―― 『秋期限定栗きんとん事件』の話に戻りますが、読者の反応はいかがでしたか? 溜めがあった分、以前の作品よりも大きかったのではないかと思いますが。
米澤 シリーズもので少し間が空いてしまったのに、思ったより暖かく迎えてもらえてとても嬉しく思います。
―― いや、三年ぐらいなら待たされたうちに入らないですよ。
米澤 それはミステリー界限定の感覚であって(笑)。もっとお叱りを受けるかと覚悟していたんですが……。今回、初めての上下巻ということで、反応が心配だったんですが。
―― 冒険だったかと思いますが、上下巻の刊行間隔は二週間でしたし、巻の切れ目もちょうどよかったですから、私はそれほど気にならなかったです。気になるとしたら、温度の低さですかね。これは書いてしまってかまわないと思うのですが、一応恋愛小説的な展開はあるのに、なんというか体感温度が低い(笑)。こんなにヒートアップしない恋愛小説というのは珍しいですよ。
米澤 いやいや(笑)。そういう場面はやはり、「ここぞ」という時に出すものですから。
―― あ、なるほど。やはりぐっと熱くなる場面は最終巻に……。
米澤 かどうかはわからないですがね。
―― じゃあ、ブックジャパンに勝手に書いちゃう(笑)。まあ、でも読者は『冬期限定』に期待せざるをえないですよ。学年でいっても、小鳩君と小佐内さんの学園生活にはもう一波瀾ありそうですし。どの程度内容は決まっているのですか?
米澤 ある程度は固まっているのですが……。現段階では、どこまで言っていいのかちょっと判らないですね。
―― ヒントだけでも。
米澤 はい。今回がアントニイ・バークリーだとしたら、『冬期限定』ではジョセフィン・テイをイメージ出来ればいいと思っています。別に『時の娘』(ハヤカワ文庫)よろしく、「歴史に隠された謎を解く」というわけじゃないんですけれども(笑)。
―― ジョセフィン・テイですか! 『時の娘』と言われると、「それってどうなるんだよ!」と関心も増しますね。本当、想像がつきません。
米澤 それはですね、実は……。ああっ、でも言ってしまうときっとおもしろくなくなってしまいますよ。
―― じゃ、言わないでください(笑)。その代わり早く書いてくださいね。
―― 今、歴史の話題が出ましたが、米澤さんの作品には、『犬はどこだ』における歴史であるとか、『さよなら妖精』における地誌であるとか、そういった社会学で取り扱う事柄が話題として盛り込まれていることが多いですね。また基本的な質問になってしまいますが、それはなぜなのですか?
米澤 別に「情報小説」として書いているつもりはないんです。はっきり言語化するのは難しいのですが、自分の中には表現したいもの、書きたいものというのがいくつかあります。そうした題材を描くのに適した事象を選んでいくと、たとえば中世と現代日本の自衛の問題を対比したり、ユーゴスラヴィアと日本を対比したりというところに落ち着いていくんですよ。
―― 現実の日本と対比する何かというのが大事なんでしょうか?
米澤 必ずしも対比することがメインではないんです。でも、「こういう事を書きたい」という時に、それをそのまま書いてしまうと、あまりに生々しすぎて逆に嘘っぽかったり、説教くさくて読みにくかったりするものになってしまう。何かに仮託するために情報小説的な知見を用いているという面はあります。ミステリーという軸は大事ですし、あまりに情報の要素を大きくすると話がずれてきてしまう。
―― なるほど。米澤さんは、娯楽小説の中で作家性を表明されることに慎重な姿勢をとっておられるという印象を受けました。誠意ある書き方ですよ。ミステリーには、明文化されていないアウトラインのようなものがあって、そこからはみ出た部分がある作品は、異物として排除される傾向があります。その異物をストーリーの中に無理矢理押し込もうとすると、今度は物言いが非常に直截的になってしまうから、窮屈なものになる。その折衷案と言ってはおかしいかもしれませんが、作家性を満足させ、かつミステリーとしての自由な語らいも損ねず、という解決方法が現在の作風ということになるのでしょうか。
米澤 縦軸と横軸というのは、正にその部分です。僕のテーマは、ミステリーから外れた情報が挟雑物として邪魔にならないことです。最後の最後までそれが本筋のストーリーにぴたっと合わさってきて、解決場面でひとつに融合するというのが理想ですね。巧くいっているかどうかは、読者の判断にお任せしますが、目指してはいます。