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B.J. Interview vol.6 by Sugie McKoy(3/6)

小市民、とはいいつつ強烈な自意識をもった高校生のカップル。
この先、いったいどうなるのだろう。古典部員たちの恋の行方も気になるぞ。
【米澤穂信】

 

二つの軸が交差するところに生まれる小説

―― 〈小市民〉と〈古典部〉二つのシリーズの話題が出たところで、基本的な質問をさせていただいていいですか? 〈小市民〉シリーズは、キャラクター設定そのものが物語を作っていく要素がある作品だと思っています。つまり、自分の中にいろいろな屈託を抱えながら生きている人物が主人公なので、そうした前提条件が彼らと世界との関わり方に影響を与える可能性がある。ところが〈古典部〉に関しては、キャラクター設定の中にそこまで世界を決定する要因がないんですよね。二シリーズを書き続けていくと、〈小市民〉を書くことによって〈古典部〉を書きづらくなるのではないか、という危惧があるんです。

米澤 なるほど!

編集 (ボソッと)実は僕もそこはどうなのかな、と思っていました。

―― だからこそ、『遠まわりする雛』なんですよね。あの短篇集は、最後にある衝撃的な出来事がありました。あの終り方だと、読者は次の作品でも何かイベントが起きるかもしれない、と思って作品を読むようになるでしょう。意地悪な言い方ですが、イベント重視の連作として書き続けていくこともできるわけです。お聞きしたいのは、そうした関心でひっぱる連作として〈古典部〉を書き続けていくのはどうでしょうか、ということなんですよ。でもって、〈小市民〉は主人公のキャラクター次第でどう転ぶかわからない、先読みのできないシリーズにする。そういう区別をすると、両シリーズは書きやすくなるのかなと。

米澤 いやあ、実は正直言って『秋期限定』はかなり書きづらかったんですよ。というのは、前作が出た時点で登場人物の別の顔を知られていますから、読者にある程度先を読まれてしまうでしょう。手の内を知られていながら、それでもなおかつ楽しんでいただけるように書かなければいけない。どうしたらいいのか、と相当悩みましたね。逆に〈古典部〉の方は、そういうシリーズであることの弊害のようなものがないんです。登場人物の性格と事件が関わっていないものが多いですから、その分ミステリーそのものを楽しんで書けるという側面があります。

―― そうか。純粋な謎解きがやれるわけですね。

米澤 そうです。ただし、これは本当に角川書店の編集者とも話している事なんですけれども、『遠まわりする雛』の次を書くときに、「あの春の日の出来事はなかった事にしてね」みたいな感じで淡々と続けていくわけにはいかないでしょう、やっぱり。

―― そんなことをしたら、読者に殺されますよ(笑)。

米澤 最初の一行で「あれは青春の勘違いだった」で始まればいいんじゃないかっていう話もあったんですけどね。何事もなかったかのように。

―― 私の耳には、轟々たるブーイングが聞こえますけどね。ページを開いた瞬間に「なんだと」と読者が憤激するのが目に浮かびます。シリーズキャラクターも良し悪しですよね、読者に愛されてしまうんで。その愛情に支配されないように、作者の書きたいことをやろうとすると、どうしても制約が生まれるようには思います。

米澤 ただ〈古典部〉は、もともと成長小説としての側面を持たせているつもりですので、登場人物の性格や関係性が、成長に伴って変化していくことも想定はしていました。ですので、それもまた構想のうちだという風に思っていただければ。

―― これも以前にインタビューで答えていらっしゃるのを拝見したのですが、米澤さんは作品の中にミステリーの軸と、交差する別の何かの軸を設定されるということをおっしゃっています。〈小市民〉〈古典部〉の両シリーズとも、その構造は非常にしっかりしていると思うのですが、逆にミステリーの軸を外すということは今後ないのでしょうか?

米澤 多くの編集者から「ミステリーじゃないものも書いてみたらどうか」というお勧めをいただいたことは確かです。ただし今のところ、ミステリーの軸を外して書いていくプロットは手元にないですね。

―― ミステリーのプロットはこれだけ人口に膾炙しましたから、メインではなくてサブプロットとして扱い、主題以外の小ネタとして利用していく、というやり方も有りだとは思うんです。言い方は悪いですが、青春小説がメインで、ミステリーは味付けであるという。

米澤 たしかにそれは出来ますけれども、さっきおっしゃった二つの軸の交点を、起承転結の結に持ってくるというのが自分の作品の方法論なんですよ。ミステリーの謎が解けた瞬間に、物語の中で隠されていた思いや真実が見えてくる。そこでカタルシスを読者に味わってほしい、という作りです。だから、ミステリーをただの小ネタに使うような物語作りは、ちょっと今のところはしないんじゃないかな、と思っています。

―― 了解です! カタルシスといえば、二〇〇九年に出された短篇集『儚い羊たちの祝宴』は、負の方向にもカタルシスを味わわせてくれる、とんでもない傑作短篇集でした。特に『Storyseller』(現・新潮文庫)にも収録された「玉野五十鈴の誇り」が素晴らしい。これはいわゆる「奇妙な味」の短篇集ですね。「奇妙な味」は江戸川乱歩が分類不可能な小説に対してつけた名称で、ミステリーとの境界が曖昧なところにある小説も含まれます。そのテイストが入っていますね。

米澤 そうですね。さっきも言ったとおり、著作も十を超えたので、そろそろこの辺からギアを変えていきたいと考えています。

―― その最初の実験としては、素晴らしい出来栄えだと思います。先ほどおっしゃられた交差の技術が、ここでも活かされていると思います。こうなると以降の作品が楽しみですよ。

米澤 ありがとうございます。次の短篇集は、「小説すばる」でやっていた連載が、八月に単行本化される予定です。

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photo by ピクチャーコレクション・熊倉徳志

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