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航空史探検博物館機名別索引

 

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  必読日替わりメモ
 

ヒコーキ雲に対するご意見、必読日替わりメモのご感想や質問回答をメール( sa@axisz.jp 冒頭にkをつける)でお寄せください。

勝手なお願い : インターネット航空雑誌ヒコーキ雲の更新作業は早朝半眠状態の時に行うことが多くミス多発です。気付いての修正がありますので数時間後にもう一度見ていただくようお願いします。 佐伯邦昭
 
日替わりメモ090716

本日のページ更新

N654 ニュースフラッシュ 2009/07/15 富士山静岡空港にエーデルワイス航空機
A3632  航空史探検博物館 東京都府中市 いしぶみ 旧陸軍調布飛行場白糸台掩体壕

○  旧陸軍調布飛行場白糸台掩体壕

 調布飛行場周囲に残る掩体壕4基のうち府中市白糸台の1基を収録し、残るは府中市の民有地で倉庫に使われているもの1基となりました。三鷹市の大沢に位置する2基は東京都公園協会の手で保存措置が講じられていますが、府中市白糸台については市の史跡に指定はされたもののそれを示す看板などはなく、ただ残してあるだけという状態のようです。れすおさんが見つけてくれた府中市教育委員会平成20年第11回定例会会議録に指定にいたる詳しい経過が報告されています。教育委員会の会議などは庶民からまことに縁遠いものなので、勉強がてら一読されるようお勧めします。


○  五十肩は治りました

 OKUBOさん、お手紙をありがとうございました。返事を出す余裕がないのでこの場を借ります。五十肩を心配して頂いていますが、麻酔薬に痛み止めを混ぜた局部注射とレーザー照射をやり、そのうち通院するのが面倒になり、 そうしたらいつの間にか平常に戻っていました。肩を一方的に動かしていると筋肉が炎症を起こすから、平素から逆方向にも動かしてやれというのが医者のアドバイスでした。
 なお、こういう場で個人宛の会話を行うのは慎むべきなのは当然です。しかし、今回は次のことを言いたくて書きました。

・ コミュニケーションについて

 インターネット航空雑誌ヒコーキ雲発行に関する対人関係において、こちらは一人、お相手は何十人にも及びますので、お手紙やメールにひとつひとつ返事を書くのは大変です。そういうこともあって満洲関係の「懐かしの文官屯誌」発行を涙ながらに終了させて少し負担軽減となりましたが、まだ高校クラス会や高齢者関係の会などやめられない作業が押し寄せてまいります。皆さんとの年賀状と暑中見舞いをやめているのもそんなことからで、どうか返事がなくても佐伯はきちんと読んでくれているのだと推察をしてください。

 これは、甘えで言っているわけではありません。その状況を承知の上でなおかつインターネット航空雑誌ヒコーキ雲に付きあってやろうというお考えの人にだけ、理解して頂ければ結構なのです。

 また、寄せられた情報を誌上に掲載するということは、写真の並べ方ひとつとっても佐伯の編集個性がでます。以前の余裕のある時期には、相当大胆な説明を加えたりしていましたが、今は、メール文をそのまま貼り付けてしまうことが多くなりました。それでも、誤字を直したりすれば佐伯の編集個性が出ます。
 専門知識はないし、複眼でものを見る才能もなく、単細胞のフィルターを通しての作業ですから、ミスや投稿者の意に反した記述があるのは当たり前、よって指摘をされたら直ちに訂正するように心がけています。そいう形であるからこそ、たった一人でここまでの膨大な史的蓄積をなしえているものと思います。

 どうか、それを承知の上で付きあって頂くようお願い申し上げます。もし、反対意見が多数を占めるようなら潔く閉鎖して撤退いたします。

                                                 佐伯邦昭

 

日替わりメモ090715

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三菱零式艦上戦闘機及びその部品等の掲載目録
A6431 航空史探検博物館 思い出  広島県佐伯郡五日市町 楽々園遊園地  1967年 戦史博 零戦やF-86Fなど

○  三菱零式艦上戦闘機及びその部品等の掲載目録

 あいかわらず人気の高い零戦について、閲覧者の便宜をはかるために掲載目録を作成しました。残念ながら河口湖自動車博物館内の機体は、いまだに写真公開不許可ですが、それ以外の日本国内に現存する完成機体7機などのほか、レプリカや部品類など航空史探検博物館所載のものを網羅しました。

 その作業中に、私がヒコーキマニアの全国組織づくりに熱をあげていた頃、広島市郊外の楽々園遊園地に零戦が展示されていたのを思い出して探してみましたら、F-86Fセーバーの実機展示などとともに「戦史博」という名のイベントの断片的な写真が出てきました。たしか、読売新聞社の主催で、広島航空クラブが研究会を催したというようなローカル記事が翌日でていた記憶があります。

 写真を見て頂けば分かりますが、ハチロクは触り放題の自由展示でしたが、零戦は、特設の柵の中に芸術作品のような形で展示してありました。グアムから返還されて、堀越さんのアドバイスを受けながら修理復元され、航空自衛隊へ引き渡されて数年後のことですから、非常に大切に扱われていたものと思います。

 その零戦の修復のページに、新たに1964年11月3日入間基地で正式に返還された模様を伝えるカラー写真と酣燈社関川栄一郎編集長のコメントを拝借しておきました。カラー写真はまるで新造のロールアウトみたいな姿なのですが、関川さんの希望どおり各地ファンの地元へ巡回展示されるうちに、後部胴体に白帯が書き込まれたり、尾翼の43-188の文字色が黒から白に変わったりしています。

 終の棲家となったエアパーク浜松広報館で、4年前に私が見たときには、胴体帯はなく、尾翼のナンバーは黄色でした。今でもその姿なのかどうかは知りません。知覧の飛燕ほどのでたらめさはないとしても、誰がいつどのような考えで塗装を変えてきたのか、飛べなくなってからの第二の生涯にもいろいろな変遷があるものです。

 今回の目録に漏れている、すなわちインターネット航空雑誌ヒコーキ雲に未集録の零戦の姿がまだまだ眠っていることでしょう。探し出してください。

 

日替わりメモ090714

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A1154
A1114
航空史探検博物館  北海道幌泉郡えりも町 航空自衛隊襟裳分屯基地 F-1展示
航空史探検博物館 北海道虻田郡倶知安町 陸上自衛隊倶知安駐屯地 KV-107の撤去を確認
A4638 航空史探検博物館 いしぶみ 名古屋市港区庄内川河口 藤前干潟 旧愛知航空機永徳機体工場前のスリップ跡

○ 三菱F-1の展示

  任務を終えた支援戦闘機F-1の安住の地は、概して東日本に兜武者のマーク、西日本に弓矢に剣のマークが多いです。つまり、松島の第3飛行隊と築城の第6飛行隊の関係によるものですが、松島の方が早くF-2と交替したので、近年はもっぱら築城で退役した機体が各地に送られているものと思っていました。

 襟裳分屯基地のF-1については、これまで情報がなく、11日の基地祭でベールを脱いだように思います。しかし、兜武者(第3飛行隊)マークを付けていますので、以前からあったのかもしれません。いずれにしても北海道で初のF-1展示、つまり日本最北端のF-1ゲートガードであります。


○ 藤前(ふじまえ)干潟

 名古屋の藤前干潟を守る会のホームページを見ますと、湾内の昔の干潟が殆ど消滅して庄内川左岸河口の藤前干潟がわずかに残っているだけというのがわかります。渡り鳥の生息地という自然環境と、大規模埋め立てによる名古屋市の人工的大発展のどちらをとるかというのは、難しい問題です。

 その藤前干潟に愛知航空機の工場から送りだされた水上機が海面へ降りるためのコンクリート製スリップがまだ残っています。当時の日本を代表する零式水偵、瑞雲、晴嵐などを想起すると、つわものどもがゆめのあと そのものです。随分しわが寄っているように見えるのは1944年12月の東海大地震によるものかなと思ったりします。YUSISIさんの情報では、今年中に撤去される予定らしいですが、その後が水鳥たちの楽園になるのなら、以って瞑すべしであります。

 

日替わりメモ090713

本日のページ更新

A4602  航空史探検博物館 愛知県小牧市 三菱重工業小牧南工場 屋外展示機 工場外からの写真を追加

○ 三菱重工業の屋外展示機

 工場の外からも写せるという例示の写真を頂きました。近接写真よりも更に殺伐とした展示風景に見えてしまうのが悲しいです。なお、工場内を覗き込んでいると、職務質問など受ける可能性無きにしも非ず、そんな時にはインターネット航空雑誌ヒコーキ雲の名前を出してください。もし、当方に照会があればきちんと対応いたしますので。


○ 最近のお便りから 

・ 毎日楽しみに拝見しています。その更新のエネルギーに驚嘆しつつ、たまに更新がないと、お体の心配をしてしまいます。毎日の更新で、この量ですので、大変なことになってしまうんでしょうね。書き込める人を事前登録制にした掲示板等も良いのかもしれません。
  
毎回、問いかけ等に、反応したいのですが、お気楽航空ファンですので、専門知識等が欠落しており、ただただ感心するのみです。反応がなくても、毎日楽しみにしている読者もいることを心に留めておいてください。暑い日が続きますので、御体をお大事にしてください。(I)

・  毎日の更新ご苦労様です。この頃は、起床して一番初めにする事、佐伯さんのサイトのチェックから・・・
何時も、楽しく拝読ならびに、資料参考に利用させていただいています。
 無理をなさらずに、適当に休憩を取りながら更新ください。沢山の写真や資料の提供でそれどころではないかも知れませんが、体が資本。奥様も一時入院されたと聞きました奥様もいたわりながら、よろしくお願いします。(T)

佐伯から : ありがとうございます。反応がなくても皆さん読んでくれているだろうなと思いつつも、つい愚痴がでたり、感想を求めたりします。掲示板形式をとらないことの欠点、というよりも私の小心がなせることなのです。専門知識うんぬんといわれますと、私も赤面します。知識のある方はインターネット航空雑誌ヒコーキ雲の向上のためにご指摘を頂きたいし、無いと思っている人も、あなたの考えや感想が思わぬ盲点を突いていて新たな展開をみせることがあります。
 そういうプロセスこそが、無上の喜びであるし、インターネット航空雑誌ヒコーキ雲を長続きさせる栄養素であると思います。

 なお、自分は文章が下手だからと控えている人もいるようですが、文意が通じるならば、片言でも結構です。仮に、それを(上のように)公開する場合には、当方で(文意を損なわない範囲で)なめらかな文章に編集しますので、決して遠慮なさらないでください。
 

 

日替わりメモ090711

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HOME [表紙絵33]  三菱重工業航空宇宙システム製作所小牧南工場の屋外展示機
A4602  航空史探検博物館 愛知県小牧市 三菱重工業航空宇宙システム製作所小牧南工場 屋外展示機

○ 三菱重工業の屋外展示機

 三菱重工業の屋外展示機は、これまでは撮影禁止ということで発表を控えてきましたが、何んと、展示4機ともに外から見える位置に移動させてありました。運動場の端のような場所なので、工場内が写り込むこともないようです。

 これらを航空史探検博物館に写真が収録できたことは大変意義深いです。と言いますのは、T-2が試作初号機、HSS-2がB型の初号機と三菱重工業のみならずわが国の防衛産業が取り組んだ歴史を語る機体が揃っているからです。また、F-86Fの場合は、国産1号機である62-7701を情けないことに米国へ引き渡しGF-86になって撃ち落とされたらしい(この情報は不確か)ので、2号機がそのかわりという意義があります。

 展示の場所は、YUSISさんの写真で見る限りは、窮屈そうな配置であまり良好な所とは思えないのが残念です。零戦や秋水と同じように屋内に保存してやりたいですね。

 それと、各機体の説明板を初めて読みまして、防衛庁と企業との関係はこういうことなのかと、まるで旧日本軍と企業との関係を引きずっているような文面に気分がわるくなりました。
  「この 〜 は、防衛庁の御注文により 〜」
  「この度、防衛庁の御好意により、〜 を展示できましたことを深く感謝いたします。 小牧南工場長」
 南工場には監督官が常駐しているのかどうかは知りませんが、こういうのを日々目にしていたら自分が一段上の人間であるかのような錯覚に陥るでしょうね。工員さんたちは、どんな気持ちでこれを読むでしょうか。贈呈式の感謝状ならともかく、長期掲示の説明板で防衛庁さまさま扱いは、納税者として面白くないです。

 毎週ゴルフや料亭の接待を受けていた防衛省高官がいましたが、昔の商人が揉み手をしてお役人に取りすがっていたような雰囲気をもつこれら説明板の文句は即刻変えて頂きたいものです。(ただし、経緯説明と諸元数値は妥当です。)

 皆さん、三菱重工業の由緒ある屋外展示機を発表しておいて、苦言で締めくくるのは後味が悪いですか? でも、これがインターネット航空雑誌ヒコーキ雲の特質なので‥。ご意見を待ちます。

 

日替わりメモ090710

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A3029 航空史探検博物館 茨城県ひたちなか市 水戸つばさの塔公園(陸軍水戸東飛行場跡) 
キ45改二式複座戦闘機屠龍のエンジン(三菱ハ102) 
いしぶみ 水戸つばさの塔 常陸教導隊マークの手水舎水盤 

○ 水戸つばさの塔公園

 水戸つばさの塔公園で検索すると、早朝4時ごろ園内に数人の人影が見え、車を降りて確かめたら消えていたという心霊が紹介されていたりしますが、たしかに何かおかしいなという感じがします。
 門標もあり、立派な塔も立っている広さ4千平方メートルほどの公園なのに、ひたちなか市ホームページの公園や史跡や観光案内に全く紹介されていないのです。戦中の陸軍飛行場跡が戦後接収されて水戸射爆場となり、射爆場閉鎖後は広大な国有地に海浜公園や港湾を建設し、一部はひたちなか市(当時の那珂港市)に払い下げられて運動公園などになっているので、水戸つばさの塔公園の土地も市有地ではないかと思うのです。

 園内中心施設である水戸つばさの塔の基台に「散る桜 残る桜も 散る桜」と揮毫しているのは、陸軍の沖縄特攻などを指揮した菅原道大中将です。若者の多くを死なせておいて自分は生き残ったから「残る桜も 散る桜」と言い訳をしたのでしょうか? それは建立に奔走した人たちの慙愧の気持ちであったのかもしれません。

 菅原中将の三男が、財団法人特攻隊戦没者慰霊平和協会という2億5千万円もの基本財産を有する大きな公益法人の理事に名を連ねています。多くは言いませんが、何かおかしい感じがします。

 以上、ネットで「水戸つばさの塔」を調べた範囲内での主観的感想にすぎません。間違っていたらお詫びしますが、公園自体が、私設なのか公設なのか、私設なら土地使用料や維持管理費を誰が負担しているのか、公設ならなぜ市の公園条例に規定しないのか(総合運動公園内の点景施設という規模ではない)等々、まさに幽霊が出てきそうな感じにとらわれている次第です。


○ 続 航空自衛隊の空中給油  にがうりさんからメール

 佐伯さんは、昨日の日替わりメモに空中給油に空軍式と海軍式と書いてますが、 ブローブ アンド ドローグ式とフライング ブーム式という意味なら、空軍 式とか海軍式というのはニュアンスが違います。

 例えば、空中給油装置装備のHH-60ヘリコプターなどは 、空軍のC-130の ブローブ アンド ドローグ(主翼下吊り下げポッドの外側2個は給油装置 )で実施します。嘉手納展示のC-130でも確認しています。
 
 大型ジェット給油機によるフライング・ブーム式は、燃料の短時間大量供給方式であり、また、ヘリコプターへの給油はメイン ローターの回転面とブームの吊り下げ角度との関係などから難しいとおもいます。
 


お詫び ニュースフラッシュ652 2009/07/04 嘉手納アメリカフェスト2009のページを誤って削除、思い出しながら復旧しますのでお待ちを。

 

日替わりメモ090709

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N653 ニュースフラッシュ 2009/07/04 JALクラシックジャンボの引退ツアー  下地島でタッチアンドゴーを披露

○ JALクラシックジャンボの引退ツアー

 JAL ボーイング747-300 JA8183の機内表示

 航空機関士という単語が死語になることはないでしょうが、FLTENGERなる表示がみられるのもあとわずかです。7月4日夜のニュースで、引退ジャンボが下地島でツアー客にタッチアンドゴーを披露したということを知って、日本航空には面白い企画をする人がいるものだなあと思っていましたら、早速レポートが届きました。

 沖縄の梅雨明けをねらって「紺碧のコーラルブルーの風景を堪能 同社PR文で、という訳にはいかなかったようですが、今月末で引退する航空機関士搭乗の747-300に乗り、下地島空港の中を見られた人々は、高額のチケット苦労して手に入れた甲斐があったようです。


○ 航空自衛隊の空中給油

 昨日の疑問ですが、小牧ではKC-767の2号、3号機が飛んでいるそうです。ただし、いろいろと問題を抱えているとかいないとかの噂です。767からUH-60Jへの給油ができるのかという素朴な疑問については、よくわかりませんね。

 岐阜航空祭では、C-1やF-15とともにレシプロのT-3が編隊飛行をやったりしていましたから、T-3と同程度の速度が出るUH-60へ、767から給油ができるのかもしれません。

 小牧のC-130に給油装置を付けるのは、今年度予算に計上されているらしいですが、米空軍式になるのか米海軍式になるのか、何機に施すのか、どなたか教えてください。

 

日替わりメモ090708

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HOME [表紙絵32] 遊び心 セスナ172P N98811 嘉手納基地のマスコットのマスコット Snoopy
N652 ニュースフラッシュ 2009/07/04 嘉手納アメリカフェスト2009  民間小型機を追加

○ 嘉手納基地のマスコットのマスコット

 尾翼にZZを書き入れたNナンバーのセスナですから、勝手に嘉手納基地のマスコットということにしています。休日にジェット機が離着陸する合間をぬってのフライイングクラブ機ののんびり飛行でしょう。想像しただけでも心が安らぎます。

 4年前に岩国へ飛来した時には、ZZとナンバー以外は純白でしたが、今年は、赤青のラインが入って、ノーズには例の小屋の上にのっかってネッカチーフをなびかせているスヌーピーのイラストが入りました。早速、遊び心として表紙絵に採用した次第です。


○  嘉手納アメリカフェスト2009を見ての感想  Buuさんからメール

 沖縄の開放的な、雰囲気は良いですね!何も無ければ、移住したい気持ちです。米軍がF−22を公開したのには驚きました。隅から隅まで、機密扱いなんでしょ?感謝ですね!

 UH60のプローブの相手は・・・空自なのでしょうか? ヘリに限らず、周囲を海に囲まれてる我が国は在空アラートも、必要ではないかと思いますねぇ。北の方は少なくなったらしいですが、南西には度々来てるみたいですし、舐められてるような態度を見せないようにしないと・・・

 F−15だけでなく、F−4も空中給油の必要があるでしょう。石垣島でしたか?陸自の部隊を常駐させるそうですね。必要なことでしょう。(誤解を招く恐れがあるので、与那国島と訂正します。産経新聞によれば中期防に陸自レーダーサイト隊駐留計画とあり、琉球新報によると浜田防衛大臣訪問等で賛成反対の動きがあるようです。8日午前11時半記 佐伯)

 インターネット航空雑誌ヒコーキ雲が土日と予告なしにお休みで心配しました。いつも楽しみにしてますので、無理をなさらないように、長続きをお願いします。 

佐伯から : ありがとうございます。何とか日々更新できるように努力いたします。受油棒をつけたヘリコプターを公開しているのに、肝心の航空自衛隊給油機KC-767の情報を目にしませんね。那覇基地配属のUH-60Jは、米軍給油機と訓練をしているのでしょうか。

 

日替わりメモ090707

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N652 ニュースフラッシュ 2009/07/04 嘉手納アメリカフェスト2009  F-22以外の展示機を追加

○ 嘉手納アメリカフェスト2009

 展示機の写真を追加しました。飛行展示がないので、マニアにとっては何となく気の抜けたフェスティバルみたいに見えますが、あちらさんは、米国独立記念日のお祭りが主体なのですから文句はいえません。でも、F-22という最新鋭機をまじかで見せたこと、ミグキラーマークのF-15、航空自衛隊の空中受油棒つき洋上迷彩ヘリコプターUH-60(多分初公開)など見どころもあったように思います。

 如何でしょうか。感想をお聞かせください。

 

日替わりメモ090706

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N652 ニュースフラッシュ 2009/07/04 嘉手納アメリカフェスト2009
                              F-22と花火、隊員の愉快なワッペンなど

○ F-22

 嘉手納基地の公開へ行かなかったもののヒガミですが、先端技術の固まりみたいなラプターも遠くから外見すると、鋼鉄の塊みたいで面白みがないですね。乗員や整備員たちも同じ気持ちではないでしょうか。わずかに、エアインテークカバーと隊員のワッペンに色付きがあってほっとします。
 情報によるとステルスの塗料は日本製だそうで、国防省が 日本への輸出を許可しないのなら、こっちも塗料の提供をやめてしまえと言っている人がいます。ステルスをやめたら、かってのF-104みたいな銀色のスマートな姿になるんだが、あり得ない話ですな。


○ 年寄りには理解できない風景

 石原裕次郎の23回忌法要が国立競技場で行われ、参列者が11万人にも達したという。夕方になっても千駄ヶ谷の横断歩道橋のびっしりと人の波をテレビが写していました。朝日テレビと石原プロモーションのコマーシャリズムは大の上にもう一つ大がつく成功でした。

 裕次郎さんが立派な役者であり、多くの人々の人生に何かしらの影響を与えていることは認めますが、戦中派の年寄りは、どうにも釈然としない気持ちがのこります。例えば、山本五十六大将の国葬のように、国のために一身を捧げた人の場合とくらべてしまうのです。

 だからどうだと駄弁を弄することはしませんが、大量洗脳というものは、かくもた易いことなりということを、昨日も確認した次第です。

 

日替わりメモ090703

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○ 静岡空港閑古鳥?
        

この写真は、去年の5月に写されたものです。撮影者のコメントに「静岡空港閑古鳥?」とありました。
さて、成田空港サーバーというホームページに次のようなコメントが載っています。

@静岡空港の6月分搭乗率は67.8%・福岡路線は59.6%
 静岡県は昨日、先月4日に開港した静岡空港の6月分搭乗率を発表しました。それによりますと、国内線は72.6%、国際線は上海線を除き59.0%(上海線は40.3%とのことですが、何故、除くのかは分かりません)、全体では67.8%とのことです。搭乗率補償を約束している日本航空の福岡線は59.6%と目標を10ポイント下回っています。もし、この搭乗率で年間が推移したとすると、県は日本航空に約3億7000万円支払うことになります。

 下々の者には、何億円といわれると天文学的数字に見えますが、政治行政の皆さんは驚くことはない無機的な数字なのでしょうね。着手前から採算を疑われているのは静岡だけに限りません。茨城空港では、知事みずから県議会で厳しいことになりそうだと言っているそうです。何億円なんて、パソコンで零をパラパラっと打っておけば出る数字さ、と閑古鳥のカラスが笑っていることでしょう。 

 

日替わりメモ090702

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A4601 航空史探検博物館 名古屋空港 思い出 名古屋零戦の解体(九州 福岡へ)

○ 日本航空と全日空

 昨日の株価終値は、
JAL 184円 (前日比マイナス2円) 
ANA 317円 (前日比マイナス20円)
という結果でありました。政府保証で経営再建をはかる方は小幅下げ、自主増資で体力をつけようという方は大幅の下げです。 もっともANAは787の納入延期を昨日正式発表した影響があるのでしょう。

 いずれにしても、厳しいですね。30日付の朝日新聞社説は、JALの建て直しは、未だに国が何とかしてくれるだろうという親方日の丸主義に染まっている社風や八つもの労働組合を改めなければだめだと説いていました。同時に、高い着陸料をとって、その金で各地に不採算の飛行場をつくっている国交省にも航空会社経営悪化の責任があるとも言っております。

 ANAは、今期もかろうじて株主配当を出しましたが、来期は多分無理でしょう。そういう会社の増資に応じてくれる企業があるというのも不思議な現象ですが、素人にはわからぬ秘けつがあるのかも?

 この国は、いつからか本当に一寸先が闇の世界にはまりこんでしまいました。総理がやろうとしていることが次々につぶされて、基本がぐらぐら揺れ動き、一方で高速道路割引とかエコ何とか割引きのまるで愚民扱いの政策がにぎわっております。

 高速割引きのために、瀬戸内海の航路がもう3本もつぶれました。残る船会社も必死です。飛行機だって鉄道だって影響を受けるでしょう。景気対策のために追い詰められる皮肉な現象の責任を誰がとってくれるのでしょう。

 昨日の日本航空と全日空の株価終値を見ていて一寸先が闇の世界に翻弄される両社役員が気の毒になってきました。将来に向って確たる政策を打ち出してくれる政治家が現れてくれないものでしょうか。

 

日替わりメモ090701

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HOME [表紙絵31] 7月1日 今日は何の日 1952年羽田飛行場が米軍から接収解除 東京国際空港発足
とは、何の関係もありませんが、加山雄三御一行がフィンガーデッキでロケーション。 
♪君といつまでも♪が大ヒットして、若大将シリーズも佳境に向う1966年の某日でした。
OM2-13 航空史の思い出 戦時中に航空青年が買い集めた航空機写真
   
中島九五式水偵に見る写真修整の意図

○ 今日は何の日

 羽田が正式に日本政府の管理となり、初代空港長に毎日新聞世界一周ニッポン号の機長をつとめた中尾純利さんが就任しました。それとは何の関係もない加山雄三の写真に怒らないでください。

 東京国際空港となってから14〜5年後、あの東京オリンピックの熱気の中で、羽田も大躍進を遂げ、デッキからの見送りや出迎え風景が映画ににもたくさん取り入れられました。若大将加山雄三も羽田の絵になる代表格でしたからね。

 最近の映画というよりテレビで見る空港風景は、ターミナルビルの中で出国寸前の殺人犯を捕まえるようなシーンばっかりで、お見送り風景なんて皆無になってしまいました。はーねだはつ、ひちーじ、ごじゅうっぷんー‥ なとというロマンを求めようもありません。警備優先の世の中、あきらめざるを得ないか!

 

○ 航空遺産継承基金にご協力を

 くどいようですが、中島九五式水偵に見る写真修整の意図を知りたいので、独立の記述を加えました。
 編集しながら、どうも気が重いのは出版協同社の版権を無断借用していることです。そこで、野沢さんの原版を保有している
航空遺産継承基金に貸してくれと頼みましたら、有料との返事。オール無償で作業しているインターネット航空雑誌ヒコーキ雲としては断念せざるをえませんでした。

 「航空遺産継承基金にご協力を」と提灯を持つ気になったのは、賛助会員を倍増、倍々増してあげて、財政基盤を強化すれば、すくなくとも賛助会員に対する写真提供を現行規定よりもずっと安くしてくれるのではないかという、自己中心的な希望からであります。しかし、我慢して次を読んでくださいね。

 送られてくる年次報告書の会員名簿を見ると、個人も企業もこれが日本の現状なのかと寒々とした気分になること請け合いです。存在を知らない人が多いのか、ひと月に千円の賛助会費を惜しむ人が多いのかは知りません。
 反面、喜ばしいことに、今まで隠れていた日本航空史上の実に貴重な史資料が毎月のように基金事務局へ届けられています。最近の例では、小田勇さんと一緒に戦後初めてグライダーを製造した葉啓聡さんの遺族から設計図面を含む大量の資料、戦後の航空企業のパイオニア東洋航空で検査係長をしていた人からアルバム等々、不肖佐伯、東京に住んでいればボランティアでそれらの整理を手伝ってあげたいという気分になるような資料提供の山です。

 という訳で、心ある皆さん、航空遺産継承基金にご協力を」お願いします。詳しくは日本航空協会のホームページで調べてください。そこには、最近発掘の最大のヒットともいえる宮原男爵のアルバム写真も公開されいますよ。

 

日替わりメモ090630

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A3123 航空史探検博物館 栃木県宇都宮市 清巌寺 いしぶみ 陸軍航空輸送部 第三飛行隊戦友之碑

○ 戦時中に航空青年が買い集めた航空機写真の修整について
  (
OM2-13 @ 中島九五式水上偵察機の爆弾関連) 

 一般販売の写真と日本航空機総集にのっている写真の細部が違う問題について、日本航空機総集執筆者の故野沢正さんが原版を持っていたのではないかと考え、日本航空協会の航空遺産継承基金の野沢資料リストをチェックしてみました。

 ありました。そこで基金の長島さんに見てもらったところ、ハガキ大の紙焼きで、それ自体は修整した様子は見えず、日本航空機総集にそのまま印刷しているのではないかということです。投下している爆弾と右翼に懸架している爆弾の形状が違うらしいという点については、そうも言えるし、そうではないかもしれないとのことで、できたら拡大して仔細に検討してみてもらいたものです。

 海軍省が、この写真を新鋭水上偵察機として一般販売の許可を出すのに、右翼の爆弾と左翼の懸架装置をきれいに消したところまでは、まあそれもありなんと思いますが、投下中の爆弾を修整したのかどうか、修整したのならその意図は‥?

 皆さん、比べてみて、感想をお聞かせください。

       総集の写真                 販売写真

 

日替わりメモ090629

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○ 続 海軍零式艦上戦闘機の存在について  ogurenkoさんからメール

 戦時中の零戦については、雑誌『歴史群像No.23』19962月号によると、朝日新聞(昭和191123日)が初めての公表らしいです。記事には、
・ 覆面脱いだ「零戦」「雷電」
・ 無敵の俊秀 わが新鋭零式戦闘機
・ 「零戦」「雷電」肉薄攻撃 海鷲戦闘機隊に凱歌
等と書かれています。また、既にゼロセンと呼ばれているとも書かれています。九州西部に来襲した、B29を迎撃した記事のようです。

 佐伯から : そうでしたか。昭和19年も終わり頃になって零戦が「覆面を脱いだ」のですか。
 実用化されて1年そこそこの雷電ならその表現も妥当でしょうが、初飛行から6年もたち、既にP-38、F4Uそして強敵F6Fに痛い目にあわされっ放しの時期に
無敵の俊秀 わが新鋭零式戦闘機とは、随分と国民を欺いた報道です。書かされた記者や、記事を読んだ零戦関係者の胸中や如何に! と思わざるを得ません。
 ミッドウエ―の敗北を隠し続けた海軍中枢の事大主義が、零戦の覆面をとるチャンスがないままに雷電と同じ時期までずるずると延びてしまった原因かなとも思います。現在でも通用することですが、すべてを公開し、それで形成される国民世論の動向やパワーで政治が動いていくのと、肝心のことを隠し一部の官僚軍人や政治家たちの判断だけで国を動かしていくのと、結果としてどっちが国益にかなうのか教訓としたいものであります。 

 それは固い方の話ですが、私は、零式戦闘機=零戦という名称のほかに、雷電や紫電のようなニックネームを付けていてやれば、戦時中にも広まっていたのではないかと思うのです。戦後に零戦という文字が航空雑誌に踊るようになっても、しばらくは答案用紙の零点みたいな感じが抜けきらず。紀元二千六百年の零をとったと知るまでに時間がかかったものです。陸軍が「隼」の名を早くから公開して映画にも登場させたのと比べて、零戦はかなり損をしています。

○ 飛行船形の爆弾について  同じくogurenkoさんからメール  

 飛行船形の爆弾が、航空史探検博物館兵庫県千僧駐屯地紹介されていますよ。 OM2-13 @ 中島九五式水上偵察機の爆弾関連) 

九九式艦爆 250kg爆弾

 

日替わりメモ090628

本日のページ更新

N649 ニュースフラッシュ しらせ塔載のCH-101は今のところ無所属? 
          海上自衛隊第31航空群司令大谷祥冶氏から回答がありました
OM2-13 航空史の思い出 戦時中に航空青年が買い集めた航空機写真再々 々編集
海軍機
 @ 中島九五式水上偵察機   飛行船型の爆弾は 存在していた
 D 愛知九九式艦上爆撃機11型  合成では無いと思う 

○ 海上自衛隊第31航空群司令大谷祥冶氏から回答

 CH-101は、5月10日に砕氷艦しらせ就役の日にしらせ飛行科となり艦に配属されました。よって6月11日にシラセの文字が記入され、いずれはペンギンマークも描かれる予定です。訓練は、砕氷艦に塔載されない期間は岩国航空基地がベースになります。

 以上、大谷司令からのお手紙によります。よって、「しらせ塔載のCH-101は今のところ無所属?」なる私どもの疑問は解消いたしました。


○ 海軍零式艦上戦闘機の存在について  井上さんからメール

 昨日の日替わりメモ末尾に『修正(隠ぺい)写真がどうと言う前に、海軍零式艦上戦闘機の存在を販売写真はもとよりのこと、その存在すらを戦争が終わってから知ったというのが当時の国情でしたからね。』とありますが、一般的にそう言われていますが、内閣情報局発行の『写真週報』の200号(昭和16年12月24日号)の表紙を飾っています。政府発行の写真グラフ誌で海軍零式艦上戦闘機の写真を使用したのは確かなようです。
 『写真週報』の詳細は、こちらをご覧ください。<http://www.jacar.go.jp/shuhou/towa01.html>
 
『写真週報』の200号の閲覧は、アジア歴史資料センター<http://www.jacar.go.jp>の、簡易検索欄で「A06031079500」を検索してください。

佐伯から : いや驚きました。6機の零戦21型(32型か)が雲上を横一列編隊で飛んでいる写真が表紙全体を覆っています。塗装はカウリングが黒、明灰白色の胴体と翼、垂直尾翼には赤城搭載を思わせる帯があります。その号の表紙説明は次のとおりです。

太平洋上における米英の主力艦隊を、開戦僅か三日にして殲滅した我が聯合艦隊航空部隊の威武は燦として中外に宣揚された。いましもわが新鋭艦上戦闘機隊は密雲を衝いて敢然攻撃に向ふ             撮影 海軍省

 もちろん、零式艦上戦闘機などの機名は書いてありませんが、写真週報をざっと当ってみたところ、135号に「エンジン交換風景」として零戦の機首、224号に集合排気管型(つまり52型以前)の機首のスピンナーを外し、吊っている爆弾の先端も見えている写真がありました。

 そう思って、朝日新聞社の世界の翼昭和17年大東亜戦争版をめくってみたら「海軍新鋭戦闘機が太平洋に制空権を獲得」というような説明で飛行中と離陸の零戦の写真が載っていました。名前の公表はともかく、零戦の写真は国民に明らかにされていたと訂正します。

 

日替わりメモ090627

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OM2-13 航空史の思い出 戦時中に航空青年が買い集めた航空機写真再々編集
海軍機
 @ 中島九五式水上偵察機   爆弾は不自然な書き入れか
 D 愛知九九式艦上爆撃機11型  合成では無いと思う
 F   南方基地の三菱一式陸上攻撃機 か一式大型陸上練習機か

○ 戦時中に航空青年が買い集めた航空機写真について指摘

・ シーナさんからの指摘
 昨日のにがうりさんの指摘について、シーナさんが更に検討を加えてくれました。@の九五式水偵の爆弾については、たしかに日本海軍が用いた爆弾の形状・色合いが違うので、日本航空機総集の「爆弾投下の瞬間」というキャプションに疑問を感じていましたが、雑誌「丸」別冊の1995819日発行「日本軍用機写真総集」の九五水偵を見ると、これぞ日本海軍のものとわかる爆弾を懸架しています。

 日本航空機総集の「爆弾投下の瞬間」写真にあるまるで小型飛行船みたいな形状の爆弾は、他の物体をそこに貼り付けて合成したとしか思えません。とすると、これも修正写真であり、そのまた一般販売の写真では小型飛行船様の物体はそのままで、右翼の爆弾と左翼の懸架装置を塗りつぶした修正写真であるという、気の毒なほど神経質な考慮が加えられているということです。

 (各書籍の写真を紹介したいところですが、転載許可をとるのが面倒なのでご了解ください。必要な人にはコピーを送りますのでメールしてください。)

 Fの一式陸攻については、窓の形状から綿密な推論が加えられました。シーナさんは、過剰出動で汚れ放題の一式陸攻の写真を発表しては、国民が誤解するだろうから表面を綺麗にするために塗りつぶしたのではないかと見ています。そうかもしれないし、そうでないかもしれません。

 いずれにしても、こういう写真しか入手できなかった戦時中のことを思い出さざるを得ません。修正(隠ぺい)写真がどうと言う前に、海軍零式艦上戦闘機の存在を販売写真はもとよりのこと、その存在すらを戦争が終わってから知ったというのが当時の国情でしたからね。

 

日替わりメモ090626

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OM2-13 航空史の思い出 戦時中に航空青年が買い集めた航空機写真再編集
海軍機
 @ 中島九五式水上偵察機  修正前の写真がある
 F  南方基地の三菱一式陸上攻撃機
      一式大型陸上練習機
陸軍機
 @  陸軍爆撃機の列線
      機体の推測 

○ 戦時中に航空青年が買い集めた航空機写真について指摘

・ にがうりさんから指摘
  写真を1枚ずつじっくり検討していくと、いろいろな事実がみえてきました。結構面白いですね。

海軍機
@ 
九五式水偵は、同じ写真が日本航空機総集中島編(初版)p152に「九五式水上偵察機(E8N1)(爆弾投下の瞬間)」という説明で載っており、これには、左翼下に爆弾架があり、右翼には爆弾を吊り下げています。販売写真の修正に当たって投下中の爆弾だけ残したことが分かります。、

B 九七式艦攻は、九七式一号艦攻で編隊写真は珍しいと思います。

F 機首銃座は、佐伯さんの言う隠ぺいではなく、窓は写真の形なのです。従ってこれは一式陸攻ではなく一式大型陸上練習機(G6M1)ですね。詳しくは日本航空機総集三菱編(改訂新版)p203に詳しく説明され、p196に図面があります。早い話し初期一式陸攻の武装、防弾強化型で30機生産されましたが、性能低下になり陸上練習機や輸送機として使われたものです。

 陸軍
@ 
爆撃機の列線 拡大してある九七式重爆U型甲は日本航空機総集三菱編p78各型側面図によれば主翼取り付け部後部に黒い四角の側面銃座のようなものがあるのは、T型乙のようです。
佐伯から:丸メカ二ック29(昭56)によると、側方機銃は第一線からの要求で新設されたもので、T型乙、丙では銃1丁で左右の窓、U型では左右にそれぞれ専用銃が設けられたとあります。いずれにしても上方銃座が球形になったU型乙以前のタイプであることは間違いないでしょう。

@ 爆撃機の列線 拡大してある単発機は、写真風防の長さが前後長く見えるので九七式軽爆と思います。九九式襲撃機はもっと短い風防でムックリ型です。

 

佐伯から : 以上の指摘については、各写真ごとに付け加え、必要な修正も行いました。
  
九七式重爆の胴体側方銃について日本航空機総集の図面と丸メカの記述のどちらを信用するかというような、例の悩ましい問題も出てきて、パズル解きの面白さを味わうのが、こういう古い写真鑑賞の醍醐味です。
 私は、どちらかというと、裏に貼ってある証紙の方により興味が行ったりするのですが、九五式水偵の爆弾写真に修正前と修正後の2枚の写真が存在するという、情報管理の不徹底みたいな現象についても、修正前写真の出所を追及してみたい誘惑に駆られるのです。これも歴史探究の醍醐味です。 

 

日替わりメモ090625

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HOME [表紙絵30] j陸軍重・軽爆撃機の列線 浜松の第7飛行連隊か?
OM2-13 航空史の思い出 戦時中に航空青年が買い集めた航空機写真再編集
海軍機
 @ 中島九五式水上偵察機
 A  中島九七式艦上攻撃機
 B  同じく中島九七式艦上攻撃機の3機編隊
 C マレー半島ピナン上空の九六式陸上攻撃機
 D 愛知九九式艦上爆撃機U型
 E 三菱一式陸上攻撃機11型
 F  南方基地の三菱一式陸上攻撃機
 G  南方の護り三菱一式陸上攻撃機
 H 空母 龍鳳(または瑞鳳)から発艦する九七艦攻(または彗星か) 
陸軍機
 @  陸軍爆撃機の列線
 A 爆撃機呑龍の勇姿
販売写真の証紙印について

○ 続 戦時中に航空青年が買い集めた航空機写真

 日本陸海軍の写真を再編集しました。各写真をいじっていると何かと気付くことがあり、部分拡大してみたり、コントラストを薄めたりして細部を探索し、そのうえで短いコメントを付けました。あまり知識のない佐伯の作業ですから、誤りがあればお知らせください。
 090623
では、プロの素晴らしいカメラアングルと賞賛した手前、ちと言いにくいのですが、景色は順光なのに機体は逆光のように真黒といった不自然な印画もあり、そのような写真は、プロ(陸海軍報道班員など)のオリジナルとはいえないので、一部のものを除いては賞賛を取り消さざるを得ません。

 防諜上の必要からたくさんの小細工を施したにも拘わらず、敵国の情報蒐集解析能力はそんなことを問題にもしないほど優れたものであったということは、戦後に分かったことです 。
 ブロマイドの1枚に至るまで公定価格の証紙を張り付けるような神経質な手段のばかばかしさを見るにつけ、そういう世相に二度としてはいけないなという思いを強くします。

 かの退役元航空幕僚長が、ヒロシマ原爆の日に来て、こともあろうに日本は核武装すべしという講演を行うそうです。核保有に伴って必ず予想されることは、防諜体制の強化です。マニアがカメラをぶらさげて基地周辺を歩いただけで逮捕されるという事態も十分に起こりえます。そういうことに象徴される暗い世相への逆戻りですね。この退役空将さん、広島まで来て挑発するとは 、もう精神異常気味としか思えません。何とかなりませんかね。

 

日替わりメモ090624

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A3751 航空史探検博物館 横浜市保土ヶ谷区 横浜国立大学 海空制御システム研究室 US-1と二式大艇の研究模型

○ 横浜国立大学 海空制御システム研究室
  
飛行艇模型の写真を提供して頂いたお礼に、研究室ホームページの「未来という名の大海原に船を出そう!」という平山次清教授のメッセージの一部を紹介します。

水面近くの乗り物、船・航空機(特に飛行艇)・海上構造物などの巨大システムを人間や積荷にとって快適、安全なものにするため、動きをコントロールする方法について研究をしています。水面近くを動き回る乗り物は常に海洋環境(主として波)の影響を受けます。従って操縦によって方向をコントロールする以外にも波による運動や力を抑えるコントロールを考える必要があります。

  “敵を知り己を知れば百戦危うからず”。受験指導でも良く出てくる孫子の言葉ですが研究でも同じです。この場合は敵(波)を知ることによって効果的なコントロールが可能になります。勿論波と敵対するだけでなく逆に味方にし、波の力を利用することも考えられます。そこで海洋波を波浪ブイやレーダを使って“知る”つまり計測する方法にも力を入れています。 

 レーダは普通相手の船や航空機などの存在を電波で調べるのに使いますが、実は海の波の様子を調べるのにも使えるのです。ほかにも人工衛星から海面を調べる方法などが世界中で研究されていますがまだ完成していません。こんなわけで海の上ではいったいどのくらい巨大な波が生じるのかも完全にはわかっていないのです。

  一応敵(波)が分かったとして、次は己(船)です。与えられた波の中で己はどのように運動するかを鏡に映し出す理論は大体わかっています。従ってあとは効果的なコントロールの方法を考え出すことです。研究室ではコントロールにヒレや空気圧を使う方法など、対象に応じて様々な新しい方法を試みています。模型実験によって確認することもしますがシミュレーションなど数値的な手法も使います。

 非常に興味がわいてくるお話しです。「コントロールにヒレや空気圧を使う方法など」とありますが、水きりの所に空気を吹き出して波を征服するなどという新機軸が生まれるのかもしれません。それはもちろん船舶にも応用されるでしょうから、ジェットフォイルの部分応用で新しい高速の船が生まれるかもしれません。

 有史以来、水と波の抵抗に力で応戦してきた船の歴史に新しいページを開いてください。

 

日替わりメモ090623

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OM2-13 航空史の思い出 戦時中に航空青年が買い集めた航空機写真

○ 戦時中に航空青年が買い集めた航空機写真

 戦時中というような言葉を使う世代は概ね後期高齢者に区分けされて、早く死ねと言わんばかりの政治行政ですが、もっと大事にしてあげないと、こういう写真が死蔵されたままになってしまいます。
 先日来、呑龍の表紙絵で皆さんを驚かせているかつおさんから更に戦時中の写真を提供してもらいました。 ある所にはあるのです。
 海軍工廠で働いていたかつお青年の趣味はヒコーキ、本屋へ入っても轟由起子や高峰秀子や李香蘭のブロマイドには目もくれず、もっぱら航空機の写真を買い集めていたそうです。 裏に貼ってある東京府価格査定委員会なる検印によると1枚が16錢、最近人気復活のサイダーが1本53銭の頃ですから、割と買い求めやすかったのかなとも思います。

 写真は陸軍と海軍の公認で、当時の新聞や雑誌に載せられており、「どっかで見たような」ものもありますが、いずれも名だたるプロ作家による撮影でしょうから、申し分のないカメラアングルです。機密のところを隠したり全体の鮮度を落としてある点を除けば、太平洋戦争中に著名画家に画かせた油絵と同等の価値があると言えます。

 戦時中も捨てたものではありません。

 

日替わりメモ090622

本日のページ更新は日替わりメモだけです

   

○ 町工場の航空機部品の製造割合は減少する一方   Rさんからメール

 はじめまして、ネットサーフィン中にインターネット航空雑誌ヒコーキ雲を発見し、大変手間の掛かった素晴らしいWEBだなと感心させられました。佐伯さんがご年輩であると言うが分かりとてもビックリしました。若い者以上のパソコン技術に脱帽です! 現在の楽しみは「必読日替わりメモ」を毎日読むことです。日々の更新は大変な苦労があると思いますが、一日でも長く続けて頂けるようをお願いします。(勝手なことを言ってますね)

 私は町工場を営んでいます。現在では食品製造装置部品とか半導体関連の装置部品を製造していますが、10年ぐらい前までは航空機部品及び加工用冶具製作がメインでした。製作した部品は、各種自衛隊機とアメリカの旅客機のものです。現在でもわずかに受注しており、秋にも新規の製作が始まりますが、価格が安いので受注するどうかは未定です。当社では航空機部品の製造割合は減少する一方なのです。(愚痴ってしまいました)

佐伯から : まずは、必読日替わりメモを毎日読んでいただいていることにお礼を申し上げます。しかも楽しみにしているということで、大変な励みになります。
 例えば、ニュースフラッシュなどで行事の報告を出しても、肝心の主催者(投稿者ではありません)から何の反応もないことが多く、出した内容が良かったのか悪かったのか編集者として糠に釘状態ばっかりですから、このようなメールを頂くとほんとうにうれしいです。

 かっては、航空機部品及び加工用冶具製作がメインであった工場が、現在では食品製造装置部品とか半導体関連の装置部品製造にかわってしまったというお話しは切実ですね。
 外野席からの勝手な評論で恐縮ですが、経産省に確たる航空産業政策がなく、国交省は規制することばっかりが趣味で、防衛省幹部はおのれの再就職先探しが優先し、保守政治家は飛行機は票にならないし(今は金にもならないから)熱をいれないし、革新政治家は未だに飛行機は悪(軍事は悪)という戦後思想の衣を捨てられない‥  こんな状況が何十年も続いてきましたから、もはや、下請けの皆さんに航空関連の仕事が大量に回ってくることなど夢のまた夢ではないでしょうか。

 せめて、航空機部品加工で培った技術を新しい分野に応用展開されて儲けていただくように祈るしかありません。


○ 鳥人幸吉の翼模型の所在場所 090614番関連

 静岡科学館る・く・る「空ののりもの展」N650に展示された鳥人幸吉の翼模型について、同館に尋ねたところ、静岡県磐田市大見寺(だいけんじ)に幸吉の墓があり、模型は同寺の所有だということです。どなたか墓と模型の写真を撮って航空史探検博物館に収録させてくださいな。日本の航空史書籍には必ず記載されている伝説の人物の証拠ですからね。(岡山市の石碑は収録済みですA6310

大見寺 〒438-0086 磐田市見付2510-1 電話0538-32-5908

 

日替わりメモ090621

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N651 ニュースフラッシュ 2009/06/19 飛行艇シンポジュウム「根岸湾は飛行艇の海だった」
A3609  航空史探検博物館 東京都 府中市 航空自衛隊府中基地に三菱F-1を追加

○ 府中基地の展示機説明板

  三菱F-1の前に立てられている説明板には、開発が防衛庁技術研究本部となっており、三菱重工業は主契約会社です。これが最も正しい表示なのだと思います。三菱を単に重工で切らず重工業としているのも好感がもてます。

 左欄の寸法諸元も右欄の解説も適切です。文句の付けようがない説明板として推奨いたします。さすが航空自衛隊の心臓部を受け持つ府中基地です。願わくは、全部隊に敷衍(ふえん)させて頂きたいものです。

 

○ 飛行艇シンポジュウム「根岸湾は飛行艇の海だった」

 ご盛況の由、何よりでした。US-2が祝賀飛行でもしてあげたら一層盛り上がったことでしょうね。会場に飾られた横浜国立大学の二式飛行艇10分の1模型は、これから大学の水槽でさまざまな実験データを提供し、実機が残していない性能諸元を復元してくれたりするそうです。非常にうれしいことです。

 10分の1模型と聞いて連想するのは、大和ミュージアムの例の物体です。呼び寄せパンダの目的のみで莫大な費用をかけて製作され、その置き方たるや、奈落の海に向かっていくように艦首が向けられて、呼び寄せパンダなのに写真も撮りにくいという無用の長物、同じ10分の1模型でも、扱う人種によってこうも違ってくるのです。

 

日替わりメモ090620

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A6207 航空史探検博物館 島根県簸川郡斐川町 日本の風景 飛行場空撮 出雲空港   
A3656 航空史探検博物館 東京都大島町日本の風景 飛行場空撮  大島空港 管制塔、ターミナルビルの写真を追加 

○ 日本の風景 飛行場空撮

  6月16日、梅雨前線がはるか南方にあって山陰地方にも抜けるような青空が広がり、午後2時半に出雲空港の西南西25から滑走路を俯瞰撮影した写真を拝見し、宍道湖の向こうに小泉八雲がこよなく愛した八雲立つ神々の山が見えまして、普通なら湖名などを画像に書き入れるのですが、そうはさせないスピリットが腕を走りました。やおよろずの神々の原点、出雲の国は日本人の心のふる里だという思いをつよくします。 だんだん!

 併せて、飛行場空撮の大島空港に地上施設の写真を追加しました。7年前の撮影ですが、そんなに変わっていないと思います。警視庁と書いたパトーカーがターミナルビル前に止まっていて、おや?と思うのは他県人だけで、ここは東京都、警視庁の管内でありました。

 大島空港の空撮に大島ゴルフクラブが写っていますが、航空史探検博物館が日本の風景 飛行場空撮を始めた動機は、旅客機の中から見下ろす地上がゴルフ場だらけのような印象で、これが非常に特殊な日本の風景であり、特に新設空港のまわりに目立つところから取り上げたものです。

 いささか不純な動機でありました。しかし、最近は、ゴルフ場が写り込んだ写真が減ってきました。ゴルフ場を開発しても儲からなくなったからです。これも、日本の風景のひとつですね。

 

日替わりメモ090619

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N649 ニュースフラッシュ 砕氷艦しらせ塔載のCH-101は今のところ無所属? 再編集
   新 C    再び岩国航空基地の無責任な仕事
   新 B    しらせ飛行科発足か Seagullさんから連絡
   A    部隊名を消して飛行 MAVERICさんから連絡
   @   岩国航空基地広報室の無責任な仕事
   参考   岩国におけるCH-101の経緯

○ 一般国民へのまともな姿勢が欠如している岩国航空基地司令官

  第31航空群司令大谷祥冶海将補個人の資質を言っているのではなく、代表者として責任を負ってもらわなければならないから指名しているのです。「一般国民へのまともな姿勢が欠如している」の意味は、N649を見てもらえば子どもでもわかります。

 二代目しらせが就役して再び国民の関心事となっている南極観測事業において、雪原に隊員や荷物を運ぶ新しいヘリコプターの消息もまた注目されてしかるべきですが、何故か、岩国航空基地は内容を明らかにしません。基地の外からマニアが撮影した写真でしか変化を知ることができないという‥

 文科省の事業で、海上自衛隊は砕氷艦とヘリコプターの運用を預かっているだけであり、むしろ迷惑しているということなのでしょうか。特に岩国に於いて‥

 しらせが横須賀を母港とするなら塔載ヘリ基地を館山にするのか、あるいはMCH-101との関連で飛行科を岩国に置くのなら母港は岩国にするのか、迷っているから何事も公表できないのでしょうか。

 CH-101の所属や基地のことは防衛機密でもなんでもありません。 31航空群の広報から111航空隊へ聞いてみればすぐにわかることです。遠く離れているわけでもありません。
 マニア程度の人間は相手にするなという姿勢かもしれませんから、新聞や雑誌社の名を騙って質問すれば、丁重に対応してくれるでしょうか。そういう騙しのテクニックを使ってみますか?

 「一般国民へのまともな姿勢が欠如している」と痛烈に批判されることは、特に艦載機移転問題や騒音で揺れ動く地元住民に対する心配りという面にも影響を及ぼします。

 大谷祥冶海将補以下基地の全員が、軍人あるいは技術技能者としての資質のみでなく国民共通のコモンセンスを勉強されるように切に望むものであります。

 大谷さんは、趣味を音楽鑑賞、ジョギング、釣りと公開しています。普通の隣人として親しみを覚えるだけに、部下、特に広報室員にコモンセンスを強要してもらいたいと思います。(本当は趣味など公開するよりももっともっと重要なことがあるということ)
 


○ AOA(迎角)センサー について    にばさんからメール

 AOAが話題になっていますので。確かに一般的にはAngle Of Attackだと思います。 

 会社によって呼称が違うのはいろいろあります。降着装置はLANDING GEARが一般的ですが、VISCOUNTではUNDER CARIAGEと呼ばれています。左右はLEFT HAND (L/H) RIGHT HAND(R/H)が一般的ですがFRIENDSHIP では PORT STARBOARDと書かれていたと記憶します。商船大学出身のパイロットにはこちらの方がなじみがあるでしょう。

 もともと飛行機の名称は船からきたものが多いのですが、船にないL/GAOAなどは歴史的にも高々100年ちょっとで、いろいろ呼び方に違いがあってもいたし方ないようにも思えます。

 それにしても翻訳でおかしいのは補助翼でしょう。昇降舵、方向舵は意味が通じますが・・・  英語もフランス語のAILERONをそのまま使っているようで、無理に日本語にしなくてもよかったかもしれません。

佐伯から : お説のとおりですね。飛行機なる単語は森鴎外が発明したそうですが、私は、ヘリコプターの 馴染める日本語が未だに現れないのが愉快です。 回転翼機ですか? ださいねえ。

 

 

 

 

日替わりメモ090616

○  佐伯さんへ     Fさんからメール

 日替わりメモ 090613番の「私事」を読んで少々心配になりました。大丈夫ですか。というのも、文面がいつになく弱気に感じられたからです。

 佐伯さんのすごいところは、毎日欠かさず、寄せられる多くの情報の中から取捨選択して興味ある記事を書き続けられておられる点です。たぶん、その背景知識、そして意欲ともに他の追従を許すものではないでしょう。ときに暴走があっても、十分に許容範囲と私は思っています。それが魅力でもあります。ともかく毎日書き続けるご苦労には本当に頭が下がります。

 多くの読者が、ここに情報を送ろうと思い、採用されれば嬉しく思っているはずです。ただし、送り手側は、これはという情報があったときのみの話ですから気楽なものです。一方で発信側の佐伯さんが毎日毎日書き続けることのご苦労は、文章を本格的に書いている人にしか分からぬことかもしれません。

  「文章は私の生命の一部」と言われる佐伯さん。身内の入院とありますが、あまり無理をなさらないで下さい。と言って、書くことを中断されることは、佐伯さんにとっては、命の一部をもぎ取られることに等しいわけで、安易な慰めは無益なことかも知れませんが、少々のミスなど気にされない方が良いと思います。おっしゃっているように、月刊誌と異なりミスの訂正はいつでもできるのですし、それがインターネットの強みのはずです。

 精一杯努力してみますのでどうかご容認くださいますようお願いします。という言葉には、何か悲壮感のようなものさえ感じてしまいました。読者の大部分は、少々のミスで佐伯さんの揚げ足を取るような人ではないと思っています。そして時には「本日休館」もあって良いのではないでしょうか。お大事に。

佐伯から : 一読 涙しました。ありがとうございます。私の主張に対して反応がないと、糠に釘の心境になって弱気になり、もうやめてしまおうかと一瞬思ったりします。しかし、こうして、しっかりと受け止めてくださる人がいることを知ると、涙が出て、また頑張ろうと気を取り直します。ただ、年齢や周囲の事情などからは、ぼつぼつ終わりの初めを検討しなければならないなという状況になりつつあることを告白しておきます。
 なお、長期を覚悟していた身内の入院はとりあえず短期で済むことになりました。昔の手術しか知らない者は最新医学の進歩に日々驚嘆しております。

日替わりメモ090613

私事 : 最近、あとで読み返してみると誤表記が目立つようになりました。また、皆さまからのメールの文章をしっかり読んでいないことによるミスも多発し大変申し訳ないと思っております。文章は、私の生命の一部なので実に情けない次第です。身内の入院等で疲れ気味のためかもしれませんが、精一杯努力してみますのでどうかご容認くださいますようお願いします。

 

○ 呉市海事歴史科学館大和ミュージアムに関する疑義が完了しました。お暇な時にじっくり読んでいただいて感想をお聞かせください。

第1章 零式艦上戦闘機に関する疑義
第2章 呉市側から仕掛けてきた戦艦大和の歴史捏造問題に関する疑義
第3章 戦艦大和以外のもろもろ
第4章 呉市役所の体質など
   

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