なぜ私がEMに賭けるのか

EMによる河川浄化キャンペーンを始めるに当たって
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なぜ私がEMに賭けるのか

 EM運動の原動力になるのは自然との共生だ。 EMは"Effective Micro Organisms"(有用微生物郡)の頭文字からくる略語である。 つまり、微生物との共生によって自然と社会を元気にすることがEM運動の目的である。
 おびただしい微生物の中でその働きが科学的に解明されているのは極めてわずかだ。 比嘉照夫教授が開発したEMの組み合わせにも、現在のところ科学的に説明しきれない部分もある。 しかし実際に使ってみたところでは、あらゆる分野での成功事例が世界中にたくさんある。 それらの事例の一部を、私のホームページでも以前からいくらか報告しているが、今回はまた別の角度からEM運動について書いてみた。


世界救世教とEMとの関係

 EM運動に疑いを持つ人々が取り上げる一つの理由は、「世界救世教」という宗教が関係しているということのようだ。そのことに関する私の見解をここで間単に書くことにしよう。
 比嘉先生自身は救世教の信者ではない。しかしながらEM運動に参加している市民の中には救世教のメンバーもたくさんいる。 EMの役割から考えれば当たり前のことであると私が見ている。なぜならば、70年ほど前に救世教の教祖、岡田茂吉氏が提唱した、世界を救う条件は「病貧争の根絶」であった。特に「病」を無くすために、健康を維持する最も有効な手段の一つは自然農法であると岡田氏が訴えた。当時は科学肥料や農薬が世界中に広がり始めた時期であったが、それらの危険性に関していち早く警鐘を鳴らしたのが岡田茂吉氏だったのだ。化学物質の公害追求先駆者と言われたレイチェル・カーソン氏の手による「沈黙の春」が出版されたのもずっと後のことである。
 しかし当時は自然農法の技術が十分に発達していなかったので、普及が思うように進まなかった。 そこで20年程前からEM技術を活かす自然農法が開発され、これで教祖の夢を実現する手段をようやく見つけたかもしれないということで、EMの可能性を詳しく調査した結果、救世教もEM運動に参加するようになった。言わば、EMを自然農法に活用するという新しい社会奉仕の手段 を取り入れたのだ。 これは、キリスト教や仏教などが福祉や教育の分野で社会に貢献していることと似ている。それでもEMによって自然と社会を元気にする運動は、宗教を普及する運動とは別なものであると、救世教がはっきりと分離しているようだ。
 私自身の社会奉仕のバックボーンには元々キリスト教の教えがあるが、現在はそれに加え、 救世教とも連携しながら「病貧争」を無くす運動に心血を注いでいる。
 言うまでもなくEM運動に関わっている団体は救世教だけではない。多くのNPOや他の市民団体、企業、地方自治体などもEM技術の活用に取り組んでいる。 EMを何らかの形で使用している市民は日本だけでも数百万人いると推定されているので、救世教のメンバーはその中の一部に過ぎない。もし救世教がEM運動を応援しているという理由でEMに抵抗を感じる人がいれば、おそらく「自然との共生」 そのものに対する自分自身の心のわだかまりではないだろうかと私は思う。念のため自分の生き方への姿勢を見直すようお勧めしたい。


EMは天からの賜物

 人間は自然と社会を破壊する智恵と力を手に入れたが、反面、その破壊を食い止めることや癒すことができないでいる。しかし幸いなことに、人間が築き上げた科学などよりも自然力の方がはるかに優れているのだ。 50年前の科学と現在の科学を比べてみればすぐに分かることであり、50年後の科学もまた違っているだろう。
 科学が自然の力より優れていると思い込んでいる人には、自然から学ぶことが難しいに違いない。 そこで神様が地球を守るために微生物の働きを少しずつ人間に啓示するようになったので、EM運動が急激に広がるようになったと私は考える。
 現在100ヶ国以上の国ではすでに、何千万人もの人がEMとの共生から新しい生き甲斐や喜びを見つけている。 お金をかけないで地球を救う運動に参加できる喜びでもある。EMの使い方に問題があるという理由で、EMの効果がすぐに現れなかったケースがあっても、EMが害を及ぼしたという事例はどこにもない。 つまりEMから得る事が多くあっても失うことはまず無いのだ。
 私自身もEMによって新しい生き方と環境回復に効果的な手段を見つけた。8年間家庭菜園ではEM利用による安全な野菜が育っている。 EMとの共生で私の心身が健康である。EMを通してタイを始め世界の国々で多くの仲間が与えられたなど、うれしいことばかりだ。
 微生物との働きをさらに研究しながらその力によって地球を救うことが可能であると確信している。だから私はEM技術にすべてを賭けることにした。
 今年から新しい活動の一環として河川の浄化に仲間と共に取り組みたい。EMの力を試してみたいし、公にも立証したいのだ。 参加してくれる仲間の背景には宗教や別な組織があっても構わない。目的が同じである以上、宗派、党派を超えた共生共創の精神で頑張ることが大切だと考える。

 人間は自然のおかげで生きている。そして自然の恵みは人智の及ばない神の力であるということを忘れてはならないと思う。

ツルネン マルテイ
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