
さぶろう(東京)、澤田春彦(自由労
働者連合)、塩見静子、嶋田頼一、首藤九尾子、白崎朝子、鈴木耕太
郎、高橋淳(生活書院)、高橋慎一(ユニオンぼちぼち)、竹林隆、
田中渥子、田中玲、立岩真也(立命館大学教授)、張ヨンテ、鶴見俊
輔(哲学者)、冨田成美、中倉智徳、中村和雄、仲村実(管理職ユニ
オン・関西副委員長)、西浦隆男、西岡裕芳、野々村耀、ハギハラカ
ズヤ、橋口昌治、橋野高明、原田光雄(聖公会司祭)、濱西栄司(京都
大学大学院)、樋口直人(徳島大学准教授)、平田正造(ヨシノ支援プ
ロジェクト代表)、平田義(愛隣館研修センター)、藤井かえ子(神
戸YWCA)、藤谷祐太、舟木浩、細川孝、堀田義太郎、堀内慶子、堀江
有里(日本基督教団・牧師)、前川純一、松本朗、南守、三牧建一、
村上麻衣、村木美都子(NPO法人東九条まちづくりサポートセンター
事務局長)、村田豪、盛岡晋吾、役重善洋(パレスチナの平和を考え
る会)、山口智之、山本純、山本崇記(関西非正規等労働組合)、由
良哲生(寿日雇労働者組合)、吉田幸恵、吉田信吾、ヨシノユギ(大阪
医科大GID医療過誤裁判原告)、渡邊太、渡辺学
、匿名(14名)
【団体(22)】アイヌ・沖縄を考える会、アジェンダ・プロジェク
ト、ATTAC関西、ATTAC京都、うさちゃん騎士団SC、釜ヶ崎
医療連絡会議、釜ヶ崎パトロールの会、関西単一労働組合、関西非正
規等労働組合(ユニオンぼちぼち)、関西フィリピン人権情報アクシ
ョンセンター、旧日本軍性奴隷問題の解決を求める全国同時企画・京
都、京都精華大学社会科学研究会、憲法を生かす会・京都、社会運動
研究会、高齢者特別就労組合準備会、「心の教育」は、いらない!市
民会議、寿日雇労働者組合、失業と野宿を考える実行委員会、すべて
の外国人労働者とその家族の人権を守る関西ネットワーク(RIN
K)、反戦と生活のための表現解放行動、PeaceMedia、ペンギンの会
(自立障害者グループ)
2009-06-20 01:03
|
記事へ |
コメント(2) |
トラックバック(0) |
|
キリスト教 カトリック /
外国人参政権 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/897/
破たんをむかえる聖トマス大学(旧 英知大学)の卒業生さんから
教えて頂いた日記です。
わたしは、この日記を読んで泣きました。
母校・英知大学の破綻について(1)
ここ一週間、何も手がつかなくなった。思い入れのある母校「英知大
学」が破綻し、閉校の可能性が大という報道を聞いて以来、落胆のあ
まり何も考えられなくなった。
wiki英知大学
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%B1%E7%9F%A5%E5%A4%A7%E5%AD%A6
朝日新聞 報道
http://www.asahi.com/edu/news/OSK200906060048.html
小田武彦学長による募集停止の声明
http://www.st.thomas.ac.jp/teishi.html
卒業生である私の衝撃は深い。
しかし、今は感情的になるより、状況分析が必要な時と思われる。
英知大学がなぜ衰亡したか、私なりに振り返ってみたい。
おおよそネット内および「教育評論家」とやらの反応は、
「それみたことか。これは私が主張してきたように……」という、
いつもの口上で、少子化と世界不況の時代に無名三流地方大学は
淘汰されて当然だ、というものだ。
はっきりいって、的外れも甚だしい。私が見てきた現実は全く
あべこべである。
実際、卒業生ですら「時勢に乗ろうとした聖トマス大」にはもう
愛想が尽きている。私たちが嘆き、悲しみ、腹の底から慟哭している
のは、時勢などまるで無頓着な、まるで桃源郷のような母校「英知大
学」が消えることである。
「麗しき われらが巣屈 マレンピア」――ジャン・コクトーの
『阿片』のエピグラムに出てくる狂人病院に私は母校を例えたことが
あるが、ほんとうにあそこは麗しき狂人病院だった。
外壁は煉瓦造りで見栄えがいいが、中は築30年近いリネリウムが
はがれたオンボロで、木製の開きドアをギーギーあけながら、冷暖房
のない教室で授業を受けていた。学食はよく調理師免許が取れたなと
疑うほど不味くて、ある時某助教授が学食で味噌汁をすすっていた
ら、具と一緒にゴキブリの卵が出てきて、大騒ぎになったことがある
(その話を聞いてから、私は学食ではなく、コンビニ弁当に切り替え
たが)。
信じられないような話がいくつも連なっていく。校門横の側溝に錆
びた自転車が投げ捨てられているのに、私が四回生になるまで3年間
放置されていた。校門の前は一面コスモス畑だった。こういうと聞こ
えがいいが、ようするに畑なのであって、どこでどう迷ったか、そこ
から山羊が校舎まで迷い込んできて、蛍光灯がパッとしていない暗い
廊下をノコノコ歩いた揚句、エレベーターに一緒に乗ってしまうこと
があった。その横を、詩人の多田智満子先生御本人が何事もなかった
かのようにフワフワスタスタ通り過ぎって行った。――しかし、今考
えるとデルヴォー以上にデルヴォー的な、もの凄い光景ではなかった
か。念のためにいっておくが、そんなことが一、二度あったと言って
いるのではない。毎度こんな調子だった。
教員も教員で、もの凄かった。今道友信博士の自伝『知の光を求め
て』の最後のページで、英知大学を「やっと落ち着いて学問の専心で
きる」と評価した後、岸教授(元学長)など英知大学の教授数人にとく
に謝辞を記されているが、この岸先生は実はエスパー(!!)で、お若い
時はスプーン曲げなど余興でされていたらしい。「エスパー学長」な
どと陰で渾名をつけていた私は「ぜひ見せてください」とせがんだ
が、「いや〜。歳を取って念力が落ちたもので。。。」とはぐらかさ
れてしまった。岸先生は数年前に帰天された。もっと話しておけばよ
かったかと思う。
それにしても、元学長にスプーン曲げをせがんだとは、今では冷や
汗をかくが、当時は全く平気だった。それは教員だけでなく、職員も
そうだった。朝、校門をくぐると事務室に行き、備え付けのネスカフ
ェでモーニング・コーヒーを一杯飲んで、授業に出かけた。それを見
て職員さんが「てめぇ!!何様のつもりだ!」と怒ることはなかった。
美貌の女子職員さんが「おはよう……今日も勉強、がんばってね
♡」とおかわりのコーヒーを差し出してくれた。念のためにい
っておくが、そんなことが一、二度あったと言っているのではない。
毎度こんな調子だった。
こんな調子で、しょっちゅう飲み会が校舎で開かれた。なぜか私は
いつもバナナを切る係だった。当時の井上学長から一回生までワイワ
イみんなで飲んでいた。酔っぱらった英文学科長以下教授陣と学生が
一緒になって、当時はやっていたチャゲ&飛鳥の「Say Yes」を合唱し
ていた。ほろ酔い加減の先生に「君、最近何を読んだ?」と言われた
ので、エラスムスの『痴愚神礼賛』をあげたら、「それは良い本を読
んだ」と感心された。あとで聞いたら、NHKの宗教講座を担当するほ
どの先生だったので、顔から火を噴く想いだった。
フィリピンが専攻だった先生は夏場に半ズボンで講義したり、マニ
ラ空港から大学に出勤してきたり、私たちにこれでもかとパワーを見
せつけていた。学園祭になると、その先生の研究室が3日間飲み放題
で、午前中から夜までワイワイがやがや飲んでいた。焼きソバ屋と軽
音楽コンサートというありきたりの催しものより、ずっと面白かっ
た。その先生の研究室は美人が集まるので有名だった。確かにパワー
が全開でカッコいい先生だった。
もちろん、先生から怒られることもあった。その先生に自宅に呼び
つけられ、「文学研究への心構えが足りない」と3時間か4時間説教さ
れたことがある。念のために言っておくが、この先生は文学が専攻な
のではない。専攻外の学生のために3、4時間も説教してくれたなん
て、有難い話ではないか。
学生は教授を親と慕い、教授は学生を我が子とまではいかなくて
も、姪っ子や甥っ子のように扱ってくれた。かつての英知大学の魅力
といって、家庭的雰囲気がまずあげられるだろう。なんとも迫真さを
欠いた磨滅した魅力だが、ここまでの域に達していた大学は他の大学
にないだろう。そして、あらゆる家庭が家庭的とはかぎらない。先生
に結婚の仲人を頼んだ学生もいたし、卒業して小学生の息子がいる今
になっても教授と毎月テニスをしている学生もいる。
先月卒業したばかりという先輩が背広姿で大学のベンチに座ってい
ることもあった。どうしたのですか?ときくと、外回りで嫌なことが
あり、つい大学に来てしまったということだった。そういえば、悩み
事を相談したり、懐かしむためだつたり、やたらに卒業生が構内で見
かけた。
クラスメートだって、同様だった。
私はいまだにさっぱりわからないので、大真面目に一度お訊した
い。大学のクラスメートの半分以上を知らないという学生がいるらし
いのだが、一体どういう付き合い方をするとそうなるのだ?私のクラ
スは50人ほどだったが、全員の顔どころか趣味性格まで思い出せる
し、一つ上のクラスの先輩も名前を言われれば顔ぐらいは思い出
す。
英知大学は偏差値が低いのは事実だとしても、全員が全員バカだっ
たわけではない。というか、真剣ですらあった。なにしろ大学院もな
い学校である。教授が自分の将来について何かしら筋道をつけてくれ
る可能性は万に一つもない。一年のうち360日、図書館に通っている
学生もいたし、受験生でもあるまいし、昼食を食べている時も英英辞
典を読んでいる学生もいた。「俺、実はハングルがしたいんだよ。ハ
ングルを勉強して、マスコミ関係の仕事に就きたいんだよ」と聞かさ
れた仏文の学生がいた。その学生が何カ月か姿を見せないので、どう
したのかと思っていたら、韓国に行ってソウルのテレビ局に潜り込
み、語学と仕事の勉強を兼ねてずっとアルバイトをしていた。「俺も
負けてられない!」と思った。
なるほど、何の目的もなく怠惰に日々を過ごしている学生もいた。
しかし、英知大学で夢を持ち、歩み始めた学生もいた。そして、弱々
しい若者の夢を冷笑する教授もたしかにいたが(特に仏文科はそうい
う先生が多かった)、夢をつぶそうとする教職員は一人もいなかっ
た。「アカデミズムのボス社会」の弊害を聞かされて、こちらも聞き
かじったようなことを受け答えしてしまうが、ほんとうのところかな
り的外れなことを言っているのではないかと思う。私は、そういうも
のを今まで一度も体感したことがない。
英知大学などという聞いたこともない三流大学に入って、今でもよ
かったと思っているし、一生あの大学に感謝しつづけるだろう。40も
近いというのに、石に齧りつくような想いをして、変なことをコチョ
コチョいまだにやっているが、なまじの一流大学に入っていたら、と
っくに折れていたと思う。実のところ、今まで学歴詐称のお誘いが二
度ほどあるのだが、全て御断りをした。一緒に過ごしたクラスメート
に「俺はお前らなんかと一緒じゃない。お前らなんか知らないよ」な
ど、そんな無礼な振る舞いができるだろうか。
たとえあの大学がこの世から消えても、最終学歴は麗々しく「英知
大学仏文科卒」と書いていくことだろう。一種の誇りをもって。
つづき http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1199671299&owner_id=1898392
母校・英知大学の破綻について(2)
もちろん、私が学生をしていた頃には「就職氷河期」がはじまり、
「大学冬の時代」が訪れることもわかっていた。ある女の先輩と帰り
道でそんなことを話し、橋のたもとで「これから、うちの大学、どう
なってしまうのですかね〜」と問いかけた。「うちは大阪カトリック
教区がついているから、大丈夫よ。」とニコニコして先輩は答え、冗
談交じりに「カトリック教区がなくなったら、たいへんなことになる
けどね」と笑った。
大学四年の時に、国際文化学科なるものが新設された。どこのどの
地域をどう研究する学科なのかわからなかったが、「これからの時代
はそういう曖昧な学科も必要なのかしらん」と納得した。その四年の
講座で「社会調査法」なる授業があり、調査と統計の練習を兼ねて、
全学生に今後の英知大学のあるべき姿についてアンケートを取ったこ
とがある。有意義な行為で、つられて他の教授も同様のアンケートを
取ったほどである。ただし、これらは各教員単位での話で、大学なり
学科が学生の意見を聞いてみるようなことはついになかった。
私はそれで卒業して群馬に帰ったが、2年後に英知大学はとりあえ
ず英文科の大学院を立てた。実は、私にも卒業するときに話が何度か
来た。英文に転向し、1、2年待って、大学院に入らないか、と。その
話を前述の「社会調査法」の先生に相談したら、言下に「よせ! やめ
ろ!」と言われた。私自身、現実的・将来的な話とは思えず、仏文を
捨て英文に転向する気はさらさらなかったので、本気で考えるまでも
なかった。――ただ、今考えると、この頃から何か見失い始めたのだ
と思う。この「社会調査法」の先生は、以後の英知大学の狂騒によほ
ど嫌気がさしたのか、呑気にノホホンとして、母校と付き合い続けて
いる私にまで三行半を突き付け、数年後に他の大学に出て行ってしま
った。
卒業して4年目だったか、学生会館をつぶしてタワービルを建てる
と聞いたあたりから、私は母校の施策に納得いかないものを感じ始め
た。
学生会館といっても、オンボロ大学のこととて、旅館の大部屋程度
しか広さはなく、そこに壊れかけた長椅子と安っぽいジュースの自動
販売機しかない。しかも女子学生は寄り付こうとしないほど、汚なら
しい建物。二階建ての建物だが、あまりに汚いので、私たち男子学生
でも二階に何があるのか見に行く勇気がないほどだ。その自動販売機
でオレンジジュースだかを買ってきて、長椅子に座っている友人に差
し出し、「あのさぁ……チマちゃんのあの性格、なんとかならんかね
ぇ??」などと話をしていた。
そこをつぶして、12階建てのやたらに綺麗なタワービルを建てたと
いうのである。その年、タワービル完成を自慢する恩師、教職員から
の年賀状を何枚もいただいたが、私はあのタワービルが気に入らない
ので、その年賀状一枚一枚に、「今年の初夢は、そのタワーをキング
ギドラかガメラがずたずたに破壊する夢を見ました」などと、なんと
も厭味な返事を書いた。今も私はあの建物が大嫌いなのだ。そんなに
人数もいない、さして面積が必要な研究、授業をしているわけでもな
い大学に、なんでこんなバブル期のような箱モノが要るのか、全く理
解できない。それで理由を訊くと、「時代の流れ」「(大学)延命のた
め」と来る。私に言わせれば、そんな箱モノで虚勢を張ろうという神
経は実際にはどこの馬の骨にでも冷笑・侮蔑を誘うしかないのであっ
て、そんなことより、例えば図書館を拡充して、当時もかなり持って
いた宗教・古典哲学関係の西洋文献を一般市民、アマチュア研究者に
も利用できるようにすることのほうが、よほど大学の存在意義を認知
させ、よほど「延命のため」だと思った。はっきりそう言ったことが
ある。現場サイドは大賛成なのだが、首脳部は耳を貸すことすらしな
かった。
そもそも、「さすがにこんな大学名はないよ。改名して下さいよ」
と私がいた頃、あるいは諸先輩方の頃から再三再四、口が酸っぱくな
るほど言い続けてきたのに、「改名する費用がいまはない」と同じ理
由で突っぱねてきた大学が、突然こんな建物を建てたのである。開い
た口が塞がらなかった。建設費の総額はいくらだ? 何億払って、あ
の建物を建てた? それが一体どこから出てきた?
ちょうどその頃だった。タワービルなど建てたその裏で、異様な文
章が卒業生に郵送されてきた。たしかその文書というのは「兄弟、親
戚、知り合いに英知大学に入りたいと興味をもっている方がいれば、
リストを作って送ってください」といった内容だったはずである。
「だったはずである」というのは、一読するなり「バカか!」と叫ん
でチリ箱に捨ててしまったため、いま私の手元にないためである。見
境のない知名度活動。そんな広報活動より、英知大学の魅力を作るた
めにもっとやるべきことはあるじゃないかと、カンカンに怒った。
なんというか、魅力ということと知名度ということを別個に考えた
ほうが良いのかも知れない。魅力があれば知名度が上がるが、知名度
が上がると魅力が生まれるとはかぎらない。自分たちの魅力が何なの
か、どこに存在意義があるのか突き詰めて考えない以上、いくら首脳
部が見境のない広報活動をしても一向に知名度は上がらず、全て金の
無駄遣いで終わった。
念のために言っておくが、当時の英知大学に全く魅力がなかったわ
けではない。教職員を親と慕い、学生を子と思う気風はまだ残ってい
たし、今道友信先生が自伝の最後に英知大学を「やっと落ち着いて研
究できる環境を与えられた」と喜んでおられるのは、何も上等の本棚
と上等の椅子を用意してくれたとかそんなことではないはずだ。英知
大学に何かしら魅力を感じられてのことにちがいない。そして、それ
は今道先生ご自身もそうだった。
私たちよりはるかに上の一流大学を卒業し、サラリーマンとして活
躍されていたある方が、40近くになって、尊敬する哲学者・今道友信
が近隣で講義していると知り、会社を辞して、今道先生に師事せんが
ために英知大学大学院に入学してきた。その方から見ればどうしよう
もない三流大学だったであろう。しかし魅力とはこういうものだ。知
名度やブランドがなくても人を惹きつける。自分たちがどんな鉱脈を
秘めていて、もっていた魅力をどう生かし磨いていくか真剣に考えて
いれば、英知大学も今回のような事態に立ち至らなかったであろ
う。
今道先生が担当した講座は退官後の現在、講師か助教授に昇格したそ
の教え子の方が引き継いでいる。
もちろん、根拠のない広報ばかりしていたわけではなく、自分たち
の魅力を広める努力を当時の英知大学もしていた。この頃から、急に
資格講座の数が増えた。コンピューターから図書館司書、はては鍼灸
師の資格講座まで開設された。私個人としてはこれらの動きには賛成
で、就職活動にも役立つだろうし、社会的にも大学の存在意義を高め
ることになるだろうと思っていた。ただし、これにも問題がないわけ
ではない。
資格講座を開設するために、かなり高価な用具を必要以上に購入し
たり、教室も工事した話も聞いている。今回mixiで知ったことだが保
母さんの資格講座開設のために高いピアノを何十台も購入したらし
い。それが必要というなら多少の出費は致し方ないだろうが、あんな
豪華な箱モノを建てた後に「必要以上」の投資というのは常軌を逸し
ている。そもそも、これらは大学にとって枝葉のことなのであって、
本業の学部大学院の授業をしっかりしなければ話にならない。
しかし、この頃の英知大学は、本業が迷走していたような気がして
ならない。端的にそれを示しているのは、学科構成である。
〜1993 神学科 英文科 西文科 仏文科
1994 神学科 英文科 西文科 仏文科 国際文化科
2004 人間科学科 英文科 国際文化・言語科
(西語、仏語、アジア研
究コース)
2008 人間文化科 多文化共生学科 人間発達科
学科
年々名前が立派に変われば変われほど、何をやっている学校なのか
わからなくなっていく。最後の方は「共生学科」だそうだが、これで
は何を教えているのか、私ですら見当がつかない。その、何をやって
いるのかわからない学校に、自分の子供を入学金を払って預ける親な
どいるだろうか。どうして、そんなことに気がつかなかったのだろ
う。
それもこれも、「時代の流れ」「延命のため」と尤もらしい理由を
つけていたが、そんなマスコミ文句を弄っている暇があるなら、そん
なことより先に、この大学の本質が何なのか議論して、そのうえでど
ういう方針でいくのか、はっきりさせておくべきではなかったか。
この頃――だいたい10年前のことだが、同窓会の会報に一度、提言
めいた一文を投稿しようかと考えたことがある。
英知大学の不幸は知名度なり少子化よりも、各階層の意見が噛み合
わないことにある。「教授陣」「在校生」「卒業生」が互いに分離
し、教授陣は「在校生、卒業生はもっと出世しろ」、在校生は「教授
とOB、OG、手を差し伸べてくれ」、卒業生は「残った者でなんとかし
ろ」という風に、相手がどういう現実を踏まえ、何を考えているのか
顧みず、ただただ「お前がなんとかしろ!」と言い合っていることに
ある。そんな抽象的な言い合いはもう辞めて、互いに相手の抱えてい
る事情を尊重しながら考えに耳を傾け、そのうえで「こことここは非
現実で無理だが、ここの部分は我々も何かできそうだ」と建設的な議
論をしようではないか。おおよそ、そんな内容だった。
まぁ、今から考えてあまりに幼稚で投稿しなくてよかっただろう。
教授陣よりたちが悪いのは経営陣で、教授会で一致した意見もなかな
か実現しにくかったのではないかと、今では考えている。もともと、
カトリック教会は派閥争いの激しいところで、学内でも対立が激し
く、なかなか動きが取れなかったのではあるまいか(そんななか、一
人超然としていた多田先生は、やっぱり凄かった)。
お声がかかればいくらでも書くつもりでいたが、私の小文はついに
掲載されることはなかった。――卒業生の一人として今悔いているの
は、この10年ほど前に卒業生全員が本気になって怒っていれば、今日
の事態は防げたかもしれないことである。それが悔やまれ、在校生や
真面目な教職員の方々にほんとうに申し訳なく思っている。
私の小文はついに掲載されることはなかった。――事態はそれ以上
悪化していた。投稿しようかという矢先、財政悪化を理由に大学は同
窓会への資金援助を打ち切った。連絡ハガキすら出せなくなった同窓
会は数年にわたり活動停止に追い込まれてしまった。
つづき http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1199674933&owner_id=1898392
母校・英知大学の破綻について(3)
箱モ箱モノを建てている裏で、この施策である。同窓会誌休刊の知ら
せを手にしながら、「これはそのうち大変なことになるかもしれな
い」とゾッとした。こういう目立たない部分を大切にしなければイザ
という時に誰も助けなくなってしまうだろう。そして、ここまで目先
の「延命行為」(長期的には「自殺行為」)に突っ走る母校に、私です
ら失望した。実際、この活動停止期間に卒業生の気持ちは母校からど
んどん離れていった。数年後に、同窓会はどうにか活動を再開した
が、比べ物にならないくらい生気を失ってしまった。
母校から気持ちが離れていったのは、卒業生だけではなかった。教
職員も気持ちは離れていた。この10年の間に、私が大好きだったクセ
のある名物先生はゾロゾロゾロゾロ辞めていった。沈む船から鼠が逃
げ出すようなものである。「社会調査法」の先生は私にまで三行半を
つけて辞めた。一緒にお酒を飲んでいた英文科の先生はほとんどいな
くなった。最後まで我々にパワーを見せつけてくれたフィリピン学の
先生すら、いつの間にか大学を去って行った。その一方で、昔の大学
を知る高齢の先生方は次々に退職され、前述の岸学長や多田智満子先
生のように、ほどなくして亡くなられた方もいる。
入れ替わって入ってきた教授陣は、訳のわからない落下傘部隊だっ
た。上智だか米国何とか大卒だか知らないが、英知大学が何なのかわ
かっていない、いやそれ以上に、わかろうともしていない連中だっ
た。過去の英知大より自分の思いつきのほうを信じて疑うことのない
連中だった。
大学院を建てた頃からこの大学にアジア関係の教授、学生がやたら
に増えてきた。「今度、英知大が学生に博士号を初めて与える」とい
うので、「へぇ、どんな学生ですか?」と訊いたら、インド人だとい
うので腰が抜けたことがある。私がいた頃、わざわざ日本の英知大に
留学してきた人など、ほとんどいなかった。
もともとヨーロッパ外国語教育しかしていなかったはずの大学が、
どうしてこんなにアジアに目を向け始めたのか、学問レベルでは全く
理解できなかった。私自身は、領域を広げることには賛成だが、それ
は昔からあった学科を活かすような方法でであった。具体的には、せ
っかくスペイン語学科があるのだから南米に目を向けていいと思った
し、仏文についても旧フランス植民地の文化など今後伸びるかなと考
えていた。しかし、実際に増えたのはアジア関係の講座で、(カトリ
ック系大学なのに、なぜか)中国人留学生が増えていった。
学問的レベルで私はいまだにこの選択が理解できない。別にアジア
研究が悪いということはない。問題は、ヨーロッパ、特に宗教文化の
研究で一定の役割を果たしてきた大学に、アジア研究、特に現代中国
社会論を接ぎ木しようとしても成功するかということである。しかし
ながら経営のレベルではお察しがつくだろう。入学金・授業料を払っ
てくれる留学生目当てであることは見え見えだ。
歴史を無視したところでの発想は、大抵は凡庸な思いつきでしかな
い。凡庸な思いつきが英知大の歴史のうえにいくら接ぎ木しても、そ
れは付け刃でしかなかった。
これもツケ刃的施策だったのだろうが、この頃、まるで右翼団体の
ように傘下の「研究所」がやたらに乱立していった。
ここ五年ほどの英知大学は、根拠を欠いたツケ刃的施策がなお一層
加速していった。その最たるものが「聖トマス大学」への改名であ
る。
私たちも在学時「エッチ大学」という名前が恥ずかしく、「校名を
なんとかして下さいよ」と事あるごとに口にしていた。ところが44年
間変えなかった校名が、突然2007年5月「聖トマス大学」に変わっ
た。この改名の理由は新聞報道では「エッチ大学と蔑称されないた
め」とか、「(ポルノ本ばかり出していた)英知出版と混同されないた
め」とされ、wikiでもそう書かれている。しかしこれは嘘、少なくと
も表面的な理由にすぎない。「エッチ大学」の件は学生に言いすぎる
くらい言われてきたのに、大学はそれまで44年間全く無視していた。
「英知出版との混同される」など嘘であることは、ちょっと調べれば
わかる。英知出版はその2年前にポルノ出版物から足を洗い、改名の2
か月前には東京地裁に自己破産を申請している。
では、何が狙いだったのか。
留学生である。
イギリスに本部がある聖トマス・アクィナス大学国際協議会という
ものがあり、世界で6校加盟しているらしいが、その支部になれば相
互で留学生を受け入れられるのだ。ただし、条件があり、本部校以外
の各大学は「トマス・アクィナス」を校名に入れなければならないの
である。――わかりやすく言えば、留学生を得んがために名前を売っ
たのである。
それで留学生が来たのかわからないが、おかげで英知大学を知って
いる人にすら「聖トマス大学って新設校?」と言われるように、あれ
ほど気にしていた知名度が一気に低下した。
(というか、こんなネーミングがあるか。私ですら、英知大学のほう
がまだカッコいい。 はっきり言って、今の経営陣、首脳部はセンス
がない!!)
昨年、カヴァフィス伝共訳を出した私は尊敬する恩師に報告するべ
く、神戸長峰山に眠る多田先生の墓に詣でた。翌日、14年ぶりに母校
に立ち寄った。それは日記にも書いたが懐旧の情に満ちた、ほんとう
に実のある訪問だった。しかし、寂しさも感じないわけではなかっ
た。学生も、卒業生もいなかった。入学式前日だったので仕方なかっ
たのかもしれないが、私が学生だった頃には信じられない光景だっ
た。家より大学が居心地のいい学生や卒業生が、春休みでも夏休みで
もたくさん歩いているものだった。
出迎えた教授は「聖トマス大学になって、これから伸びる」と何度
も言っていた。口では「それは素晴らしい」と私は言ったが、教授が
本当にそう思っていらっしゃるのか、心中複雑だった。そのうえ、昔
私と仲が良かった「クセのある」先生がたの悪口を再三聞かされた。
昔は一枚岩に見えた教授陣がこんなことになってしまったのか、と悲
しかった。懐旧の情に浸れたのはよかったのだが、私の頭のなかの英
知大学「われらが巣屈マレンピア」は頭のなかだけのもので、もう現
実にはないのだとしみじみ感じた。
つづき http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1199681771&owner_id=1898392
母校・英知大学の破綻について(4)
私はここ数年同窓会報をほとんど真面目に読んでいなかったのでwiki
で知ったのだが、去年頃の同窓会報で、着任したばかりの(つまり落
下傘部隊)現・小田学長はすごいことを書いていたらしい。「梅田に
近い中津に新キャンパスを2011年に作る」、「東京千代田区平河町に
衛星中継による授業、サテライトスタジオを作る」。昔の英知大学を
知らないせいか、知ろうともしないせいか、落下傘部隊はやたらに大
きくすれば大学がよくなると信じていたらしい。今もまだそう信じて
いるのかも知れない。
去年の同窓会報で一つだけ覚えているのは、冒頭に「一時はどうな
るかと危ぶまれましたが、2013年4月の開学50周年をどうにか迎えら
れそうです」と、報告されていたことである。どういう根拠なのかわ
からないが、めずらしく謙虚な口調での報告なのでたぶん嘘ではなか
ったのだろう。しかし、それから1年もたたないうちに英知大学は
2013年3月での閉学を発表した――だとしたら、誰かに大学は存続で
きると騙されていたのか?
それからほどなくしておきた、元学長・井上博嗣神父の猥褻罪逮捕
は予想外の出来事だった。感情的に流されてしまい、「井上学長!ど
うしたんですか!」と叫びにも似たことを日記に書いてしまったが、
今、井上学長を一時とは言え信じられなかった自分を恥じている。そ
のうえ、マイミクの方にまで誤解と心配を与える結果になってしまっ
た。まず、この点をこの場で心から謝罪したい。
確証はないが調べれば調べるほど、井上学長逮捕劇(警察は立件で
きなかった。事件ではなく劇)は、個人の痴情などはるかに超えた腐
臭の匂いが立ち込める出来事だった。
確かに、紳士を絵にかいたような優しい井上学長が猥褻罪で逮捕さ
れたのには私も驚いた。しかしそのうち、何かおかしいことに気がつ
いた。全ての情報がある一か所からしか出ていないのだ。その一か所
からの通報をもとに警察は井上学長を逮捕し、その一か所からの情報
でマスコミは報道した。ところが警察が調べても、全く何も出てこ
ず、一週間後には証拠不十分で釈放になった。2月以降、マスコミが
この件で報道しないのはそのためである。つまり構造としては、その
一か所のみがこの件の情報を出しており、そこが嘘をついているとな
れば事件全体が嘘、巨大な冤罪事件になってしまう。
その一か所とはどこか。
大阪カトリック教区である。
念のためにいっておくが、確証はない。男女間のことは当事者にし
かわからない面があり、井上学長自身の直接の発言も一切出ていな
い。しかし、そのことがおかしいのではあるまいか。事件発覚以来4
カ月もたつのに、井上学長自身の肉声が一つも出てこないのは異様で
ある。
では井上学長は釈放後の今、どこにいるのか? 釈放後ただちに大
阪カトリック教区により、姫路市にある聖職者専門のアルツハイマー
患者収容施設に「静養入院」させられているらしい。
大阪と埼玉のカトリック教区は全国的に評判が良くなく、近年急速
に左傾化しているらしい。井上神父はごく良識的な中道派なので、
「粛清」されたとしても理由のないことではない。
しかし……これは下衆な私の勘ぐりなので、もしそうだとしての仮
定の話で聞き流してほしいが……「粛清」したい対象者を傘下の精神
病院に隔離・軟禁するというのは、サハロフ兄弟とかパラジャーノフ
の例を引くまでもなく、ブレジネフ政権下のKGBがよく使っていた手
である。しかし、それを2009年の日本の近畿地方で実行した団体があ
るということか。勘ぐりとはいえ、その想像に私は背筋が凍った。
くりかえし言うが真相は当事者二人にしかわかるまい。井上学長が
真相について直接説明する機会を与えられず、黒幕を名指しすること
は永久にあるまい。私はカトリックに詳しくないが、カトリックの教
義では身に降りかかった不幸について弁解するのはよしとされないら
しい。そうでないとしても、井上学長の性格からして永久に沈黙する
だろう。他人を罵ることより、この不運にも神からの意味があると言
い聞かせ、じっと祈りながら黙って耐えるほうを井上先生は選ばれ
る。井上学長と無礼な酒飲みをしたり、一緒にボタン鍋を食べた者と
して、そういう方だと言い切れる。
それにしても、ここまで思い当たったところで、私がどうしても思
い出さずにいられなかったのは、大学時代、橋のたもとで言っていた
先輩の冗談だった。「カトリック教区がなくなったら、うちの大学は
たいへんなことになるけどね」実際のところ英知大学はカトリック教
区からの援助で運営されており、そこを打ち切られたら即破綻してし
まう。教区が元学長を逮捕・軟禁させたとすれば、井上学長が育てた
英知大学を援助支援するはずがない。ましてや、数々のツケ刃的施策
の一つも成功していない大学である。「英知大学が破綻閉学を発表す
る日がいつか来るのではないか」
しかし、もちろんそれがたった4カ月後に来るとは予想外だった。
聖トマス大学の募集停止の発表は6月6日に行われた。
赤字が20億円にもなり、これ以上存続できない。入学募集を打ち切
り、統合などを模索する、というものだった。唐突な発表だが、卒業
して15年以上たつ私のもとには今のところハガキ一枚来ていない。お
そらくハガキを出す予算すらないのだろう。関東や北海道、九州の卒
業生には、母校が消えることを知らない卒業生が多いのかも知れな
い。
もちろん私は統合なり、再編によって、なんとか存続してほしいと
願っている。しかし、十中八九不可能だろう。よく考えてほしいが、
統合なり再編の具体的可能性があるうちに、借金の総額を公にするは
ずがない。そんなに難しいことを言っているのではない。ある程度恋
仲になって「実は私には多額の借金があるのですが、こんな私と結婚
してくれますか?」という相手と、いきなり「私は借金まみれです。
人助けと思って結婚して下さい」という相手、あなたならどっちを選
ぶ?
はっきり言えば「これ以上戦う気はない」と婉曲に言っているとし
か思えない。こんな馬鹿丸出しの会見をよくもやれたものだと腹が立
つ。群馬から尼崎まで行って学長に「てめぇ、やる気あるのか!!」と
本気でぶっ飛ばしたかった。
こんな奴の左に懐かしい西文科の黒い髪をしたY教授が、申し訳な
さそうに身が縮めて座っていた。今の教職員名簿を見てみた。なんだ
かわからない落下傘部隊ばかりだったが、当然のことながら英知大学
時代からの古参の教職員も残っていた。実直な先生ばかりで、おそら
く「言うことを聞きそうだから」と職を背負わされたのだろう。この
先生方は被害者だと思う。留学生を含めた在校生全員には実人生に関
わる問題だから、なお一層の被害者、最大の被害者である。
それに比べればとは思うものの、この大学に思い入れを持ちながら
退職・転任された先生方、私たち卒業生も少なからず被害を受けてい
る。かつて英知大学がどれほど愛されていたか知る者として、ショッ
クを受けた先生の誰かが体を壊さないか、「なんとか存続しろ」と誰
か卒業生が校門の前で切腹しないか、私はハラハラしている。知らな
い人間は冗談だと思うだろうが、かつての英知大学はそれほど愛され
ていた。
しかし、報道から数日たつうちに、平手打ちをくらわせに群馬から
尼崎まで電車を乗り継ぐほどの価値もこいつらにないことに気づい
た。
報道を知ってからいたたまれない私は一切この件のニュースを見て
いなかったのだが、この記者会見で学長が破綻にいたった理由につい
て「少子化とともに、それにもかかわらず政府が大学数を増やしたた
め」と説明したらしい。
もう終わった、と思った。正確には、もうすでに終わっていたのだ
と思った。
「われらが巣屈 マレンピア」英知大学の精神といったものは、大学
執行部にさえ微塵もなくなっていたのだ。英知大学があった頃、もし
も私がこんな発言をしたら、どうなっていただろう。「フォリオ君!
責任転嫁なんかみっともないよ。男はあんなことを言ってはいか
ん!」と、複数の先生あるいは職員が親のように説教してくれただろ
う。それが英知大学の教職員だった。「フォリオはん、アカンて。あ
の発言はカッコ悪いって」と同窓生たちが兄弟のように諭してくれた
だろう。それが英知大学の学生だった。あいつらには英知大学の精神
といったものはまるで感じられない。
実際、聖トマス大学はもはや誰からも愛されていなかった。この文
章を書くために友人にメールを出したり、電話をしたり、各ブログを
読んだ結論だが、卒業生で聖トマス大学に同情している者は一人もい
なかった。私たち卒業生が嘆き、悲しみ、腹の底から慟哭しているの
は、かつて偏差値は低くオンボロで小さかった母校、英知大学がなく
なることだった。そして口々に言っていることは、英知大学は英知大
学のままでよかった、小さな語学のみの学校でよかった、よほど健全
で存在意義があった、魅力的だったということだった。定員500に100
人しか来ないなら、その100人でできる自分たちの最高の教育を施せ
ばいい。定員100人に50人しか来ないなら、その50人でできることを
考えればいい。それでとうとう0になってしまったとしても、何を恥じることがあろうか。
私も振り返って、そう思う。少なくとも、よほど健全だ。
皮肉にも、大学淘汰時代突入のなか真っ先につぶれたのは、私たち
の母校だった。ただし、ここまで読まれた方は理解されるだろうが、
「時代の流れだから当然」というのは理由にはならない。内実は「時
代の流れ」ではなく、「時代の流れ」という言葉に踊らされた揚句、
自分たちの精神を失い、何を何のためにどう教えるべきか見失った帰
結が、この事態である。
(だいたい「時代の流れ」などほんとうに見通している人は何人い
るのだろう。現代的なるものが、なんと同時代とずれていることか、
あとから気づかされて愕然としたことのほうが多いのではないか。そ
のあたりの謙虚さをあの大学経営陣は持ち合わせていたのか、今は悔
やまれてならない)
そのうえで、具体的な対応とまでいかないが、卒業生としてどうい
う心構えをするべきか、少し考えてみよう。まず、現執行部は一切頼
りにはするまい。怒りから言っているのではなく、冷静に考えて信用
はできない。新キャンパスを作るだの、衛星回線授業だの言っておき
ながら(おそらく、就労目的の留学生への便宜だったのだろうが)、
翌年度早々にはいきなり借金20億で募集停止などと言い出す連中を、信
じられるか。人をだます悪意が彼らにあるか、ないかの問題ではな
い。おそらく自分たちでは何一つ約束事が果たせない状態に陥ってい
るのだろう。「今いる在校生を卒業まで絶対にちゃんと面倒を見ろ」
それ以外、私から現首脳陣に言うべきことはもはや一つもない。
仮に大学が統合などで存続できるなら、ぜひそうしてほしいし、キ
ャンパスが残ってくれることを私も祈っている。あのキャンパスが更
地になった姿など見たら、私などきっとその場で発狂するだろう。
しかし、これについては望み薄だと言わざるを得ない。20億の借金
を抱え込む別の大学などほとんどないであろうし、土地を転売して赤
字を埋める方が経営母体にとっても得策だろう。
むしろ今現実的にまず考えることは有形の遺産の保全より、無形の
遺産の保全ではないだろうか。残された英知大学の精神といったもの
を、なんとか続いていくことが私にとって今、集眉の関心である。た
とえば、さすがカトリック系大学というべきか、かなり高いレベルに
達していた生命倫理に関する研究の継承先も考えねばならない。
確かに現代は「人間なんか考えていたらオマンマにもありつけな
い」時代であるが、だからこそ今この時、倫理を、生命を、あるいは
人間を問い直そうというのが、英知大の教育にはあったし、他にはな
い魅力だったと思う。だから、「死に対してどう向き合うか」という
命題を20年以上練り直してきた高木慶子教授の「死生学」、「グリー
フ(悲嘆)のケア」については国の内外で注目されている。
http://www.asahi.com/kansai/kokoro/kataruhito/OSK200902130021.
html
4月に開設された「グリーフケアの研究と専門家養成を兼ねた機関」
グリーフケア研究所が出来てから、わずか2カ月でこのような憂き目
にあったことは大打撃だろうが、この移籍のために何かできることは
ないか、私ごとき者でも考えてしまう。もちろん、英知大学の精神、
英知大学の魅力は卒業生、在校生各人各様にあげることができるだろ
う。それらを保全延命する道を探していこう。
そのうえで究極的には、卒業生が英知大学で学んだことが英知大学
の精神であり、遺産であるのだから、各人それをさらに豊かに広げる
こと、自分の本分をこれからも尽くすことが英知大学の名を残すこと
になるのではないか。私たちの母校が聖トマス大学という教育史の汚
点で終わるか、英知大学という教育史の伝説になっていくのか、私た
ち次第である。
繰り返し言っておくが、英知大学が閉鎖されるのは時代の必然では
ない。避けようとすればいくらでも避けることができた事態である。
所在地すら知らない「ひょー論」が仕事をこなすために、そういう安
易な図式を振り回しているようだが、「バブル期、高度成長期に乱立
した大学はつぶれる」という運命論はまやかしである。だいいち、英
知大学がバブルに踊ったことなど一度もない。90年代中ごろになって
も、廊下を山羊が歩いていたり、ゴキブリ入りの味噌汁が出てきた話
は冒頭に書いた。マネーの「マ」の字も、当時はなかった。
高度成長期は一層過酷だった。大学図書館ができるまでに12年を要
した。学生寮がないため、修道女さんらは大学の教室に寝泊まりして
いた。「お前の大学は学園紛争が一つもない。あんなのは大学じゃな
い」とさんざん揶揄されたが、それどころじゃなかったんだ。みんな
必死だったんだ。。。当時の先輩から、そんな話を聞かされたことが
ある。そういうところから大学の精神といったものを編み出してきた
全ての先輩方に、私は感謝したい。そして、今の今までその精神を守
ってきた、留学生を含めた後輩、在校生にも感謝したい。
まやかしの運命論の下に隠された思惑、狂騒、腐敗は、他の大学、
あるいは会社、組織でも十分起こりえることだろう。マスコミはこん
な小大学を詳しく取り上げないだろうが、何かしらここには教訓とな
るものもあるかもしれない。日頃は愚痴ばかり飛ばして、友人限定の
日記なのだが、この日記だけはしばらく一般公開にしておく。
それにしても、私の衝撃は激しかった。多田先生の訃報にも匹敵す
る衝撃だった。こればかりは、どんなに言葉を尽くしても誰にも理解
できまい。
関東でこのニュースはほとんど取り上げられず、私が知ったのは4
日後のmixiニュースだった。信じることができず、泣くにも泣けず、
ほとんど何も考えられなかった。午後に夏祭りの会議などあったが、
心ここにあらずといった顔でずっと出席していた。「なんで、こんな
ニュースを聞かされた日に私は会議なんかに出ることができるのかし
ら」と、ボーと考えていた。しかし、夕方会議が終わると堪え切れ
ず、家とは逆の山の上まで車で登った。
この一年、私は自分の寄って立つところの物をどんどんどんどん失
った。体を支えていた支柱を一本一本抜き取られたかのように、前に
進むどころか自分の身を守ることさえままならなかった。そんなと
き、こんなに大きな損失を受けるなど、もう恨みにも罵りにもならな
かった。言葉にすらならなかった。誰もいない山頂で車から下りる
と、もう立つ力さえなく、その場で四つん這いになって「わー」だか
「うぉー」だか、意味のわからない叫び声をあげて慟哭した。
たぶん、どれほど私の悲しみが深いのか、他人にはわかるまい。何
を言われようが、この穴は一生埋まることはないだろう。
全てが許せなかった。もはや特定の個人も、団体も突き抜けた怒り
に拳が震えた。
私たちの思い出を、私たちの願いを、私たちの想いを、屈辱ととも
に汚し、粉々に打ち砕いた邪念を私は一生涯、絶対に許さないと誓っ
た。
2009-06-17 22:37
|
記事へ |
コメント(20) |
トラックバック(0) |
|
キリスト教 カトリック |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/900/
兵庫県の聖トマス大が募集停止
「学校運営が困難」
2009年6月6日(土)19:11
共同通信)
兵庫県尼崎市の聖トマス大学は6日、入学志願者の減少を受け、
来年度以降の学生募集を停止すると発表した。経済不況や外部環境の
変化によって「健全な学校運営を維持することが困難な状況となっ
た」としている。聖トマス大学は家族などを亡くした「グリーフ(悲
嘆)」を学ぶ公開講座を開設していることで知られ、尼崎JR脱線事
故の遺族やJR西日本の社員らが受講している。
聖トマス大、来年度以降の学生募集停止 尼崎
2009年6月7日(日)11:54
尼崎市の聖トマス大学を運営する学校法人英知学院
(森田和一理事長)は6日、少子化などに伴う出願者の減少で
定員割れが続いていることを受け、2010年度から新入生の
募集を停止すると発表した。
今年4月に入学した1年生が卒業するまで運営を続けるが、
長期的方針は未定という。
少子化により進学希望者の「大学全入時代」を目前に控え、
私立の短大や大学は存続の危機に立たされており、
大学運営の厳しい実態が明るみに出た。
同大学はカトリック系で、1963年、英知大学として開学。
2007年5月に改称し、現在は人間文化共生学部の3学科と
大学院合わせ、568人が在籍している。
この日午後5時から、森田和一理事長、小田武彦学長ら4人が
会見。定員割れは2000年度から続いており、3月末現在、
約20億円の赤字を抱えているという。
04年度には5学科を3学科に減らし、定員を1学年250人に
絞ったが、入学者は08年度は78人、09年度は110人と
定員を大幅に割り込んだことを踏まえ、
5月28日の理事会で募集停止を決めたという。
小田学長は「大学は継続してほしい」と述べ、合併も視野に
検討することを示唆した。
この日午後1時から保護者と学生を対象に説明会を開いたほか、
8日も学生と保護者に経緯を説明するという。
説明会に保護者ら80人 聖トマス大募集停止
2009年6月8日(月)11:11
少子化による定員割れに伴い、2010年度からの新入生募集
停止を決めた聖トマス大学(尼崎市)は7日午後も、保護者と
学生を対象に説明会を開いた。
同大学によると、説明会には80人が参加。大学側からは、
運営する学校法人の理事長や学長ら6人が出席した。
保護者からは「在学生の面倒をきちんと最後まで見てくれるのか」
といった不安の声が寄せられたほか、「授業料は変わらないのか」
「授業は今まで通り行われるのか」「留学を考えているが可能か」
などの質問が出たという。
これに対し大学側は、在学生が卒業するまで運営を続けるほか、
授業料や授業などには変更がないことを説明。会は約3時間で
終了したという。
同大学は8日も学生を対象に事情を説明し、個別相談に応じると
している。
************************************************
2007.05.27に 「英知大学」という名前から「聖トマス大学」
という名称に変更になったのですが・・・・・
◆“共生”を柱に学部改革スタート
■海外42大学と提携、留学も簡単に
英知大学(兵庫県尼崎市)が「聖トマス大学」に名称を変える。5月に正式発表のセレモニーを行い、2008年度から学部・学科も“共生”を柱に改組して改革のスタートを切る。
***********************************************************
ここからは、おつるの考えなのですが・・・
英知大学時代は、カトリックの大学として神学部のある大学として神学を学べる大学としての認知度も高い大学でした。
この大学では
以前、無実であるにも関わらず 何か闇の勢力に嵌められたように
罪に問われ、でも結局は晴れて不起訴処分となって釈放された
大阪教区の聖なる神父様が1985年4月から9年間,2004年まで学長を務めました。
また 私の通う カトリック箕面教会の聖なる神父様
和田神父様も2005年までは、この大学の神学の教授でした。
その頃は、今ほどの 経営の悪化は無かったということでしょう。
2004年、2005年、聖なる井上神父様や和田神父様がこの大学を去り、
「共生」という左翼用語の名のもとに
2007年から
大学の改革がはじまった。
「神学部」がなくなり 2008年4月からは
左翼用語、日教組がよく使う言葉のついた学部
「共生」「多文化共生」の学部のみとなった。
(人間文化共生学部
多文化共生学科 人間発達科学科 人間文化学科)
そりゃ、今どきの高校生が行きたがるわけないやん
現在の学長は 小田武彦神父様
この方はリベラル思想の持ち主だけれど大学では独裁的だという説もあったようです。
また、中国の留学生の受け入れに 非常に熱心でした。
(小田学長は中国遼寧省を訪問しました.
小田武彦学長は2008年9月23日から25日にかけて、
中国瀋陽大学、中国渤海大学、中国渤海大学文理学院と
中国瀋陽学友外国語培訓学校を訪問し、瀋陽大学の王明友副学長、
渤海大学の秦秋田学長・・・・・・・・・・)
なぜ、カトリックの大学が、バチカンを認めない中国共産党
パチカンに従うカトリックの地下教会の信者を逮捕、拷問し
処刑している中国共産党、バチカンが否定する共産主義の中国に
熱心に訪問し、留学生を大量に受け入れていたのかも ・・・
意味不明です。
大学存続のためとはいえ、現在の学生の4割が中国からの留学生だとか・・・・・
この留学生たちの中にも 長野の聖火リレーの時に国から
お金をもらい、工作員として 動員され
日本人に暴力をふるい、暴言を吐いて、中国国旗をふりまわした人が
いるのでしょうか・・・
小田学長は、昨年度のカトリック正義と平和協議会全国大会 にも、参加されていました。
カトリック全国大会の前宣伝の北摂地区社会活動委員会勉強会
〜大阪教区シナピスのとりくみ
そして第34回正義と平和協議会・大阪大会にむけて〜に 、
カトリック正平教、大阪教区 シナピスの高畠神父様が
正平教と聖トマス大学の入学案内パンフレットを一緒にアピールをされていました。
正平教ともつながりが深い大学なのかなと思いました。
大阪市北地区の5つの小教区を廃止し 大阪梅田教会が建設され
そこでは聖トマス大学の社会人講座も開かれるということでしたが
・・・・
内部の詳しい事情は、わかりませんが・・・
カトリックの古き良き伝統、高尚な神学のイメージを捨て
リベラルな 「共生」改革し、
カトリックと相容れない、中国留学生を大量に入学させた事が
私は、この大学が つぶれてしまう 大きな原因では
ないのかなと思います。
少子化で、ただでさえ、どこの大学も経営難ではありますが
それに輪をかけて、方法論が完全に間違っていたとしか
いいようがありません。
少子化といえども、関西には次々に 私立の小学校ができ
この春 聖トマス大学にも近い、関学小学校の入学説明会には、3000人が殺到しました。
少子化だからというのは、いいわけで
魅力ある学校には、生徒は集まるという事例です。
関西、大阪の日教組の教育により
公立小学校の学力レベルが全国でも群を抜いて低いからです。
保護者たちは、そのあたりをしっかりと把握しているからです。
保護者たちは、左翼化した学校を嫌うのです。
また少子化の中でも
日本の人口の 0.4パーセントしかいないカトリック信徒
そんな中で、どんどん 左翼化、左傾化する私立大学に
希望者が集まるはずがありません。
カトリック学校教育委員会なんていう組織がまた 大阪教区主導で
できていますが・・・・
私は、この大学を誇りに思っている卒業生の方々や
現在、この大学で教べんをとっておられる
教育者の方々、職員の方々には 非常に同情してしまいます。
英知大学出身のすばらしい信徒さんはたくさんいらっしゃいます。
小田学長より
↓
日本における少子化の進行等の影響を受けて入学志願者が
年々減少し、特に近年は急激であり大学をめぐる教育環境が非常に
厳しくなって参りました。
聖トマス大学は、健全な学校運営を維持するために全学をあげて
さまざまな施策を講じ努力をして参りましたが、
このように厳しい環境に打ち勝つことができず、
入学する学生数の激減と昨今の経済不況の直撃によって、
将来にわたって教育研究を継続することが困難になってしまいました。
このような決定に至りましたことを深くおわび申し上げます。
2009-06-08 14:23
|
記事へ |
コメント(53) |
トラックバック(0) |
|
キリスト教 カトリック /
中国 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/892/
以前、北朝鮮のミサイル発射問題の時に
ネット上で 普段、平和、人権、憲法9条など叫んでいる
カトリック正義と平和協議会(正平教)が、抗議も出さないなんて
やはり、偏っている ・・・・・・・という批判が出だしたあわてて、抗議文書を出したために
なんの抗議にもなっていない不可解な内容
かつ麻生首相、金正日を連名にし、代表の松浦悟郎補佐司教の名前を隠して、事務局長名で発表するという異常さについて書きました。↓↓
おつるの秘密日記
北朝鮮ミサイル問題 カトリック正平教の異常な抗議文書 http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/article/780/
そして、そのミサイルの50日後に行われた、
2009年5月25日午前9時54分頃(KST)に北朝鮮によって行われた地下核実験 についても ネット上で
「まだ声明は出さないのか笑 今度も
事務局長名前か??笑 麻生首相宛てか? 笑」
と嘲笑の声がでていました。
そして、出されたものが こちらです↓↓↓
大倉一美神父さまは、東京教区、カトリック徳田教会ですね
*****************************************************
2009年6月3日
北朝鮮核実験に関する正義と平和協議会の声明
日本カトリック正義と平和協議会
事務局長 大倉一美
日本カトリック正義と平和協議会は、5月25日に
朝鮮民主主義人民共和国 (以下、北朝鮮)
による核実験とミサイル発射実験に対して、
東北アジアで生活をする人々の安全と生活を脅やかすものとして強く抗議します。
この実験は、北朝鮮に対しての国連安保理決議1718号や、
六カ国協議共同声明に違反するものです。
北朝鮮自ら公約に同意したにもかかわらずこれらを一方的に破り、
実験を強行したことは容認できません。
一日も早く六者協議に復帰して信頼関係を築き、
対話を基調とした地域安全保障の確立によって
自国の安全を目指すべきです。
核を保有することがあたかも自国を守る最大の武器であるという
誤った論理が広がりつつある中で、今回の核実験は
東アジアのみならず、世界に対して平和を脅かす深刻な緊張を与えました。
北朝鮮のみならず国際社会 は、
核兵器が戦争の抑止になるというような考え方とは決別すべきです。
抑止の理由であらゆる国が核を保持し始めれば、
人類は自ら破滅に至る道筋を作っていくことになるからです。
現在、すでに核保有国によって、あの広島、長崎に投下された
恐るべき原爆とは比べものにならない規模の核兵器が量産されています。
たとえ「自国を守るため」という理由であっても、
もし、本当に相互に核兵器を使用する事態が起こるとするなら、
それは当事国のみならず、世界が決定的に破壊される時でも
あるのです。
この世界からあらゆる種類の核兵器を無くし
ていくために、今後いかなる国も核開発をしないこと
と、
すでに保有している国々が歩調をあわせて核の完全廃絶に向けて
歩みだすよう求めるものです。
私たち 人間は、互いを愛し合い、
心から平和に暮らしたいと望んでおり、
この思いは国境を越えた人類普遍の願いでもあります。
この人間としての当然の思いが踏みにじられ、尊厳を奪われた
すべての戦争被害者に償うためには過ちをくり返さないことは最低の責任 です。
どんな理由
をつけても、無差別、大量殺戮兵器の頂点とも言うべき
核兵器を持つことなど、許されるはずはありません。
従って私たちは、北朝鮮による今回の核実験に強く抗議するとともに、
核を保有する国、核開発を試みようとする
すべての国に対して 、一切の核開発と保有を
放棄するよう強く求めます。
***********************************************************************
また、おかしいでしょう 、この文書↑
この下記のソマリアの海上自衛隊派遣反対の
松浦悟郎補佐司教名の抗議文書 と見比べれば違いがわかります。
↓
http://web.mac.com/jccjp/justice_and_peace/資料室_files/090313somaria.pdf
まあ、突っ込みどころ満載ですが・・・一部 突っ込んでみる笑
まず
@宛名がない
抗議文書に宛名がないということは、いったい誰に出してるって
いうんでしょう。 このホームページに一応、形だけ批判されないように載せてるだけで、実際に北朝鮮に送ってもいないのは、明白です
Aまたまた代表の松浦補佐司教の名前を隠して事務局長名
ということは、松浦補佐司教は、抗議に参加してない、
あくまでも北朝鮮とは、お友達だからと思われてもしかたないですね
チュチェ思想で金正日賛美の武者小路公秀氏に気つかってるのか
B朝鮮民主主義人民共和国
この名称は、諸説あるかもしれないけれども
北朝鮮を「朝鮮民主主義人民共和国」と正式国号で呼ぶのは何故?「民主主義」「人民共和」の理念も実体も存在しない専制国家北朝鮮、他の国々とは区別してまで特別な配慮をした名称。
拉致被害者支援法も「朝鮮民主主義人民共和国」の名称は使はず「北朝鮮」とのみ表記。
なぜ日本のマスコミも朝鮮民主主義人民共和国と呼ぶのかは
このページによると 朝鮮総連がらみのようです↓
http://mirror.jijisama.org/sonota.htm#kitatyousen
C自国の安全を目指すべきです。
まるで、北朝鮮を守るために提言してるんですよとでもいうような
北朝鮮の安全第一ですよとでもいうような・・・
D北朝鮮のみならず国際社会は
また、北朝鮮への抗議のはずが、対象をすりかえる
E今後いかなる国も
いったい、北朝鮮が核実験したことへの抗議に
なぜ他の国に対してメッセージを出す必要があるの?
F私たち〜戦争被害者に償うためには過ちをくり返さないことは最低の責任
また謝罪ですか・・・カトリックだったら、北朝鮮で残虐に殺されたり、弾圧されて今も監獄に入れられてる地下教会のクリスチャンのためにも 北朝鮮自身が過ちをくり返すなと抗議せよ。
G最後のしめくくりが「すべての国に対して」
いったん何の声明か 意味不明・・・・
H特別編、この正義と平和のホームページには
会長の肩書は、補佐司教なのに 「司教」になっています
みなさんも 間違いさがししてみてね クスクス笑
実際の声明文は、つぎたしのような切り貼りのような
段落も不揃いで稚拙なおかしな形式になっています。↓
http://web.mac.com/jccjp/justice_and_peace/資料室_files/%E5%A3%B0%E6%98%8E2009.6.3.pdf
カトリック正義と平和 協議会は 意味不明
恥ずかしい 声明文を出すなど もうやめて
カトリックのクリスチャンに 恥をかかすのは
ほんまに やめてね
↓
こんな カトリックの左傾化のおかげで
カトリックの
聖トマス大学が つぶれます
その記事について つづきを書きます。
カトリック正義と平和協議会の代表は こちら↓
会長:松浦悟郎司教
事務局長:大倉一美神父
秘書:長澤正隆
2009-06-08 10:31
|
記事へ |
コメント(17) |
トラックバック(0) |
|
キリスト教 カトリック /
戦争 /
北朝鮮 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/891/
今日 5/30は カトリック 聖人カレンダーでは
聖ジャンヌダルクおとめの日
この 5/30 午前8時10分 に
おつるの 20歳の娘に 赤ちゃんが生まれました。
おめでとう 3300グラムで 母子ともに めちゃくちゃ元気
あっかんべーしています
暴れてますっ
わたし お鶴ばあさんになってしもた笑
ちびつると
若いパパと
めろめろです笑
若いパパの美人のお母さんによく似てますー
娘にも似てるー
超 幸せです
娘は よく頑張りました
2009-05-30 10:14
|
記事へ |
コメント(24) |
トラックバック(0) |
|
おつるの日常 /
キリスト教 カトリック |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/877/
日曜日、カトリック箕面教会において
ミサのあとに ロザリオの祈りと 聖体賛美式が行われました。
大阪教区では、新型インフルエンザについてのメッセージが出されミサを中止した教会も少なからずありましたし、本来は24日に行われるはずの池永大司教様司式による
箕面 豊中 池田 日生中央
高槻 茨木 吹田 千里ニュータウンの 教会が
参加する 北摂大会、子供たちや新しく洗礼を受けた大人の堅信式も延期となりました。
北摂大会で私は オルガンの担当であり
また 母親の堅信式で 母はそのための勉強もしていましたので
とても残念でした。
和田幹男神父様は 和田神父様は もし
大阪教区全部、近隣の教会全部が ミサ中止になってもミサは続けると おっしゃっていました。
ただ、もちろんお年寄りや子供さん、病弱な方
もちろん感染の疑いのある方などは、ご自身で判断して教会に行くのをお休みすることを伝えるとおっしゃっておられました。
ヨーロッパで ペストなどか゛はやったときも
人々は祈りつづけミサがなくなることも信仰が失われることもなかったはずだと おっしゃっていました。
口での拝領もかまわないとおっしゃっていました。
ごミサの後の聖体拝領では、口での拝領をする信徒
私と相方と聖歌隊のお仲間は、和田幹男神父様のご指示に従い、列の一番最後に並び ご聖体を口で拝領しました。
ごミサでは パンフレットの答唄詩篇の47を
和田神父様の翻訳でご解説をなさいました。
和田神父様のご翻訳のほうが、パンフレットよりも しっくりと理解できました。
*********************************************************************
北摂大会が中止になったこの24日
そして カトリック箕面教会 主任司祭である 和田幹男神父様の
御提案で、この新型インフルエンザの蔓延について
聖体賛美式とロザリオの祈りをすることに なりました。
ロザリオの祈りでは、和田神父様がローマから持って帰られた
聖母マリア様を 聖堂に運び お祈りしました。
ロザリオの祈り
和田神父様の先唱
そして 後藤神父様の先唱 そして信徒代表の数名の先唱で
信徒が続いてお祈りしました。
続いて、聖体賛美式 おつるは オルガン担当をしました。
まず 入祭は
学者で和田神父様の先輩である東京教区の佐久間神父様が
おつくりになった「マリア様のこころ」
(これは、私と相方がお休みしていた時のミサで和田神父様がそのことについてお話されていたということを セバスチャンさんの日記で教えて頂いたので、私が聖歌隊に提案させていただきました。
佐久間神父様の司祭叙階50周年の記念ミサのお写真もセバスチャンさんに教えていただきました。http://blogs.yahoo.co.jp/pantaleon_don/4482564.html)
つづいて、 O SalutarisとTantum ergoの楽譜を全員に神父様が用意されていたので信徒全員で 歌いました。 すばらしい祈りの歌声でした。
おつるはオルガンを弾きながら 祈りました。
和田神父様は この聖体賛美式で
祭壇に向い、跪き、頭を床にすりつけて
土下座のようにして 深ふかと祈られ 神々しいお姿でした。
和田神父様は 昔から病気が世の中に蔓延したりした時や
悪魔払い、魔除けの時に使われた 詩篇のコピーもご用意され
全員で唱えました。
詩篇91(90) Qui habitat
至高者の隠れ家に住み・・・
まことにこのお方は 仕掛けた罠から、死に至る疫病からあなたを救いだして下さる
詩篇51 Miserere mei,Deus,secundum神よ、わたしを憐れんでください。
賛美の祈り
神は賛美されますように
神のみ名は賛美されますように
まことの神、イエズス・キリストは賛美されますように
イエズスのみ名は賛美されますように
イエズスのみ心は賛美されますように
イエズスの尊い血は賛美されますように
御聖体の秘跡のうちにおられるイエズス様は賛美されますように
なぐさめ主、聖霊は賛美されますように
神の御母、聖マリアは賛美されますように
原罪なしに宿られた聖マリアは賛美されますように
光栄のうちに天にあげられた聖マリアは賛美されますように
乙女であり、御母聖マリアのみ名は賛美されますように
聖マリアの浄配、聖ヨセフは賛美されますように
すべての天使と聖人によって、神は、賛美されますように
神父様や いろいろな信徒が 思いをこめて
祈願をされました。
最後に 「しあわせなかた マリア」を歌いました。
この次の日の 月曜日から
関西、北摂、阪神、神戸、大阪でたくさんの公立私立の
休校になっていた 学校は再開されました。
そして 関西の新型インフルエンザはほぼ終息にむかっています。
和田神父様の真摯な 祈りが 天に通じました。
2009-05-28 05:06
|
記事へ |
コメント(7) |
トラックバック(0) |
|
キリスト教 カトリック /
新型インフルエンザの謎 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/874/
中国が初めて核実験をしたのは、台湾問題 に絡んで東京オリンピックをボイコットし、その開会式にあわせての卑劣な行為でした。
当時は、東京オリンピックの真っ最中ということもあり
マスコミ各社は 報道しました。
当時の新聞です
1964年10月16日
タクラマカン砂漠で行われた原爆実験。爆発でキノコ雲
1964年10月16日 中国・新疆ウイグル自治区
中国は新疆ウイグル自治区のタクラマカン砂漠で初の原爆実験に成功。アメリカ、ソ連、イギリス、フランスに次ぐ5番目の核保有国になった。中国政府は声明で「大国による核独占を破壊するため」とした。日本政府は抗議の談話を発表。各党も抗議声明を出したが、共産党は「中国人民の自衛手段」との見解を明らかにした
タクラマカン砂漠で行われた原爆実験。爆発でキノコ雲
1964年10月16日 中国・新疆ウイグル自治区
NHKも当然、このことを知っていた。
なのに シルクロードに観光客をいざなう偏向報道を
繰り返したのです。
当時のその日本にあてつけするような
中国のやり方は今日の北朝鮮のようです。
それから中国は1964年から1996年までに,ウイグル地区ロプノルの実験場で延べ46回の核爆発を行い少なくとも19万人以上が死亡、129万人以上が被爆し、現在のウイグルの悲劇に続いています。
そして中国は核大国になったのです。
中国の核実験は必ずウイグルへ風向きのある日に行われましたが、
今日の北朝鮮の核実験は日本に風向きがむいています。
高田教授のデータによると今回はまだ
日本への核被害の影響はあまり出ていないようでホッとしました。
中国が 1964年から 30年以上もかけて
46回も繰り返した核実験で ウイグルの多くの人々は亡くなり
健康被害に苦しんでいます。
北朝鮮もこれから 30年間 なんどもなんども
日本への風向きの日を選んで
核実験を繰り返し、そして 核兵器を積んだミサイルを
日本へ向けて 発射するのでしょうか。
おつるは、もう日本は 核武装するしかないと思います。
先日のミサイル問題では、常日頃 憲法9条守れだの
無防備都市宣言だと叫んでいるカトリック正平教は
代表である 松浦補佐司教の名前を隠して事務局長名で
キムジョンイルと麻生首相の連名という二枚舌のバカな
抗議文を出しました。
●北朝鮮ミサイル問題 カトリック正平教の異常な抗議文書
http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/article/780/
●北朝鮮の ミサイルが飛ぶ日
http://blogari.zaq.ne.jp/otsuru/article/778/
さて、憲法9条さえあれば平和が来ると信じている
カトリック正義と平和協議会の 松浦補佐司教様
どうするんですか。
憲法9条があったって 無防備都市宣言があったって
インフルエンザからも 拉致という侵略からも
北朝鮮のミサイルからも 中国の攻撃からも 守れてないやん。
ピース9なんて 無防備都市宣言なんて 日本を滅ぼす
平和でなくするための 日本が奴隷になるような運動だと思う。
*********************************************************
●日本シルクロード科学倶楽部会長
放射線防護情報センター
札幌医科大学教授 高田純博士のブログより
北朝鮮第二回核実験
韓国青瓦台の李東官(イドングァン)報道官は25日午前11時半、記者会見し、「本日午前9時54分、咸鏡北道吉州郡豊渓里(ハムギョンプクドキルジュグンプンゲリ)付近でマグニチュード4.5内外の人工地震が感知された。核実験の可能性があるとみて韓・米情報当局が分析し、状況を注視している」と述べた。また、AFP通信によると、朝鮮中央通信は、地下核実験に成功したと伝えた。
.
核実験による核の灰が噴出した場合、日本に到着するのは、26日朝、山陰・関西方面。
放射線防護情報センター 高田純
********************************************************
北朝鮮の第二回核実験の爆発威力は、0.17-1.4キロトンと、地震波強度から推定した。この威力は広島核の10分の1以下であり、北の核技術は軍事的脅威のレベルには達していない。ただし、前回以上に技術は進展しており、北の水面下の核開発を放置はできない。
その他、前回2006年時の第一回核実験同様、大きく見積もっても、日本への核の灰降下による影響は心配のない範囲である。 高田純
放射線防護情報センター http://www15.ocn.ne.jp/~jungata/
日本全国の核放射線監視データ 5月25日から
http://www15.ocn.ne.jp/~jungata/Doselevel24JPNK2.html
第一回核実験時の日本影響 http://www15.ocn.ne.jp/~jungata/NKoreaUNED3.html
*********************************************************
悪魔の国家が持つメガトン級の弾道ミサイルを忘れるな!!!
悪党国家の核にばかり騒いでいる、読売、朝日、毎日、共同、
NHK。
悪魔の国家・中国共産党の核問題に何故、沈黙しているのだ!
日本国民を欺くな!
日本にとってのダモクレスの剣は中国のメガトン級核弾頭。
http://junta21.blog.ocn.ne.jp/blog/2009/05/523_5a67.html
http://junta21.blog.ocn.ne.jp/blog/2009/05/post_a6e2.html
***************************以上 高田純教授 ブログより
高田教授の論文や記事がつぎつぎと 掲載されています。
●5月25日発売の月刊宝島 に、シルクロード核の砂漠で被災した日本人の調査についての論文
シルクロード核の砂漠 「夏目雅子は何故死んだ?」が掲載されています。
ダークサイド 中国を歩く! http://tkj.jp/takarajima/
●日本会議の発行する日本の息吹6月号 に、死のシルクロードの題で、記事が掲載されました。
http://www.nipponkaigi.org/0600-ibuki/0610-syoukai.html
5.11月曜発売 42ページ)の週刊アサヒ芸能 も、シルクロード核の砂漠観光のリスクを報じました。
5月1日発売の月刊誌正論
高田純 教授の
日本シルクロード科学倶楽部は 会員募集中です
高田教授との懇談会などを実施します。
高田教授とともに 核実験について シルクロード
ウイグル・チベット・内モンゴルについて
中国の核実験・NHKの偏向報道について
勉強する会でもあります。
ぜひご参加を
北海道、東京、新潟、京都、大阪、長崎、長野
日本各地の老若男女さまざまな方が 会員になって下さっています
日本シルクロード科学倶楽部
http://www15.ocn.ne.jp/~jungata/SilkRoadJpScCb1Jp.html
申込は おつるまで< silkroad.science.club@gmail.com>
2009-05-26 05:22
|
記事へ |
コメント(24) |
トラックバック(0) |
|
中国の核実験 /
北朝鮮 /
キリスト教 カトリック |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/872/
超 笑えました。
笑いすぎて ビール吹いたしっ
きゃはははは笑
ピースボート かっこわるぅーーーーー
「海上自衛隊派遣反対!!
でも 怖いから海上自衛隊さーん 私たちのこと守ってね〜」
「憲法9条〜 無防備都市宣言〜ガンジー無抵抗主義〜」
私たちは 自衛隊に反対だよー
でも いざとなったら 命がけで自衛隊さんが守ってくれるから
ほんとは 安心なのよ〜
私たちは、武器を持たなーいとか言って
甘えたこと 言えるのよーん
とか言ってるのって 恥ずかしくないのかなぁ
そういえば カトリック正義と平和協議会 と仲良しこよしの
武者正治公秀氏は なんどもピースボートに乗ってますね
ピースボートって 北朝鮮にも行くんですよねー
よく あちこちのスーパーとか商店なんかに
「世界一周クルーズ 148万円」とかのポスターがあって
定年退職したご夫婦とか、だまされて行くんだろなー涙
世界一周してる間に 洗脳されるんだろうなぁ 涙
そのお金が北朝鮮や社民党に流れていくのかもしれないのに・・
「反対、でも守って」 ピースボート、海自が護衛 ソマリア沖
5月14日7時57分配信 産経新聞
海賊対策のためアフリカ・ソマリア沖に展開中の海上自衛隊の護衛艦が、民間国際交流団体「ピースボート」の船旅の旅客船を護衛したことが13日、分かった。ピースボートは海賊対策での海自派遣に反対しており、主張とのギャップは議論を呼びそうだ。
海自の護衛艦2隻は11日から13日にかけ、ソマリア沖・アデン湾を航行する日本関係船舶7隻を護衛。うち1隻がピースボートの船旅の旅客船だった。ピースボートは社民党の辻元清美衆院議員が早稲田大在学中の昭和58年に設立。船旅は寄港地の非政府組織(NGO)や学生らとの交流などを目的としている。
ピースボート事務局によると、船旅の企画・実施会社が護衛任務を調整する国土交通省海賊対策連絡調整室と安全対策を協議し、海自が護衛する船団に入ることが決まったという。
ピースボートは市民団体による海自派遣反対の共同声明にも名を連ねている。事務局の担当者は「海上保安庁ではなく海自が派遣されているのは残念だが、主張とは別に参加者の安全が第一。(企画・実施会社が)護衛を依頼した判断を尊重する」と話している。
ちなみに 海上自衛隊派遣反対 共同声明はこちら↓
http://www.annie.ne.jp/~kenpou/seimei/seimei113.html
ピースボートとともに 共同声明だしてるのが・・
●VAWW - NETジャパン
●平和を実現するキリスト者ネット
運営団体の中にもちろん 日本カトリック正義と平和協議会
共同代表 松浦悟郎 (日本カトリック正義と平和協議会会長)
門間幸枝 (日本カトリック正義と平和協議会)
●9条の会 ●きくちゆみ笑
などなど・・・
ピースボートといえば バウネット
バウネットといえば カトリック正平教や 朝鮮総連
ピースボートといえば 武者小路公秀 国連
武者小路公秀といえば カトリック正平教や 金正日賛美
ピースボートといえば グリーンピース 日本赤軍
グリーンピースといえば カトリック正平教
いやーな お友達関係ですね・・・
おつるの日記でそのあやしい関係は以前にも
何度も何度もとりあげていますが・・・・
●カトリック正平協 と関係の深い バウネット(女性団体)逆転敗訴
http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/article/422/
●グリーンピース2人を逮捕 鯨肉窃盗と建造物侵入容疑
http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/article/434/
●きくちゆみは北朝鮮大好き平和主義者 「大圓さんブログより」
http://blogari.zaq.ne.jp/otsuru/article/774/
などなど・・・
※大圓さんの日記より
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1166676875&owner_id=783617&comment_count=8
「148万円で世界一周船の旅」と宣伝ポスターが大阪の町々に張り出されていますが、ここで得た軍資金がピースボート創設者、社民党の辻元清美、そして社民党、赤軍派へ流れているのではないか。
反日運動の軍資金になっているのではないか。
げんに反日運動にピースボートやここの事務局長の名が連なっている。
「いのちの風 bS31」の辻元清美氏
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=34301069&owner_id=783617
「ヒロさん日記」にピースボートの内情が詳しい。
http://www.mypress.jp/v2_writers/hirosan/idx/?mycategory_id=31023
ピースボート 辻元清美
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%A5%D4%A1%BC%A5%B9%A5%DC%A1%BC%A5%C8%A1%A1%C4%D4%B8%B5%C0%B6%C8%FE&fr=top_v2&tid=top_v2&ei=euc-jp&search.x=1&x=12&y=14
ピースボート 赤軍派
http://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&fr=sfp&p=%E3%83%94%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%88%E3%80%80%E8%B5%A4%E8%BB%8D%E6%B4%BE&meta=vc%3D
自衛隊って・・・・神様みたいですね。
自分たちのこと ボロカスに言う人たちのためにも
命をかけて守ってあげるのですから・・・
そういえば 地震などで 自衛隊が炊きだしとかされるときも
必死で並んで 助けてもらってるのが
左翼のひとたち 笑
日ごろ、小学校で 先生の言うことに文句ばっかり言って
いうこと聞かない子供が
いざとなったら 「先生助けてー」と
言って一番に甘えてくることがあるけれど・・・・似てません??笑
こちらのブログみたら↓ 最低だな・・・ピースボート・・
気狂いピースボートと辻元清美
http://www.tamanegiya.com/pi-subo-to.html
このブログもすごいですね
辻元清美と日本赤軍とピースボートについて・・・
http://k2t2f.blog.ocn.ne.jp/tubaki/2005/10/post_d397.html
カトリック 正義と平和協議会
だから カトリックの名前つけて
こういう団体とつるむのやめてってば。
ほんま 恥ずかしいから やめて。
注)私のようなクリスチャンや
バチカンに添う 日本の敬虔なカトリック信徒や
敬虔なカトリック神父様は、
カトリック正義と平和協議会 会長 松浦補佐司教さまとは
一切 関係ありませんので 誤解なきようお願いします。
2009-05-15 04:28
|
記事へ |
コメント(28) |
トラックバック(0) |
|
チベット・ウイグル・サウスモンゴル 三民族 /
キリスト教 カトリック |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/846/
5/8(土)、午後3時より 御堂筋で
カトリック 正義と平和協議会
(カトリック正平教)
= カトリック大阪シナピス
主催の反日っぽい デモが行われます。
クリスチャンとして ものすごく 恥ずかしい。
お願いだから カトリックの名前つけて
デモするの やめてほしい。
毎日新聞には、「市民団体」 と書かれて。。。。。
市民団体・・・・・・・
カトリック 大阪教区の 補佐司教
松浦悟郎氏が 代表をつとめる 委員会が
「市民団体」・・・・と 呼ばれちゃあおしまいや。
このカトリック大阪 シナピスというのは、、
カトリック正義と平和協議会
カリタスジャパン大阪と 同一組織。
シナピスは、既存の大阪教区「正義と平和」協議会、カリタス大阪、カトリック大阪大司教区国際協力委員会(日本カトリック難民移住移動者委員会)、平和の手(シナピス海外プロジェクト委員会)
の社会活動4部門がひとつになり、
2002年4月社会活動センターとして再編成されたもの
先日の 北朝鮮のミサイル問題では、
非常に不可解な 麻生首相宛ての
抗議文書を発表した とんでもない団体。↓
●北朝鮮ミサイル問題 カトリック正平教の異常な抗議文書
おつるの秘密日記 〜http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/article/780/
そもそも、カトリックの中で多くの真摯で敬虔で
まともな全国の信徒さんたちが
カトリック正義と平和協議会の行動に憂いて
何度も何度も、政治的言動、偏向した反日行動をやめるよう
抗議しているにも関わらず、無視をし続け
カトリック信徒の大切な寄付金を使って行動している
いわば カトリックの名前を語りながら
カトリックの信仰とは相入れない 組織。
こういう団体と仲良しですね ↓
民団・朝鮮総連・部落解放同盟・
バウネット
チュチェ キムジョンイル賛美思想のヒューライツ武者小路公秀
反天皇組織の天野氏、
911トンデモ説のきくちゆみ
グリーンピースにピースボート
その中で 日本カトリック難民移住移動者委員会は
松浦補佐司教の実の妹である
マツウラ・ビスカルド篤子氏が、
今回のデモを 必死で 呼びかけてる。
まあ 兄弟 仲のよろしいことで笑
カトリックの外国人のシスターが
在留カードを持っていなかったから 逮捕される??笑という
超ありえない トンデモ本みたいなマンガを
チラシに印刷して 配ってるらしい。
残念ながら おつるは抗議に行けないのですが・・・
たぶん、この異常なデモに抗議する人が
行かれるのではないかと思います。
人権・平和だと言いながら
中国や 北朝鮮の暴虐には声をあげず、
カトリック正平教に属さない、
カトリックの神父の人権を侵害
だいたい、毎日新聞は
フリーチベットのデモなどに対して、
事前通知、広告的なこんな記事のせたことありません。
主催者の電話番号までのせて 広告って
さすが 変態毎日新聞ね
まあ アサヒ新聞も明日のデモの様子は 喜んで記事に
するでしょうね。
ともに カトリック正平教、シナピスと戦う
私のおともだち Rickさんは
「シナピスさんが御堂筋パレードするそうですが・・・。
シナピスさん、お願いです、やめてください」と記事に
しています
http://blogs.yahoo.co.jp/gh_punks/MYBLOG/yblog.html?m=lc&p=2
(前にも書きましたがRickのお友達は外国人のほうが多いです。
そして入管の手続きなど色々手伝ったりするので社会制度的に不便さや問題点があることも承知しています。
ならばその不便さを解消するために何でもOKにしてしまうことが良いのかと言えば答えはNo!です。
Rickは少し前に本当に必要な活動かどうかを見極める事が大切だと書きましたが・・・。)
Rickさんのおっしゃることは もっともです。
おつるにも アメリカ人、イギリス人などの御友達がいますが
誰も 文句言ってないよ。
ビスカルド篤子さんは 自分の外国人の夫の
個人的な問題を
カトリックに持ち込んでるんじゃないのかなぁ〜
やめてほしい。
私たちは、在日コリアン特別永住者以外の「合法」外国人にICチップつき「在留カ−ド」を持たせることに反対します。
在日外国人の犯罪の多発に対しては、どう思ってるのかな。
☆刑法全体、凶悪犯罪全体、粗暴犯罪全体、その他詐欺、横領、覚醒剤取締法、どれをとっても在日外国人の犯罪率が目立って高くなっている
http://web2.nazca.co.jp/midorinosono/index.htm
入管法改正案:反対であす市民団体がデモ
「逆行の動き、納得できない」 /大阪
◇外国籍住民を一元管理
法務省が外国籍住民の在留情報を一元管理する入管法改正案などに対し、府内の在日外国人や市民団体などが
「外国人を監視し、分断・差別や人権侵害を招く」と反発している。既に国会審議が始まっており、大阪市内で
9日、廃案を訴えるデモ行進をする。
新しい在留管理制度は、短期滞在(90日以内)や特別永住者(在日コリアンら)を除く中長期滞在者に、
ICチップ内蔵の在留カードを交付。顔写真や氏名、生年月日、在留資格、期間などの情報を記載させ、
さらに外国人が所属する企業や大学、日本語学校などに就労・就学状況の報告を義務付け、法務省が情報を
集中的に把握する。
カードの常時携帯や居住地を変更した場合の届け出を怠れば刑事罰を科し、在留資格取り消し理由になる
場合もある。
在日中国人2世で「永住者」の在留資格を持つ徐翠珍さん(62)=大阪市西成区=は「戦前から日本に
溶け込んで生活している私たちが、いまだに住民として認められない」と憤り、チラシ配布の活動を続ける。
徐さんはかつて、外国人登録の更新時に指紋押なつ(99年全廃)を拒否して逮捕された。
「現行の外国人登録証の常時携帯や切り替えがなくなり、地方参政権も得られるようになると期待したのに、
全く逆行する動きは納得できない」と話す。
デモ行進は、午後3時に同市西区新町1の新町北公園(大阪厚生年金会館南側)に集合。御堂筋を通って
中央区難波5の高島屋大阪店までの約2キロを歩く。
問い合わせは、主催のカトリック大阪シナピス
(06・6942・1784)【立石信夫】
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20090508ddlk27040357000c.html
みなさーーーーーん
この カトリック正平教、シナピスは
バチカン、ベネディクト教皇様、正統なカトリック
正統なカトリック信徒、おつるのような敬虔なクリスチャンとは
関わりのない 組織なので お願いですから
誤解しないでください〜。 よろしくお願いします
2009-05-09 04:26
|
記事へ |
コメント(12) |
トラックバック(0) |
|
キリスト教 カトリック |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/836/
最後に 三田にある カトリック教会へ
やはり 門構えは武家屋敷
それもそのはず 三田で有名な九鬼家の武家屋敷あとなのです
これが司祭館です
説明にはこうかかれています。
そして奥にある庭にはこのような古い説明板がありました。
読んでみると、この教会はフランスの聖人ヨハネ・ビアンネ
ゆかのの教会で ビアンネ様の生涯が書かれていました。
苦労して司祭になられたビアンネ様ですが、
フランス革命により 教会は荒廃がすすみ人々の信仰心はうすれ
熱心な信者は
ゆるしの秘跡、聖体拝領も満足にできない状況で、
若者たちは享楽にふけり、
人々は働く意欲をなくし、道徳は地に落ちていました。
その荒廃した教会をたてなおし、朝早くから起きて祈り
誰ひとり来ない教会で毎日ミサを捧げました。
その彼の姿を見て ひとりまた ひとりと教会へ戻る人が増え
彼は 人々のために祈り断食し、親切にし、
そまつな司祭服を着て じゃがいもだけを食べ 堅いベッドで眠る
そんな彼のことは フランス全土に広まり
ゆるしの秘蹟を求めて 人々はこの教会へ殺到しました。
41年間の苦行と ゆるしの秘蹟を聞く厳しい生活の末
ついに 17時間に及ぶゆるしの秘蹟を聞いたあと 倒れて
亡くなったということです。
マリア様もいらっしゃいました。
そういえば
フランス革命といえば、現代では 自由や博愛、平等を求める
ために虐げられた市民が決起して 退廃した貴族を倒した
という部分のみが伝えられますが
ずっと私は フランス革命の胡散臭さを感じていました。
教会は荒廃がすすみ
若者たちは享楽にふけり、
人々は働く意欲をなくし、道徳は地に落ちて・・・
ゆるしの秘蹟や (口での)聖体拝領も受けられない・・・
フランス革命も共産主義革命のようなものですもんね・・
これは 今の現代の日本のカトリック教会と 日本のようです。
私は 聖堂で ヨハネビアンネ様に 日本の教会の荒廃と
日本の若者の同じ状況を憂いています
どうぞ お守りくださいと お願いしました。
この教会の聖堂には ちゃんと 聖水が置かれていましたよ
2009-05-07 00:06
|
記事へ |
コメント(0) |
トラックバック(0) |
|
おつるの日常 /
キリスト教 カトリック /
お出かけ 旅行 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/834/
5/5 こどもの日
高速道路1000円で 日本中の高速道路が大渋滞・・・
遠出をする勇気はなし。 しかし ウダウダするのもなぁ
ちょっと近場のミステリースポットや 今まで
行きたくてもいけなかった近場のとこ 探検しよう・・と
思いたって・・・
相方とふたりで出発〜〜♪
以前から カトリック教会のホームページで見て
その武家屋敷風 門構えと カトリックというミスマッチの
写真を見て、一度行ってみたいと思ってた
カトリック三田教会を見に行こうーと。
三田に行くには、猪名川を超えて 宝塚の最北端の千刈ダムを
ぬけて 有馬富士を通る山道がすいているー
では、どうせ 猪名川町を通るなら
あの場所へーーーーーーーっ
あの場所というのは・・・
猪名川町の聖域、神域、と呼ばれる
猪名川龍神様の山
おつるが昔、助けてもらったことのある 命の恩人の仙人の
おじいさんのいるお山です
鶴姫伝説によれば
瀬戸内のジャンヌダルクも龍神と関係が
深かったそうです。
ここは、有名な出口王仁三郎という予言者と関わりのある場所で
http://www.hachiman.com/books/89350-175-5.html
※肝川は兵庫県川辺郡の寒村で、明治末期に全村が大本信者となった特異な地であり、教団内で「控えの地」として重視されたが、やがて支部長車末吉の妻小房に、村の禁足地「雨の森」の龍神が憑依、[肝川龍神]と称した
とてつもないエネルギーのある山ということで
今でも、あらゆる宗教界の教祖が極秘に修行に来る山なのです。
秘密がいっぱいのお山なんですが
自然がとっても綺麗。 オオクワガタの産地でもあります
以前から おつるは何度も、クリ拾いに来たり
龍神さんに会いにきたりしてましたが
相方は 一度 いってみたいといいながら
一度も来ていなかったので・・
実は 相方は、クリスチャンですが
1800年代のヨーロッパの神秘学とかが好きで、いろんな本を
読んでいて ミステリアスなことは私と同じで大好きです。
そして・・訪問
とっても静かでした。
綺麗で静かで やはりミステリアス。
てっぺんに登ると
いきなり山の中から不思議なおばあさんが。
「よくおいでくださいました。どうぞお気をつけて」と
優しく声をかけてくださいました。
もしかして、龍の化身かしら・・・・・??
というわけで 相方と私は不思議な気持ちのままを後にして・・・・
***********************************************************
ほんとは 豊臣秀吉の財宝が眠る 多田銀山 も近くだから
寄りたかったけど 雨が降ってきたのと
時間が足りないので とばす・・・・・
つぎは、猪名川町で有名な 文化財の屋敷 を探しに。
ここは、清和源氏(源 満仲・頼光)
の系統を受け継ぐ多田院御家人の住宅で
江戸時代の入母屋造妻入茅葺がそのまま残る屋敷です。
(注1)多田院御家人とは、平安時代に多田庄を開いた源満仲の家臣団の子孫たちで、鎌倉時代より源氏の祖廟である多田院(現在の多田神社)に奉仕する武士として、幕府によりその所領が安堵されていた。近世初頭に御家人筆頭格であった塩川氏の没落にともない無禄となるが、その後も多田院の守護とその誇りを守り続け、村々の指導者層となっていった。
実は 私は母親から 猪名川町に母親のおばあちゃんの実家が
あって、母親は子供のころに何度か 遊びに来たことがあるけれど
いつか死ぬまでに 一度探して 訪ねてみたいと 言っていたのです
猪名川町を車でぐるぐる、いろいろなところで村人に聞いて
そして ようやくたどりつきました。
たどりついて写真をとって帰ろうとすると
前の畑で 畑仕事をしているおばあさんが・・・・
ごあいさつして 母親のおばあちゃんがもしかしたら
ここのおうちから嫁いだと・・事情をお話して
母親の めずらしい旧姓を名乗ると
「ああ、知ってます。確かにそうです
お会いできて嬉しい・・」と
それから いろいろな話をしてくださいました。
私のひいおばあちゃんは ここで生まれて育って
そして お嫁にいったんだなと思って・・・
なんだか胸がいっぱいでした。
自分のルーツを探す旅・・・・みたいで
しかも そのおばあさんに会えて感激でした。
「今度はお母さんをぜひ 連れてきてね」と言ってくれました。
***********************************************************
そして つぎは・・・三田のカトリック教会へ
つづきます
2009-05-06 23:12
|
記事へ |
コメント(4) |
トラックバック(0) |
|
神道・古神道 /
キリスト教 カトリック /
おつるの日常 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/833/
事件以降は、地獄の日々、
でも自分の人生に負けたくない
泣きながらでも前へ
日本に来て29年。やりがいのある仕事を見つけ、結婚し、ふたりの娘に恵まれた。そんな幸せな日々がひとりの男によってある日突然奪われた。犯行の動機は「日頃のうっぷんを晴らすため」。こんな身勝手な動機でふたりの尊い命を奪っておきながら、犯人は無期懲役にしかならなかった。この信じられない判決がストッキ氏を全国行脚の旅へと向かわせた。
剣道の修業のため、19歳で来日
私が初めて日本に来たのは19歳のときです。今、53歳ですが、当初はまさかこれほど長く日本にいるとは思ってもみませんでした。最初は1年だけの予定だったんです。
そもそもの来日理由は剣道の修行のためです。でも元々は柔道をやっていたんです。私は子供の頃、小児麻痺で片足が不自由で、よく友達にいじめられたんです。でも抵抗できなかった。そこでいじめっ子と戦うために、中学生のときに柔道を学び始めたんです。すると段々強くなって友達にも勝てるようになった。あいつは強いと思われて、いじめられなくなりました。
そこで今度は同じ武道である剣道に興味を持って、18歳から学び始めました。剣道は奥が深く、剣道の本場の日本で修業したいと思うようになり1975年、19歳のときに日本の大学に留学しました。
大学の剣道部に入部して修業していたのですが、やればやるほど剣道の奥深い魅力に取り付かれました。学び足りない、もっともっと学びたいという気持ちですね。それで大学卒業後も剣道の修行を続けたいと思い、日本に残ることにしました。
家族旅行に出かけたときの思い出の写真
そのためには仕事をもたなければなりません。いろいろと探したところ、宮崎県の高校が語学教師の募集をしていたので、教員免許を取得して試験を受けて採用になりました。それで1980年、25歳のとき、京都から宮崎に移住したんです。そのほかにも個人的に語学教室を開いて、幼稚園児から大人まで、英語やドイツ語やイタリア語を教えていました。そこで公子さんと出会い、28歳のときに結婚したんです。1983年12月22日に長女の美由紀が生まれ、1992年の2月26日には次女の友理恵が生まれました。家族はみんな仲良しで、よくいろんなところへ旅行にいきました。一家4人、とても幸せな日々でした。2004年5月27日の夜、放火されるまでは……。
無期懲役では軽すぎる
日本には終身刑がないから、重い罪を犯したら、死刑か無期懲役。この差は大きすぎる。妻や娘の死に方わかりますか? 一番おそろしい死に方ですよ。私は、妻と娘を焼き殺した犯人の死刑を望んでいます。なぜなら犯人に二度と社会に出てきてほしくないから。無期懲役はいつか社会に出てきます(※1)。間違った死刑は反対ですよ。でも今の日本の法律で犯人を二度と社会に出てこられないようにするのは死刑しかないんです。裁判所は犯人を死刑にすると思っていました。私は裁判長に言いました。犯人を二度と刑務所から出られないような判決を出してくださいと。でも無期懲役になってしまった。
私の家に火をつけて、家内と娘を殺した犯人は、それ以前にも刑務所を出たり入ったりしています。なぜ8回も刑務所に入ってなぜまた犯行に及ぶのか。刑務所が全く機能していない。
また私の家を放火した後も、何軒も放火してます。犯人は法廷では私の家内と娘が死ぬとは思わなかったって言っていますが、獄中から私に送ってきた手紙には、私たちが放火によって死んでもかまわないと思っていたと書かれてあります。また、その手紙には放火をしたことを反省していると書いてありますが、人が亡くなったとわかってて、次も放火をやってるってことは反省してなかったってことですよね。だから法廷で自分の言ってることは嘘ですって言ってるのと同じじゃないですか。それでも裁判では死刑にはならない。
犯人からストッキ氏に送られてきた手紙
また、犯行の動機を、仕事がうまくいってなかったから、借金もあってむしゃくしゃしてたから、精神不安だったからと語りました。そんな身勝手な動機なのに無期懲役で許される。冗談じゃない。アブノーマルだったから、普通じゃなかったから。それは当たり前でしょう。人を殺す精神状態が普通であるわけがない。そしたらいつが犯人の普通状態なの? それは弁護側も考えてほしいね。
犯人は殺すとき、殺した後も何も感じていない。反省していない。許すべきじゃないと思います。
※1 無期懲役はいつか社会に出てきます───無期懲役といっても全員が死ぬまで刑務所の中で過ごすというわけではなく、服役期間が10年を超えると「仮釈放」の可能性が生まれる。とはいえ、近年では服役年数は長期化の傾向にあり、平成18年の平均服役年数は25年1カ月(無期懲役服役囚3人の平均)。さらに仮釈放者数も年々減少傾向にある(法務省調べ)。よって、巷に流布している「無期懲役になっても10年もすれば出所できる」という認識は間違い。しかし、社会復帰してくる可能性もあるので、死刑との差が大きすぎるという声も以前高い。政治の世界でも、2008年5月には超党派による新たな議員連盟「裁判員制度の導入の中で量刑制度(死刑と無期懲役のギャップ)を考える会」(仮称)が発足。仮釈放のない終身刑として「重無期刑」を導入しようとする動きが始まった。
全国行脚開始
自分の身勝手な欲望を満たすために人を殺した犯罪者をなぜ生かさなければならないのか。なぜもう一回社会に出さなければならないのか。私にはいまだに理解できません。
私は裁判のとき、最初から、検察に犯人を死刑にしてほしいとは言いませんでした。それは私のミスかもしれない。だから、その代わりに何かをしたかった。一度判決が確定してしまった以上、もう犯人を死刑にすることは不可能です。だけどこれから先のことを考えて、また、私たちと同じような思いをしている犯罪被害者のために、日本に終身刑を成立させたいと強く思うようになりました。私の家を放火して妻と娘を殺した犯人を含め、犯罪者たちは責任をとって、刑務所の中で死ぬまで反省してもらいたいのです。
許すことも大事だという人もいますが、すべてを許すことはできません。それは無理です。でも犯人が心の底から反省してるのがわかれば、少しは許してもいいかなとは思います。しかし犯人が反省しているとは到底思えません。こんな状態で仮釈放されたらまた同じことをしますよ。だから一生、刑務所の中で反省してもらいたい。
それで無期懲役が確定した2週間後の2005年7月14日から、仮釈放のない終身刑の創設を目指し、日本全国をバイクで回って署名活動を始めたんです。判決から14日以内に控訴できなかったから、その期間が終わってすぐにスタートしたわけです。47都道府県、すべて回ってます。ひとつでも外したら全国とはいえないから。
判決が出たらこういう活動を始めようとずっと思っていました。どういう判決が出ても、たとえ死刑判決が出たとしても、日本には終身刑が必要だと思ったから、やろうと思っていました。
確かにあの事件以来、毎日地獄で、今も同じだけど、負けたくないからね、人生に。こういう事件に巻き込まれて、どうしようもない、やむを得ない、しょうがない、そうは思いたくない。人生を投げ出したくない。自分にできることがあるなら、まだ望みを残してあるならば、それに懸けようと思った。
1周では終わらなかった
でも、当初はバイクで全国を回るのは、1周だけにしようと思っていたんです。でも苦しんでいるのは私たちだけではない。多くの犯罪被害者は泣き寝入りせざるをえない。活動を続けていくうちに、他の犯罪被害者のためにも続けなきゃと思うようになったんです。これまで全国3周回って、今も各地に出かけています。これまで走破した距離は約16万5000キロです。
1周目は全国の皆さんに呼びかけるため。私たちの事件を知ってもらいたかった。なぜ何度も同じ罪を犯して、放火によって人を二人も殺しているのに無期懲役にしかならないのかということを訴えたかった。でも市民のみなさんに訴えるだけじゃなくて、法律をつくらないとダメだということが段々わかってきて、2周目は各県知事、市長さんを訪ねて、終身刑の必要性を呼びかけました。3度目は各都道府県の自民党、公明党、民主党の本部へ行って、終身刑の設立をお願いしました。法律を作るのは政治家だから、政治家を回ったわけです。
現在、4度目の主な目的は講演会です。全国をしらみつぶしに回るのではなく、講演の依頼があったところに出かけていくという感じです。学校やいろんな市民団体などからの依頼が増えています。また、マスコミからの取材も増えました。
最初はマスコミに全く相手にしてもらえなかったんですよ。でも今は新聞やテレビなど、多くのマスコミに取材に来てもらえます。発言の機会が増えてきました。集まった署名も9万5000人を超えました。4年間に渡り訴え続けてきた、活動してきたかいがあったと思っています。でも私たちの戦いはまだまだこれから。道のりは遠いからね。予想もつかないほど。
マスコミに取り上げられる機会も増えている
泣きながら走っている
全国各地を回るためにバイクを使っている一番大きい理由は、殺された次女の友理恵がバイクが大好きだったから。小さい頃は友理恵も美由紀(長女)もバイクに乗せて宮崎から関西まで何回も来ていたんです。
日曜日に教会に行くときに友理恵ちゃんは雨が降ってもバイクで行きたいと言ってた。だからバイクに乗っているときに、後に友理恵ちゃんがいるなあと感じることがあります。しかし深く考えたら涙出るんですよ。そうしたら途中でバイクを止めないといけない。1回涙が出始めたら止まらないんですよ。ひどいときは30分も涙が止まらない。顔が真っ赤になってしまう。警察には飲酒運転と思われてしまう。だから涙が収まるまで待って、よし、また出発と、バイクを走らせます。
ストッキ氏はこのバイクで全国を回っている
放火犯がストッキ氏から奪ったのは愛する妻と娘の命だけではない。家、財産、そしてやりがいを感じていた仕事や長女の夢までもがたった一晩で失われてしまった。与えられたものはただひとつ、絶望。それでも気力を振り絞って前に進み続けたが、収入が絶たれた状況での活動の継続は困難を極めている。
仕事までもが奪われた
今はほとんど仕事はしていません。したくてもできないんです。放火される前は、高校で英語を教えていました。仕事をしなければ生きていけないから、学校に教師として復帰させてほしいとお願いに行きました。でも受け入れられなかった。学校の理事長には、「教壇に立ってかわいい子供たちを見ると、亡くなった子供のことを思い出して、教えることができないのではないか。もう少し時間が経ってからの方がいいのではないか」と何度も言われました。とりあえず連絡先だけ教えてくださいと言われ、それっきり。事件のことを伏せて応募した教師の採用試験も結果はいつも同じ。不採用。雇ってもらえない。
あの当時は理事長のいうとおり、確かにすぐに復帰するのは無理だったかもしれない。ひどいPTSDだったから。でも1年後、再びお願いにいったけど、無理だった。
まるで犯罪者みたいになってしまいましたね。被害者なのに。長女も精神的にひどいショックを受けて大学進学どころではなくなりました。そういう夢が一晩でバン!……なくなってしまいました。
だから仕事もできない。どうやって生活する? 銀行強盗でもしましょうか。だって犯罪者は許されるでしょう? むしゃくしゃしてたからやった、でも許される。おかしいですよね。
私はもうひとつ仕事をもっています。建築材、主にタイルの輸入の仕事で、15年前、平成5年8月15日に会社を設立しました。設立してしばらくは景気もよかったので、順調でした。
将来はこの建築材の輸入業だけをやろうと思っていましたが、心の中に不安もありました。収入源がひとつだけだったら、それがダメになったらどうやって家族を養う? だから学校の教師をキープしながら、両方やっていました。ところが、家内と話し合い、両方はできないからとりあえず輸入業を優先しよう、それだったら仕事が多い関東に引っ越そうということになり、その準備をしていよいよ翌日に引越しというときに放火されたんです。そして全部、失ってしまった。
事件後はPTSDになってしまったので、まともに仕事に取り組めなくなりました。さらに、昨今はユーロが高すぎるから仕事そのものができなくなっています。ユーロが安ければまだ少しは仕事ある。去年は売り上げゼロ。今年もまだゼロです。
それから姉歯事件(※2)のおかげで、設計の審査の許可が降りるまでかなり時間がかかるようになっているのも大きな痛手です。待ち時間が長すぎるから、地方の小さい会社はそれまでもたない。いろんな設計事務所が潰れて、多くの人が仕事を失ってる。私も3つのプロジェクトを失ってしまいました。だから今、とても困っているんです。半年以内に仕事が見つからなければたいへんなことになります。
※2 姉歯事件──元一級建築士の姉歯秀次やヒューザーなどの建設会社が耐震強度を偽装していた事件。人命よりも儲けを優先して偽装を行った姉歯被告には懲役5年、罰金180万円の実刑判決が下された。
バイクで全国各地を回るのは莫大な経費がかかる。2005年7月以来、3年2カ月でかかった費用は2000万円超。しかしわずかしかもらえなかった犯罪被害者給付金は1年目で使い果たし、仕事もしたくてもできない。貯金も底を尽き、活動の継続に赤信号が点灯しかかっている危機的状況の中、ストッキ氏はある重大な決断を下した。
Cへ つつぎます
つづきは
現在取り組んでいる活動の真の目的と今後の目標を語るアルベルトさん
2009-05-03 23:47
|
記事へ |
コメント(0) |
トラックバック(0) |
|
キリスト教 カトリック |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/829/
●妻と娘の死を無駄にしたくない
死刑と無期懲役の溝を埋めるべく
終身刑の創設を求めて全国行脚
終身刑の設立を求めて、日本中を走り回っている男がいる。ストッキ・アルベルト53歳。イタリアとスイスの国籍をもつ外国人がなぜ日本の法律を変えようとしているのか。日本で地獄を味わった男の魂の叫び
終身刑の成立を求めて全国行脚
在、終身刑の設立を目指して、全国をバイクで回っています。今年で4周目になります。集めた署名も、メールや郵送を含めて9万5000人に上りました。昨年、集まった署名を法務大臣に渡して、終身刑の必要性を話して、法律の改正をお願いしました。
こういった活動をしているそもそもの理由は、2004年5月27日に私の家が放火されて、妻と娘の命を奪われたからです。
ある日突然最愛の妻と娘を奪われた
当時、私は宮崎で妻の公子と中学に上がったばかりの次女・友理恵と3人で暮らしていました。長女の美由紀は大学受験を控えており、実家から離れた予備校に通うため、独り暮らしをしていました。
2004年5月28日、つまり放火された日の翌日、私たち家族は私の仕事の関係で、宮崎から千葉に引越しする予定だったんです。だから1階に梱包した荷物を運んでいて、2階はふとん以外からっぽ。そこで私と妻と次女は寝ていました。
3人とも引越しの荷造り作業の後だったんだけど、みんな風呂に入らずにそのまま床に就いたんです。疲れていたんだろうね。こんなことは滅多になかった。さらに、ほとんどみんな同じ時間に眠ったんですよ。床に就いてから30分以内にみんな眠ってしまった。
そしたら突然、「アルベルト、火事だ!」という大きな叫び声がして、目が覚めた。最初は火事じゃなくて地震じゃないかと思いました。家がすごく揺れてたんですよ。でもすぐに真っ赤な炎とバチバチ、バーンバーン!!という音が迫ってきて火事だとわかった。妻と娘が寝ている隣の部屋に「火事だ! 逃げろ!」と声をかけたけど、反応がないから、「2階から飛べ! 飛べ!」と叫んだ。私は無我夢中で目の前の窓から飛び降りた。そしたら隣の家との境にあるブロック塀に腹から落ちたんです。頭から落ちてたら死んでたかもしれない。それでもひどい火傷とケガはしましたけどね。
でもふたりは死んでしまった。妻は46歳、娘は12歳でした。11時10分に放火されて、12時30分には全部なくなりました。
なぜ自分だけが助かったのか…
地獄の毎日
あの夜はたぶん、すべてが悪い方へ働いたんだと思います。もし、あの夜お風呂に入ってたら、もし、誰かひとりでも起きていたら、もし、雨が降ってたら……もしかしたら妻と娘は助かってたかもしれない。最悪の条件がそろってしまった。
また、もしあの夜、長女が家にいたら……。でももっとひどいことになっていたかもしれない。それはわかりませんからね。助かったからって幸いだったともいえないしね……。
あの火事の時に聞こえた「アルベルト、家事だ!」という声も、よく考えてみたら誰の声だったのか……。あのタイミングであの声が聞こえるのはありえない。もしかすると、すでに亡くなっていた家内の声だったのかもしれません。
事件の後、人からはどうしておまえだけが助かったのかと非難されました。警察からもおまえが犯人なんじゃないかと疑われました。私だって思いますよ、なぜ私だけが生き残ったのか。私は本当に何もできなかったのか………もうあのときのことは思い出しくないし、話もしたくないんだけどね……でもそのときはもう家内が死んでるの、わかってた。声をかけても反応がなかったから。もうわかってる。何もできない、なおさら、悔しい。ごうごうと燃え盛る火が身体に当たってた。火にあと1メートル近かったら私も死んでいたかもしれない。あるいは何かできたかもしれない。それはわからないんですよ……。
放火されて娘と妻を亡くしてからは、毎日地獄。それだけ。今でも同じ。だからPTSD(※1)になった。長女も。夜、眠れない。暗くなったら怖くなるし、不安になる。突然思い出がフラッシュバックしてくる。突然涙が出てくる。悔しい。苦しい。悲しい。ほんとに地獄。
※1 PTSD──Post-traumatic stress disorderの略。心的外傷後ストレス障害。災害、事故、事件などから被った精神的ショックから、断続的な不安や恐怖、情緒不安定、睡眠障害や記憶障害などが引き起こされる。
事件からまもなくして、ストッキ氏の家を放火し、ふたりの命を奪った犯人・竹山裕二(当時37歳)が逮捕された。竹山は事件の2年前に刑務所を出たばかりで、放火、窃盗などの罪で過去に6度の服役歴があった。動機は「借金や仕事などのうっぷんがたまってむしゃくしゃしていたから」──。こんな身勝手な理由でふたりの命を奪った犯罪者に裁判長が言い渡した判決は「無期懲役」。ストッキ氏は我が耳を疑った。
連続放火魔による犯行
この夜だけで、5軒の家が焼けてしまいました。ちなみに私の家の裏には貴乃花の奥さんの河野景子さんの実家がありました。
犯人はこの夜に5件、その前にも数十件、その後にも4件放火してるんです。つまり、何も反省していないことの何よりの証拠です。この犯人は放火当日、私の家が焼けるのを、家内と娘が焼け死ぬのを見物してるんですよ。(※2)喜んで。それがとてもとても悔しい。
※2 【長女 美由紀さんの証言】
放火犯は放火の現場に戻るという話を知っていたから、放火の後も毎日、現場を見に行っていました。すると、挙動不審な男がいたんです。よく見るとこれまで2度ほど見た覚えのある顔でした。3回目に「何なの、あんた?」ってその男に怒って言ったんです。捕まえようと思ったら逃げられました。しばらくして刑事が犯人としてつかまえたのがその男だったんです。
犯人が見つかってからは少しほっとしました。犯人が見つかってない被害者の方たくさんいるからね。それに比べればましです。
でも逆に複雑な気持ちですね。犯人を殺したい。でも国は殺させてくれない。まとまらない気持ち。犯人が見つかって本当によかったのか、悪かったのか、今でもわからない。
まさかの無期懲役
最初、検事はこの放火事件で犯人を殺人罪で有罪にするのは難しいと言いました。放火によって人がふたりも殺されているのに何を言ってるんだと思いました。しかしあの当時ね、私は愛する家内と娘を失って、心がボロボロになってたんですよ。精神力がなかったんです。だから検事に任せようと思った。それが大きな間違いでした。
検察側は判決が出る直前に、無期懲役を求刑したんです。それ、冗談じゃないんです。私は死刑にしてほしかった。検察は私に相談せずに勝手に無期懲役を求刑したんです。実際の判決も、求刑通り無期懲役だった。そこで私は大きなショックを受けました。
無期懲役の場合、仮釈放で社会に戻ってくる可能性があります(※3)。なぜ、何軒もの家を放火して、刑務所を出たり入ったりして、妻と娘のふたりもの命を奪った犯人に社会復帰する可能性を与えなくてはならない? それは私には耐えられない。
なぜ検察は無期懲役を求刑したか。その裏にはたぶん、司法取引があったんじゃないかと思います。早めに裁判を終わらせるために。私たちは死刑ではなく無期懲役を求刑するから、その代わりに、被告側に控訴しないでとお願いした。犯人はそれを承知したんじゃないですかね。でもその証拠がないんですね。このことを発表しても検察は知らないというでしょう。このことを教えてくれた人も公の場では知らないというでしょう。だから警察や検察と話をするときにはボイスレコーダーをもっていかないと絶対ダメなんですよ。それがあれば裁判をやり直すことができますから。
無期懲役の判決が出たとき、私は犯人の死刑を求めて控訴するつもりでした。実際に検察にはお願いしたんですよ。でも検察は控訴してくれなかった。検察に見事にだまされてしまいました。
日本の法律では、判決が無期懲役でも、やっぱり甘いと思ったら、判決後14日以内であれば控訴できるんですよ。もちろん私は判決直後から検察に何度も電話をしたり、出向いたり、控訴の嘆願書を提出したりしました。もちろん証拠もあります。何もしなかったわけじゃない。ほぼ毎日弁護士を通してお願いしてるんですね。でも取り合ってはくれませんでした(※4)。しかも検事は控訴の嘆願書が長すぎるからもっと短くしろと言った。これが一番頭に来ました。我々は犯人ですか?
ストッキ氏が提出した陳述書
なぜ検察はこういう対応をしたのか。いったん無期懲役を求刑してその通りの判決が出ているのに、やり直しとなるとメンツやプライドに関わる。訴訟もややこしくなるし、時間と手間がかかる。それを避けるためになるべく早めに終わらせようとしたってことでしょうね。
※3 無期懲役の場合、仮釈放で社会に戻ってくる可能性があります──無期懲役といっても全員が死ぬまで刑務所の中で過ごすというわけではなく、服役期間が10年を超えると「仮釈放」の可能性が生まれる。とはいえ、近年では勾留期間は長期化の傾向にあり、平均勾留期間は25、6年といわれている(法務省調べ)。また、仮釈放者数も年々減少傾向にある。よって、巷に流布している「無期懲役になっても10年もすれば出所できる」という認識は間違い。しかし、社会復帰してくる可能性もあるので、死刑との差が大きすぎるという声も依然高い。政治の世界でも、2008年5月には超党派による新たな議員連盟「裁判員制度の導入の中で量刑制度(死刑と無期懲役のギャップ)を考える会」(仮称)が発足。仮釈放のない終身刑として「重無期刑」を導入しようとする動きが始まった。
※4 取り合ってはくれませんでした─「電話をしても『電話では取り扱えません』。出向いたら門前払い。『いい加減にしてください』とまで言われました。いい加減にしてくださいと言いたいのはこっちです。まだ心の整理がついていない被害者に向かって、法の番人がよくそういうことがいえるなと。検察には上申もできないし、法律の説明もない、弁護士も取れない。それは法律違反だといわれたのですが、後々よく調べてみると両方ともできた。当時はそこまで考えることができませんでした。検察は我々が知らないってことがわかっていたんでしょうね。いいようにやられたという感じです」(美由紀さん)
長女の美由紀さんと
5カ月のスピード判決
実際、裁判にはものすごく時間がかかります。インターネットで1948年から2007年までの死刑判決か無期懲役が出た判決例を全部読みました。ほとんど何年もかかってます。しかし私の放火のケースはたった5カ月で終わりました。たった5回の裁判で全部終わってしまった。中国みたいな猛スピード判決。1カ月に1回の裁判でぽんぽん決まってしまった。その理由は、犯人は犯行を全面的に認めて裁判に協力したから。それも死刑判決が出なかったひとつの理由らしいです。
当時は東京に引っ越していたんですが、月に1度、宮崎に裁判を傍聴しに行ってたんです。あのときは早く決まった方がいいと思ってましたけど、今考えるとやっぱりダメです。本当にこれでいいのか、考える時間がなさすぎた。
私たちは放火によってふたりも愛する家族を失って、仕事も失った。何もかも失って、戦う力がなかった。今みたいな精神状態だったら絶対戦います。まだ私、終わってない。またぶつかりにいきますけどね。そのチャンスを待ってるんですよ。私は忘れませんよ。家内と子供の命を奪われたことは当然、絶対に忘れられませんよ。検察にしてみれば終わった事件かもしれないけど、残された私と長女の中では終わっていません。黙っていられません。
今の日本の法律では被害者の心の痛みと苦しみは考慮してもらえない。あまりにもおかしすぎる。皆さんだって、いつなんどき犯罪被害者になるかわからないんですよ。ある日突然、日常が奪われる。愛する者が殺される。これは地獄ですよ。
当然、このまま無期懲役では納得がいかないので、殺されている側の権利として、この事件を国際裁判にかけようと思っています。私がイタリアとスイスの国籍を持っているので、家内と娘もスイスの国籍を持ってるんですよ。娘は日本とイタリアとスイスの三重国籍です。だからスイス市民として、国際裁判で戦うことができる。もちろん長くかかるでしょうけど、やるつもりです。
でもその前に日本の政府と国民に訴えかけて、終身刑が成立すれば、国際裁判で戦う必要はありません。私の望みは日本に終身刑を創設することです。そのために、無期懲役が確定した2週間後の2005年7月14日から、終身刑成立を目指し、日本全国をバイクで回って署名活動を始めたんです
ストッキ氏が全国を駈けずり回って集めた署名。これまでに9万5000人もの署名が寄せられた
Bへ つづきます・・・
************************************
■署名・講演の問い合わせ
minervai@rhythm.ocn.ne.jp
携帯TEL:090-2505-1210
電話:072-762-3702
Fax:072-762-3703
住所:〒563-0036
大阪府池田市豊島1-5-27
シャーメゾン豊島106号
■募金口座
郵便振込口座
口座名義:ストッキ・アルベルト終身刑設立活動募金
口座番号:00990-7-107238
■署名協力
署名を希望する方は、
住所、氏名、サインもしくは捺印の上、〒563-0036 大阪府池田市豊島1-5-27 シャーメゾン豊島106号 ストッキアルベルト署名係まで送付してください。
2009-05-03 22:48
|
記事へ |
コメント(0) |
トラックバック(0) |
|
キリスト教 カトリック |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/828/
今日、カトリック箕面教会に来られた イタリア人の
ストッキ・アルベルト さん
私は、ごミサでこの方のために祈りました。
涙が出てとまりませんでした。
こんな日本でごめんなさい。
日本を愛して 33年も暮らしておられて
日本人の奥さんと娘さんと 幸せに暮らしていたアルベルトさんに
日本人は なんてことをしたの。
そして 日本の法律は なんてひどい仕打ちをしているの。
こんな日本であることを恥じなきゃいけない。
こんな日本のままでは この方に申し訳ない。
こんな日本を作りだしているのは 日本人の責任です。
ミサのあと
教会の出口で 署名のお願いをされるアルベルトさん↓
終身刑の創設を求めて全国行脚 ストッキ・アルベルトさん
奥様クララさんとまだ、12歳だった娘さんのクリステイーナさんを
放火により殺されたのが 5年前。
犯人は事件の2年前に刑務所を出たばかりで、
放火、窃盗などの罪で過去に6度の服役歴があったのです。
動機は
「借金や仕事などのうっぷんがたまってむしゃくしゃしていたから」──。こんな身勝手な理由でふたりの命を奪った犯罪者に裁判長が言い渡した判決は「無期懲役」。
日本では、無期懲役の犯罪者というのは、
仮釈放で社会に戻ってくる可能性が十分にあるのです。
そして犯罪こを繰り返すという例が少なくない。
日本には 「終身刑」がないのです。
アルベルトさんは自分個人のためではなく、
昔は鍵もかけないでいられた、公園で安心して子供たちが
遊べた、そんな時代の 真の日本を取り戻すべく
全国をまわって 署名活動を続けておられます。
ただし、本来ならば、人権や政府への訴え、などに
耳を貸すべき 大阪教区 カトリック正平教シナピス はこの訴えを無視だそうです。 ひどい。
ストッキさんの真摯な訴えに耳を貸した党派、
死刑反対派、賛成派などの思想の違いを超えた議員による
「量刑制度を考える超党派の会」(会長=加藤紘一・自民党元幹事長)が2008年5月に結成され 全員一致で
無期懲役と死刑のギャップを埋める量刑の創設を議員立法で目指すことになったようです
ただ、議員のメンバーリストを ストッキさんが持って
おられたのですが、見せていただくと
自民党 中川秀直、太田誠一氏の名前があることに少し違和感が。
人権擁護法案や外国人参政権推進派と呼ばれる議員だからです。
メンバーは、私が調べると
★「量刑制度を考える超党派の会」の役員
自民(15人)
森喜朗、加藤紘一、平沢勝栄、古賀誠、中川秀直、太田誠一、川村建夫、杉村建夫、杉浦正建、尾辻秀久、遠藤利明、柴山昌彦、葉梨康弘、早川忠孝、小野次郎、古川俊治
民主(12人)
鳩山由紀夫、仙谷由人、土肥隆一、枝野幸男、金田誠一、川村たかし、近藤昭一、小宮山洋子、松本龍、笠浩史、大塚直史、細川律夫
公明党(3人)
浜四津敏子、大口善徳、漆原良夫
国民新党(4人)
亀井静香、自見庄三郎、亀井久興、長谷川憲正
共産(2人)
小池晃、笠井亮
社民(1人)保坂展人
また辻本清美の名前も・・・・・・
このメンバーは、死刑廃止議連のメンバーもおり、
その廃止論者の最終的な目標が「死刑廃止」であることは
懸念されます。
でも 森喜朗氏のような 死刑賛成派もおられ
日本の現状で 「死刑廃止」がすぐに成立することは
ありえないでしょう。
それよりも恐ろしいのは 裁判で
死刑を免れた 凶悪犯罪者が
無期懲役となり、数十年すれば 釈放されるという現実です。
「死刑廃止」のための議論ではなく
アルベルトさんが望む 真の「終身刑 成立」のための
法案に向けて 努力してほしいと望みます
「死刑廃止」については、
このアルベルトさんは
カトリックとして死刑廃止という気持ちはあるが、
現在の日本の法制度について言えば、即 死刑廃止とは
いかないと。 死刑廃止に賛成することはできないと。
気持ち的には、犯人が釈放されたら
殺してしまたいぐらいの気持ち・・・ そりゃそうです。
私としては 絶対 死刑賛成です。
死刑は 絶対 必要だと思います
幼女殺人の宮崎や 池田小事件の宅間・・・
死刑以外 ありえませんもの。
そして 終身刑はあくまで 仮釈放なし
一生 刑務所ですごし、労働を課して 働いたお金は
被害者の救済にあてるというあう制度を望みます。
次のページに
終身刑の成立を求めて全国行脚
という記事の転載をいたします。
ぜひぜひ お読みください。
http://www.jinzai-bank.net/edit/info.cfm/tm/138/
*************************************
■署名・講演の問い合わせ
minervai@rhythm.ocn.ne.jp
携帯TEL:090-2505-1210
電話:072-762-3702
Fax:072-762-3703
住所:〒563-0036
大阪府池田市豊島1-5-27
シャーメゾン豊島106号
■募金口座
郵便振込口座
口座名義:ストッキ・アルベルト終身刑設立活動募金
口座番号:00990-7-107238
■署名協力
署名を希望する方は、
住所、氏名、サインもしくは捺印の上、
〒563-0036 大阪府池田市豊島1-5-27 シャーメゾン豊島106号 ストッキアルベルト署名係まで送付してください。
2009-05-03 21:46
|
記事へ |
コメント(11) |
トラックバック(0) |
|
キリスト教 カトリック |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/827/
今日は、サッカーの試合が急遽、なくなったので
箕面教会に母親をつれてミサに参加しました。
いつも早くから教会に来ているセバスチャンと挨拶。
聖歌隊の練習のあと、聖堂内を見渡すと
箕面教会の信徒さんではない、ご夫婦。
美しい奥様、綺麗なベールをかぶってらして・・・
どこがで お見かけしたことが・・・
あっ クゥ神父様の叙階式、玉造でご挨拶した大阪のご夫妻だわ
そして、昨日、夫が典礼準備の際に出会ったという
バイクで日本全国をまわられているイタリア人の方・・・
そしてミサがはじまりました。
今日は、後藤神父様がおひとりでの司式でした。
後藤神父様は、今日、来られたイタリア人の方の
亡くなられた奥様、娘さん クララさんとクリスティーナさんの
ために祈りましょうと 今日のごミサで
何度もお名前を唱えられました。
クララさんとクリスティーナさんが亡くなられたこと
私は亡くなられたお二人のことを想って涙が出ました。
後藤神父様のお話では 今日の福音での羊飼いが羊のために命を
投げたすということを 今の世の中のペットと飼い主との関係と
いうようなものではないと・・・
そうですね、今の飼い主は 都合が悪くなったら
簡単にペットを保健所に連れていったり 捨てたりするんですもの
愛玩のおもちゃとしてとしての感覚しかない人が多いです。
ペットを守るために命を捨てることができる人はいないだろう
この福音の羊飼いと羊のたとえは
そんな関係ではないという後藤神父様のお言葉はよくわかりました。
神様の人間に対する もっともっと 大きな愛について
お話下さいました。
でも・・・おつるは・・・
9匹の猫ちゃんたち、この子たちがもし車に轢かれそうになったり
猫嫌いの変質者に殺されそうになったりしたら
命を投げ出してしまうと思います。
おつるは猫ちゃんたちを 心から愛しています。
貯金が一円もない私たち夫婦ですけれど
猫ちゃんが 死にかけたら 今まで何度も真夜中に数十キロ離れた
夜間の救急病院に駆けつけて、10万円近いお金を支払ってます。
それにつきあってくれて 泣いてくれる相方にいつも
感謝しています。
でも 神様の人間に対する愛は もっともっと深いのですね
といろいろ考えました。
ごミサの最後に お知らせとして
和田幹男神父様が 今日の「世界召命の日」の
教皇様からのメッセージを読みあげられました。
2009年5月3日 復活節第4主日
神の呼びかけを信じること、すなわち人間の応答親愛なる司教司祭職にある兄弟の皆様
親愛なる兄弟姉妹の皆様
復活節第4主日、2009年5月3日に祝われる司祭職と奉献生活のための世界召命祈願の日を前にして、わたしは「神の呼びかけを信じること、すなわち人間の応答」というテーマについて考えるように、すべての神の民を招きたいと思います。弟子たちを励まし、イエスはいいます。「だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい」(マタイ9・38)。このことばは、絶えず教会のうちに響いています。祈ってください。主は、信頼して召命のために祈り続けることを切に望んでおられます。キリスト者共同体は祈りに生かされてはじめて、真に「神の摂理に大きな信仰と希望をもつこと」(使徒的勧告『愛の秘跡』26)ができるのです。
司祭職および奉献生活への召命は、神からの特別なたまものです。それは一人ひとりの人間と全人類のための、愛と救いの大いなる神の計画の一部となっています。使徒パウロの生誕2000年を記念するこのパウロ年にあたり、わたしたちが特別な思いをはせる使徒パウロはエフェソの人々に宛てて次のように記しました。「わたしたちの主イエス・キリストの父である神は、ほめたたえられますように。神は、わたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました。天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、ご自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました」(エフェソ1・3-4)。ですから、すべての人を聖性へと招くにあたり、御子イエス・キリストにより親しく従い、特別な奉仕者、証人となる者を、神ご自身がお選びになるのです。神である師は「自分のそばに置くため、また、派遣して宣教させ、悪霊を追い出す権能を持たせるため」(マルコ3・14-15)ご自分で使徒を呼ばれました。使徒は次々に周りにいる他の弟子を集めて、その使命における忠実な協力者としました。このようにして、主の呼びかけに応え、聖霊の働きに従いつつ、はかりしれない数の司祭と修道者が何世紀もの間、教会の中で福音への奉仕に献身してきました。神に感謝いたしましょう。今もなお、神はご自分のぶどう園に労働者を呼び集め続けておられるからです。世界には司祭の数が著しく不足している地域があり、教会がその都度、困難や障害に遭遇していることは疑いようもない事実です。しかし、わたしたちは揺るぎない確信に支えられています。それは、時の流れの中で教会をみ国の最終的な完成に向けて力強く導く主は、慈しみ深い愛の秘められた計画のうちに、あらゆる文化と世代から自由に人を選び、ご自分に従うように招いておられるという確信です。
したがって、まずわたしたちがすべきことは、家庭、小教区、さまざまな運動、使徒職を果たすための組織、修道会、教区生活のあらゆる部門で、神の呼びかけに対するこの思いを絶えず祈りながら持ち続けることです。仕えることに自らの存在すべてを惜しげもなく差し出し、救いの使命においてより親しくご自分と働く人を、「収穫の主」は絶えず求め続けておられます。このことを確信しつつ、わたしたちはすべてのキリスト者が神への信頼のうちに成長するよう祈らなければなりません。召し出された者が責任と確信ある対応をするために求められることは、傾聴し、賢明に識別し、神の計画に惜しみなく進んで従い、司祭や修道者の召命に固有の現実を真剣に学ぶことです。
『カトリック教会のカテキズム』に明示されているように、神は自由に呼びかけ、人間の自由な応答を求めます。すなわち、すべての人のための神の計画を受け入れ、それと一つとなることをつねに前提とした前向きな応答を求めているのです。それはまた、わたしたちより先にわたしたちを愛してくださっている主を受け入れるという応答であると共に、召し出された者として、道徳的義務に従い、神に感謝をささげ、神が歴史の中で遂行される計画に協力する人となるという応答でもあります(n.2062参照)。
聖体は、独り子のペルソナのうちにある、人間の救いのためのおん父の無償のたまものと、神のみ心のままに「杯」を飲みほす(マタイ26・39参照)準備ができていたキリストの完全性と従順を荘厳なしかたで表しています。その神秘を観想するならば、どのように「神の呼びかけを信じる」ことが実現し、それがどのように「人間の応答」に価値を与えるかを、より容易に理解できるでしょう。聖体とは、この世をあがなうための愛の計画の完成をもたらす完全なたまものです。イエスはこの聖体のうちに人間の救いのために自らを惜しげもなく差し出しています。わたしの愛すべき前任者であるヨハネ・パウロ二世は次のように記しています。「主キリストから教会が与えられた聖体のたまものは、たとえそれらがどんなに尊いものであれ、他のさまざまなたまものの一つではなく、特別にすぐれた意味でのたまものです。なぜなら、聖体によって与えられているのはキリストご自身、すなわち聖なる人間性におけるキリストのからだであり、キリストの救いのみわざだからです」(回勅『教会にいのちを与える聖体』11)。
何世紀にもわたって、主の栄えある再臨のときまで、司祭はこの救いの神秘を永続させるために召し出されています。それは司祭が、おん父の自由な呼びかけとキリストの忠実な応答の間になされる「召命の対話」という卓越した模範を、まさにキリストの聖体のうちに仰ぎ見ることができるためです。聖体祭儀においては、キリストがご自分の役務者として選ばれた人の中で、キリストご自身が働いておられます。キリストは、信頼と感謝のうちに彼らの応答が高められるように支えておられます。彼らが自らの弱さを痛感し(ローマ8・26-28参照)、誤解や迫害というつらい経験をしているときすら(ローマ8・35-39参照)、キリストはあらゆる恐怖を取り除くために彼らを支えます。
キリストの愛によって救われるという意識は、あらゆるミサにおいて、信者、とりわけ司祭のうちにはぐくまれます。その意識に駆り立てられ、彼らは、わたしたちのためにいのちを与えてくださったキリストに信頼して自己放棄せずにはいられません。ですから、主を信じ、主のたまものを受けることによって、わたしたちは主の救いの計画に従い、感謝の心をもって主に自らを委ねるように導かれます。それが実現したとき、「呼ばれた」人は喜んですべてを捨てて主なる神の教えに自らを差し出します。そこから神と人間の間の実りある対話が始まります。それは呼びかける主の愛と、愛のうちに応答する人間の自由との神秘的な出会いです。「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである」(ヨハネ15・16)という魂に響くイエスのことばに耳を傾けているのです。
互いに愛を織りなす神の呼びかけと人間の応答は、奉献生活への召命にも美しく表れています。第二バチカン公会議は次のように示しています。「神にささげられた貞潔、清貧、従順の福音的勧告は、主のことばと模範に基づくものであり、使徒と諸教父ならびに教会の師と牧者たちが推奨するものであって、教会が自分の主から受け、また主の恩恵によって絶えず守ってきた神のたまものである」(『教会憲章』43)。
前に述べたように、イエスはおん父のみ旨に完全に信頼して従うことの模範であり、すべての奉献生活者はその模範を見習うべきです。キリスト教のごく初期の頃から、多くの人がキリストに引きつけられ、家族、所有物、物的財産、そして人間にとって好ましいと思われるものすべてを捨て、喜んでキリストに従い、妥協することなく福音を生きてきました。このことは彼らにとって、聖性に深く根ざした学びやとなりました。今日でも同じように、多くの人が、福音の完成に向けてこの過酷な旅路を歩み、福音的勧告に従うと宣言するよう召されていると実感しています。このようなわたしたちの兄弟姉妹は、観想修道会、修道会、使徒的生活の会の中にいます。彼らは、神の民は「歴史のうちにすでに現存しているが天において完成されることになる神の国の秘義」(使徒的勧告『奉献生活』1)のうちにあることをあかししているのです。
自分には司祭の役務を目指す価値があると、誰が考えることができるでしょうか。自らの人間的な力のみに頼って、誰が奉献生活を送ることができるでしょうか。神が率先してご自身の救いの計画を実行されていることはご承知かと思いますが、改めてもう一度繰り返します。人間は自らに委ねられた才能を、恐ろしくなって地の中に隠しておくような、臆病で取るに足らないしもべです(マタイ25・14-30参照)。神の呼びかけに対する人間の応答は、そうした人間の私情に従って行うものではありません。むしろ、主の招きに進んで従うことのうちに、人間の応答そのものが表れるのです。ペトロの場合もそうでした。ペトロは夜通し苦労しても何もとれなかったにもかかわらず、主のことばを信頼して、ためらいもなく再び網を降ろしました(ルカ5・5参照)。神への人間の自由な応答は、決して自分の責任を放棄することではありません。それはむしろ「共同責任」、すなわち聖霊の働きをとおしてキリストのうちに、キリストとともにある責任です。それは、わたしたちに豊かな実りをもたらすかたとの交わりとなるのです(ヨハネ15・5参照)。
神の呼びかけに全面的に信頼する人間の応答は、ナザレのおとめマリアのことばに象徴されます。それは「アーメン」というすべてを受け入れる純粋なことばです。マリアは神の使いによって告げられた至高の神の計画に、謙虚に全面的に従うことをことばにしました(ルカ1・38参照)。マリアは即座に「はい」とこたえ、神の母、救い主の母となりました。この最初のフィアット、「おことばどおり、この身になりますように」の後、イエスが十字架に架けられる最後の時にいたるまで、マリアはそれを何度も繰り返すことになりました。福音記者ヨハネは記します。イエスの十字架のかたわらに立ち、マリアは罪なきわが子の壮絶な苦しみにあずかりました。死にゆくイエスがマリアを母としてわたしたちに委ね、わたしたちを子としてマリアに委ねたのは、まさにこの十字架上からでした(ヨハネ19・26-27参照)。ですから、マリアはとりわけ司祭と奉献生活者の母です。神の呼びかけに気づき、司祭職もしくは奉献生活の道を歩もうとするすべての人を、わたしはマリアに委ねたいと思います。
親愛なる友人の皆様。困難や疑いを前にして落胆してはなりません。神を信頼し、イエスに忠実に従いなさい。そうすれば、イエスと堅く結ばれることによる喜びの証人になれるでしょう。おとめマリアは信じるがゆえに、あらゆる世代の人から幸いなかたと呼ばれます(ルカ1・48参照)。マリアのように、力あるかた、偉大なことをなさるかたを、その尊き御名のゆえに驚きあがめることができるように(ルカ1・49参照)、心をこめて励みましょう。マリアに倣い、天のおん父の救いの計画が実現するように、あらゆる霊的な力を尽くしましょう。
2009年1月20日
バチカンにて
教皇ベネディクト十六世
そして 初めて教会に来られた方のご紹介で
梅花の学生さんがお二人、お勉強に来られていて
「いつもの学校のミサとは違うので勉強になりました」と
言っておられました。
そのあと、大阪のご夫妻がごあいさつされて、
おつる夫妻と 先日のクウ神父様の叙階式で会ったこと
おつるブログのファンであると
そして和田神父様のことを、素晴らしい神父様だと
バチカンに添う教会が大切と
たくさんお話をされました。
おつるの名前が出てきて、少し恥ずかしかったです
ごミサのあと、イタリア人のアルベルトさんの人生を
賭けている思いをお聞きしました。
つぎのページに レポートします
ぜひ お読みください。
そして 大阪のご夫妻と信徒会館で
たくさん お話ができて嬉しく思いました。
このブログのおかげで お知り合いになれたこと
本当に幸せです
さて 今日は、お昼に 壮年会でクウ神父様の歓迎会が
あるとのことで、
なんと アルベルトさんの大きなバイクの後部座席に
和田神父様が乗っかって・・・・
わたしは お見送り
和田神父様のヘルメット姿は スクープかも
かっこいいー
「昔 バイク乗ってたんやでーーー」と和田神父様 笑
うれしそうです
2009-05-03 20:45
|
記事へ |
コメント(1) |
トラックバック(0) |
|
キリスト教 カトリック |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/826/
今日は、箕面教会のミサ
箕面教会のお庭のマリア様です↓
クウ神父様が初めて おひとりでミサの司式をなさいました。
クウ神父様は落ちついて、ゆったりとした口調で
ミサでは、歌うところをすべて、美しい声と正確な音程で歌われ
説教では、生き変えることと 生まれ変わること
「復活」の意味、信じることと
聖なる言葉でお話をされました。
クウ神父様の初めてのおひとりのミサの オルガン担当を
させていただいて、感激いたしました。
クウ神父様は光につつまれているようでした。
私もオルガンにチカラをいただきました。
すばらしいごミサでした。
今日は、聖歌隊はグレゴリオ聖歌の アベマリア を歌いました。
和田神父様のリクエストで今日からは、
ラテン語聖歌の アドロテ を練習します。
****************************
カトリック箕面教会月報5月号より
真、善、美、そして聖
主任司祭 和田幹男
西欧では古来、真、善、美は超越的価値と言われてきました。
真について言えば、わたしたち人間は生まれてから死ぬまで学習するように、真を追い求めてやみません。
しかし、わたしたちが得た真は常にわたしたちを超えたところにあります。
善についても、たとえば隣人に親切をしながら、
善を追い求めさせていただいています。
この親切をすることに物理的に限界がありますが、可能ならとことん親切をしたいと望んでいます。後期高齢者になったから隣人に
親切をしなくてもよいというように、
生きている限り善を追い求めなくてもよいとは考えません。
美についても、芸術家は死ぬまで美を追い求めますが、
美そのものは人生を超えたところにあります。
このように人間を超えたところにある 真、善、美に向かうものとして人間は造られているのです。
換言すれば、真、善、美への志向性が人間には
その誕生の時からインプットされているのです。
さてその真を求めて哲学者や科学者は心血を注ぎ、
善を求めて命をかけ、財産を差し出す人があり、
美を求めて、芸術家は人生を賭けます。
この真、善、美と並んでと言うべきか、その総合と言うべきか、
聖、聖性、「聖なるもの」があります。
この「聖なるもの」について、ドイツの宗教哲学者ルドルフ・オットーは、名著を残しました。
人間の心は生まれたときから、「聖なるもの」への志向性が
インプットされているのです。
その心の要求に応えるのが宗教であり、
その「聖なるもの」を一生かけて追い求めるのが宗教家ではありませんか
宗教が真摯に「聖なるもの」の追及をしなければ、
それはもう宗教ではありません
宗教家がその全生活をもって「聖なるもの」を追い求めるのでなければ、まやかしです。
今日のカトリック教会は宗教として、どうでしょうか。
教会は、聖なる死を遂げて復活されたイエスがおられる聖なる集いであることを忘れてはなりません。
また神は聖なるものであらせられるから、その民も聖なるものでなければなりません
(レビ19の2)
*******************************
今日から堅信式に向けての和田神父様のお勉強がはじまりました。
私は2004年に 洗礼と同時に堅信を授かったのですが
先日、洗礼を受けた母親は、5/24(日)の北摂大会の
池永大司教様の 堅信式のために、お勉強をはじめました。
北摂大会では、オルガン担当です。
母親も授かる堅信式で オルガンを弾いて祈れることが喜びです。
帰りに、和田神父様に 月報の上記の記事に感動したことを
御話しました。
哲学者は真、芸術家は美、宗教家は聖・・・では
教育者はどうあるものでしょうかと 質問しました。
たまたま画家で芸術家のK夫妻もいらして
「ぼくは美に命を賭けてますよー」と言われました。
和田神父様は 教育者は 真、善、美、聖すべて兼ね備えて
いるべきでしょうねと言われて・・なるほど〜 と思いました。
がんばらなくちゃ。
今日もお勉強できて 幸せです。
箕面教会のお庭 いつも綺麗です↑↓
綺麗に お花のお世話してくださる信徒さんに感謝♪
2009-04-27 00:22
|
記事へ |
コメント(22) |
トラックバック(0) |
|
キリスト教 カトリック |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/817/
同じくcrep@FreeTibetさんの日記より
マイミクModerato@Free Japan さんのコメントです。
Moderatoさんのお父様の論文や、シベリア抑留時代の生のお話は大変勉強になります。
2008年7月の日記あたりから始まって、お父様の興味深い体験談などを読むことができます。先の大戦経験者の方のお話を伺えるなんて、とても幸運です。
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=15173212
これもとても参考になりました。
「満州国は日本の植民地ではなかった」 黄 文雄 (著)
http://www.amazon.co.jp/%E6%BA%80%E5%B7%9E%E5%9B%BD%E3%81%AF%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%A4%8D%E6%B0%91%E5%9C%B0%E3%81%A7%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%8B%E3%81%A3%E3%81%9F-%E3%83%AF%E3%83%83%E3%82%AFBUNKO-%E9%BB%84-%E6%96%87%E9%9B%84/dp/4898315364
----------------------------------------------------------------------------
Moderato@Free Japan 2009年04月26日 19:56
日新報道 水間政憲氏の「南京の真相」という本があります。
<国際連盟は「南京2万人虐殺」すら認めなかった>
写真も多く(しみちえさんが載せた写真もあります)
英字でも書かれていますので、英語圏の人に読んでもらうのに最適です。
前に私の日記に書きましたが、父(戦争体験者)の論文を一部・・
先に満州の地は我が国が「侵略」したのではなく、寧ろ「開放」したとも云うべきものであったと記述したし、また現地の住民達が我が国に対して如何に感謝していたかに付いても一言触れておいたが、この項を終えるに当たって、私の体験を披露しよう。
1) ソ連軍不意の侵攻により、我々は徒手空挙に近い装備で悪戦苦闘を余儀なくされたが、この期間中には真夏の炎天下で、乾パン一粒も一滴の水も口にできない有様の時もあった。
この様な苦境の中で満人農家の集落を通過する際、しばしば村中総出で握り飯を振舞われたことがある。 当時彼等にとって米は特別に貴重な食料であるし、通りすがりで二度と会うこともない我々に対してのこの遇しに付いて尋ねたところ「私達が今日まで平穏に暮らせたのは日本の兵隊さんのお陰です。 その皆さんが今大変苦労しており、ご恩返しするのは当然です。 握り飯だけで申し訳ありません」との返事だった。
言われてみれば尤もなことである。 彼等は先祖代々馬賊を恐れ、土地の権力者の苛斂誅求に虐げられて、一日も安閑としたことはなかったのである。 そして日本の手による治安の安定と、新政府による適正な賦課以外は全く無い社会となったわけで、僅か12年間のことであっても彼等にとっては先祖代々経験したことの無い至福の歳月であったのは事実であろう。
2)今から30年程前、私達の戦友会は70人ほどで対ソ戦の古戦場巡りの慰霊ツアーを実現した。 7泊8日の旅であり、古戦場は正味4日間であったが、通過した各村落や小さな町での休憩の際、通訳兼ガイド兼監視人である中国人が、地元の人に「この人達は旧日本軍の軍人で、1945年この地でソ連軍と戦った人達である」と説明すると、物見高く集まっていた群集は一斉に大きな拍手で歓迎の意を示してくれた。 日ソ2国間の戦闘に捲き込まれて大変な迷惑を受けた人達も、その後に生まれた若者達も兎に角満面の笑みで親しみと懐かしさを表しており、反感・嫌悪の態度を示す人達が皆無であったのは、なんとも云えない気分であった。 もし之がソ連からきた旧軍人の一団であったら、果たしてこの様な風景が見られるだろうか。
敗戦直後我々はこの道を全行程徒歩でソ連領まで進んだのだが、途中の村々には各戸赤旗を立てて占領軍歓迎の意を表していた。 しかし僅か数日のうちに地元民とソ連兵との間は険悪となっていたのを鮮明に記憶している。 日本兵とソ連兵との差異は年寄りから若者達へも十分伝わっていたのであろう。
3) 我々の主戦場となったこの地区一帯は、当時幼児や乳児であった日本人の孤児が特に多かった。 之等の孤児を救い、養ってくれたのは現地の農民達である。 しかもその数は半端ではない。 少なくても3千人は超えるだろう。
中国人は義理にも厚いが一旦憎しみや恨みを抱くと日本人では想像もつかない残虐性を示すのが普通である。 その彼等が孤児達に示した人道的な対応は前述の通り、日本或は日本人に対する信頼感や親近感が如何に大きかったかという証左ではあるまいか。
4) 日本から満州の未開地に各県から開拓団が行っていたことはよく知られている。 そして之等の開拓団は満人農家の土地を奪って自分達の耕地にしたが如く云われているが全くの虚報である。
元々持ち主のいない広漠たる肥沃な土地があり、何も他人の土地を横奪する必要など無かった。 そして日本の開拓団には短期促成で開拓団の中だけで認められた俄か医師と獣医がいて、近隣の満人部落にも大変役にたったこともあり、深い親睦関係が成り立っていたのである。 私の中隊にも開拓団出身の下士官や同年兵がいた。 それぞれ別の開拓団からの入隊者であるが、現役兵として入隊するため、その地を離れるに際しては満人部落から招待され盛大な歓送会を催されたそうである。 そしてその中の下士官の人は前記慰霊ツアーの後も村人達と文通による交流が続いていた。
以上
2009-04-27 00:06
|
記事へ |
コメント(6) |
トラックバック(0) |
|
キリスト教 カトリック /
中国 /
戦争 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/816/
(続き)
●満州は中国の領土ではない
つぎに、満州のことをみてみましょう。朝鮮半島の北隣、現在の中国人が「中国東北部」と呼ぶ地です。
満州というのは、もともと中国に清朝をうち建てた満州族(女真族)の故郷です。清朝は満州族がつくった王朝であって、漢族は被支配民族だったのです。
中国で「義和団の乱」(北清事変・一九〇〇年)が起きたとき、ロシアはそのどさくさにまぎれて、満州を不法に占領し、そこに居すわってしまいました。満州にロシアが居すわることは日本にとっても脅威でしたから、日本はロシアを追い出すために、日露戦争を戦います。
日本は日露戦争に勝利し、満州からロシアを追放すると共に、満州を清朝に返してあげます。ジョンストン(満州国皇帝となった溥儀の家庭教師)の書いた『紫禁城の黄昏』には、日本が満州を清朝に取り返してくれたときのことが詳しく書かれています。
日本はこのとき、満州における鉄道の権利と、遼東半島の租借権を獲得します。それは満州を取り返してくれたことに対する、清朝からのお礼の意味もありました。
しかし、満州は当時、盗賊の跋扈する無法地帯であり、今日のイラクより治安の悪い所でした。そのため国際条約のもと、権益を守るために日本の「関東軍」がそこに駐留していました。今日でいう平和維持軍、守備軍です。
この満州には、張作霖の一家が統治者として支配していました。関東軍は当初、この統治者と共同路線を歩もうとします。しかし張は、盗賊あがりの暴君で、満州の民衆にすさまじいばかりの搾取を行なっていました。盗賊がそのまま支配者となっていたのです。G・B・レーは、
「張作霖一家が三千万民衆から搾取した収入は、南京政府の収入より多くなくとも之に匹敵するものであった」
と書いています。さらに張の親子は、条約を無視して満州の経済権益を日本から奪い取ろうとするなど、露骨な背信行為に出てきました。それを目の当たりにした関東軍は、軍事行動を起こし、張の軍隊を満州から駆逐します。
これが満州事変です。これは日本軍の武力侵略の第一歩であると語られていますが、実際のところ当時、日本軍による張の軍隊の駆逐をみた満州全土の民衆は、大喝采を叫び、日本に感謝したのです。なぜなら張の軍閥政権は、
「軍費を捻出するために広大肥沃な満州の土地を荒らし、民衆の膏血の七、八割は軍費に充てられ、商民の三割はついに破産した」
と言われたほど、ひどい搾取を行なっていたからでした。
当時の諸外国の反応も、日本の行動はやむを得なかったとしました。アメリカ公使、ジョン・V・A・マクワリーは、張の行動は中国国民党政府が仕掛けたものであり、これは彼らが『自ら招いた』災いだ述べました。アメリカの新聞記者、ウォルター・リップマンも、
「日本は激しい挑発に直面しながら、通常の国際的基準からすればきわめて忍耐強かった」
と記述しています。当時のイギリス陸軍の元師も、
「彼ら(日本)はひどい挑発を受けてきた。……彼らが満州で地歩を固めれば、それは共産主義の侵略に対する真の防壁となる」
と述べました。
さて、そののちこの満州の地に、日本の指導によって「満州国」がつくられました。満州国の皇帝となったのは、清朝のラスト・エンペラーだった溥儀です。
清朝が滅亡したとき、日本の公使観に溥儀が逃げてきたのです。清朝というのは、満州人が中国を支配した王朝でした。ですから満州は、清朝を支配した皇帝の故郷です。溥儀は、自分の故郷の満州に帰り、そこに国をつくりたいと言いました。
それで日本は、その希望を受け、満州に満州国を建国したのです。満州国では、皇帝が満州人であるだけでなく、大臣もひとり残らず満州人か清朝の遺臣でした。日本はその建国を指導したわけです。満州国はまだひとり立ちできる状態ではありませんでしたから、日本はその建国をバックアップしました。
満州国の首都・新京。
すばらしい国造りが進んだ。
●奇跡の国・満州国
清朝が滅びたとき、満州人の皇帝が満州に自分の国家を建てるのは、きわめて合理的なことでした。満州国は、わずか一三年間の王国でしたが、世界史上、奇跡の国でした。
そこには建国以降、年間一〇〇万人を超える人々がなだれこみました。人々は中国内地の略奪、虐殺、貧窮に満ちた生活を捨て、この平和な桃源郷を目指して移住してきたのです。
一九三二年の建国時に約三〇〇〇万人だった満州の人口は、終戦時の一九四五年には、四五〇〇万人以上にも増えていました。現在の日本の人口の約半分もの人々が、そこに暮らしていたのです。もし今日の中国人がいうように、当時の満州が略奪と虐殺の地獄だったなら、絶対にこのような現象はみられなかったはずです。
満州国では「五族協和」をかかげていました。いろいろな民族の人々が、満州国の平和と繁栄にあこがれ、自分もそれにあやかりたいと競ってやって来ました。そして彼らにより、この何もない原始的だった地が、きわめて短期間のうちに近代的な法治国家、平和国家、一大重工業国家として成長したのです。しかし、
「五族協和といっても、実際は日本が指導した国で、その中枢には日本人が大多数を占めていたではないか」
という批判もあるでしょう。けれども、これは満州国がひとり立ちする時までは、やむを得ないことでした。なぜなら日本人以外は、字も読めない人々がほとんどであり、教育もなく、国家の理念すら理解しない人々だったからです。
そうした中、日本がリーダー的な役割をすることが求められたのです。そして実際、満州国には、様々な民族が年間一〇〇万人以上なだれ込み、共に国造りに励んだのです。
満州国の新京・日本橋町。満州国は、周囲からみると別天地であり、
様々な民族が年間100万人以上なだれ込み、共に国造りに励んだ。
かつて盗賊的な軍閥に支配され、搾取にあえいでいたこの地は、満州国の建国によって全く生まれ変わりました。治安がみごとに確立され、つぎには近代的な司法制度、法律が完備され、賄賂の悪習も追放されました。
政府の財政も確立されました。貨幣の統一もわずか二年間で達成されました。満州の総面積は、現在の日本の領土の約三倍あります。日本人はその広大な国土に、鉄道、道路、港湾、空港のほか、上下水道、治山治水、電力供給など、様々な国土開発計画を実施しました。
首都・新京は、じつに先進的な百万人都市として建設されました。路面はすべて舗装され、東京にもなかった下水道が敷かれ、水洗便所が使用されました。また、以前は鍋・釜しか製造できなかった満州は、やがて自動車や飛行機まで製造する一大産業国家に変身しました。
日本はそこに学校を建て、教育を普及させるとともに、病院を建て、風土病、伝染病を駆逐していきました。もちろん、まだまだ改革しなければならないものは残っていましたし、戦時経済のひっ迫した状況もありました。
しかし全体的にみれば、そこは搾取や略奪のない、生命・財産の保護される平和郷であり、周辺地域から比べれば非常に優れたアジア人の王道楽土となっていたのです。
もし日本が敗戦することなく、満州国が存続していたら、満州国は間違いなく、その後のアジアにおいて巨大な発展を遂げ、アジアの平和と繁栄に寄与する重要な国家となっていたでしょう。まさにアジアのアメリカ合衆国となっていたに違いありません。
しかし日本の敗戦後、満州国は中国の一部(東北部)とされました。そして日本がそこに残した遺産は、その後の中国の重工業の九〇%を支え、中国の経済的基礎となりました。戦後の中国は、この満州国の遺産で食いつないだのです。
●日本の道義的行動
今までみてきたように、日中戦争とは、中国人からの度重なる戦争への挑発を受けた日本が、やむなく中国の内戦を平定するために乗り出していった行動でした。
日本はその中国内戦に終止符を打ち、そこに、中国人による近代的国家をつくることを支援したいと考えていたのです。
日本は中国を「侵略」したというより、同じアジアの同胞である中国の再生を願い、手を差し伸べたのです。
日本の進出は、中国の国民党軍や共産軍からみれば「侵略」だったとしても、中国の民衆からみれば「救済」だったのです。
日本の願いは、自立した近代的民主国家となった中国と共同して、この東アジアに、共存共栄の経済圏をつくり出すことでした。
また共に、西欧やロシアによるアジア侵略に対する防波堤となることだったのです。
それは、実際もう少しで可能だったでしょう。しかし、日米戦争で力をそがれた日本は、やがて敗戦を迎え、その願いも中途で挫折してしまいます。日中戦争において日本は決して負けてはいませんでした。ただ日米戦争で敗戦となったがゆえに、日本の努力は挫折したのです。
それでも、日本がアジア各国に与えた独立心は、やがて育ち、実を結んでいきました。黄文雄氏はこう述べます。
「大日本帝国は、八〇年にして人類史に計り知れない貢献を行ない、遺産をもたらした。負の遺産はほとんどない。『過去の一時期』に問題があるとすれば、それはただ日米戦争に負けたことだ」
日本ほど、アジアの独立と繁栄のために貢献した国は、他にありません。日本がなければ、今日のアジアの独立と繁栄はなかったでしょう。
その過程で、悪戦苦闘はありました。日本は中国において一番苦労しました。なぜこれほどまでに中国で苦労しなければならなかったのか。
その一つに、日本人と中国人の気質の違いがあげられます。
かつて日本の明治維新を成功させたのは、武士たちの力でした。彼らは「至誠」を美徳と考える人々で、「私」に仕えず「公」に仕える者でした。そして彼らは、維新が成功すると、士農工商の階級制度を廃止し、自分たちも刀を置き、町民となっていったのです。誰もが「国民」という平等の世界に、甘んじて身を投じていきました。
一方、中国の革命家たちに共通するのは、すさまじいばかりの「保身」すなわち「生き残りの哲学」です。
「夷をもって夷を制し」、他を蹴落として何としてでも自分が生き残る、という権力への強烈な願望です。
これは五〇〇〇年間、ずっと戦乱の世に生きなければならなかった中国人の身にしみついた性質なのでしょう。
このとき、自分が生き残るためには民衆の命さえも顧みません。
中国の内戦では、おびただしい民間人が虐殺されました。
民間人に対する略奪、強姦も至るところで行なわれ、彼らは人々から、軍隊というより「匪賊」と呼ばれていたほどです。
これは、日本の武士たちの戦いの様子とは大きく違います。
日本の戦国時代は、武士同士が戦ったものであり、民間人は殺しませんでした。
あの関ヶ原の戦いでも、百姓たちは弁当をもって山の上から戦闘を見物していたほどです。
しかし中国の内戦では、革命家は民間人の死体を山ほどつくるのが常でした。共産党の毛沢東は、日中戦争および戦後の文化大革命、その他を通し、中国人同胞を数千万人殺しました。蒋介石も、先に述べたように数多くの民間人を犠牲にしています。
蒋介石といえば、戦後、連合国の会議において、列強による日本の分割統治に反対し、天皇制存続を訴え、また日本への賠償請求権を放棄するなどをしてくれた人です。
そこには、西安事件以来、彼が不本意にも共産党の意向にそって日本軍と戦争をしたことに対する後悔もあったのかもしれません。
賠償請求権を放棄してくれたことは、日本にとってありがたいことではありました。しかし、中国を焦土にしたのは日本軍ではなく、蒋介石であり、また毛沢東なのですから、日本に賠償請求する権利はもともと彼らにはないのです。
また、日本は戦後台湾に莫大な資産をそのまま残し、蒋介石はそれを受け継ぎました。その結果、彼は賠償以上の莫大な富を手に入れているのです。
蒋介石は戦後、共産軍に負けて台湾にのがれたとき、そこで「白色テロ」と呼ばれる恐怖政治を行ない、多くの台湾人を犠牲にしました。このように中国では、伝統的に「誠」よりも「生き残り」が強く優先されたのです。
●中国人の詐道
この生き残りのためには、様々な策略が練られます。有名な孫子の『兵法』に、「兵は詐道なり」(兵の道はいかに人をだますかにある)とあります。黄文雄氏はまた、
「日本人は『誠』の民族であり、中国人は『詐』(だますこと)の民族である』
と述べています。戦乱がたえず、虐殺が日常茶飯事だった中国では、生き残るために「詐」つまり騙(だま)すこと、人を陥れることが何より必要な術とされたのです。奸智(かんち)にたける者だけが勝ち残る。袁世凱(えんせいがい)は、その奸智と裏切りの達人でした。毛沢東も奸智にたけ、日本軍を中国の内戦に引き込むことに成功しました。
この奸智は、昔も今も中国人の気質として続いています。かつて新渡戸稲造は、中国人は「嘘をつくことを恥と思わぬ厚顔無恥な人々」だと嘆きました。ヨーロッパの大思想家カントやモンテスキューまでも、哲学や法学の大著の中で、「中国人は嘘つき」と説いています。
残念ながら、それは今も変わりません。
中国共産党は現在も、たとえば「日本軍による南京大虐殺」という厚顔無恥な嘘を叫び続けています。
また、かつて自分たちが中国民間人に対して行なった殺戮を、すべて日本軍のしわざと叫び続けているのです。
近代以降の中国では、むかし孔子や孟子が説いた道徳は力を失なっています。
日本人がこれまで何となく抱き続けてきた「中国は道徳性の高い国」との観念は、幻想にすぎませんでした。
もともと聖人の出る国というのは、乱れた国なのです。
キリストがお生まれになったユダヤは、当時ローマ帝国の支配下にあって、圧制と暴虐が満ちていました。そこでキリストが敵への愛を説かれたのです。
シャカが生まれたインドは、カースト制というひどい階級差別が存在し、そこでシャカは人間の平等を説きました。
一方、中国は昔から騙し騙される社会であり、弱みをみればつけこむ社会であるので、孔子や孟子が現われて仁や義を説いたのです。
乱れた国だからこそ、世界的な聖人が現われたのです。
中国では、昔から家族倫理はあっても、公共倫理が希薄でした。
今も、中国の指導者からして、国の内外に嘘をつくことを恥とも思っていません。中国では、
「良心ある人は社会から疎外され孤立する」という諺が生きているほどです。
ある日本人が中国に旅行に行ったときのことでした。町の商店に入ると、店員が、
「だんな、うちの商品はみな本物です。他の店にはニセモノしか置いていませんよ」
と言いました。そんな言葉を、どの商店に入っても言われる。
こんな商売上の嘘ならまだしも、「南京大虐殺」といった政治的な嘘を声高に叫ぶのは、日本人としては本当に困ったものです。
さらに中国政府は、中国共産党がいかに人民にやさしく、日本軍がいかに残虐だったかという彼らがいう「正しい歴史認識」――私たちからみれば嘘の歴史を国民に教えています。
また中国の歴史教科書には、元の時代の中国が日本を侵略した「元寇」に関する記述すらありません。
中国の教科書には、共産党を讃美する虚偽の歴史が書かれているだけです。
中国は歴史の国です。とはいえ、中国の歴史は常に「勝てば官軍、負ければ賊軍」の観念で書き換えられてきました。
支配した者はいつも自己の歴史を美化し、また負けた者には対しては「賊軍」の仕打ちを加えてきたのです。
勝った者が善玉であり、負けた者は悪玉とされ、負けた者には徹底的な糾弾と懲らしめが加えられました。
今日、中国の政治家が日本の政治家に対し居丈高なのでは、その伝統によるものです。
もっとも、中国人のすべてがそうだということではありません。
民間レベルでいうと、最近の中国の経済発展と共に中国人が海外の人々と接する機会や、海外の情報に接する機会も増えてきました。
そして教養のある中国人も増え、それにともない、人格的に尊敬できる中国人も増えています。
私自身、中国系アメリカ人や、中国系日本人の友人、中国に住む中国人の友人等がいますが、彼らは本当に尊敬できる人物です。
彼らのような人々ばかりだったなら、どれほどいいでしょうか。
けれども、残念なことに中国では、政治家や共産党員、また一般の商売人の中にはまだまだ、平気でウソをつく人々の多いのが実情です。
クリスチャンも、こうした中国の実情に無知ではいられません。
中国はいまも独裁国家であり、自由と人権の抑圧された国です。
言論の自由も普通選挙もなく、経済発展はしているものの、体質的には前近代的な国家です。また、いまも台湾を武力統一する気持ちを持っており、その機会をねらっています。
(続く)
2009-04-27 00:03
|
記事へ |
コメント(0) |
トラックバック(1) |
|
中国 /
戦争 /
キリスト教 カトリック |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/815/
crep@FreeTibetさんに教えていただきました。
(しみちえさんの日記から)
↑画像は、日本兵らと遊ぶ中国人児童ら(1937年)
日本兵たちは中国の民衆からは温かく迎えられていた。
映画「南京!南京!」監督、日本での上映を希望=虐殺と向き合って―中国
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=820274&media_id=31
>「同作が日本人に影響を与え、多くの人々が中国にやってきて謝罪することを希望している」
確かに日本人でもまだ南京大虐殺があったと信じている人は多い。
実際は通常の戦闘行為で数十人が死んだだけだったというのが真相のようだ。
30万人という数は正確な数字ではないと中国人も認めている。
「それだけたくさんの人が殺された」ということを伝えたい怒りの表れ、なんだそうだ。
> 「人間であるあなたがた日本人が動物に劣る行為を行った。
そのことに向き合わなければならない」
そっくりそのまま中国人に返します!
*******************
以下の文章を歴史教科書に載せるべきです。
http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/rekishi05.htmからコピペです。
●中国民衆を虫けらのように殺した中国軍
中国軍と、日本軍の間には、大きな質的差異がありました。
それは、中国軍は同胞である中国民衆を行く先々で強奪し、
また大量殺害したのに対し、日本軍は行く先々で彼らを救済しようとしたことです。
中国では伝統的に、民衆とは、戦乱で虫けらのように殺される存在であり、
少なくとも権力者から愛護を受ける対象とはなっていませんでした。
梁啓超は、中国の民衆を「戮民」(りくみん 殺戮される民)と呼んでいます。
たとえば、「国共合作」により共産軍と組んで日本との戦いを始めた蒋介石の軍隊は、
一九三八年、日本軍の進撃の道をはばもうと、黄河の堤防を爆破しました。
このとき、大雨が降ったこともあって一一の都市と、四千の村が水没し、
水死者一〇〇万人、その他の被害者六〇〇万人という大惨事となりました。
しかも、それだけでは終わりませんでした。
この人為的水害の結果、黄河の水路が変わり、周辺に大飢饉が広がったのです。
そして、被災地で食糧不足に悩んだ中国軍部隊は、民衆から食糧の強奪を始めたため、飢饉はさらに深刻化しました。
その惨状をみた当時のアメリカ人記者は、
「道ばたには凍死者と餓死者があふれ、飢えた人々は屍肉を食べていた」
と報じています。
中国側はまた、事件直後から、堤防決壊を日本軍のしわざとして宣伝もしていました。しかし中国側のこの自作自演は、のちに外国人記者に見破られています。
この堤防決壊のとき、日本軍兵士は一人も死にませんでした。
それはただ、中国人を大量殺戮しただけで終わったのです。
堤防決壊の直後、日本軍は堤防の修復作業を行なっただけでなく、
被災した民衆の救助と、防疫作業を行ないました。
日本軍は、中国軍から虫けらのように扱われた中国民衆を、必死になって救済したのです。
こうした中国軍の性格は、蒋介石の軍だけでなく、毛沢東の共産軍でも同様でした。
いや、共産軍はもっとひどいものでした。
共産軍は、民衆から「共匪」(きょうひ)すなわち共産主義の匪賊と呼ばれていました。
それは彼らが行く先々で、民衆に略奪、殺人、強姦を働いたからです。
中国の軍隊は、共産軍でも国民党軍でも、基本的に軍隊というより、
ルンペンを寄せ集めたような集団にすぎなかったのです。
彼らが軍隊に入ったのは、占領地区で略奪が出来るため、食いっぱぐれがなかったからです。
ですから中国の司令官は、ある土地を占領すると、最低一週間は兵士たちの好きなように略奪や強姦をさせました。
また、そうしないと司令官が殺されてしまったからです。
日中戦争における戦闘は、たいていの場合、日本軍が攻めると中国軍が撤退し敗走する、という形で進みました。
ですから、激戦地を除けば、中国側が宣伝するほど日本軍に殺された中国兵の死者は多くはありませんでした。
むしろ中国兵の死者の多くは、中国人が中国人を殺したものでした。
中国の軍隊というのは、兵士たちの後ろに「督戦隊」(とくせんたい)がいたのです。
督戦隊とは、後ろで「敵を殺せ、殺せ」と叫びながら兵士たちを戦わせ、
逃げる兵士がいると、その兵士を撃ち殺す中国兵です。
つまり中国兵が中国兵を殺したのです。
中国史家・黄文雄氏によれば、
日中戦争時の死傷者は、日本軍によって殺された中国兵よりも、
そうやって督戦隊に殺された中国兵たちのほうが多かったくらいだといいます。
また、中国兵は負傷すると、置き去りにされました。
ある戦場で、中国兵の一団が塹壕(ざんごう)の中で戦死していました。
それを発見した日本兵たちは、思わず涙を流したといいます。
なぜなら彼らの足には、逃亡防止のための鉄の鎖がつけられていたからです。
日本軍と中国軍とでは、質の上でそれほどの差があったのです。
道端に打ち倒されていた孫文の銅像に青天白日旗をかけてあげ
る日本兵。中国の伝統文化への尊敬心から出た行為である。
現地市民の間でも日本軍はシナ軍よりもよっぽど信用できるとの評価を得ていた。
●本当の人民解放軍は日本軍だった
また中国軍と日本軍の性格を大ざっぱにみるなら、次のように言うことができます。
中国軍が通った地は至る所、はげたかの大軍が通ったように略奪されました。
さらに彼らは占領地域を去るとき、日本軍に何も残さないようにするため、「焦土(しょうど)作戦」を取りました。
つまり退却のたびに、道路や工場、橋、潅漑施設、その他の施設を次々に破壊したのです。
そのため中国軍が通るところすべてが荒廃していきました。
彼らの行動の特徴は、略奪と破壊だったのです。
それによって中国経済は破壊され、農業も工業も壊滅的被害を受け、人民は苦しむばかりとなっていました。
とくに悲惨だったのは、民衆の大半を占める農民たちでした。
一方、そのあとにやって来た日本軍は、当初から農民たちの救済と、中国経済の再建に取り組んだのです。
日本軍が占領した地域は、中国本土の人口の約四〇%、また耕地面積の五四%に及びましたが、
日本はすぐにその地域での農業再建、道路や潅漑施設の復興、工場の再建などに取り組みました。
日本は中国の住民の救済、治安維持、戦災復興などに取り組んだので、
それまで軍隊とは匪賊にすぎないと思っていた中国民衆は驚き、
日本軍を熱烈に歓迎しました。
統率がとれ、略奪や悪事を働かず、民衆を救う軍隊というものを、彼らは生まれて初めて見たからです。
本当の「人民解放軍」は中国軍ではなく、日本軍だったのです。
日本が占領地域でとくに力を入れたのは、農民の救済でした。
日本政府はすでに一九三八年に中国での農業復興の計画を発表し、実行に移しています。それは日本・満州・支那(中国)の三国が相携えて、互助関係を築くことを目的としたものでした。
それにより、日本の占領地域での農業は飛躍的に増大しました。
日本人技術者が中国農民に、日本の農業技術を提供していったからです。
もちろん戦時下のため、悪戦苦闘はありましたが、それでも日本の努力は多くのところで実を結んでいました。
中国人の子供や大人と共に正月の万歳をする日本兵たち(1938年)
すでに日中戦争が始まっていた時である。
農業だけでなく、軽工業、重工業などの再建にも取り組みました。
日本はまた中国に鉄道を敷き、病院を建てました。
疫病の多かった中国の衛生事情の改善にも努めました。
さらに、絶望視されていた中国の製糸業を復興させたのも、日本の対中国投資によるものです。
日本は、満州や、朝鮮、台湾などで行なっていた近代化建設事業を、
中国でも、すでに日中戦争のさなかから始めていたのです。
それによって占領地域のインフラ整備、産業の復興が行なわれました。
日本政府の推計によると、一九三八年から終戦の四五年までの日本の対中国投資の累計は、約四七億円にも達していました。
当時の日本の国家予算は約二〇億円ですから、どれだけ巨額かわかるでしょう。
これは戦争に使ったお金ではありません。
中国の国土と経済の復興に使ったお金なのです。
このように、中国軍が各地を焦土化し、同胞を虫けらのように殺していたときに、日本は中国民衆の救済と、中国の近代化のために働き続けていました。
中国人民の本当の敵は、日本軍ではなく、中国軍だったのです。
中国軍は、蒋介石の国民党軍も、毛沢東の共産軍も、その頭の中にあったのは中国人民のことではなく、権力奪取のみでした。
しかし日本は、なんとか中国を救おうと奔走していたのです。
ですから、中国の老人でこの時代のことを体験した人々の中には、親日的な人々が大勢います。
ふだんは中国政府の叫ぶ反日イデオロギーの中で大きな声では発言できませんが、
彼らは当時の日本人が中国人にしてくれたことを知っているのです。
戦後、日本人が中国大陸から引き揚げてくるとき、多くの日本人が帰りそこなって、そこに取り残されました(いわゆる中国残留孤児)。
しかしそのとき、残留日本人を助けてくれた中国人たちがかなりいました。
そうした中国人の多くは、戦時中の中国兵がいかに悪かったか、また日本軍が中国の民衆を助けたことを、よく知っていたので、日本人を助けてくれたのです。
●ローマ法王は日本の行動を支持した
もともと、中国の内戦に巻き込まれたかたちで、中国内部に足を踏み入れた日本軍でした。
しかし踏み入れた以上、日本は、そこが共産主義国家になってしまうのを防ぐため、多大な尽力をなしました。
またそこに、欧米の侵略や搾取の餌食とならない自立した民主的国家が誕生するよう、手を差し伸べたのです。
日本は中国を「自分の領土」とするために戦っていたのではありません。
日本は中国の「領土保全」をかかげ、誰からも侵略されない、中国人による中国人のための安定した国家がそこに誕生することを目指したのです。
そして日本と手をたずさえて、アジアを共産主義から守る防波堤になること、そこに一大経済圏が生まれることを目指しました。
ですから、日中戦争(支那事変)が始まった年である一九三七年、一〇月に、当時のローマ法王、平和主義者として知られるピオ一一世(在位1922-39)は、この日本の行動に理解を示し、全世界のカトリック教徒に対して日本軍への協力を呼びかけました。
法王は、「日本の行動は、侵略ではない。日本は中国(支那)を守ろうとしているのである。日本は共産主義を排除するために戦っている。共産主義が存在する限り、全世界のカトリック教会、信徒は、遠慮なく日本軍に協力せよ」
といった内容の声明を出しています。
ローマ法王ピオ11世。日本軍の行動を理解し、
全カトリック教徒に、日本軍への協力を呼びかけた
この声明は当時の日本でも報道されました(「東京朝日新聞」夕刊、昭和一二年一〇月一六日および一七日)。新聞は、
「これこそは、わが国の対支那政策の根本を諒解(りょうかい)するものであり、知己(ちき。事情をよく理解している人)の言葉として、百万の援兵にも比すべきである。英米諸国における認識不足の反日論を相殺して、なお余りあるというべきである」
と歓迎の意を表しています。ローマ法王がこのように日本の行動に賛意を表してくれたことは、欧米の誤解や反日主義に悩まされてきた日本にとって、非常にうれしいことでした。
けれども、そのピオ一一世も、やがて一九三九年には世を去ってしまいます。そのため欧米の反日主義や、日米戦争勃発を防ぐまでには至らなかったのです。
●共栄圏をつくろうとした日本
一九三七年から始まった日中戦争でしたが、日本はすでに一九四〇年には、すでに中国の華北と、華中の一部を支配下におき、その統治を親日政権である汪兆銘(おうちょうめい)の南京政府にゆだねていました。
日中戦争は八年間続いたと一般にいわれますが、実際には日中の戦闘は一年半あまりで終結し、あとは日本軍はそれ以上領地を広げようとせず、占領地域でのインフラ建設や、経済建設に集中したのです。
その支配地域では、経済、財政、物価、治安が安定し、民衆の生活は他と比べると天国と地獄ほどの差がありました。
鉄道もつくられ、人々や物資の移動が容易になりました。
よく「日本軍は一方的に略奪と破壊をした」かのように語られることがありますが、実際は全く逆だったのです。
だからこそ、汪兆銘の南京政府や、そのもとにいる多くの中国人は日本を支持し、日本と共同して、その地域の発展のために働いたのでした。
汪兆銘の南京政府が支配する地域では、戦前にも増して平和と繁栄を謳歌していました。
その象徴が上海です。日中戦争中ですら、そのダンスホールや映画館はどこも満員という活況を呈していました。
ロシアから逃げてきたユダヤ人たちの居住区も、この上海に設けられ、彼らはそこで安全に暮らしていました。
一方、蒋介石や毛沢東が支配していた地域は、悲惨でした。
ただでさえ彼らの軍隊が入ってきたので食糧が不足したばかりか、略奪、搾取が横行したため、たちまち住民は地獄の生活へと転落したのです。
もっとも蒋介石は、日本人のような規律ある生活習慣を目指した「新生活運動」を実施し、中国兵の乱れた規律を正そうと努力はしましたが、それでもなかなか実を結ぶことはできませんでした。
日中戦争中、アメリカがいわゆる「援蒋ルート」を通して、重慶にいる蒋介石軍に様々な物資を送り届けていたことは、よく知られています。
兵器、弾薬、医薬品、食糧などですが、しかし山を越え、川を越えているうちに、重慶まで届いた物資は多くても当初の何分の一かに減っていました。
それらの地域を支配する匪賊や、他の武装勢力に、通行料として一部物資を渡していたからです。
当時、日本の支配地域以外の中国大陸には、匪賊が約二〇〇〇万人もいたといいます。それは中国軍の約一〇倍に相当します。彼らは略奪で生計をたてていたのです。
また無事に重慶に届いた物資も、国民党幹部のポケットに入ってしまい、他の者には行き渡りませんでした。
このように当時の蒋介石の政府が、米国の支援を食い物にしていたことは有名です。
このように、日本の支配地域と、そうでない地域とでは中国民衆の生活に格段の差があったのです。
日本はすでに日中戦争のさなかから、中国を近代的民主国家として自立させ、アジアの同胞として共に相携えて共栄圏をつくるために、非常な努力を積んでいたからです。
しかしその望みも、やがて日本が日米戦争で敗戦を迎えたことにより、挫折しました。
そのとき、日本は中国につくった工場や施設、インフラなどを破壊することなく、すべて正確な資産リストを添えて、中国の未来のためにそのまま置いてきました。
それらは戦後の中国経済の発展の基礎となったものです。
日本が去ったとき、中国では再び「国共内戦」、すなわち国民党軍と共産軍の内戦が勃発しました。
これは実質的に、日本が残した遺産の奪い合いでした。
そしてこの内戦での死者は、日中戦争中の死者よりも多かったのです。
またこの国共内戦に共産軍が勝利し、中国を統一したとき、共産党はかつて自分たちがなした中国民衆への殺戮、略奪、搾取などを、すべて日本軍の悪行と宣伝して若者たちに教える教育を始めました。
「中国無名戦士の墓」と書いた墓標の前で、慰霊祭を行なう日本兵(1938)
日本軍は戦闘が終わると敵味方の区別なく、戦闘地にお墓を作ってきた。
中国の文化にはこのようなものはない。
●「南京大虐殺」はなかった
今まで見てきたように、日本軍の進出は内戦の終結、平和の確立、共栄圏の建設を目的としたものであって、決して破壊や虐殺を目的としたものではありませんでした。
これは、国土の焦土化や、民衆の殺戮を平気で行なっていた中国軍とは、きわめて対照的です。
日本には、もともとサムライの時代から、民衆の虐殺や焦土化の思想はなかったのです。
日中戦争は北京の近くで始まりましたが、北京は無傷でした。
武漢三鎮も無傷のまま。他の都市も全部無傷です。
日本軍は、都市を破壊する気も、住民を虐殺する気もさらさらなかったのです。
日本軍は、都市に近づくときには必ず自由都市(オープン・シティ)宣言をしました。
降伏するなら、都市を破壊することもしないし、住民の安全を保証するということです。
歴史ある都市を戦場にし破壊していけないからです。
日本軍は圧倒的に強かったので、たいていの都市では、中国軍はたいした抵抗をすることもないまま逃げ去り、都市は明け渡されました。
しかし南京で、中国軍は珍しく若干の抵抗をみせました。
南京防衛軍司令官の唐生智が「俺に頑張らせてくれ」と言ったので、蒋介石も「頑張れ」と言ったのです。
彼が最後まで頑張れば、ある程度、中国軍の統制もとれたでしょうが、この司令官は情けないことに、途中で逃げ出してしまいました。
司令官を失なった中国兵たちは、自分たちも逃げようとしました。けれども彼らの多くは、逃げる味方の兵隊を後ろから撃つ「督戦隊」に殺されました。また中国兵の中には、逃げれば督戦隊に殺されるし、残れば日本軍に捕まるということで、民間人を殺し、その着物をはぎ取って着る者たちもいました。
こうした民間人に化けた中国兵は、それがばれたときに日本兵によって殺されることもありました。
そのようなことはありましたが、南京で、日本軍による住民の大量虐殺というようなことは決してなかったのです。
日本軍による南京占領5日目の写真(朝日新聞)
(右)武器も持たず中国人から買い物をする日本兵。
(中上)南京に戻ってきて畑を耕す中国人農民。
(中下)平和になって南京に戻ってきた中国人ら。
(左)中華街の名物、街頭床屋。子どもも大人も手製の日の丸の腕章をして笑っている。
「南京大虐殺」がなかったことを如実に示す証拠写真である。
中国は、かつて日本軍は南京で三〇万人の住民を虐殺したと、宣伝しています。
しかし、これは中国共産党が流したでっち上げです。
なぜなら、もし南京大虐殺があったなら、南京の安全地区にいた外国人は必ず、そのことを世界に発信したはずです。
けれどもそのようなことはありませんでした。
また、日本が南京に入る前にいた南京の人口は約二〇万人でした。
これはいろいろな調査で一致している数字です。
二〇万人の都市で、三〇万人を虐殺するのは不可能です。
また、日本が南京を占領したあと、逃げていた市民たちが戻ってきて、一ヶ月後には人口二五万人になっています。
これは南京学会が緻密に調査して出した、信頼できる数字です。
また大虐殺が行なわれた都市に、住民が戻ってくるわけがありません。
また南京大虐殺の「証拠写真」と言われるものも、今日ではすべて全く関係のない写真か、捏造によるものであることが、明らかになっています。
東中野修道著『南京事件「証拠写真」を検証する』などに、詳しく書かれています。
何年か前、中国系アメリカ人のアイリス・チャンが、英語で『ザ・レイプ・オブ・南京』という本を出し、アメリカでハードカバーで約五〇万部も売りました。
これは日本軍が南京で三〇万人虐殺という蛮行を行なったと宣伝する本で、アメリカ人にウソをばらまいたものです。
しかしそののち、彼女が書いたことや、そこに使った写真があまりにインチキであることが、多くの批判書によって明らかになりました。
そうした中、彼女は二〇〇四年の暮れに、ピストル自殺しています。
その理由として、『ロンドン・エコノミスト』はその記事の中で、彼女は自分が書いたことがあまりにインチキと批判されたため、
それが「南京虐殺はなかった」と主張している人たちに有利に働いて、それを気に病んだのではないだろうかと推定しています。
また、南京攻略の司令官だった松井石根大将には、こんなエピソードも残っています。南京攻略戦の最中、焼け跡から赤子の泣き声が聞こえてきました。彼は秘書の岡田尚に「捜して来い」と命じました。
救助された赤子を、松井大将は温泉に入れ、毛布にくるむと、自分の目を細めて抱き上げました。
彼は、松井の一字をとって松子と命名してかわいがり、ミルクを飲ませて育てました。
南京の入城時には、岡田秘書がこの赤子を背負って入城しました。
南京で、日本軍兵士による犯罪がまったくなかったわけではありません。
多少のものはありました。
しかし、それは戦後アメリカ占領軍兵士たちが日本で犯した犯罪と、同程度のものです。中国軍やロシア軍などが占領地で犯した横暴などに比べれば、はるかに小規模のものでした。当時南京に入った記者たちは、「南京市民の表情は朗らかだった」と証言しています。
なかには劉啓雄(りゅう・けいゆう)少将のように、南京戦で日本軍の捕虜になりながら、のちに汪兆銘の親日政府において和平救国軍軍長になった人までいたのです。
(満州についての記述がつづく)
2009-04-26 23:51
|
記事へ |
コメント(5) |
トラックバック(0) |
|
中国 /
戦争 /
キリスト教 カトリック |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/814/
麻生首相のGWの外遊日程
●麻生首相が29─30日に中国、5月3─6日にチェコ・ドイツ訪問=河村官房長官
[東京 24日 ロイター] 河村建夫官房長官は24日、麻生太郎首相が29日から30日の日程で中国を、5月3日から6日の日程でチェコとドイツを訪問すると発表した。
中国訪問は昨年5月の胡錦涛・国家主席の訪日時に、日中間で毎年、一方の首脳が他方の国に訪問することで一致したことを受けたもので、日中間の戦略的互恵関係の推進等について意見交換する。
チェコでは欧州連合(EU)との定期首脳会談や日本チェコ間の首脳レベルでの協議を行い、ドイツでも首脳レベル会談を実施する。麻生首相はベルリンで日欧の協力関係強化に関する欧州政策スピーチを行う予定。
また、河村官房長官は、オバマ米大統領の申し出により、麻生首相が午前9時30分過ぎから15分間、同大統領と電話会談したことを明らかにした。北朝鮮情勢やパキスタン支援、核軍縮・不拡散について話し合ったという。(ロイター)
●麻生首相 集団的自衛権行使の解釈変更を本格検討へ
北朝鮮の長距離弾道ミサイル発射や、海上自衛隊による海賊対策の本格化を受け、集団的自衛権を行使できるように解釈変更が必要な状況が差し迫っていると判断したとみられる。首相が解釈変更に踏み切れば、日米同盟の強化や国際貢献に向け、大きな一歩を踏み出すことになる。
●首相、靖国神社に供物 中国訪問前に
麻生太郎首相が21日からの靖国神社の春季例大祭にあわせて、真榊(まさかき)料5万円を支払い、供物を奉納していたことが明らかになった。奉納は「内閣総理大臣 麻生太郎」の名前で行った。靖国神社問題は中国や韓国が敏感に反応してきた。首相は29、30両日に中国を訪問し、胡錦濤国家主席らと会談する予定で、靖国神社への奉納は議論を呼びそうだ
おつるは世界の国々の政治経済、外交にはあまり詳しくないんですけれど麻生首相の価値観外交、主張する外交、強い外交姿勢はわくわく ドキドキします
先日、青山繫晴さんのご講演にもありましたが
北朝鮮のミサイル問題で、世界が最も関心を持ち注目したのは
北朝鮮のチンケなミサイル攻撃ではない。
戦後はじめて 麻生首相のもとで自衛隊に迎撃命令を出し、自衛隊が動いたということ
これに世界は注目し 驚愕したのです。
アメリカの経済危機による米国脆弱化、北朝鮮問題、中国の軍事力
などを考えたときにこれからの日本は強く主張し、世界をリードする国へと国民ひとりひとりも責任感を持ちながら変わる時期だということ。
ウイグルやチベットの問題にも関わられ、中国にも対等に主張をする麻生首相。
日中首脳会談での記念レセプションでは
日中は、和すれば双方に利益をもたらし、争えば双方の利益を損なう」と。
この根本的な心構えがあれば、困難があっても、必ずや克服できる。私が、日中「共益」の重要性を一貫して訴え続けてきたのも、こうした考えに基づくものです。
日中「友好」というお題目のために、互いに遠慮するような関係ではなく、日中両国が切磋琢磨して協力していくことが、真の「戦略的互恵関係」でありましょう
と謝罪など一切せず、「友好」というお題目などではなく対等に遠慮なく主張をすることをはっきりと述べられました。
そして・・・・
ヨーロッパへの外遊、EUへの働きかけ ドイツへの訪問。
私自身がクリスチャンだから言うわけではないですが、戦後はじめての カトリックのクリスチャンである麻生首相であるからこそ、
カトリック国の多いヨーロッパ諸国とは信頼と共感を持って対話ができ各国首脳や政治経済の中心である王侯貴族とも親密な関係を築くことができるのではないかと思います
そして首相の以前からの理念をプラスすると
自由と繁栄の弧というのは、実は中国をぐるりと囲む国々と日本が緊密な関係を築くということ。実は、中国にとっては、これが脅威になり得る、また中国のまわりの国々が日本と手を取り合うことが
中国の侵略への包囲網になるような気がします。
米国の犬とまで言われながら謝罪ばかりしてた日本が、自立し、
ヨーロッパやアジアの国々と手をとりあう。
脅威に対しては、自衛隊で迎撃する
外国の船が海賊に襲われたら 日本の自衛隊が守る」
侍の国 武士道の国 伝統の国 日本らしさが少しづつ 取り戻されてきているような気がします。
麻生首相は批判されることも多いけれど 一番 国にとって大切な外交面で活躍されることを国民は評価すべきだと思います。
実は、ベネディクト16世教皇様は、
伝統をとても大切にする中で、新しい文化もお好きでyou tubeの活用、バチカンからのネット配信実際 ipodで音楽を聞かれたりもされ スポーツも大好きだそうです
サッカー、ドイツのバイエルン・ミュンヘンの熱烈なファンクラブ会員(ちなみに前教皇・ヨハネパウロ2世はバルセロナのソシオ会員、サッカー大好きおつると同じね
一見、怖いお顔で、そしてはっきりとした主張に信徒外から批判されることもあるとか・・・
スポーツ好きで、オリンピックにも出場し 一見、怖いお顔で 失言で批判される麻生首相と どこか共通点が・・・???
ベネディクト16世教皇様と 麻生首相の会見の実現
まだ ニュースは未確認ですが・・・・
そして
ベネディクト16世教皇様の 訪日を心から待ち望むおつるです
実現しますように お祈りします 。
**********************************************************
少し前の記事ですが・・・
●法王、首相と会談の用意 バチカン外務局長
2009年3月13日 17:31 大阪日日新聞
【ローマ13日共同】ローマ法王庁(バチカン)の外交担当部局トップ、マンベルティ外務局長(57)は12日、15日からの初訪日を前に共同通信などと会見し、カトリック教徒である麻生太郎首相が望めば「法王ベネディクト16世は喜んで会談に応じる用意がある」と、双方の会談を歓迎する姿勢を示した。
12日、ローマ法王庁(バチカン)で会見するマンベルティ外務局長(共同)
さらに、会談の場で「法王の訪日について話し合うことも可能だ」と強調した。日本の首相と法王との会談は、1999年に小渕恵三元首相が前法王ヨハネ・パウロ2世(いずれも故人)とバチカンで会って以来行われていない。
麻生首相は政治情勢が許せば7月に主要国(G8)首脳会議(サミット)出席のためイタリアを訪問する意向で、関係者の間で約10年ぶりの会談実現が期待されている
**********************************************************
共同通信 1月
●ローマ法王庁紙麻生首相インタビュー掲載
ローマ法王庁(バチカン)の日刊紙オッセルバトーレ・ロマーノは1/29までに、麻生太郎首相の書面インタビュー記事を1面に掲載した。同紙が日本の首相のインタビューを掲載するのは極めて異例で、首相がカトリック教徒であることが影響したとみられる。
インタビューで、麻生首相は自らの信仰と政治の関係について「日本では憲法で政教分離が定められている。カトリック教徒でも仏教徒でも日本の問題を解決するため、努力すべきことに変わりはない」と強調。
一方で「毎朝、大きな希望で目覚め、感謝の気持ちで床に就くべきだ」と、カトリック教徒としての心情を吐露したとみられる発言もあった。
首相はこのほか世界的な経済危機、対米関係、日本人拉致、核不拡散問題についても語った。
麻生首相は靖国神社の非宗教法人化を提唱。カトリック教徒として常に十字架を身に着けていることでも知られる。
**********************************************************
下記はひとつの説ですが、なるほど・・と思うところも
カトリック教会は、いろんな大企業の大株主であり、自らもいろいろな施設などを運営する。上納されていく献金よりも、末端の教会の下ろされる資金の方が大きいのではないだろうか。
ワレサ委員長率いる連帯が、共産主義国であったポーランドで自由獲得のために運動し全国的なものとなったとき、当時の国家元首ヤルゼルスキは、同国人のローマ法王ヨハネ・パウロ2世に泣いてすがったという。
その結果、ポーランドの民主化は平和的に進み、これに続く東欧の民主化の文字通りのろしとなったのだ。
共産主義時代の東独の国民がその圧制を嫌い、西独に逃げようとする者が多かった。直接行けない為に、ハンガリーを経由して亡命するものが続出した。ハンガリーがその国境線を開放したからだ。
ハンガリーはハプスブルグ家をオーストリアとともに頂くニ重国家を長く作っていた。もちろん、カトリック教徒の国である。ローマ法王や、オットー・フォン・ハプスブルグ殿下の影響がないはずはないのである。
麻生家が天皇家とつながりがあり、昭和天皇と個人的に親交のあったオットー・ハプスブルグ殿下の流れは当然受け付いているでしょう。
ハプスブルグ家は、神聖ローマ帝国、つまりカトリックの守護者の意思を持った皇帝でした。当然、カトリック教会との関係は今日でも深いわけです。また、EUにおいて、殿下は大きな影響力がありました。
そうした人脈というのは、受け継がれていくわけで、先方としても、カトリック教徒という信仰的共通点の上に様々な人脈が重なれば、より親しみがあり話ができるわけですから、そうした意味で麻生太郎氏は恵まれていると言うこともあると思います。
(愛隣保育園長さんブログより)
**********************************************************
「自由と繁栄の弧」をつくる
(麻生首相が外務大臣であった頃に発表された外交の理念です)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/enzetsu/18/easo_1130.html
一部抜粋
●民主主義、自由、人権、法の支配、そして市場経済。そういう「普遍的価値」を、外交を進めるうえで大いに重視してまいりますというのが「価値の外交」
●ユーラシア大陸の外周に成長してまいりました新興の民主主義国。これらを帯のようにつなぎまして、「自由と繁栄の弧」を作りたい、作らねばならぬ
EUやNATOとの協力を今後強めていこうと、そういう動機
東西対立が終わり、体制が大変化しつつある国々を含む地域です。そこを、「自由と繁栄の弧」に致しましょう
我が日本は今後、北東アジアから、中央アジア・コーカサス、トルコ、それから中・東欧にバルト諸国までぐるっと延びる「自由と繁栄の弧」において、まさしく終わりのないマラソンを走り始めた民主主義各国の、伴走ランナーを務めてまいります。
この広大な、帯状に弧を描くエリアで、自由と民主主義、市場経済と法の支配、そして人権を尊重する国々が、岩礁が島になり、やがて山脈をなすように、ひとつまたひとつ、伸びていくことでありましょう。その歩みを助け、世界秩序が穏やかな、平和なものになるのを目指すわけであります。
」。「中央アジア+日本」対話や、チェコ、ハンガリー、ポーランド、それにスロバキアを加えた中欧4カ国がつくった俗に「V4(ドナウ川の地名ヴィシェグラードのV)」と称するグループとの対話…。
これらは定例化するなり、既に定期化しているものは充実させるなりして、まずは関係相手国と頻繁に会合し、対話を重ねていかねばならぬ
日本を深く理解してくれている国々を足がかりにすることです。代表例として思い浮かびますのは、中近東や中央アジアについて知識の宝庫である国、トルコであり、ウクライナについて知ろうとする際、頼りになるポーランドです。
ポーランドやハンガリー、バルト三国など多くの旧社会主義国は、2004年5月にEU加盟を果たしました。援助される側からする側へ、急転回を果たしたわけであります。
バルト海まで延びる「自由と繁栄の弧」を、虫食い状態にさせないためには、いわゆる「グアム(GUAM)」の国々……というのはグルジア、ウクライナ、アゼルバイジャン、モルドバを言うのでありますが、この辺一帯を安定させねばなりません。
それをわきまえているのでありましょう、ウクライナとグルジア、リトアニアとルーマニアが組んで、1年前、「民主的選択共同体」、頭文字を取って「CDC」という名のグループができています。
目的はずばり、バルト海から黒海、カスピ海周辺という、私どもが「自由と繁栄の弧」でイメージいたしております地域において、民主主義を根づかせようとすることです
2009-04-25 00:29
|
記事へ |
コメント(8) |
トラックバック(0) |
|
キリスト教 カトリック /
政治 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/808/
キリストによって、
キリストとともに、
キリストのうちに、
聖霊の交わりの中で、全能の神、父であるあなたに、
すべての誉れと栄光は世々に至るまで。
アーメン。
、
先日、この奉献文 結びの栄唱 応唱のミサにおける
箕面教会のご指摘がありました。
まず、セバスチャンさんから「カトリック的」さんのブログが
紹介されて箕面教会の方法は間違っているのではとの
指摘がありました。
http://blogs.yahoo.co.jp/agnus_d_vir/40686279.html
そしてtontonさんと123さんからもいろいろと教えて頂いて
勉強しました。
高田三郎氏の典礼聖歌集の伴奏譜が「すべての・・・」から
伴奏つきで、会衆が歌うような形になっているので
日本各地で誤解がなされているのではということでした。
今日の土曜日、
箕面教会で、結婚式があり、相方と私は聖歌隊とオルガンや
式の準備やお掃除の用事がありましたので
和田幹男神父様に確認させていただきました。
そこで確認できたことを伝えたいと思います。
実は、2000年に交付された このローマ・ミサ典礼書の総則を
もとにこのブログの作者さんは書かれています。
うちには、この2004年発行のローマ・ミサ典礼書の総則と
2007年 教皇庁 典礼秘跡省のあがないの秘跡などがありますが
どちらを確認しても
「すべての・・・」ではなく 応唱を唱える場合は
「アーメン」から唱えることとされ、誤解や誤用を避けるように
解説がなされています。
このブログの方がおっしゃるように
歌わないで唱える場合においては
会衆が「アーメン」とだけ言うのが正しい。
これは確かなことでした。
ただ、箕面教会や123さんののように オルガンがソと♭シの
音だしをして
「キリストによって・・・」から司祭が歌う場合
歌う場合についての記述がこのローマ・ミサ典礼書の総則には
書かれていません。
ところが、今日、ラテン語版のローマ・ミサ典礼書の大きな本
について神父様に教えて頂いたのですが
(ローマ・ミサ典礼書の総則というのは、この大きな典礼書の
冒頭でごく一部なのです)
そしてその本篇とも言える「ローマ・ミサ典礼書」には
やはり
司祭
「キリストによって、キリストとともに、キリストのうちに、
聖霊の交わりの中で、全能の神、父であるあなたに、
すべての誉れと栄光は世々に至るまで。」
会衆
「アーメン」と 唱えるとなっています。
ところが・・・・・
その巻末に
キリストによって・・・・の単旋律の楽譜がのっていて
その楽譜のところに
歌う場合は 「すべての誉れと栄光は世々に至るまで。
アーメン。」のところを会衆が歌ってもよいとの記述が
ありました。
この典礼書は、ラテン語版を翻訳した時に
司教協議会が日本ではこのように和訳し試用していいかと
いうことの許可を立て、今は暫定版として試用されているという
状況だそうですが
日本でこの部分を歌う場合においては
このローマ・ミサ典礼書をもとにしているので
間違いとは言えないということです。
高田三郎氏ももしかしたら この典礼書をもとに
作曲したのではないかなとのことでした。
が、このローマ・ミサ典礼書というのは、5年ごとぐらいに
細かく改定されてわりと ころころ内容が見直されると
いうことで、ラテン語版からの和訳がなかなかおいついて
いかないという実情はあるようです。
(詳しいことはカトリック中央協議会の典礼委員会に
問い合わせるのが一番だとのことです。)
ということで、
和田幹男神父様から典礼委員長の相方とのお話の中で
箕面教会は唱えるのではなく、歌うので
今までどおり
「すべての誉れと栄光は世々に至るまで。
アーメン。」
は、典礼書の注釈によれば厳密には間違いとは言えないので
箕面教会の習慣を無理やり変えることまでは
しないで このまま歌うということになりました。
ただ、この和訳の暫定版のローマ・ミサ典礼書の
ラテン語版の本書に楽譜がついているかは確認ができず・・
この次に出て
まだ日本語に翻訳されていない典礼書の新版のラテン語の原本は
もうすぐ日本語に翻訳されるはずが
インカルチュレーションの部分で なかなかバチカンから
認可がおりないようで、翻訳が遅れているようですが
そのラテン語原本は 和田幹男神父様が持っておられますが
相方が確認したところ 「キリストによって・・・」の部分の楽譜は
なかったということでした。
相方としては、日本独自のものということであるならば
改めたい気持ちはあるけれど
旧ラテン語版を確認できないので
今の時点で 間違いだということも言えないと。
が、暫定版である現在の典礼書について、
決定版ではないのだから、信徒はこの典礼書についても
おかしいなと思うこと、今までの伝統を変えてほしくないなど
信徒が中央協議会の典礼委員会に意見を送ったり
声をあげていくべきではないかなと 申しておりまーす。
和田幹男神父様は
ミサの中の和訳の言葉のとこどころにも疑問はあると
おっしゃっていましたし
いろいろなお話をして 学ぶことばかりでした。
ちなみに 123さんの問われていた
典礼音楽解説ブログについては・・・
国立音楽大学器楽学科オルガン専攻卒業
上智大学神学部神学科卒業
上智大学大学院神学研究科神学専攻博士前期課程修了
横浜司教区 上田教会
典礼聖歌コーディネーター
典礼音楽研究家
日本カトリック神学院講師
(典礼音楽入門および聖歌指導担当)
齊藤克弘さんという方の オルガンや聖歌隊についての
詳しい解説です↓
http://www16.plala.or.jp/omasico/page010.html
2009-04-18 23:55
|
記事へ |
コメント(7) |
トラックバック(0) |
|
キリスト教 カトリック |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/801/
バチカン、ケネディ氏の大使受け入れ拒否…妊娠中絶容認で
【ワシントン=黒瀬悦成】オバマ米大統領が、バチカン(ローマ法王庁)の大使にケネディ元大統領の長女キャロライン・ケネディ氏(51)を任命しようとしたところ、同氏がカトリックの反対する人工妊娠中絶を容認してきたことを理由に、バチカン側から受け入れを拒否されていたことが分かった。
米国やイタリアの複数のメディアが報じた。
ケネディ氏はアイルランド系の血を引くカトリック教徒であるものの、大統領選では同じ妊娠中絶容認派のオバマ氏を支持。ケネディ氏は、キリスト教保守派から「生命の尊厳を損なう」として批判の強い胚(はい)性幹細胞(ES細胞)の研究促進にも前向きのため、バチカンが強い拒否反応を示したという。
オバマ大統領とローマ法王ベネディクト16世は、7月にローマで開かれる主要8か国(G8)首脳会議に合わせて会談する方向で調整中だが、問題がこじれると会談が見送られる可能性も出てきた。
ケネディ氏は社会福祉分野などで活動しており、先に、国務長官に就任したヒラリー・クリントン氏の後任となるニューヨーク州選出の連邦上院議員への指名が取りざたされたが、メディアなどから「経験と見識不足」を批判され、自ら辞退した経緯がある。
(2009年4月14日19時28分 読売新聞)
●バチカン、ケネディ氏の大使受け入れ拒否…妊娠中絶容認で
YOMIURI ONLINE
●ローマ法王庁が「ケネディ大使」を拒否か 中絶容認姿勢で
産経ニュース
●法王庁「ケネディ大使」を拒否 中絶容認姿勢で
東京新聞
バチカンの毅然としたこの態度表明、迎合しない姿勢は
素晴らしいことだと思います。
カトリックとして守るべき部分をかたくなに
貫くことが、カトリックの良さだと私は思います。
なし崩しに時代や 世論に迎合すべきではありませんし
偏った思想で政治に口出ししたり抗議したりではなく
カトリックとして守るべきポイントはここですよ。
念頭のベネディクト教皇の言葉にもこの中絶についての
お言葉がありました。
●ベネディクト教皇の思想
カトリックの伝統的な思想を擁護したいという強い意志を持ち、避妊、中絶、同性愛などに対しては現代社会の要請にこたえてカトリック教会の教えを変えることには断固反対という立場をとっている。とりわけ同性愛そのものを認めない姿勢は批判を受けているが、これは前教皇ヨハネ・パウロ2世の立場とまったく同じものである。さらに相対主義や多元主義は「どんな思想や文化もなんでもあり」とする行きすぎであると警鐘を鳴らしている。
ベネディクト16世はカトリック教会は現代社会におもねるのでなく、神のメッセージを人々に伝える役割を果たすべきであるという思いを強く持っているといわれる。コンクラーヴェ開始のミサの中で彼はゆきすぎた相対主義を「個人のエゴと欲望だけに重きを置く結果になる」と警告している。もともとカトリック教会では「自らこそが正統、自らがすべて」という色合いが強かったが、第2ヴァティカン公会議において、カトリック教会がエキュメニズムや異文化理解を促進しなければならないとして劇的な方向転換を成し遂げた。しかし、教皇はこの思想が行きすぎたものになり、結果としてなんでもありという相対主義にいきつくことで、カトリック教会の存在の意味そのものが失われかねないと危惧しているといわれる。
2008年12月24日、バチカンで聖職者向けに行った 年末の演説で、ジェンダー理論に触れ、男性と女性との区別をあいまいにするとして批判した。この批判には、同性愛者や性転換者の権利が拡大していることへの懸念がある。神が各人に与えた性や性交渉のあり方を歪曲することは、自然破壊と同様であり、結局は人間の「自己破壊」に繋がるという見解である。ジェンダー理論への批判は、同理論の、性が(神の生まれつき与えたものではなく)社会的に構成されるという主張に限られている。
中絶容認の女性団体にすりよる 日本カトリック正平教は
バチカンのこの態度を見習うべき。
先日のウイグルの勉強会において
講師のウイグル人のイリハムさんがおっしゃっていたことを
思いだしました。
中国は、一人っ子政策の結果、中絶国となっていて、
特に農村部ではたった一人しか子供を持つことが許されないならば
男の子を・・・という状況で
中絶が横行しているとのことです。
妊娠後期で、お腹の中の子が女の子だとわかった瞬間から
ありとあらゆる手を使って、中絶するといいます。
恐ろしいことです。
その結果、中国では人口における男女比のバランスが崩れ
そこにウイグルの年頃の美少女たちは、中国へ連れていかれて
売春や、結婚させられてしまう・・・
オバマ氏と 大統領選挙で争っていた マケイン氏が
推薦したサラ・ペイリン氏は、カトリックではありませんが
福音派の敬虔なキリスト教徒で エスキモーと結婚。
5人の子供を持ち、その中にはダウン症の子供も。
そして長女はできちゃった結婚で17歳で妊娠だけれど
それを祝福しています。
私は女性としては、
ケネディ氏より サラ・ペイリン氏が好きだなぁ
ついでに言えば、カトリック教徒のくせに
私の大好きな マリリン・モンローをもて遊んで捨てた
キャロライン・ケネディの父親 ケネディ元大統領は大嫌い
1961年3月3日号、ケネディさん、大統領になったばかりの(この年の1月20日、第35代大統領に就任)LIFE誌の表紙
普通なら マリリンのところには奥さんのジャクリーンがいて当然
なんですが、合成写真であえて マリリンを使ってるところが
すごい雑誌ですね。 ちなみにこのまん中の女の子が
キャロライン・ケネディです。
この一年後に マリリンは亡くなっちゃうんですよね・・・・
2009-04-16 02:52
|
記事へ |
コメント(15) |
トラックバック(0) |
|
キリスト教 カトリック |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/797/
復活の主日 2009.4.12
この日は 母親もともに教会へ
私は、白い着物を着て (少々二日酔い)
母親は黒い薔薇のドレスを着て おめかしです。
祭壇の下に飾られた 綺麗にラッピングした卵、卵・・・
後藤神父様の喜びに満ちた ミサです。
後藤神父様のお話も荘厳で力に満ちています
今日はオルガン担当ではないので
聖歌隊席で 元気よく歌いました。
オルガン担当は 足ペダルも上手なAさんです。
お祈りは、世界中のひとが幸せでありますように
私の関わる シルクロード チベット・ウイグル・モンゴル・
台湾 北朝鮮、中国などの 苦しみがなくなるように
そして 亡くなった生さんのこと、I神父様のこと
カトリックの教会をお守りくださいと
娘たちをお守りくださいと・・・ いろいろなことを
想いながら 祈りました。
今日のごミサの使徒パウロのコロサイの教会への手紙の中で
「あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、
上にあるものを求めなさい。 そこではキリストが神の右の座に
ついておられます。
上にあるものに心を留め、地上のものに心を引かれないように
しなさい」という 言葉が印象的でした。
聖体拝領では 着物で跪くのは難しかったけれど
侍者の子も 私と相方がいつも跪いて拝領するのを
わかって下さっているようで、
すっと御聖体拝領皿・パテナを口の下に持ってきてくれるように
なった気がします。
聖体拝領の後は、カトリック聖歌集の541ラテン語のアベマリア
今日はいつもの倍以上の方が教会に来られていました。
聖母被昇天に交換留学生に来ている可愛いフィリピンの
高校生も来ていました。
この日は ドイツの方、イタリアの方、ポーランド、台湾、南米と
とても 国際的です。
ごミサのあとは、地下の広間で パーティです
和田神父様の乾杯のごあいさつ
今日はクウ神父様は ご兄弟もいらっしゃる園田教会での
初ミサとお祝いでいらっしゃらないのがさみしいけれど
きっと園田教会の方々も お慶びでしょう。
私は 地区長だというのに、オルガンなどで
頭がいっぱいで、パーティの用意は、他地区の地区長さんの
Oさんにすべて おまかせしっぱなし。
本当に心から 感謝・感謝です。
箕面教会の女性の先輩信徒さんは本当に優しい。
母も嬉しそうでした
パーティの時には、いろいろな方が着物をほめて下さって
嬉しかった。
でもとっても嬉しいのが 聖母被昇天の外人のシスターさんが
着物が大好きなんです、見るだけで嬉しいですとほめて下さったり
そして ヨゼフ会のシスターさんだと思いますが
(グレーのワンピースに黒いベール)
いろいろなシスターさんたちが
何人も「いつも素敵にオルガンを弾いて下さって有難う」と
言って下さるのがとても嬉しいです。
祈りを大切にするシスターさんたちに 誉めていただくのが
一番うれしいな
その中のご高齢のシスターさんが
「若いころに亡くした母が、いつも着物を着ていたの
着物姿の人を見ると 母の事を思い出して すごく
うれしいの」と 言ってくださったり。
なんだか幸せでいっぱいでした
実は、おでかけ用のワンピースやスーツを買うお金ないので
おでかけの時は いつも着物なんですが
でも、人に喜んでいただける 日本の着物って
やはり日本の文化や伝統を大切にすることは素敵なことだなと
幸せな気持ちになりました。
他に美しい和服の方が 何人もいました。
箕面教会は 和服の好きな方が多いようです。
いろいろな方とお話して 楽しいパーティでした。
聖週間と復活祭が 終わりました。
みんなでつくりあげた頑張った ごミサ
神父様たちに感謝
ずっと御準備して下さった委員さんたちに感謝
パーティの準備をして下さった方に感謝
素晴らしい侍者をつとめた子供たちに感謝
美しい歌を歌ってくださった聖歌隊に感謝
そして 典礼の準備や先唱や司会や
諸聖人の連願などの先唱も、指揮も頑張った相方に感謝。
このような教会に招いて下さった神様に感謝。
オルガンの祈りに力を下さった神様に感謝。
そして いつもカトリックのためにがんばっていて
そして私にいろいろなことを教えて下さったり
励まして下さったり 応援して下さる
このブログにコメントを下さる方々にも 心から 感謝
2009-04-13 14:16
|
記事へ |
コメント(20) |
トラックバック(0) |
|
キリスト教 カトリック |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/792/
聖土曜日 この日は、神戸の和田岬三菱グランドで
サッカーの試合、断食で試合・・・ 涙
その後、車で駆けつけましたが 土曜日の行楽日和で
ひどく道が混んでいて ぎりぎり到着です。
★「聖土曜日〜復活の聖なる徹夜祭 4月11日」そして洗礼式
聖堂を暗くして 外のマリア像前で会衆はロウソクを手に
祈り、行列になって入場です。
私は オルガンの音だしのために 真っ暗な聖堂でひとりで待機
真っ暗の中での音だしのために使うランプの電球が切れていて
本当のまっ暗闇で
手探りでしたが・・・・なんとか音だしをすることができました。
今日の司式は 和田幹男神父様とクウ神父様
朗読は、第一朗読は@創世記
第二朗読はB出エジプト記
第三朗読はEバルクの預言
バルクの預言 (バルク3・9-15,32〜4・4)
聞け、イスラエルよ、命をもたらす戒めを。
耳を傾けて、悟りを得よ。
イスラエルよ、なぜなのか。
なぜお前は敵の地におり、
異国の地で年を重ね、
死者と汚れを共にし、
陰府に下る者の中に数えられたのか。
お前は知恵の泉を見捨てた。
神の定めた道を歩んでいたなら、
永遠に平和のうちに暮らしていたであろう。
学べ、どこに悟りがあるかを。
またどこに力があり、どこに知識があるかを。
そして知れ、どこに長寿と命があり、
どこに目の輝きと平和があるかを。
いったいだれが知恵の在りかを見いだしただろうか。
だれがその宝庫に入っただろうか。
すべてを知る方だけが知恵を知り、
御自分の力でそれを悟り、見いだされたのだ。
その方はあらゆる時代に備えて全地を整え、
それを四足の獣で満たした。
その方が光を放つと、光は走り、
ひと声命ずると、光はおののいて従う。
星はおのおの持ち場で喜びにあふれて輝き、
その方が命ずると、「ここにいます」と答え、
喜々として、自分の造り主のために光を放つ。
この方こそわたしたちの神であり、
他に比ぶべきものはない。
この方は知識の道をすべて見いだし、
それを僕ヤコブと愛するイスラエルに与えた。
その後、知恵は地上に現れ、人々の中に住んだ。
知恵は神の命令の書、永遠に続く律法である。
これを保つ者は皆生き、これを捨てる者は死ぬ。
ヤコブよ、立ち帰ってこれをつかみ、
知恵の光に目を注ぎ、その輝きに向かって歩め。
あなたの栄光をほかの者に、
あなたの特権を異国の民に渡してはならない。
イスラエルよ、わたしたちは幸いだ。
神の御心に適うことを知っているのだから
このあとの 栄光の賛歌から オルガンと鈴を盛大を鳴らします。
最大音量で力と思いをこめて弾きます。
そして洗礼式が行われました。
今日の洗礼の方は、私の母と同じクリスマスに洗礼を授かる
予定でしたが、ご高齢で、体調のこともあり
今回の洗礼となりました。
おめでとうございます。
パウロという洗礼名をもらわれ、真摯に祈られる姿に
感動しました。
今日の復活徹夜祭の朗読について
和田幹男神父様は バルクの預言が朗読されたことを
非常にお喜びになられました。
最近は、この復活徹夜祭で バルクの預言が選ばれることが
少なくなったとのことです
和田神父様の
プロテスタントとカトリックにおける旧約正典の比較を読むと
バルク書というのは、ユダヤ教やプロテスタントと違い
カトリックの正典となっているようです
洗礼式は 両形態での拝領をなされました。
聖体拝領と閉祭の聖歌は
カトリック聖歌204のよろこべ今日ぞ
203 いざよろこべを歌いましたが
オルガンはこの聖週間の期間には 練習してはいけないので
ほとんど聞いたこともない歌でしたので 初見で伴奏でした。
神様にお祈りしたおかげで オルガンも落ち着いてできました。
今日は 大阪のカテドラルでは 信友の
Rickさんと息子さんの 洗礼式も行われています。
Rickさんは ピウス
息子さんは ジャン・バティスタ・・・
とても嬉しいです おめでとうございます!!!
********************************
終わってから 遅くまで残っていたら
和田神父様が ゆっくりしていきなさいーと
声をかけていただいて
後藤神父様と クウ神父様
そして相方と私、数人の信徒さんとで
シャンパンとワインとで お祝い
とっても美味しいワインとチーズ、そして和田神父様の大好きな
パルマの生のハムをいただきました。
クウ神父様もお話すると サッカーがお好きみたいですね
そして・・・美味しすぎて 幸せ
三日間頑張って 断食のあとのワインはー
超うますぎる・・・・
かなり酔っ払いのおつるでしたーーーーーー
この聖週間と復活祭は
クウ神父様 がんばりました。
相方も本当に頑張ってました。
そして 典礼のお世話をされた信徒さんたちみなさんの
ご努力と 神父様のご努力と
箕面教会での素晴らしい聖週間でした。
そして 明日は復活の主日です。
2009-04-13 12:35
|
記事へ |
コメント(0) |
トラックバック(0) |
|
キリスト教 カトリック |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/791/
★聖金曜日 「主の受難 4月10日」
この日も仕事を終えて 夜19時半開始にかけつけました。
今日は断食、朝は食べず、お肉も食べません
この日はご受難と死を思い起こす日
受難と死を再現し キリストの受難と死の意義と復活への
希望をもとに十字架を賛美する日です。
後藤神父様とクウ神父様の司式で行われました。
私はオルガン担当ですが、オルガンは小さな小さな音で
神父様への音だしと、聖歌の時は片手で会衆の歌をリードする
聖歌隊への音だしをします。
あとは、オルガン席から 歌いました。
ご受難の朗読は
ヨハネによる主イエス・キリストの受難
神父様がイエスキリストの言葉
そして朗読者は ピラトや門番の女中や下役などの担当や
あらすじを読まれる方にわかれて 会衆とともに
受難の再現です。
そして十字架の顕示が行われました。
後藤神父様のお話やことばは 厳かです。
そして 十字架の聖遺物が飾られました。
後藤神父様の説明では
ローマ皇帝コンスタンティヌスの母ヘレナが 326年
イエス・キリストさまが架けられた十字架を探し出し
その十字架は、病気の人を癒したので本物だということが
わかったそうです。
私は ヘレナについて興味を持って
調べましたが
コンスタンティヌス帝がクリスチャンであった母ヘレナ(後、聖人となり、セント・ヘレナ)の影響もあり、キリスト教を公認して
ローマ・カトリックがはじまったのですね
それまでは、映画でも見たことがありますが
キリスト教の信徒は コロッセウムでライオンの餌食になる
ショーなどの見世物にされたり、糾弾されていたのが
ヘレナのおかげですね
ヘレナは聖人となっています。
コンスタンティヌス帝↓
その後、イエスが磔刑に処せられたゴルゴタ(しゃれこうべ)の丘と考えられている場所に336年にこの地に最初に教会が建てられ
現在 聖墳墓教会がありますが、この教会を建てたのも
ヘレナだということですね
ヘレナ↓
そのヘレナの探しだした十字架の破片が この今日の日に
カトリック箕面教会に顕示されたのです。
そして十字架の礼拝が行われ
後藤神父様は、十字架とともに置かれている聖遺物に
跪き、接吻をなさいました。
クウ神父様、そして会衆もみな聖遺物に行列になり
お祈りしました。
相方は、跪いて胸に手をあて、聖遺物に触れました。
私も真似をして 聖遺物に触れてお祈りしました。
そして静かな聖金曜日が 終わりました。
今日もクウ神父様と 相方と私で
信徒会館で 明日に備えて練習をして 帰宅。
帰宅は木曜日も金曜日も 11時をすぎましたが
充実した気持ちで 疲れは感じませんでした。
2009-04-13 11:45
|
記事へ |
コメント(0) |
トラックバック(0) |
|
キリスト教 カトリック |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/790/
木曜日・金曜日・土曜日・日曜日 と毎日 カトリック箕面教会へ
この聖週間から 復活徹夜祭〜復活祭は
カトリックの信徒さん以外はピンとこないと思いますが
実は、クリスマスよりも
カトリック信徒にとっては、一年の中で最も大切な日々なのです。
クリスマスはイエス様のお誕生日ですが
この聖週間〜復活祭というのは、イエス・キリストが
十字架に架けられ、死んで復活するということを記念する日。
復活祭前の一週間の中で最も大切な日が
聖木曜日・金曜日・土曜日です。
聖なる過ぎ越しの三日間です
木、金は、仕事を終えてから、土曜日はサッカーの試合を
終えてから夜に教会のオルガンと ハードな日々でしたが
とても充実した毎日でした。
★聖木曜日 主の晩餐の夕べのミサ 4月9日
この日はイエス・キリストと使徒たちの最後の晩餐を記念する日
最後の晩餐といえば、レオナルド・ダビンチの絵が有名ですね。
イエスが(へりくだりの行いとして)弟子たちの足を洗ったという記述が福音書に見られるため、洗足式を行う教会もありますが
カトリック箕面教会では、洗足式は行いません。
この日の典礼のグローリア(栄光の賛歌)で
オルガンと鐘を鳴らしたあとは、聖土曜日のグローリアまで
鳴らしません。
クウ神父様と 和田幹男神父様の司式です。
クウ神父様はゆったりとした口調で、歌も素晴らしいです。
この日は夜の19時半からのミサですので
信徒さんは、いつもよりは少ないのですが
シスターさんがたくさんいらっしゃいました。
聖母被昇天修道会 大阪聖ヨゼフ宣教修道女会
お告げのマリア修道会 パウロ会 など・・・だと思います。
この日、和田神父様は福音を ギリシア語でよまれました。
日本語の訳でも イタリア語でも ラテン語でも
本来の意味とは微妙に違ってしまうとのことです。
和田神父様は
教皇庁立プロパガンダ・フィデ神学校、教皇庁立ウルバノ大学神学部
教皇庁立聖書研究所聖書学部で学ばれ、
また
1972/04夏(昭和47年)から 1987年の完成まで 新共同訳聖書旧約聖書の翻訳作業に携わられました。
英知大学・同志社大学神学部・東京カトリック大神学院Moderator
岡山ノートルダム清心女子大学大学院・英知大学大学院で
教授としてご活躍されました。
●和田幹男神父様
http://mikio.wada.catholic.ne.jp/profile.html
私は、和田神父様のこの翻訳に感動します。↓
教皇庁教理省宣言
『ドミヌス・イエズス』の理解を深めるために
http://mikio.wada.catholic.ne.jp/DJESUS-G.html
ーイエス・キリストと教会の救いの唯一性と普遍性についてー
http://mikio.wada.catholic.ne.jp/DJESUS.html
この聖書研究の権威である 和田神父様の
ギリシア語での朗読が、本来の初期のキリスト教会で
伝えられてきた言葉であると思うと厳かな気持ちになりました。
聖体拝領後は、ご聖体に献香がされ、仮祭壇に運ばれます。
そして香炉〜十字架〜ロウソク〜司祭〜会衆とつづく
行列です。
行列の時の聖歌は、
和田幹男神父様のご指示で
カトリック聖歌521の Pange lingua
そして仮祭壇での典礼は
カトリック聖歌561 Tantum ergo です
跪かれる和田神父様、クウ神父様、後藤神父様とともに
跪いてお祈りしました。
そしてシスターたちとともに 仮祭壇の前でお祈りをしました。
今日は、厳かな気持ちで オルガンと祈りを捧げました。
ミサの後 信徒会館で、静かに ひそかに
相方とクウ神父様が復活徹夜祭の
復活賛歌の練習。私も横で一緒に歌いました。
クウ神父様は、とても素晴らしくて練習の必要がないぐらいでした。
2009-04-13 10:56
|
記事へ |
コメント(0) |
トラックバック(0) |
|
キリスト教 カトリック |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/789/
2009/4/5 日曜日 「枝の主日」
先日、叙階式を大阪のカテドラルで終えられ、
4月より箕面教会に赴任された ベトナム人の
ルウ・ビン・クウ神父様の初めてのミサ が行われました。
クウ神父様に初めて わたしがお会いしたのが
ちょうど一年前の この枝の主日でした。
その時の日記はこちらです↓
「十字架の道行と ベトナムボートピープルだったクウさん」
http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/article/305/
クウ神父様は 14歳のときに、
共産主義の政治的迫害 から
逃れるために 大勢の難民とともに 小さな小舟に乗り、
ボートピーブル、ベトナム難民となったのです。
現在の中国でチベット人仏教徒が弾圧されるように
地下教会では、クリスチャンが弾圧、拷問、殺害されています。
北朝鮮でも同じです。そして 同じく、共産主義のベトナムでは
クリスチャンであることで迫害、弾圧されたのです。
老朽化した 小舟で何日も漂流して水も食べ物も尽きる中
お兄さんを亡くされて、助けられた後、26年にもわたる日本での生活。
そのクウ神父様の壮絶な人生と 神様のお導きで神父様に
なられ、初めてのごミサ。私は 胸がいっぱいでした。
「枝の主日」というのは、カトリックの一年の中で
クリスマスとともに大きな節目である 復活祭の毎年、一週間前の
日曜日にあたるもので
イエス・キリストのエルサレム入城を記念するものです。
イエス・キリストは、預言者として、救世主として、王と讃えられて、人々の熱狂に迎えられ
やがて裏切りにあい、裁判にかかると、今度は 民衆が打って変わって、キリストの処刑に熱狂する、その死を熱望するというこれからの
ご自身のご受難を知っています。嘲られて、罵られ、拷問の末、
耐え難い苦痛の十字架にはり付けられる最期を全うするために、
エルサレムの都に入るのです。
この日は 世界中カトリックのどの教会でも 信徒がそれぞれ葉のついた枝を手に 2000年前のこの様子を再現するのです。
カトリックの洗礼を受けて、私は驚きました。
キリスト教の中でも カトリックはイエスキリストの人生を教会で再現し、記念することによって祈りとともに 記憶を伝え続けていく・・・という伝統と儀式を大切にする宗教だったのです。
神道や仏教の音楽と祈りの儀式と共通したところもありました。
茶道の形式美やわびさびの 作法と共通したところもあります。
キリスト教というと 信徒以外のひとに 誤解されるのは、
自分自身の悩み解決だとか、病気を治してとか、ご利益を祈るとか
何やら閉鎖的に教会で集まって、聖書の読みあわせとか勉強して 神頼みして悩みとか語り合ったり 排他的一神教で他を排除し
また、酒やたばこなど禁止で抑制した生活を強いられるとかイメージに思われているようですが そういうものとはまったく違うのです。
カトリックというのは、新人で知識のないわたしにはうまく説明できないけれど・・・・
2000年も秘密の奇跡の儀式を続け祈り、伝統と記憶を伝え、
マリア様や聖霊や 殉教者や聖人を心に想い、キリストを考え、
キリストの体をいただく儀式を継承することを そして他者に対しての祈りを捧げることを 荘厳な音楽とともに大切にしてきたもの。
だから 楽しいとか軽薄なものであってはいけないし
もちろん荘厳なものでなければ意味がないのだと思います。
まず、外のマリア像の前で、枝を持った信徒の行列に
後藤神父・和田神父様と クウ神父様が並び祝福がありました。
そこから行列で、聖堂へ・・・・
(写真はすべてセバスチャンさん撮影です)
そのあと、クウ神父様の司式でミサが始まりました。
和田神父様が横に付き添われました。
クウ神父様は、落ち着いたゆっくりとした荘厳な美しい言葉で
ごミサをなさり、素晴らしい説教でした。
今日のオルガンはマリちゃんでした。 とても美しい演奏でした。
私は聖歌隊で 歌いました。
聖体拝領は、クウ神父様の前に進み出て、跪いて口で拝領させていただきました。
すごくたくさんの方々が教会に来ておられて聖体拝領の時間がたっぷりあったので オ サルタリスを歌い 祈りました。
クウ神父様のごミサと拝領で 胸がいっぱいで涙がでました。
そして、クウ神父様が和田神父様、後藤神父様
侍者、シスターの順にそして最後に 全員に祝福を与えられました。
ミサの後の お知らせで、教会に初めていらした方のご紹介があり
その中に クウ神父様の お二人のお兄さんとお姉さん
そしてその ご家族や奥さんがいらして
みなさん 喜びに満ちたお顔をされておられました。
そしてシスターになるためのお勉強をされている
若いベトナム人の女性やブラジルの女性もご紹介されました。
ミサの後は、十字架の道行とクウ神父様をお祝いする茶話会でしたが、私は、11時からの鶴見区の葬儀に行くためにそこで退席させていただきました。
私たち 箕面の信徒は 昨年 クウ神父様と枝の主日をともにし
フィリピンでの一年間の 研修へ 見送り玉造での 叙階式を祝い、
またこの枝の主日で お迎えできたことに喜びでいっぱいです。
今週は、
4/6〜8が受難の月曜日・火曜日・水曜日
そして4/9は 聖木曜日
4/10は 聖金曜日
4/11は 聖土曜日と 19時半〜毎日教会に行きます。
この三日間は オルガンを鳴らしてはいけませんが
音だしだけ 担当します。
4/11は復活の聖なる徹夜祭で 断食です
お肉は食べてはいけない日です。
そして4/12は 復活祭
この日は お祝いのパーティがあります。
2009-04-07 10:42
|
記事へ |
コメント(14) |
トラックバック(0) |
|
キリスト教 カトリック |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/781/
日曜日は、
●朝、箕面教会で朝からクゥ神父様の初ミサ、枝の主日
●11時〜 鶴見区で 尊敬するサッカーの平田さんのご葬儀
そして いったん兵庫県の自宅へ
●そして15時〜浪速区でイリハムさんの勉強会とデモ、懇親会で
帰宅は真夜中。
それぞれについて感動したり、胸がいっぱいだったり
悲しいことも 涙も・・・激動の一日でした。
また ミサやウイグルについては、レポート書きます。
お葬式のことは胸が痛くて言葉にならないです。
それぞれの場でお世話になった方 心から感謝いたします。
************************************************************
北朝鮮ミサイルについては
アメリカ在住の米流時評さんの 素敵なブログ
ぜひ 御覧ください↓
||| 北朝鮮ロケットついに発射 |||
http://beiryu2.exblog.jp/
ところで 昨日帰宅後、Rickさんからの情報で
カトリック正義と平和協議会から 北朝鮮のミサイルについて
文書が出ているということでした。
ここに全文のせます。
しかし非常に不可解なのが、
カトリック正義と平和協議会は 会長が松浦補佐司教
なのに この声明文は 事務局長名になっています。
会としての声明なら会長が承認しているはずですよね
最近、松浦悟郎補佐司教の名前は全国的に批判にさらされて
九州で 私の信友「ノコさん」が松浦補佐司教に質問したとき
松浦補佐司教御自身が
「じゃあなた、インターネットからなんかを見たね。私についてはすごいことかかれているからね」
と言ってらしたそうなので、御自分がいかに批判され、信徒やカトリック全体から、そしてカトリック以外からも信頼されていないということを
十分、自覚されてるということです。
参照→ 「松浦補佐司教様、あまりにひどいよ、松浦悟郎は鬼? 〜セクハラ事件〜その@」
http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/article/739/
また 「すごいことかかれる」
のが嫌で名前隠したんかな笑
そして 気持ち悪いことに、昨日の夜の段階では、
4/2と 4/3にカトリック正義と平和協議会のホームページに
不具合があって・・と説明がありました。
でも現在は、削除されています。
実は、4/2に出した声明文ではないのに
日付を巧妙にごまかしている??というのは、おつるの憶測ですが
なんだか 胡散臭い。
では内容です。
カトリック正義と平和協議会のホームページより
http://web.mac.com/jccjp/iWeb/justice%20and%20peace/0D2E806D-3B65-420C-AA9E-5D10AF7D6493.html
このホームページには、気持ち悪い写真がいっぱい。
このホームページのリンクには、こんな団体も。
・グリーンピース・ジャパン
・「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク
**************************************************************
2009 年4 月2 日
内閣総理大臣 麻生太郎殿
朝鮮民主主義共和国
国家主席 金正日殿
日本カトリック正義と平和協議会
事務局長 大倉一美
日朝両政府に対して、ロケット発射問題において憲法9条と「日朝平壌宣言」にもとづく関係回復への真摯な努力を求めます
日本カトリック正義と平和協議会
事務局長 大倉一美
朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)は4月4日から8日までの間に、試験通信衛星を打ち上げると国際海事機関(IMO)に事前通報しました。日本政府は、この対応に「弾道ミサイル等破壊措置命令」を発令し、地上発射型PAC3が東北に、イージス艦が日本海に移動しました。私たちは、両国の動きは北東アジア地域の緊張をいたずらに高め、朝鮮半島の平和及び非核の進行にマイナスの影響を与えるため互いに自制と対話を求めます。
私たちは、北朝鮮の人工衛星打ち上げには問題があり中止を求めるものです。宇宙の平和的利用といっても真の目的は軍事転用技術の確認と内外への力の誇示であることが考えられるからです。反面、日米韓三国の軍備は北朝鮮の比ではなく北朝鮮は常に脅威を感じているのです。 2002年、日本政府は「日朝平壌宣言」をもって過去の歴史における過ちを反省し 国交正常化をめざして、対話によって日朝間の諸問題を誠実に解決する決意を表明し、両国は国際法を遵守し、互いの安全を脅かす行動をとらないことなどを約束しました。
麻生首相は、危機感を無用にあおるような発言を繰り返しています。 日朝両国政府は互いに相手の脅しに屈しないとして、非難合戦をエスカレートさせ朝鮮半島の軍事的緊張は極度に高まっている
のです。憲法9条を持つ日本はこのような軍事的緊張の道をとるべきではないと考えます。
今回の問題は、北東アジアの多くの平和の願いに反するもので、私たちはこのような力による威嚇は決して平和につながら
ないと思っています。北朝鮮政府は予定されているロケット発射を中止しもっと説得力のある話し合いに応じるようにして
ください。 日本政府には、憲法9条を持つ国として、北東アジア地域全般における一切の戦争への緊張の企てに反対し、
9条を真に生かし対話をもって平和と共生のアジアをつくり出すように努力を求めます。
SCJP−09−02
2009 年4 月2 日
朝鮮民主主義共和国
国家主席 金正日殿
日本カトリック正義と平和協議会
事務局長 大倉一美
日朝両政府に対して、ロケット発射問題において憲法9条と「日朝平壌宣言」にもとづく関係回復への真摯な努力を求めます
日本カトリック正義と平和協議会
事務局長 大倉一美
朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)は4月4日から8日までの間に、試験通信衛星を打ち上げると国際海事機関(IMO)に事前通報しました。日本政府は、この対応に「弾道ミサイル等破壊措置命令」を発令し、地上発射型PAC3が東北に、イージス艦が日本海に移動しました。私たちは、両国の動きは北東アジア地域の緊張をいたずらに高め、朝鮮半島の平和及び非核の進行にマイナスの影響を与えるため互いに自制と対話を求めます。
私たちは、北朝鮮の人工衛星打ち上げには問題があり中止を求めるものです。宇宙の平和的利用といっても真の目的は軍事
転用技術の確認と内外への力の誇示であることが考えられるからです。反面、日米韓三国の軍備は北朝鮮の比ではなく北朝鮮は常に脅威を感じているのです。2002年、日本政府は「日朝平壌宣言」をもって過去の歴史における過ちを反省し国交正常化をめざして、対話によって日朝間の諸問題を誠実に解決する決意を表明し、両国は国際法を遵守し、互いの安全を脅かす行動をとらないことなどを約束しました。麻生首相は、危機感を無用にあおるような発言を繰り返しています。日朝両国政府は互いに相手の脅しに屈しないとして、非難合戦をエスカレートさせ朝鮮半島の軍事的緊張は極度に高まっている
のです。憲法9条を持つ日本はこのような軍事的緊張の道をとるべきではないと考えます。
今回の問題は、北東アジアの多くの平和の願いに反するもので、私たちはこのような力による威嚇は決して平和につながら
ないと思っています。北朝鮮政府は予定されているロケット発射を中止しもっと説得力のある話し合いに応じるようにして
ください。 日本政府には、憲法9条を持つ国として、北東アジア地域全般における一切の戦争への緊張の企てに反対し、
9条を真に生かし対話をもって平和と共生のアジアをつくり出すように努力を求めます。
**************************************************************
この上記 二通の文書について・・・・
おつるが異常だと思うところ
@ロケットってなに・・・・・?? ロケットって・・・笑
Aなんで麻生首相と、金正日を並べて宛名に書いてるねん
麻生首相に対して、失礼にもほどがあるわっ
B両国の動きは北東アジア地域の緊張をいたずらに高め って
北朝鮮が国際社会からの非難にも関わらず、ミサイル打ち上げるから、日本は国民を守るために迎撃せざるを得ないんやん。
両国の動きってなんやねん。
C麻生首相は、危機感を無用にあおるような発言を繰り返し
きくちゆみと同じこと言うてるやん
二通目の 金正日への文書に麻生首相批判をのせて
金正日の ご機嫌とってるとしか 思われへんやん。
D日米韓三国の軍備は北朝鮮の比ではなく北朝鮮は常に脅威を感じている
完全に 北朝鮮の擁護してるやん あほや
E平和と共生のアジアを作りだすように
北朝鮮と中国と韓国 以外のアジアとは日本は
ものすごく 平和と共生してるやん。
平和を壊す、北朝鮮と中国にも援助したり、努力してるやん
なんで 今回のことで麻生首相あてに 努力しろとか
文書だすん おかしいやん
Fいつも日本やアメリカになら、即時中止してくださいとか
反対しますとか 書くくせに
この北朝鮮擁護と配慮の文はいったい 何??
他にもおかしいとこ満載だよね
みなさんも 間違い探ししてみましょーーーー
しかも、これってホームページにのせてるポーズだけで
実際に金正日に送付してないんちゃう??
実は、麻生首相を非難したかっただけにみえるわ
ほんまに異常としか思えない。
2ちゃんねるに正平教の秘書は書き込みするぐらいだから
2ちゃんねるやいろんなとこで
「平和とか9条とかいつも言って自衛隊や政府やアメリカには
すぐ文句いうくせに、せえへえきょーは
何にも北朝鮮にコメントださないー」とか 書かれてるのみて
あわてて書きましたかー笑
しかも、北朝鮮のご機嫌そこねないように配慮したんやね笑
って 笑いごとちゃうわ
参考に・・・つい先日
ソマリアの自衛隊派遣に強く抗議して、海賊を擁護してる
おバカな 正平教の文書 をはっときます。
こちらは 会長 松浦悟郎名ですよね↓
ああ これ以上、クリスチャンの私
クリスチャンの敬虔な信徒さんに 恥をかかせないで・・・
*********************************
2009年3月13日
内閣総理大臣 麻生太郎殿
日本カトリック正義と平和協議会
会長 松浦悟郎
ソマリア沖に海上自衛艦を出さないでください! 海賊問題に名を借りた海外派兵新法に反対します!
報道によると麻生内閣は、3月14日にソマリア沖などでの海賊被害対策として、現行自衛隊法の「海上警備行動」(82条)を拡大解釈し、新法が成立する前に護衛艦2隻を出港させようと決定しています。一般法としての新法「海賊行為の処罰及び海賊行為
への対処に関する法律(案)」と称する、海賊対策に名を借りた憲法違反の「海外派兵恒久法」が成立する前に出港させ、その後閣議決定後に追認するという異例の方法により、派兵の既成事実をつくろうというものとして反対し抗議します。
ソマリアの海賊問題の背景には、ソマリア内戦による無政府状態があり、11月15日の『朝日新聞』 でも、海賊の一人が「みんな漁民だった。政府が機能しなくなり、外国
漁船が魚を取り尽くした。ごみも捨てる。我々も仕事を失ったので、昨年から海軍の代わりをはじめた。海賊ではない。アフリカ一豊かなソマリアの海を守り、問題のある船を逮捕して罰金を取っている。ソマリア有志海兵隊(SVM)という名前もある」と語っています。漁民や住民の貧困への自己防衛と、欧米各国や大国の海洋支配への反発が原因なのです。この解決なくして「海賊問題」の解決はありえません。また無政政府状態を良いことに、近隣各国・大国が行ってきたソマリア沖に核廃棄物、化学廃棄物の投棄(国連環境計画UNEP'05年3月レポート)も海賊問題を引き起こし助長していると
言われています。
「海賊問題」に関する過去の例として、マラッカ海峡での取り締まりのための「アジア海賊対策地域協力協定」(ReCAAP, '04年)がありました。これは、実は日本政府の提唱、主導で実現したもので、地域諸国間の協力態勢によって海賊が激減したとい
う実績を持っています('03年発生件数170件→'08年4月現在41件)。このような実効性のある枠組みを作り、沿岸諸国の自主的な努力に協力し、この地域の貧困と暴力の連鎖を止めるためのあらゆる援助をすることこそ、憲法9条の精神を活かす国際貢献です。
今、日本政府が強引に海上自衛隊派遣を実行しようとする目的は、国益、国際平和維持のためという理由があれば、自衛隊をいつでもどこへでも派遣できる恒久法を作ることにあるのではないでしょうか。それは、他国軍と協力して敵対するものへの反撃・攻撃を可能にしていく道を開くことになり、私たち大多数の国民が大切にしたいと考えている憲法9条の精神を踏みにじることになります。成文改憲が難しくなった今、このような実績を積み重ね、実質上の解釈改憲を進めているのかと疑わざるを得ません。
私たちは、ソマリアの人々が人間らしく平和に暮らせる日が一日も早く来ることを心から望みます。それこそが、「海賊問題」の真の解決であると確信します。どうか、海上自衛隊を派遣せず、日本だからこそできる平和的な貢献を行ってください。
****************************
2009-04-06 13:35
|
記事へ |
コメント(7) |
トラックバック(0) |
|
キリスト教 カトリック /
チベット と カトリック他 /
戦争 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/780/
きくちゆみといえば、カトリック正義と平和協議会全国大会で
911陰謀説笑とかなんとかのチラシが置かれていたり、
無防備都市宣言や憲法9条で、松浦補佐司教と仲良し。
きくちゆみのブログには、「まつうら」さんという方が
コメントしてるけれど・・・???
まさか松浦補佐司教ではないですよね。
信徒からのメールは無視するほど忙しい?のに、
こんなとこにコメント書くはずはないですよね。
違う「まつうら」さんだよね。
きくちゆみのブログに出てくる写真には、なんだか
見たことある方が・・・???
大阪でのおまつりの写真だそうです。
私は以前
「911陰謀説って 笑 きくちゆみを笑おう ・・ 私は信じない。」という題名で書いたことがありますが
http://blogari.zaq.ne.jp/otsuru/article/567/
辻元清美のお友達で、松浦補佐司教とも
お友達のきくちゆみは、拉致被害者さんの悲しみに
心が痛まないんですね。
北朝鮮や中国にお金をあげればいいと思う人なんですね。
きくちゆみさん、日本の歴史をお勉強してないようですね
BY おつる
私のマイミクさんで、いつもトラのぬいぐるみを着て
釜が崎の浮浪者さんなどの支援をされていて
チベットのデモにも御参加され、左翼大嫌いで
保守派の大圓さんの日記 より
転載いたします。↓
***************************
きくちゆみは北朝鮮大好き平和主義者 2009年03月30日12:53 >
ゲーツ米国防長官は米本土を標的としたものでない限り
「現時点では迎撃する計画はない」
アメリカに日本の国防を任せるわけにいかない。
日本が独自で国を守らないといけない。
しかし「きくちゆみ」という、北朝鮮大好きの夢想平和主義者は 国防など「いらない」と言う。
日本は悪い国家だから迷惑をかけた北朝鮮に土下座していれば、
攻撃はされないとでも言うのだろう。
拉致そのものが日本への攻撃であることを きくちは理解できない。
日本は悪い国だったので、拉致されても仕方がない、という
福田元首相と同じ考え方なのだろう。
売国奴 きくちゆみ は日本から祖国への誇りと国防の気概を
失わせている。
(引用)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
http://www.magazine9.jp/q_a/q_1/index.html
きくち・ゆみ
グローバル・ピースキャンペーン呼びかけ人、国際コーディネーター。
1962年東京生まれ。お茶ノ水女子大学文教育学部卒業。
マスコミ、米銀勤務を経て90年より環境問題の解決をライフワークに。
98年から千葉県・鴨川市で自給自足の暮らしを実践。
農繁期は農業のかたわら著作・講演活動、農閑期の冬は平和活動のために渡米という生活を続けている。
まず第一に、誰が攻めてくるんでしょうか。
よく北朝鮮や中国を挙げる人がいますが、
私はそのような人にはまず「歴史をよく見てほしい」と言いたい。
日本はこれまで、攻められたことなんかないんです。
日本が攻めていき、人を殺していた。
過去に悪いことをして後ろめたい人は、過剰防衛したがるんです。
後ろめたいから、報復されたらどうしよう、と思う。
「攻められたらどうしよう」と思うなら、
攻められない国になることです。
その国にとってかけがえのない相手になればいい。
たとえば北朝鮮は、日本からおカネをたくさん得ている。
日本のカネなしには生きられない国だから、
攻撃するなんてことはありえないでしょう。
テポドンを一発命中させたとしても、それから軍隊を大量投入して
日本を掌握し、駐留し続けるだけの国力は、北朝鮮にはないはずです。国民が大量に飢えている国ですよ。
「北朝鮮が攻めてきたら」というのは質問の前提が間違っていると思います。
中国に関しては、日本は最大の貿易国です。
もうすでにかけがえのない経済のパートナーになっているんですね。
政治的にはぎくしゃくしているけれど、経済面や一般市民レベルでの
交流という点ではとても進んでいる。
これが最大の防衛ですよ。
(略)
軍事力よりも、警察力や国際司法力を使って対処したり、
おカネの流れを止めるといった方法のほうが有効でしょう。
テロの根本原因は貧困や差別、抑圧であり、
これらの問題を解決しない限り、テロはなくなりません。
理不尽な抑圧を受け、家族を奪われ、絶望の中で自分の命を
捨ててでも思いを訴えようとテロという行動に出る。
今の対テロ戦争では絶対にテロは減らない。
減らすどころか、もっとテロリストを増やすことになっている。
戦争がテロに加担しているのです。
まずすべきは銃を向けることではなく、
お腹をいっぱいにさせ、家を作り、学校に行かせることです。
【きくちゆみのブログとポッドキャストより】
http://panther.iza.ne.jp/blog/entry/828621/
2008/09/30分より抜粋
何かの折りには北朝鮮のことを大騒ぎする自民党とマスコミですが、
これで誰が儲かるのか、よーくよーく考えてくださいね。
簡単に図式化すると、こういうことです。
北 朝鮮の脅威を煽る(ノドン、テポドン、拉致)→
北朝鮮に対抗するミサイル防衛を始め軍事力の増強が必要→
日米の軍需産業が潤う(と同時にリベートが日本の
防衛族議員や防衛省の高級官僚へ戻る)→
莫大な税金が防衛費に消え、国民の暮らしに必要な教育や福祉や
医療などの予算が減る→
殆どの人の暮らしはますます 苦しくなる(一部の人は大儲けする)→
格差がもっと広がって戦争しやすくなる(食べられないぐらいなら、
戦争したほうがいい、と言い出す人がいるから)→
戦争→権力者は安全な場所にいて、武器売買や燃料(石油)
消費でさらに儲ける→
世界のビンボー人同志が戦場で殺し合いを続けさせられる
日本の愛国者を名乗る右翼はホンモノじゃない場合が多いです。
本当に日本を愛している人なら、まず、日本海側にある原発
(30基以上ある)を止めるためにい のちをかけるはず。
だって、もし北朝鮮が通常兵器で日本海側の原発に
一発お見舞いしたら、
日本全土が広島・長崎・チェルノブイリの二の舞。
大量の死傷者が 出て経済は大打撃、日本の国土(農地も)は
放射能汚染で半永久的に使用不能、個人の資産(不動産)は
ほぼゼロになります。
北朝鮮は核兵器なんていらないし、ミサイル防衛は税金を日米の
軍需産業に注ぎ込むだけであって、役立たずなのです。
こ ういうことは、わたし1人が言っているのではありません。
『隠して核武装する日本』(影書房、1500円)という本や、
浜岡原発の近くに住む小内藤新吾さ んの小冊子『危険でも動かす
原発 国策のもとに隠される核兵器開発』にも詳しいです。
日本を本当に滅ぼそうと思ったらチョー簡単。
麻生首相は「強い日本」を目指すと、威勢のいいことを
言っていますが、55基も原発を動かしている日本は、
決して戦争なんかできない国なのです(やったら自滅)。
日本を愛するのなら、まず原発と六ヶ所村の再処理工場と
もんじゅを止めなくちゃ。
そして戦争中毒国家米国に貢ぐ(米国債を買う)のをやめることです。まずそこからですよ。
http://kikuchiyumi.blogspot.com/
《引用終了》
田母神氏に比べれば堂々たる大人とおちゃらけたオコチャマぐらいの
差はあろう。
ちなみにきくちゆみはあの辻元清美の親友である。
きくちや辻元にとれば北朝鮮問題に触れられたら困る理由がある。
簡単に言えば「空想的平和論者」の嘘がバレてしまうことを
畏れているからに他ならない。
そして連中の「反戦平和利権」のことが白日の下に晒されることだろう。
すでに拉致事件などで「反戦平和」の胡散臭さは露呈している。
連中ら「抵抗勢力」が必死なのは何としても国民を
「空想的平和主義」に染め上げないと連中の存亡に関わってくる
からである。
戦後何十年間も「平和」の旗の下に国民を欺き続けた勢力の罪は
許されるモノではない。
田母神氏は日本の軍事への姿勢などが日本の交渉力を
壊滅的なものにし、それが拉致問題解決できぬ要因と述べた。
ここでは田母神氏はふれていないがさらなる要因がある。
それは北朝鮮で利益を得ようとするヤカラが都合の悪い拉致問題を
封殺してきたことである。
これではいかな軍事力があろうとも中からシロアリに食われる
ようなものである。
もっとも日本の場合はただでさえ脆弱な上にきくち的な
「空想的平和主義病」の蔓延でさらにボロボロになったと
いってもよかろうと思う。
「日本は防衛に対してタブーなき議論を始めることが大事だ」
とも田母神氏は言う。
「今の状態では近い将来、日本は滅亡する」とも言った。
もはや猶予はない。
以前取り上げたさかもと未明女史と田母神氏の激白が問うもの
「拉致問題」こそ戦後日本の負を集大成であり、
その問題解決こそが日本の再生になりうるということだ
米国防長官「迎撃計画なし」
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=792538&media_id=2
<北朝鮮ミサイル>米国防長官「迎撃計画なし」
(毎日新聞 - 03月30日 02:11)
【ワシントン小松健一】ゲーツ米国防長官は29日、北朝鮮が「人工衛星」として発射を予告している長距離弾道ミサイルについて、ハワイなど米本土を標的としたものでない限り「現時点では迎撃する計画はない」と語った。米FOXテレビの番組で語った。
ゲーツ長官はまた、北朝鮮が核弾頭を搭載できるミサイル開発を進めていると指摘したが、「今はまだ搭載能力はない」との見解を示した。
2009-03-31 03:42
|
記事へ |
コメント(23) |
トラックバック(1) |
|
チベット・ウイグル・サウスモンゴル 三民族 /
キリスト教 カトリック /
拉致問題 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/774/
今日はカトリック箕面教会のミサにいきました。
久しぶりのオルガン当番です。
和田幹男神父様の司式でした。
ミサのはじめに クウ神父様が箕面にいらっしゃることに触れ
「司祭は信徒が身守り、育てるために意見を言う、それが義務である、信徒の義務については教会法を知ってください。」と
おっしゃいました。
私たち箕面教会には クウ神父様をお迎えする喜びとともに
責任があるということですね
神父様の説教では、
ヨハネの福音と 十字架上の死と ご復活についての
素晴らしいお話がありました。
聖体拝領後は、聖歌隊で カトリック聖歌集541のアベ・マリア
綺麗でした
そのあとの独奏では、オ サルタリスを弾きました。
来週は枝の主日で 十字架の道行があります
十字架の道行は ラテン語で歌い祈ります。
そして クウ神父様の初ミサです
評議会議長さんより
叙階式の終わりに、大司教よりクゥ司祭に、「あなたを箕面教会に派遣します」と、赴任地の発表がありました。聖堂には「ウォー」というどよめきがおこりました。参列者はどんなお気持ちだったのでしょうね。司祭が少ない中、新司祭が派遣されるのをうらやむ気持、
「箕面は3人目の神父さんや」と驚く事情通、そんなことがどよめきを起こさせたのか、と想像しました。 4月1日にクウ神父様は箕面教会で司牧をスタートされます。この箕面の地で、よろこびのメッセージをすべての人に伝えられます。わたしたち信徒も、3人の神父様方とともに歩むめぐみをいただきたいと思います。
今日は、親愛なるken様や 敬虔な御夫婦、
そして その御友達と綺麗なお嬢さんが 来られていて
ミサ後に 信徒会館で楽しくお話しました。
お会いできて うれしかったです
母親は信仰講座に参加しましたが
お勉強のお仲間に「和田神父様は日本でも有名なすごい方で
聖書のことなどお勉強しようと思ったら 本当は
無料でなんて おこがましいぐらいです。
本当は お目にかかるとかそばに近づくだけでも畏れ多い方
なのよ」と いろいろ教えてもらって、
そんななのに 直接お勉強を教えていただける幸せに感動してます
************************************************************
4月の 和田幹男神父様のことば
過越の秘儀
主任司祭 和田幹男
過越祭(すぎこしさい)は、元来パレスチナの遊牧民の春の祭りでした。冬には内陸部の砂漠にもわずかながら雨が降るので、春先には砂漠一面に緑が拡がり、可憐な花が咲きます。その草をはませるため、遊牧民は羊の群れを率いて遠出します。ニサンの月の14〜15日の晩、その満月の夜に子羊を屠って、旅の無事を祈願したのでした。この祭りが、イスラエルの民にとって出エジプトの出来事を記念する祭りとなりました。R.ドゥヴォー師によると、それはちょうどその出来事が過越祭を祝う時期にふたっていたからであろうということです。
出エジプトの出来事とは、イスラエルの先祖たちがエジプトにおいて奴隷としてこき使われていたが、この束縛状態から脱出したことで、これは自由に神に奉仕するためでした。神である主に命じられてそれをリーダーとして実行したのがモーセでした。 ほとんど不可能と思われたこの脱出に成功し、そこにイスラエルの民は、神である主の特別な介入を見たのでした。この出来事がなければ、イスラエルの民も、その神への信仰も生まれなかったと考えますと、それはその民と信仰にとって決定的なことでした。過越祭は、この出エジプトを記念する祭りとして、毎年祝われてきました。
イエスの受難と死が行われたのが、丁度ユダヤ人がその過越祭を祝う直前のことでした。イエスの死の直後、その晩から過越祭が始まりました。ペトロを始め、最初のキリスト教徒は皆ユダヤ教徒でしたから、翌年過越祭を祝うことはできませんでした。このようにユダヤ教の過越祭は、キリスト教徒にとってはイエスの受難と死を記念する祭りとなりました。 それは、別の次元での奴隷状態からの解放です。つまり、罪と死の束縛状態からの解放です。それは自由と恩恵によって神に奉仕する者となり 永遠に生きる者となるためです。そのため過越祭の子羊として屠られたのが、イエス御自身、このいけにえを囲んで過越祭を祝うのが、わたしたちキリスト教徒です。
おしらせ
四旬節がはじまりました
2月25日の灰の水曜日に、今年の四旬節がはじまりました。箕面教会では毎日朝6時30分に(金曜日は10時)ミサがありますが、その前に《教会の祈り》の朝の祈りを一緒に唱えます。 その始めの祈りの中で、わたしが先唱するときには、伝統的な四旬節の聖歌、Attende Domine et miserere quiz peccavimus tibi,「主よ、わたしたちを顧み、憐れんでください。罪を犯してしまいましたから」を歌うことにしています。この聖歌をうたうと、わたしたちは罪人なんだと実感し、十字架を前に頭が下がります。実際、四旬節は特に反省して罪を認め、悔やむときです。この罪を認め、悔やむことは、どうして可能でしょうか。それは罪ではないものを知っていることを前提としているからではないでしょうか。 罪は心の中にある陰のようなもの。
それゆえ、罪を認め、悔やむことの中に、光の体験があるのです。
その光が大きければ大きいほど、心にある小さなしわも見えてきます。この光とは、神の聖性にほかなりません。この光の勝利は、聖週間典礼の中で頂点に達します。
今週の聖週間と 復活祭の典礼
4月5日 (土) 受難の主日 7時 9時
ミサ後、十字架の道行、子供の赦しの秘蹟(小聖堂)
4月8日 (水) 聖香油ミサ 11時 大阪カテドラルにて
皆様 参加してください
4月9日 (木) 聖木曜日 主の晩餐の夕べのミサ 19:30
4月10日 (金) 聖金曜日 十字架の道行 15:00
主の受難の祭儀 19:30
4月11日 (土) 聖土曜日 復活の大いなる徹夜際 19:30
4月12日 (日) 復活の主日 復活の日中のミサ 10:00
2009-03-30 01:26
|
記事へ |
コメント(2) |
トラックバック(0) |
|
キリスト教 カトリック |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/773/
バチカンが中国語版サイト、1000万教徒との関係修復へ
【ローマ=松浦一樹】バチカン(ローマ法王庁)は19日から、法王ベネディクト16世の活動状況や演説内容を詳細に伝える公式サイトの「中国語版」を開設する。
公式サイトはこれまで、イタリア語、英語、ドイツ語、ラテン語など西洋の7言語で運営されており、東洋言語の採用は初めて。
バチカンは中国との関係回復に意欲的とされるが、前向きな反応が得られず、中国カトリック教会との関係も途絶えたまま。法王は中国語版サイトを通じて、約1000万人とされる中国の信者に関係修復を直接訴える狙いと見られる。
チベット問題など、中国政府にとって「不都合な内容」が掲示された場合は、中国国内で閲覧が制限される可能性も指摘されているが、バチカンは運用に踏み切る構えだ。
中国は共産主義政権発足後の1951年からバチカンとの国交を断っており、中国カトリック教会は、法王の権威を認めていない。
公式サイトはhttp://www.vatican.va
(2009年3月18日22時55分 読売新聞)
**************************************************************
クリスチャンである おつるですが、
ウイグル・東トルキスタン問題・チベット問題に
かかわり、
そして日本シルクロード科学倶楽部の発足に参加しています。
チベットは仏教・東トルキスタンはイスラム教・モンゴルは仏教
の信者が多く、中国は共産党支配により無宗教のイメージが
あります。
クリスチャンである私が注目しているのが
チベット・東トルキスタン・モンゴルそして中国のカトリック教徒
実は少数ですが
チベット・東トルキスタン・モンゴルにもクリスチャンがいます。
中国には 中国共産党が監視・管理する教会に
信徒は 中国政府の発表では400万人〜500万人とされて
いますが
実は 推計では、中国共産党支配の教会でさえ2000万人
弾圧され拷問を受け 聖堂わ強制撤去されながらも
隠れて バチカン・教皇に従う地下教会の信徒は
なんと 7000万人 いると言われています。
中国では現在、カトリック教会の信徒数が増えており、
特にネットを使いこなす 若い年齢層の信徒が増えています。
中国キリスト教徒、7000万人突破 共産党員に匹敵の勢い
2008年07月09日
クリスチャントゥデイ http://www.christiantoday.co.jp/main/international-news-1628.html
中国ニュース通信社の「レコード・チャイナ」は8日、中国のキリスト教徒が7000万人を突破し、7400万人を超す中国共産党員にも匹敵する勢いであることを、米紙「シカゴ・トリビューン」の情報として伝えた。
同紙は、増加の原因について「官僚の腐敗が横行し、社会全体が病んでいる。そんな中、キリスト教は人々に正しい道徳観を説いた」と分析。キリスト教徒の増加に伴い、対欧米関係にも影響があるのではないかと見る一方、それまでには依然として時間が必要であることを指摘した。
また、中国における「信教の自由」に関する問題を指摘。法律的には信教の自由を謳っているが、当局による厳しい監視や制限があるとして、胡錦濤国家主席の発言「宗教の信徒とも一致団結して、繁栄社会を築いていくべき」を引用するなど、現状を非難した。
先日、中国の核実験 札幌医科大学教授 高田純博士の
シンポジウムにおいては、
歴史的な記念ともいえる
チベットと東トルキスタン、ウイグルそして 日本との兄弟の
関係を強化し、協力していくための固い決意・誓いが
なされました。
そして 私がクリスチャンとして なぜ
チベット・ウイグル・モンゴル・中国のカトリックに
注目するのかということですが
誤解はしていただきたくはないのですが
これ以上のカトリックの拡大、
チベット仏教やイスラム教からの改宗や
布教、宣教を望んでいるなどというわけでは まったくありません
ただ、同じように弾圧され 迫害され 人権を侵害されている
ものとして
チベット・ウイグル・南モンゴルそして
台湾や 民主化運動の盛んな香港・
08憲章でも注目された 中国国内の民主化運動の方々
それに もし 非常に多い
バチカンを信じて、平和を祈る
カトリック地下教会の信徒が 加わると
すでに 中国共産党の党員などの数をゆうに超えます。
ここに 私は中国の民主化と 弾圧された国々の
独立を望むものの 連携の強化は 大きなポイントに
なるのではないかと思いますし
ぜひ そこに カトリック地下教会の方々が加わってほしい
宗教の違いなどの枠組みを超えて
ともに 夢と希望と自由と平和のために 連携・団結する道すじが
できると 素晴らしいことだと思っています。
中国国内では、チベットの状況を見てもわかりますが
弾圧・拷問・迫害の中で
自由を願う人が 自分の思いを主張することもできませんし、
連携をとり 協力しあうことは非常に難しい。
ですから 先日のシンポジウムでも
日本における活動と支援に
チベットのダライラマ法王様の甥である チベット臨時政府議会議員ケドゥープ・トゥンドゥップ氏や ペマギャルボ氏
そして 日本ウイグル協会 イリハム氏が
それぞれ日本の役割に感謝し期待したのです
そして 中国の核実験の被害者を助けるための発信も
日本から高田教授により なされたのです 。
チベットが大東亜戦争中、「日本は仏教国」という理由で、連合国に協力せず、日本に協力してくれた。
そして戦後チベットは敗戦国扱いされのです
モンゴルにおいても ウイグルにおいても戦前から
支援のため戦った日本人がいます。
シルクロードによりつながりを持っていた大昔からの仲間なのです。
私たちの先祖が、アジアの自由と独立のために
命を賭けて戦い チカラを尽くしてきた思いを 受け継ぎ、
現代の日本人も せめて 現在弾圧された人々
チベットやウイグルなどのために せめて心を尽くすべき時で
あると私は 思います。
日本人の美徳である
他人のために尽くす愛と自己犠牲の精神を
戦後の洗脳教育で
「自己実現」だとか「個人主義」だとか「自由や権利」の
名のもとに 失いつつあるのは悲しいことですが
今こそその美しい精神を 取り戻せる時代が来ると思います。
先祖から受け継がれてきた日本の精神性は
戦後60年を経ても 失われていないと信じます
チベット人が 60年の同化政策や洗脳教育や弾圧を受けても
自分たちのアイデンティティを失わないでいるように。
**************************************************************
私のブログは カトリックのクリスチャンの方が
たくさん見て下さっていると思います。
どうか、チベットは仏教
ウイグルはイスラム教だし・・・と 対岸の火事だと
無関心でいるのではなく
せめて仲間である チベット・ウイグル・中国の
クリスチャン 弾圧される地下教会の人々のためにともに
行動や運動などを されないまでも せめて
ともに 祈って下さると幸いです。
もちろん北朝鮮にもひどく弾圧されているクリスチャンはいます
(私の信友 Pasさんのページよりhttp://web.me.com/cmsonk1948/Korea/Martyrs/Martyrs.html)
日本カトリック中央協議会のホームページにも
地下教会の詳しい説明があります
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/library/book/hand2007/china.htm
がもちろん 中共寄りで バチカンに添わない
日本カトリック正義と平和協議会は
普段は 人権・平和などを叫ぶにもかかわらず
この中国の地下教会の問題については 無視しています
まるでことごとくバチカンを軽視する
「日本のカトリック正義と平和協議会」と
バチカンに添う 「敬虔なカトリック信徒、カトリックアクション同志会や 荘厳ミサに集まる人々」との
相反する関係は
中国共産党の 「中国天主教愛国会」と
バチカンに添う 「地下教会」の関係とそっくりであることに
気がつきませんか??
神道の方からは、このようなご批判も
ローマ・カトリック”ではないカトリック教会
http://d.hatena.ne.jp/nisinojinnjya/20080729
そして ご賛同いただける方は
ぜひ
日本シルクロード科学倶楽部 への参加も ぜひ お願いいたします。
参加希望の方は、直接申し込んでいただくか
おつるブログや mixiにコメントを下さい。
ホームページはこちらです↓
http://www15.ocn.ne.jp/~jungata/SilkRoadJpScCb1Jp.html
日本シルクロード科学倶楽部誌は これから
発行していくつもりですが
私は この地下教会の弾圧をも 取り上げていきたいと
思っています。
「チベットのキリスト教会 チベット人の隠れキリシタン」
については、2008年04月25日(金)に記事にしています
http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/article/356/
2009-03-24 04:55
|
記事へ |
コメント(3) |
トラックバック(0) |
|
キリスト教 カトリック /
チベット・ウイグル・サウスモンゴル 三民族 /
中国の核実験 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/759/
池永大司教様のお話は・・・
「差別」とかいう言葉が出てきて
それと 「イエス・キリストという 人 がね・・・」と
おっしゃったのが気になりましたが
他は
早口でお話なさるのだなあと
普段 後藤神父様や和田神父様の ゆったりとした
お話に慣れているせいか・・・少し慣れなくて
御話をかみしめて 聞くまがありませんでした。
そして クゥ神父様の叙階・・・大司教様と補佐司教様も
跪いています。
大阪教区の全部の司祭から クウさんへの祝福
あーー私に洗礼を授けて下さった赤波江 豊神父様だー
ほんとに久しぶりのお姿を見て 涙がでちゃう。
諸聖人の連願など
大阪教区の神父様たち全員の姿は 圧巻です。
この中には聖なる神父様もいらっしゃれば、正平教の神父様も・・・
相方はどの神父様が きちんと胸のところで手をあわせているか
ずっと 見ていたそうですが。。。
少なくて、それは和田神父様と、赤波江神父様
そして 欧米の神父様・・など 数名。
ところで、クウさんのお祈りの場面では
床に全身を伏せてのお祈りもありました。
こういう祈り方は 初めて見ました。驚きでした。
チベット仏教の五体投地と共通しているのですね
ここにも宗教の深遠なる部分を見た気もちになりました。
拝領となりました。
多くの信徒さんが来られているので 司祭様が数か所にわかれての
拝領です。
私の列は ちょうど池永大司教様で 隣の列がクウ神父様
他には松浦補佐司教様など・・・
おつるは クウ新神父様に拝領を授かりたいーと
隊列に わりこんだらダメかなぁと tontonさんに相談
tontonさんは、「列にはきちんと従わなきゃだめよ
池永大司教様に 跪いて口で拝領するってことがいいのよ」と
教えて頂いたので・・・・
池永大司教様の前に進みでて 跪いて口で拝領しました。
池永大司教様もきちんと 口に授けてくださいましたよ。
しかし 跪いて口で拝領している人って 何千人もの中
おつるの相方と tontonさんと私ぐらいでした・・・
拝領のあとも きちんと席でしばらく跪くtontonさんを見習って
おつるも 真剣にお祈りしました。
クウさんのために そして私の幸せへの感謝
チベット・ウイグル・日本のために働くチカラを下さいと
そしてI神父様や たくさんの信徒さん、カトリックのために。
拝領の歌は ベトナム語はまた 歌えなくて
「キリストはぶどうの木」これはやっと歌えるのですが
隣のtontonさんの 美しい迫力ある大きな歌声は圧巻
つられて私も 大きな声で歌いました。
そのあとクウさんのご挨拶は素敵でした。幸せそうなクウさんに
クウさんの 苦労された人生を想い感動でした。
少々、司会の神父様が軽いノリなのが気になりましたが・・・・・・
最後に退場は 「ウォークインザライト」
ああ・・・・
この曲は 箕面教会では子供ミサの時に使うことがありましたが
あまりに軽々しいメロデイーと 歌詞に出てくる言葉が
あわないので、箕面では聖歌隊・聖歌隊長の相方の意見で
廃止になった曲です。
子供ミサでさえ 歌うのにはばかられる曲なのに
このような叙階式で使われるとは・・・・驚きでした。
入場の歌も最後の歌も 和田神父様は歌っておられませんでした
私も覚えてないので あまり歌えません。
こういう式こそ、グレゴリオ聖歌やラテン語聖歌
カトリック聖歌集の歌を歌いたかったなぁ。。。。。
クウ神父様 箕面に赴任したら
ラテン語聖歌と グレゴリオ聖歌と カトリック聖歌の
練習が待ってますよ。 よろしくお願いしまーす
まだまだ つづくよ・・・・・
Rickさんブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/gh_punks/47146015.html#47146015
2009-03-22 02:57
|
記事へ |
コメント(0) |
トラックバック(0) |
|
キリスト教 カトリック |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/757/
東京シンポジウムが終わり、ホテルモントレ半蔵門に一泊
とてもきれいなホテルでした。
ここは 東京シンポジウムのあった憲政会館とも近く
バチカン大使館のすぐそばなんです。
そして靖国神社も近くです。
私の今回の目的がすべて 同じ場所に集中していることも
神様のお導きのような気がしました。
お風呂が可愛い
昨日は 夜中まで飲んだので・・・・少々 お寝坊
そして・・・シャワーを浴びて 身を清め
バチカンに 2時間かけて お手紙を書きました。
大阪の信徒の思いをこめて、願いをこめて
そして カトリックの未来のため 心をこめて手紙を書きました。
もちろん井上神父様の聖職停止処分の撤回のお願いも。
そして 大阪教区の現状と、日本カトリック正義と平和協議会の
現状と、多くの敬虔な信徒さんが苦しみ、悩んでいること。
カトリックから離れてしまう方もいらしたり
カトリックが無用な政治活動をすることに
精神的にも肉体的にも ショックを受けて
病気になってしまう方もいること、
そして 今回の事件について・・・・・・
たくさんの信徒さんの思いをこめました。
ホテルを出て、バチカン大使館にお電話をさせていただきました。
イタリア語や英語で話さなければならなかったらどうしようと
どきどきでしたが・・・・
いきなり訪問して ポストに入れるよりも
大使様にお会いするのは あまりにおこがましいので
どなたか、職員の方にお会いして 直接手渡したいと思ったのです
すると 丁寧な女性の職員? 秘書の方がお電話に出てくださり
訪問して 手紙を届けたいとの希望を受けていただきました。
バチカン大使館は 町中で マンションが立ち並ぶ一角にありました
とちゅうで おまわりさんに道を確認すると
丁寧に教えてくださいました。
車の出入り口には 黒人のベレー帽をかぶった大柄の
警備の方がいました。
一緒に写真をーと思ったけれど さすがに やめました笑
門の中に入り 広いお庭をどんどん中にすすんで・・・・
大使館関係と思われる建物はいくつかありましたが、
中心の一番大きな洋館が
大使館かな・・・・と思って 玄関に行きました。
インターホンを押してしばらくすると・・・・・・・
清楚で美しい女性の方が 出てきてくださいました。
さきほどお電話を下さった方ですねと 笑顔で心よくご挨拶
下さいました。
私は「大阪教区の箕面教会の○○です。
手紙を書いて おもちしました。
乱筆乱文で、しかも日本語で書いているので、
もしよろしければ 申し訳ございませんが
ぜひ 翻訳して お渡しいただければ幸いでございます。
大阪教区、北摂教区の信徒の思いと願いをこめています。
どうか ぜひぜひお伝えください。
よろしくお願いいたします」と 一生懸命 お願いしたら
「はい、わかりました。お渡しさせていただきます」と
お約束くださいました。
最後に 「あやしいものだとお思いになられてはいけませんので
名刺をお持ちしました」と
その女性に一枚、大使様用に一枚。
二枚の名刺を渡しました。
そして 「ここでの撮影はご無理ですよね??」とお伺いすると
やはり「それはちょっと申し訳ございません」とのことでした。
ですので、ご挨拶をしてから
また歩いて 門を出て・・・・・・
きちんとと外から 撮影しました。
これが ローマ法王庁大使館(バチカン大使館)です
直接 うかがえて、そして職員の方に手渡しできてよかったです。
ほんとはね、直接 大使様にお会いしたかったのだけれど・・・
無理に合わせてくださいなんて言うのは あまりに無礼でしょ
無礼なことして、変なキチガイ女がきたと
お手紙を読んでいただけなかったりしたら
意味ないもの。
だいたい おつるは イタリア語どころか英語も話せないし・・・
だって 大和ナデシコなんだもん。 日本語しかしゃべれません笑
それに無礼なことしたら 和田神父様にしかられちゃう笑
でもね わざわざ 大阪から訪ねていったという
熱意だけは受けとっていただけたらいいなと思う。
そして・・・・・・・
つぎの目的地 靖国神社へ。
2009-03-21 00:13
|
記事へ |
コメント(4) |
トラックバック(0) |
|
キリスト教 カトリック |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/754/
井上神父様の いらっしゃる場所がわかりました。
ある方から 情報をいただきました。
松浦補佐司教様 嘘をいいましたね。
マリア!
井上神父様の居所が分かりました。
姫路にある司祭・修道者の介護施設だそうです。
ここには、Y前大司教が認知症で入所していますし、
ほとんどが認知症のようです。
幽閉ということでしょうか?
検査入院のために面会謝絶じゃなかった?
信徒に偽りを教区メッセージで言われたのでしょうか?
そして・・・・
先日 司祭様方のお集まりになられるところでも
池永大司教自ら、T神父様の悪口を司祭方に言いふらしておられたとのことです。
それを聞いた司祭方は、T神父様のことをよくご存知なので、今回の事件もどういうことか分かっているのに、なおも悪口雑言の教区長に、不快感を感じられているそうです。
あまりにひどいです。
やはり 大阪狂区
カトリックの大阪教区の大司教様と松浦補佐司教様はもう
すでに
バチカンから離れ
「日本カトリック大阪狂区教団」とでもいうような
カルト、新興宗教の団体にしようとでも
たくらんでいるかのように 思えました・・・
お二人でそういうの 別に作られたらいいと思う。
正平教 信者の 全国40万のうちの 数百人だけ
そっちに入ればいいと思う。
そしたら 全国の敬虔な信徒さんたち、崇高な神父様たちは
穏やかな祈りの日々が過ごせるのに。
ハンセン病患者たちのケアに生涯をささげ、自らもハンセン病で命を落としたダミアン神父様
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%9F%E3%82%A2%E3%83%B3%E7%A5%9E%E7%88%B6
アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所で餓死刑に選ばれた男の身代わりとなった事で知られ、「アウシュビッツの聖者」といわれる
コルベ神父様
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%AD%E3%82%B7%E3%83%9F%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%8E%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%AB%E3%83%99
蟻の町のマリアとよばれる 1950年代東京都台東区で、キリスト教に基づき献身的な活動を展開した北原怜子さん
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9F%BB%E3%81%AE%E7%94%BA%E3%81%AE%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2
日本のカトリックの信仰を守りぬいた隠れキリシタン
カトリックのために命をささげた殉教者様たち
カトリックに命を賭けて亡くなったシスターさん
崇高な神父様、信徒さん、シスターさん
このような方々の美しい生き方を汚すようなことは
お願いですから もうやめてください。
**********************************************************
Rickさんブログより
【お手紙キャンペーン実施中】
補佐司教、正平協などの悪行をしたため直訴しましょう。
教皇庁以外は日本語でよいです。
●バチカン在日大使館
駐日ローマ法王庁大使館・総領事館
ローマ法王庁大使館
Apostolic Nunciature in Japan
〒102-0075 千代田区三番町9-2
電話:03-3263-6851
大使:アルベルト・ボッターリ・デ・カステッロ 閣下
H. E. Archbishop Alberto Bottari De Caste
●池長大司教様宛
どうも、「大司教様は補佐司教といっしょになって色んなところでI神父様の悪口雑言を言われている」らしいのでリストからはずしました(2009年3月15日)
●バチカン市国 教皇様宛
Al Santo Padre BENEDICT XVI
CITTA’ DELL VATICANO
2009-03-16 01:24
|
記事へ |
コメント(66) |
トラックバック(0) |
|
キリスト教 カトリック |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/740/
おつるは、あまりの衝撃に言葉がでません。
まさか、ここまでひどいとは思わなかった。
井上神父様の事件については、セクハラという誤報が
警察逮捕の前に大阪教区からマスコミに情報が流れるという
不可解な状況があり、
松浦補佐司教様の記者会見での神父様を犯罪者のような
誤った情報が一般社会に流れ、
井上神父様とカトリック・そしてたくさんの崇高な神父様
の名誉を著しく汚すという事態に。
カトリックの信徒、私たち大阪教区、北摂地区の信徒
そしてたくさんの崇高な神父様、そして井上神父様にお世話に
なった方々、井上神父様に洗礼を授けられた方々、井上神父様を
尊敬する教え子さんが 井上神父様を信じて祈り、
私にもメッセージをたくさんくださいました。
そして・・・・不起訴
カトリックの名誉と 井上神父様の潔白が証明され
松浦補佐司教様や大阪教区の愚かな行為が世の中にはっきりと
示されたのです
私たちカトリックの名誉は 守られたのです。
信徒でない方々までもが 喜んで下さった・・・・
これは 神様のおぼしめしでした。
2/8●カトリックの名誉のために 〜セクハラ事件について〜
http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/article/703/
2/11●続・カトリックの名誉のために〜セクハラ事件について〜
http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/article/705/
2/22★和田幹男神父様の 3月のことば 「悲しいニュース」
http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/article/713/
2/25★速報!!不起訴 釈放!!カトリック 井上神父様
http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/article/718/
2/28◆速報! 事件について 松浦補佐司教の教区へのメッセージ発表 http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/article/719/
井上神父様は 病院に入院して面会謝絶だと その後
松浦補佐司教からの発表がありました。
しかし ここで衝撃の情報が入りました。
09/3/14-土 福岡大名町カテドラル教会で
社会司教委員会シンポジウム 第1回テーマ「足もとからの人権」 というものが開催されて、
大阪の松浦補佐司教・埼玉の谷司教・高見大司教という
日本で最も、左に傾いたトリオの講演がありました。
以下は、それに出席した私の親友ノコ氏のレポートです。
この方は尊敬するカトリックアクション同志会の仲間です。
わたしはノコさんの勇気と、行動に拍手を送ります。
九州で、何も事件のことを知らない信徒もいるかもしれない中で
よくもまあ、こんなことを言いましたね。
あまりにひどすぎる。
では ノコさんからの私信を許可を得て全文公開します。
Rickさんもこの件についてブログにのせています。
http://blogs.yahoo.co.jp/gh_punks/47067829.html
大阪教区の中心の教会には こんなものまで・・・
Rickんからの画像 転載です↓
そしてつぎの そのAに
本日、入った井上神父様の居場所の情報も
公開します。
松浦補佐司教様、神父様の居場所まで、信徒に嘘をついたのですね?!
********************************************************
ノコです。
本日(09/3/14-土)福岡大名町カテドラル教会で行なわれた
社会司教委員会シンポジウム 第1回テーマ「足もとからの人権」
走り書きレポートです。私の私的感想も混じってますが、ご了承ください
参加者は200名弱でした。
(小教区内で参加している顔を見て、誰がどういう思想に毒されているかよく判
りました。)
質疑応答の時間は設けられておりません
なお、この第2回は、5月に仙台で、
第3回は、11月に名古屋で予定していますとのこと
1.14:00 -14:05導入挨拶
(宮原)みなさん、こんにちは、私は今回名前だけのようなものですが
(高見)本日の司会は本当は「幸田東京補佐司教」のつもりでしたが、都合が悪い
ということで、「福岡教区司教 前大分司教である宮原司教」に頼みました。
社会司教委員会というのは4つの部局(部落差別・正平協・難民)からなっていて
あとカリタスジャパンにも社会活動推進部会というのがあって同様の働きをして
います。今、日本では、教会の内も外も人権侵害がおこっています。それを今回
は直接伝えたいと思います。いや、今回は私は、私たちの足もとからの人権につ
いて、私たち司教が教えるというより皆さんと一緒に考えていこうと思います
(1) 14:10-14:20 国連世界人権宣言の概略 (シスター石川?)
パワポで24枚の資料を10分でぱらぱらと説明する
世界人権宣言の規定する「人権」は地球上の、誰に対しても、
「全ての人に等しく保証される」べき権利である
マグナカルタ以降、国家の絶対的主権に歯止めをかけるべき
との思想に基づく
連合国の戦争目的は、4つの基本な人間の自由の回復にあり
安全を保障された将来を企図している全世界のあるべき姿
日本政府は1976年に「国際人権宣言」「国際人権規約」に留保付きで
批准したが、完全な批准ではなく、そのために
「種々の人権侵害」が引きおこされている
(2)08/12/10 世界人権宣言60周年にあたり発表された
司教団メッセージの朗読 14:20-14:30 (シスター石川?)
(ノコ的感想:国際人権宣言に完全批准さえすれば、全ての人権侵害は解決され
るのか?しかし、司教団メッセージって、社民党や共産党のメッセージみたいで
すね。苦笑)
2.発題1「教会の現実から見えてきたこと-信仰と現実のつながり」
発題者:高見三明大司教14:30-15:00
(1)神を信じる人々の人権意識
A.旧約の民の人権意識
「抑留者を圧迫してはならない」-つまり外国人を守れということ
やもめを苦しめてはならない-男女同権
賃金は持ち越してはならないその日のうちに払え -労働者の人権
しかし、契約によって聖なる民とされた(申7)にすら、人の権利を
ってきました。(アモス5・12、イザヤ1・15c-17、ミカ6・8、エレミア7・2-3・5
-6・8-11)など、神を信じる人々が、人の権利を侵害しても、深く考えないのは
なぜか
B.キリストの福音
キリストは「人権を守りなさい」とは言われていないが、人として愛せよという
ことは教えてくださった
(1)全ての人への分け隔てのない愛
(2)徴税人や罪人とみなされていた人々
(3)女性
(4)やもめ
(5)こども
私たちは、こどものくせにといいいますが、こどもも人間です人権があります
(6)異邦人
(7)貧しい人々
C.イエスに対する人権侵害
イスラエルの人々は、「聖なる方を拒んで、人殺しの男を赦すように要求したの
です(使徒言行録3・14)
D.教会の現実
教会は、この世にありながらすばらしい共同体のはず、しかし、教会内でも人権
はさまざまな形で侵害されています。長い歴史を振り返ると、個人的だけでな
く、共同体としても人権を侵害してきたんです
「私たち教会は悪いことをしてきたんです」私たちは加害者としての認識低い。
いや、自分だけはそういうことをしていないと思っているのです
この後、松浦補佐司教様が、リアルな一面を話してくださると思います
(ノコ的感想:旧約聖書を人権という視点でみた新しい解釈、
現代の問題を聖書の記述に無理矢理こじつけるています。但し、高見大司教は、
ボソボソとやたらと早口で喋っていたし、人には響く内容は書けない・伝えられ
ないとみえ、この人は、あまり、害はないのかなという感想です。)
3.発題2「教会自身の福音化の課題」(by松浦悟郎)15:00-15:33
(松浦)皆さん、こんにちは
(1)教会の中の意識の低さ
私たちは「教会の人権意識は一般の人権意識より高い」と思っていますが
実はそうでないことが、部落問題とカトリック教会-大阪教区カトリック部落問
題を考える信徒の会のアンケートの結果わかりました。
もっとも、カトリックが同和対策審議会の答申(1965)でアンケートをとった
(1990)ですから、時間的には随分ラグのあるものです
(ノコ的感想:相手が部落出身であったら、結婚するか 大阪教区、神戸市、他
の市町村、一般の場合、その方が教会の人であったら反対するか、教会が人権意
識の低いという無理矢理な数値を%を資料を配布することもなく喋っていく。
何だか騙されたような、まあ、数字で相手を煙にまくこれは彼の戦術でしょう)
(2)教会の中のセクシャルハラスメント
今回、私は足もとからの福音として、人権を語っていますが、ここに来た第一の
目的は先日、大阪教区でおこりました神父が逮捕されるという事件、セクシャル
ハラスメント、これを抜きに話しをすることはできないだろうと思います。
不起訴処分になりましたが、法律上、罪にならなかったからといって
今回の件が罪に問われないという訳ではないのです
「そんなことはあり得ない」「そんな神父様じゃない」という大合唱がおきるの
ですね。神父様自らが正直に認めごめんなさいとおっしゃっているにもかかわら
ずです。おかしいですね
被害者には、神父様を訴えてしまった自分自身を責めるそういう気持でいるので
す。井上神父は私に床に額を擦り付けて詫びられました
私は、今回のこの件、大阪狂区民とともに、痛み、弱さを担い、分かち合い
また井上神父様とともに歩み、乗り越えようとしているんです
これは福音の姿です
しかし大企業の危機管理にバリバリ携わっているようなそんな人が
教会にくると、自己防衛的になるのですね。今回、この事件のために
私は「セクシャルハラスメントホットライン」をつくり、そのポスターを
つくりましたが、そんなものは小教区には貼れないといって断ってくるんです
”こうあるべき”という信仰が、逆にそういうことは福音的なものではない、教会
は関わるべきでない、持ち込むではならないということで殻を作っているので
す。思考停止に陥ります。
それが本当に福音的なものなのでしょうか
NICEの提言はまだ生かされていないんだなと思います
教会の抱える諸問題
@支配と特権をもった力の行使が主任神父と信徒なかで起きている
A教会が、親密な関係、長期継続、密室の中で暴力を振るっている
B男性中心→位階制度、女性差別などが教会の在り方に影響
C教会では性的被害者が声をあげにくい体質を持つ
司祭は司祭でしかできないことももちろんあります。
しかし、閉鎖的であってはならない司祭が社会と接点を持つ、仕組みが必要だと
思います
(ノコ的感想:しかし、教会の中での性的被害とかいってるけど、これは従軍慰
安婦強制連行とか同じでありもしないことをご丁寧に海外まで流布している朝日
新聞や毎日新聞と同じ根をもっていることがわかりました。完全に井上神父の事
件をうまく利用しようという思っていると思います。これ以上、生かしておいて
はカトリックは壊滅的になるでしょう。バチカンと大使館に手紙を!)
15:33-15:40休憩
(この間、ノコは怒りに震え、松浦師に詰め寄っていいました。)
(ノコ) 司教様、この件については、不起訴処分です。認識の相違はあったとしても、あなたがあちこちで喋りまくるのはいかがなものかと思います。
神父様にも親類、友人、恩人、教え子がおられます。
あなたの発言が2次的、3次的な被害者を生んでいることは
お分かりになりませんか
(松浦) あなたになにがわかるの?
(ノコ) 私は神父様を直接存知あげません
(松浦) じゃあなた、インターネットからなんかを見たね。
私についてはすごいことかかれているからね
(私) ソースの話をしているのではありません。
あなたが人権を語る前に人として
当然あるべき常識の欠如を話しているのです。
(松浦)憮然とする
4.発題3「教会はハンセン病とどう向き合うのか」(by谷大二)15:40-16:10
我々は、カトリックハンセン病施設においても隔離・断種を実行し、非人道的扱
いをしてきた。問題を信仰心の問題に矮小化することで現実を見えなくしてきた
人間は「かわいそう」と思うときに、訪問は実はできないんです
しかし、「かわいそう」という気持を「立派な信仰心の持ち主への訪問」
にすり返れば、訪問しやすくなりますよね。
我々は、ハンセン氏病と、キリストの受難と重ね合わせることによる布教をして
きたのではないでしょうか
・ハンセン氏病の方たちのために、献身的に働いてくれたシスターを、今更、
責めるわけにはいかない (熊本国家賠償訴訟を受けて)
・ハンセン氏病の方たちのために私たちの会は日本に来た、それが会の使命でした
実は「ハンセン氏病の人たちのために」=「あなたのために」
というは一方的押しつけなんですね。
あなたのためにという献身的行為が、共依存関係を生むんです
私たちの司牧は共依存関係、他者への介入・訪問という一方通行なっていないか
このような関係が非人道的な強制隔離政策を続けさせたのではないか?
”ちいさくされた人々”への視点が欠けたものといわざるを得ない
あるハンセン病・元患者の言葉を谷は引用する
「私たちはライ病の被害者ではない。ライ予防法の被害者なのだ」
「カトリック教会は、初期の頃から私たちを救ってくれた。しかし、戦いに勝っ
た後、共に祝ってはくれなかった」
「支持する側・される側」→「共に闘う仲間へ」への変革
我々は”救済の客体”ではなく”解放の客体”なのだ
(ノコ的感想:ハンセン病施設の伝道士であった曽祖父をもつ私には、祖先を非
難されたようなこっちも頭に血が登ったね。しかし、この”解放の客体”って
何?、ここは共産党の演説会ですか?)
5.16:15-16:30(パネルディカッション)
(宮原)司教団メッセージの重要性、これは一人でも反対すればできないわけです
から、皆で発表したことに重要なカトリック教会の姿勢が現れていると思います
御三方、それぞれ短い間ですかけど、ご意見がありましたらどうぞ
(谷)メッセージにもありまけど、リーマンショック以来、市場原理主義は破綻
し、移住者の問題、派遣切りなど非人道的ですね。企業も利益追求だけで
本当の人間的尊厳を忘れていませんか。もちろん祈ること(も)大事ですが
祈りは聞き入れられなければならない。届かねばならないのです
(松浦)私たちは約2年おきに大きなメッセージを発表しているのですが、これは
大変しんどい作業なんですが、大きな変革なのです
(宮原)改めて人権、人間の尊厳を強調したということでしょうか
(高見)具体的に何かしていくこと、人権侵害を予防するためには?
(松浦)私が最近強調しているのは"一歩踏みだす"意識の転換ということです。私
たちには既存のもの考えを壊すことへの不安もあります。小さくされた人々をつ
くっているのは私たちの意識なんです。そのために、政治的・経済的なものにさ
え自分をも投じる必要がある。それは福音的なものへの社会変革なのです
(谷)法律というのは、その中にいる人にとっては安住の地ですが、そこからこぼ
れた人にとっては、とても大きな壁なんですね。松浦司教様が仰ったように壊す
ことが必要なのでは
(宮原)そろそろ、時間もおしてきましたのでこれで終わりにしたいと思います
(ノコ的感想:喜びの玄義-第四玄義”聖母が清めの式に与り、主の聖殿に捧げた
まいたるを黙想し、その御取次によって掟を守る徳をこいねがわん"と唱えま
す。掟は悪法であっても、守ることに意味があります。法を壊せとは司教の発言
とは思えません)
2009-03-16 00:24
|
記事へ |
コメント(18) |
トラックバック(1) |
|
キリスト教 カトリック |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/trackback/739/