事件ファイル
NO 001の4

娘 ちどり警察官夫婦の病院や特別老人施設での悪行
徳洲会山形病院で虐待され・・・更に
特別老人施設でも・・・その現在も虐待か ?

平成13年秋 帯広の娘 梅子宅へ逃避していた当時の母親の元気な姿

 平成3年2月17日、当時母親セツは74歳で娘 ちどり夫婦が毎晩北海道へ売却して戻ることに抗議して睡眠不足にさせ糖尿病が悪化して眼底出血して眼が見えなくなってはいたが手術し実家自宅での療養程度であった。
 それから治療により糖尿病も良くなり杖は突いても長時間は無理でも一人で歩き廻るし急な階段も登り降りできたのだった。
しかし、平成3年の秋に娘 ちどり夫婦が山形市内の中桜田自宅の横に母親セツに買わせていた土地に母親から強奪した黒の手提げの中から預金を卸して6畳2間の平屋を新築し母親セツを実家から深夜拉致して監禁した。
 それから食事は、全て配膳業者に頼み糖尿病で食べさせられないと嘘を言い一日二食でお粥の御飯をシャモジ二杯と味噌汁がコップ一杯だけを与えられていたことから痩せた。
 その理由は、その新築した「離れ。」からの逃走をさせないように歩けなくさせたのだった。
それから母親セツは、オムツをさせられ業者が交換に一日二回朝夕来ていたと言う。
 平成13年8月に母親セツを公証人役場に車椅子で連れて行き公証人の前で「全財産を全部武田ちどりに渡す。」と言えといい「言うとおり言わないと殺す。」と脅して証人の大嶋夫婦と待ち合わせて公証人に会ったが母親が拒否した。
 それで公正証書作成出来なくなったので外に出てから近くの大嶋夫婦が経営する居酒屋に連れ込み母親を皆で叩いた。
その後、直ぐ「離れ。」叩き込み全て戸締りして断食させたのだった。
 一週間目に、母親が気を失っていると証人の妻の大嶋礼子が入って来て母親に、コップ一杯のお茶を与えたのだった。
それから又、監禁生活だったが間もなく夫 利雄も部屋に連れられ同じ生活をさせられていた。
 父親 利雄は、既に認知症が進み朝から寝るまで「25万円貸せ。」と叫んで居たらしく母親が煩くて困ったと話す。
それからお盆も過ぎてから母親は、このままでは娘夫婦から殺されると感じて無一文だし考えた末に娘 ちどりに「死ぬ前に頼むから帯広の梅子に逢わせて欲しい。」と何回も嘆願してやっと飛行機に乗せてもらい帯広の娘のところへ逃避に成功したのだった。
 これで助かったと思って喜んで居たら直ぐ、山形の娘 ちどりから梅子に携帯電話が掛かって来て「逃がさないから。」と話したのを聞き助けを求めるのを止めておいたと話した。
 何とか息子 亨 が助けに来て欲しいと毎晩神様に心で嘆願していたと言う。
平成13年の12月始めにその効果があってか、息子 亨 が実家の母親とも父親とも連絡が着かないので不信を感じ度々帯広の姉 梅子に電話をしていたが何度かの電話で予感がして「そこに婆ちゃん居るだろう。」と聴いたら溜まり込んだので確信を持ち「今から行くから。」と切って帯広へ向かったのだった。
 驚くほど痩せている母親セツに、逢ったとたん涙を流して何も言わないで母が眼で訴えていた。
梅子も同じ部屋で寝ているらしくベットが二つ置かれていたがトイレを借りて驚いた。
 トイレの横に、小さなシングルベットが置かれていたので母親が寝かせられているベットと直ぐ解かったのだった。
帯広の梅子の住宅は、以前地下一階にエアロビックスやカラオケ室のワンルームのある地上二階建て住宅でしたが棟揚げして地上三階の建物に改造していた。
 以前の地下室の台所の無いワンルームに母親と娘の梅子が生活していたのだったが食事は、当然二階へ急な階段を登って食べていたのである。
長男 亨 は、姉の自宅には頻繁に仕事の関係で帯広へ立寄るたびに出入りしていたので良く解かっていたのだ。

  確かお盆過ぎにも姉の自宅に立寄っていたのに母親セツの気配が無かったし一階には入らなかった。
姉 梅子は、C型肝炎で人口透析を週に二回の治療していたので留守にすることから元、地下室の部屋は、窓が全て高い位置に設置されているので入り口ドワ以外は、逃走のすべが無かったのだった。
 従って、一切コンクリートが厚く解からなかったのだった。
時々二階へと姉 梅子が登った機会に母親に連絡が着かなかった理由を聴こうとしていたがチャンスが無かった。
 それで母親セツを温泉旅行に連れ出して事情を聴く事にして帯広市内から少し離れた十勝川温泉を選び一泊することにした。
ところが姉も同行すると言い出したので機会無く帰ってから深夜母親のベットにトイレに行く振りして聴き出した。
 母親セツから全財産の入った手提げを奪われ中桜田での生活していたことを聴いてからは、翌日姉を呼んで問いただしたのだった。
しかし、姉も「何も知らない。」と言い関与していない振りをしていたが「山形に行って調べたら解かるかもね。」と言い出したので長男 亨も土地や自宅の権利書と実印も盗られたことから調査に向かうことに決めたのだった。
 しかし、それにも姉が同行を求めたのだった。
何故、山形への調査を勧めたかが後に解かったのでした。
 母親セツからそれ以上のことを聴かれるのを避けさせたのだったのである。
結果的に、全て姉が仲裁に入った形で何ら取り返すことも出来ないでかえったのだった。
 その後、内容証明を出して返還を要求したが返答も無く妹 ちどりの夫の勤務先に山形県警本部の友人から手を回して当時、天童警察署長に事情を伝えて貰ったのである。
 もう歳の瀬になってから騒ぎ立てたくないので母親セツから息子 亨 は、それまでの経緯や今後のことに関して相談をしようと構え札幌と帯広を二度程往復した。
 母親セツが札幌で山形へは、二度と戻らないから頼むと言うので平成12年に母親からもらった380万円を使ってバリヤフリーマンションを借りて住む事にして正月過ぎるのを待って行動することに決めていた。
 その間に、母親セツや姉 梅子と一緒に近くにゲームへ出掛けたり母親セツの帯広へ出て酪農する前の初婚時代に耕した土地を見に行き遊んだのだった。
 その頃の元気で札幌での生活を楽しみにしている母親セツの最後の姿である。 

娘 梅子から目薬をつけても
らっている母親

 母親セツは、監禁されていたお盆まで娘 ちどり夫婦から生きるだけの食事しか与えられてなかったので痩せたが本来、糖尿病でも食事は1500カロリー以上を摂って生活していたのに、すっかり断食虐待で痩せていた。
 この平成13年12月の撮影画像の時には少し太ってきて元気にはなっていたが精神的には、娘の梅子が山形の娘 ちどりとグルだった事にクョックだったのである。
 笑顔がないのは、息子 亨 に助けて欲しいと言いたいが梅子が側にいるので言えないのだった。
歩くのが眼が悪く不都合なだけで杖を突いて歩き廻っていたのに・・・この二ヵ月後には、半身不随にさせられたのだった。 

徳洲会 山形病院・・・徳田虎雄理念とはほど遠い病院だったね 母さん!!

平成18年11月15日の出来事だった。
昼御飯に間に合うように母親セツの入院病棟へ行ったら何となく母親セツの様子が悲しそうだった。
 何時も息子の顔を声を聞いたら笑顔で答えるのに・・・その日は、顔が歪んでいたのだった。
 車椅子に乗せてから足を台に乗せて靴下を履かそうと右足の甲を見たら真っ青に変色していたのだった。
 「なにこれ。」と母親セツに問いただしたら・・・娘のちどりが母親セツに対して「婆ちゃん、11月に入ったら亨君に必ず札幌へ帰れって言えよと言ったのに言っていない悪い子だね・・・また痛い目に遭いたそうだね。」と言って帰ったら、必ず同じ扱いの荒い女が来て黙って車椅子に乗せられてから、足を踏み付けられた。」と言うのである。
 その女の声聞いたら解かるかと母親に聴いたら「無言で突然黙って入って来て抱き上げ車椅子に手荒に乗せるから解らないし顔も見せないから良く解からない。」と答えた。
 何時やられたのかと聴いたら「仕返しが恐ろしいから言えない。」と答えたのだった。
そして「抱かかえられた時の臭いが女だし太めだよ。」と言うのである。
 
 平成18年11月30日、メディカル ソーシャル ワーカー 古山 647ー3434 に相談するが、母親の話した全く詳しい状況を説明しても対応が「パイプにでも当たったのでしょう。」と取り合わないので途中で電話を切ったのでした。
 所詮、徳洲会病院から給料を受け取っている立場なので形式的な見せ掛けのもので患者側には逆に不利な立場になるので中止しました。
この事件は、平成19年7月22日の昼食事の後に、母親の部屋に搬送されてからベットに身体を乗せられてから誰か一人から足を押さえられてる時にもう一人から足の指の爪を剥されたと母親セツが状況を息子 亨に痛さでうめきながら説明した。
 この日は、日曜日で朝方まで仕事して遅くなり息子 亨は、午後から母親のところへ行ったのだった。
 7月16日までは、娘 ちどりが暫く母親のところへ立寄らなかったのに、その後は続けて息子 亨のバイクが無いのを確認してから留守の時に様子を見に来ていたのたった。
 母親セツに息子 亨 が「そろそろ何か企んでいるから気を付けた方が良いね。」と言い母親セツも「部屋にも入らないで覗いて帰っているから何かあるな。」と前の日に話していたばかりの出来事だったのです。
 母親セツの話では、「爪を剥された時に痛さで悲鳴をあげたら廊下の方で携帯電話の呼び出し音が鳴って7階病棟の阿部看護師の婦長の声がしていた。」と言うのである。
 この婦長と娘 ちどりは山形大学付属病院から深い仲で特別の関係であったと母親セツも他の患者の家族も教えてくれていた。
 
 母親セツから息子 亨 が阿部婦長が近くに居たことを聞いて直ぐ、婦長に抗議に行こうとした矢先に母親の病室へ阿部婦長が入って来たのです。
「阿部さん」と息子 亨が声を掛けると同時に「済みません、介護士が誤ってベットに足の爪を引っ掛けて。」と頭をコクリと下げて歩みよって来たのです。
 「その介護士を呼んで下さい。」と言うと「私の責任だから誤っているでしょう。」と居直るので「剥した者が誤りに来るのが常識だろう。」と言い返すと、「上司と相談して回答しますから。」と言い部屋から出て行ったのでした。
 それから一時間ぐらい経過してから阿部婦長が来て「面会室に待たせてますから。」と東病棟の面会室と案内されたのでした。
阿部婦長に続いて部屋へ入ると背の高い介護士が座っていたので「母親が女の人二人からベットに乗せてもらったと言っているのに違うしょ。」と言うと
、その男が「私は、食堂に搬送したのですが。」と言うので「阿部さん、どうなっているの。」と聴いたのです。
「それじゃあ違ってたね。」と言い、「私は、解かりませんがとにかく誤りましたから川窪さん。」と言って男も立ち上がり部屋から出て看護師控え室へ二人で逃げ込んでしまったのでした。
 それを負い掛けるようにして「とにかく痛がっているから医師を呼んで局部麻酔して下さい。」と言って母親の病室に戻ったのでした。
その後、結局医師も来ないで母親セツは、唸りながら寝ていたのだつた。
 次の日も医師も来ないし娘 ちどりも来なくなり25日になって、やっと医師が診察に来て爪の根元に少し残っていた爪を外したのでした。
母親セツは、痛さで毎晩寝られないと零していたが、息子として如何しようもなく側で見ているだけであった。
そして7月26日、息子が午前10時ころ母親のところへ行くと、「ちどりが痛い足の指を痛いかと言って握って帰えりやがったから病んで疼く。」と言って
唸っていた。
 何時来たのと聴いたら「朝来て直ぐ帰った。」と話した。
午後から阿部婦長に足の爪剥しの件で話があると言って抗議し、その会話を録音収録した。
 7月27日は、母親セツを朝食に連れて行っている間に娘 ちどりが来ていたのか花を替えて帰った跡があった。
それを母親に伝えると「馬鹿にやがって亨、その花を捨ててくれ、痛いのに業と触りやがって。」と怒っていた。
 以前にも、娘 ちどりが続けて来ていた時の最後に足の甲を太った女に踏み付けられたのだった。
今回も、同じだった。
 娘 ちどりが来て母親の剥された指を又、触りにくると思い息子が朝少し早めに行き7時に玄関が開かれるのを待って入った。
ところが29日には、6時には母親の病室へ顔を出して帰ったと母親が言うのだった。
 翌日の30日には、今度は息子 亨のアパートに入っている岩尾さんのところへ乗り込みデジカメで写真を何枚も撮影して帰ったというのである。
 そして、7月31日の早朝も娘 ちどりが母親の病室へ6時に顔だして帰った。
前の東棟の部屋と違って4人部屋なので他の患者さんの目が有るので助かったのでした。
 その替わりにテレビのイヤホーンを壊して帰っていた。
母親の話から8月1日も午前6時に娘 ちどりが来て部屋の外で覗き帰っていた。
 母親セツの足の指の包帯が取られ痛みが治まるまで時間を変えて続いたのである。
母親セツは、「我が家には魔者が取り付いているから気が気でない。」と口癖になっているのだった。
それに対し息子が「マムシから魔者に昇格したね。」とからかったのでした。 

 特別老人施設へ・・・深夜突然だった!!
その実態は?

  母親は、平成19年9月に山形徳洲会病院の母親の病室へ何時ものように早朝から行き長男 亨か午後7時過ぎたので帰った。
 しかし、それを避けて、後見人弁護士から搬送を頼まれていた妹 ちどりと元警察官の強夫婦が深夜11時頃突然母親の病室へ来て、無言で母親セツを強が車椅子に乗せて連れ出したので母親セツは、必死に叫んで助けを呼んだが看護師も誰も助けなかったと告白している。
 深夜なので「殺されるかもと思い、車椅子から自家用車に載せ替えられてからも必死に叫び続けていた。」と言う。
そして

       山形市内表東1番地
         地域密着型介護老人福祉施設(特別老人ホーム)
           やすらぎの里 金井

 に搬送され、着いたのは老人施設で入居させられたのだった。
長男 亨は、翌日も知らずに早朝から病院へ行ったところ、母親の部屋のベットが無く姿が無かった。
 驚いて、看護師に聴くと「これ。」と弁護士からの手紙を渡された。
母親が「ケムシ」「マムシ」と妹を罵り痛い爪の剥された足の親指を業と触って虐待して帰っていた妹・・・その夫婦に、この搬送を頼み、それも深夜に突然後見人弁護士が搬送させたのを息子 亨が疑った。
 母親は、毎日長男に警護されて夕食を終えて安らかに安堵に更けて寝ていたのに・・・・突然の出来事に精神的にもさぞ驚いたことだろう。
母親セツが妹 ちどりのから散々痛い目にあっていることを、長男が裁判所を通して報告しいたのに。
このような精神的な虐待行為を堂々と妹夫婦を使って搬送させて後見人弁護士として許されることでは無い。
 母親セツと息子 亨が逢った時に、声を聞きつけ直ぐ大粒の涙を流しながら語った。
   「真夜中に、突然来たので如何したかと思ったら、何にも言わずに抱かかえられ車椅子に載せられた。」
   「何処へ連れて行くのだ!!」と聴いても一言も言わずに運ばれて車に乗せられた。
   「このまま何処かに連れて行かれて殺されると本当に思った。」
   「着いたところが真っ暗で何処か判らないが、凄く恐ろしくて朝まで寝られなかった。」
   「朝が明けても、老人ホームと判っても誰もいないので落ち着くまで恐怖で脅えていた。」
 と息子に訴えた。 
  この山上弁護士と初めて逢って母親セツの資産譲渡の際に、公証人から指示され実印を改印した物を届けた時だった。
 母親がお世話になりますと言った途端、「君は我々の敵だからな、言われた時間に来てくれよな。」と言われたのだった。
常識として約束時間の10分前に事務所前に行き少し待って入ったのにと・・・弁護士の人間性を感じ取ったのだった。
 案の定、家裁の「家族関係の調整」調停の際にも、長男 亨に対して「君には金も無いから弁護士も使えないだろう、私がお父さんの方の他の資産関係を調べてやるから任せて欲しいね。」と言って何の連絡も無かった。
 それも修習生を三人も調停に連れ込み母親セツの代理弁護人とは、思えない態度で娘 ちどりの代理弁護士への追求も全くしないで帰ったのでした。
 当然、葬儀の玉串料問題など全て母親セツに代わって長男が報告していたのに呆れていたのでした。
その後、事務所も山形の市内の外れから急に高価な裁判所近くのビル街に事務所を構えたと聞き又、娘 ちどり夫婦が根回し工作したなと感じました。
 母親セツが認知症でない証拠に、母親の収録テープをダビングして何本も事前に送っていたのに一度も母親セツと接見にも来ない後見人弁護士だったのでした。
 山形の弁護士で選任弁護士って金弦の持ち回りなのか裁判所も疑うのです。
広大な敷地に
建てられた
たった29名だけの
特別老人施設
有り余るスペースに
29名の入居者が
多くの介護士や看護婦が
登録されて交替で介護され
ている。
 しかし、実際の内容は
少数で賄い高額な入居費を
取られ国からの補助を
受けていた。
二箇所の入り口が有って、通常は正面の中央玄関から
特別老人施設に入る。
玄関に入ると正面に、事務所が有って事務員が必ず
対応し、誰に面会するのかを記載し署名する。
その後、母親の場合は、真っ直ぐに伸びた廊下を進むと
第一回目の施錠してある扉が有って、更に次の第二回目
の施錠してある扉に出会う。
そして、更に進むと第三回目の施錠してある扉に出会う。
何れも扉は、自動施錠装置で一連に施錠が開くように
なっている。
中からも外からも暗証番号を機器に入力しなければ
出入り出来ない状態になっている。
従って、勝手に入居者を出入りさせたり外部から
出入りは、一切出来ない状態であった。
各扉に向かう手前には、それぞれの施設への
廊下の通路になっていた。
母親の部屋は、約6畳の洋間で入り口の左手に
直ぐ、トイレが有り、突き当たりには窓が一つ
設置されていた。
その窓に添って母親がベットで寝せられていた。
先月から虐待していた娘の○○○が液晶テレビを買って
措いてあった。
私が補聴器や目薬などを措いて帰ったら必ず妹が
来た時には、業と枕元の洋タンスに隠されていた。
ラジオを母親に聴かそうとして帰ったら必ず
片付けられていた。
テレビが有っても母親は、自分で立ち上がれない
自由にテレビは観られない。
ただの飾りであった。
母親は、まだ確りしているが以前より
物忘れが多くなっていた。
妹は、出来るだけ孤立させて母親が
早くボケるのをただ待っているだけだ。
・・・・・・・
母親は、「札幌から土地売りに山形へ出掛けたのが
間違いだった。」と後悔していた。
平成20年07月09日午後2時10分ころ )

 
 長男が通うのより更に遠い山形市から寒河江へ向かう途中の金井と言う場所に特別老人施設は有った。
 まだ新しく新築されたばかりの施設で、たった29名の入居者に対して数十名の職員が交替で働いていた。
 母親も含めて全ての入居者は、カプセル型と称する個室に入居していた。
母親の部屋に入ると母親が、「亨か・・・来てくれて良かった。」と涙を流した。
 「ちどりの野郎が勝手に真夜中来て病院から、ここに居れたのでもう亨と連絡取れないと思った。」と怒って言った。
 「助けてくれと騒いでも誰も助けてくれなかった。」と母親は興奮してなかなか話が止まらなかった。
「証人で話したかったのに裁判官も信じられなくなったなあ・・・亨よ、死んでも死煮きれない。」と最後に叫んていた。
 泣きながらの叫んでいた母親セツだった。 念のために長男が母親セツの足を確認したら元、警察官 強 が担ぎ出す時に乱暴に扱ったらしく擦り傷が残っていた。
母親が最近「目まいがするので裁判官や皆さんへ何とか知らせて欲しい。」と私に嘆願し始めました。
それで今まで何回かビデオ動画収録しましたが、今回特別に94歳の誕生日なので
収録した母親の元気な様子と実娘である元警察官夫婦の虐待状況を
母親が証言しているので動画で公開することに致しました。
母親の証言の一部
母親が年齢を嘘のデタラメ言う理由の証言 MOL00A
母親が札幌で息子 亨 と暮して居た理由の証言 MOL002
娘夫婦から母親や父親が監禁断食など虐待されていた状況の告白証言。 MOL009
母親が娘夫婦からの監禁断食で「殺される」と感じ嘘を言って帯広へ逃避した。
しかし、帯広に逃避した時に札幌の息子 亨 と札幌で生活する予定が
山形の娘 ちどりから「札幌へ行っても必ず札幌でも何処でも一人で居る時に行って
殺すから覚悟してな。」と脅された。
「恐ろしく止む無く札幌へ行くのを辞めて山形へ引き戻された。」とははおやが証言している。
MOL008
母親が糖尿で眼が見えなくなって倒れた平成3年2月17日深夜の事件。
母親が看護師が帰って自宅で寝ていた時に娘 ちどりが突然一人で実家の自宅に入って来た。
 寝ている母親が枕元に置いていた全財産の入った黒色の手提げ。
それを狙って盗ろうとしたので、気が付いた母親が怒った。
手提げの紐の部分を引っ張って盗られないようにしていたら手を叩いて引き毟り強奪して立ち去った。
娘は、「腐れババ早くくたばれ。」と捨て台詞を残して逃げたと母親が証言している。
MOL004
母親が認知症でボケた振りしている理由。
もし母親が他界した時には、「絶対に殺そうとした娘夫婦など葬儀に呼ばないで欲しい。」と言う。
息子 亨 から強与されて、これらの証言していないと母親の証言。
MOL00E
母親の所有するアパートに関しての母親の証言。
母親が息子 亨 の為に建てたアパートであることの証言。
過去に母親が倒れてからの「17年間の家賃を、娘へ 亨 へ渡せ。」と言っていたの渡さなかったことの証言。
MOL00D
監禁され娘夫婦に「全財産の名義を変えて渡せ。」と脅され公証人役場へ連れて行かれた時の状況証言。
父親も同じに監禁されて公証人役場へ連れて行かれたと言っていたことの証言。
MOL005

ニャンコ先生こと、長男 亨の一言

 
  恐ろしい世の中です。
最近、親族間での殺人事件や我が子を保険を掛けて殺したり逆に両親を子供が殺したりと殺伐とした事件が多い。
 しかし、この事件のように現役の警察官が拉致監禁や断食するなど親族を虐待する事案は少ない。
この世の中でたった二人だけの実の兄と実の妹なのに、このように長男へ実家明渡し請求の裁判とか兄の借家を保証人に成り済まして勝手に全損壊させる器物損壊などと我が家に措いても平穏な状態では無い。
少なくても40年前には全く考えてもおりませんでした。
 私だけならまだしも実の母親や実の父親まで監禁した上に断食までさせる行動に当時現役の警察官の夫まで荷担していたことは、許せません。
 それを隠蔽した天童警察署や山形警察署も絶対に許せない。
その意図もあって、このHPを立ち上げているのです。
大和民族ではある時代から何処でも家系の後継ぎの長男が比較的に優遇されていることは事実です。
 私の父親も、その長男に対して異常な競争心を持っておりました。
わざわざ帯広の高騰直前の農地を安く叩き売りしてまで山形に押掛け長男が後継ぎしていた神主を始めたのでした。
私の妹の夫 元警察官もサクランボ農家の次男坊である。
父親も又妹夫婦もそれぞれの長男に対しての言葉の端端に何らかの違和感を感じる言動を必ず残していた事を私は、係りあった時点から
感じておりました。
 妹の夫もサクランボ農家を後継ぎした兄から500万円を親の相続財産として取った話を聴きました。
幾らサクランボ農家と言えども現金500万円を親の土地を受け継いだからと支払うのは大変だった事でしょう。
 私の父親も金銭には、昔から抜け目無く細かい商業高校上がりの人間でした。
その点、母親の方は、小学校しか出ていないが太っ腹でいざこれぞと思う勝負に大金額を掛ける事業家タイプの方でした。
 今回の裁判沙汰で問題になった実家建物の出資に関しても実際は、全て母親が支払っているのが事実であった。
それを父親の陰謀で業と300万円を母親から借りて措いて返済は、建物の支払時に分割で支払うことに謀ったのでした。
山林も全て母親に支払させながら登記は、父親が勝手に自分の名義にしていたのです。
 そして、その父親の更に上前を跳ねて除けたのが元、警察官妹夫婦でした。
父親の預金を「亨君が多額の借金をして破綻しているので名義を変えなければ親子なので負債を負うことになる。」と騙して搾取し「無一文になったも心配無い私たちが世話するから・・・。」騙して老人ホームへ叩き入れたのでした。
 父親の私への最後の言葉が「亨、ちどに騙されて全部盗られた。」でした。(妹 ちどり のことを「ちど」と呼んでいた。)
幸に、脳梗塞と言っても軽く母親からゆっくり聴きだす時間が持てたので一切の事情が解かることが出来たのでした。
何より私は、この今日で平成21年の誕生日で・・・94歳の母親に感謝しなければなりません。
 これが平成14年の断食虐待で他界していたならば一切隠蔽されていたことでしょう。
これまでの母親の録音テープや動画ビデオから母親の証言には、一貫して揺らぎが有りません。
 妹は、録音テープの中でも「まだ死なないで生きているだけ有り難いと思え。」と母親に対して堂々と言っております。
こんな金の為なら親も殺しかねない極悪非道な人間達を許す訳にはいきません。
この父親利雄・・・殺人者の心には時効ではありません。
 母親に替わってのこれからの闘いです。  
 
  


母親と隼人

  5月3日に、隼人と一緒に母親に逢いに行きました。
天候に恵まれて前回の時には、母親が目眩するのが恐ろしくて隼人と行ったのに逢いませんでした。

 昔、母親が帯広で農家をしていた時に隼人と似ているシェパードを飼っていたのですよ。
母親の犬好きは当時近隣でも評判でした。

 犬が何回か死んで替わりましたが「テコ」と名付けてましたね。
どの犬達もお利巧なワンコでした。

 幼いころ息子 亨が、犬小屋で犬と一緒に寝ていたことから近くの川に落ちたと間違われて
大騒ぎになりました。

 警察から消防団などが川の捜索をしていたのでした。
それは、靴が川で遊んで置いたままで裸足で帰り疲れて犬と寝てしまったので川ざらい騒ぎ。

 シェパードの大型犬なので三歳の身体は犬の陰に隠れて皆さんは、気付かなかったのでした。
その犬と隼人が似ているので、思い出もあって今回、愛護団体から番犬として引き取ったのです。

 母親も隼人を見て「テコ」にそっくりと喜んでたね。
「ココちゃんも良いけれど大型犬が好きだ。」と言ってたが大き過ぎて・・・・ちょっと寂しそう。

 丁度、当日近くの町内会の子供達が老人施設への慰安イベントで
来てて母親と一緒に施設内で開催されてた御輿祭りを観ました。

   


車椅子を亨が押して
御輿祭りの見学
母親と隼人 ココちゃんと犬が好きな母親セツ

母親セツとココと息子がお散歩ところが・・・・突然、危機一髪
魔者が車で轢き殺そうとしたのだ!!

2008年7月28日11時20分44

 左の画像は、母親セツと車椅子で施設の敷地の裏の駐車場近くまで散歩して、ココを母親に抱かして始め敷地の北の水田を背景に携帯デジカメで母親を写した画像。
 そして、母親を移動し施設を背景にして写している時に、突然二人の間に娘 ちどりがスピードを揚げて左手東から自家用車で母親と息子亨を目掛けて向かって轢き殺そうとした。
 息子 亨が気がつき「危ない。」と叫んで母親とココの車椅子との間隔を飛び下がって広げた。
明らかに息子 亨を狙っての運転でフェンスギリギリに飛び去って助かりました。
中央の画像は、その時にシャッターを押した画像が中央である。
その後、直ぐ母親の車椅子を施設の路へと押して逃げたので無事だった。
 その後、娘ちどりは行き過ぎたので息子は、母親の車椅子へと走った。
娘ちどりが自家用車をバックさせて来て停止し運転席側の窓を開けて「何楽しんでる、この早くクタバレ婆。」と怒鳴って又、運転して発進し去ったのでした。
亨 が娘 ちどりの自家用車の助手席側に回って母親達を回避した後に撮った画像である。
 この見舞いの帰り山形警察署に事情を訴えたら「轢かれてから来て。」と追い帰されたのである。