社説
核持ち込み密約/重い問い掛け受け止めて
象徴的に映し出される大事な問い掛けを読み取って、しっかり認識を深めよう。
国の安全保障上の原則が、実はあらかじめ骨抜きにされていたことが事実だったとすれば、では今、この原則をどう再構築したらいいのか。それが一つ。
もう一つは、官僚が首相にさえも知らせずに自分たちの判断で管理してきたという「官」と「政」の倒錯した関係を、どう正していくかという問題だ。
米軍の核兵器の持ち込みをめぐる密約について、外務事務次官経験者らの詳細な証言が相次いでいる。日米の密約は確かにあった。匿名ではなく、自ら名乗ってそう話す人もいる。
「核を持たず、つくらず、持ち込ませず」。政府はうそをつき通してきたのか。世界で一つだけの被爆体験国として掲げてきた非核三原則の内実を、根底から検証し直す必要がある。
核兵器を積んだ米軍の艦船や米軍機の立ち寄りを日米の事前協議の対象から外す。つまり、黙認する。密約は1960年、日米安全保障条約の改定時に議事録として文書化された。
この秘密議事録と関連文書を、外務省はごく一部の幹部職員だけで管理し、引き継いできた。歴代首相の中には、外務省側の判断で密約の中身を知らされなかった人もいた―。次官経験者らは、こう証言している。
戦後社会に定着した非核の理念が、実は運用の実態とは全く懸け離れて形づくられてきたことになる。結果として、この理念自体、まやかしだったという言い方だってできるだろう。
理念と現実の落差を埋める作業の出発点は、徹底した事実解明でなければならない。
しかし、衆院解散が迫る国会は、スタート台を設けることさえできなかった。衆院外務委員会が次官経験者を参考人招致する気配を見せたものの、あっけなく消えた。残念だ。
うやむやのままには終わらせたくない。政権交代が起きても起きなくても、この問題は国の方向付けを考える上で重要な鍵になる。
東西の冷戦下にあって、米国の「核の傘」への依存意識と被爆体験に基づく反核の心理とがない交ぜになって、非核三原則は打ち出された。核廃絶の新たな機運が国際社会で高まっている今、この国の針路にあらためて、どう位置付け直すべきか。問題意識を深めたい。
首相にも知らせなかったという機密管理は、官僚主導の究極の姿に見える。政治主導への転換は、政治の側が叫ぶほどには容易ではないと感じさせる。
米側では議会での証言や公文書の開示によって密約の存在が再三、指摘されてきた。定められた年月がたてば機密は公開されるという原則を持つ国と、そうはなっていないこの国の彼我の違いは大きい。
安全保障原則のありよう、政と官の関係。加えて、国家の機密を国民に知らせないままにできる制度の未成熟さ。次の政権がどんな形になるにしても、この問題が問い掛ける重い課題から逃れられるはずはない。うやむやにはできない。
2009年07月16日木曜日
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