国内ではほぼ半世紀ぶりとなる22日の皆既日食を前に、観察用グッズ商戦が活発だ。遮光プレートを使った「日食眼鏡」などが売れ筋という。
46年前の日食を、級友たちと見た記憶がよみがえる。今では厳禁だが、ガラス片にロウソクのすすを付けて「グッズ」にした。当時は観察方法の一つとされていたし、子どもたちは大抵の遊び道具を自分で作ったものだ。
エッセイストの赤枝郁郎さん(岡山市)が85歳になったのを機に「いろはで綴る ボクの子供事典」(日本文教出版)を出した。少年時代の遊びなどの思い出をいろは順に語っている。
いか舟。烏賊(いか)の甲に箸(はし)を差し、紙を張って帆掛け舟にする。竹で作った紙鉄砲や杉鉄砲。割り箸を組み立てる輪ゴム飛ばし鉄砲もあった。五寸釘(くぎ)も遊び道具になった。陣取りゲームの「釘たて」だ。
1930年前後の昭和初期のことだが、戦後の高度成長期までは、子どもの遊びがほとんどそのまま伝わっていたことにあらためて驚く。お金もモノもない時代、子どもたちは知恵を絞り、遊びに夢中になった。
宇宙飛行士の毛利衛さんは、15歳の時に見た皆既日食が科学者になる一番のきっかけになったという。次に国内で見られるのは26年後の2035年。その時、現代の子どもたちは思い出をどう語るだろうか。