事件ファイル
NO 001

 この事件は、山形市内で発生した事案である。
 嫁いだ娘、夫の現役警察官と組んで、両親から財産を強奪したり騙し盗った事件である。
 事件内容から警察官の絡む悪質性が高くあえて公開している。

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事件の概要  この「老人虐待」事件の家族構成は、戸籍筆頭者の母親セツと山形出身父親 利雄・・・そして三人の子供家族である。
ここの母親セツは、大正4年生まれで帯広市街で中規模の農家で初婚の夫を事故失い、更にその弟と再婚したが又も病死された。

それぞれの子供を二人抱えて広い農地を耕作し暮して居た。
しかし、当時カソリンの入った灯油を朝鮮人から買いって爆発し妹 文子を失い残された姉 梅子と親子二人での生活になった。
子供を抱えながらの北海道の広い農作業を一人でこなすのは、大変な労力が必要だった。

そこへ終戦帰還した山形出身の神社の次男坊 武田利雄が帯広へ職を探し流れて来たのだった。
当時は、職も無く空腹から母親の畑に入り込み野菜を盗みに来たのを母親セツに見つかって捕まった。

その後、男は親子二人なのでそのまま居座ったのだった。
近隣も遠いことから襲われやがて妊娠した母親は、、止む無く長男 亨 を生んだ後、慌てて籍を入れたのだった。
後に、直ぐ女の子 娘ちどりを産み家族五人の生活が始まったのだった。

父親になった 利雄は、酪農はできないと観させてもらうと一切農作業をしないで釣に出掛ける生活で母親が近所の人を頼んで手を貸して貰っていた。
その若者と、昭和33年に長女 梅子が同じ酪農家と結婚し嫁いたのだった。
しかし、父親 利雄が農地が高騰しだすと「馬鹿臭くてやってられない。」と山形へ帰り止む無く昭和37年に家族が山形へと移住しのです。

 利雄は、母親セツの反対を押し切り後継ぎすると言い出し次男が長男を押しのけて、千歳稲荷神社の神主として入り込んだのだった。
当然、その長男家族との関係は親戚ながらも揉めていた。

元々、強引に入り込んだ父親と母親の仲が悪く口論が絶えい夫婦であったので山形へ移住の際に、母親セツが財産分与し別々の家計生活したのだ。
 また、父親と長男 亨 とも幼い頃から虐待されたことで合わなく中学二年秋に家出し、山形市内の小姓町で別居して暮した。

息子亨は、 母親から月額5.000円のみ受取りほぼ自力で工業高校を卒業したのだった。
その後、一端東京都内の大手電気会社へ就職したが直ぐ辞めて北海道へ戻っり病院で働いていたが刑事の薦めで警察官への道を選んだのだった。
また、娘のちどり は、高校卒業後専門学校行き一時帯広 梅子のところへ住み込み働いていたが失恋から実家に戻って直ぐ、父親が捜した警察官と見合いし昭和48年に南陽市街農家の次男 強 と結婚したのだった。

 母親 セツは、稲荷神社の社務所で夫の手伝いをして暮して居たが、神社収入が少ないので帯広の土地を売った金で土地を買い借家を建てた家賃収入などでの生活を賄ってのだった。

神社宮司として夫 利雄は、やっと50代で資格を取り稼ぎだしたが母親の土地の売却した金を当てにして一切の生活費を入れなかった。
やがて長男 亨 も道警本部に勤務し落ち着き始めたので昭和50年に母親のセツは、利雄に見切りを付けて離婚覚悟で札幌移住した。

息子 亨 も機動隊寮から出てアパートを借りていた母親と共に暮らし始めたのだった。
 しかし、道警機動隊特殊隊員で爆弾処理班に所属し働いていた息子 亨 は、昭和49年12月に公務訓練で放射線被爆していたのだった。

母親 セツ は、息子の将来を案じて近くにマンションを新築し家賃収入を計り息子の危険な警察官を退職させて、その家賃収入で治療生活を考えていたのだった。

母親 セツは、その近くの川沿中学校横の空き地を探し買う事に決めてた。
その後直ぐ、マンションを建てる資金が足りないの山形所有の土地売却する為にやのがたへと向かったのだった。
母親の言われたとおり勤務先の機動隊を依願退職した息子 亨は、母親 セツ の帰りを待ってた期間に将来のことを考えて近くで喫茶店を始めたのである。

 その母親 セツ が土地の売却に戻って来たのを待ち構え狙ったのが結婚していたのが実娘 ちどり と夫 当時現役警察官の 強 であった。
二人は、残された父親 利雄を煽り立て母親を山形に留まらせ母親の全財産を奪うことを企んだのだった。

また、父親も神主の貧乏生活から抜け出し何とか妻 セツの土地の売却を妨害し留めておきたかったのである。
その手段として、娘夫婦と父親 利雄の陰謀が信者建築業者に頼み込み母親の土地に自宅ゆアパートを建てさせようと既に図面を書かせて仮契約をしてあるから、勝手に売却したなら多額の違約金を取られれると騙したのだった。

無知な母親は、兄弟が多く小学校しか出てないことから新築後に土地と纏めての売却しようと考えたのでした。
当然、父親や娘夫婦は長男に知られたら困るのでできるだけ母親との連絡をさせないようにするなどの妨害を始めたのだった。

その頃、喫茶店を開店した長男は放射線被爆の遺症治療をしていたが身体が立ち仕事なので辛く経験の豊富な探偵警護業に喫茶店を売却して転職し、順調に事業として約10人も常時社員を雇い活躍していたのだった。 

その5年の間に、アパートや自宅まで母親に新築させていたのだった。
そして、直ぐその新築した建物に父親や娘夫婦が居座りして売却を妨害していたのである。

母親が、新築と同時に建てた業者に頼み込み各不動産関係に売却広告を出したが父親と娘により妨害され売れなかったのである。
そんな夫と娘に呆れて怒り母親が平成2年秋に長男 亨を呼びつけ家族会議を開いたのでした。
その結果、母親セツが父親と一緒に再度全部売却の上で札幌移住することを決めたのでした。

渋々と同意した父親と娘 夫婦が謀った手段が、娘夫婦は毎晩遅くまで母親を責め立て睡眠不足で兼ねてから持病の糖尿病を悪化させ倒すことだったのです。
そして、遂に母親セツは売却前の平成3年2月17日倒れて糖尿からの失明でした。
自宅での療養治療していたが、それを長男が知ったときには既に遅くなってからでした。
そして、平成3年秋には娘 夫婦によって母親を自宅横に監禁用の建物を新築し拉致して監禁の末に虐待していたのです。

すっかり母親は、この娘 夫婦の虐待で最低の食事を与えられ心身ともに弱らせていたのでした。
そして、札幌への移住は年齢的に無理なように介護世話が必要なように口実理由を作ったのです。

更に、その後母親を脅して口答遺言の公正証書の作成させて全財産を貰う為に断食までさせていたのです。
そして父親に「長男が破綻しているので老後も世話して欲しかったら全財産を渡しなさい。」と騙し、公正証書まで作成させたのだった。

更に「亨君は、事業に失敗し多額の借金しているので債権者親の財産を押さえに入るから、名義を変えて措いた方が良い。」と騙し、相続前に父親の全財産の預金を取り上げていたのでした。

その後、直ぐ父親を老人施設へと追いやったのです。
次に、娘夫婦が邪魔な長男 亨に対しての破綻させる陰謀工作を謀ったのでした。

その手段として、最初に収入源を絶たせるのには探偵警護業を倒産させる方法として簡単な動物愛護活動に眼を着けたのだったのです。
犬猫の保護施設の借りている施設を無くして社会的に問題化し引越し費用を使わせることを企んだのでした。
その問題で、叩き事業の信用失墜を謀る方法を考えたのでした。

その一歩に借家保証人に成り済まし借家建物損壊工作を謀ったのです。
娘 ちどりと兄である長男の関係は、幼いころから性格が悪い妹との仲は良くなく結婚式後も一度も交流がなかったのでした。
急に、平成10年になってから全く一度も無かった犬猫保護施設への苦情電話が多くなり止む無く新篠津村の農村地帯へ移転させたのでした。
この時期に、「北方ジャーナル」の小笠原 淳 が現れ付き纏うようになったのでした。

 それから頻繁に、親の相続問題で娘 ちどりから電話や手紙を長男に問い掛けるようになってきたのでした。
そして、また新篠津村の施設にも嫌がらせや誹謗中傷の電話が家主へ寄せられていたのでした。
この工作方法は、娘 ちどりの夫の警備警察の工作手段だったのです。

その始まりが平岸天神犬猫保護施設にDOMONがボランティアで入り込み、そのDOMONが新篠津の犬猫保護施設へと導きして、ボランティアを連れ出して世話する者を無くし、又札幌市内へと施設を戻させる。
 そして、今まで交流が無かったので口実に親の老後問題を持ち出して保証人へと結びつける方法を段階的に策略したのでした。

長男 亨も元、警備畑の警察官でそれなりの工作手法教育を受けていたので後に、解かったのでした後の祭りで遅かったのでした。 
次は、愛護活動の犬猫保護施設を叩くのに「虐待保護」、「無職寄付金生活」、「不法占拠」、「動物虐待」と工作しヤラセ報道させての社会的な批判を負わせることを謀ったのでした。

現役の警察官が直接係ったら退職金を失うので、月刊記者の小笠原 淳 や警察関係で扱った者で利用できた水戸市の荻谷昭男を使って裏で工作していたのです。

DOMONも水戸市の荻谷昭男もパチンコ関係者で娘 ちどりの夫 強 とは警備警察の仕事上での深い関係なので全て、裏で繋がっているのです。
 しかし、この事件で札幌を離れないはずの長男 亨が山形へ突然舞戻ったのが夫婦の誤算だったのでした。
誰にも知られないはずの父親から騙し盗った預金から全て暴露されてしまったのです。

そして、介護を装い監禁断食から堪え切れない母親が公証人に「全財産をちどりに渡す。」と言うのを拒否したことが誤算だったのである。
すんなり父親と同じように公正証書で遺言させてから、早く死んで欲しかった母親が生きて全部長男に喋られ暴露されてしまったので大変だったのであ
る。

母親に温情を与え帯広旅行が仇になり全て長男 亨 に手提げの財産強奪まで知られたことも想定外だったのである。
娘 夫婦が山形に呼んで長男 亨の中学時代の写真を渡したことて嘱託記者 小笠原 淳 の酒飲みアル中を雇ったのが失敗だったのです。
この実家にしかない写真が記事に掲載されて全てが解かったのでした。

 現在、この元警察官夫婦は、妻の実家 両親から多額の資産を強奪したり騙し盗ってのうのうと退職金を貰って天下りし暮しているのである。
父親 利雄 は既に平成17年12月3日に不自然な死で他界している。

 一番の被害者である母親 セツ です。
 もう早6年、一週間も二回もの断食の末に歩かれなくさせられ認知症、そして後見人弁護士の手で特別老人施設へと入居させられ刑務所の独房と同じ生活している。
 三食の食事付きですが、息子 亨が行って散歩でもさせない限り自由で楽しい生涯の終末世界を奪われ、ただ娘 ちどり夫婦への憎しみだけの意地で生きているのです。
この実態を母親 セツ が「何とか多くの世界の皆さんへ公開して訴えて欲しい。」と息子 亨 に嘆願している。
この「老人虐待」事件動画を公開し息子 亨が母親に替わって訴えているのでした。

 胆略的な内容で理解し難いですが、次に順次「事件あらまし」に添って、個々詳細な陰謀行為の虐待内容を立証しながら公開致しておりますので最後までご閲覧下さい。。
多くの皆さんも遺産相続問題が大小御有りでしょう。
このように子供達兄弟間での遺産相続に絡んだ隠れた事件が多いのですが隠蔽され刑事事件にならないで葬られているのです。
親の介護問題での陰での「老人虐待」が蔓延してます、多くの厳しい目での監視が必要なのです。

 この事件に類似した事案の投稿をお願い致します。
現在、少しずつ工事更新中ですので解かり難いし、また掲示板での投稿では妨害される状態で誠に、お手数ですがEメールにての情報投稿をお待ちしおります。

                                   ニャンコ先生こと、川窪家 長男 川窪  亨
                                                                        
年代 西暦   事案名 状況や陰謀工作内容など 結果、または当時の状況など
1962年 
昭和37年
家族山形移住へ
の経過
父親 利雄が母親 セツ 所有の農地が高騰して来た事から山形の実家 神主の父親と土地の売却金を狙っての相談をしていた。      元々商業高校卒業の父親 利雄は、戦争から帰還した後仕事も無く帯広へ流れ母親セツ の野菜を盗み捕まり居座ったのが縁で酪農仕事は、全く嫌い釣ばかりして日ごろから遊んでばかりいた。
 そこへ土地が高騰し始めたので一切、仕事をしなくなったことから困っていたのに 梅子の結婚で更に人手が無くなり売却に至ったのだった。
1967年 
昭和42年
家族の状況 長男 亨 が警察官へ転業していたが父親 利雄は、まだ神職の資格修得のために全て、生活費は母親が賄っていた。 母親は、少しでも収入を得ようとして土地を買い、それを貸したり借家を建てて家賃収入を得ていたのと、自らも神社で「占い」をして稼いでいた。
1973年 
昭和48年12月
娘 ちどり
 警察官 強
と見合結婚
娘 ちどりが高校卒業し専門学校へ一年行っていたが帯広の姉宅へ一時来て働いて居た。
 しかし、私の知人の警察官と交際していたが破断し山形へ帰った。
 それをチャンスに父親が地元の警察官を捜して見合いさせ結婚させた。
父親 利雄 は、娘 ちどり を以前から山形から離すつもりがなく、何とか息子 亨 が警察官になっているのでライバル的にも警察官を捜して結婚させたかったのであった。
 その結婚条件として当時から多額の資産を相続させるような
言動を親戚関係者へ漏らしていたことを息子 亨 が地元の友人の警察官から聴いていた。
1975年 
昭和50年
ころまで
母親の悩み  娘 ちどりが結婚して以降に措いて母親が札幌の息子 亨 に再三電話で「味噌から米まで何でも夫婦で来て持って帰るので困るし、金を無心されて何とか札幌へ行きたい。」と相談されていた。
 また、夫 利雄も生活費も出さないし神社の建替えなとや水道工事などの多額の費用を要求して来ていた。 
当時、息子 亨 は、機動隊の特殊部隊で活躍していた時期で暇が無く母親の悩みに対応できない状態であった。
 母親に対して、息子 亨 も早く札幌へ離婚して来るように勧めていたのだった。
1974年 
昭和49年
亨 放射線被爆事故  機動隊特殊部隊 爆弾処理訓練指導中に同年11月3日受賞した科学技術長官賞の妬みから12月
訓練指導中に意図的な放射線被爆させられる。
被爆してから高熱や耳鳴りが発症し体調も崩して勤務に影響することから、公務災害にするか 亨 が深刻に悩んでいた時期である。
 
1975年
 昭和50年
母親が札幌へ移住し
息子 亨 と同居
息子 亨 は、母親に対して放射線被爆事故のことを告白するか迷っていたし、又母親は、何とか危険な仕事を辞めさせて安全な仕事へと転職を願っていた時期であった。  10月10日、機動隊の体育祭に特殊訓練公開を母親も見学したことから、母親が息子の身体の危険を感じて退職を嘆願した。
亨 自衛隊員の妻との不倫騒動
に巻き込まれる
 当時、某元警察署長の妹がスナック飲食店を経営していた。
 そこの自衛官妻のホステスが不倫して夫からの暴力を受けていた件で相談を 亨 が受けていたのが問題化され夫が機動隊へ押掛けて来た事案である。
この不倫していたホステスの相手は、寿司屋の店主で当時、既に離婚状態で妻と別居しホステスとの間に子供が出来ていたのである。
 そのホステスが 亨 と関係あるように隠蔽工作をして庇い
夫を騙していたのであった。
 後に、直ぐ寿司屋の店主と再婚し子供を産んで真駒内で生活している。
亨 警察官を
依願退職
丁度、不倫疑惑騒動に巻き込まれての依願退職であるが、実際には当時公務災害での被爆退職では法律が放射線の利用を認められて無かったことから重大な事件になるので、それを避けて穏便に退職したのであった。 結果的に、亨 だけが機動隊幹部にも一切伏せての依願退職し隊長などの処罰を避け一人被曝事故を隠しての退職になった。
 この一連の事案を誹謗中傷し娘 ちどり夫婦が母親から聴き出して問題化し親戚関係に言い触らしたり、又後の裁判での材料に「不倫問題」として使ったのだった。
1976年 
昭和51年
母親セツが土地など
資金作りに売却へ山形向かう
 母親セツは、南区真駒内の川沿中学校横に土地を見つけて交渉し買う事に決めたことから、資金作りに山形へ向かう。  母親が狙ったマンションを建てる予定の土地は、現在は大型スパー伝店や生協が建てられ土地も真駒内では、一番高騰している土地に変貌している。
 
父親 利雄と娘夫婦で母親 セツを
騙し事件
 土地の売却へと山形へ戻った母親セツを待ち構えて夫 利雄 と娘夫婦が売却させない為に陰謀を謀って騙した。
 まだ、離婚していないことを理由にして夫 利雄が神社の信者の建築業者と話しを合わせて陰謀を謀り「既に、アパートの図面を書かせて仮契約をしているので多額の違約金を取られるから土地は、売却できない。」と母親セツを騙したのであった。
 当然、父親 利雄と娘夫婦の間では裏話が成立していたのであった。
 
母親 セツ の
予定変更
 騙された母親 セツは、止む無く山形へ一端アパートを新築してから売却して資金を作ることを考えて計画予定を変更した。 息子 亨 は、母親の変更の意向から止む無く母親の勧めで新築アパートが売却されるまでの間、喫茶店を将来マンション管理しながらするのに練習として開業をする。
 当時、退職金が少なく母親からの300万円で貸し店舗の権利を買ったのだった。
 大家との間では、店舗返還時には同額を返還される条件での契約をしていたのである。
亨 喫茶店
開業
 母親からの資金でコーヒーを主体にした喫茶店を開店した。
 亨 の体調が高熱などで悪い事から簡単なメニューで負担が掛からないようにして営業した。
 
このころから母親との連絡が少なくなり母親も夫 利雄や娘夫婦に振り回されて大変だったことが後で解かった。
 その母親の決定的な日記が平成18年に山形に新築されたアパートの隣りに無理やり新築させられていた自宅用の新築されていた実家の天井に隠していたのを母親 セツの告白から息子 亨 が発見し、約10年間の全て当時の無心状況を把握することが出来たのだった。
1978年
 昭和53年
山形市内新築
アパートが完成
山形の松山の母親セツの土地にアパートが完成され、母親セツが103号へ社務所から転居する。
 当時の価格 25.00万円
 この頃は、既に母親セツに対して娘夫婦が母親を指示するような態度に出て母親セツを威圧していたと母親が証言している。
 実際に、その無心していた状況を記憶するためにと母親セツが一度も日記など書かなかったのに誤字や脱字ながら書き込んでいる。
 母親セツの告白から当時、一度日記を娘 ちどりに発見されて酷く怒られたと証言している。
 当然、その昭和52年度の日記が処分されて無くなっていた。
亨 が喫茶店を
売却転業
警護と探偵社
創設
警察での経験を生かして喫茶店を返還売却し、その資金で探偵の機材を買い込み警護会社と併合して創設する。
 (当時、北海道特殊調査事務所
北海道警護サービスとして開業) 
 喫茶店も二年間で三店も経営し専門的なコーヒー焙煎までして多くの顧客を持っていたが、全て売却して転業したのだった。
 丁度、転業の忙しい日々から母親セツとの連絡も少なかったが、母親セツの告白から母親セツも電話を掛けることが娘夫婦に妨害されて出来なかったと証言している。
亨 探偵社と併合
北海道犬猫
救護センター
保護施設開設。
探偵の業務上でペット探索から誤って
捕獲保護した犬猫の為の施設が必要に迫られ設立する。
張り込みなどの業務で野良猫や棄て犬猫の多いことに驚かされボランティアとしての保護活動も受けるようになって来ていた。
 発端は、他の保護団体関係者からの勧めから愛護団体として後の「ニャンコ先生の家」として活動始めることになる。
1979年 
昭和54年
から
1980年 
昭和55年
住宅用 新築
(現在の実家)
この実家の新築も業者に既に契約していると母親を騙して新築させたものである母親が証言している。 新築費用に関しては、夫 利雄の財産分与の金は当時母親が買った山林の一部に三本木沼と言う沼を利用し、そこへ釣掘り施設を計ったが失敗し無くした。
 それで一文なしでは心細いと母親セツから300万円を借りていた。
 母親セツは、その返還金と自己資金と合わせて自宅用を新築した後、アパートと自宅用新築建物を合わせての売却を計ったと証言している。
 当時、新築し売却に出した建築業者も息子 亨 が発見し
て、その裏付けの事実関係を確認している。
父親 利雄が
新築住宅用
建物社務所移転
居座り
母親セツが新築での売却を計っていたのに夫 利雄が新築と同時に社務所から引っ越して居座った。 母親セツは、娘夫婦も二階にと引越したりして売却が出来なくなって、止む無くアパートから新築住居へと引っ越した。
 この新築の経緯など一切、長男 亨 に連絡することもできない状況で娘に監視されていたと後に証言している。
1983年 
昭和58年
父親の兄弟親族
と帯広娘 梅子同行
長男 亨 運転
北海道一周
一週間旅行 
 母親セツと息子 亨 と二人になる機会が無いままに旅行が終わり、一切
 山形の状況や将来の相談が無かった。
後ほど、母親セツからの告白から帯広の娘 梅子は、既に
ちどり夫婦と結託して母親 セツ と 息子 亨 との接触をさせないように謀っていたとのことであった。
娘 ちどり警察官
夫婦中桜田
新居新築
中桜田に土地を買ったが、入り口の土地を母親に意図的に買わせて、新築自宅を建ていた。 土地の一部を買う資金が足りないとして母親セツ名義で土地を買わせ、後に母親から買い取る約束で土地を購入する。
1985年
昭和63年
亨 探偵社
社名名改名
 日本電信電話公社の広告既定の変更から社名に「特殊」の文字掲載を禁止される。 北海道特殊調査事務所から日本特捜探偵社へと社名改正し
全国ネット網にと業務範囲を拡張する。
事務所を中央区南10条郵便局ビルへ移転する。
ちどり 「幸福の科学」入信母親に無心 母親セツから頻繁に 娘 ちどりが幸福の科学の宗教に凝って無心すると悩み電話が再三 亨 に来ていた。 特定の宗教に凝ることを禁止されていることを元 警察官の 立場から 長男 亨 が夫 強 に電話で忠告する。
父親 利雄神主
鈴木俊一氏委任 
何件か父親 利雄が信者廻りをしていたが、神社の管理を任せた。 千歳山の神社まで登るのに支障が出て来たことから神社管理を任せた。
 母親セツの日記帳や父親利雄の関係書類から解かった。
1990年 
平成2年
母親セツ呼び掛
家族会議開催
山形の実家で家族会議が開かれる。 結果的に、札幌へ全て処分して移住が決定される。
父親 利雄も同意する。
母親セツへ娘夫婦
抗議事件
家族会議で母親セツが札幌へ移住することから 娘ちどり夫婦が毎晩抗議に来て睡眠不足と息子 亨 に母親が悩み電話。 息子 亨 は、母親セツを札幌に移住させるための準備を進めていた。 
長男 札幌事務所
電話回線放火事件
何者かによって札幌の 息子 亨 の本社事務所の電話回線が放火される。 札幌中央区南10条郵便局ビルの電話回線配電盤に放火され
電話連絡が一実家と切できなくなった。
1991年 
平成3年
母親セツ睡眠不足
糖尿病悪化失明
2月17日
母親セツ自宅で毎日の娘夫婦の抗議から糖尿病が悪化し眼が見えなくなり
倒れる。
息子 亨 へは一切母親セツが倒れたことを伏せて親戚のみで処理していた。
母親セツ財産入り
手提げ強奪事件
2月17日深夜
母親セツが倒れた当日の深夜に娘 ちどりが就寝していた母親を襲い枕元の全財産の入った黒色の手提げを叩いて強奪する。 母親セツの証言から平成13年12月母親が帯広の娘 梅子へ
逃避していることを札幌の息子 亨 が逢って告白され発覚する。
 ちどり夫婦、中桜田
自宅横に「離れ」
監禁建物新築。
同年 秋
母親から強奪した金で娘 ちどり夫婦が
中桜田の自宅横に監禁する「離れ」の建物を新築する。
母親セツに買わせていた中桜田の自宅横の土地に娘 ちどりが母親から強奪した預金を卸して監禁目的の「離れ」を勝手に新築する。
母親セツを娘 婦
拉致 「離れ」
監禁事件
実家で就寝していた母親セツを娘 ちどりの夫 当時 警察官 強 が拉致し
「離れ」に搬送監禁する。
実家自宅で父親と母親が深夜就寝していたところへ娘 ちどり夫婦が来て、母親セツを 強 が無言で抱えて車に乗せ中桜田の「離れ」に強制的に拉致監禁されたと母親セツが告白し発覚した。
 当時、母親が叫んでも父親は寝た振りか起きてこなかったと証言している。
娘 ちどり夫婦長男
 行方不明隠蔽
工作事件
母親セツの拉致監禁を正当化するために、娘 ちどり夫婦が長男 行方不明と
隠蔽工作をしていた。
長男 亨 への連絡をさせないように母親 セツを監禁監視した上に、親戚関係者へは「母親が倒れたのに 亨君が行方不明で我々が世話している。」と嘘を言って隠蔽工作をしていたことが、後で発覚する。
長男 亨 母親セツ
連絡不通
山形実家
視察接見時
傷害強与事件
母親セツが倒れてから長男 亨 が連絡が取れないことから不信を感じ実家へ向かう。 息子 亨 が不信を感じ山形へ逢いに来たところ母親セツを実家奥の間にベットを高くして寝せて娘 ちどりが布団に手を入れて横に付き添っていた。
 母親セツの態度に不信を感じて後で母親セツの右脇が青くなっていたことを確認した。
 母親は、「札幌へは行かれないから帰れ。」と言い、娘 ちどりや帯広の 梅子が「今、動かされない状態なので我々が世話するから帰れ。」と息子 亨 が追い帰される。
 後で、母親の証言から「ちどりに言うとおりに話さないと承知しないと抓られいた。」と言われていたことが解かった。
1992年
 平成4年
偽装旅行事件
8月14日
蔵王温泉
太平ホテル
母親セツと父親 利雄 をこの年から毎年お盆の息子 亨 が実家に来ることを予測しての偽装旅行していた。
 また同時に、母親セツから強奪した財産を旅行費用に使ったように偽装していた。
母親セツと息子 亨 との接触を避けるために監禁している「離れ」から 利雄と同行してちどり夫婦が旅行へ行っていたことが実家の父親アルバムの記念撮影から発覚した。
平成9年の北海道網走旅行など母親が倒れるまで毎年偽装旅行へ連れ出していた。
 母親セツの証言から全て、強奪した預金通帳から卸して多額の旅費を失費したように装い領収書を集めて高額な旅行経費を偽装していたことが解かった。
 実際には、昼御飯も食べないで連れ回されて虐待されていたことが解かった。 
長男 亨 山形に
事務所移転準備
母親セツが札幌へ移住できない状況から息子 亨 が山形へ移住の準備する。
山形地域への探偵調査広告をNTTに申し込み平成5年本社
移住の準備始める。
父親 利雄の
預金卸事件
長男 亨 が山形へ移住することを察知した娘 ちどり夫婦は、父親 利雄を騙して父親の預金名義を自分達の名義へ替えていた。 「札幌で多額の借金して山形へ戻って来るから、親の預金は債務者に押さえられる。」と騙して預金名義を替えさせられてたと母親セツも証言しているし、実際に預金が満期でもないのに移動されていた。
1993年 
平成5年
札幌事務所を
山形への移転
騒動事件
長男の息子 亨 が札幌本社を山形実家へ移転したが、又札幌へ戻す。 札幌から本社を山形実家の二階に移動したが、毎晩娘 ちどり夫婦の抗議や父親 利雄が既に認知症から異常な行動をとっていたことで事務所として営業が無理な状況から、また札幌へ本社事務所を移転した。
 この事件に際し母親の戸籍から長男 亨 は、抜いて札幌に新戸籍を作成した。
 父親 利雄の状況は、実家の茶の間のテーブル下に布団を敷き昼でもブラインドカーテンを下ろし暗くして生活していた。
  母親は、旅行していると言い一切娘 ちどり夫婦が接見を妨害して逢わせなかった。
札幌に長男 亨 
母親セツから分籍
5月7日、山形から引き揚げる際に母親セツの戸籍から札幌へ長男 亨 が分籍する。
母親セツに山形には、二度と来ない印としてと株式会社にする為に、都合から分籍した。
近隣への長男 
不明偽装
工作発覚
長男 亨 が本社事務所を山形へ移転して居住することから、親戚近隣関係者
への挨拶廻りで行方不明にされていたことが解かった。
娘 ちどり夫婦の工作で近隣から親戚関係者の全てに「札幌の長男 亨君が多額の借金から行方不明で私たちが両親を
世話している。」と偽装工作していたことが直接 亨 が聴いて解かったのだった。
 また父親 利雄にも連絡不能と言い
同じことを吹き込みしていたことが解かった。
偽装温泉旅行
8月23日
今年も鳴子温泉へ日帰り旅行して
食事もさせないで領収書集めを
していた。
母親セツの証言と旅行写真を残している。
 その写真を親戚関係者へ見せて親孝行しているように見せ掛けていたことが解かった。
教育費の
支払事件
娘 ちどり夫婦から孫達二人の
大学費など全て母親セツが支払をさせられていた。
娘夫婦が無一文の母親セツを定期預金している富士銀行山形支店に連れまわし、大学の学費など全て二人の子供達のを支払うように脅され言わせられていたことが告白から解かった。
 毎月、圭子と英子にそれぞれ10万円を両親の両方から盗っていたと母親セツが証言している。
入学金は、母親セツを富士銀行山形支店へ連れ回して300万円を卸させたと母親が証言している。
1994年 
平成6年
偽装旅行
4月30日
宮城県松島に日帰り旅行を帯広の梅子も参加している。 大きく拡大した写真を親戚関係者へ見せていたと母親が証言しているとおりで、実家の父親 利雄のアルバムから見つかる。
父親 利雄の兄
信雄他界通知
川窪家の長男には葬儀の一切連絡無い 千歳稲荷神社を父親 利雄と一緒に神主していた信雄の他界にも長男 亨 を意図的に葬儀に連絡しない。
1995年
平成7年
父親 利雄の姉
金子政子他界通知
5月17日、父親 利雄と父親の兄信雄の四男の幸四郎と東京佃島金子家の葬儀へ出席している。 昭和58年、長男 亨 と一緒に北海道旅行しているのに一切葬儀の連絡されなかった。
父親 利雄の兄の妻 
幸乃が他界
不通知
川窪家の長男には葬儀の一切連絡無い。
7月28日
母親セツの話から長男 亨 の話をすると怒られ抓られたり暴行されていたと証言している。
1996年 
平成8年
7月14日、15日
偽装旅行
一泊で白石温泉旅行 写真の証拠が父親のアルバムから発見されている。
1997年 
平成9年
北海道網走へ
偽装旅行
帯広の梅子夫婦も参加している。
7月22日
証拠写真が父親利雄のアルバムから発見している。
母親セツが札幌の長男 亨 
を呼びたいと 娘 ちどりに話したら二度と亨の話をしたら承知しないぞと怒り抓られたと母親が証言した。
長男 事務所
電話回線
放火事件
1998年 
平成10年
蔵王山へ旅行 父親 利雄の兄、信雄家族と同行し夫婦で旅行した。
5月24日
この旅行の証拠写真が発見されたがフィルムの現像するのに父親利雄が山形市内東原写真館に7月6日出しているが、既に父親 利雄の筆跡は、振るえて認知症独特の症状が現れていた。
認知症の度合い証拠として裁判所へ報告済みである。
新篠津村  
犬猫保護施設で
犬盗難発生

「猫だすけ」の北海道支社DOMONが
ボランティアから抜けた以後、盗難や犬猫離される事件発生。
インターネット掲示板などで誹謗中傷が始まり又、その頃から何者かが犬猫保護施設に入り込み保護妨害始まった。
1999年 
平成11年
父親 利雄神社関係
役員離無職。
少し認知症になりながらも神社関連の
役員をしていたが一切離れる。
父親 利雄の認知症が進行し暴言が多くなったり会話が正常でなくなって来ていた。
 全て神社関連は、鈴木俊一氏が引き継いだ。
2000年預金
分配騒動事件
コンピュターの2000年誤動作問題での
母親セツの預金騒動。
12月暮れに富士銀行山形支店から札幌 長男 亨 へ「貴方の預金を誤動作が起きる可能性から一度卸して戴きたい。」と連絡を受けていた。
父親 利雄が「亨の名前で保険を掛けて措いたのが満期になったので卸して、送金して欲しい。」と電話連絡を札幌の長男
 亨が受けていた。
富士銀行山形支店に札幌から電話で 亨 が確認したら「父親の利雄さんが全額預金を卸しに来たが断りましたので御報告しました。」との回答であった。
 母親セツが三人の産んだ子供に対し平等に各名義で380万円を預金していたものであったことが解かったので各人が卸した。
 しかし、両親の世話しているのに不平等と娘 ちどりが主張し父親 利雄の預金から別に400万円を盗ったことが母親セツの告白から解かった。
札幌の長男 亨
団体代表
北海道新聞社
「ペット便利帳」
犬猫保護活動掲載
 この直後から新篠津村の犬猫保護施設に対して、何者かが預かりの犬猫を離したり、殺したりする事案が発生しだした。 当時、パチンコ関連の清掃会社の社長の息子 土門 と名乗る30代の男がボランティアとして潜り込んでいて他のボランティァを巻き込んで「猫とあそぼう」と名乗るサイトの全国組織団体「猫だすけ」の札幌支社と掲げて去った事案と娘 ちどり夫婦が関連があったことが判明した。 
2000年
 平成12年
札幌 亨 身辺
異常な嫌がらせ
発生
2000年騒動から以降、急にパンク事件と110番通報が発生した。 マイクロバスなど使用車両が数日置きにパンクさせられたり犬猫の保護施設に対して今まで苦情が無かったのに急に110番が一日何回も掛けられて来ていた。
 掛けているが特定の人間である事が解かった。
マイクロバスの中の貴重品が次々に盗難にあったり頻繁に駐車違反の通報などの110番が掛けられていた。
近隣に誹謗中傷する電話が多く掛けられていたことが聴き込み調査で判明した。
札幌の月刊誌「北方ジャーナル」の嘱託記者が長男 亨 の身辺調査を開始した。
 (北方ジャーナル事件)
 免許の無い小笠原 淳 と名乗る嘱託記者が頻繁に顔をだして来て尾行まで始めた。
娘 ちどりが保証人の立場を利用して長男 亨 の大家と裏で何回か札幌へ出向き交渉していた。 娘 ちどりが長男 亨 に川窪家の相続問題や遺産分与問題の手紙を何通も頻繁に出し出す。
有珠山噴火災害事案 札幌の長男 亨 が有珠山噴火災害事案で活動していたが、現場状況写真の撮影したカメラ盗難。 全国からの有珠山噴火災害募金を北海道獣医師会が仕切ったがネコババ発覚。
 インターネットで叩いたことから道庁や獣医師会の対応が変わる。
2001年 
平成13年
母親セツ
公証人役場
暴行断食事件
娘ちどり夫婦に監禁監視されていた母親を公証人役場へ連れ回し「全財産をちどりへ渡す。」と言えと脅したが、母親が拒否したので暴行した上、監禁し断食させた。 母親が公証人に対し「札幌に長男が居るのでちどりへは一円も遣らない。」と言ったことから公正証書の作成ができなく、その後直ぐ、使用人の店へ連れ込んで暴行した。
 その後、中桜田の「離れ」に監禁し罰として一週間の断食をさせた。
 母親は、三日目には空腹から立つ事も喋る事も出来なくなっていた。
なお、母親の証言から父親 利雄も同じ断食をさせられていたので二人共動けなかったと証言している。
  既に認知症からか、父親 利雄は「25万円遣せ。むと朝から晩まで叫んで居たと母親セツが証言している。
母親セツ
帯広逃避
娘ちどり夫婦に監禁監視されていた母親がちどりに嘘を言って帯広の娘 梅子のところへ逃避した。  娘 ちどりに対して母親セツが「最後に帯広の娘の顔を見てから死にたいので旅行させて欲しい。」と嘆願して騙し逃避した。
しかし、実際に帯広の梅子に逢ったらちどりと電話で連絡しあっていることから、仲間同士なので助けを頼めなかったと告白している。
 帯広では梅子がちどりに替わって監視していたと告白している。
札幌の息子 亨
母親所在発見
母親との連絡が一切取れないことから不信を抱いた息子 亨 が、帯広の娘梅子のところへ居る事を確認した。  直ぐ、帯広の梅子宅へ行ったところ母親セツが元地下室のトイレ側のベットで寝起きし部屋の手は入り口で梅子が監視している状況であった。
 何とか息子 亨 が母親から状況を聴きだそうと二人になる機会を作ろうと試みたが必ず梅子が母親セツに纏わりつき二人にさせなかった。
 一週間粘り二人の会話の機会を見つけて母親と息子 亨 が会話した。
 それにより全財産を奪われ逃避して来た事だけ聞かされたことから、盗られた母親の財産を取り戻す事を考えた。
 しかし、母親セツとの相談で土地の権利やその他の問題で直接調査してからの返還をさせることに決定した。 
梅子と亨 山形
実態調査
山形へ梅子と亨二人で来て法務局や市役所で調査てから中桜田のちどりに逢った。
 全ての返還を求めたが母親セツから預かり我々にも権利があると主張し応じなかった。
 長男 亨 がちどりと返還を求めて要求しているのを側で聞いていた梅子が仲裁に入り「亨、私にちどりとの話を任せて欲しい。」と言い出したので亨は、引いた。
 結果を亨が梅子に聴いたがハッキリした返答が無かった。
亨 は、この時に初めて中桜田の「離れ」や川窪家の墓を確認した。
 その後も一切連絡無く、一端帯広へ帰ってから娘 ちどり夫婦に対し12月20日付で内容証明書を出した。
しかし、一週間経過しても返答が無いので夫の勤務先 天童警察署長へ県警本部の友人を通して事情を話した。 
娘 ちどり夫婦
強奪物母親セツ
一部返還
12月30日午後6時過ぎ、突然娘ちどり夫婦と父親 利雄が梅子宅へ現れて実印と土地の権利書のみを返還して一時間も居ないで帰った。  一方的に母親から一時的に預かって欲しいと頼まれて預かっていたと主張し、母親セツを強与して投げ捨て帰った。
 また、父親 利雄に関しては、「25万円返せ。」と何度も怒鳴っているだけで会話にもならない状態で認知症が進んでいた。
 通帳や有価使用権など一切返還しないで帰ったので請求したが、帰ってから郵送すると言い後も返還が無かった。
2002年
 平成14年
母親セツと息子 亨 
札幌母親移住計画
母親セツの意向を聴き札幌で息子 亨 と生活することを確認した息子 亨 がバリアフリーのマンションを探しに札幌へ向かう。  正月早々札幌の不動産屋に当たりバリヤフリーマンションを契約して帯広の梅子宅の母親セツを迎えに立寄る。
 しかし、直接母親セツと逢わすこと無く梅子の立会いで母親から「亨、札幌へ行かないことにした。」と言い出した。
 その後、直ぐ梅子が「判ったら今、駅まで送る。」と言い出し
母親を部屋に連れ去った。
 その直後、母親が梅子に対して「亨に、もう生きて逢えないから駅まで見送らせてくれ。」と叫んだので駅まで見送りを受けた。
 
息子 亨 
札幌へマンション
契約間
脅迫事件
この息子 亨 の不在の間に、娘ちどりが携帯電話で母親に対して脅し札幌への移住を妨害した。  娘 ちどりが梅子の携帯電話に掛けて梅子が母親セツの耳元に着けて聞かせて脅した。
 その内容は、「亨君が戻って迎えに来て札幌へ行っても必ず
亨君の居ないときに行って殺すから覚悟していなね。」
「それでも行くなら行きなさい、今までのこと思い出してね。」と
脅されたと後に母親が告白している。
母親セツに梅子
見送り
暴行事件
杖を突きながら歩行できる母親セツであったが、駅構内はすべるので梅子が車椅子で母親セツを乗せ押して見送りした。 母親セツと息子 亨 との別れる際に、「亨、ちどりから殺されるけれど山形へ帰るけど元気でな。」と母親セツが言って別れたのだった。
 構内で見送りわ受け直ぐ、梅子と母親セツが帰った。
しかし、その別れて見えなくなった直後に梅子が母親セツの頭を拳骨で殴ったことを、後に母親が証言している。
 亨に、余計なことを喋ってと拳骨と口の頬を抓り一週間も痛かったことを母親セツが当時の模様を話すのを収録している。 
母親セツ
山形戻し状況
札幌へ帰る 亨を見送ってから後は、一食を食べさせて貰った以外一切食事なく次の日に飛行機で無一文で乗せられて山形へ帰されたことを母親セツが後で告白している。 山形の飛行場で待ち構えていた娘 ちどり夫婦は、直ぐ車に乗せて中桜田の「離れ」に着くなり、思い切り叩かれた上に背負わされていた土地の権利書や実印の入ったナップサックを引き取られたと告白している。
 
母の逃避に怒り
断食体罰
直ぐ「離れ」に監禁させられた母親セツに対して娘 夫婦は、逃避の罰として
一食も与えないで断食をさせた。
帯広から一食もしていない母親セツは、山形でも一切食事を与えられないで監禁されたことから直ぐ、立てなくなり記憶も
6日目には失ったと告白した。
父親 利雄が9月6日
口答遺言作成
母親セツが監禁断食されていた同じ時期に一緒に離れに居た父親が口答遺言を娘 ちどりと交わしていた。 平成13年暮れに梅子宅に母親セツから強奪した土地の権利書と実印を返還に娘ちどり夫婦と同行して来た時には、既に認知症の症状が出て会話にならなかったのに何故公証人役場で公正証書を交わせたのかは、誰もが母親セツと同様に強与脅迫の上での作成に疑うに充分である。
例え、父親利雄の証言が事実であっても多額の使い切れない預金が卸されている事実は変えられない証拠である。 
札幌 長男 亨 の借家
明渡し訴訟事件
保証人 ちどりと家主が借主に無関係に
和解処理された。
父親 利雄から150万円を盗って家主に渡すから「全部留守中に建物ごと壊して欲しい。」と家主が頼まれていたことを
関係者の証言から証拠として得ている。
札幌 長男 亨 の借家
全損壊器物損壊事件
12月9日、札幌の長男 亨 が借家事務所を出張不在中に措いて引越し終えてない間に、全て家具機材ごと全損壊した。 明渡し条件として犬猫保護施設へ全て犬猫を移動し引越し完了した時点で鍵を渡して引き渡すことを裁判所と約束して和解した。
 しかし、保証人である娘 ちどりの指示で引越し完了し鍵を渡す前に家主が一方的に借家を承諾無く全損壊し破棄した。
 出張から帰った長男 亨 は、衣服から家財道具など全て
失ったことから、電話回線、探偵警備機材パソコンコンピーターなどデーターを失い無職になる。
監禁断食体罰
母親セツが
脱水症脳梗塞
緊急入院
 気が着いた時には、何処かの救急病院らしくピーポーと救急車の出入りの多い病院だと知った。
 やがて落ち着いて始めて山形大学付属病院に緊急入院されていたことが解かったと告白している。
 当然、入院の原因に関しては、断食による脱水症からの脳梗塞で緊急入院させられていたものであった。
 帯広までは元気に杖突きながらでも歩行していた母親セツが一変して下半身不髄の入院生活を実の娘夫婦によって背負わされたのだった。
 当然、入院の事実に関しては極一部の親戚関係者以外に連絡せずに伏せていたもので、平成16年10月徳洲会山形病院が新設され転院されるまで知る者は少ないのである。
 幸に、脳梗塞でも母親セツの記憶が確りしていたことから全貌が判明されたのである。
母親セツ
所在隠蔽工作
2003年
平成15年
娘 母親入院
隠蔽工作
母親セツ入院中親戚関係者の見舞い一切無かったことを母親セツが、平成18年に告白。。
2004年
平成16年
母親セツ
徳洲会転院
2005年
平成17年
長男山形
実家不信
実家調査
10月8日
 両親と連絡が着かないので不信を感じ、突然連絡しないで視察に実家へ戻る。
両親虐待
隠蔽工作
 娘 ちどりが母親に「亨を札幌に帰れ。」と言えと脅迫し暴行していたことを後ほど母親セツが告白した。  平成18年1月に入って頻繁に長男 亨 が不信を感じ母親セツのところで長時間毎日居座っていたら、母親セツが安心しだして少しずつ虐待事実を長男 亨 に告白したが、それまで「余計なことを喋ったら口塞いで殺すから、隣の婆さんは、喋れないし言われたことを亨に言えよ。」と脅していたと言う。
 母親は、親戚の見舞いの時にも同じことを言われていたが聴かれたことに嘘を言って対応しなかったらちどりに抓られたり 強 から往復ビンタされていたと告白した。
父親 利雄
告白事件
長男息子 亨 に「ちどりに騙され全部盗られた。」と告白。
父親 利雄
不自然死
長男が父親と逢って帰ると入れ違いに娘が父親の個室に入り二時間後帰ってから30分して担当介護士が食事を持って行ったら心肺停止して死んでいたのだった。
 死因が「呼吸不全」である。
 前日の2日も長男が娘の替わりに父親の洗濯もを取りに行ってた。
父親が「ちどりに騙されて全部盗られた。」と告白していることや、又12月の9日まで、娘ちどりの指示で150万円家主が貰う事で借家全損壊したことから18.000万円の損害賠償請求の訴訟裁判」での札幌地裁に訴状を届ける為に12月5日札幌へ向かう予定を娘 ちどりが知っていたのだった。
 母親の監禁事件から全て知っている父親が生きてると都合が悪かったのである。
 父親は、全財産盗られて老人施設へ入れられた上に長男が多額の借金し失踪しているのが嘘と解かっ「娘に騙されたと叫んだのだった。
葬儀玉串料
窃盗事件
 「爺ちゃんから預かっていた金200万円のことも有るから、収支計算するのに全部預かり報告する。」と葬儀の際に、武田 強 が持ち去ってから
報告が無かった。
 
 その後、  月   日に報告しに来たが約100万円の違いがあった。
そして現金は、葬儀屋の支払残金100万円支払って措いて欲しいと言い残し長男 亨に渡し、又修正報告をすると思って待てども来なかった。
母親病院内
傷害事件発覚
母親セツの
正月実家
外泊事件
外泊防止
泊り込み事件
2006年
平成18年
母親セツの強奪物品の
引渡し拒否
母親セツ代理での
内容証明通告
父親 利雄の
埋葬許可事件
母親セツ
長男 亨
告白。
母親実印
改印
母親
住民票変更
市役所で母親住民票移転
変更を無効にし元に戻す。
母親セツと担当係官直接面接し、勝手に中桜田へ実家から母親の住民票を移転した娘のを無効にして、元々居住していた実家住所に戻した。
母親長男に
資産譲渡
手続き
母親拉致脅迫しての
住民票戻し事件
母親セツの実家の住民票を
また、中桜田の自宅に娘戻す。
母親セツを入院先の徳洲会病院から許可無く拉致し、市役所に連れて行き「黙ってないと殺す。」と脅し、母親セツの右手に自分の手を被せて手続きして戻した。
担当医に認知症
の偽装
診断書提出
内科医が認知症の
偽装診断書
娘 ちどりに提出
 山形大学付属病院勤務の母親内科医師が関係看護師や介護士を連れて徳洲会山形病院が開設と同時に患者転院させ移動しているもので、母親セツも転院させられ同じメンバーからの介護治療になっている。
 娘 ちどりが「徳洲会病院に転院させるのに多額の金を使っている。」と長男 に釘を刺した言葉の理由が解かった。
 勤務医師が多額の報酬を受け取って認知症診断書を慌てて書き上げたものである。
母親セツの認知症は、誰も同じ入院患者家族が否定し多くの証言する証人を確保している。
娘 後見人
地裁に手続き
娘 母親セツの財産管理などの成人後見人申込み家裁手続。 母親セツが公証人を呼んで口答で息子 亨への財産譲渡を頼んでいるのを病院看護師から聴きつけ慌てて認知症の診断書を作成させ妨害工作に、成人後見人手続きを家裁に申込む。
母親セツ娘夫婦
からの
監禁断食
長男に告白
山形警察署
逮捕監禁罪
警察官告発
現役、娘の夫警察官夫婦を母親セツと長男が逮捕監禁罪で時効前の告発。  当時、山形警察署警備課係長 武田 強 を娘 妻ちどりと共謀して母親セツを逮捕監禁し平成14年一週間断食脳梗塞下半身不髄にしたことで、長男母親代理で山形警察署に訴えた。
 実況見分も一切しないで連絡無く放置。
娘 夫 警察官
定年退職
 警察官 武田 強 が定年退職し、退職金手に山形県自動車免許センターに天下り。
山形警察署
逮捕監禁罪
放置時効
平成14年母親セツに対しての娘夫婦警察官告発無視し時効。
娘 後見人家裁
認めず後見人
弁護士選任
長男 亨 の意見書から ちどりの後見人認めず却下。
家裁家族関係
調整の調停
札幌知人に
拉致傷害
脅迫事件
荻谷昭男が水戸市から札幌 亨の知人に脅し傷害負わせる。  長男 亨 に札幌で預かり犬の保護依頼した岩尾さんに「俺の女になって、川窪の全ての情報を教えないと殺す。」と脅し、拉致した上傷害を負わした事件で白石警察署で処理されている。
バイク工作
未遂事件
父親利雄のバイクに徳集会病院で工作を発見され未遂。  長男 亨 が父親利雄のバイクに乗って徳洲会病院の母親に行った際に、妹の夫 警察官 強 が 長男に工作するところを発見され未遂に終わる。 
母親セツの
イヤーホン
損壊事件
母親セツテレビ用イヤホーンを11回、娘 ちどりが損壊。
母親セツへ
の深爪切り事件
 娘 ちどりが意図的に母親セツの手足の爪を深爪切りし脅し隠蔽工作を謀った。  母親セツの手を掴み「何でも喋り過ぎると痛い目に遭うからな。」と娘 ちどりが言いながら爪切りを始め深爪切りをして母親を脅した。
 母親が、息子 亨 に告白したので観たら短く爪が切られていた。
病院内で娘 ちどり
「北方ジャーナル」記事
配布事件
小笠原 淳 のヤラセ記事を多数コピーし徳洲会病院内で看護師や介護士、患者家族に配布。  ビラを配布しながら、全く逆に「どら息子が両親から無心したり預金や財産を使って、他の人の家まで乗っ取って不法占拠しているヤクザ者だから皆さん、御覧下さい。」と大声で叫んでいたのを患者の家族が聞いて長男 亨に連絡して駆けつけ現場を確認し発覚した。
母親セツに娘
隠蔽脅迫工作
 母親セツに「余計なことを喋ったら殺す。」と脅した。
 風呂上り見舞い母親の血圧が上がるのを狙った。 
母親セツに断食させた時に「あの時腹減った腹減ったと泣いていた。」と長男 亨が裁判所に出廷中に娘 ちどりが来て喋ったのを母親のベットに隠して措いた自動録音機で収録した。
 他にも、必ず母親セツの風呂上りの時間帯に来て、母親の血圧が上がるのを狙って脅している会話を証拠として約30本録音収録している。 
父親遺産
相続問題
 父親 利雄が他界して1年以内に遺産相続しなければならなく長男への平成14年に騙して作成した父親 利雄の口答遺言を弁護士を通して
通告。
 父親から無心していたから遺留分を放棄する内容で父親 利雄から全財産の遺産相続した通知書を弁護士を通して長男 亨 に書面通知した。
札幌知人
山形移転し
警護依頼
傷害を負った岩尾さん恐怖から
山形に引越し警護求める。
水戸市の妹夫婦が雇った荻谷昭男から脅迫拉致傷害を負った岩尾さんが白石警察署の勧めで山形実家二階借間に引越しする。
実家自宅
明渡し裁判
訴訟
妹 ちどり弁護士を使い実家明渡し
訴訟開始
母親セツ資産所有の実家を父親 利雄が全額出資しているとして長男 亨 が使用しているとして、建物明渡しを山形地裁に訴訟。
2007年
平成19年
父親預金
先卸発覚
事件 
 父親利雄の郵便局以外の預金が
遺言前に名義変更事実判明。
実家自宅
明渡し裁判
訴訟判決
 一部父親 利雄が出資していたことを認め、明渡し判決下る。  母親セツが父親利雄に貸した金を建物新築の際に、支払に当て返還してもらったことを主張したが、認知症とされ認められず明渡し判決になる。
長男 実家
明渡し転居
母親に
病院内で足爪剥し
傷害事件発覚
母親セツ
補聴器損壊
事件
後見人弁護士
実家使用許可
後見人弁護士
母親特別老人
施設に転居事件
家裁選任後見人
弁護士解任申立
長男が母親の特老施設搬送に娘 夫婦させたり優遇から解任請求。 
2008年
平成20年
家裁選任後見人
弁護士継続判決
長男が母親の特老施設搬送に娘 夫婦させたり優遇から解任請求に対して、支障ない妥当な手段として継続認めた。 
仙台高裁に後見人
解任の控訴
実家から
家具資料
搬送事案
娘 ちどりが
母親とココと息子亨
を轢き殺し未遂
事件
娘 ちどりが使用し乗っている自家用車
の画像。

 この画像の車で母親とココと息子 亨を轢き殺そうとした事件。
2008年7月28日11時20分44
仙台裁に後見人
解任の控訴
長男への
襲撃事件
仙台高裁 控訴
解任却下判決
2009年
平成21年
母親セツの
動画公開
母親セツの意向で老人虐待証言を
世界に、動画公開。
 長男 亨 が母親セツの意向から「最近、少しボケて目眩するので直接、裁判官が聴いてくれないから他の方法で全国の人に訴える方法がないのか、」と嘆願したことからネットでの動画公開をしたものである。
警護犬
里親引取り
NPO愛護団体から警察犬里親引取りアパートの夜間警護させる。
 
 里親引取りを知った 娘 ちどり夫婦が山形保健所、NPO愛護団体に再三の電話抗議していることが解かった。
 また、他にも住民苦情として110番通報、保健所への苦情をさせている。
 放火などに備えて監視装置では、防止できないので警察犬を飼養。
母親見舞い中
車椅子に車両
突っ込む事件
 娘 ちどりが長男の母親見舞いで
散歩中の車椅子に待ち伏せして乗用車突っ込む事件
 母特老施設に長男 亨 が親セツを見舞いに行き母親を車椅子で散歩させていたら、乗用車で待ち伏せていた娘 ちどりが撥ねようとと突っ込んだが車椅子を交わして逃げ未遂に終わった。
 長男が山形警察署に届出たが「撥ねられて怪我してから届けれ。」と逆に怒られ帰された。
 母親セツや父親利雄 に関しての「老人虐待」や財産強奪と同し時期に札幌居住の長男 亨 に対しても事業破綻や生活困窮を狙っての保護犬猫への「動物虐待」事件やヤクサ系の者を雇い工作等とお互いに重複してますが、お許し下さい。 入院後の虐待