婦日の寝不足日記

僕の身の回りでは毎日のようにテレビドラマさながらの出来事が起きます。
その全てを記す事はもちろん出来ませんが、どうしても漏れ出してしまう僕の心の声を聞いて下さい。
僕には語りたいことがあまりにもたくさんあるのです。

                                                           
2009年07月13日
2年半で59例ですか
 昨日の折立から薬師岳往復は、朝4時半に家を出て6時に有峰林道料金所を通過、折立を7時過ぎに登りだして11時に薬師岳頂上、午後2時過ぎには折立に下山しているというやや強行軍登山だった。
 高校生の長男の歩くスピードに合わせると、どうしても歩きが速くなる訳だが、運転手兼ねの僕にはやや厳しいペースだ。

 エベレスト帰りであるという意地と、お互いの体力向上?のため、長男に負けない様せっせと歩いた。
 お陰で今日はやや脚に疲労感ありだが、どちらかと言うと久しぶりの運動で心地よい感じである。やはり普段の仕事で心が疲れるより、山で足の筋肉が疲れる方がずっと気分良い。

 さて今日は午前と午後に予約診察とその合間に手術と処置が一件ずつ入る。外来の合間に手術が入るのは、気持ち的に楽ではない。更にまだ病棟回診が待っている。入院患者さんの人数もこの一ヶ月でどんどん増える一方で、もう勘弁してという感じだ(予想はしてましたけどね・・)。

 ここで話はマルッと変わり、病院評価機構によるとこの2年半で日本全体の患者間違いの数は59例だったそうだ。その殆どは投薬間違いらしい。
 はっきり言って僕はその結果に驚いた。というのは僕はほとんど毎日の様に、患者さんの名前と病室を間違えているからだ。
 もちろん確認によるリカバーで、間違った処置や投薬をした事は無いが(多分)、その確認段階で患者さんの名前を間違えるという事はしょっちゅうある。

 それは何故かと言うと、産婦人科の患者さんはほとんど全員が急性期で慢性入院はほとんど無いため、入院患者さんの回転が早い。毎日毎日多くの患者さんが入院して、同時に多くの患者さんが退院して行く。それが産婦人科である。
 しかも今産婦人科病棟には各種個室と大部屋があり、若くで自費の分娩入院の方は、状況と希望によりどんどん部屋が変わる。しかもプライバシー保護という観点から、各病室には名前が張られてない。

 つまりとても僕が患者さん一人一人を把握できる状況に、もともと現状がなってないのだ。
 僕の足りない分は優秀な看護師、助産師に補ってもらっているのだが、僕としてはどうしても一日一回は患者間違いを起こしてしまう(確認でリカバーしてますが・・)。それでも今まで無事に済んでいるのが不思議なくらいだ。
 
 さてさて世間では、看護師より医師の方が、同じ事をやるのに間違いなく物事を行うと思われている傾向にある。しかしそれは間違いだ。間違いの主たる原因は各人の性格にあり、職分には無い。
 忙しい医師が、全て間違え無しで物事を行うなんて事は、決して無いと思っておいた方が良いと僕は思う。

 抗がん剤の薬詰めなんて、僕がやっているといつか必ず間違いを起こすだろう。要するに僕の診ている患者さんの人数は多すぎるのだ。しかしそこで患者さんを減らすと言うのではなくて、それでも大丈夫なシステムを考えるのが大事だ。
 それが世間から求められている事でもある。僕ができるだけ仕事を看護師さん、助産師さんに任せるのは、安全の為でもあるのだ。 
2009年07月12日
長男との薬師岳
 日曜の天気予報は芳しくなかった。とはいえ山が大荒れと言う程でもない。
 比較的簡単な山ならきっと十分楽しめるだろう。ちょうど暇?してた長男が山に行きたいと言ってきた。各種条件を付けて長男と、折立からの薬師岳登山に出かける事にする。

 各種条件と言うのは、「自分の事は自分でやる」「準備や後片付けもしっかり自分でやる」という山では至極当然の事だ。
 そしてもう一つ付け加えたのが「頂上に立つまで絶対に引き返さない」と言う事であった。梅雨の真っ最中の登山だから頂上付近は風雨だろう。しかし長男との登山の場合、途中で引き返さないのが原則だ。

 長男はつい最近、小学校以来続けていたサッカー部を止めた。
 理由を聞いたら、「ゴールキーパーがつまらないからだ」と言う。それならば、長男にキーパーからフィールド選手に変われないのかと聞くと、今更それは無理らしい。
 世にあまたいるキーパー少年が聞いたら怒り出す様な理由だが、高校生が試合中にフィールドを走り回れないのはきっと辛いのだろうとは思う。かく言う僕も親子サッカーでは、下手なくせに前の方にできるだけいるようにしてるから、他の親さん方に大変な迷惑をかけている。
 
 そんなこんなで長男はサッカー部を中途退部した。人生何事も中途半端で終わる癖をつけてはいけない。だから僕は山では途中で引き返さないぞと長男に言った。

 案の定今日の登山は頂上間際で風雨激しくなり、多くの他の登山者が途中で引き返していた。しかし夏の薬師岳頂上付近に危険な箇所は無い。風にふらふらしながら頂上は往復する。慣れない登山で良くがんばったと誉めてあげた。
 長男にとって、サッカーの代わりが登山になるとは思えない。サッカーの方が登山より日々の運動としてはずっと激しいだろう。
 とはいえどうも今年の夏は、僕と長男お互いにとって、運動不足対策の利害が一致しそうな気がしたりする。

上部はガスと雨になりました
2009年07月11日
怒っていますか
 手術や処置が立て込んで、金曜の帰宅も随分と遅くなった。経過中の方が2名残ってしまったが、これはもう代務の先生にお任せしよう。この土曜日は代務医と休日と晴天というこの時期月に一度あるかないかの有難い一日になりそうだ。
 心置きなく?自由に出来る日として、大事に使いたい。

 というわけで、金曜夜はビール飲んで睡眠薬も併用し、早めに眠りについた。土曜は早起きして剣か穂高当たりの日帰り登山で日頃のストレスを少しでも晴らしたい。
 ところが例によって、その儚い望みは打ち砕かれた。深夜1時過ぎに経過中の方についての問い合わせ電話で起こされる。
 通常なら代務の先生に問い合わせれば十分な内容なのであるが、何故か僕の方にかかって来た。なぜ僕の方にかかってきたかと聞くと、どうも「患者さんが怒っている」かららしい。

 さて僕には、何故患者さんが怒っているのかさっぱり分からない。
 陣痛が痛くて怒ってるのだろうか、分娩が進行しないから怒っているのだろうか。とても痛がっているのに緊急帝王切開にしないから怒っているのだろうか。
 しかし陣痛が痛いのは自然の生業である。帝王切開というのも医学的適応が無いと出来るものではない。通常痛いからというだけでは帝王切開の適応にはならない(過強陣痛という病名もありますが・・)。

 とにもかくにもあまり穏やかでない電話なので、眠りも浅くなり、翌朝早くから山に行く気は無くなった。結局土曜の午前中にきちんとした適応の元、緊急手術とし対応する。もちろん土曜にお出かけする事はできなくなり、貴重な晴天休日の一日が実質無くなった。

 さてさてこの経過には何の問題も無い。産科では良くある出来事だ。これで世の中から元気な新生児が無事一人増えたという事なら、言う事は何も無いと言える。
 運動不足と各種ストレスで不機嫌かもしれないが、客観的に考え、こんな事でまた休みが飛んだからといって、僕は怒ったりしないのだ。
2009年07月10日
僕は普通の人ですから
 昨夜は比較的仕事は早く終わったが、夕食後寝る前に分娩で出動は要した。ちょうど缶ビールのロング缶を半分開けたところだったので、車は使えず夜道を病院まで自転車で移動した。分娩待ちの時間は控え室でエベレストの写真整理しながら過ごし、再び夜道を自転車で帰った時には、深夜と言える時刻だった。

 今日は何時もの秒単位外来に、午後から手術が2件、続いて外来処置が1件、急患さんの診察が1件、更にやっと病棟回診が終わったが、既にもう大分遅い時刻だ。ダイエット兼ね、夕食抜きビールのみで寝てしまおうかと思うが、それもちと悲しいか。

 さて聞いた話ではエベレスト遠征中に、とある産婦人科医がお酒飲んで診療していたという事がニュースになったらしい。僕はこのニュースを実際に見た事は無いからはっきりした事は分からない。とはいえ多分「そんな事ではいかん」という論調だったんじゃないかと想像する。

 しかし僕はビール飲んで更にデパスと言う睡眠薬まで飲んで、爆酔状態で緊急手術した事が何回もある。中にはその時の記憶が飛んでしまった手術もあった。そうなると多重人格者のもう一人の自分が何時の間にか手術していた様な感覚だ。それでももちろん今まで全て、そういう手術は問題無くこなしている。他に代わる人がいない以上、それはがんばらないといけない。

 さてさて僕は平均週6日産直している人間だ。昨日もそうだが、分娩と言うのは24時間何時でもあるし、しかも突然あるものだ。産直中にビール禁止という法律があれば、僕は週に一日しかビールが飲めなくなる(週に一日の休肝日なら良いですが)。暑い季節にそんな事が普通できるだろうか?

 僕は時々周りから常軌を逸した要求される事がある。寝不足長時間外来、寝不足手術、寝不足急診などがその際たるもので、何が辛いと言ったら、その暮らしがその場限りでは無く延々と続く事だ。
 状況と必要に応じて対応できる事とできない事はある。その手の要求を平気でされる方がいても、僕には無理だとここにはっきり書いておこう。
2009年07月09日
僕の医療はサービス業ではありません
 早くエベレストの登山記録をHPにUPしようと思っているが、なかなか先に進まない。理由はあまりにも中味が濃いせいだろう。写真の枚数もエベレストは他の山と比べ圧倒的に多い。
 写真を見ているだけでどんどん時間が経ってしまう。そうこうする内に他に各種仕事がどんどん出てくるので、何時まで経っても記録をUPできないとなる。
 
 さてPROM入院が2件入り、今日も朝から忙しく業務が続いた。
 外来の最も多忙な時刻に分娩がぶつかる。区切りの良い外来患者さんまで診察してから分娩室に向かうと、あろう事か妊婦さんが分娩室で子癇発作を起こしていた。
 一生懸命対応している助産師さんらから「先生来るのが遅いよ」光線が発せられる。助産師軍団の力で上手く対応できたが、当然僕も冷や汗をかいた。

 子癇発作が落ち着いた事を確認して、その後の指示を出し、急いで外来に戻ったら、今度は外来の看護師さんらから「先生戻るのが遅いよ」光線を発せられた。低血糖予防にチョコレートを一枚食べ、これまた忙しい外来を再開する。

 更に外来終わりかけの時刻にまた別の分娩が入った。今度は裂傷が大きい。そこはきちんと縫合して外来に戻り、最後の待ちくたびれた外来患者さんらの診察に入った。 
 僕が分娩室や控え室にいる間、仕事が進まくなる外来看護師さんらは、なかなか現れない僕と(それでも平均より相当早く仕事してるのですが)待っている患者さん等の間に挟まれて辛そうだ。

 誰もが早く診察してもらいたいし、目前の仕事を早く進めたい。しかし僕の身体は一つしかない。急いで雑に縫合したり、何かトラブルがあったら、却って患者さんも自分も困る。正しい優先順序をつけて一つ一つきちんと対応していくのが当然だろう。

 多くの患者さんや看護師さんらは、僕に「患者さんの顔を見て話せ」とか「患者さんにもっと笑顔を見せよ」とか「PCを叩く時間があれば、少しでも早く診察せよ」とか思ってるのだそうだ(直接は言われないけどね・・)。
 それができないのなら患者さんの人数を制限せよと考える方もいる。患者さんの人数を制限すれば、僕も楽だしコメディカルも楽になる。同時に何人の重症さんを抱え込む事も減るだろう。患者さん制限は何時でも甘い誘惑だ。

 しかし僕は自分が求められている以上、仕事から逃げる事はできない。
 ただ患者さんの顔を見ながら同時に、カルテ記入するほど器用でないし、愛想笑いしながら秒単位外来なんて事もできない。

 周囲の人は時に僕に色々な事を求める。しかし僕は目の前にいる大変な人とか苦しんでいる人を現実に助け、長い時間にマクロで大きな成果と結果を出したい。その為には能率的に動く事も必要だし、ミクロな視点で自分勝手と思われても全く構わないのだ。
2009年07月08日
デュプリバンでしたか
 昨日の外来はまた殊更に混んだ。朝から晩まで多くの患者さんの訴えを聞き続ける。入院中の患者さんを入れて約100人の方を診察した。外科系の産婦人科で一日にこれだけの患者さんを診察する医者はそうはいない。
 お陰で何だか今日になっても少しイライラした感じが残り、気分はやや欝状態だ。運動不足もあるし、何をやるにもあまり意欲が出なかったりする。

 さて今朝のテレビのワイドショートップニュースは、アメリカのポップスター、マイケルジャクソン追悼式の話題であった。当初謎の突然死とされていたが、どうもその原因は睡眠薬による呼吸停止によるものだったらしい。
 睡眠薬は産婦人科医にとって馴染みのある薬だ。
 仕事柄自分で使用する事もあるし、ガン患者さんや更年期の患者さんに処方する事も多い。しかし通常の内服系睡眠薬はものすごく大量に服薬しても死ぬ事はまずない。ただぐっすり眠るだけだ。

 各種ニュースによるとマイケルジャクソンはデュプリバンという睡眠注射薬を使用していたらしい。睡眠薬は内服系は安全なのだが、何故か注射系になると一転して呼吸停止が来るものが多い。だから普通は自分で自分に睡眠薬を注射する人なんていない。危険すぎるのだ。

 なおデュプリバンというの薬も、流産中絶処置で使われるため、産婦人科医にはとても馴染みある薬だ。
 高価な薬だが、切れの良い薬なので、僕も現在全ての流産処置でデュプリバンを使用している。たまたま流産が多かった関係で、この数日間はほとんど毎日1本づつ使用している(自分に使用している訳でありませんから、これは念のため)。

 というわけでデュプリバンの呼吸停止では何度と無く怖い思いもした事がある。ただもちろんプロであるから対処法は知っている。いつも看護師さんに決まった量を注射してもらい、致命的なトラブルになった事は無い。
 さてこの薬での睡眠はとても素晴らしいらしい。眠りから覚めた後に、今までに無い気持ち良い睡眠だったと言う感想を、患者さんから聞く事も多い。呼吸が止まるほどぐっすり眠った方から、そういう感想を聞く事もあった。

 おそらくマイケルジャクソンはその気持ち良い睡眠のために、自分で自分にデュプリバンを注射して死んでしまったのだろう。深い睡眠と呼吸停止による死だから多分苦痛はほとんど無かったと思う。
 中国の故事に胡蝶の夢というのがある。自分が夢で蝶になったのか、蝶が夢で自分になったのか分からないという逸話だ。きっと人生の儚さを象徴しているものだと思う。

 この春は特に多くの有名人の死が気になるが、華やかな蝶の様だったマイケルジャクソンの死に、何故かそんな故事を思い出していたりする。
2009年07月07日
子供達が一番世界に近づいた日でしたか?
 昨夜は手術もなかった関係で、色々と忙しかったのだが仕事は早く終わった。大急ぎで移動し、高山FCの親子サッカーに参加する。親子サッカーが終了した後は高山FCの解団式が行われる予定だ。高山市の小学6年生のサッカー少年が集まって出来た高山FCだが、昨夜で解散となりもう無くなる事になっている。

 高山FCはもともと夏の全日本少年サッカー大会上位入賞を目標に作られたチームであった。ちょうど1ヶ月前の県大会決勝でその夢が砕かれるとその存在意義を一気に失う。
 数々の激戦に勝利して県2位まで勝ちあがっても、負けは負けと評価される。それまで一生懸命練習に励んできた子供達だが、負ければ解散という過酷な現実に直面する事になった。 
 通常の育成会少年団サッカーチームと異なり、高山FCは最初から全国で勝つ事を目的に作られたチームだ。負ければ解散というのも仕方が無いのだろう。

 さて今回高山FCは県で2位だった。そしてこれは三男にとってサッカーで最高のキャリアになる可能性が高い。
 というのは中学、高校、社会人?になるにつれて、クラブチームも少年団も、そのレベルが少しずつ全国レベルから引き離されていくからだ。これは子供の数が都市部と比べて圧倒的に少ない以上、仕方が無いことなのだろう。
 別に高山のサッカー少年に全国や世界への道が閉ざされているという訳では無い。とはいえ本当に才能があってプロサッカーを目指すなら、早く都会のユースチームに入るのが一番となる。

 来年度から高山でこの手のチームはもう作られない。3男は勝つ事を宿命付けられたチームで最後のキャプテンとなり、有終の美を飾れなかった。負けて終わって消えて無くなるという現実に、サッカーの厳しさを親子共々痛感したりする。

 子供も僕も運動に特別な才能がある訳で無い。親子共にスポーツで食べれる様になると思った事は一度も無い。とはいえそれでも何も子供を応援できなかった父親として、僕は情けない親であった。

県大会準決勝終了10秒前、決勝進出を決めたゴール 動画(5秒)です。
県大会決勝、負けました 動画(20秒)です。

そして1ヵ月後には解団します
2009年07月06日
無理、ムラ、無駄は嫌いです
 日曜日の夜は珍しく特別何も無く過ぎてくれた。お陰できちんと朝まで眠れる。
 正確には様々な特別ケアを要する患者さんも見えるのだが、夜中に僕に連絡するよりも若手の外科先生に連絡し出動していただいた方が看護師さんにはやりやすいらしい。
 外科先生には申し訳ないが、そこは僕の担当業務を外科先生に代わりにしてもらっている。お陰で僕のストレスは減り大いに助かっている。

 今日は外来の最中に分娩が1件、午後から処置が2件、今のところは落ち着いて楽な方の一日だ。さて土曜日に東京まで行き取ってきたミニPCは、さすがにきちんとウィルス駆除され無事に手元に戻ってきた。
 何でも中から8つのウィルスが見つかり、その内の一つは5段階の危険度のうちで一番危険度の高い種類のものだったと言う。ほっとけばPCの中のあちこちで自然増殖してPCは使い物にならなくなると書いてある。
 恐ろしやの話だ。しかし今では綺麗に完全駆除されたからもう大丈夫らしい。写真も無事全て救いだされてホッと安心だ。

 というわけで昨夜はPC内の秘蔵?写真を眺めて思い出に浸っていたりした。
 その段階でたまたまPCのあちこちを見ていたら、何とPC内には90日間お試しバージョンのウィルス対策ソフトが最初からプレインストールされていた事に気づいた。
 ただそれは起動されてない状態でPC内で眠っていたのだ。そういえばPCを購入した時にそんなパンフレットが付いていた気もする。

 もしこれに気づいて、最初からウィルス対策ソフトを起動していたら、今回東京2往復するなんて手間を省く事が出来たはずだ。
 更に今回の徹底的?ウィルスサーチとウィルス駆除、ウィルス対策ソフトの新規購入もしないで良かったと思う。
 最初に店頭の販売員さんが、ウィルス対策ソフトの起動について教えてくれてたら良かったのだが、安売り量販店の店員さんにそこまで要求するのは酷だろうか。 

 僕は昔から無理ムラ無駄が嫌いな人間だ。世の中悪くする最大の原因がその3つだと思っている。
 今回のPCウィルス感染騒動は典型的な無理ムラ無駄だった。不注意とネット世界の世間知らず?がいけなかったとあきらめるしかないのだろうが、何といっても東京2往復で消費したガソリン90リットルと排出二酸化炭素量が一番気になったりする。

PCに眠っていた写真。ウィルスから救っても綺麗でした。左奥はコーカサスの名峰ウシバ
2009年07月05日
応援を応援したりしてました
 土曜から日曜の夜中は熟睡中に救急問い合わせ電話が1件。看護師さんは出動してきてもらいたい雰囲気もあったが、中味は電話で問題なく対応できるものであった。他は朝まで眠れたから、十分幸せな夜だ。

 この日曜日は次男には中体連のサッカー大会、3男にはフジパンカップのサッカー大会がある。大雨だったと言う土曜日とは変わって晴天の日曜日で、今日は子供たちの応援兼お手伝いで過ごそうと思う。
 とはいえ子供達は二人とも試合には出ない。次男はあえなくレギュラー落ち、三男は資格停止になっているためだ。つまり子供達は今日は2人ともチームの応援係りと言える。

 親心としては自分の子供が試合で活躍する所を見たい訳だが、自分の子供を応援するだけでな、くチーム全体を応援する事も大事だ。自分の子供が試合に出てなくてもやる事はいろいろあるし、知ってる子が沢山出てる試合は見てるだけでも楽しい。

 とはいえ試合の最中にもあちこちから各種電話が入り続けた。
 やや難産系の分娩が経過中でちと落ち着かない。試合の最中にぶつかる分娩で呼び出され、試合の結果はまだ不明だが後で聞こう。だからどうと言う訳ではない。何時もの事だ。運動不足は気になるが、今のところは穏やかで平和な日曜日と言える。

仕事が終わり試合会場に戻ったら、試合も終わってました。
2009年07月04日
車は燃費良く、身体は燃費悪く
 代務の先生不在で手術を組んでなかった関係で金曜午後の仕事は比較的早く終わった。とはいえ帰宅後気持ちよくビールを飲もうとしていた寸前に、開業医さんから緊急手術の電話が入る。例によって見事にタイミングを見計らった様な電話だと思う。ビールは少しお預けにして、手術のお手伝いに励む。
 そこはそれついでに土曜日の病院お留守番をお願いしてしまった。

 天気予報や各種状況を睨んで、土曜日は東京ヨドバシデンキに預けておいたミニPCを取りに行く事にする。やはり貴重な山の写真データを早く手に入れたい。
 病棟は色々と落ち着かないし、分娩も何時あるか分からない。高山を離れるのにやや不安はあったが、土曜日はエアポケットの様に仕事が空いて大丈夫そうな気がしたのだ(勘と運ですけどね・・)。

 と言う訳で高速を車で飛ばし、無事ウィルス駆除されたPCを日帰りで取りに行ってきた。 それはそれで良いのだが、嫌なのはこのPCだけのために車を8時間運転する事だ。
 僕の愛車イプサムは既に走行距離20万キロを軽く突破したお爺ちゃん車だ。とはいえ何故か未だに燃費は良い。高速ならリッター15km走る。それでも600kmも走れば40リットルのガソリンは食う。
 今回PCとその内部写真のために東京を2往復して、トータル90リットル近いガソリンを消費した。そう思うと減税されているうちにもっと燃費の良い車にエコ替えした方が良いのかなとも思う。とはいえ今更愛車を手放す気もしなかったりする。

 さて僕は今エベレストから帰国して、急速に体重リバウンドしている。先月は1ヶ月で3kgも太った。
 これはリバウンドの理屈によると、エベレストで自分の身体の燃費が良くなりすぎた事も影響しているに違いない。
 車の燃費が良くなって、身体の燃費が悪くなる。そうなれば世の中一番理想的なのだが、そう上手く行く分けないかと少し溜め息?ついていたりする。
2009年07月03日
サッカーしたり、山登ったり
 昨夜は久しぶりに比較的早く仕事が終わった。予定表を見たらちょうど病院フットサルチームの練習日でもある。ここは急いでやることを済ませると、靴だけ持ってビックアリーナの体育館に向かった。
 エベレスト前は忙しくてとても参加できなかったから、ほとんど半年振りのフットサル練習だ。チームの皆は「お帰りなさい」と迎えてくれる。

 僕としてはみっともないプレーするのが恥ずかしくて、「ここは空気が重くて走れませんよ」と予防線張ってから、ゲームに参加した。
 そんなこんなで、皆が遠慮したのか、エベレスト帰りで身体が本当に少し動いたか、エベレスト帰還ウェルカムゴールを決めさせていただき、気分良くしたりする。

 さてサッカー有志の方々からは「本当にエベレストの頂上まで登ったんですか?」と何回も聞かれた。本音かどうかは知らないが「お金と時間で買った頂上ですね」なんてついつい答えてしまったりする。
 確かにエベレスト頂上にはお金と時間が無ければ登れない。しかしそれだけでも登れない事は確かだろう。並み以上の体力と根性及び多少の運も必要だと思う。お金と時間だけで登れてしまう登山ではロマンが無さ過ぎるのだ。

 さてさて話は変わり、今長男は高校でサッカー続けるか登山部やるか迷っているらしい。僕としては高校生の長男にとやかく言うつもりは全く無い。どちらにしてもそれなりに楽しめるに違いないとは思う。
 だいたい僕も高校時代から山岳部だったが、野球やサッカーでレギュラー取れませんという人が良く山岳部に流れてきたものだ。

 ただ登山からロマンを取ってしまったら、それはただの山岳旅行になる。僕が高校時代の頃と比べて、今の登山からはロマンがどんどん無くなって来ている気はする。
 お金と時間だけでやれる事をやるのならば、サッカーで骨身を削った方が、若いうちには良いだろう。そんな事を思いながら子供がどんな選択をしてどんな生き様をするのか、傍目から楽しみに見ていたりする。
2009年07月02日
このままではメタボーじゃ
 昨夜は飛騨の産婦人科開業医さんらが、僕の無事エベレストからの帰還をネタ?にして祝宴を催してくれた。
 一日一席しか出さないと言う料理屋さんで、取れたての鮎や巨大な岩ガキ、飛騨牛に舌鼓を打つ。
 とはいえ僕も開業医さんらも、高級食材すなわち高カロリー食を次々と食べれるほどの胃袋の力が無く、最後の方はいささか消化能力の足りなさを感じていたりした。
 そのためか年のせいか、宴席では僕のエベレスト話よりも、ピロリの除菌やアニサキス、ノロウィルスと言った消化器系微生物の話で盛り上がったりする。

 ネパールやインドネシアで登山していた時は、いつも粗食で和食が随分と懐かしく感じたものだ。しかし帰国して1ヶ月が経ち、体重もどんどん戻ってきている。
 エベレストに出かける前の体重は65kgで、エベレストから帰国後は59kgまで痩せた。
 しかし1ヶ月で3kg体重が回復して今では62kgだ。エベレスト前に戻るまで残り3kgあるぞなんて思っていると、あっと言う間にリバウンドして更にメタボへ一直線で向かいそうだ。
 美食もほどほどにしないといけないと思ったりする。

 さてさて夜は美食、美酒を堪能し、後は朝までぐっすり眠れれば人生幸せな訳だが、僕の場合は例によってそうは行かない。今朝も明け方から分娩呼び出しで起こされる事になる。
 かるい胃もたれ?を感じながら、そそくさと出動し仕事はこなす。しかしその後外来が始まるまでに、更に2件の分娩が引き続いた。しかも胎盤が剥がれなかったり、出血が多かったり、それなりに要注意な分娩が続く。深酒大食い後の早朝からにしては、なかなかハードな仕事だ。

 というわけで今朝は朝食抜きとなり外来の開始時刻も遅くなった。外来待合室一杯に待ってい患者さんらからは、「早くしろ」光線を感じたりする(気のせいかもしれないけどね・・)。

 メタボな食事と、毎日の飲酒、更に不規則な暮らしに、更に仕事上のストレスも大きい。典型的な不健康生活だと思う。
 エベレストやカルステンツでの健康的生活と、今の不健康生活にはあまりものギャップがある。こんな感じだから、他人にはエベレストサミッターとかセブンサミッターとか、何となく偉そうな事を言うのは絶対避けとくべきだと思っている。

能登半島で取れた岩がき。僕の胃袋には贅沢すぎました?
2009年07月01日
一人では大変なのは良く知ってます
 昨晩は抗がん剤の勉強会の最中に分娩が一件、その後に病棟回診して帰宅はやや遅くなった。とはいえ睡眠時間が削られる程ではない。このままきちんと朝まで眠れれば大丈夫だ。
 ところが例によってそうは上手くいかず、深夜から明け方の熟睡中に電話が3回(多分、真夜中でよく覚えてません)入って起こされた。用件はいわゆるPreterm-PROM の入院が深夜に2件入った事によるものだ。

 問題は普通のPreterm-PROMではなくて、一件は帝王切開既往、もう一件は過去に当院の受診暦の無いいわゆる飛込み系早産であった事にあった。
 短気な医者ならこれだけで、プッツンする人もいるかもしれないが、僕は慣れているのでこれしきの事で動揺はしない。的確な指示を出し、今日水曜日の昼間に全て対応する事とする。水曜日は比較的業務を楽に設定してある。これくらいの追加業務なら十分吸収できるだろう。

 とはいえ話は想定通りに進まない。いきなり早産児が2名入るのは勘弁してくれと、小児科の先生から待ったがかかった。
 従来なら病院には小児科医が2人いて問題なく対応していただいただろうが、僕がエベレストに行っている間に小児科医の人数が1人に減っていたのだ。
 もし同時刻に状態の悪い新生児が2人生まれたら、それは小児科の先生も大変だろう。
 同じ一人部長の立場でも、その場をしのげば後は何とかなる産科と、その後も面倒を見なければならない小児科ではちと敷居の高さが違う。

 というわけで、2人のお母さんのうち飛び込み系早産の方は日赤病院に母体搬送する事にした。日赤の産科医は気持ちよく母体を受け入れてくれて助かる。もう1人は助手を外科先生にお願いして午後に緊急手術をねじ込む事で対応した。
 
 ところがその緊急手術の最中にもまた別の分娩が同時にぶつかってきた。
 これはもう例によって強力助産師チームに全てを任せるしかない。そんなこんなで今日も軽い寝不足感を感じながらの冷や汗綱渡りだった。しかしこれは僕にとっては標準的?な一日でもある。

 さて今はどこの病院でも医師不足で困っている。僕の様に一人部長の方の人数も増えているだろう。
 久美愛でも今や産婦人科と小児科が一人部長となり、ある意味末期的状況だ。それでこれだけの分娩数を良く診ていると自分でも思う。産婦人科の分娩が多ければそれにつれて小児科も大変になる。

 やはり一人部長と言うのは、医師が複数いる科と同じにしてもらっては困ると思う。いろいろな意味で特別扱いしてもらわなければ続かないのだ。
 そういう意味で全国あまたいる診療科一人部長の方には、一人でも多くの患者さんを診るためには、仕事をできるだけコメディカルに回す事、つまり仕事で我侭を言う事が大事なのだと、あえてここに書いておこうと思ったりもする。
2009年06月30日
安いものが一番高く付きました
 月曜は早朝未明から病棟からの問い合わせ電話で何度も起こされた。毎回同じ指示を出すのだが、何故か4回もほとんど同じ要件の電話がかかってくる。どうも看護師さんがしたくない仕事を僕にしてもらいたいらしい。
 誰にでもできる簡単な仕事なので、看護師さんがしても逆に僕がしても構わないのだが、未明からの出動で寝不足となると午後の手術に響く可能性もある。

 月曜午後にはやや要注意の細かい手術が控えている。
 狭い穴の中の手術なので、できるだけ目や指が元気に手術に臨みたい。そこで指示だけで対応していたら結局早朝15分毎に4回起こされる事となった訳だ。あまり嬉しい事ではないが、この位では寝不足には繋がらない。大忙しの外来と引き続く細かい手術や検査は全部無事にこなした。

 さて日曜日に東京に行った最大の目的は長男の社会見学?であったが、ついでに僕にはもう一つの目的があった。それはネパールでウィルス感染したミニPCをこの際徹底的に綺麗にしてもらう為であった。ミニPCには他人から貰った素敵な写真もかなりの枚数保存されている。万一これらの写真が感染していて、僕のHPを通じて不特定多数の読者に感染させたら大変だ。そうなったらこのHPも当然閉鎖しないといけないだろう。

 というわけで秋葉原のヨドバシデンキで徹底的なウィルスチェックと駆除を申し込む。ついでに最新型ウィルス対策ソフトインストールもお願いした。まとめるとそれなりの出費になる。
 このミニPCはエルブルースに登りに行く寸前に大型家電店で安売りしていたのを購入したものだ。確か金額は20000円もしなかったと思う(同時に何かのプロバイダに申し込むと1円になるから不思議)。その代わり今時珍しくウィルス対策ソフトが入ってなかった。

 さらにこれだけならまだ良かったのだが、このウィルスチェックに時間がかかる。何でもデータを別に保存しつつ、その後特別なソフトをインストールして隅々までチェックするらしく、性能の悪いミニPCではウィルスサーチだけで大変な時間がかかるのだ。
 結局朝から夕までかかってもウィルス対策は終わらず、また別の日に秋葉原までPCを取りにいかなければならなくなった。

 そう言うわけで仕方無くウィルスの心配無い写真で、先ほどエルブルース登頂の記録報告ページを作った。それほど重篤なウィルスでは無くデータが失われた訳では無いだろうから、それは良かったのだが、余分な手間暇を考えると典型的な安物買いの銭失いだったとは思う。
2009年06月29日
東大に入る事なら簡単です
 土曜日の緊急手術はもちろんそつなくこなす。その後も土日に3件の分娩があったが、これは代務の先生にお任せしよう。僕はせめて日曜日くらい家族と共に過ごさせていただく。
 と言う訳で日曜日は長男と共に東京観光に出かけた。安くなった高速をひた走り大型家電や東京の大学巡り、サッカーミュージアムなどを見て回る。

 長男が東大やJリーグに入る見込みは極めて低い。しかしだんだん世間の事が分かってきた長男に、少しでも社会勉強になればと思い、僕は僅かな時間に日本の首都東京に行く事を選択した。
 かく言う僕も高校生の時はマジに東大受験を考えていた事があった。東大理一か名大医学部か迷った末に名古屋大学を受験したのだが、もし東大に行っていれば僕の人生はもちろん大きく変わっていたのは間違いない。 
 もちろん東大理三に受かるだけの偏差値があれば東大受験していただろうが、そこまでの成績ではなかった。もちろん長男にも東大医学部に行く事を期待なんかしていない。

 人生は自分で切り開くのが原則だ。だから僕は子供に勉強しろなんて言った事は一度も無い(ただサッカーの練習しろとは言ったかな?)。
 だがせめてこれから人生の岐路に立つ長男には、人生どう選択すればどういう道があるのだという、方位磁石と地図だけは教えておきたい思っている。

東大構内に入ることだけなら誰でもできます
2009年06月27日
代務の先生が来てくださっていても
 今週末は代務の先生が名古屋から来てくださっている。こういう時はできるだけ山で遊んだり、家族と外出したりして、気持ちをリフレッシュさせたいものだ。
 今月始めまでエベレストで散々遊んで、更に週末に気持ちリフレッシュなんて贅沢だと思われるかもしれないが、やはり遠出できる時には遠出しておきたい。人生悔いなく生きたい。

 しかしどうも金曜にせっせと仕事をこなしても、緊急手術になりそうな方が一人残ってしまった。
 手術と言う事になれば、全てを代務の先生に任せてしまう訳には行かない。残念だが僕も今日は遠出は出来ない。しかし何か運動はしたい。
 と言う訳で午前中にさくっと近場をMTBで走ってきた。できれば近郊の沢登りでもしたいと思っていたが、携帯も繋がらないし時間がかかると良くないので辞めておく。

 お出かけはあきらめで、午後からは各種雑用と春の記録作りに励もう。
 と思って日記を書いていた矢先に、先ほど緊急手術出動依頼の電話が入ってきた。今から手術室に出動だ。携帯の繋がらない範囲に遊びに行くなんてとんでもない話であった。
 エベレストに登っていた時には、登山ガイドの謙ちゃん隊長が登りながら衛星電話で日本に情報を流していた。それを思い出して、僕の日記もかなりライブ感あると思ったりする。

丹生川の山奥に忽然と現れる巨大ダム建設現場
2009年06月26日
産婦人科は悲しい事も多い
 夜中の仕事こそ無かったものの、金曜の業務も忙しかった。分娩関係の業務と言うのには土日に関係は無い。しかし病院や世間一般的には土日休みの部門が多いものだ。
 従って各種業務の安全確保やその他のスムーズな段取りのために、土日に来そうな仕事を、上手く金曜日の内に済ませておく事が重要となる。要するに少しでもまともな休日を作るためには、金曜にしわ寄せ業務が来るという事だ。

 今週はたまたま滑り込み業務が多く、特に金曜に各種業務が固まった。外来も混むし滑り込み手術や検査、処置が次々と入り、中々に辛い。それでも夜の食事の時間には何とか間に合わせて帰る事が出来、まあ良かった。

 さてさて産科は一般的に目出度い事が多い科だと思われる傾向にある。ところが実際には意外に悲しい事も多い科だ。流産や死産、末期がんの方もみえる。特に大変な不妊治療を経ての流産とか、10ヶ月の突然の死産、若い方の末期ガン等は本当に気の毒だと思う。たまたまこの週末はそれらの方が多くみえて、僕も気が重かった。

 若き日の仏陀がお城を外出しようとした際、東門で老人、南門で病人、西門で死人を見て、それぞれ外出を取りやめたという話を聞いた事がある。仏陀はその後に出家を決めて、修行に入る。その逸話は生老病死の語源でもあるはずだ。
 産婦人科病棟を回診していると、正しくその話の様な状況に時々出くわすが、だからと言って回診を取りやめるなんて事は出来ない。もちろん仏陀の様に出家しようとも思わないし、たとえ出家しても悟りは開けないだろう。

 ただひたすら目の前にある仕事をこなす。その間に見る様々な不幸には馴らして行くしかない。それがある意味僕の悟りなのかもしれない。
2009年06月25日
人もPCもウィルスには注意
 深夜の呼び出しこそ無く寝不足無いはずだが、外来病棟共に重い仕事が多い。あまりに重い仕事が多いので、外来の合間に痒みや帯下系の軽い?主訴の患者さんが入ると、扱いが今度は軽くなり過ぎたりする。
 一人の重い患者さんに4分余分に時間をかけると、1分診察時間を減らさないといけない人が4人出てくる。これで診察時間を2分減らせる人がいてくれれば、診察時間を短くする人が2人で済む。要するにそういう事なのだとは思う。

 さてさて昨夜テレビを見ていたら、たまたまSARSが中国から世界に広まった経緯ドキュメントが放送されていた。世間にはスーパースプレッダーと言うウィルスを撒き散らす体質の方がいて、そういう方が海外に出ると一気に感染が広まるという内容だった。

 そのテレビを見ながら、自宅でエルブルースの記録を作るため、ネパールに持って行った写真保存用ミニPCにUSBメモリを差し込んだ。
 そしたらUSBメモリがいきなりロックした。これはオカシイと続いてCFメモリを差し込んだ。これもどこかおかしい。もう一枚新しいCFメモリを差し込んでも機能しない。これはどうもネパールで知らない内に僕のミニPCもウィルス感染していたのでじゃなかろうかと思う。このミニPCにはウィルス対策ソフトが入ってなかったのだ。

 案の定病院でウィルス対策ソフトの入ったPCにそれらメモリを差し込むと、次々とウィルスが発見され駆除されていった。違う種類のウィルスが幾つも出てくるから恐ろしいと思う。
 どうやら僕のミニPCはスーパースプレッダーであった様だ。その感染源は元を辿ればネパールのネットカフェだろう。それがxDピクチャーカードを通じてPCにまで感染していたのだ。恐ろしい話だと思う。
 幸いな事にデーター紛失する事は無く、ウィルスは無事駆除された。写真が救われてホッとする。先ほど無事にその救出された写真からエルブルースの記録を一つ作った。

 今日の外来では風邪患者さんが多く受診された。情報によると新型インフルエンザは妊婦さんで重症化する事があるという。インフルエンザ検査は全員マイナスだったから大丈夫だと思うが、ちと心配だったりする。
 グローバル化が進み、PCでも人でもいまやウィルスは核以上の脅威となった。それは何時も目の前にある危機なのだなと今更ながら今日は身に沁みてしまったりする。
2009年06月24日
仕事を辞めてもエベレスト?
 昨夜帰宅するまでは病院も比較的落ち着いていた。
 こんなことなら尾上さんの日本山岳会会長就任激例会に出席すれば良かったなどと考える。
 ところが夜遅くからまた不穏な電話が病棟よりかかり出した。どうも緊急手術の可能性がある方が入院してきたらしい。

 できれば朝まで持ってもらえれば良いと思いながら待機してたが、そうは問屋は下ろさない。深夜1時過ぎに緊急手術を決断せざる終えない状況となった。
 既に就寝していた外科の先生、多くの看護師さんらに出動していただき、夜中の手術に入る。もちろん麻酔、手術はそつなくこなし、新生児も良く泣いてくれた。

 ただ小さい赤ん坊で羊混あり、児は小児科入院となる。朝まで待たないで本当に良かったと思う。また同時に調子に乗って名古屋まで出かけないで本当に良かったと思う。
 もし名古屋に出かけていて帰宅が遅くなればちいと危なかった。更にもし誘惑に負けてお酒を名古屋で飲んでしまっていたら、ある意味アウトだ。
 僕の仕事は何時も綱渡りの訳だが、昨夜は良い方に転んでくれたという事だろう。

 今日は比較的仕事を楽に設定してる水曜日だ。午後からは医学関係の雑誌社の取材もあり、午前中に眠い目をこすりながら出来る限りのペーパーワークをこなす。
 寝不足感をやや感じながら雑誌取材を受けて、その後は病棟処置業務と更に別の分娩が一件待っていた。看護師さんからは「患者さんが待ってますよ」とハッパをかけられる。

 今日の雑誌社の記者さんには、「仕事を辞めてでもエベレストに行くつもりだったんですね?」という質問も受けた。
 僕が仕事を辞めたら困る人が多くいる以上、そう簡単に仕事を辞めるなんてできない。多くの方が色々な形で僕の仕事を支えてくれてもいる。人間は支えあって生きているのだ。
 ただ仕事より山で遊んでいる方が、自分の健康には良いだろうなあと、内心少し思ったりはする。
2009年06月23日
尾上昇氏日本山岳会会長就任おめでとうございます
 早朝に問い合わせ電話が一件あっただけで、夜中に出動を要する事は無かった。外来は混んで色々と懸念事項はあるが、分娩も無く結果的には比較的落ち着いた方の一日だ。これだけ落ち着いているのなら仕事を抜け出して名古屋に行けば良かったと今思っている。
 
 というのはちょうど今頃、名古屋では尾上昇氏の日本山岳会会長就任祝賀会が開かれているからだ。
 尾上さんは僕が主に日本山岳会東海支部で登山活動をしていた頃、東海支部の支部長をされていた方だ。そのころ僕は尾上さんにそれはもう大変なお世話になった。

 一番大きいのは14年前の環太平洋環境調査登山計画の時で、その時は尾上さんの強烈なコネクションでスポンサーを探していただき、僕はお陰で世界の山に向かう事が出来た。環太平洋計画は尾上さんの応援により始めて成り立ったのだ。
 更に20数年前のアジア横断登山の時は、天山山脈登山の個人費用を全て尾上さんに肩代わりしていただいた。しかも他の隊員が空路移動するところを、僕は一人で陸路移動し、それで浮いたお金で更に追加のアジア登山を企てたりもした。

 もちろん借りたお金は出世払いで返したが、利子もつけずにただ銀行振り込みで返しただけだったから、若いとはいえ申し訳ないと思う。
 とにもかくにも当時貧乏学生(皆貧乏でしたが・・・)だった僕は、尾上さんの援助のお陰で就職を遅らせる事ができ、海外登山で得がたい経験を得る事が出来た。その経験は今回の春の継続エベレスト登山にももちろん繋がっている。

 僕にとって大変な山の恩人であるわけで、僕は本来なら今日は何をさておき、名古屋の祝賀会に出席すべきであった。
 ところが火曜の夜に名古屋に行くのは仕事上どうしても都合付かない。何たる礼儀知らずだと思いながらも、今日の祝賀会には泣く泣く欠席とさせていただいた。多くの岳兄と会う機会も逃し、残念でならない。

 さてさて日本山岳会の会長には、日本の登山史に残る錚々たる岳人が名を連ねている。ただのアルピニストで無く、登山と関係ないと思われる分野で華々しい活躍をされた方も多い。
 その名誉ある立場に地方都市名古屋出身の尾上さんが選ばれたのは、東海地区の登山界にとって晴々しいグットニュースだった。東海地区の誉れと言えるだろう。

 これにより尾上さんも日本の登山史に名前をはっきりと残す。
 問題山積?の日本山岳会会長になった事を、本人が嬉しく思ってるかどうかは、甚だ疑問ではある。とはいえ僕にとっては、とっても嬉しくめでたい日本山岳会新会長就任であった。
2009年06月22日
カルテが大変なもので
 昨夜は経過中の方が一人残ったが、夜中に呼び出される事は無かった。朝から促進にして午後のちょうど良い時刻の分娩にしてもらう。予約の外来やら処置やらで楽ではないが、それほど帰宅は遅くならずに今日は済みそうだ。

 さて産科は元々自費診療と保険診療の混合で成り立っている。
 自費カルテと保険カルテは別々にする様にというお上のお達しがある関係で、全国津々浦々の産科病院のカルテは全て、患者さん一人につき自費分と保険分の2種類があるはずだ。
 だから産科医は常に2種類のカルテを使い分けて、診療記録を残していく事となる。
 更に妊婦さんの名前は良く変わる。出来ちゃった結婚や離婚や再婚は世間では日常茶飯事な訳で、そのたびに女性は名前が変わる。2つのカルテに2つ(時に3つとか)の名前が載る。これだけでかなり間違いの元になるものだ。

 さて僕はもう20年近くこの仕事で食べているから、ここまでは馴れている。
 しかし今病院ではまず紙のカルテの大きさがB4からA3に変わった。ついてはカルテの一斉切り替えが行われている。
 更にオーダリングシステムの変更というのが行われて、採血や検尿検査の出力用紙が変わり、結果を貼る場所もマチマチとなった。

 そのうえとっても改善意欲に富んだ看護師さんらが、クリニカルパスと言うのをどんどん作ってくれて、そのため僕の指示の書く場所や方法も変わった(というより何処に何を書くのか分からなくなった)。
 更に決定的な事が、僕の不在期間において来ていただいていた、約20名に渡る産科医のカルテ記入がそれぞれバラバラだ(これは臨時代務で意思統一ができてない以上当然なのですが・・・)。

 つまり今産婦人科のカルテは、非常に分かりづらい状態になっている。
 馴れてない人が見たら、とても理解できないだろう。事務さんや看護師さんを含めた周囲コメディカルの方もきっと良く分からないに違いない。やはり何か間違いが起きないか、ちいと心配だったりする。
 何といっても僕は一人一人の患者さんにかけれる時間が短い。瞬間的にカルテの中味を理解する事は、秒単位外来には必須なのだ。

 この様な状況になったのも身から出た錆という面が少なからずあるし、今更僕がとやかく出来ない事も多い。
 病院内にたった一人の産婦人科医である僕が、エベレスト前の遠い?記憶を手繰り寄せながら、間違いないように一貫した診療を進める。今はそれしか他に方法は無いのかもしれない。
2009年06月21日
あれからまだ1ヶ月
 朝から雨の日曜日となった。分娩業務が入らなければ、何処かに運動しにでかけるつもりだったが、朝からかなりの大雨で気持ちが挫けてしまう。その分、子供の送り迎えを2件、続いて多少の業務と遠征記録作りに励んだ。
 
 昼頃から次第に雨は止み出した。幸い分娩入院も無い。
 ここは子供のお迎えを1件キャンセルして、ちょっとは運動に出かけよう。エベレストから帰って急に運動を止め飲み食いばかりしていたから、何だか気持ちが悪いのだ。

 と言う訳で午後から、さくりと乗鞍スカイラインに行き平湯峠から畳平まで自転車で走ってみる。もし1時間以内で上がれたら、夏の乗鞍ヒルクライムにエントリーしようかなどと考えながら、せっせと自転車を漕いだ。

 エベレスト帰りで身体が軽いかと期待していたが、そんな事は無く、やはり峠から畳平まで1時間半ちょっとかかった。確かヒルクライムは2時間で足切りである。
 レースのトップタイムは30分程度だ。ロードとMTBの違いがあるから一概には言えないが、エントリーしても不甲斐無い結果に終わるのは目に見えているなあと思う。

 そういえば僕がエベレストに登頂したのは5月21日だ。今日でちょうど1ヶ月という事になる。
 早くもしっかり社会復帰、家庭復帰を果たしているのはとても有難い。しかしフィジカルな事に限定したら、エベレスト効果はどうも限定的なようだ。
 今すぐ何処かで高所登山でもしたら、多少は並みより早く登れるかもしれないが、基礎体力や個人の能力がエベレストで上がったという訳では無いだろう事は確かだと思う。

四ッ岳手前で一休み。ダウンヒル大会に本当に出たいなら休んでなんていられません
2009年06月20日
お産の間はインターネット
 昨夜は遅い夕食の最中に救急室から呼び出しが入り出動を要する。
 典型的な切迫さん呼び出しと異なり、外科的処置も要するものだったのでそれなりに時間を費やす。深夜には至らなかったから寝不足は無しで済んだ。
 今日は休日土曜日だ。代わりの医者は来てくれてない。やる事はたくさんあるが、せめて近場で良いから自転車漕ぎで運動はしたいと思う。

 まず朝は一番で次男のサッカー試合見送りがあり、続けざまに分娩室から、やや要注意系分娩呼び出しが入り出動となった。
 一仕事して病棟に顔を出したら、夜間の内に更に2人の陣痛発来の方が入院となっていた。つまり今日は一日中僕は病院の傍で過ごすしかないらしい

 病院内で分娩を待つ時間を使い、この春の海外遠征の記録をせっせと作りUPする。2件の分娩のうち1件は促進中に心拍が下がりやや難産となったが、先ほど二人とも無事に分娩された。
 しかしその為に、子供のお迎えを一件キャンセルし、自分の自転車漕ぎの時間も無くなる。

 分娩と言うのは何時と時間を決めて行う事ができない。そのため実働時間は短くても拘束時間は長くなる。
 特に心拍が下がるとか、出血が多いとかがあると、スクランブル出動を要する事も多い。しかもスクランブルとなる割合は多分多くの人が思うより多いものだ。
 分娩待ちの時間にPCを叩き、インターネットで時間を潰すのは、案外合理的な時間の使い方なのだろうと思ったりもする。 
2009年06月19日
出来ない事と出来る事は。決めとかない方が良い
 夜中の分娩出動は無く、昨夜もきちんと眠れた。今日の外来は何時もよりは混まないで済んだ。外来の最中に分娩が一件入ったが何時もの様にそつなくこなす。病棟は今ひとつ落ち着かないが、患者さんは落ち着いていないから入院している訳で、何時もより特別何か問題がある訳ではない。

 さて産婦人科は楽でない科だ。夜中の分娩をみながら、婦人科ガン患者さんの治療まで行うのは、自分でも良くやると思う。
 入院中の患者さんの中ににはターミナルの方もみえる事が多い。
 そういう方はいつ急変されるか分からず、夜中でもきちんと対応する必要があるのは当然だ。

 ところが末期ケアの中で、看護師さんが出来ず医師がやらないといけない事の、決まり事があると言う。
 たとえ簡単な注射でも看護士さんが出来ないものは出来ないらしい。そういうコメディカルや看護師さんが出来ない事をやる必要がある時は、医師が出動しないといけないらしい。
 
 ところが僕は一人で産婦人科の看板を上げている産婦人科一人部長だ。全ての事に一人しかいない僕が出動し対応していたら、僕の昼間の通常業務に支障をきたす事となる。という訳で僕は特に夜中において、やれる事はできるだけ看護師さんに任せるのを方針にしている。

 昨夜もそういう事があり、僕を夜中に呼び出そうと看護師さんらは検討した。とはいえ幸い全館当直の医師が僕の代わりに対応してくれて、僕を呼び出さないで済んだらしい。
 お陰で僕は夜中に起こされる事も無く、寝不足無しで今日の昼の仕事が出来た。これはとても有難いと思う。

 さて産婦人科と言う分野は、もともと誰がその仕事をするのかはっきりしないグレーゾーンの多い分野だ。これはもちろん夜中の仕事が多いという特殊な業務からそうなったのだろう。
 僕は世の中の基本として、やれる事とやれない事をあらかじめ決めてしまうのは、できるだけ避けた方が良いと思う。

 もしそこに自分しかやれない事があれば、どんな時でもがんばらないといけない。しかしその分他の人ができる事ならば、できるだけ、その場に業務に当たっている方に仕事を任せたい。

 末期の患者さんに優しく対応するのは、人間しかない必要かつ特別な優しさだ。それを医師しか出来ないと決めた人は、きっと医師が世の中にごまんといると思っている人なのだろう。
 その場でやれる人がやれる事をやる。これは仕事や山で得た僕の哲学の一つなのかもしれない。
2009年06月18日
人生何があるかは分からない
 昨夜は夕食後就寝前の時刻に分娩が入り、出動を要する。夜中に電話は入らなかったので寝不足感は無い。今日の外来はも何時もの様に混むが、混むのが普通になればそれを混むとは言わない。
 とにかくは誰かに偏らずコメディカルも医師も平均的に大変になる様にしないといけないと思う。
 幸い手術、分娩、その他処置は入らなかったので、午後遅くからは少し余裕が出来、多少だけど山の記録を追加する事が出来た。

 さてさてエベレストから帰国して以来、多くの人から祝辞電話やメールを受けた。
 やはりエベレスト登頂となるとそれなりにインパクトが大きいのだろう。10年も20年も昔の友人からメールを頂いたりすると、思わず有難くて嬉しい気持ちになる。
 20年前にアフリカで一緒に旅した友人数人からも、祝辞メールや電話を頂いた。20年前のアフリカを個人旅行していた人間というのは、さすがに強烈なキャラクターを持った方が多く、懐かしくアフリカでの強烈な出来事を思い出したりする。

 20年も経つと色々な事が起きる。早逝された方もいて、不幸な知らせも中には含まれていた。
 人生はいつ何が起こるか分からない。かく言う僕もエベレストに登れたのは良いが、何時事故や病気になるか分からないのだ。

 人間好き勝手な事ばかりして生きていられないのだが、かと言って後悔する様な人生は送りたくない。
 身体が動くうちから、思い出の中に生きるのは早い。
 生きる事と死ぬ事がどういう事なのか、僕にはもちろん分からないのだが、僕の身の回りに目に見えて生き死にはある。
 だから生きている間は、今を大切にして、心や身体を動き回らせて生きる事が大事なのじゃなかろうか。

サハラ砂漠にて。20年前に一緒にアフリカ横断した時の友人の写真を見つけたから載せちゃいま
2009年06月17日
記録を残すのは記憶の新鮮な内に
 今日は仕事を比較的楽に設定している水曜日だ。昨夜は分娩も無く寝不足は無い。
 各種書類業務やドック健診、病棟業務を手際よくこなすと、あいた時間にせっせとこの春の記録整理に励んだ。素敵な写真が次々と出てくる。
 やはり行動に余裕のある方の撮った写真には美しいものが多く、思わず胸が一杯になったりする。これがつ数ヶ月前の事だなんて信じられない。

 記録を残すには記憶ができるだけ新鮮な内が良いに決まっている。色々やる事はあって忙しいのは仕方が無いが、とにもかくにも一刻も早く、この春のカルステンツからエベレストへの高所旅行の記録を作りUPしようと思う。
 という訳でまだ作りかけですが、先ほどUPしたカルステンツの記録へGO。

ドロドロ、ボロボロの僕。これがつい3ヶ月前の自分とは信じられない
2009年06月16日
フリーズしないで先に進めます
 僕が病院に帰ってきた事が知れ渡ったのだろうか、今日の外来はこれまた混んだ。
 患者さんの中には僕が不在中にエベレストに登った事を知っている方もみえるが、だからと言って僕には患者さんと山の話をする時間は無い。遠征前と同様に、今日もただ流れるようにひたすら秒単位で数をこなした。

 午後には処置が2件と予約診察、会議もあれば、急患さん受診も続いた。麻酔薬の使用量など忘れかけているものも中にはあったが、記憶の底から何とか思い出して対応する。

 しかし世の中には常識では予測できない出来事もある。経験した事も無ければ、医学の教科書にも出てこない救急疾患の方も今日はみえた。
 どういう対処をすればベストなのか分からない事もあるが、PCの様にフリーズしてしまう事は許されない。医学の常識など働かせながらとにかく先に先に仕事を進める。 

 今は何とか時間があれば、この春の山行記録を早く作りたいと思っているが、その前にすぐ目の前にある危機?を乗り越えなければならない。
 人間生きていくためには、それはそれで仕方が無い事なのだろうが、医療の知識を思い出すと共に、山での出来事の記憶が遠ざかる様な気もしていたりする。
2009年06月15日
4ヶ月間があくと
 今日も朝は病棟からの緊急連絡電話で始まった。どうも緊急手術が必要な方の入院があったらしい。それなりに適切な指示を出しておいて、まずは予約の患者さん方の外来診察を手早く済ませる。
 月曜朝ならではの急患さんも多く受診され、中には重症さんもいる。それでも午後の早い時刻には緊急手術に入れた。

 今日の手術執刀は考えてみたら僕にとって4ヶ月ぶりの事であった。
 先週の金曜夜には開業医さんの手伝いで緊急手術の助手をしていたし、エベレストから帰国後翌日にも手術はあったのだが、それらはどちらも手術助手で勘弁してもらっていたから、今日は久しぶりにメスを持った事になる。

 手術というのは何時もの帝王切開だったが、普段なら無意識に手が動くところを考えながらじゃないと次の動作が出ない。やはり4ヶ月の間があくとこんなものなのだろう。
 心の中で「あれっこんなもんだったっけ」なんて思う瞬間もある。とはいえもちろん問題なく手術はこなした。これしきの間が開いたくらいで手術に不手際があるようなものならば、仕事を休む資格は無い。

 それにしてもエベレスト登山で何の障害も無く無事帰国できて本当に良かったと思う。指先が凍傷になっていたり、高所で頭をやられていたりしたら、これら分娩の方は本当に困るだろう。多くのガン患者さんも行き先を失ってしまう。いきなり何百人もの分娩難民、ガン難民を作るところだった。

 今日の手術前、手術後には、手術室の看護師さんから、次々と「無事帰国できて良かったねー」と声をかけられた。
 全くもってその通りだ。入院患者さんの人数も今日一日で急に増えたし、こんな状態でエベレスト登山中に何かあったらと思うと、冷や汗三斗だけじゃ事は済まない。今更ながら僕は普通じゃないなと思っていたりする。
2009年06月14日
勝手な人間ですから
 この土日は代務の先生が高山まで来てくれている。エベレスト遠征後すぐの週末に代務に来てくれるなんて、有難くて勿体無い位だ。天気もまあまあ良さげだし、せっかくだから何処かで運動はしたい。
 僕はエベレスト終了後から飲み食いばかりで全く運動していない。

 突然運動をストップするとスポーツ心臓となり、突然死の恐れもある。などと色々理屈をこね回して、今日の午前中だけでも身体を動かしに出かける事にした。
 というわけで先ほどまで乗鞍岳大雪渓でサマースキーを楽しんできた。

 今年は海外遠征のためスキー登山はできなかった?から、少しでもスキーの足前を維持向上するため、できるだけ急斜面を選んで滑る。
 とはいえガスで視界も悪いし、大雪渓を何度も登り返すモチベーションも無い。頂上からの一本を含めて数本滑るとそれでOKとした。午後には各種後片付けやエベレストの記録整理もしたい。

 エベレストから帰ってきたばかりの週末に、またさくさく遊びに出かける僕に、家族はもう呆れかえっている。
 春に3ヶ月仕事を休んで、更に週末には好き勝手しようなんてことは、幾ら何でも欲張りすぎかもしれない。何処かで何かシッペ返しがあるんじゃないかと、PCいじりながら心配反省している僕もいる。

午前中にさくっと滑って遊んできました
 
  これ以前の日記は削除しました。