夏目漱石について

夏目漱石(1867~1916)

夏目漱石は、1864年江戸牛込馬場下場町に名主の父、夏目小兵衛直克と母、千枝の末子として生まれた。本名は金之助で、生後まもなく里子に出され、2歳の時、塩原家の養子となるが、養父母の不仲のために9歳の時実家に戻る。夏目の姓に戻ったのは21歳の時。大学卒業後、明治28年松山中学の教師として四国松山に赴任する。ここが後の「坊ちゃん」の舞台となる。明治33年から36年まで文部省の留学生として英国に渡り、その後は帝大英文科の講義に力を注ぐ。明治40年東京朝日新聞社からの招きを受け、教官の職を捨て新聞小説「虞美人草」を書いて大きな評判を受け、初期の3部作と言われる「三四朗」「それから」「門」を書き上げた。その「門」を書き上げた明治43年の夏、胃潰瘍となり、静養のために訪れた伊豆の修善寺温泉で意識不明に陥った。懸命の看護によって一命は取り止めるが、生死を超える体験によって、漱石の人生観は揺れていく。「こころ」で明治とともに生まれ育った「先生」を人間の罪と重ねて葬った漱石は、己の過去を暴いて克服するかのように「道草」を書き上げる。その後、胃潰瘍悪化のため「明暗」は未完のまま大正5年12月9日、世を去った。


■ 吾輩は猫である
(初版本発行時期)上編:明治38年10月 中編:明治39年11月 下編:明治40年5月
(あらすじ)英語教師、苦沙弥先生の家に飼われている猫である「吾輩」の視点から、飼い主苦沙弥先生の一家や、そこに集う彼の友人や門下の書生たちが織り成す人間模様をシニカルに描いた作品。漱石の作家としての処女作。


■ 倫敦塔
(初版本発行時期)明治39年5月
(あらすじ)イギリス留学中に倫敦塔を訪れた漱石は、一目でロンドン塔、その塔に魅せられてしまう。イギリスの歴史を題材に幻想を繰り広げる。


■ 坊っちゃん  
(初版本発行時期)明治40年1月
(あらすじ)主人公は東京の物理学校(現在の東京理科大学)を卒業したばかりの新米教師「坊っちゃん」。無鉄砲で喧嘩早く江戸っ子丸出しの坊っちゃんが、松山の中学校に赴任し、そこでの周りの教師達や生徒達と織り成すユーモラスな人間物語。


■ 草枕くさまくら
(初版本発行時期)明治40年1月
(あらすじ)春の山路を登りつめた青年画家は、やがてとある温泉場で才気溢れる女、那美と出会う。俗塵を離れた山奥の桃源郷を舞台に、絢爛豊富な語彙と多彩な文章を駆使して絵画的感覚美の世界を描き、自然主義や西欧文学の現実主義への批判を込めて、その対極に位置する東洋趣味を高唱した作品。


■ 二百十日にひゃくとうじつ
(初版本発行時期)明治40年1月
(あらすじ)阿蘇に旅した圭さんと同行者の碌さんの会話を通して、金持ちが幅をきかす卑俗な世相を痛烈に批判し、非人情の世界から人情の世界への転機を示す物語。漱石が、第五高等学校での教師時代に同僚と阿蘇登山をした時のことを題材にして書かれたと言われている。


■ 野分のわき
(初版本発行時期)明治41年9月
(あらすじ)理想主義のために中学教師の生活に失敗し、東京で文筆家としての苦難の道を歩む白井道也と、大学で同窓の高柳と中野の3人の考え方・生き方を描いた物語。

■ 虞美人草ぐびじんそう
(初版本発行時期)明治41年1月
(あらすじ)我意と虚栄を貫くためには全てを犠牲にして悔いることを知らぬ女性藤尾に、超俗の哲学者甲野、道義の人創宗近らを配して、藤尾の自滅の悲劇を絢爛たる文体で描いた作品。漱石が朝日新聞社に入社し書いた第1作。


■ 坑夫こうふ
(初版本発行時期)明治41年9月
(あらすじ)家を飛び出し抗夫になって辛い環境に苦労する主人公。そんな中、自分を理解してくれる人々に出会い勇気付けられ、成長していく姿を描いた作品。漱石の許を訪れた未知の青年の告白をもとに、小説らしい構成を意識的に排して描いたルポタージュ風異色作。

■ 三四郎さんしろう
(初版本発行時期)明治42年5月
(あらすじ)大学入学のために九州から上京した三四郎は、東京の新しい空気の中で都会の様々な人との交流を経て成長する過程を描く。三四郎という平凡な田舎者を通じて、当時の日本を批判。作中で三四郎と美禰子が出会った東京大学の心字池は、本作品の影響から「三四郎池」と呼ばれるようになった。


■ それから
(初版本発行時期)明治43年1月
(あらすじ)主人公の若き代助は、義侠心から友人平岡に自分の愛する三千代をゆずり2人を結びあわせたが、それから3年、代助は三千代との愛を貫こうとする。人の掟に背く愛に生きることは2人が社会から追放されることを意味した。定職に就かず、仕送りで裕福な生活を送る代助が、友人の妻である三千代とともに生きる決意をするまでを描いた作品。

■ 夢十夜ゆめじゅうや
(初版本発行時期)明治43年5月
(あらすじ)「こんな夢を見た」という書き出しで始まるこの小説は、文字通り漱石の見た「夢」を題材にした作品。第1夜から第10夜までの幻想的な世界が描かれた10編の小品からなる連作短編。夢に関心を抱いていた漱石が、願望や生死の不安、畏怖を夢という形で表現している。

■ 門もん
(初版本発行時期)明治44年1月
(あらすじ)親友であった安井を裏切って、その妻である御米と結婚した宗助。横町の奥の崖下の暗い家で世間に背をむけてひっそりと生きる宗助と御米だが、一度犯した罪はどこまでも追ってくる。二人が罪悪感から救い求める様を描いた作品。
■ 彼岸過迄ひがんすぎまで
(初版本発行時期)大正元年9月
(あらすじ)いくつかの短編を連ねることで一編の長編を構成した作品。千代子との結婚へ踏み切れない須永の葛藤を中心に、友人敬太郎の挿話や、ライバル高木への嫉妬などの人間模様を描き出している。


■ 行人こうじん
(初版本発行時期)大正3年1月
(あらすじ)中産階級である長野二郎の視点で物語は進む。二郎の兄・一郎は、妻お直と二郎の仲を疑い、一郎は妻を試すために、二郎にお直と二人で宿に一泊してくれと頼む。知性の孤独地獄を生き、人を信じえぬ一郎。二郎は疑いを晴らすため兄と話し合いをするが、そのたびにこじれていく兄弟関係。とうとう二郎は家を出る。


■ こころ
(初版本発行時期)大正3年9月
(あらすじ)親友を裏切って恋人を得たが、親友が自殺したために罪悪感に苦しみ、自らも死を選ぶ孤独な明治の知識人の内面を描いた作品。鎌倉の海岸で出会った“先生”の不思議な魅力にとりつかれた学生の眼から、間接的に主人公が描かれている。作品は「先生と私」「両親と私」「先生と遺書」の3部から構成されている。


■ 硝子戸の中がらすどのうち
(初版本発行時期)大正4年3月
(あらすじ)己を語ることに寡黙であった漱石が「自分以外にあまり関係のないつまらぬ」ことを書いた連作エッセー。記憶の底に沈んでいる体験や回想に光をあて、一種不思議な明るさに充ちた表現世界を生み出している。


■ 道草みちくさ
(初版本発行時期)大正4年10月
(あらすじ)漱石唯一の自伝的小説。英国帰国後の明治36年から、「吾輩は猫である」を書き始めた明治38年頃までの3年間を、1年間の出来事に凝縮して描いた作品。「自分のもっとも卑しいところ、面目を失するようなところ」を隠さずあらわした、という漱石自身の証言がある。


■ 明暗めいあん
(初版本発行時期)大正6年1月*未完
(あらすじ)主人公・津田とその妻お延の生き方を中心としてエゴイズムの問題に容赦なく光をあてたこの作品は、漱石が生涯の最後に到達した思想「則天去私」を実践的に表現したもの。会社員の津田と妻のお延は結婚してまだ半年あまりだったが、津田の心中には元恋人である清子がいた。妻は夫の過去の秘密を知ろうと躍起になるが・・・。