事件ファイル
NO 001の5

長男山形移住からの 妹 警察官夫婦の動向

ニャンコ先生が山形へ不信を感じ平成17年10月8日実家へ
着いて以降、父親 利雄が不自然な他界した12月3日
そして、それ以降の詳しい経緯

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年代年号 事案事件 内容 経過状況 結果状況
2005年
平成17年
実家が空家  札幌から長男 亨 が運転に疲れて山形に10月8日深夜11時過ぎにやっと着いたのでチャイムを押したが、誰も留守でいない。
 直ぐ、妹 ちどりに電話した。
考えられない回答が返って来た。
 「何しに来たの・・・勝手に事前に連絡無しに来て、親の許可がないと入れないから帰れ。」との返答であった。
 「鍵を開けに来い。」と回答したら電話を切った。
少し待ったなら来ると、寒さを堪えて待っていたが次の日の午前2時近くになっても来ないので実家の二階の玄関窓のガラスを割って入った。
 しかし、二階から一階に降りる入り口戸が鍵が掛かっていた。
 止む無くアパート周辺のゴミ捨て場から針金を探して一階の裏口ドワを開けて入った。
 (元、探偵社に勤めて鍵の技術を習得している。)
 その日は、布団を出して疲れて寝たのだった。
両親所在
妹夫婦の黙秘
後、接見事案。

10月9日、妹夫婦来たが「帰れ。」と言い両親の所在を黙秘したので警察へ訴えると告げたらしぶしぶ案内すると教えた。
10月10日、妹 ちどりから父親 利雄のところへ案内された後で母親に逢いたいと言ったら案内された。
 それ以後、すべて個別での両親へ接見は出来なく妹 ちどりの同伴によるものだった。
 9日早朝、妹夫婦で実家に来て「泥棒帰れ。」と罵っていたが「母親の行き先教えなかったら警察問題にするぞ。」と言うと帰ったが夕方に 妹 ちどりが一人来て連れられ母親に逢わせられた場所は、何故か徳洲会山形病院であった。
 母親に逢うのに「この病院は、多額の金を払って私達が特別入院させているのだから勝手に退院も出来ないし、脳梗塞で会話を母親としないことを約束して欲しいよ。」と言い条件を出して逢わせられた。
 詳しいことを病院担当医師に聴こうとしたら妹ちどりから「私の許可がなければ許可にならない。」と断られた。
 何時何故、母が脳梗塞になったかと妹 に聴いても一切答えなかった。
  母親は、「来たか。」と涙をながしているだけでちどりの顔を見てばかりで会話もなかった。
 父親 利雄の場合も「誰だ。」と聴かれただけで妹 ちどりが「亨君。」と答えて言い父親との会話が無く離れさせられた。
 まさか「さくらパレス」の老人施設の個室に入れられているとは、考えて無かったので驚いたショックだった。
 ここでも一切、妹 ちどりの許可なく父親の状態など施設の担当者に聞いても答えなかった。

 全て、今まで帯広の梅子や妹 ちどりが騙していたことに気が着いたのだった。
10月14日突然妹 ちどりが
来て、金銭的な収支の引渡し
説明した。
妹 ちどりの自筆で台所のキッチンペーパーに鉛筆で書き込み説明した。
 (証拠として山形家裁に報告書提出済み。)
父親 利雄の老人施設入居費用や母親セツの入院費から経費その他と、両親からの収入アパート家賃含めて、毎月約25万円の収入があることを認めた。
 引渡しは、平成17年12月末に全て渡すとの口答の約束だった。
両親に個別
接見
10月20日、妹 ちどりが「帯広へ行くから留守にするけれど一切、難しい会話を両親としない条件なら逢って洗濯物など取ってきて欲しい。」と言い、両親と個々に息子 亨 が二人で会話できた。  母親セツは、下半身不髄になっていたので会話も入れ歯もされてなく「痛いところ有るか。」など簡単な言葉での会話をしていた。
 父親利雄に関しても、「会話も認知症で解からないので話しても無理だ。」と妹 ちどりから聞かされていたので簡単な会話を交わしていた。
 

犬の飼育問題で
借家紹介事案
10月21日
夕方、妹 ちどりが犬の貸家施設を案内するから実家自宅で飼わないで欲しいと言い案内した。 案内される前に、車両の中で「母親が買っていた山林は、父親が売ったのか。」と聴くと「解からないけれど売ったと言っていた。むと答えた。
 夫 警察官の 強 が見つけた貸家と言い案内されたが川渕の小さな家で内部は、見せなかった。
 結果的に、実家自宅の庭に犬小屋を造り
入れた。
日替わりでの
両親接見提案
10月27日
妹 ちどりの提案で日替わりでの洗濯物の回収など両親に接見介護を提案し承諾。
 順次交代し月水金が妹で、火木土日が兄と決まり来週から実行することにした。
 都合悪い時には、電話で代理に行くこと決めた。

12月1日に
12月2日金の
当番代替依頼
12月1日木の昼に、妹 ちどりからの電話で、2日金曜に用事で行かれないから頼むと依頼される。
兄、承諾し2日金曜日に替わりに行く事に予定した。
父親 利雄の
告白事件
 兄、ニャンコ先生が承諾のとおり2日金曜日に何時もの時間の3時30分に実家から桜田の「さくらパレス」二階へ向かい、約15分掛かって3時45分父親 利雄の個室に入った。
 直ぐ、父親 利雄が「札幌へ帰らないのか。」聴かれたので「ずっと、もう実家に居るから。」と言うと「ちどりに騙されて盗られた。」とポッンと話した。
 「何盗られた。」と聴いても黙っていた。
母親セツのところへも立ち寄り父親のことを話したが黙っていた。
 母親から実家自宅に帰ったら、夕方の6時頃妹 ちどりから電話で「夫の友人のパチンコ屋 で景品替えの仕事をしないか。」と聴いて来たので断った後で、「今日、お前から爺ちゃん何か盗られた。」と言っていたが何を盗ったのかな。」と聴いた。
 「ボケての話を。」と笑って答えた。
12月3日土曜日
父親 利雄のとの接見
後、
二時間半で
父親 利雄が心肺停止
呼吸不全で他界
 通常通りに午後3時30分に実家自宅を出て3時45分前後に父親 利雄の個室に入った。
 約5分程度の会話を交わし洗濯物を見て母親セツへの伝言を聴き母親セツへと向かった。
父親 利雄から「婆ちゃんに伝えて欲しい。」と言い、「何を」と聴いたら、「風邪も治ったし腰も少し痛いが楽になったから大丈夫だと言ってくれ。」と言われたので「解かった。」と答えた。
 その後、何か食べるかと聴いたら「ちどりに貰って食べた。」と言うので不思議に思って「何時ちどりが来たの。」と聴いたら「午前中に来て帰った。」と答えた。
 「何用事だったのかな。」と言い洗濯物を見に行くと無かったのでボケていないと納得した。
 その後、「婆ちゃんのところへ行く。」と部屋を出た。
母親セツの病室へ行き母親に、父親利雄からの伝言を伝えて洗濯物を持って約15分会話して実家自宅へ帰る。  母親に父親 利雄の伝言とおりの事を伝えたら「良かった。」と言い、「ちどりが爺ちゃんのところへ午前中来て帰ったと言っていた。」と母親に教えて「まだ、一週間も動けないだろう。」と言って会話し母親と別れた。
 通常どおりにの帰りの道筋コースで実家自宅へ帰り夕食の準備に掛かっていた6時10分過ぎころに妹 ちどりから電話が掛かって来た。
 「今、30分ぐらい前に爺ちゃんのところから帰って来たら病院から連絡があって、爺ちゃんの心肺が停まっているから来て欲しいっていうから、直ぐ向かって。」との内容だったので直ぐ向かった。
 しかし、既に父親 利雄の体温が下がりや瞳孔も開き時間が経過している身体で蘇生は無理な状態であった。
 「さくらパレス」の老人施設に入ったらまだ妹 ちどりが着いていなかった。
 父親 利雄の部屋の二階に向かう途中で白衣の看護師か解からないがすれ違ったので「妹 来ていたの。」と聴いたら「お兄さんが帰って入れ替わりに来て夕食に迎えに来る30分前まで部屋に居たのですよ。」と言うのでした。
 直ぐ、「何故電気ショック、ADE掛けないの。」と怒鳴って答えたら、「今、探に行ってます。」と答えた。
 その時、妹 ちどりが来たので「お前、ここで何して居た。」と言うと答えないで携帯電話を掛け出した。
 その後、ニャンコ先生が父親の目を観て
から「医者は、医者は如何した。」と怒鳴ったら、「今、着ます。」と同じ看護師が戻って来て答えた。
 少しして痩せた担当医と言って病室に医師が入って来た。
 そしてADEの操作を始めたのですが、ニャンコ先生の経験から「もう遅いです。」と言っても続けていた。
 その後、蘇生注射など打ったりしながら時間を掛けていたが完全に、父親 利雄は
落ちていた。
 道警機動隊で水難救助や山岳救助から
多くの事故や災害救護経験から体験しているので解かっていたのだった。
 
司法解剖の拒否  駆けつけて来た担当医師に司法解剖を頼んだが、これは「呼吸不全で必要無い。」と言い張り
拒否された。
 死亡確認にも時間を掛けるだけ掛けて、蘇生を色々施したことを説明長々と話し出して「老いて喉に痰が絡んだのが原因でしょう。」と決めて司法解剖の実施に応じなかった。
妹 ちどりの不自然な
行動と黙秘
 死亡診断されてからも妹 ちどりの行動に不自然で泣く事も無く親戚関係者への電話を平然と掛けていたし、心肺停止の発見の30分前まで居た理由や午前中と午後から二回も当番でも無いのに来ていた理由を聞いても黙秘し答えなかった。  老人施設内でも携帯電話ばかり掛けて話中で、業と父親 利雄の個室から離れ
近寄らない状態で父親 利雄の病院から実家自宅への搬送にも同行しないで「家に一度帰ってから行くから。」と言い残して帰ったのである。
千歳ハイツの住民に
管理者変更通知
長男書面配布
 母親セツの家賃振込み口座から新規にみすほ銀行に長男 亨 口座を設けて家賃振込み口座とした。  母親セツが元々、長男 亨の為に放射線事故から治療生活の収入源としてアパートを建てたもので、家賃収入を全て13年間分長男に送金すべきのを搾取していたもので、母親セツに確認したところ母親が認め内容証明を平成13年に請求している。
 それから4年経過しても返済もしないし収支も報告なかったものであり、母親セツは裁判所に訴えれと初めから怒っていた。
娘 ちどりが
アパート住民へ
押掛け家賃回収
 娘 ちどりが振り込み前にアパート住民に押掛けて二世帯分の直接家賃を回収し搾取していた。  アパート101号室の新築当時からの住民は、「ちどりちゃんから深夜も電話で起され家賃渡せ。」と数回電話の末に自宅に押掛けて入り込み帰らないので止む無く二重支払覚悟で渡した。」と告白した。
 203号室の学生女性には、不動産屋に出向き家賃を取り立てさせていた。
 103号室の住民は、長男と契約を交わし1ガ月分を支払った。
 尚、母親セツと相談し家賃価格を駐車場
込みで45.000円を下げて35.000円にしたので35.000円受領した。
 車両の無い住民は、31.000円に下げた。
2006年
平成18年
内容証明郵送
配達達証明
1月23日

強奪した母親の黒い手提げの仲の財産と
17年間の母親アパートの収益と収支明細
父親 利雄葬儀の収支と収益
埋葬許可証の返還
母親と父親の銀行株の有価証券返還

山形南郵便局から193-1637539-6
平成17年12月末に返還引継ぎ約束にて再三請求しても拒否された。

1月18日、当時、夫の警察官が山形警察署警備課係長に勤務していたことから山形警察署に相談した。

全く返答が無いことから母親と長男が相談したところ、返還を書面で求めた。
住民票移転修正
1月23日
母親セツに
担当係官 鈴木 淳一 氏が直接面接し
住民票移転修正
母親セツの住民票が娘が中桜田に移動し扶養手当を役所から取っていた件で、市役所係官が事情確認し元へ修正した。
公証人財産
名義変更依頼
1月24日
母親セツが全ての財産を長男 亨 に譲渡しアパート家賃からすべて亨の所有権にすると言い出し、山形公証人役場 三浦 宏一公証人の指示を受けて実印の改印の為の証人を紹介された。
 この証人の確認から改印した。 
公証人が母親セツに長男 亨 が札幌裁判出廷から帰った2月3日に公正証書を入院先徳洲会病院に来て作成する約束した。
 その証人に紹介された。
大嶋夫婦が証人として同行予定であった。

住民票移転
手続き事件
1月25日
母親セツを病院から無断で娘 ちどりが連れ出し
市役所で住民票手続き書に娘が脅して母親の右手を被って書き提出した。
 担当係官が止む無く手続きに応じ住民票を中桜田に又、戻した。
 
公正証書
作成中止
2月3日
娘 ちどりが母親セツの住民票を中桜田に再移転したことから印鑑証明が無効になり公正証書作成延期になった。 公正証書証人 大嶋夫婦は、父親利雄の公正証書遺言作成時に娘 ちどりと組んで証人になっていたり、母親セツを監禁断食していた時に一週間目にお茶を運んで来た女が大嶋の妻 礼子 で、証人依頼時点から娘 ちどりと連絡していたのである。
2月9日
人権擁護委員
相談確認
長男 亨 が人権擁護委員に相談し、母親セツの後見人の確認した。 法務局 人権擁護委員でも何の強制効力も無く確認で帰った。
 
2月6日月曜日
娘 家庭裁判所
母親セツの成人後見人
申立て
母親セツの担当医師から認知症診断書を手に入れ、それを基に母親セツの財産管理成人後見人申立手続きを家庭裁判所に届けた。  土曜日曜を挟んで診断書を直ぐ担当医師が作成し渡していることからも、賄賂を渡して書かせたものである。
2007年
平成19年
2008年
平成20年
2009年
平成21年


父親 利雄の他界から一年後に平成14年作成した公正証書での口答遺言を基に
息子 亨へ相手に・・・実家の建物明渡し訴訟裁判  


  実家の建物明渡し裁判に措いて、父親が幾ら出資しているか調べていたところ、父親の書庫から遺産相続に関連した銀行の計算書が発見された。
  平成14年9月6日に父親が妹に公証人役場で口答遺言した内容は、「全財産を渡す。」と言う遺言であったが、その時の金額が手持ちの現金655.604円と郵便局の貯金147.458円に某銀行預金18.987円の合わせた金額の父親申告で、遺産を受けたと申告していた。
  しかし、当時450万円は3年のスーパー定期の預金してあって満期になっていなかったし、その遺言の作成する半年前前後に1.300万円の3本のスーパー定期が次々に卸されて行方不明になっていた。
 父親は、私が平成13年12月30日に帯広で逢った時には、既に認知症で「25万円遣せ。」と同じ事を繰り返して雄叫びを揚げてマトモナ話しの出来ない状態であった。
  この事からも、妹夫婦が認知症の父親に「全財産を遣ると言え。」と母親のように脅したか暴行して強与したことの裏付証拠が確保することが出来た。
 父親の書庫は、ダイヤル番号が判らないと開かないので父親は、既に認知症の発症から教えなかったから、この証拠が妹夫婦にバレて捨てられ処理されないで暴露されたのであった。
この件は、当然既に山形家裁や山形地裁へ報告した。
  
  嘘の目録申請していた。
 父親から口答遺言で妹が貰った預金が
  
    殖産銀行 県庁支店 普通口座 66712
        残高  18.987円

    郵便局  
        口座  18540-2-3434841
        残高  147.458円

    現金  655.604円 

    として、葬儀当時買った洗濯機や掃除機などを
    ちどりが買えと言って長男 亨へと渡されていた金まで遺産相続金として30万円相当として扱われ
    亨に対して請求されていた。
父親を騙して搾取した預金関係の総額  31.038.395円

定額定期郵便局預金 取り扱い郵便局 85310

口座記号 番号      支払日時     支払預金額 預金日
48570-2033536 15-02-19 1.398.000 05-02-08
48500-2033539 15-02-19 1.398.000 05-02-08
48590-2039060 15-02-17 1.398.000 05-02-17
48530-2039056 15-02-17 1.398.000 05-02-17
48540-2039057 15-02-17 1.398.000 05-02-17
48590-2033553 15-02-19 1.398.000 05-02-08
48550-2039058 15-02-19 1.398.000 05-02-17
48510-2039054 15-02-19  699.000 05-02-17

            金額  10.485.000円           


    殖産銀行 県庁通支店の預金関係の騙し盗った金額   

定期預金 スパー定期 
口座番号
   支払日時           預金支払金額          預金日時    
3036697 14.02.08 1.002.324 14.02.08
2010151 10.10.08 2.002.165 09.10.08
3038975 13.03.30 3.003.600 12.03.30
3059204 14.07.05 3.001.200 13.07.05
3032390 14.12.02 4.532.580 11.12.01
3038983 13.03.30 7.006720 12.03.30

     金額   20.553.395円

その他父親からの結婚後夫婦で借金や無心して得た金額

子供二人の大学費用 960万円に入学金 1500万円
夫婦での借金総額 現金で貸している母親の10年間の日記帳からの30年間の推定 2500万円
葬儀費用の預かり分と玉串料で誤魔化した金額 玉串料で約100万円の収支が違い、その他に預かり金額分 300万円

母親から強奪したり搾取した金額  

千歳ハイツアパート家賃 6世帯分X45.000円 5.508万円
子供二人の大学費用 960万円に入学金 約1500万円
夫婦での借金総額 夫婦に現金で貸した母親の日記帳10年間から推定した30年間の金額 約1800万円
現金以外の無心金額 買物など物品で支払わせていた日記帳10年から推定した金額 約3000万円

父親や母親から盗った金の行方の一部が・・・何と !!


当時、娘 ちどりは「幸福の科学」の信者
夢中になって布教活動をしていたのだった!!

 昭和58年に父母の両親と父親の方の兄弟で東京や山形の親戚夫婦を、札幌の息子 亨 が運転し北海道旅行を一週間したことがあった。
 この時に、妹夫婦から父母への荷物として送られてきた荷物の中に「幸福の科学」の本が入っていた。
息子の亨が不信に思い母親セツに聴いたところ「幸福の科学」の宗教に填まり入信して狂っていることが明かされた。
 それで息子 亨 が直接電話で辞めるように説得したが聞き入れられなかったのである。
母親セツの約10年間隠れて記載されている日記にも、その無心状況から明白である。
 元々、幼いころから娘 ちどりには盗癖があって注意しているが、サイフから勝手にお金を盗んで帰るので何時も母親セツが困っていた。
 その愚痴を息子 亨に何度か電話相談をしていた。

何故・・・中桜田に自宅新築する時に母親セツに土地の一部を買わせたのか・・・それは何故だったのか !!

 この夫婦は、結婚当初から川窪家の長男 亨が道警の警察官であることから、母親セツの資産を乗っ盗ろうと謀っていたから父親利雄を利用し小学校しか出ていない母親セツを騙してアパートを建てさせたり徹底して夫婦で子供まで使って無心を謀ったものである。
「離れ」の土地を母親セツに買わせていたのは・・・初めから計画的に拉致監禁を狙っていたものの他は無い立派な証明である。
 幸に、父親利雄とも息子 亨が他界する前に逢えて「ちどりから騙され全部盗られた。」と告白を聴けたり、また母親セツからも幸して確りした内容の事実の告白を全て完全に収録できたことや約10年間の無心状況を記載した日記帳を残していたことが最大の喜びとしなければなりません。
 金銭欲で父親利雄を騙して公正証書の作成させたことに成功したが母親セツで失敗したことは、公証人が証人でもあり最大のミスを犯していた。
母親セツが「最後に悪党は、滅びる。」と断言しているが・・・それなりの天罰が下されることでしょう。