◆急変への備え 経験に頼るのではなく、模擬訓練の必要性が高まっています。
命に別条ない病気で入院したはずの患者でも、まれに突然、心肺停止などの危機に陥る。こうなる前に前兆に気づき、早い段階で患者を救う取り組みを、看護師や医師たちが始めた。前兆となる病状や、必要な緊急対応を模擬訓練(シミュレーション)で看護師らに教える。日本では従来、こうした対応を系統的に教える仕組みがなく、ここ1、2年で少しずつ広がり出した。
●回を追って上達
「佐藤一朗さんが全身掻痒(そうよう)感(全身のかゆみ)を訴えています。急変の可能性があります」。患者に見立てた人形の脈を取った直後、女性看護師が声を上げた。仲間の看護師5人が病室に入り、人形に酸素を投与。血圧測定や医師への連絡などを次々と始めた。
6月半ばに虎の門病院分院(川崎市高津区)で行われた、看護師向けの模擬訓練「患者急変対応コース」だ。経験2~3年の若手を中心に、看護師6人が集まった。講師は同病院の荒井直美看護師。20年以上の看護師歴があり、集中治療室などで数多くの急変に対応してきた。
荒井さんはまず、心肺停止などにつながる危険な兆候(キラー・シンプトム)=表参照=を教えた。病状からみて異常な全身のかゆみも含まれる。患者を見たり触れたりして分かるものばかりだ。兆候に気づいたらすぐに脈拍や血圧、体温などを確認。必要なら応援を呼び、緊急対応を始めることも教えた。
その後、1回3分の模擬訓練が始まった。モニターの数値を読むなどして容体を把握し、必要な応急手当てをこなす。さらに、医師役の荒井さんに電話し状況を報告する。医師に重大さを理解して駆けつけてもらうには、報告のしかたが重要だ。
訓練は6回繰り返された。6人は当初、自分が何をすべきか迷ったり、要領を得ない報告をしたりした。だが回を追って上達。最後は全員がてきぱき動き、「(受け持ち患者の)急変がとても嫌だったが、そうでもなくなった」などと感想を話した。
この訓練法は荒井さんや、独協医科大越谷病院の池上敬一・救命救急センター長らが開発し、07年8月から試行。過去に虎の門病院と越谷病院、東海大付属病院の看護師ら計約300人が受講した。池上さんが代表理事を務める「日本医療教授システム学会」(事務局・東京都新宿区)が今月、正式に公開し、各病院に導入を呼びかけている。
池上さんは「急変する患者はまれで、経験に頼って対応を学ぶのは難しい。看護学校や医学部も教えない。模擬訓練が必要だ」と説明する。
●欧米では専門チームも
池上さんによると、予想外の心肺停止を起こす入院患者の多くは、6~8時間前に訓練で教えるような前兆が出ることが、海外の研究で分かっている。
米イリノイ州のクック郡病院では90~91年に一般病棟に入院した患者2万1505人のうち150人が心停止した。停止前6時間の記録を調べると99人は血圧、心拍、呼吸、意識などに異常があった。
こうした研究から欧米では、院内に前兆対応専従の医療チームを置く病院が増えているという。効果には議論もあるが、例えば豪ビクトリア州のダンデノング病院は、入院1000人あたり3・8人で起きていた心肺停止が、97年の設置後に、2・1人に減ったと発表している。
日本ではまだ、前兆の調査さえほとんどない。池上さんは「医師不足の中、専従チームは難しいが、前兆に気づいての対応は重要で、病院は体制を作るべきだ」と指摘。「患者や家族も前兆を知り、気づいたら医師や看護師を呼んでほしい。病院はそれを勧めるべきだ」と訴えている。【高木昭午】
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■心肺停止などにつながる危険な兆候
<1>呼吸の異常
・肩で息をする
・呼吸数が毎分10回以下か24回以上
・呼吸音(ぜいぜい、ひゅーひゅー、ごろごろ)
<2>血液循環の異常
・顔色や皮膚が青白い
・冷や汗
・皮膚を触ると冷たい
<3>外見と意識状態の異常
・苦しそうな表情
・呼びかけに反応が悪い
・目線が合わない
・ろれつが回らない
・興奮、不安、もうろう
毎日新聞 2009年7月14日 東京朝刊