中国新聞オンライン
中国新聞 購読・試読のお申し込み
サイト内検索

「ドナー家族に配慮を」 米で移植経験の男性、思い複雑 '09/7/13

 「絶望のなかで移植を待つ患者にとっては希望の光。でも大きな不安も感じる。移植は提供者(ドナー)側の悲しみの上に成り立つ医療であってはならない」

 脳死を一般的に人の死と位置付ける改正臓器移植法が成立した13日、米国で約6年前に心臓移植を受けた愛知県日進市の行政書士青山茂利あおやま・しげとしさん(55)は、複雑な胸の内を語った。

 45歳だった1999年9月、当時勤務していた職場で会議中に胸が苦しくなった。病院へ行くと大学病院を紹介され、そのまま入院。突発性の拡張型心筋症と診断され、医師から「心臓移植をしなければ余命3年」と告げられた。

 当時、国内の心臓移植は年間3例程度。妻と2人の子どもを抱える普通のサラリーマンに、莫大ばくだいな渡航移植の費用を工面することなど考えも及ばなかった。

 国内での移植というわずかな可能性に懸け、2001年、補助人工心臓を埋め込んだ。入院した病棟には同じ血液型の移植待機患者が既に2人。「あの2人が死ねば、自分の順番が繰り上がる」。必死で否定しようと努力しても、その“悪魔のささやき”が頭の中から消えなかった。

 1年もたたないうちに、補助人工心臓は「ガリ、ガリ」と異常音を発するようになり、いつ止まるともしれない状態に。「潔く死のう」と覚悟したころ、米国で心臓移植を受け、元気になった患者仲間と病院で遭遇。その姿がまぶしく見え、決心が揺らいだ。

 「渡航移植に挑戦したい」。翌日、家族に打ち明けた。親族から借金するなどして費用をかき集め、03年9月に渡米。10日後、心臓の提供を受け一命を取り留めた。ドナーは20歳の青年と聞いた。

 帰国後、シンポジウムなどで体験を講演して回るうち、何人かのドナー家族と出会った。19歳の息子の腎臓を提供したことを親せきから責められ、後悔している女性。提供後、あれでよかったのかと悩み続ける家族―。その言葉を聞くうち、自分は臓器提供を受ける側の論理だけで動いていたと気付いた。

 ドナー家族のケア、医療体制の整備、移植コーディネーターの育成…。法改正で臓器提供が増えた場合、さまざまな課題にきちんと対応できるのか。政府は施行までに責任を持って準備すべきだと考えるようになった。

 臓器移植や「脳死」への理解を深めてもらうため、今後も講演活動などを続けるつもりだ。「他人の臓器をもらってまで生きながらえたことが正しかったのか、その思いをひきずりながら生きている。ドナーに許してもらえるような人生を送るしかない」




HomeTopBackNextLast
安全安心