◆突然の引退、経営は「継栄」◆
2度の危機を乗り越えたワールドは、1981年3月期に売上高を1000億円台に乗せ、93年には上場を果たした。この原動力となったのが「トータルコーディネート」だった。
畑崎広敏は67年の欧州視察の際、日本にもありそうなシャツやセーターを着た現地の女性が、あか抜けて見えるのに驚いた。「バランス良く着こなしているためだと分かった」といい、服から小物までを組み合わせる販売方法を生み出した。この手法を推し進め、小売店の商品企画や展示を支援する部署も新設した。
さらに、直営店の展開も始めた矢先の97年6月、60歳で突然、13歳年下の寺井秀蔵(53)に社長を譲り、一切の役職から退いた。仲の良い部下から「社長は、一生やるんでしょ」と言われ、「裸の王様のようになっている」と気づいたからだ。
人も企業も伸びが止まると、後は落ちるだけだ。畑崎はそのころ、ワールドも横ばいになったと感じていた。「伸び盛りの経営者に代われば、企業は落ちない」と若い寺井に託したのだ。「継いで栄える『継栄』で、発展し続ける」。畑崎は、そう確信している。
(敬称略。栗原公徳が担当しました)
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