きょうの社説 2009年7月17日

◎高岡の都市戦略 「呉西」越え「加越能」の中心に
 高岡市の高橋正樹市長が就任の抱負で、富山市、金沢市、能登、飛騨の単なる中間にと どまらず、これらの地域を結ぶ軸線上の中心地となることを明確にしたのは、高岡の地理的潜在力を最大限に引き出すうえで極めて大事な視点である。

 高岡開町の祖である加賀藩2代藩主前田利長は加越能の中心として高岡に居城を定めた が、北陸新幹線や東海北陸自動車道から北上する能越自動車道によって、高岡は交通ネットワーク上も加越能の中心と位置づけられることになり、従来の「富山県西部」「呉西」という枠を超えた広域的な都市戦略が求められるのは当然である。とりわけ、金沢市との連携強化は県境を越えた広域圏づくりの主軸といえ、この東西のパイプを太くしていくことが欠かせないだろう。

 高橋市長は北陸新幹線や道路網を生かし、「高岡市が富山、石川両県のかすがいになり たい」との考えを強調した。さらに新幹線新高岡駅(仮称)の駅勢人口は「能越自動車道が延びれば、県西部の40万人にとどまらず、大きく広がる」との認識も示した。

 確かに能越自動車道が北に延びれば新高岡駅の活用エリアは能登に広がることになる。 首都圏からの客が新高岡駅で下車し、観光バスで市内見学後、能登あるいは、飛騨、金沢方面へ。同駅発でバスを走らせれば、このような多彩な観光ルートの設定も可能である。

 都市と都市との時間距離を縮める北陸新幹線が開通すれば、県境の垣根はさらに低くな り、加賀藩という歴史土壌を同じくする高岡、金沢にとっては「兄弟都市」の意識も一段と強まるに違いない。

 高橋市長は北陸新幹線の全列車停車を求めることに関し、「列車停車がビジネスとして 成り立つと思わせる力が必要になる」と語った。新潟県の上越、糸魚川市も全列車停車を求めているが、JRに停車しないともったいないと思わせる地域づくりを進めるという考え方はもっともである。そのためには交通アクセスの良さを最大の武器にして、高岡を起点に能登、金沢を含めた回遊の拠点性を高めることが大きなかぎを握る。

◎東国原氏出馬断念 地方を踏み台にしたツケ
 宮崎県の東国原英夫知事が次期衆院選への出馬を断念したのは、自民党の「救世主」に なるつもりが、意に反して都議選の自民大敗の「戦犯」になってしまったからだろう。地方分権を求めながら、地方を踏み台にして、国政の舞台にのし上がろうと画策したツケが回ったともいえる。

 東国原知事は断念の理由について、「地方分権について提示した条件が満たされない」 と説明したが、出馬を働きかけていた古賀誠・自民党選対委員長が辞意を表明したことにより、自民党内の擁立論は、事実上立ち消えになっていた。古賀氏は「(擁立は)浅はかな考えだった」と悔やんだが、東国原知事の一連の言動もまさに同じことがいえたのではないか。

 宮崎県での人気が高いといっても、それは地元の宣伝のために先頭に立って走り回る姿 が好感されたものである。タレント出身の知事にしかできない強味を生かしたメディア戦略は、いつの間にやら「自己宣伝」ばかりが目立つようになっていた。そこへ任期途中で知事職を投げ打ち、国政に転出すると言い出したのだから、有権者は裏切られた思いだろう。「次期総裁候補」を出馬の条件とし、知事の本性が透けて見えたことも反感をかった。

 そもそも知事の仕事は、タレント活動と並立できるほど暇ではない。3年やそこらで大 きな成果を上げられるほど簡単でもない。まじめに仕事をしている全国の知事にとっては迷惑な話である。

 東国原知事は出馬断念の会見で、「地方分権が進んだことは、私の行動の成果」と述べ た。出馬の条件に、全国知事会の地方分権の要望を党のマニフェスト(政権公約)に求めたことを指しての物言いだろう。確かにこれまで政局に影響を与えてこなかった全国知事会を強力な「圧力団体」に変身させたのは、東国原知事と大阪府の橋下徹知事の功績といえる。

 本気で国政を目指すなら、やり直すチャンスはいくらでもある。「国政へ送り出そう」 という声は、地元のために懸命に働き、職責を果たしていく中から、自然にわき上がってくるはずだ。