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「自閉化」するウェブ
この傾向を彼は自閉症(autism)と表現する。これはかつては特殊な病気と考えられたが、最近では広い範囲に(多かれ少なかれ)みられる機能障害の一種と考えられている。人間関係がうまくいかないので社会的活動には支障をきたすことがあるが、集中力が強いので、共同作業する必要のない芸術家や科学者には自閉的なタイプが多い。たとえばゴッホ、メルヴィル、スゥイフト、アインシュタイン、チューリング、ジョイス、ヴィトゲンシュタイン、バルトーク、グレン・グールドなどはそういう傾向があったという記録が残されている。
このような人々にとって、くだらない人間関係に煩わされないで創作活動に専念できるインターネットは福音だ。創作は、今はブログやSNSのような断片的な形で生まれているが、それが古いメディアをしのいで主要な表現形式となる日は、たぶんそう遠くないだろう。本やレコードは資本主義の生んだ特殊なパッケージにすぎず、後者はすでに滅亡の淵にある。学会誌に投稿して3年後に掲載されるなどという古代的な習慣は、ウェブベースのディスカッションペーパーに置き換えられようとしている。
この新しいメディアでもっとも重要なのは、膨大なゴミの山から読むに値する情報だけを選別する「自閉的」テクノロジーである。人間の神経系は、そういう機能を進化させてきた。行動経済学では、情報の重要性をあらかじめ順序づけることをバイアスと呼んでいるが、人はバイアスなしにすべての情報を平等に認識することはできない。たとえばわれわれのまわりにはあらゆる波長の電磁波が飛び交っているが、目に見えるのはそのうちわずか300nmの波長幅の可視光線だけだ。
特に重要なのは、フレーミングと呼ばれる行動だ。これは言語学や心理学や脳科学でも重要な研究対象になっており、もちろん行動経済学の中心概念でもある。その意味で、本書は『ブラック・スワン』の次に読まれるべき本だ。タレブが暴露したのは、金融工学の美しい体系が実はご都合主義的なフレーミングにすぎないということだったが、本書はさらに進んで(心理学・脳科学と同様に)すべての認知行動はフレーミングであると主張しているからだ。これはアカロフなどが強調する物語の概念とも共通する。
こうした思想は、実はそう新しいものではなく、歴史をたどればクーンの「パラダイム」や心理学の「ゲシュタルト」、マイケル・ポラニーの「暗黙知」、そしてその元祖であるマッハの懐疑主義にゆきつく。マッハは『力学史』で、ニュートン力学を批判した。それはマクスウェルの電磁気学と両立しない「世界についてのニュートンの物語」にすぎないというのだ。この指摘がアインシュタインに天啓となって、特殊相対性理論を生み出した。このようなフレーミング機能の強い人が自閉的にみえるわけだ。
既存の社会科学をニュートン力学のような特殊な物語にしてしまう、まったく新しい21世紀の社会科学を生み出すのは、もしかすると国際学会でも査読つき論文でもなく、ペレルマンのようにウェブにDPを投げたまま姿を消す自閉的な天才かもしれない。
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現代では、言葉での理解が理解の総てになっているので、例えば、華厳の「一即多、多即一」の「多」は、理解できないであろう。仏典では「多」はガンジス河の砂粒の数などと表現されるが、たとえ現代の博覧強記であろうと一生に何百万冊を読了することは不可能であり、言葉の理解とはたかだかその範囲の営みである。
もし、インターネットの「リンク」が言語思考上も「理解」と言うことになれば、「一即多、多即一」の多を、新しい方法で理解するということにはならないだろうか。
仏典やヨガや曼荼羅は、生来人間に具わった「無限を瞬時に感得する能力」の開発メッソドと考えられるが、これらはあまりにも古式で使いにくい。
「多」が言葉のラベリングでなく、ネットのリンクで「理解」ということになれば、龍樹もアインシュタインも小躍りすることであろう。
自閉症(Autism)につては、この障害を持つ人と関係する仕事をしているので、このブログの本質ではないのですが、コメントさせてください。 「これはかつては治療の必要な病気と考えられたが、最近では多くの人に共有される性格の一種と考えられている。」とありますが、かつては精神的な疾患や後天的な障害(悲惨な経験によって自閉症になるなんていうフレーズやシーンが書物や映画によく出ていました)と誤解される人が多かったのですが、脳の生理的機能障害であるというのが、今日の理解です。 "性格"というと、少し生理的ではなく精神的な部分、個性と思われる方も多いかもしれませんが、身体障害と同様な生理的な機能障害だと言う点を理解いただけると嬉しいです。
なお、実社会では、「自閉症」という診断を医者が下す事は、とても少なく、「自閉的傾向」という診断がされる事がほとんどです。 高機能学習障害とか注意欠陥・多動性障害とかも自閉症の一部と見なされていますし、広義には知的障害という言葉が使われます。
いづれにしても、病気、障害の自閉症と、性格的な振る舞い(自律的に振る舞いや特質として選択できる)というのとは、混同されない事を望みます。
あくまで、これは、Blogの話題の本質とは違うということは、承知していますので、本文に異論はありません。
自閉症は、発達障害のひとつです。性格の一種ではありません。この障害は、ドラマなどでも取り上げられてだいぶ理解されるようになりましたが、まだまだ一般には多くの誤解があるようです。詳しくは以下のwikiをご参照ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E9%96%89%E7%97%87
>集中力が強いので、共同作業する必要のない
天才的なPDD( Pervasive Developmental Disorder:発達障害)がたまに存在するのでPDD全体が誤解されている気がします。
そもそも米国で20年以上前に発達障害者支援法ができたのは、世間にPDDの幼い子を持った若い夫婦が心中してしまうケースが後を絶たないので、これは社会的な支援体制が必要だという危機感から、だそうです。心中してるので統計を取りようがないのですが。
日本のPDDへの取り組みは諸外国から40年ほど遅れて始まりました。2005年に発達障害者支援法が出来てからまだそんなに経ってないですし、その支援の内容もほとんどが学童向けで、成人のPDDに対する支援はゼロに近い(実感として)。
それから発達障害者支援センターの精神科医に聞いたけど、「自閉症」(自閉者)という呼称はそのうち消えるかも。
医師「自閉症って聞くと、社会的ひきこもりと混同する人がたくさんいるから、発達障害で統一する」という話。
今朝一番に本文(訂正前)を拝見し感動しました。
確かに言葉の定義は大切でしょうが,文脈としては
訂正前の方がはるかにWHOのICF(国際生活機能分類)を
良く捉えているのではないでしょうか。
「機能障害の一種」と訂正したところで,直後の文では
「自閉的なタイプ」と書かれていますので,整合性に欠けると思います。
私なら,文脈的に「機能障害」はNG,「性格」が正確でないと言われるなら,「個性」としますかね。
意外に知られていないのは、ニーチェがマッハの影響を受けていたことで、『力への意志』とよばれる遺稿集では、プラトン的世界の構造を人工的な「遠近法」に解体しようという試みが見られます。すべてに先立つと称する形而上学的な価値は、実は此岸的な世界を構成するために要請された虚焦点にすぎない、というのが晩年のニーチェの議論です。
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