今回のIWC年次会合で発言する森下丈二・日本政府代表代理
「2009年6月24日現在の」とわざわざ断るのには、理由がある。以前はこれと逆だったからだ。
森下参事官は今年2月下旬〜3月上旬にも「個人的意見」としながらも鯨ポータルサイトで以下のように発言している。「食害論ですが、日本政府の主張が単純化されて伝わっています。政府は「クジラが漁業資源を食い尽くしているので、間引きしてしまえ」とは言っていません」
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[ご意見:52]「捕鯨賛成」への回答(鯨ポータルサイト 鯨論・討論 どうして日本はここまで捕鯨問題にこだわるのか?)
「あれ? そうだったっけ?」と思う人は少なくないだろう。筆者もその1人だ。
なにしろ森下氏は2006年の年次会合では「商業捕鯨が中止された時期以降、日本の水産業の水揚げ量は低下しております。商業捕鯨中止によってクジラの資源量が増加したことと、何らかの関係があるものと考えられます」(公式通訳大意)と発言しているし、日本政府代表団は「サンマ漁の現場に現れたミンククジラがサンマを食べる映像」も上映している。ただ、2007年の年次会合では「クジラと漁業資源の減少には因果関係はないかもしれないが相関関係はある」(公式通訳大意)と発言していた。
上記の「ご意見52に対する回答」では「商業捕鯨モラトリアムにより突然捕鯨を停止してしまった海域などでは、クジラが増加し、その捕食量が無視できないレベルに達している可能性がある」と続けている。そこからすると、少しずつトーンダウンしているように思える。
そこで、ここに至るまでの、クジラによる魚食被害についての、日本政府側の言説を振り返ってみることにする。
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サンマ不漁を追い風にして広がる
報道記事を検索してみると、1998年から、捕鯨停止によってクジラが増え、漁業に影響を与えているという記事が散見されるようになる。
1998年9月4日付日本経済新聞「増える鯨、漁船とニアミス――将来は水産物争奪戦?(「ニュース複眼」、金子弘道編集委員)では、「衝突やニアミスが頻繁に起きるのはなぜなのか。専門家や漁師は、クジラが増え過ぎたため、と口をそろえる」「こうしたクジラが食べる魚の量は、世界でおよそ5億2,000万トン。世界の漁獲高の5・8倍にもなる」と書いており、日本鯨類研究所の名前と、大隅清治理事長(当時、現在は顧問で太地町くじら博物館名誉館長を兼ねる)の名がある。
この日経記事が世に出た年と翌1999年は確かにサンマの不漁年だった。それまでは年間漁獲高が20万強〜30万t強で推移していたのに、2年連続で13.5万t、14万tと落ち込んだのである。最盛期には1匹100円を切るはずの「秋の味覚」サンマが、なかなか値が下がらないうちに季節が終わった。そんな状態を報じる記事が載った。
「クジラ“復活”漁師ら困った ? サンマなどの漁獲に影響 水産庁『捕鯨再開検討を』」(1998年11月2日付毎日新聞)
「秋味サンマに異変、なぜ不漁続く?? パクッとクジラの胃袋に」2000年10月1日付日本経済新聞「エコノ探偵団」)
日経の記事は特に念が入っている。「『じゃ、クジラをもっと捕れば、漁獲が増えて安くなるはずね』『でも、反捕鯨国の圧力が強いんです』。大隅さんは憤慨した。」「対立は深い。"秋の味覚"は高値が続くかもしれない」と書いた。
しかし、この記事が出て半月ほどで、不漁とみられていたサンマの水揚げが好転したと報じられた(「サンマ水揚げ、意外! 上向き 「前年並み」予報を修正 気仙沼港に活気=宮城」2000年10月17日付読売新聞)。同年の水揚げは21万tを超え、その後サンマの漁獲量は20万〜25万tの間で推移している。
推定生息数を元に漁獲可能量をはじき出して漁獲制限とする水産庁のTAC(総漁獲許容量)では、2008年にはサンマは45.5万tまで獲っても大丈夫ということになっている。だが、そこまで獲ったら豊漁貧乏となるので、サンマ漁船は適宜休漁を挟みながら手加減して獲っているのが現状である。もし2年続いたサンマの不漁が「クジラの増加」によるものなら、その後豊漁が続いて獲りきれないほどだという状態は、「クジラの減少」で説明しなくてはならない。だが、そのような記事は今に至るまで出現していない。
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「クジラ食害」説として広く行き渡る
いずれにしろ、この頃を境に、「クジラが魚を食べてしまって大変なことになっている」という記述があちこちに現れるようになる。新聞記事やテレビだけではない。
2002年に下関市で開催されたIWC年次会合のとき、IWC下関会議推進協議会が打ち出したスローガンは「増えるサカナ 減るクジラ」であり、大口を開けたクジラが地球上の魚を一飲みにしようとする絵柄に「こりゃたまらん!!」とコピーを付けた。
IWC下関会議に向けてラッピングバス出発進行!(クジラポータルサイト クジラTOPICS)
それから5年、中村幸昭鳥羽水族館名誉館長が上梓した「イワシが高級魚になった?」(PHP研究所 2007)には「本書で詳述したようにクジラの増加がすさまじく、捕鯨再開をしなければ海の生態系がアンバランスであることが明白である。」(p.5)と指摘し、ヒゲクジラがプランクトンしか食べないというのが「まったくの間違いであったことが調査捕鯨の結果、立証されたのである」とし、漁獲量よりもクジラの捕食量のほうが3〜5倍も多い、と続けている。
同じ07年に魚柄仁之助氏が著した「冷蔵庫で食品を腐らす日本人」(朝日新聞社 2007)では「昨今の海洋資源減少の理由にもからんでいることはまちがいなさそうだ。このミンククジラの大繁殖を放っておくと、海洋資源のバランスが崩れ、イワシやイカが魚屋の店先で1匹2,000円になっちまうかもしれん。」(p.67)と書いてある。もはや情報のソースを書く必要もない“一般常識”であるような書きっぷりである。
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立役者は「政府代表代理」という地位
ここまで行き渡った「クジラのおかげで魚が食えなくなる」説(いわゆるクジラ食害説)の土台になっている「クジラはどのくらい餌を食べているか」という数字をはじき出したのは、冒頭に紹介した日経新聞の記事に登場する大隅清治日本鯨類研究所理事長(当時)である。著書「クジラと日本人」(岩波新書2003)で、それを試算したのは1990年代半ばであると記している。
しかし、大隅氏は2000年に鯨研の研究者田村力氏との共同論文を発表し、パンフレット類を鯨研で発行しているだけだった。一般向け書籍は2003年の「クジラと日本人」まで書いていない。その程度で広く世に知られ、さらには「クジラを捕らないと魚が減ってしまう」とまでエスカレートするとは考えにくい。
ヒントは同書の「おわりに」にあった。大隅氏の執筆を強く推薦し、「ご多忙の中を拙稿に多くの貴重なコメント」をくれたのは小松正之水産庁漁場資源課課長だとして、謝辞を述べている。そこで現在は政策研究大学院大学教授となっている小松正之氏のこれまでの著書を振り返ってみよう。
「クジラは食べていい!」(宝島社新書、2000)には、「クジラ過剰保護が生んだ漁業者の嘆き 餓死するクジラ?」「魚を奪い合うクジラと人間」といった見出しが並び、「漁業が世界的に盛んになってきた現在、人間がクジラと魚を奪い合っている構造を世界の漁師たちも理解しはじめてきた」「ある海域のクジラを10%捕獲するとする。すると、その10%が捕食するはずの海産物がその海域で利用可能になる。そのうえ捕獲したクジラはおいしい鯨肉になる」と書いている。
IWC年次会合が下関で開催される直前に出版された「クジラと日本 食べてこそ共存できる人間と海の関係」(青春出版社、2002)でも、「そして最近、大きな問題が明らかになりました。それは「漁業」とクジラの問題です。世界の漁業生産量(1億トン)の3〜5倍に相当する3〜5億トンの魚を、クジラは食べていることが分かったのです。一方、日本の漁業生産量は、20年前と比べて半減しています。クジラのみの一方的な保護は、いまや海洋生態系の崩壊につながっています」と書いて大隅氏の試算を引用している。
小松氏はこのようにして、大隅氏の「クジラと日本人」が出版されるまでの中継ぎ的役割を果たしている。その後も「よくわかるクジラ論争 捕鯨の未来をひらく」(成山堂ベルソーブックス、2005)で、「クジラを一定数間引けば、そのクジラが食べるはずの魚が、利用可能になるというわけだ。」(p.74)としている。
小松氏は2005年3月末で水産庁から水産総合研究センターに理事として出向し、同年のIWC日本政府代表代理も降りているが、執筆時期からすると、水産庁の担当行政官の身分のうちに脱稿したのだろう。IWC日本政府代表代理(当時)がここまで書いているのである。「政府が『クジラが漁業資源を食い尽くしているので、間引きしてしまえ』と言っている」ような解釈が世間一般に行き渡るのも、不思議ではない。
そんな世間の反応にとどめを刺したのは、2006年のIWC年次総会において多数決で可決された
セントキッツ・ネービス宣言だろう。この宣言の共同提案国31カ国には日本も含まれている。
今年の年次会合でも中前明・日本政府代表が「IWCの正常化の動きが芽生え始めたのは2006年のセントキッツ・ネービス会合でセントキッツ・ネービス宣言が採択されてから」と述べ、採択から3年経った同宣言の意味を確認している。そこには「鯨類が莫大な量の魚を消費し、その結果、このことが沿岸国にとっては食料安全保障に関する問題となり」と盛り込まれている。
この宣言を見る限りでは、日本をはじめとする共同提案国すべてが「クジラが漁業資源の急激な減少の要因であると結論づけた」ように受け取れる。
この「クジラ食害説」はかねてより日本政府とは立場を異にする国や科学者、自然保護団体からは批判の声
(IWC下関総会の開催を前に「クジラによる食害」の宣伝に反対する共同声明)、いくつかの否定的学術論文も発表されている。日本政府はそんなことにはおかまいなしに、セントキッツ・ネービス宣言の採択にこぎつけたのである。
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火消し作業もせずただの「言説ロンダリング」
だが2007年、クジラによる漁業被害の普及の旗振り役と見えた小松氏の書きっぷりが変わる。独立行政法人水産総合研究センター理事だった時期に出版した「これから食えなくなる魚」(幻冬舎新書2007)では、「最近、調査捕鯨でクジラの胃の内容物を見ると、マイワシはほとんど入っていない。カタクチイワシとサンマが入っている。たくさんいるものを食べたほうが合理的だからだろう。」「われわれは、クジラに学ぶべきではないだろうか。それが、天然資源との正しいつき合い方だと思う」とした。
それだけでなく、「漁業関係者の中には、すべてクジラの「胃袋」に責任転嫁する者もいるが、それは努力を怠っていることの言い訳だ」とし、漁獲量が減っていることについては「第1に獲りすぎ、第2に沿岸域が埋め立てや汚染などにより荒らされたことであって、クジラの増加はせいぜい3番目だろう。」とまで書いている。過去の著書には現れてこなかったトーンである。この年の12月、小松氏は水産庁を退職する。いまはもっぱら日本の水産行政の不手際を批判する論客として活躍している。
そして今年は、冒頭で紹介した森下日本政府代表代理の発言が出たのである。言い方は小松氏同様巧妙だ。「能吏」とはかくもあるものらしい。
小松、森下両氏の「軌道修正」にもかかわらず、「クジラは漁業の脅威」説は一人歩きを始めている。新型インフルエンザになぞらえれば「フェイズ6」だ。「捕鯨をしさえすれば漁獲高は回復する説」といった「変異」も起きている。意図したかどうかはともかく、両氏がウイルスの拡散にひと役買ったことは間違いない。
その2人が、「自分には責任が無く、日本政府にも日本の科学者にも責任が無く、マスコミや漁業者や世間一般が勝手にそう解釈しただけだ」と言い出したのだ。「ハシゴを外された」ような気分の人もいるだろう。いずれにしろ今後は、過去の両氏の言動をよりどころにした「クジラは漁業の脅威」説をまき散らさない方が良い。彼らもそれは望まないはずだ。「日本の科学者も結論づけたことはない」のだそうだから、あとは(まき散らす人の)自己責任で、ということになる。