昨日の両院議員総会で新体制を正式決定、「鳩山民主党」が本格始動した。来る総選挙で政権奪取を射程に入れる民主党。実現すれば、党首の鳩山由紀夫は、北海道初の首相に就く。
鳩山の代表就任は今回が3回目だが、豪腕・小沢一郎とは対照に押し出しの弱いイメージは払拭されていない。ほかの政治家ならば赤面しそうな「友愛」「王道」「無私」「政治は愛」などの理想的言葉を臆面もなく発してきたこともあり、かつての代表選公開討論会では党総務会長だった横路孝弘から「やや宇宙人的」と評され、中曽根康弘には愛や友情を「ソフトクリームみたいな話」と揶揄されもした。
一方で曽祖父・和夫は元衆院議長、祖父・一郎が元首相、父・威一郎が元外相と政治家が3代続く名門の出。毛並みの良さは政界屈指。母方の祖父・石橋正二郎がブリヂストン創業者であることも、つとに有名。
自由党と日本民主党による55年の保守合同の舞台としても知られる東京・文京区の「音羽御殿」で育った鳩山は、専修大の助教授だった84年、中選挙区だった北海道4区(現・北海道9区)から出馬を決意。86年の衆参同日選挙に自民党公認で立起、初陣を飾った。
かつて北海道4区だった空知管内・栗山町の住人は、「当時は4区から出る鳩山を落下傘候補と見る向きもあった」と述懐する。なぜ、鳩山は北海道から出馬したのか。
栗山町内には、現在も農家が点在する鳩山地区がある。人口136人、49世帯(2005年10月1日現在)の地区内には、鳩山川、鳩山池、鳩山神社など、鳩山家縁の名が残されている。
「地名は弁護士、衆議院議長、早稲田専門学校長の鳩山和夫の経営する農場があったことから鳩山と名付けられた。この地は明治27年(1894)に鳩山和夫と北村萩右衛門、つづいて29年に松平基則が未開地を貸下出願し、それぞれ翌年から開墾に着手している」(71年発行「栗山町史」から抜粋)
果たして、鳩山は先祖縁の地であることを理由に立候補したのだろうか。
室蘭の鳩山由紀夫事務所は、出馬の経緯をこう説明する。
「父の威一郎氏は大蔵事務次官を務めていた時から、三枝三郎代議士と親交がありました。引退を決めていた三枝代議士は、由紀夫氏が政治家としての志を持っていることを聞いて後継者に決めたと聞いています。鳩山地区に土地を持っていた鳩山和夫氏が住民に土地を譲り、譲り受けた人々が鳩山神社を建て、今日まで守っていただいています。それでも三枝代議士の後継として出馬したのであり、選挙区に神社があったことが理由ではありません」
旧内務省を経て、64年に道副知事に就任した三枝は、代議士・南條徳男の引退後、室蘭の地盤を引き継ぎ、72年の選挙で初当選した。三枝は運輸政務次官などを務めたが、83年の落選を機に政界引退を表明。翌年、立起の決意を固めた鳩山は、自民党田中派、新党さきがけ、旧民主党の旗揚げなどを経て、「一皮むけた」と先の代表選に臨んだ。(文中敬称略 文、写真・東)
強い指導力は発揮できるか