事件NO001
の 2
遺産問題
動物虐待
極悪事件

嫁いだ娘夫婦が親の資産を奪い盗る為に実兄に
破綻陰謀工作 !!
兄、ニャンコ先生が札幌で保護した犬猫を惨殺虐待し
「虐待保護」と月刊記事やヤラセテレビ報道事件

事件1
の1

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動物虐待ヤラセ事件の概要


  この事件は、北海道の札幌市に居住し山形市に実家のある長男 川窪 亨 が公務中の放射線被曝事故で警察官を依願退職し探偵社と警護会社を経営しながらボランティアでの動物愛護団体の代表者として犬猫保護施設を創設し活動していた時での動物虐待事件である。
 昭和50年 札幌で母親セツと暮らし道警機動隊を依願退職した後、放射線被爆治療がてら喫茶店を息子 亨 は開業し 母親セツが札幌にマンションを新築する目的で山形に所有していた土地や貸家の売却し資金作りのためにむかったのだった。

 しかし、実家の夫や山形市内へ嫁いだ娘の陰謀で土地などの売却を妨害され札幌に直ぐ戻れなくなったのである。
その帰りを待っていた長男が喫茶店から過去の経験を生かして探偵社と警護会社を創設し待っていたのだった。
その探偵業務の一環として「ペット探索」を北海道で始めて事業に組み込んだ。
その為に、誤って捕獲した犬猫に対しての保護施設が必要になった。
止む無く手間が掛かり利益の無い業務から奉仕的なボランティア活動に切り替えたのてした。

 その動物愛護団体名を、北海道犬猫救護センター「ニャンコ先生の家」と名称し掲げたのが始まりでした。
札幌市内から約50人のボランティアさん協力者を集めて保護施設を運営しテレビ放映や北海道新聞社の発行雑誌の「ペット便利帳」にまで掲載され多くの全国の皆さんから御支援を受けてました。

 当時、札幌市中央区の特定郵便局のビル3階を本社の事務所とし、他に北海道内に3支所と東京池袋に支所1ヶ所設けて探偵業も全道でもトップクラスに入り警護業務ではトップで事業反映していたのだった。

 探偵業では、張り込みなどの際に措いて野良猫や地域猫を利用し大変調査員が助けられているのです。
路地の見透明しの効かない場所での張り込みでも、その曲がり角に細かいエサを撒いて野良猫などへ与えて措くと誰かが近寄ると逃げるので事前に把握できるのでした。
 その普段世話に感謝の意もあって犬猫保護施設に利益に一部を当てさせて戴かせてもらっていたのです。

 しかし、その間に実家の母親セツが嫁いでいた現役警察官の夫と資産を持つ母親セツから財産を強奪したり監禁して
北海道へ戻るのを妨害した上に、札幌の長男 亨 に対して破綻工作を謀ったのでした。

 その手段として狙ったのが、この犬猫保護活動している実兄の犬猫を虐待しマスメデアを利用しての破綻への陰謀を企んだのでした。
 その手先で雇ったのが、夫の警察官の立場を利用して頼んだ水戸市の 荻谷昭男 と言う暴力的な男を使ったのです。
動物愛護団体 北海道犬猫救護センター「ニャンコ先生の家」の代表者として、先頭に立って活動していた
              ニャンコ先生こと、川窪 亨  で、実の兄
 探偵業や警護業を破綻させる為の手段として、全国から批判を負い仕事が入らなくする方法としてこの愛護団体を
的に陰謀したのでした。                
 この雇われた男が、娘 ちどり夫婦から金で頼まれ水戸から指示し保護されて平穏に暮し施設に保護されていた多くが犠牲になったのです。
 最初は、「北方ジャーナル」の嘱託記者 小笠原 淳 を利用していたが昼間からネタを利用して飲酒しているアルコール依存症の男で、自動車運転免許も無くした者では使い者にならなかったのでしょう。
 酔っているのでニャンコ先生に、この小笠原 淳 が「ざっぷり親から盗った金の成る木を捕まえたので、俺はこれから飲みたいだけ毎日酒飲みながら稼げるぞ・・・ニャンコ先生よ。」と喜び、「今度、俺が払うから一緒に飲み行こうよ・・・ニャンコ先生があっちこっち逃げ回って動いてくれないと金にならないから分け前遣るから頼むよ。」と言われたので山形を調べたら
山形に取材に行っていたことがわかったのでした。
 その金儲けの口に、ネットで嗅ぎつけて水戸市の荻谷 昭男が刺さり込んだのでした。
煽られ手を貸したのが北海道庁の自然動物課や動物管理センター、そして北海道獣医師会なのです。
その裏には、ニャンコ先生こと川窪 亨 が有珠山噴火災害に措いて被災動物の実態を暴露したり全国からの多額な被災動物への支援金を、それらの者達が分け猫ババしたのをネット公開したからでした。
 

 当然、そのネタを利用して動きテレビ局までニャンコ先生を出させて裏で脅していたのでしょう。
某広域ヤクザと関係している荻谷昭男だから、現職警察官の 武田 強 が目をつけたのです。

 母親セツ側の兄弟の親戚の夫婦が北海道で事業に失敗し山形に母親セツを頼って逃避してきていたのですが、その就職を世話しているのです。
 その全国チェーンのパチンコ店は、警察で警備関係の仕事をしていた 武田 強 が対象者として扱っていた者で利用して情報を売って恩恵を得ていたのでしょう。
 ニャンコ先生にも山形では、仕事が無いから某パチンコ店の景品替えで友人だから働くと良いと言われていたのです。

 水戸市の荻谷昭男もパチンコ関係に係っている一人でしょう。
この男の他にも数人の者が金で雇われているから札幌で次々に、放火からバンクまで色々なことが父親 利雄の預金通帳から卸されているころから勃発しているのです。

 金欲は、夫婦揃って似たもの同士で結婚当初から両親から無心していて、母親セツの10年間の日記状況からも明白で異常なほどでした。
 ニャンコ先生は、道産子で絶対山形には帰らないと親戚関係者などに言っていたので突然、実家へ入り込んだので証拠を処分してなかったのでした。
 「母親や父親が他界したら死人に口なし。」とのんびり構えていたのに・・・母親セツに全部暴露され兄に知られたから焦ったのでしょう。

 それまでに事業を破綻させなければならなかったのでした。
親戚から隣り近所に「兄が事業に失敗して多額の借金して行方不明だから、仕方なく私たちが両親を面倒みなければならなくなった。」と言い触らしていたからなのです。

 ここで突然現れて母親セツを札幌へ引き取られたら「鳶に油揚げ。」と実際に、山形から帰れと喚いた時に「17年間も父親や母親を世話して面倒を見て来たのに鳶に油揚(トンビニ アフアラゲ)だ。」と葬儀で親戚に言っていたのでした。

 親戚関係者も娘 ちどり夫婦に騙されて冠婚葬祭に一切顔を出していないし信用しているの、母親セツが山形へ土地を処分に立寄った時の前から綿密な策略を立て計画的に謀って進めてたのでした。
 この平成12年の有珠山噴火被災動物への支援金猫ババ事件以降から、インターネットでの誹謗中傷から徐々におおくなったのです。
ことに、会員制システムで多額の募金集めしかしていない全国組織の偽装愛護団体からの誹謗中傷が酷くなりボランティアが集まらなくなって施設の維持管理も難しくなったのでした。
新篠津村から施設も札幌へ分散して戻し、又保護施設を移動することになった。
その移転に際し、丁度山形の妹夫婦が遺産相続での回答を求めた手紙が来ていた時期で保証人を引き受けてもらったのが罠だったのです。
 このころから既に、実家では父親の財産のスーパー定期預金を娘夫婦は、「札幌の亨君は、多額の借金で破綻して行方不明だから親が被るので名義を変えないと債務者に取られる。」と騙し盗って全く長男 亨 との連絡が付かないことになっていたのだったのです。
 
 それを知らずにニャンコ先生は、妹に簡単に引き受けて貰い感謝して豊平区霊園駅近くに床の抜けている古い家を不動産紹介で池田と言うヤクザ系の家主と逢うこと無く借りた。
この場所は地下鉄から三分と近いけれども既に床が抜けて雨漏りする欠点から何年も借り手が無く放置していた家であった。
当然、名刺も不動産業者に犬猫の飼養も治療などをすることの許可を得て契約書であった。
 しかし、1ヶ月経過したころから直ぐ頻繁に110番通報や大家へからの近隣の苦情が来たとの電話が何度かあった。
そんな何者か特定の電話から110番での嫌がらせが始まったのです。
近隣の人からの話から、「この借家の大家さんは問題でヤクサ系の人で早く出る方が利巧だよ。」と教えて貰ったので
別に施設を探し出していたのでした。
 そこへ三ヶ月近く経過してから「大家だが、床や雨漏り直す金を出して出れ。」と真っ赤なボルボを横付けして怒鳴って入って来たのでした。
赤い靴を履いて現れて来て、「お前とは話にならない保証人から金取る。」と言い妹夫婦と連絡取り合ったのです。
その後、直ぐ勝手に妹夫婦が相談も無く大家に60万を支払処理したと言って連絡が来ました。
 しかし、このチャンスを利用し又妹はニャンコ先生に対し「何処か探したら保証人になって遣る。」と言い次の保証人もなったのでした。
又、次の不動産屋の紹介した借家も家主が壊すほどの雨漏りする家だからと貸した家だった。
それから半年も何事も無く平穏に治まり施設として貸した大家も借家庭に来て「可愛い犬が欲しい。」と見に来ていたほどでした。
 ところが、又突然、同じ人から110番通報が一日10本も苦情が来ていると通知を警察から受けたのでした。
ここでの保護施設は、ボランティアも多く毎日掃除が行き届き事務所としても兼務していたのです。
周辺の環境も隣近所が周りが駐車場の為に犬猫の騒音も臭いも一切しないのに苦情が来たと聞いて驚いたのでした。
そんな時期に、大家の弟 小林 と名乗る電話で借家の土地にアパートを建てると言って来た。
「姉との契約は、無効なので家賃を姉に払わないで欲しい。」言われ立退きを要求して来たのでした。
 そのことを直ぐ大家に電話したところ、「今まで通りに支払って欲しい。」と言われたが、ニャンコ先生は、家賃を分割にして様子を見たのでした。
 その後から、急に大家が態度が変わって来たと思ったら犬猫の苦情からの「建物明渡し請求」の訴状が届き公判での争いになったのでした。
 裁判では、何故か山形の保証人 ちどりと大家の間で勝手に和解となり「犬猫保護施設を見つけて、引越しが全部終わったら鍵を渡す事。」の内容で終結し話が決まったのでした。
  そして借家を私が出張して留守していた間の12月9日に建物すべて全損壊し破棄されたのでした。
12月3日に犬猫だけを移動した後だったので他の全てを失いました。
 その後、聴き込みから何故か保証人 妹が、借家の大家と何度も逢っている事実の情報が入って来ったのでした。
その後の調査から、妹から「150万を支払うから壊して欲しい。」と大家に頼んでいたことが判った。
私は、全ての家財道具と探偵機器や警護機材にパソコンとデーターを失った。
 当然、ニャンコ先生は探偵や警護の依頼者に対し報告など不可能になり違約金の支払が生じ破綻したのでした。
 こんな事から、母親から貰った380万円も無くし、それ以上に支払に借金を抱えた。
それから仕事が機材も無くし家出人や盗難車の探索などの仕事が中心になったのです。
必然的に社員も減らし収入も少なくなり、保護している犬猫のエサ代に支援も無くなり困ったのでした。
札幌市の大通りで街頭の寄付金集めながら止む無く盗難車や家出人の探索活動を兼ねてました。
 更に、犬猫施設を南区の藤野へ移動しても110番苦情が多く特定の人からであることが解かったのでした。
やっと、妹 ちどりが意図的に工作陰謀が判明したのでした。
当然、家主への苦情から引越しを止む無くされた。
札幌市から離れ北広島市のトタンの作業場へと保護施設を移動する結果となり多くの猫達が逃げ出し行方不明になりました。
 しかし、そこも半年で積雪から潰れたことで札幌市内の盤渓に引っ越を止む無くされたのでした。
そこの場所を探した発端は、ネットからの紹介から以前保護活動で知り合い「盤渓そば屋」がボヤで飼っていた犬猫を引き取ったことから、そのそば屋の娘さんが借りていた借家であった。
しかし、その建物は空家で水道もなくボンプも故障で近くの沢の水を使用している状態で生活のできない状態であった。
既に、外壁も剥がれていたり雨漏りもしていた壊す予定の家だった。
その借家をそば屋の娘さんから股貸しの形で一万円で借りて新たに保護施設にしたのでした。
 この時期の平成16年秋ころから
水戸市の荻谷昭夫こと「遠くのご隠居」がネットの掲示板に現れたのでした。
 平成14年12月頃から既に「北方ジャーナル」と北海道だけの月刊誌の嘱託記者 小笠原  淳 と言う無免許の酒好きの男がニャンコ先生に付き纏っていたが、その荻谷とも繋がっていたのでした。
その記者 小笠原 の誹謗中傷の記事に誰にも渡してないニャンコ先生の山形の実家に置いてある中学時代の写真が渡され使われたのでした。
 山形でニャンコ先生の妹夫婦と小笠原 淳 が逢っている確証を掴み全て、陰謀工作していたことが解かったのです。
その後、それらの者が勝手に施設へ入り込み保護されていた施設の犬猫が撲殺されたり虐待を受けたのです。
それを「虐待保護で寄付金を集め金儲けしている。」とか「仕事もしないで無断で他人の建物を占拠して犬猫を食い物に生活している。」とか誹謗中傷の記事を月刊誌に投稿したりテレビ局へ売り込み破綻させたのでした。
 このヤラセ報道を買って取り扱い放映した日本テレビ局員にも問題があります。
 そして協力していたボランティアさんの職場へ乗り込み嫌がらせしたり又、預かっている犬猫を撲殺して損害賠償を煽ったりあの手この手で攻め立てた荻谷や多くの荷担していたNPO組織の保護施設も持たない偽装詐欺愛護団体を叩くべきです。
  この裏で操り多額の寄付金を利用している暴力団は排除すべきです。
 この事件では、札幌市白石区に居住していた犬の保護依頼していた女性に「俺の女になって川窪の情報をすべて教えれ。」とアパートへ乗り込み脅した上に身体障害者を殴る蹴るして水戸市から荻谷昭男が傷害で札幌白石警察に訴えた事件まで起こしてます。
 この男は、更にニャンコ先生の裁判公判中にも出頭させない為にする目的で待ち伏せ拉致を謀っていたのでした。
 後に、水戸市から札幌へ乗って来たRV車のトヨタランドクルーザーは、妹 ちどり夫婦からの受け取った金で買っていたことが調査から判明している。
平成17年10月、実家山形の状況が心配になりニャンコ先生が山形へ来て全ての妹 ちどりと当時現役警察官 強 二人の極悪非道な行為を父親 利雄と母親セツに聞かせられたし、又山形でも同じ行為を重ねていた事実が解かり幸でした。
 しかし、父親 利雄は、ニャンコ先生が平成14年12月9日に借家全損壊事件で刑事事件として器物損壊時効の3年目の平成17年12月8日までに札幌地裁に損害賠償訴訟を起そうと準備していた矢先の12月3日、当時「さくらパレス」の老人施設の個室で元気にニャンコ先生と午後3時45分ころまで会話してたのに入れ替わりに娘 ちどりが入り込み2時間父親 利雄と居た後で帰ったが、その30分後には呼吸不全で不自然な他界していたのである。
母親セツは、その話を聞くなり「何時も余計なことを喋ったら口を塞いで殺すから覚悟していれ。」と脅していたとおりだなと
ニャンコ先生に言ったのだった。
 このように実の両親から財産を強奪し、更に長男が札幌で動物愛護活動をしていることを狙って、その犬猫施設の保護されている犬猫を惨殺させ、それを「虐待保護」とヤラセ記事を雇った気者に書かせて月刊誌に掲載させたり・・・実の兄の事業を破綻させる為に裏工作していたのだった。
 たった、この3年間で多くの保護されていた犬猫が犠牲になりました。
ニャンコ先生の母親が監禁されると同時、札幌の「ニャンコ先生の家」にも崩壊工作を陰謀していたのでした。
平岸高台保護施設までの平穏に保護されていた犬猫の暮らしを毟り盗ったのです。
 皆さん、良く画像を検証し比較して下さい。
痩せてもいない犬猫が惨殺されてる姿を・・・・今は、画像を修正でき可能でも限度かありますね。
有珠山噴火災害でのNHKが北海道獣医師会主催で集めた募金までニャンコ先生が猫ババした報道をしてます。
 保護施設も無いで募金だけ集めている多くのNPO動物愛護団体が、保護施設の持っている真の活動している団体の愛護者を相互支援するのでなく逆に崩壊させる支援や募金集めの利権闘争なのです。
皆さんの動物への支援金をヤクザ集団がペットを利用して金儲けしているのです。
何でもするのが最低の野蛮な人種です。
 この二人の「老人虐待」や「動物虐待」を荻谷昭男を使ってさせていたことは、絶対に社会的にも許されません。
現在もインターネット上のホームページで誹謗中傷した専用掲示板を公開続けているのですが、多くの皆さんが実態を御覧になられて社会的問題化されるようにニャンコ先生から協力お願い致します。
年代年号 事 案 状 況 結果や処置
1978年
 昭和53年
探偵社開業
ペット探索
依頼受理
 ペット探索業務の中の張り込みにおいて野良猫や捨て猫の多いのに驚かされた。
 警察での張り込み方法と違って交代時間が長いので・・・それらの地域猫達へ多くの猫愛護の人がエサを与えていることが把握できた。
 地域猫へエサを与えている愛護集団と知り合う機会が多くなり、又それらの愛護家からの情報が重要なポイントになった。
 その地域地域で猫達の集会所を把握し餌付けしている愛護家の協力者を作り情報入手網を築いた。
 
1979年
 昭和54年
札幌中央区
西シェルター
中央区西屯田電車通り周辺の地域猫シェルター愛護家との接触し西シェルターと呼んでいた。 某古いアパートの部屋に数匹の地域猫シェルターを保護している愛護家と知り合い相互間で協力支援体制を整えた。
1980年
 昭和55年
札幌中央区
東シェルター
中央区東屯田通りに古いアパートを借りて誤って捕獲した黒猫を保護することにした。
 そこを探偵社の一時的な捕獲保護施設にした。
 東シェルター南10条西8丁目に開設
最初は、特徴の判別が見分けられない黒猫ばかりの保護であったが、徐々に西シェルターからの預かり猫達や迷い猫などが加わり10匹前後の保護になった。
里親活動開始 10匹以下にしなければ掃除が大変なので里親募集や迷い猫のビラ張り活動を開始した。 犬の行方不明は、依頼されても発見されるが猫の探索は難しく猫シェルターが中心での活動になった。
松田ビルでは事務所に捨て犬「シロ」を飼った。
1983年
 昭和58年
南9条ビル
事務所
西屯田シェルターが立退きで壊されることから止む無く西シェルターへ一部預からしてもらい残りの猫を事務所兼住居のマンションへ移動し保護した。 犬の「シロ」は、マンションベランダを利用し飼養した。
1985年
 昭和60年
パレスマンション
保護施設
猫シェルター兼自宅として一部の猫を保護した。  この頃から「ニャンコ先生」と呼ばれるようになり多くの犬猫に関しての相談やマスメディアにも取上げられ忙しくなってきた。
 他の探偵社が一切ペット探索業務を扱ってないことやペットブームで犬の探索が増加した。 
1988年
昭和63年
南10条郵便局ビル
事務所
事務所に猫5匹程度残して他の猫は、西シェルターを中心に保護しボランティア協力者を増やしてエサ代全ての支援をすることにした。 この頃からペットブームでの捨て猫犬が多くなり本格的な保護施設が必要になった。
 西シェルターと他に、徐々に豊平区美園の愛護家のシェルター、中の島の愛護家のシェルターと連携し保護猫を分散した。
1994年
平成6年
テレビ放映から
動物愛護団体
ペット探偵として二箇所のテレビ局で放映されてから相談や探索が増加しだし他の業務に支障が出て来て、ボランティアの動物愛護団体としての活動に切り替えた。
北海道犬猫救護センター
     「ニャンコ先生の家」に改名。
 調査員を犬猫探索の為に人員当てることが困難になり、ニャンコ先生の個人的な愛護活動とした。
1995年
平成7年
豊平区平岸に
保護施設設立
古い一軒家を全て犬猫保護施設として使用し、治療行為も始めた。 古いアパートと繋がった一軒家で耐震法から新規の居住が禁止されているアパート兼住宅の古家を保護施設として借りた。
1995年
平成7年
ドックレスキュー
北海道
問題
苫小牧市の無職の中村氏がテレビ放映を見て苫小牧港の捨て犬を数匹餌付けし、犬を見世物に募金を集めて生活する為の活動開始した。  樽前山の山林に中村氏の犬が繋がれ真夏に水を与えてないで虐待飼養している苦情相談情報から確認に行ったところ、事実だった。
 募金収入で飲酒しエサや水も与えてないことが多いことが判った。
1996年
平成8年
苫小牧市の駅前から札幌大通り公園での募金活動に変った。  中村氏は、大通り公園で数匹の犬を放しての募金活動で糞の始末もしないで帰り、札幌近郊の橋の下などで飲酒しホームレス生活をしている事が判った。
1997年
平成9年
 中村氏が定山渓の山林を借り犬の保護施設を多額の協賛者が現れて創った。  最初は、多くのボランティア協力者で保護犬も増やしエサなども与えていたが、やがて募金収入で飲酒していることが支援者に知られて誰も協力しなくなった。
 犬の保護数も50匹前後になり「虐待保護」と批判が高まりニャンコ先生への相談が多数来た。
「猫だすけ」団体との
問題
 東京の動物愛護団体「猫だすけ」とネットで係り、「猫だすけ」の活動内容に疑問視し係りもつ。  昭和60年ころに日本動物愛護協会が犬猫の保護施設を一切持たないで企業から多額の募金を集めて会員が生活収入にしている事がボランティア会員から暴露された問題が有ったが、この全国組織でネット利用し「猫だすけ」が募金だけ会員集めている事がボランティア協力者からの情報で発覚し、実態調査に当たったところ事実であった。


年代年号 事案 状況 結果や処置
1998年
平成10年
平岸保護施設と
別に
新篠津村に
保護施設を分散
 石狩新篠津村の離農農家の住宅をボランティアのDOMON(土門)がネットで見つけて平岸施設と美園、中の島シェルターの犬猫を纏めて移動した。
後、DOMONが猫だすけのスパイと判明。
犬猫の保護飼養数に都会では、限界が来ていると判断して札幌から約30キロの新篠津村に施設移転した。
 移転後、直ぐ多くの女性ボランティアを連れてDOMONが去り「猫とあそぼう」の猫だすけ北海道支所を創設した。
ドッグレスキュー北海道との
トラブル
大通り公園での場所争い  ニャンコ先生は、早朝6時から大通り公園のゴミ拾いとコンビニ弁当の期限切れをホームレスに分配する為向かい、その後、里親募集や募金集めと本業の盗難車監視を兼ねて、更に探偵調査員へ指示と犬猫の救護の為に待機をするのが毎日の日課であった。
 しかし、中村氏が午前11時頃から大通り公園に来てニャンコ先生の車両前に駐車し募金活動を二日酔い状態で始めバックして車両事故をお越し問題になった。
 中村氏は、ニャンコ先生から発進して当てたと主張したが目撃者から逆転したトラブル発生。
名誉毀損
訴訟事件
中村氏が「虐待保護」している事実に
対し名誉毀損で訴訟起す。
 ドックレスキュー北海道の施設内で犬が餓死か解からないが死んでいる通報から調査し事実をビラで公開したところ、札幌簡裁へ名誉毀損で訴訟を起した。
判決は、逆に環境や飼養問題で施設の飼養改善を中村氏に指示でニャンコ先生側には無罪。
1999年
平成11年
北海道新聞社
ペット便利帳
掲載
新篠津村の「ニャンコ先生の家」で取材
ペット便利帳の雑誌に掲載された。
この頃から夜間保護施設から預かり犬 ダックスフンドなどが盗まれたり電牧柵が切られて犬猫を逃がされたり嫌がらせ事案が起き出した。
平岸霊園駅側
池田保護施設
2000年
平成12年
平岸高台犬猫保護
施設設立

霊園駅犬猫保護施設から引越して古い一軒家を借り施設を設立した。
 平岸天神犬猫保護施設と二箇所での保護
活動。
平岸墓地の高台に施設を設立し、以前のボランティアさんが又、協力を得られるようになった。
平穏な平岸高台
犬猫保護施設
2001年
平成13年
札幌地裁に
明渡し訴訟
2002年
平成14年
札幌地裁
和解
施設明渡し
条件決定
南区藤野施設
10月20日
事務所
平岸天神山
 11月22日
 札幌地裁の和解内容から犬猫の保護施設を探し契約し、11月3日に犬猫の大半を搬送した。  環境は、藤野の山際で敷地の側に樹林があり近隣から離れている場所で古い家で風呂が使用できないが二階建ての物置が広く犬小屋に適した借家なのでボランティアで手伝い支援していた保証人で借りた。
 事務所としては、平岸天神山側の知人アパートを仮契約していた。
 家財道具や探偵機材などの荷物は、平岸高台へ置いたまま地方の仕事が入り出張していた。
平岸高台施設
全損壊
12月9日
出張中の不在時に、家主が勝手にまだ引渡しをしない間に、連絡なく全部損壊した。
2003年
平成15年
藤野施設
事件
当然、引越し先が裁判から明らかな為に妨害され直ぐ、家主から明渡し請求が来た。
 弁護士と同期の警察官から家主からの相談わ受けた連絡が来た。
藤野施設を借りて一ヶ月過ぎて直ぐ、小笠原記者などが近隣住民に対し高台問題を揚げて騒ぎ立て始めた。
 当然、契約した家主への苦情工作をしたことから問題となり弁護士を通して「建物明渡し請求」が通告され一冬過ぎて3月明渡した。
ドックレスキュー北海道
中村氏名誉毀損慰謝料
請求事件
札幌地裁に控訴
ニャンコ先生が「虐待保護」と映像公開したことから、家裁に訴えられ中村氏敗訴したら控訴された事件。
角田惨殺
事件
当時、大通り公園のホームレスの一人が犬猫の世話するから泊まらせて欲しいと角田と名乗る40代の男が
ボランティアで入って泊まっていた。
 大通り公園のホームレス仲間から「角田は、気をつけなさい。」と忠告されたとおり事件が起きた。

 タバコ代に一週間5.000円と日々のコンビニの弁当をニャンコ先生が自腹で渡していた。
 二日置き行き他の日は、角田に任せていたが多くの猫が行方不明になり、犬が痩せて来たので不信を感じ
調査したら、治療薬の注射を多く打って数を減らすのに殺して埋めたと自白した後に、直ぐ逃走した。
 逃走から数週間して無銭飲食で逮捕され前科多く刑務所へ戻っていた。  
藤野施設明渡し
北広島市
施設移転

北広島市郊外地域を犬猫の施設を緊急に探していたところ以前、仔犬を引き取った小林さんからの紹介で材木加工所の後のトタン作業所を借りた。 広いが緊急保護の場所が必要で水道も無く最悪の環境であったが猫の保護用に木造の材木置き場の建物が不髄していたので借りた。
 水は、ポンプで裏の川から引き与えたが、後にゴルフ場からの除草剤が入っていることから中止し水を搬送した。
 その影響か数十匹の徐々に弱り猫が死んだ。
北広島施設
積雪で施設損壊
中央区盤渓へ
施設移転
 盤渓そば屋の娘が飼っていた3匹の痩せた犬が盤渓の借家に番犬に居たが、その犬達も保護する条件で盤渓の借家の股貸しの形で借りた。
 盤渓そば屋の娘で借家の股貸し主は、後に拉致脅迫の共謀者であることから名前を公開する。
      高畑昌美 当時35歳前後
 この盤渓の借家は、そば屋の娘が結婚して借りた借家であったが、その後に離婚したことから山の中で生活できなくなり子供抱えて生活保護を受け中央区内のマンションに転居したが、犬が飼えないために残し、盤渓そば屋の母親が見ていたものである。
 なお、その裏に山林地を母親が買い物置を建てていた。
 また、借家の物置には山菜の漬物を置きそば屋で使用していたことから物置以外は、自由に使用して良いと許可を受けていた借りた。
 借りる以前に、多くの猫を引き取り保護したこともあって一切契約書類無く股貸し借家を保護施設とした。
盤渓施設
電話回線
携帯電話も繋がらない藻岩山の裏側山奥でボランティァさんと連絡が着かないことから電話回線を引いた。 電話回線を引いた理由は、何者かが入り込みボランティアさんを襲ったり防犯的な理由からと雪崩れ事故の可能性も有った。
盤渓そば屋
北区にそば屋開店
ボヤで盤渓そば屋は、閉店していたが盤渓借家を借りてから間もなく札幌駅裏にそば屋を開店した。  母親からの電話で猫のエサの支援を3回受け駅裏の店まで取に行ったことからそば屋開店が判った。
 店名「盤渓そば」の屋号である。
その後、盤渓施設の犬に山菜を取に来た時に立ち寄り犬のエサを一度持参して与えて帰っている。 
2004年
平成16年
平穏な盤渓犬猫
保護施設時代
盤渓そば屋の
犬3匹引き揚げ
盤渓の保護施設
股貸し借主
借家明渡し要求
高畑借主が
移転先向かい
山田物置紹介
小野寺 学
別海町酪農家
施設受け入れ希望
「遠くのご隠居」こと
荻谷昭男が
掲示板に投稿
保護犬猫の
惨殺事件
何者かが盤渓保護に入り込み繋いだ犬を放したり、撲殺される事案が発生した。  預かりチャチャ丸犬とハスキー犬春子が撲殺されて死んでいた。
 その後、数日後に証拠として車両に保管していた春子の死犬が盗まれてた。
2005年
平成17年
 
白石区中村氏
失踪の残留犬
事件受理
2月9日
飼主中村氏が失踪し飼い犬3匹一時保護している岩尾さんの依頼で犬を保護引き受ける。  家主建物が建物損壊することから残された3匹の犬達の居場所が無くなり捕獲処分前に深夜保護し一時隠し数日してから盤渓施設に搬送した。
四国からの下半身
不髄事故猫死。
四国の事故猫マトリが死亡。
 
 三年間ニャンコ先生と一心胴体で排便排尿処理して世話して来たマトリ猫が、小笠原記者の追っ掛けからの長期の車両生活から弱り死んだ。
 3月8日死、22日苫小牧火葬。
盤渓施設に
無断で男が
泊り込み事件
 40前後の男が勝手に盤渓施設に入り込み泊り込んで現行犯で捕まえ札幌西警察署
に届けた。
 男は、西区内の新聞配達員の船橋と名乗り某人間に頼まれて入り込んだと自供した。
 多くの猫が施設から逃げ出したのか行方不明になった。
 後に、某動物団体に頼まれたと自供した。
北方ジャーナル9月号
月刊誌に掲載
「虐待保護」や「不法占拠」と誹謗中傷の
ヤラセ記事を小笠原 淳 掲載
探偵社員施設
侵入事件
 東京から調査に来た探偵社の調査社員が勝手に入り込み撮影しようとしていたので捕まえた。 依頼者は、当然言わなかったが名刺を出したので警察問題にしないで帰した。
日本テレビ局の
張り込み事件
ヤラセ報道取材の為に日本テレビが盤渓施設張り込み開始した。3月16日   積雪の中をクマタ他5匹の犬達山越え川下へ搬送移動。
日本テレビ
ヤラセ報道事件
3月29日、盤渓施設の不法占拠に虐待保護としてヤラセ報道される。  荻谷他数人で盤渓施設に不在中勝手に入り込み保護犬を惨殺した犬や、エサや水を捨て殻にして糞を撒き散らしたヤラセ録画を報道した。
江別市河川橋下に
13匹犬隠した。
川下の廃車に保護していた犬達が小笠原に発見されたので、撲殺を避けるために移動した。 ドックなどのボックス廃車に保護犬を隠していたが小笠原、又荻谷の関係者からニャンコ先生が尾行され川下の場所を発見され、ムク他二匹が行方不明になったので夜間移動し河川橋に隠した。
北方ジャーナル10月号
月刊誌に掲載
「被害者の会」など誹謗中傷の
ヤラセ記事を小笠原 淳 掲載
河川橋の隠した犬が行方不明事件 8月22日、河川敷のニセコの犬が行方不明。
8月24日、河川敷の犬達7匹が何者かに持ち去られた。
 保護している他の残された犬達を別の河川敷や農家に頼んで隠した。
白石警察署に
盗難犬の届出
8月26日、白石警察署に河川敷で盗られた犬達の届出した。  白石警察署長がニャンコ先生の機動隊時代の後輩から一連の事件経緯を説明し特別の協力を得て一日後に判った。
江別保険所
と警察署からの
保護連絡
8月29日(月)、江別警察署や江別保険所から保護の連絡受けた。  土日の関係から月曜連絡が入り保護している江別保険所からの引き取り日、31日に決まり行ったが、札幌管理センターから引渡し中止指示。
 9月1日、再度引き渡し求めたが拒否されたが一匹岩尾預かりのテナだけ引き渡された。
 後に、盤渓そばの娘が荻谷に通報していたことが判明した。
江別保健所の
保護犬
処分措置
引き渡さないが条件として全て、里親に渡すと約束していた江別保健所が、約束を破り6日目に勝手に登録している6匹の保護犬を処分した。  6匹が江別保護されたことを知った夜から毎晩ニャンコ先生は、犬達に逢いに行き保健所の保護施設の外から吠えて確認していたが、9月6日早朝張り込みしていたが全ての午前9時過ぎに犬達の吠え声が消え処分された。
岩尾さんの預かり犬3匹に始末書 ニャンコ先生の車両に保護していた岩尾さんの預かり犬3匹が何者かに放された。 何者かが駐車車両からクマタ他二匹を放し管理センターに通報し、その現場で始末書とられた。
 荻谷や小笠原の指示でバイクなどで尾行させてパンクや保護犬猫に工作。
山形市実家へ
犬猫移転
10月8日
2006年
平成18年
北方ジャーナル3月号
月刊誌に掲載
高台平岸施設の事件公判を誹謗中傷した
記事 小笠原 淳 掲載した。
2007年
平成19年
2008年
平成20年
2009年
平成21年