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2007/05/16

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【ホームページ制作者の独り言】
個人的な事情により、GWのチェンマイ行きは中止になってしまいました。一連の予約をキャンセルしたのですが、ノックエアーはキャンセルできないことが判明。予約変更ならできるのですが、変更手数料が535B(×2便)かかるし3ヶ月以上延期は無理そうなので全額放棄することにしました。格安エアーはこういうデメリットがあるわけです。夏休みに行こうかと考えていますが、目的のオールドメディソンの日程と合わないので悩ましいところです。(2005年5月1日記)

今年のゴールデンウィーク、またネパールに行こうと思っていたのですが、最近政情が安定せず国内の交通が寸断されている可能性が高いので断念。そこでワンパターンながらタイに行くことにしました。今回は、2年ぶりにチェンマイを訪れ、ワンディーを激励(?)すると共に、念願のオールメディソンで授業を受けるのが目的です。余談のところで「ディプロマコレクターになるのはよくない」と書いていて自己矛盾するようですが、今回の目的は「講義」をうけることです。私は基本的にはワットポースタイルを自分のものにしようと考えていますが、思い起こせば実習ばかりで体系立った講習を受けたことがありません。ここは、テストもあるということですし何かしら発見があるのではないかという期待があります。スタイルもWANDEEと同じはずですから、チェンマイスタイルの復習にもなると思っています。近くにWANDEEがいますから授業後に補習することも可能です(笑)。
問題は、2週間をどう工面するかです。この解として、GWと夏休みに一週間ずつ習うことにしました。もちろん連続で習うほうがいいのですが無理なんですもの。ちょうど、GWとお盆休みの時期に、前半と後半が重なるようなスケジュールになっています。料金はひょっとしって2倍になってしまうかもしれませんがそんなに高くないしまあいいかと。
昨日、安いチケットを探してみたのですが、4/27出発だと東京-バンコク往復はISIZE航空券のノースウエストの41000円がありますが、大阪発着はJALで56,700円でした。これはJALのゾーンペックス運賃のようなので、JALホームページを確認すると55000円で代理店を通さずに購入できることがわかりました。Web悟空21というチケットです。調査の結果、直行便ではこれが最安なので空席を見たのですが、なんと4/27発5/8帰が空いていました。やはり津波被害でプーケット観光が落ち込んでいるのでしょうか。しかもオンラインなので座席指定までできます。しっかり窓側確保です。次にバンコク−チェンマイ往復のチケットですが、これは先ほどのJAL悟空で大阪-チェンマイ往復で買ってもいいのですが、バンコクにも滞在する場合はチケット種類で2000円、ストップオーバーチャージで7000円追加料金がかかります。しかも、ストップオーバーは一回までです。それで、別途買うことにしました。ノーマルなチケットとしてはタイ航空の片道2170Bのチケットが変更自在で便利なのですが、最近は格安航空会社が半額くらいのチケットを販売しています(No. 067:価格破壊 (2004-09):「天使の都」バンコクへの誘いと、やまひでさんの旅行記 タイ格安航空会社「ノックエアーの巻」 - goo 旅行を参照のこと)。タイ航空の子会社というNok Airでチケットを予約しました。こちらも、オンラインで座席指定までできて超便利です。料金は手数料込みで往復2700Bでした。次にホテルですが、最近はバンコクもチェンマイも値上がりしています。こちらもオンラインで予約完了。スクールには受講希望のメールを送信。
これですべての手配が完了しましたが、飛行機のチケットを代理店を通さずにすべてネットで航空会社から直接購入するのは初めて。 インターネットというのは経済の仕組みを劇的に変えるツールであり、企業内においては中間管理職を失業させ、トップマネージメントの価値増強と、一般従業員の供給過多という構造改革が起こりました。流通の世界でもBtoB、BtoCという需要と供給の主体を直接結ぶことで卸問屋の中抜きが行われます。航空チケットの中間業者である格安チケット代理店 はこれから淘汰されることになるでしょう。格安チケット代理店の倒産ニュースとそれに続く払い込んだチケット代の返金問題(普通はほとんど返金されない)はよくある話ですし、最近は2ヶ月前からキャンセル料を請求するなど、格安チケット代理店で買うのは大変リスキーなことになっています。しかも、価格メリットまでなくなっているのです。今のところ、ホテルやアトラクション、現地ガイドをセットにしたパックツアーの商売は成り立っていますが、これもネットで新たな仕組みが提案されれば一気に崩壊するかも知れませんね。あ いかん、またマッサージと関係のない仕事の話になってしまった。(2005年3月13日記)

エベレスト街道から帰ってきて以来、ヒマラヤ関係の本を立て続けに読んでいる。今まで登山というものが身近に感じられなかったので「そこに山があるから」(これはジョージ・マロリーの有名な言葉だが、原文は"Because it is there."エベレスト登攀の意味について何度も何度も説明しているのにまた聞かれたことにうんざりしたマロリーが皮肉交じりに吐き捨てた言葉だったというのが真相のようだが、曲解され不朽の名言として世に残る)と言われても理解できなかった。しかしながら自ら3日間歩きとおしてエベレストを正面に仰ぎ見ると登山への興味がぐぐっと沸いてきた。見てしまうと行ってみたくなるものだ。
そんな動機でエベレスト関係の本を検索してみると、1996年の大量遭難事件について書いた「空へ」という本を見つけた。この遭難事件には日本人の難波康子 さんが含まれていたことから、当時新聞で大きく取り上げられ私も覚えていた。早速図書館に行ってこの本とその関連本を借りて読んでみた。面白い。人の遭難から生還または命を失うまでの壮絶な実話であるだけでも十分だが、出てくるテンボシェやルクラといったドラマの舞台をシェルパと共に先日踏破しているだけに現場の状況がありありと想像される。
ネパールにおいて「登山」とは6000m以上の高度に達する場合であり、それ以外はトレッキングである。登山の場合、特にエベレストのように7500mの通称デス・ゾーンに侵入する場合は、酸素ボンベや複数のキャンプ設営、食料や固定ロープなど数トンの機材と、数十人以上の支援スタッフとシェルパを必要とする。しかもネパール政府に一人100万円以上の入山税を支払う必要もある。高度順化の期間も1ヶ月程度必要となる。
ここに営業登山隊というビジネスが成立する。ふつう登山は、登山家としての訓練を経たメスナーのようなすごい人たちが己の力と判断に基づき自己責任で行うものだというのが一般的な認識だと思うが、何と700万円くらいのお金を払うとパックツアーのように山頂に連れて行ってもらえるというのだ。営業登山隊にも二種類あり、機材や食料、シェルパの手配と管理を行うものと、更に天候の判断、登山スケジュールといった頭を使う部分もすべてリーダーにお任せのものがある。今回の遭難を起こしたのは後者の方で、基本的にはリーダーの判断が間違っていたのが原因だ。客は安全のため、リーダーの判断に100%従わなければならないという契約を交わすのだが、リーダーが絶対的に正しいとは限らないのが怖いところだ。この場合、リーダーのロブ・ホールはダグ・ハンセンという一年前に登頂失敗した顧客を再度連れてきていたが、今度こそ登頂させないと「営業的に」また、彼との約束のため大打撃だという意識を持っていたようだ。そのため、撤退予定時刻の14:00から2時間も遅れていたに関わらず複数の顧客の登頂を続行させ、嫌がるハンセンを担いで登ると言う無謀なことをしてしまう。ハンセンはその後自分で戻る体力を失い滑落死、ロブ・ホールも体力と酸素を使い果たして自力歩行ができずに遭難死する。他の顧客も酸素と体力を失った上にブリザードに巻き込まれ、難波康子は遭難死、ベック・ウィザーズは右腕と左手指すべてを凍傷で失う。象徴的なのはウィザーズで、彼は朝7:30に登頂を断念したにも関わらず、ロブ・ホールの言いつけどおり彼の帰りを何と17:00まで待ち、その後下山してきた隊員と共にブリザードに襲われる。自分の判断で帰還していれば何の危険もなかったのだ。
人はガイドが付いたとたんにその思考能力を放棄する。そして悲劇が起こる。本来、ガイドにより思考は追加されなければならない。状況把握はその場所の知識だけでなく人生の経験の面が大きい。それをガイドに委ねる訳には行かないのである。ロブ・ホールの場合、営業的成果が最優先となっており安全第一が行動基準になっていなかった。参加する顧客はそういう心理を読んだ上で、どの局面では彼に従わないべきか自分で考えるべきだった。登山経験や知識では彼に頼る必要があるが、トータルに考えて、頼り切るのではなく自分の判断を補完するものとしてリーダーを位置づけなければならない。それはあらゆる日常生活で共通する。人に自分の命、自分の人生を任せると必ず後悔することになる。それは傲慢になるということではなく、自分には何が欠けているかを冷静に見極めるということである。
営業登山は観光バスに乗って山頂を目指すわけではない。自分の脚で登ると言う意味で本物の登山家と同じ条件の酸素濃度と体力を必要とすることに変わりはない。その意味で、ガイドについていけば必ず登れるわけはない。難波康子は英語も登山技術も全然だめだったそうだ。その意味で登頂は計画段階で無理だったという面もある。とにかく登山はスピードが第一で、7500m以上のデスゾーンに留まる時間が長いほど死の確率が劇的に増大していくのだ。登山はダイビングと似ているが、オープンウォーターダイバーとダイビングインストラクター以上の差が、登山家とトレッカーの間にあるように思える。
ところで、この「空へ」を読んだときにはガイドのブクレーエフへの批判も含めてなるほどそんなものかと思ったものだが、その後ブクレーエフの「デスゾーン」を読んで、「空へ」のクラカワーの方がとんでもない奴に思えてきた。彼は、ブクレーエフの行動を批判するが、彼自身は何をしていたかというと「寝ていた」のである。ブクレーエフの行動は彼の言葉を聴くとひとつひとつ正当な理由があり、彼はクラカワーが何もせずに寝ていたとき嵐の中3度も単独で救助活動を行っている。彼は「登山はスポーツであり命をかける価値はない」と考え、山頂間近であっても安全を優先して勇気ある撤退を実行する。しかし、救助には文字通り命をかける男である。それが自分の責任でなく(登山はそもそも自己責任である)、たまたまそこに居合わせたからであってもだ。これが真の男というものだろう。登山をするという行為の中には近くに困っている人がいたら助けなければならないという暗黙のルールを了解することも含まれると彼は考えている。一方クラカワーはその著書の中で、「自分以外のとんまが遭難して、救助活動に動員されるのはまっぴらだ」とか「ウィザーズと(いうお荷物と)一緒に下山しなくてよくなり助かった」とかそんなことばかり言っている。ブクレーエフの誤算はロブ・ホールが間違った判断をするわけはない思ったことにあり、彼はクラカワーに批判されるような間違いは何もしていない。
ブクレーエフの「デスゾーン」では最後に感動的な二つのエピソードが語られる。一つはその翌年にインドネシア隊のエベレスト初登頂に同行したときのこと。安全のため考えうるあらゆる準備を行い、登頂は1名が達成した瞬間、残りの2名が山頂目前であっても、ガイドが数メートルで山頂というところにいても彼は何のためらいもなく下山を選択する。もう一つは、エベレストベースキャンプに来ていた難波康子の遺族と偶然出会ったときの彼らの会話である。話を聞き終えた難波の夫は「ありがとう」と感謝の言葉だけをブクレーエフに贈った。私はこのくだりを読みながら泣いてしまった。ブクレーエフはこの本を出版した直後に、アンナプルナで遭難死した。(2005年2月11日記)


冬休みにネパールに出かけた。今回はランタントレッキングの予定だったが、バンダ(ストライキ)のためバス、タクシーが出発できず、やむなく飛行機でルクラまで行きそこから歩くエベレスト街道トレッキングに切り替えた。山の素晴らしさはもちろんのことだが、人々の暮らしぶりが素晴らしい。山に薪拾いに行き、暖炉もかまどもすべて薪を燃やす。子供と動物が村の隙間を埋め、牛は農作業や荷物運搬に活躍する。車がないのでとても静か。
もはやネパールはファンタジーである。昔話そのままの暮らしがそのまま残っている。食べ物も米、豆、野菜、ジャガイモ、そして大根の漬物(味はまさにたくあん)だし、寺はいたるところにあり町は祈りに溢れている。民族的にもチベット系なので日本のふるさとといった趣だ。壮大なタイムスリップテーマパークと言えるのではないだろうか。こんなところは世界のどこにもない。ネパールはヒマラヤを始め、カトマンズや仏陀生誕のルンビニ、チトワンのジャングルなど世界遺産の宝庫だが、この生きた化石ともいえる近代化されていない暮らしこそが世界の宝だと言える。人々の暮らし 向上のためには政府が発展を進めるべきなのだろうが、ネパールは幸いなことになぜかそうならない。15世紀くらいで時が止まってしまっている。世界最貧国のネパール市民には気の毒なことかもしれないが、まさに奇跡的な保存状態である。この国にいるといろいろなことを考えさせられる。文明は本当に人を幸せにするのか、自然との共生、年寄りや子供 との触れ合い、動物との豊かな触れ合い。犯罪や自殺とは(たぶん)無縁の村の生活。農作業と食事という単調な毎日。人間が生きるスタイルとしてはこの辺りが分相応なのではないか。文明や科学の急速な進歩に体や心がついていけず、所得格差や精神病が生まれる現代社会、金勘定に人生の大半の時間を費やす毎日。人間の進化の方向として後戻りはできないのだが、そんなことを考えながらまたネパールを訪れることになるのだと思う。ネパールは本当に素晴らしい。写真をパスワードnepalで 公開しています。(2005年1月10日記)


東京の友達が来たので朝から新世界に出かけ、串かつを食った。大阪スタイルの串かつを食うのも初めてなら、通天閣に登るのも初めてだった。通天閣は大人600円。周りに高い建物がないので意外と関西地方を見渡せる。大阪城、大阪ドーム、生駒山系、そして真下には天王寺動物園。きりんが見えた。
串かつ屋は音に聞く「てんぐ」に行った。朝11:00だったのですっと入れたが既に大入り。出るときには隣の八重勝ともども行列ができていた。えびフライが420円と高かったがとても大きくて美味だった。飲んで食って二人で4900円。まるで東南アジアを旅行しているようで楽しい。
てんぐがあるジャンジャン横丁はこんな感じで観光名所らしくそこそこ賑わっていたが近隣のフェスティバルゲートはゴーストタウンのような静けさ。ほとんどのテナントは引き上げ客もまばら、というよりいない。いるのは大阪プロレスの興行を見に来たプロレスファンくらい。たまに売り物のジェットコースターが走り抜けるが、乗っているのは最前列の二人だけ。一人700円だがとんでもない赤字だろう。数年前の大行列が夢の後のようだ。
オープン当初は通天閣〜飛田、天王寺動物園のdeep大阪とスパワールドに隣接する立地から失敗するはずのないプロジェクトだったのだろうが、なんとも悲惨なことになってしまった。新聞によると、TDLのようにリピーターを定着させる新アトラクション等の施策がなかったために一度で飽きられてしまったという。店舗も飲食店が中心で定期的にチェックしたくなるファッション系のテナントが少なかったことも災いしたのだろう。私の自宅の近所にある鶴見花ポートブロッサムも今は他の新規オープンしたアウトレットに客を取られ土曜でも閑散としている。よく見るとわかるがどちらの施設も老朽化以上に、雨曝しの部分の壁の汚れや劣化が目立ちそこにいるだけで貧相な気分にさせられる。客が来なくなる本当の理由はこういうところにあるのだと思う。自分の存在している空間がどれだけ清潔で明るくて美しいか、それによって本能的なプライドは大きく影響を受ける。薄汚いホテルに泊まるくらいなら高くても清潔で静かなホテルがいい。数千円の違いでグリーン車で大きな満足が得られる、新車は素晴らしい、ティファニーの店内にいるだけで幸せだ、スターバックスは居心地がいい、といった感性はこういうことだ。TDRやマクドナルドがすごいのは20年以上経てもどこを見ても新品同様、疲れた様子は全くなく常に若い人たちのエネルギーで空間を満たしているところだ。何をやるにしてもこういう本質的な顧客価値が見えていなければ失敗するということの一例だと考えられる(2004年12月12日記)。


もうすぐ冬休み。今年は12/23から1/5までネパールに行くことにしました。そんなに会社を休めるのかどうか若干不安もありますが3日やそこら余計に休んだからといって大勢に影響はないだろうということで何が何でも強行しようと考えています。ネパールに行くのは実はこれで3回目。一回目は10年以上前にインド〜ネパールを旅行したときで、そのときは国境の近くの釈迦の生誕地ルンピニの素朴な風情と初めて見るヒマラヤの壮大な山々が印象に残りました。二回目はその思い出が忘れられず3年前にポカラから3泊4日のトレッキングに出かけました。デジカメという新たなツールもありとても楽しく、本当に気持ちのいいトレッキングでした。その前数年間に山にはまってカナディアンロッキー、マウントクック、スイスアルプスと世界の山を歩いてきたのですがヒマラヤの男らしくしかも穏やかな山姿は世界一の高さということもありやはりすごかった。
その後、タイマッサージと出会いマッサージを学ぶ旅行が続いていたのですが、やはり山です。と言えば聞こえはいいのですが、要は男一人旅で寂しくないのはこの辺りの選択肢しかないとも言えます。海でもいいのですが、ダイビングをするにしてもビーチにいるにしても男一人の参加というのは何となく居場所がないというか物悲しいと言うか・・・。その点学校は楽しいし、山は一人でだまって歩くことに醍醐味があるのでいいです。とはいってもネパールの場合、必ずガイドをつけるので(一日10ドル)一人じゃないんですけどね。
今回のトレッキングは7泊8日(前後二日は車で移動)のランタン谷の予定ですが、この期に及んでちょっとびびっています。前回のポカラ〜アンナプルナと違って余りトレッカーがいないということ、そしてネパールはそんなに活発ではないのですがテロのニュースを見ると外国に行くこと事態が怖くなってしまうこと、というのが理由です。携帯電話やADSLで繋がっている社会から全く外れたところにテクテク出かけていく、そんなことも不安の一因かもしれません。行ってしまえば何とかなるでしょうし楽しいに決まっているのですが、そういえばタイのマッサージ学校に初めて行く人もこんな不安な気持ちなんでしょうね。帰国したら写真でもアップしようかと思ってます(2004/12/5記)。

本WEBサイト筆者:YUJI OKADA

【マッサージ歴】
2002年12月27日〜31日 ワットポーマッサージ1stステップ(基本)習得
2003年1月1日〜3日    ワットポーフットマッサージ習得
2003年4月26日〜30日  Wandeeマッサージ(チェンマイスタイル)習得
2003年8月8日〜14日   ワットポーマッサージ2ndステップ(治癒)習得
2004年8月7日〜13日   ワットポーアロマオイルマッサージ習得
2006年11月5日〜15日  ピシットマッサージスクール・ベーシックマッサージ習得

 

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最終更新日 : 2007/05/16