驚きました。
前項目”辛かった一日”を更新したのは昨夜というより、もう早朝という時間でしたのに、たくさんのコメントをいただいていました。
本当にありがとうございました!
すごい読書量で、作品名を言い当てられた方もおられます。
タイトルを教えてくださいとおっしゃる方も。
でもやはりタイトルは書かないことにしようと思います。ごめんなさい。
その作品の男たちに苦しみがもっとあったら、書かせていただいたと思うんですが。
ストーリーの中で、これからそんな目にあうという少女の父がたまたま集団の中にいた時だけは愛も存在してたようですが。
でもその男だって、ではそれが自分の娘じゃなかったら、他の男たちと同じだったろうと思うんです。
そこがまた辛くてね。
身勝手だと思えてね。
現実の世の中には、残酷さとともに愛が必ず存在するというコメントもいただきました。
私もそう思うから生きていられます。
愛があれば苦悩が生じると思う。
生きるにはいろいろ罪なこともしなければならない現実の中で、愛ある人ほど苦しむと思う。
漫画の中で少女を虐待していたのは、愛を全く持たない権力と男性集団なのだと思うことにします。
もしかしたら、昔も今もそういう状態は存在するかもしれません。
そういうコメントもいただきました。私もそう思います。
極端じゃないケースならいたるところにあると思います。
小さな権力でも。不文律で。いろいろ理由をこじつけて。
でもその中で必ずいるはずだと信じたいんです。
権力構造により自分も虐待に加わりながらも、激しい苦悩にのたうちまわり気が変になってしまった人が。
そこまで苦しむ人が。
気が変になるまでの人が。
そういう人がいると信じたい。
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16:04に投稿してくださったna…様
携帯で十年を見つけてくださって本当にありがとう!
ブログリンク欄もポチッとなさって、インタビュー記事等も読んでいただけたら嬉しいです。
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18:43に投稿してくださった-様
私がお名前をお付けしていいんですか?
ではデュパン様なんていかがでしょう。
私の尊敬するエドガー・ポウ作品の探偵的存在、オーギュスト・デュパンのことはきっとご存じでしょうね。
シャーロック・ホームズのようにプロの探偵じゃないところが、ますます私好みでして。
知ることが大切だとおっしゃるあなた様のお言葉に心を打たれました。
確かに現実はひどいように見えます。
でもまあ、それも長い目で見れば宇宙が帳尻を合わせてくれると信じます。
でも、そこまでの過程こそが大切なんだと思います。
そこで愛が必要だと。今必要だと。
だから作品には、罪に苦しむことを表現してほしい。
罪の苦悩シーンを一切描かなくとも、それは自ずと滲み出てくると思うんです。そういう表現法もある。
でもこの少女虐待漫画には感じられなかったんです。
少女たちを天使絵にする権力者には最も共感できませんでした。絵にするのは、救おうとしてもどうしても不可能だった時、その苦しみからというのならまだわかりますが。
事態を変えることが、もしかしたら簡単にできる権力者なのに。その人のやることじゃない。むしろ楽しんでいるとしか思えません。
簡単な勇気で変えられることですよ。こんな状態。(傷つけられた少女たちの魂は神様でなければどうしようもないけれど)
弱い者たちが何もする気がなくて、仕方ない仕方ない…とため息ついてるみたい。
その間にも少女たちは押しつぶされてるんですよ。
知ろうとしない者の無気力と傲慢さと嫌味としか思えないです。
この作品で悩むことはいっぱいできました。でも力はもらえません。
愛ゆえの、人ゆえの苦悩が存在しないから。
でもなぜか悩むことで自分の中から力がわいてきました。
そういう意味で私はとてもためになりました。
でも二度と読まないでしょう。
デュパン様
イメージネームを気に入っていただけて光栄です。
あなた様本当に博識で、デュパンのようです。
デュパンという人は今の言い方でいえば、引きこもり貴族って感じですよね。
ああ、ちょっと違うかな。夜の街をさまよう人ですからね。
そんなデュパンにたとえられて、お気を悪くされていないかと心配でしたが…。
でもね、そういう生き方は私の憧れなんであります。
そういう思いを込めまして。