事件NO001
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動物虐待ヤラセ事件の概要 |
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年代年号 | 事 案 | 状 況 | 結果や処置 |
1978年 昭和53年 |
探偵社開業 ペット探索 依頼受理 |
ペット探索業務の中の張り込みにおいて野良猫や捨て猫の多いのに驚かされた。 警察での張り込み方法と違って交代時間が長いので・・・それらの地域猫達へ多くの猫愛護の人がエサを与えていることが把握できた。 |
地域猫へエサを与えている愛護集団と知り合う機会が多くなり、又それらの愛護家からの情報が重要なポイントになった。 その地域地域で猫達の集会所を把握し餌付けしている愛護家の協力者を作り情報入手網を築いた。 |
1979年 昭和54年 |
札幌中央区 西シェルター |
中央区西屯田電車通り周辺の地域猫シェルター愛護家との接触し西シェルターと呼んでいた。 | 某古いアパートの部屋に数匹の地域猫シェルターを保護している愛護家と知り合い相互間で協力支援体制を整えた。 |
1980年 昭和55年 |
札幌中央区 東シェルター |
中央区東屯田通りに古いアパートを借りて誤って捕獲した黒猫を保護することにした。 そこを探偵社の一時的な捕獲保護施設にした。 東シェルター南10条西8丁目に開設 |
最初は、特徴の判別が見分けられない黒猫ばかりの保護であったが、徐々に西シェルターからの預かり猫達や迷い猫などが加わり10匹前後の保護になった。 |
里親活動開始 | 10匹以下にしなければ掃除が大変なので里親募集や迷い猫のビラ張り活動を開始した。 | 犬の行方不明は、依頼されても発見されるが猫の探索は難しく猫シェルターが中心での活動になった。 松田ビルでは事務所に捨て犬「シロ」を飼った。 |
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1983年 昭和58年 |
南9条ビル 事務所 |
西屯田シェルターが立退きで壊されることから止む無く西シェルターへ一部預からしてもらい残りの猫を事務所兼住居のマンションへ移動し保護した。 | 犬の「シロ」は、マンションベランダを利用し飼養した。 |
1985年 昭和60年 |
パレスマンション 保護施設 |
猫シェルター兼自宅として一部の猫を保護した。 | この頃から「ニャンコ先生」と呼ばれるようになり多くの犬猫に関しての相談やマスメディアにも取上げられ忙しくなってきた。 他の探偵社が一切ペット探索業務を扱ってないことやペットブームで犬の探索が増加した。 |
1988年 昭和63年 |
南10条郵便局ビル 事務所 |
事務所に猫5匹程度残して他の猫は、西シェルターを中心に保護しボランティア協力者を増やしてエサ代全ての支援をすることにした。 | この頃からペットブームでの捨て猫犬が多くなり本格的な保護施設が必要になった。 西シェルターと他に、徐々に豊平区美園の愛護家のシェルター、中の島の愛護家のシェルターと連携し保護猫を分散した。 |
1994年 平成6年 |
テレビ放映から 動物愛護団体 |
ペット探偵として二箇所のテレビ局で放映されてから相談や探索が増加しだし他の業務に支障が出て来て、ボランティアの動物愛護団体としての活動に切り替えた。 北海道犬猫救護センター 「ニャンコ先生の家」に改名。 |
調査員を犬猫探索の為に人員当てることが困難になり、ニャンコ先生の個人的な愛護活動とした。 |
1995年 平成7年 |
豊平区平岸に 保護施設設立 |
古い一軒家を全て犬猫保護施設として使用し、治療行為も始めた。 | 古いアパートと繋がった一軒家で耐震法から新規の居住が禁止されているアパート兼住宅の古家を保護施設として借りた。 |
1995年 平成7年 |
ドックレスキュー 北海道 問題 |
苫小牧市の無職の中村氏がテレビ放映を見て苫小牧港の捨て犬を数匹餌付けし、犬を見世物に募金を集めて生活する為の活動開始した。 | 樽前山の山林に中村氏の犬が繋がれ真夏に水を与えてないで虐待飼養している苦情相談情報から確認に行ったところ、事実だった。 募金収入で飲酒しエサや水も与えてないことが多いことが判った。 |
1996年 平成8年 |
苫小牧市の駅前から札幌大通り公園での募金活動に変った。 | 中村氏は、大通り公園で数匹の犬を放しての募金活動で糞の始末もしないで帰り、札幌近郊の橋の下などで飲酒しホームレス生活をしている事が判った。 | |
1997年 平成9年 |
中村氏が定山渓の山林を借り犬の保護施設を多額の協賛者が現れて創った。 | 最初は、多くのボランティア協力者で保護犬も増やしエサなども与えていたが、やがて募金収入で飲酒していることが支援者に知られて誰も協力しなくなった。 犬の保護数も50匹前後になり「虐待保護」と批判が高まりニャンコ先生への相談が多数来た。 |
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「猫だすけ」団体との 問題 |
東京の動物愛護団体「猫だすけ」とネットで係り、「猫だすけ」の活動内容に疑問視し係りもつ。 | 昭和60年ころに日本動物愛護協会が犬猫の保護施設を一切持たないで企業から多額の募金を集めて会員が生活収入にしている事がボランティア会員から暴露された問題が有ったが、この全国組織でネット利用し「猫だすけ」が募金だけ会員集めている事がボランティア協力者からの情報で発覚し、実態調査に当たったところ事実であった。 |
年代年号 | 事案 | 状況 | 結果や処置 |
1998年 平成10年 |
平岸保護施設と 別に 新篠津村に 保護施設を分散 |
石狩新篠津村の離農農家の住宅をボランティアのDOMON(土門)がネットで見つけて平岸施設と美園、中の島シェルターの犬猫を纏めて移動した。 後、DOMONが猫だすけのスパイと判明。 |
犬猫の保護飼養数に都会では、限界が来ていると判断して札幌から約30キロの新篠津村に施設移転した。 移転後、直ぐ多くの女性ボランティアを連れてDOMONが去り「猫とあそぼう」の猫だすけ北海道支所を創設した。 |
ドッグレスキュー北海道との トラブル |
大通り公園での場所争い | ニャンコ先生は、早朝6時から大通り公園のゴミ拾いとコンビニ弁当の期限切れをホームレスに分配する為向かい、その後、里親募集や募金集めと本業の盗難車監視を兼ねて、更に探偵調査員へ指示と犬猫の救護の為に待機をするのが毎日の日課であった。 しかし、中村氏が午前11時頃から大通り公園に来てニャンコ先生の車両前に駐車し募金活動を二日酔い状態で始めバックして車両事故をお越し問題になった。 中村氏は、ニャンコ先生から発進して当てたと主張したが目撃者から逆転したトラブル発生。 |
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名誉毀損 訴訟事件 |
中村氏が「虐待保護」している事実に 対し名誉毀損で訴訟起す。 |
ドックレスキュー北海道の施設内で犬が餓死か解からないが死んでいる通報から調査し事実をビラで公開したところ、札幌簡裁へ名誉毀損で訴訟を起した。 判決は、逆に環境や飼養問題で施設の飼養改善を中村氏に指示でニャンコ先生側には無罪。 |
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1999年 平成11年 |
北海道新聞社 ペット便利帳 掲載 |
新篠津村の「ニャンコ先生の家」で取材 ペット便利帳の雑誌に掲載された。 |
この頃から夜間保護施設から預かり犬 ダックスフンドなどが盗まれたり電牧柵が切られて犬猫を逃がされたり嫌がらせ事案が起き出した。 |
平岸霊園駅側 池田保護施設 |
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2000年 平成12年 |
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平岸高台犬猫保護 施設設立 |
霊園駅犬猫保護施設から引越して古い一軒家を借り施設を設立した。 平岸天神犬猫保護施設と二箇所での保護 活動。 |
平岸墓地の高台に施設を設立し、以前のボランティアさんが又、協力を得られるようになった。 |
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平穏な平岸高台 犬猫保護施設 |
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2001年 平成13年 |
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札幌地裁に 明渡し訴訟 |
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2002年 平成14年 |
札幌地裁 和解 施設明渡し 条件決定 |
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南区藤野施設 10月20日 事務所 平岸天神山 11月22日 |
札幌地裁の和解内容から犬猫の保護施設を探し契約し、11月3日に犬猫の大半を搬送した。 | 環境は、藤野の山際で敷地の側に樹林があり近隣から離れている場所で古い家で風呂が使用できないが二階建ての物置が広く犬小屋に適した借家なのでボランティアで手伝い支援していた保証人で借りた。 事務所としては、平岸天神山側の知人アパートを仮契約していた。 家財道具や探偵機材などの荷物は、平岸高台へ置いたまま地方の仕事が入り出張していた。 |
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平岸高台施設 全損壊 12月9日 |
出張中の不在時に、家主が勝手にまだ引渡しをしない間に、連絡なく全部損壊した。 | ||
2003年 平成15年 |
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藤野施設 事件 |
当然、引越し先が裁判から明らかな為に妨害され直ぐ、家主から明渡し請求が来た。 弁護士と同期の警察官から家主からの相談わ受けた連絡が来た。 |
藤野施設を借りて一ヶ月過ぎて直ぐ、小笠原記者などが近隣住民に対し高台問題を揚げて騒ぎ立て始めた。 当然、契約した家主への苦情工作をしたことから問題となり弁護士を通して「建物明渡し請求」が通告され一冬過ぎて3月明渡した。 |
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ドックレスキュー北海道 中村氏名誉毀損慰謝料 請求事件 札幌地裁に控訴 |
ニャンコ先生が「虐待保護」と映像公開したことから、家裁に訴えられ中村氏敗訴したら控訴された事件。 | ||
角田惨殺 事件 |
当時、大通り公園のホームレスの一人が犬猫の世話するから泊まらせて欲しいと角田と名乗る40代の男が ボランティアで入って泊まっていた。 大通り公園のホームレス仲間から「角田は、気をつけなさい。」と忠告されたとおり事件が起きた。 |
タバコ代に一週間5.000円と日々のコンビニの弁当をニャンコ先生が自腹で渡していた。 二日置き行き他の日は、角田に任せていたが多くの猫が行方不明になり、犬が痩せて来たので不信を感じ 調査したら、治療薬の注射を多く打って数を減らすのに殺して埋めたと自白した後に、直ぐ逃走した。 逃走から数週間して無銭飲食で逮捕され前科多く刑務所へ戻っていた。 |
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藤野施設明渡し 北広島市 施設移転 |
北広島市郊外地域を犬猫の施設を緊急に探していたところ以前、仔犬を引き取った小林さんからの紹介で材木加工所の後のトタン作業所を借りた。 | 広いが緊急保護の場所が必要で水道も無く最悪の環境であったが猫の保護用に木造の材木置き場の建物が不髄していたので借りた。 水は、ポンプで裏の川から引き与えたが、後にゴルフ場からの除草剤が入っていることから中止し水を搬送した。 その影響か数十匹の徐々に弱り猫が死んだ。 |
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北広島施設 積雪で施設損壊 |
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中央区盤渓へ 施設移転 |
盤渓そば屋の娘が飼っていた3匹の痩せた犬が盤渓の借家に番犬に居たが、その犬達も保護する条件で盤渓の借家の股貸しの形で借りた。 盤渓そば屋の娘で借家の股貸し主は、後に拉致脅迫の共謀者であることから名前を公開する。 高畑昌美 当時35歳前後 |
この盤渓の借家は、そば屋の娘が結婚して借りた借家であったが、その後に離婚したことから山の中で生活できなくなり子供抱えて生活保護を受け中央区内のマンションに転居したが、犬が飼えないために残し、盤渓そば屋の母親が見ていたものである。 なお、その裏に山林地を母親が買い物置を建てていた。 また、借家の物置には山菜の漬物を置きそば屋で使用していたことから物置以外は、自由に使用して良いと許可を受けていた借りた。 借りる以前に、多くの猫を引き取り保護したこともあって一切契約書類無く股貸し借家を保護施設とした。 |
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盤渓施設 電話回線 |
携帯電話も繋がらない藻岩山の裏側山奥でボランティァさんと連絡が着かないことから電話回線を引いた。 | 電話回線を引いた理由は、何者かが入り込みボランティアさんを襲ったり防犯的な理由からと雪崩れ事故の可能性も有った。 | |
盤渓そば屋 北区にそば屋開店 |
ボヤで盤渓そば屋は、閉店していたが盤渓借家を借りてから間もなく札幌駅裏にそば屋を開店した。 | 母親からの電話で猫のエサの支援を3回受け駅裏の店まで取に行ったことからそば屋開店が判った。 店名「盤渓そば」の屋号である。 その後、盤渓施設の犬に山菜を取に来た時に立ち寄り犬のエサを一度持参して与えて帰っている。 |
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2004年 平成16年 |
平穏な盤渓犬猫 保護施設時代 |
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盤渓そば屋の 犬3匹引き揚げ |
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盤渓の保護施設 股貸し借主 借家明渡し要求 |
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高畑借主が 移転先向かい 山田物置紹介 |
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小野寺 学 別海町酪農家 施設受け入れ希望 |
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「遠くのご隠居」こと 荻谷昭男が 掲示板に投稿 |
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保護犬猫の 惨殺事件 |
何者かが盤渓保護に入り込み繋いだ犬を放したり、撲殺される事案が発生した。 | 預かりチャチャ丸犬とハスキー犬春子が撲殺されて死んでいた。 その後、数日後に証拠として車両に保管していた春子の死犬が盗まれてた。 |
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2005年 平成17年 |
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白石区中村氏 失踪の残留犬 事件受理 2月9日 |
飼主中村氏が失踪し飼い犬3匹一時保護している岩尾さんの依頼で犬を保護引き受ける。 | 家主建物が建物損壊することから残された3匹の犬達の居場所が無くなり捕獲処分前に深夜保護し一時隠し数日してから盤渓施設に搬送した。 | |
四国からの下半身 不髄事故猫死。 |
四国の事故猫マトリが死亡。 |
三年間ニャンコ先生と一心胴体で排便排尿処理して世話して来たマトリ猫が、小笠原記者の追っ掛けからの長期の車両生活から弱り死んだ。 3月8日死、22日苫小牧火葬。 |
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盤渓施設に 無断で男が 泊り込み事件 |
40前後の男が勝手に盤渓施設に入り込み泊り込んで現行犯で捕まえ札幌西警察署 に届けた。 |
男は、西区内の新聞配達員の船橋と名乗り某人間に頼まれて入り込んだと自供した。 多くの猫が施設から逃げ出したのか行方不明になった。 後に、某動物団体に頼まれたと自供した。 |
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北方ジャーナル9月号 月刊誌に掲載 |
「虐待保護」や「不法占拠」と誹謗中傷の ヤラセ記事を小笠原 淳 掲載 |
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探偵社員施設 侵入事件 |
東京から調査に来た探偵社の調査社員が勝手に入り込み撮影しようとしていたので捕まえた。 | 依頼者は、当然言わなかったが名刺を出したので警察問題にしないで帰した。 | |
日本テレビ局の 張り込み事件 |
ヤラセ報道取材の為に日本テレビが盤渓施設張り込み開始した。3月16日 | 積雪の中をクマタ他5匹の犬達山越え川下へ搬送移動。 | |
日本テレビ ヤラセ報道事件 |
3月29日、盤渓施設の不法占拠に虐待保護としてヤラセ報道される。 | 荻谷他数人で盤渓施設に不在中勝手に入り込み保護犬を惨殺した犬や、エサや水を捨て殻にして糞を撒き散らしたヤラセ録画を報道した。 | |
江別市河川橋下に 13匹犬隠した。 |
川下の廃車に保護していた犬達が小笠原に発見されたので、撲殺を避けるために移動した。 | ドックなどのボックス廃車に保護犬を隠していたが小笠原、又荻谷の関係者からニャンコ先生が尾行され川下の場所を発見され、ムク他二匹が行方不明になったので夜間移動し河川橋に隠した。 | |
北方ジャーナル10月号 月刊誌に掲載 |
「被害者の会」など誹謗中傷の ヤラセ記事を小笠原 淳 掲載 |
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河川橋の隠した犬が行方不明事件 | 8月22日、河川敷のニセコの犬が行方不明。 8月24日、河川敷の犬達7匹が何者かに持ち去られた。 |
保護している他の残された犬達を別の河川敷や農家に頼んで隠した。 | |
白石警察署に 盗難犬の届出 |
8月26日、白石警察署に河川敷で盗られた犬達の届出した。 | 白石警察署長がニャンコ先生の機動隊時代の後輩から一連の事件経緯を説明し特別の協力を得て一日後に判った。 | |
江別保険所 と警察署からの 保護連絡 |
8月29日(月)、江別警察署や江別保険所から保護の連絡受けた。 | 土日の関係から月曜連絡が入り保護している江別保険所からの引き取り日、31日に決まり行ったが、札幌管理センターから引渡し中止指示。 9月1日、再度引き渡し求めたが拒否されたが一匹岩尾預かりのテナだけ引き渡された。 後に、盤渓そばの娘が荻谷に通報していたことが判明した。 |
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江別保健所の 保護犬 処分措置 |
引き渡さないが条件として全て、里親に渡すと約束していた江別保健所が、約束を破り6日目に勝手に登録している6匹の保護犬を処分した。 | 6匹が江別保護されたことを知った夜から毎晩ニャンコ先生は、犬達に逢いに行き保健所の保護施設の外から吠えて確認していたが、9月6日早朝張り込みしていたが全ての午前9時過ぎに犬達の吠え声が消え処分された。 | |
岩尾さんの預かり犬3匹に始末書 | ニャンコ先生の車両に保護していた岩尾さんの預かり犬3匹が何者かに放された。 | 何者かが駐車車両からクマタ他二匹を放し管理センターに通報し、その現場で始末書とられた。 荻谷や小笠原の指示でバイクなどで尾行させてパンクや保護犬猫に工作。 |
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山形市実家へ 犬猫移転 10月8日 |
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2006年 平成18年 |
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北方ジャーナル3月号 月刊誌に掲載 |
高台平岸施設の事件公判を誹謗中傷した 記事 小笠原 淳 掲載した。 |
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2007年 平成19年 |
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2008年 平成20年 |
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2009年 平成21年 |
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